鐘の音@三日目東ラ36b
@kanenooto7248
11月20日
昔、「おしん」って朝ドラが記録的大ヒットしたけれど、伊東四朗の父親役や泉ピン子の母親役に「これをおしんちゃんに食べさせて」と米が送られてきたり「あなたは子供に厳しすぎる」
とか説教しに来た人が居たり「現実と創作の区別がつかない人」という現象はその時代から居たんだなあと思う。

へぼやま
@heboya
11月21日
返信先: @kanenooto7248
いや全くその通りで、昔も今も創作と現実の混同は多くの人にごく普通にある。
なので差別的な表現を無批判に垂れ流し続けてれば、「ごく普通の人たち」が容易くそれに染まるのも当然。
だから差別的な表現をきちんと「これは差別的であり、真似したり内面化したらアカンやつ」と批判しなきゃならない。

しかし最近カウンターのつもりか、「過去にこれこれという事例がある、オタクより一般人の方が創作と現実の区別がついてない」みたいな事を言うオタク側の人居るけど、
それ、「創作によって影響を受けたりしない!」と矛盾してる自覚はあるのだろうか。

そもそも彼らは「オタク“だけ”が攻撃されてる」という頭で考えてるけど、彼らの言う「オタクを攻撃するフェミニスト」側は、「性差別的表現とその悪影響」について
「社会への影響」として語ってるので、「オタクより一般人の方が〜」と言われても「うん、影響受けてるよね」ちゅう話でしかない。
「オタク以外に批判の矛先を向けさせさえすれば、自分達の中にある性差別的表現が“許される”」みたいな思考が、もう既に根本的にズレている。
小学生の「○○ちゃんもやってるのにー」と思考レベルが同じ。お前も○○ちゃんもアカンのや。

この辺の人達に共通しているのは、「俺たち(男)オタクは一般人(非オタク層)違い、現実と創作とを混同するような“異常な”ことはないし、一般の男どもと違って善良で純粋なので、女性に差別的、侮蔑的な意識や言動はない」と「信じ込んでいる」こと。
その歪んだ選民意識が被害妄想に転嫁される。

で、この手のことに「表現の無責任」を主張する人たちの言う「表現の自由」って、要するに「ラオスで嘘の祭りをでっち上げて放送して、ラオス政府から抗議されたのに対して、『俺達が楽しんで見ているのに文句言うな』と返す人たち」と同じなのよね。

彼ら「表現の無責任戦士」が「表現がどんな影響を与えようと責任なんかない! 影響を受けてやらかす奴が悪い」と大声で言えるのは、「自分達はそれらの表現のせいで損失を被らない」という認識前提で考えているから。
けど自分達がその対象になったら絶対に違うことを言う。