ラジオ自作総合スレ part17
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>>23
ゼロ戦の無線って超再生検波って聞いたけどホント? http://www.yokohamaradiomuseum.com/navy3.html
ス-パーヘテロダイン。 RCAやビクターでは開戦前に175Kcのスーパーラジオを製作していた。 >>24
北朝鮮より駄目だろ。
奴ら曲がりなりにもICBMや原爆作れてるんだもん
戦前の日本ってプライドだけは一人前で中身空っぽ >>29
日本の戦闘機もちゃんとスーパーだったんだね。
ありがとう。 >>23
スーパーも短波付きもあったが高くて売れなかった…
せいぜいマリアナ方面の信託統治領居住の邦人が内地の放送受信用に使いくらい。
当時の内地では中継局も多いので、ローカル中波放送受信用の安価なもので十分だった。 >>33
あっホント、超再生方式があったんだね!
子供のときのオモチャのトランシーバーが超再生式で、まるで無信号時のザーッっていうノイズ音が聞こえてくるよう。。。 >>34
モールスは長距離用に使ってて、一旦基地局へ打電してそれを基地局で打ち直すはず。
例えば、
発:小沢路三郎@瑞鶴
宛:栗田健男@大和
内容:米機動部隊を北方に誘致せり
を打つとして、瑞鶴→基地局→大和という経路でやってたと思う。 航空機無線はスーパーだが(音質優先)、艦艇無線とか電探の受信機は構造の単純さを優先して超再生……だったかどうだったか ちなみに電探は使いづらいにもほどがあったので後にスーパーになる
艦艇は知らん 海軍が実用となる10p電探を配備したのは19年も後半に入った頃で、独ウルツブルグに範を取った2号2型改2でスーパーヘテロダイン受信機であった。
それまで配備されていたオートダイン受信機の電探と置き換えられた。
津田清一著「幻のレーダー ウルツブルグ」1981年CQ出版社刊より >>37
なるほど、A3で長距離はまだ難ありだったんでしょうね
あまり関心なかったから、全てモールスのイメージだった
考えてみれば終戦の玉音放送もあったわけですから、矛盾。
そんなアバウトな感覚だから、レーダーも、まさかマイクロ波なんて
UHFの下の方を八木で、ボヤボヤの像なのかな、と漠然とイメージしてた
GHQの作戦成果のひとつなのかな
そこで>24みたいなインフラががそんな時代のアメリカと知って
なんだかなぁ、と思った次第 >>40
日本軍が本格装備を色々と施し始めたのって、ほとんど末期だったんだな
鳴り物入りで始めて途中からはグダグダだったんだな VT信管すらなかった日本
玉に当たってないのに落ちるの不思議がってた日本 ゼロ戦の周囲から黒い煙がいくつも立ち上る 白黒動画
銃弾じゃない、炸裂する砲弾をこれだけ射って全然当たらないじゃないかアメリカ
と思って眺めていましたよ
VT信管の件
当時、あれだけのGがかかっても壊れない電子回路が作れたのですね >>41
当時のレーダー(電探)は今のような画像が見える訳じゃ無くて、オシロ同様の一次元掃引波形を読み解くような代物でしたね。
例えば左端が自艦の位置で右端が最遠点で、その途中に標的があればその反射波がパルス状のピークとして現れ、管面上で距離を読み取ると言うもの。
方位、仰角はその時点のアンテナ方位(手動)表示を読んでいました。 >>42
レーダー(電波兵器)に関して軍部が本腰を入れて開発を進めたのは、17年6月のミッドウェーの大敗を受けてからなので、どうしようもなく遅かったんですね。
それ以前から先の見える人たちが電波兵器の重要性を説いてはいたものの、軍部ってのはそういうモノなんだったんでしょうね。 >>45
まだ変更コイルは回転してなかったのですね
とはいえ、今から見れば、ともすれば中高生の自由研究でも作れそうな装備でも
当時にしてみれば庶民の想像を絶するような高度な軍事開発だったんでしょう
今でいうなら、各種無人兵器みたいに。 一方のアメリカはデジタル式の秘話装置まで作ってた。
正直技術力の差は今の北朝鮮とアメリカ以上って言っても良いかも知れない。 >>40
>「幻のレーダー ウルツブルグ」1981年CQ出版社刊
俺もこれ持ってる。いい本だよね。 どちらかといえば物理の基礎に近い、レールガンの発想が当時の日本にあれば。。。
と、空想 と書いて、電源もキャパシタも、適したスイッチも無いか。
二日酔いの戯言
やはり技術って、小さな積み重ねなんだな。
古代文明も今も同じくみんな精一杯の知恵
では、二度寝します ま日本は開戦中は一般人の短波の受信を封じられ
局型123で*部軍管区情報で忖度された情報しか取れなくなってしまった。
高級スーパーの電蓄や向こうのSPレコードは戦局悪化前に田舎に疎開するか
堅固な蔵に保管された物しか生き残れなかったらしい。 あとは空襲で亡骸に。
玉音放送を外に出したラジオで聞き突っ伏している写真があるがどれだけのラジオが
それを受信出来たのであろうか・・・。(電灯線電力はそのために臨時配電したそうだが) >。41
アメリカはPPI表示つくっていたけど、日本はAスコープのみ。
辛うじて終戦間際に撃墜したB29から鹵獲したPPI表示機を
コピーした物ができた。
マイクロ波レーダも作っていたが、ミッドウェーの時点では試作機の試験中。
それを降ろす時間がなく出撃した艦があったが、行き先はアリューシャン方面。
濃霧に遭遇した際に試しに使ってみたらばっちり使えたので、艦長が「早く正式
化と更なる改良をしろ」と上部に意見具申するも無視された。
一方のミッドウェー方面の経過はご存知のとおり・・・。
「幻のレーダー ウルツブルグ」1981年CQ出版社刊
このレーダはUHF(400MHz)帯じゃなかったかな。
VT信管やレーダ関係なら、角川文庫の
太平洋戦争日本の敗因3 電子兵器「カミカゼ」を制す NHK取材班編を見るといいよ >>53
参考ありがとうです
でもそれがアンカーということにしばらく気がつかなかった >>53
オリジナルの独テレフンケン謹製ウルツブルグレーダーは50p、700MHzだという話ですね。
直径3mのパラボラ反射器に1500rpm偏心回転ダイポール放射器。
120o円周走査CRTで測距40qで±10mの精度だったそうです。
日本軍は終戦間際までこのウルツブルグレーダーの国産化を目指し、B29に対抗した新型高射砲と共に帝都防衛の切り札と思っていたようです。
いかんせん時すでに遅しでしたが。 送信波のパルスは、アンテナのシャッターでやってたということでしょうか >>59
いえ、回転放射器は今で言うスキャンですね。
レーダーのパルス波は電子菅で発生、制御していました。
標的からの反射波があり距離方位を評定するとき、アンテナを動かす方向、右か左か、上か下かを指示するためにレーダービームを螺旋状に振っていました。
方向指示用のCRTに現れる掃引波形のピークの中に黒点で標的が示されそれを中心に来るように手動でアンテナを動かす、というものでした。
通常は機長と助手の二人一組で操作して、方向指示のCRTで上下左右ともに中心に捉えたとき合図を出し、もう一人が距離評定用円周走査CRTで距離を読むという仕組みでしたね。 >>60
なるほど
パラボラの焦点からずらしてパルスにしてる妄想でしたがそれでは求めるキレは
とても望めないですね
一度その本を探してみます http://www1.odn.ne.jp/~yaswara/
電測学校にいた人のHP
目を通しておくといいと思う >>62
なかなか詳細で面白いですね。
2号2型にも触れられていて、長年の疑問のひとつが解けました。 >>61
ウルツブルグにまつわる技術だけでなく人の話も詳細です。
独本土から伊号潜水艦で実物を持ってこようとしたり、日本無線工場で空襲下独技術者と和製ウルツブルグを開発していたり。
技術者物語が面白いです。 円形導波管使ってたとか徴収した米軍の機材見たら八木宇田アンテナ使ってたとか >>65
昭和初期、1930年頃までには欧米でYAGI ANTENNAは公知となって主にレーダー用アンテナとして開発がすすんでいたよ。
ドイツとの軍事技術交流で開戦の頃には八木・宇田アンテナがレーダーアンテナとして欧米で使われていることはレーダー技術者には知られていたし。 >>65
そう考えれば、レーダーっていうのは、電波発見から比較的早い時期に開発されてたんですね
依差佐美送信所みたいな時代から数十年
黎明期の数十年だから進歩は早かったかもしれないけど 最初のレーダ実験が成功したのが電波発見(というより理論の確認だが)から20年
依佐美送信所が出来たのはそのさらに20年後だぞ 日本で沿岸防空警戒に使われたワンワンってレーダーになるのかな。
送信所と受信所があってその間に航空機が入ると警報が出るってやつ。 無いよりはずいぶんと役に立ってただろうねぇ
設置した警戒線以外が監視できないのが悩み
……流石にそろそろスレチが過ぎるか いや、こっからレーダーやVT信管の自作に持っていってほしい 幼い頃、父親が林業やってた
ロープウェイを張って搬送するやつ
CB(合法)を使ってたのだけど
その身内でのトランシーバーの呼びは 「シーバー」
なんかかっこよかった
近所だと、学研のトランシーバーでも受信できた
Nationalの大きな8CHつまみついたやつだった
使い古しの大量の電池を貰った
ラジオぐらいにしか使えなかったけど 今の子供はトランシーバーであそばないのな。遠隔地との通話はケータイで確立されてしまったし、夢がないわな
通信施工関係の職場だが、若い衆はラジオも作ったことないのが殆ど。
メーカーの造ったブラックボックスに
呪文を唱えるだけの仕事だ。
監視システムのフォトカプラが壊れると我々爺の出番だ。 学研のトランシーバーで150m離れた友達の家と話そうと
アンテナ線をどんどんのばしたら
結局線が繋がった おもちゃのトランシーバーはパワーは微弱だが100mは飛んだな。超再生だったと思うが感度はいいんだな 無許可微弱電波で受信部だけスーパの
おもちゃトランシーバ作ってみたいな。
けっこう飛ぶかな? >>83
それは飛ぶとは言わないのでは。。。
浮かる、とかかな >>83
というかそういう趣味の研究がアマチュア無線の本命なはずだよね
申請がとにかく面倒 私設fM局のサイトで法定内微弱電波もけっこう遠くまで伝播してるって解説してたのを見たな 仮に27MHzを使うとして、ベースがLA1600だとダブルスーパ構成だろうな。かなり大がかりだ 今の微弱電波の定義じゃ無線として実用になるようならオーバー電解強度だとか聞いたこともある
マウスとパソコンとか至近ぐらいのイメージしてた 距離を稼ごうと思ったら、サブギガのモジュールだろうね。 免許いらないやつは今は出力じゃなくて電界強度で規制されとるからめんどいぞ > 電界強度で規制
やっぱそうだよな ○○W以下でも超指向性ビームで向けられたらI出て困るだろうし 戦争で呪文を覚えてた人がいなくなると縄文時代に逆戻り。
これは宇宙人の陰謀だ
だからみんなラジオくらい作れるようになろう
半導体製造インフラが無くなっても100年もあれば
半導体や真空管といった伝説の部品を発明できるだろう 今の微弱電波って受信機や家電などの不要輻射レベルと同じだから実使用は無理だよなー
音声変調は無理だが信号の有無の低速度で
水晶フィルタの様なものすごい狭帯域だったら
SN感度が取れるので数百メータは届くかもねー 最近ワイヤレスドアチャイム買ったけど家の中どこでも届いたなー
受信機二台付きで千五百円位(中国製)
送信機側の電池が単五型で12Vで受信機が単三2本
日本の電波法とか適合してるのか不明だが >>104
多分、不適合。
向こうのはCB無線とか平気で数キロメートル飛ぶし、何10チャンネルもある。 昔台湾出張の時に、電波式のリモコンコンセント買ってきた
それを職場同僚のパソコンのCRT電源に仕込み
保存終了するであろう退社少し前にリモコンでOFF
一瞬顔面蒼白で固まってた
またやろうとボタン押したら、密かに自分のパソコンCRTに
仕掛け直されていて自分がびっくりした
ごめんなさい >>108
Amazonでも楽天でもYahooショッピングでも自由に売ってるぞー 正月にはラジオ作ろう
箱に入れて茶の間に置けるやつ リスニング仕様にしたいから
RF部はシンプルに
地元局用に、高1でもいいや
オーデオ段とスピーカーだけ
一寸だけ良いものに ダイヤル機構がな。
現状、とくにバリコン使うやつだとバーニヤダイヤルしか入手出来ない AMステレオとかFM見えるラジオも終わってたんだ。 >>117
あ、話が逆だったね、スマン。
前はジャンクセットからパーツを抜き出してたけど、最近は特にテンショナー付きプーリーが無いね。
自分の作品から取るのもなんだかなぁ。 >>120
AMステレオはまだ細々とサービスしていますね。
自作の受信機で寝室で放送聞いています。
既に家電量販店で対応受信機売っていないので、サービス終了も時間の問題なのでしょうね。
ステレオチューニングして音が広がる臨場感が良いですね。 FM補完放送で初めてAMプログラムをステレオで聞いて確かに感動したな。 自作じゃないけどAEONの家電売場にケースが木製のデザインラジオが
いくつかあった。 他人のサイトから拾ってきたが、まじめに作っても30年前からこんな感じにしか成らない
http://www.asahi-net.or.jp/~gt6s-sbic/electro/0-v-2/0-v-2.jpg ダウントンアビーの最終シーズンで、たしか女王の玉音放送聴くためにラジオ借りるシーンあったが
あのラジオ再現したい スパイダコイルとバッテリが外付け 本体は観音扉 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています