ビッグバン信じてるアホって(笑)
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自己言及
有を無で規定するということ
規定は否定
自己言及ー〈わたし〉〈自然〉〈科学〉
まだまだ科学は変貌するのだと 何を言ってるのかさっぱりわからんけど、もっと書いて良いぞ。 謎の上から目線のあんたに関係なく書きたいときに書くから安心してくれ 謎の上から目線のあんたに関係なく書きたいときに書くから安心してくれ フラットアーススレに書き込まずにこっちにかけよチキンw どこに投稿するかは俺の自由だわさ
ビッグバン、球体説は同じ病根だし 俺の主張は科学の前提とか原理原則を守れってこと
保存則破るし宇宙非宇宙って前提するし絶対座標前提にするし
球体説は絶対座標前提にしている
ビッグバンは在りえないし球体説もまた
両方とも認識したものが自然そのままだと理解している天動説から逃れていない謬説 絶対座標って何? そんなの前提にしてるなんて聞いたことないけど。
保存則って熱力学第二法則のこと? 別に破れてないと思うけど? 絶対座標=静止
エネルギー保存則は物理として何も生まれない無くならないということ
宇宙非宇宙という否定関係の存在は在りえない >>114
絶対座標=静止?
それじゃ動いてる座標は何て言うの? だからさ、絶対座標は存在しないよね
つまり静止は存在しないってこと
運動は否定されていないってことが要
運動は自然の存在形態ってこと
自然は無矛盾 規定は否定
運動は否定である静止で規定される
大地は運動しているが静止だと仮定する
地動説は太陽が中心、静止と仮定する
座標原点、つまり始まりを求めるが光速度一定の原理でどこにも絶対座標は存在しないこととなる
つまり自然の存在形態は運動でありどこにも静止は存在しないことになる
わたしはあなたでも植物でも金属でも水でもないが物理状態の差異
つまり同一を非同一で規定
わたしは同一であることは無いが同一として規定する
ウイルスは生物非生物と分類が困難
生物非生物は物理状態の差異であり否定関係ではないから
不確定性原理は運動を静止で規定するから
つまり測定は近似値であり決して=ではない 自然の存在形態が運動ならそれを前提に否定関係は導けない
つまり自然は運動するエネルギーの濃淡
真空はディラックの海を考えたらエネルギーの基底状態
静止は存在しないが認識には存在する
無は存在しないが認識には存在する
観たものがそのままの自然ではない 正直絶対座標についての理解は理系サイトとかで二十年以上否定されたことがないんで驚いている
大学院、研究者、ネイチャーで論文発表した方も否定はしなかったんで、そこを突っ込んできた人は初めて 光速度一定の原理の理解を放棄していることが現代科学迷走の原因だと理解している
観測問題、ビッグバン仮説、超ヒモ理論
最小単位説などなど
パルメニデス、ゼノン、カント、ヘーゲル、スピノザ・・・
不完全性定理の根源性は対象が無矛盾だが規定は否定だからということ
それが決定不能となる
クレタ人の逆説
0に限りなく近いが0では無いという奇妙な規定の正当性は有を無で規定するから
また進化論の根拠でもある
自然は単純そのもの
ウイルス、鵺的な存在など、理解することが様々な問題の原因
基準は存在しないが基準は理解に必要
多文化の問題、価値観の問題などなどもまた 人間とはってことを自然理解を前提にしたかった
学問とは、論理とは
一元的に理解したいってこと
文化の問題、生きていくということ・・・
学び問うということがどういうことなのか
人により違うんだろうがわたしの観点です 絶対座標がなければビッグバンも球体も無いという理解
認識に存在するが自然には存在しないということ
自然と規定の関係の理解
規定がもたらす問題 問題意識の違いかな
しゃあないか
それはともかく
自然と規定の関係が全てだと理解している
自然も規定も本質は単純そのものだと 理解するつもりが無い人に言っても無駄なんだよな
馬を水飲み場に連れていくことはできるけど飲ませることはできないってことなんだってことは理解している
理解するつもりのある人に語りたい ビッグバンとはまるで関係無い話になっているので、ビッグバン仮説とは何なのかをまとめておこう。
いわゆるビッグバン理論は現在、観測されている宇宙の姿を説明するために生まれた学説だ。
この説明する、というのが超重要。
まず、遠方の銀河ほど赤方偏移を起こしている。つまり、遠ざかっているという事象が観察された。
また、背景放射が極めて一様であるという事象も観察された。
こういう巨視的な部分以外では単純に古い恒星がまるで見つからないという観測結果もある。
これらを説明するために、宇宙全体は膨張している。言い方を変えると、過去はもっと宇宙は小さかった。
ということはどんどん遡ると、宇宙は数学的な一点から始まったことになるはずだ。
という仮説が生まれた。
これがビッグバン仮説だ。
現在、この仮説をひっくり返す観測結果は得られていないのでほぼ正しいと考えられている。
よって、ビッグバン仮説を否定するためには、別の方法で現在の宇宙の観測結果を説明出来なければならない。
説明能力が無いというのは説でも何でもなく、ただの妄想でしかないのだ。 というわけで、とりあえずはビッグバン仮説の大きな根拠となっている背景放射と遠方銀河の赤方偏移を説明してください。 >>116
君は質問に答えてないんだけど
現実逃避が好きなの? 科学の基本から説明の在り方を考えたいのもわたしの一つの目的
科学が示した基本は見たものがそのまま自然では無いということ
天動説は典型
火星に運河を発見した天文学者もいたりした
科学者は自分が発見観測した事象を必ずしも理解してはいないということ
酸素を発見した科学者も典型の一つ
周りは膨張していると観測されるがそれは宇宙が膨張していることを意味しない
端は観測されない限り宇宙は膨張しているとは言えない
つまり無限宇宙は否定されていない
宇宙背景放射は違う理解が可能だとする論文が発表されスムート博士は否定できないとコメントした
つまり火星に運河発見と同じ過ちの可能性があるということでビッグバン仮説の根拠には成りがたい
また大構造問題があるがビッグバン仮説が想定する宇宙年齢の数倍が必要
わたしは光速度一定の原理とエネルギー保存則、科学の成立は自然が無矛盾という前提を守る理解をしたい
物理としては何も生まれない無くならないのなら宇宙もまた生滅は無い
また宇宙非宇宙を前提にしたり絶対座標の存在を前提にするビッグバン仮説は科学では無いと理解している
人間は違う物理状態から生成されまた違う物理状態に生成する過程に在るだけで物理としては生滅は無い
自然は無矛盾、つまり理解できるとわたしは主張する
終始、静止、生死、粒子は存在しない
それは認識に現象するだけ
ビッグバン仮説は非科学でしかない >>128
妄想を書き連ねてるだけの君こそ反科学だ 頭の悪い人がいくら本やらテレビやらを見たところで
頭の悪さが暴走するだけ
はっきりわかんだね >>129
反科学のレッテル貼りで終了ですか
なら意味は無いから止めましょうか?
貴方はわたしの理解が具体的にどこがおかしいのか何も指摘していない >>130
はっきり判るがはっきり指摘はできないのですね、判ります w >>131
絶対座標が成立しないのなら
それに対応する概念を示さないとね で、現在の宇宙の観測結果をビッグバン仮説以外でどうやって説明するの?
説明出来ないの? >>134
雰囲気だけで否定するのではなく
具体的にどのデータとどのように矛盾するのかご指摘頂きたいね 半世紀ほど前にハイゼンベルク、武谷三男氏らは現代科学の在り方に疑義を呈した
九十年代初頭ビックバン仮説に否定的な科学者は科学革命が必要な段階だと記した
日本の科学者たちは現在の科学の在り方からあれは〇これは×としたと学会に否定的なコメントを出した
彼らは新たな考え方が必要な段階なのだと語った
同時期にドイツの科学者は時間は存在しないかも知れないと語った
二千十年代に時間非在説を唱える科学者たちが登場してテレビ、科学雑誌に特集されたりした
重力の存在に疑義を唱える科学者まで登場した
立花隆氏は量子力学は新しい理論が求められていると語り現場の研究者らしき方が最前線は一条の光も射していないという投稿をしている
ビッグバン仮説は何も証拠が無いし、わたしには科学の成果、前提を否定しているとしか映らない
これらは科学の基本に還れば解決可能だとわたしは主張する 主張なんか聞いてないんだけど。
ビッグバン仮説以外に現在の宇宙の観測データを基にした、説明をしてくださいと言ってるんだけど。
解決可能なんでしょ?
だったら、説明してよ。 >>133
ん?
だから自然の存在形態が運動であり無矛盾だということだけど なぜ、遠方の銀河は一様に赤方偏移を示すのか?
なぜ、背景放射は極めて一様なのか?
なぜ、極めて古い銀河や恒星が観測されないのか?
その説明こそが重要なんだけど。 >>134
個人的には無限宇宙論であるプラズマ仮説が有望だと思っている
まだ説明できないことがあるのはビッグバン仮説も同じだが科学の前提を守っているこの仮説を支持している
「ビッグバンはなかった」は三十年前に出版されている
銀河の生成をプラズマ仮説で示したペラットとかいろいろ紹介しかつ著者の理解も記している なるほど。プラズマ仮説を支持するということは、定常宇宙論派なわけなんだね。 >>135
雰囲気だけで否定しているのは貴方ではないかと
わたしは科学の成果と前提を明らかに否定しているこの仮説は受け入れられないし解釈の恣意性を指摘している 観測した事象をそのままの自然と理解する天動説の過ちをビッグバン仮説は犯している >>137
ビッグバン仮説以外は読んだことがないのかな
新定常宇宙論もあるがこれは科学の原則から外れた理解だから否定的
プラズマ仮説もまだ説明できないところはあるがそれはビッグバン仮説も同じ 周囲は遠ざかっていることは確かだがそれは宇宙の端が膨張していることを観測できない限り宇宙膨張という理解はできない
静止が観測されるから静止は存在するのだろうか
膨張は観測されるから宇宙は膨張しているのだろうか
観測された事象は様々に理解されうるが科学の前提から理解するということ
宇宙非宇宙という否定関係が存在したら対象は矛盾、つまり理解できない
また端が観測されない限り無限宇宙論は否定されない
背景放射は違う理解が可能という論文が天文学者によって出されスムート博士は否定できないとコメントしたと書いた
大構造問題はほったらかしだしね
わたしは対象は無矛盾でありエネルギー保存則、光速度一定の原理からこれらの観測事象を理解した
科学は成立するという観点から理解したい >>142
物語作品はどうでもいい
数学的にこのデータのここが矛盾すると指摘すればいい いずれにしてもビッグバン仮説に確かな証拠は皆無
それぞれに未解明事象はあり確定はしていないが科学の前提からプラズマ仮説が有望だと考えている
科学者たちで科学革命の必要を主張している人たちは散見する
時間も重力もいろいろな説がある現在
ある説を絶対視するのは疑問だが、わたしは科学の前提と成果を否定しない説が有望だし与したい >>147
うん、「ビッグバンはなかった」を書いたラーナーが基本的なことを指摘している
捜して読んでください
わたしより説明は上手いし手っ取り早いし誤解は無くなるから判りたかったら読んでください
判りたくなかったらそれで良いです そうだ、数式の性格についてハイゼンベルク、武谷三男氏も指摘しているから必読
専門家なんで説得力はわたしなどとは比較にならない
読んだことがないなら読むことをお勧めします
ラーナーも指摘していたな
とりあえずいろいろ広げたらどうでしょうか
わたしの理解がどこがおかしいのか指摘できるかも
その場限りのマウント合戦ではなく広い視野を獲得すれば互いに成長できるわけです
わたしもまたそうでありたいと思います 科学革命とかそういう大仰なことは別にどうでもいいんだけどね。
プラズマ宇宙論は背景放射と赤方偏移を上手く説明出来ないので、懐疑的。この2点が説明出来たら、鞍替えするにやぶさかでは無い。
ただ、膨張宇宙論は起点に無理があるので、ここを上手く繰り込んだペンローズの共形サイクリック宇宙論が今の推しだな。
これはモデルとしてかなり美しい。 無知さらしても匿名板ですから個人的には良いんです
結果として知見が広がり真理に近づければ互いに得するわけです
その場限りの勝利なんてケチなことではなく
ダルタニアンだったかな、負けたことでその後の勝利を掴んだのは
わたしたちもそうでありたいと望みます
負けることで弱点が判り最終的に真理に近づけば良いだけです
では約束がありますので一応ここまでにしておきます >>151
背景放射は違う理解が可能だと何回か書いています
新定常宇宙論の近藤氏は以前からの理解を記していますし
赤方偏移はその解釈を違う理解でやって追放された天文学者がいました
要するに違う理解が可能だってことが肝心です
お、遅れそうです >>149
他人がどう言ってたかとかクソどうでもいい
お前の口で説明しろ 数についての理解
古代ギリシャにパルメニデスが登場して自然は〈一〉であり〈多〉ないと主張した
ピタゴラス学派と論戦したがパルメニデスの弟子であるゼノンは師の説を擁護するために四つの逆説を示した
「競技場の逆説」では時空に最小単位があると仮定したらその半分が存在する、つまり最小単位は存在しないということを論証した
ピタゴラス学派は数には大きさが無いと応戦する
ならばわたしたちは目的に達することもなくアキレスは亀を追い抜けないことを論証する
無限を踏破したとすると最後の数は?
飛ぶ矢の逆説では点が存在したら運動は不可能と論証する
つまり自然は多、つまらり数ではできてはいないのだということです
それを裏付けたのが光速度一定の原理だとわたしは理解します
座標原〈点〉は存在しないのです
・・・有限が無限の数で構成されるってのもねえ
無限が有限で構成されるというのも・・・
続く 一つでも何か加えられたら天才
秀才はそれまでの達成点を理解するのに精いっぱい
ここで何か自分でこの分野に加えた人はいるのか疑問です
わたしにしてもパルメニデス、スピノザの指摘の展開に過ぎませんし
何かを加えたなんてさらさら思っていません
自分のものなんか一つもありませんので悪しからず 自然を観測して理解していくうちに天動説では理解しがたい事象を観測する
で大地も運動すると説明する
大地は認識には静止していると現象する
光速度一定の原理は絶対座標、つまり静止は存在しないことを示す
つまり自然には存在しない静止が認識には在るということになる
ここで当然認識の在り方を問題にしなければならないということになる
自然をそのまま認識することは出来ない
音波にしても生物によって差異がある
味覚、触覚、視覚、臭覚、生物によっては必要ないから無いこともある
それらは物理に伴うもので独立しているわけではない
認識器官という物理状態に生成するということでしかない
だから認識器官の在り方に左右される
光速度一定の原理は静止の存在を否定するから運動が自然の存在形態であり
それは無矛盾であり、真空は運動するエネルギーの基底状態と理解できる
真空、無は認識に現象するだけ、つまり静止と同じ
ここから自然は海であり粒子の存在は否定されることとなる
波が渦の状態で認識には粒子として現象する
多は存在しないというパルメニデスの理解が裏付けられる
って理解するつもりの人がいるかは疑問だが w ここ、ビッグバンのスレだからさ。
関係無い話題は別の場所でやった方が良いんじゃないの? まあそれはともかく
わたしには高校生の時に物理や数学の論理が理解できなかった
わたしはあなたでは無いが同じ人間
ではないがである・・・
死んだ人間はどこに行くのか
エネルギー保存則をどう理解するのか
鵺的な存在などなど
パルメニデス、ゼノン、クレタ人の逆説、カント、ヘーゲル、スピノザ
理解したいと思ったのにますます混乱の一途
で観測問題、不確定性原理などなど
哲学スレで人はこの問題に没入すると廃人になると諦めろと助言をする人も
わたしは居直るしかなかっただけ w
板倉聖宣氏は物理学の教科書の説明がおかしいことを指摘する
氏は後年0に限りなく近いが0ではないという説明をしたが納得は出来なかったが論理の性格を語り参考になった
その2年後に山川偉也氏が「ゼノン4つの逆理」を著しゼノンの逆説の成立過程を詳述した
この著作は自然とその理解の関係を解く端緒になるとわたしは理解した
それはともかく漱石の弟子は人生不可解と華厳の滝に身投げした
理解できないことだらけだがそれは現在の学問の水準とは判らなかった
自分なりには解決できたので満足している ビッグバン仮説は科学の在り方から理解して否定するしかない
この仮説は認識の在り方を認識しないことからの謬見だし
地動説は天動説を完全に克服していない
ビッグバン仮説は科学の否定だとわたしは理解している 続く 笑
科学は自然を無矛盾に理解することだと板倉氏は主張する
わたしはこれを指標にして考えてきただけ
対象が宇宙非宇宙ってのは理解の外なわけです
観測問題が未だに問題になっているのはその衝動であるのだと考えています あー、もしかしてビッグバンをダシにして自分の主張をしたいだけ?
スレを遡ってみたら、なんか何回も同じことを繰り返してるみたいだけど。
もし、そうなら俺はここで消えるわ。 このキチガイ、物理板とかでも同じレスしてる。
ほとんどコピペでしょう。 定量的に反論できないから
延々物語を垂れ流して押し流そうとしてる
そういう駄目な奴の典型だな 誰も具体的にどこがおかしいのかは指摘しないからなあ 問題意識がないならスルーすれば良い
新たに参入して問題意識のある人に読んでもらえればいい
わたしは違う角度から宇宙論を考えたい
認識論が必須だと考えているから数、理論の性格を理解したい
それが現代科学には必要だと やはり、一番しっくり来る宇宙モデルは共形サイクリック理論だな。
これが良いところは、膨張宇宙モデルでありながら特異点を回避しているところだろう。
ビッグバンモデルの難点はやはり原初の特異点やその前はどうだったのよとか、そういう部分が回避出来ないところ。
が、共形サイクリック宇宙論では膨張の果てがそのまま次の宇宙の原初に接続されるので宇宙誕生の前とか後とか、高次宇宙とか想定する必要が無い。
ネックは寿命がないとされている光子とかも最終的には崩壊しなきゃいけないというところで、ここが解決しないと主流なモデルにはならないだろうが。
そこさえクリア出来れば、おそらく最もシンプルかつ観測事実をカバー出来る理論になるだろう。
是非とも完成させて欲しいけど、ペンローズ先生もいい年だからなあ…… ボスロウはビッグバンは宇宙の片隅で起きたことかも知れないと書いた
ある人は何もないところでビッグバンが起きたのならあちこちでビッグバンが起きるのではないかと投稿している
もっともな疑問 反論はないがストーリーを書くのが好き
ということね わたしは科学の枠を確立してそこから仮説の妥当性を理解したいだけ
ビックバン仮説は科学の成果を否定しているし、証拠は皆無です 科学の枠ww
研究なんて何一つしたことないくせにww 共形サイクリック理論のポイントは、仮にこの宇宙に光子のような質量も大きさも保たない粒子だけになってしまうと、もはや時間や長さ・体積などが意味を持たなくなる
というところに着目したところだな
つまり、光子だけの宇宙は無限大ともいえるし無限小とも言えるという
この発想は本当にコロンブスの卵だと思う。 >>174
はいはい罵倒だけしてりゃ批判になっていると思うわけですね
相手にするだけ無駄の人 科学者は哲学を軽視するがその実最悪の哲学に囚われている
ある著名な学者の言葉です
手も足も出ない未解決問題は幾つかありホーキングはお手上げだと書いている 中身のない物語を語りたいなら
小説家になろうにでも投稿してろ 自然は認識の在り方により違う像として生成される
生物による自然像の差異の原因
次元はその像の抽象であり自然の直接のそれではない
何よりも絶対座標はその存在を否定されている
認識に生成される自然は認識の在り方に生成される像であり直接の自然では無い
認識には存在する静止、座標原点は存在しないし、〈ここ〉からも〈ここ〉までの存在は否定されている
運動は自然に伴うのであり決して独立して在るわけではない
自然は五感の在り方を通してその像を生成する
五感の在り方により物理状態が生成されるがそれぞれ独立して在るわけではない
つまり自然は一でありなにものも独立して存在するわけではない
地動説が何を語るのかを科学者は掘り下げなかったし
光速度一定の原理に至っては理解を放棄している
この原理は自然が無矛盾であり、規定が否定であることを示している
いわばαでありωでもある 科学は基本に還る必要がある
無矛盾な自然観を探求すべきです
理解が何かを考える必要があるかと 科学はすでに無矛盾な自然観を構築出来る観測を示している
科学者が未だに気がついていないだけ >>182
罵倒だけ、中身無し
なんというアタマの良いレスなんでしょう www >>183
馬鹿が頑張っても馬鹿なだけだから
頑張って生きろよ わたしの自然観は光速度一定の原理から
絶対座標が存在しないのなら静止の存在の否定
→自然の存在形態は運動
〈ここ〉からが存在しないのならば〈ここ〉までも存在しない
→宇宙は無限、無矛盾
自然は運動するエネルギーの濃淡
→これらから粒子は認識に現象する波が渦の状態
運動を静止で規定することも示す
自然には存在しない静止、無が認識器官には現象する
このことは何を意味するのかということ
地動説は静止が何かを示している
科学者はまだ認識に現象する自然がそのままの自然という天動説を脱却していない
絶対座標、終始を主張するビッグバン仮説は天動説
ビッグバン仮説は非科学でしかない >>184
気持ちが良いです
負け犬の遠吠えを聞くのは
どんどん吠えてください >>185
わたしの自然観www
頑張って賛同者を集めてねwww 吠えるだけ吠えたら良いでしょう
・・・ほかにやることは無いのですか?
わたしはありますので相手はここまでしかできませんので悪しからず
せいぜい中身のない遠吠えをしてください 物理として生滅はないのに宇宙は生滅するってさあ┐('〜`;)┌
馬鹿話止めようよ
恥ずかしい 宇宙の質問と回答スレに甘えてなついてるタイムマ党は、ビッグバンは未来につくられるタイムマシンが宇宙が始まる前の無の中に入りこんで起ったと主張しているよ。
甘えて同じことばかり主張して荒らしているやつだが、どう思う? おおむね、宇宙論を整理すると結局は時間と空間の組み合わせで四つに大別できるみたいだね。
1 宇宙の大きさは一定であり、それが永遠に続く(古典的宇宙論)
2 宇宙は膨張と収縮を繰り返し、それが永遠に続く(サイクリック宇宙論)
3 宇宙には始まりと終わりがあるが、大きさは一定である
4 宇宙には始まりと終わりがあり、大きさは変動する(ビッグバン宇宙論)
ビッグバン宇宙論は宇宙は一点から始まったが、その終わりに関してはまだ意見が分かれているので変動するということで。
3は組み合わせとしては想定できるけど、実際の理論は見たことないな。
宇宙は永遠論の問題は一言でいうと、熱力学第二法則をクリアできないこと。
要するに無限大の過去からこの宇宙が始まっていると仮定すると、とっくに熱的な死に至っているはずだという問題。
サイクリック宇宙論はビッグクランチの時点でエントロピーが減少してるような気もするが、そううまくはいかないのでいったん下火になったらしい。
それを克服したのが共形サイクリック理論。
ビッグバン宇宙論の難点はやはり宇宙以上の大規模構造や計算不能の特定点がモデル上避けられないってところだろう。 科学革命の特徴は自己言及
地動説、進化論がそうです
地動説は観測する立場の相対化
進化論も動物を観測する自身の相対化
自身も動物であり、自然の運動変化とともに生成された人間
光速度一定の原理は存在しない絶対座標、座標原点で運動を理解するということ
方程式の相対化、つまり認識の相対化
存在しないもので存在を、無で有を認識する
また無、静止の否定により自然の存在形態は運動だというのも自己言及
わたしは光速度一定の原理は自然とそれを理解すること自身、つまり理解がどういうことかという自己言及だと理解します
すべて観測する立場の相対化
最終的に理解自身の理解ということです 静止で運動を規定する
わたし、植物、金属は物理状態の差異であり、否定で理解する
わたしは植物、金属ではないと規定するが物理としては同一であり状態としては差異
わたしはこの今も運動しているし、同一であることは無いが同一のわたしと規定する
規定は否定 スピノザ
わたしという自己言及
人間は自然の一部という自己言及
科学革命は理解、規定の自己言及
規定は否定という自己言及が光速度一定の原理
それによって自然が無矛盾であるということを自己言及 物理として終始は存在しない
〈ここ〉から〈ここ〉までを光速度一定の原理はその存在を否定しているのだから
形は認識を媒介にした自然の在り方で存在しない
形で認識する
このことは座標原点で規定するが座標原点は存在しないということなのだから
地動説はその理解の端緒
認識器官もまた物理であり、その在り方を媒介に自然は生成される
無は静止は存在しないが認識器官には存在する
規定は否定ということを理解、つまり理解がどういうことかを理解する必要がある
光速度一定の原理は自然と認識の在り方双方の自己言及
つまり科学革命の最終としてある いずれにしてもビッグバン仮説は科学の否定
前提もいろいろな原理法則を否定していて有りえない
科学者は地動説が何を意味するのか未だに解明していない
エネルギー保存則、光速度一定の原理などなどの否定とか有りえない
何よりも対象が自然非自然という否定関係を前提にしている
アルヴェ―ンが語るように科学博物館行の妄説 次元の存在は否定されている
ビッグバン仮説を典型にまあだ絶対座標存在するって理解で科学者はやっている
自然は〈一〉であり認識の在り方から〈多〉として存在するように〈見える〉
認識器官に生成される物理状態の抽象が次元
運動も自然に伴い独立して存在しない
直接扱えないから量で理解するしかない
それが時間
四次元があったら無限の静止した三次元が存在しなければならない
次元で理解するが次元は存在しない
このことが何を意味するのか科学者は考えるべきでしょう
次元は存在しない
さて球体は存在するのか 地動説も太陽中心ということを主張したらアウト
基準は認識に必要だが存在しない
平面説は天動説
球体説もまた基準、次元の存在を主張するならアウト
基準で理解可能になるだけ
球体が自然に存在するというのなら科学の視点からはアウト
現前する自然は物理状態に生成された像であり、そのままの自然ではない
静止など、次元など無いのだから
理解された自然はそのままの自然では有り得ない
光速度一定の原理が絶対座標の存在を否定することを考えられなければならない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています