【な】秋月、千石、若松などを語るスレ80【ど】
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お楽しみ袋にSRAM入ってたんでポケコンのメモリ増設した >>113
小容量と言っても1Mbitはあるで
マイコン目的なら十分やろ(笑) Z80には256kbitROMと256kbitSRAMの組み合わせがちょうどいいサイズ >>113
>今のワンチップマイコンに慣れちまうとめんどくさいことこの上ない
じゃぁ、8080や8008動かしてみれば
8008はソフトも超絶めんどくさい(低機能) おお、凄いな
8008使った事ある人いるのか
4004はさすがにいないかな? ソフトメンドクサイのは、昔のHPの電卓
4004より多分メンドイ
1bitづつアキュムレータ回すから・・・ 8080とか4116ってなんで3電源も必要だったの? >>126
当時のMOSは12Vで動作していた
5Vインターフェース用の5Vと基板のバイアス用に-5Vも必要だった
その直後から出だしたZ80や6164は5V動作でバイアス電圧は内部で作り出していたから5V単一 >>極楽マイコン
arduinoかなと思ったが、
今はmicro:bitかな
小学生でも使える位にできてる
らしい
という訳でARM ・ラズパイと類似ボード…Linuxが解ってLinux上のツールが使えるから極楽
・mbed…クラウドサーバがメンテしてなければブラウザで開発できるから極楽
・STM32…mbed+STM独自環境が使えて極楽
・Renesas Synergy…ルネサスRZ限定で極楽
・Arduino…Arduino IDEもProcessingも極楽
・micro:bit…scratchが使えて極楽
−−−−【越えられない壁】−−−−
・ルネサスRX,RL,SH…独特なレジスタ設定とルネサス謹製のCS+が解れば(RL以外は)リソースが潤沢なので極楽
・PIC…日本語解説も多く昔からの知識で触れるので極楽 >>129
>・Renesas Synergy…ルネサスRZ限定で極楽
いつの間にRZをサポートしてたんだろう。…ってか限定? Arduinoはデバッグとかエディタが糞なので、VSと組み合わせないと極楽にならないな XP時代の化石PCでも軽々動作させられるのはArduinoと旧MPLABだけだ >>113
確かにめんどくさいよなあ
昔は↓こういう回路を嬉々として作ってたのに今は暇を持て余していても作る気になれない
http://www.gcd.org/sengoku/picts/HZ80/IO_board.JPG >>134
よく残していたなあ。
俺は捨てちゃって今頃後悔してる。
でも捨てた当時は「こんなもん、これから幾らでも作れる」と思ってたんだよなあ。 焦がしカラメル + クレオソート のような臭い・・・ フリーのCADで回路図とパターン描いて
中華業者に投げれば$5で作れる時代がくる!
なんてZ80で組んでた当時は想像すらできなかった >>136
ちゃうちゃう、これはただの拾い画像
こんな感じのを昔作ってたってだけだよ
自分もとうの昔に捨ててしまったよ…
>>140
当時はワイヤストリッパ持ってなくてニッパでちまちま皮膜向いてたから
ひたすら大変だった記憶しかないから無理だわ
定年退職後とかなら時間潰しにいくらでもやれそうだが 今ならUEW使って被服剥かずに配線したりするだろうし
基板をCADで起こすだろうと…
よ〜しパパ、無駄に多層基板起こしちゃうぞ的芸も出来るし 秋月とかには無いけど、8Mbit以上のSRAMになると高いから
電子工作に使うのは躊躇する(笑) >>134
ずいぶん簡単な配線だな、裏はぎっしりか >>134
MOSの出力をバッファなしでバスやコネクタに出しているのが気になる。 >>134
そう言えば時代はだいぶ後だけど俺も昔こんなの作ってたわ
https://i.imgur.com/TvoSnxD.jpg
https://i.imgur.com/7Rjc9dP.jpg
Pen-iiiマザボのBIOS復旧させるために作ったからもう二度と使うことはないと思うけどなかなか捨てられない 256KB SRAMは今はめっちゃ安くていいわ(笑) >>149
>>111の頃に雑誌で256byte大容量RAMのなんとか、と言う記事を読んだ記憶がある
当時は高かったんだよね 最初に使ったSRAMはSN7489。
4ビット幅×16ワードの64bitでした 昔の猛者はジャンクのコアメモリを編みなおして使ったとか 磁気コアメモリなら、先月に修理したよ。
フェライトコアを固定する接着剤が劣化して外れまくってたので、エナメル線も交換してホットボンドで綺麗に固定してあげた。
これで20年くらいは延命できた気がする。 まだトランジスタの製造技術が安定してない昭和の時代、
当時でも安価に転がってたフェライトコアをトランジスタ代わりに
使えんかと工夫したんがパラメトロン素子やで
れっきとした商用計算機やった おじいちゃんそれ以上興奮して話すとまた発作出ますよ、 なんかやってた人多いみたいなんで>>134の画像の転載元のブログを載せとくね
このブログの人は本当にすごい
http://www.gcd.org/blog/2013/11/1001/ >>156
1986年と案外遅い時期なんだね、この人が作ったのは。
ほとんど同じような構成のものを1977年に作ったけど、資料も実物も全部捨ててしまった... >>156
当時マイコン(古w)を自作で作るのが主流で
その時に作った機械みたいだな
今見ても芸術的でほれぼれしちゃう 俺の手書きノートは象形文字みたいでとても人様に公開できねぇw 俺が入門したのは白土義男のマイコン回路の手ほどきだったな。1986年くらい。
信号のオシロ写真で、パスコンが足りなくて5Vがギザギザしてるのを信号だと思って
かなり長い時間なにを言ってるのか理解できなかった。 自分は今の方がマイコン関係よく勉強してるわ(笑)
昔やって解らなかったことが理解できるようになってきた
あと今のマイコンはペリフェラルが沢山内蔵されてるから楽なのもある
センサー類も小型で使いやすいのが増えたしね >>159
1970年代はともかく、当時でも実用PCは買うのが普通だったでしょう。
松田聖子が777の宣伝してたし、MSXももう出ていたね。
自分もZ80組み込みはやったけど、こういう汎用のPCっぽいのを1から作る人って、
それほどいなかったのではないかな。 Z80でゲームボード作ってたけど初期の頃はまんまPCだったよ。
CPUはすぐに8085に、68kへとって代わられ、システムも変わってったけど、サウンドコントローラーはしばらくZ80だった。
ICEで開発してた頃がハード屋としては面白かったね。 Z80から8085へっていうのがよく分からないんだけど
ゲームボードの業界ではそういうものだったの? Z80は手作業でペリフェラル配線した
その後Z80とペリフェラルの基板作って8CPUクラスタにした
グラフィックがショボかったので7220を付けた
そこそこ動いたので7220を基板起こして3個にした
これで1670万色出るようになった
レイトレーシングの結果を表示できるようになった
日立の何とかってグラフィックの石出たので手配線したが面倒すぎた
俺が自分の基板CADやってた時に隣でamigaのCADやってたな
8080の頃はディスクリートでCPU作ってる人もいたな
当時はメインフレームでもヒートシンク付いた強制空冷式
DASDって洗濯機サイズのHDDが付いてた 8bitの時代はいろいろ試行錯誤的にやってたんですよ。
アメリカの提携先が8085ボードを持ち込んできたので作らざるをえなかったり、6809での試作をやったり。
16bitは開発システム込みで売り込みがあった8086で始まったのですが、ソフト屋さんの意向で早々に68kになりましたね。 学生の時に6809で手配線で自作したけど意外にCPUとして流行らなかった。
表示に6847を使って手アセンブラで頑張ってソフトを書いた。
命令体形の美しさでは8086/8088に優っていたと思うが、セットメーカのプロは
コストパフォーマンス重視で、産業用途で6809は使われなかった。
いい勉強になった。今でも原体験になっている。 >>168
ナムコかな?
>>170
昔から悪貨は良貨を駆逐するなんて云われるけど、
アーキテクチャが美しいから使われる訳ではなくて
昔から世間はコスパ重視だよね(笑)
イノベーションのジレンマと言い換えてもいい
Armが普及したのだって(当時は)安くて低消費電力だからに他ならないし コスパ(費用対効果)って、部品単体の値段だけじゃなくとても広い意味を含むよなあ。 秋月ってバリコン売ってないのな
ラジオのキットもトリマだし… ゴルゴ13でしょっぼいCG作ってた日本初のCG専用マシンはその後どうなったん?
(8086+8087)x256、これからも拡張するよ〜、とか本で見た気がする。
レンズマンのCGもトラウマになる位しょぼかったけど、これも同じマシン? >>162
俺は、マイコンピュータをつくるを読んだわ >>175
大阪大学とトーヨーリンクスのLINKS-1だね
トーヨーリンクスは、IMAGICAに吸収合併されたから
今でもCG画像処理分野の国内一角を占めていると言って良いのでは? >>177
そうなんだ、一応系譜は残っているのね。 秋月は今はPIC推しだけどATtinyも増やしてほしいなぁ…
何故か秋月Arduino互換ボードは幾つか出してるけど 秋月サイトがまたメンテ…
北海道にサーバーあって節電に協力してるんかいな FireFoxだとメンテ画面に飛ばされるけど、Safariだと繋がるよ サイトは千石が一番使いやすいかな
マルツはデータ量が多いからか検索に時間がかかる
秋月のHTML手書きサイトっぽい味わいは嫌いじゃない
若松(笑) Chromeで秋月がつながったけどhttps://が死んでるみたいだ >>182
この人10年くらい?前から永遠と描き続けてるある意味相当古参の人だよ
多分精神的な病を抱えてるんだと思う。田口と松田?によっぽど酷いことされたらしいw 自作マイコンの話が続いたけど、結局どういう用途に使ったの? 70年代終わりごろまでにやってた人は当時のパソコンに近いものを目指していたと思う。 >>188
今からは想像できないだろうけど、命令の集まりすなわちプログラムを入力すると命令通りに機械が動く、これだけで感動もんだったんだよ。 最近、災害が多いからインバーターでもと思ったけど
秋月での扱いは随分減ったね… >>188
大掛かりな電子工作
個人で自由に使える計算機は自作で安くする時代
メーカー製のは高すぎたよ 今だってSH-2Aとかでマイコンボード作れば結構早いマシンが作れるお >>188
趣味でキャラクタ型のゲームを作ったり、IMSAI、ALTAIRといったアメリカ製のCP/Mマシンが100万円以上して高価過ぎたんで大学に持ち込んで卒論で義手のシーケンス制御に使ったな。
プログラムは総てハンド・アセンブルでCPUをDMAモードにしてビット単位のオン・オフ・スイッチを使って直接SRAMに書き込み、カセット・テープに録音して保存・再生してた。
おかげで今に続くコンピュータの基本原理を根本から理解できたわ。 >>191
今の時代、難しい高度なプログラムができることに楽しさがあるのは認めるとしても
原始的なものに近いほど感じられる、ある種の感動があったのは確かだと思う。
始めてパチパチやってプログラムを入力してLチカしたときは嬉しかったな。 >>197
同時のLEDは赤色しかなく、しかも暗い。
今のLEDの明るさにはびっくりする。 >>188
電子工作して作ったものどういう用途に使うの?
という質問と同じ 昔は無いから必要に駆られて作ったけど
今はほとんどのものは既製であるからなぁ
欲しいけど世の中にないものって、いまは何だろうか タイムマシンやどこでもドアはぜひ欲しいが理論も構造も
わからんと作るのも無理だ
数千年後の秋月に部品やキット販売されるのかな 今はアイディア勝負だねぇ
それも発明みたいなものじゃなく、ちょっとした思いつきみたいなもので
ハッとさせる、惹きつける何かがあるかどうか
自分で思いつくのはそうはないから、作ってみたくなるような物を見つけて真似して作る
発想力、面白そうなものを見つけてくる能力、アレンジする能力、それぞれ色々で
結構楽しいんじゃないかい? 総武線がチューブの中を走っているのを見上げるんだろうなw 20年後にはんだごての個人所有が禁止されて秋月もアングラ営業だよw つーか、20年前に、20年後が「あんまり変わってない」とは思ってなかった・・・
車も普通に20年前の車が走ってるし・・・
携帯電話もスマホになったとはいえ基本は変わってないし・・・ >>209
80年頃日経エレクトロニクスが「2000年にマイコンのクロックはどこまで上がっているか?」
というアンケートを国内のその方面の専門家20人くらいに行ってその結果を発表した
1GHzまで到達していると言った人は一人で、ほとんどの人が20〜100MHzくらいを予想していた
21世紀になってから進歩が遅いねぇ >>210
80年代⇒2000年代ってのがすごい変わった感じがあって、
そのあとって全然だよね・・・ほんと
その、クロックが1GHzなんて当時の人が想像できないほど、
80年⇒2000年の進化が異常な速さだったのかもしれないけど ムーアの法則が足踏みし始めたからな
それも想像の範囲の延長線上
ここらで常温可動量子効果素子みたいなブレークスルーが欲しい
そのうえで機械学習を動かしたら
新ギュラリティ発動だ >>209
30年になると人の居る風景は、ある意味激変。電車ではみんな新聞か雑誌読んでたし、連絡は家電と駅の掲示板。パソコン通信はあったけど、インターネットは無い。 >>210
80年代初の8bitマイコン時代は、個人がメモリ64KBを使い切ることは無いと思われてたんやで(笑) >>213
電子によるプロセッサが主役の時代は終わる
今のTTLみたいな扱いになる
2020年代は光プロセッサの時代やで
(なおもう一段のブレイクスルーが必要) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています