0080アメリカ本土を空爆した日本人
NGNGより、一部抜粋
10月22日(1997年)の『惜別』欄には、
『旧海軍操縦士 藤田信雄さん
9月30日死去、85才。
空襲した米国の町「故郷のように」愛した』
という見出しの記事が出ていました。
太平洋戦争中、米国本土を空襲した、ただ一人の海軍の操縦士である藤田さんは、戦後17年たった1962年に、かつて自分が爆弾を落としたオレゴン州南部のブルッキングスの町から、ツツジ祭りのゲストとして招待されました。
「辱めを受けるのではないか。そのときはいさぎよく自決しよう」と、日本刀を持参。しかし大歓迎を受けて、その愛蔵の日本刀を町に寄贈しました。 「あなたの勇気は素晴らしい」と町をあげての大歓迎をうけました。
それが人間同士が戦うことの愚かさを実感した瞬間だったそうです。
その後、藤田さんはブルッキングスを3度訪れています。92年 9月には、自分が焼夷弾を投下して森林火災を起こした爆撃地点に、贖罪の植林をしたそうです。