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復活JICA専門家
0001バリアフリーな名無しさん
垢版 |
2020/01/08(水) 00:29:02.10ID:NIyqQBL7
あいつら邪魔ばかりして、何もしないねよね?
0002バリアフリーな名無しさん
垢版 |
2020/01/08(水) 00:32:45.79ID:NIyqQBL7
特に役所から来た連中w
0005すー
垢版 |
2020/07/06(月) 23:16:11.16ID:US3YrCiA
ボリビア事務所はパワハラで大変だったんだね。今から7-8年前。
0009ミオ
垢版 |
2021/10/30(土) 09:47:02.30ID:A12pRsrY
もう10年以上も昔に(たぶん2ちゃんねるで)見つけたものだがJICA専門家がらみの話なので転載するね
結構おぞましい話なので保存してあった

(その1)
『対アフリカODAを倍増』だそうですが・・・ 投稿日:2008/06/01(日) 18:05:25
もうだいぶ昔の話で、1980年代中頃のことです。あの頃はODAの内幕も余り知られておらず、ある意味、JICAの黄金時代でした。アメリカが政治的意図で「アフリカ飢餓大陸キャンペーン」を張っていたとき、JICAもこれに便乗して新聞や雑誌にさかんにアフリカ援助のPRを打っていました。
ところが実際には、ソマリアなど一部の内戦地帯を除いて、飢えている人は ほとんどいませんでした。私の在任中、日本から新聞(1社)と雑誌(2社) の取材が来ましたが、みんな「被写体探し」に苦労した挙句、連絡所や風景 の写真を撮って、私達に簡単なインタビューをして帰っていきました。
そんな中、JICAのカメラクルーの団体がやって来ました。彼らは「被写体」がどこにもいないと判ると、村で遊んでいた子供を集め、無理やり服を脱がせて頭から泥水をかけ、懸命に「飢餓に苦しむアフリカの子供達」を演出しようとしました。挙句の果てには「まだインパクトが弱いな」とか言いながら、子供達の尻や頭を叩いて泣かせ、何枚も写真を撮っていました。
0010ミオ
垢版 |
2021/10/30(土) 09:48:29.94ID:A12pRsrY
(その2)
それから4日後、クルー達の行為に厳重抗議するため、首都にあるJICA事務所を訪れたとき、そこに居たのがクルーのリーダー格の男と松谷広志でした。彼らは現像された写真を並べて、「もう少し泥が乾いてから撮ったほうがリアルになるよなあ」とか言って、写真の取り直しの打ち合わせをしていました。クルー達の暴挙に抗議した私に対し、松谷が放った言葉はもう思い出す出すのもおぞましいものでした。いわく、「それで援助が進むなら、子供達にとっても幸せなことだろう?」、「今までたくさん金払ってきたんだから、このくらい当然だろう?そのくらいしか約に立てない連中なんだから。」なのだそうです。現地大使館や東京のJICA本部にも抗議しましたが、すべて揉み消されてしまい、さらには事務所ぐるみで私の活動のアラ探しを始める始末でした。
冷房の効いた部屋で、コーヒーを飲みながらニヤニヤ笑っていた松谷の顔と、あの幼児が拗ねたような独特の声色は、激しい嫌悪感とともに今も鮮明に覚えています。あのときに捏造された写真は、今でもJICAの宣伝広告などで使われ続けています。まさにあの現場に居合わせた私としては、捏造ポスターを見るたび、どうしようもなく不快な気分になります。そして結局、私のいた地域への「援助」は何一つ行われず、子供達は理不尽な暴力を振るわれ、捏造写真を撮るための犠牲になっただけでした。
現在、私は企業コンサルタントをしており、今でもアフリカには仕事でときどき立ち寄りますが、JICAの体質は一向に改善される様子がありません。派遣専門家という人達も相変わらずで、プール付きの豪邸に住んで、仕事などする気配すらありません。聞くところによると、珍しく地方に行ったときには、ライフルを持ってジープを乗り回し、シマウマのハンティングをしてたそうです。毛皮を取るわけではなし、もちろん食用にするわけでもなく、ただ単に野生動物を殺して楽しんだだけです。ちなみに当時の同期隊員達の何割かは、なんと20余年経った今でも定職に就かず、海外援助に寄生しながら生活している有様です。
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