>>207へ自己レス
以下を読むと少年ブレンダ氏は戦略的視点を持っていたように思えてくる。今までの経験からなのか、ある意味青識たち表現の自由戦士のことを「信頼」していて、彼らがどのような行動を起こすか予測し誘導していたのではないかと思われた。
藤田氏は表現の自由戦士たちの視野の狭さと、道徳的水準が低いことを指摘しているようだ。


少年ブレンダ? @hibari_to_sora
書きました。不完全な「キズナアイ」として生きる『だが「キズナアイ」も、ホリケンの生放送も、たんぽぽ川村も、いずれも社会の中で負わなければならない「女性の役目」を巡っている問題なのである』
NHKノーベル賞解説サイトの炎上 - レインボーフラッグは誰のもの
http://rainbowflag.hatenablog.com/entry/2018/10/07/232520
23:29 - 2018年10月7日
https://twitter.com/hibari_to_sora/status/1048943476467879936

少年ブレンダ @hibari_to_sora
誰も自由なんかじゃない。誰も、年齢、容姿、人種、性別から自由なんかになれない。絶対に。どんなにテクノロジーが進化しても、人は現実に疲れるし、臭いし、汗をかくし、体毛も生えるし、臭いはするし、誰でもその現実から逃れ慣れない。
表現の自由なんかない。それを証明したのが君たちだよ。
23:57 - 2018年10月10日
https://twitter.com/hibari_to_sora/status/1050037524410716160

少年ブレンダ @hibari_to_sora
そうじゃなくて、ここでのポイントは、男タども「現実とフィクションを混同するな」とか、「表現の自由」とかってのは都合のいい詭弁でしかなってことが、疑いようもなく、はっきりしたってことだよ。
0:13 - 2018年10月11日
https://twitter.com/hibari_to_sora/status/1050041541958426624


藤田直哉 @naoya_fujita
昨日の少年ブレンダさんへの意見に対してくる批判。ファンのお気持ちを尊重すべし、ローカルルールを守るべし(という公共性の要求)、ある対象に対して同じように感じるべき(という全体主義的な感性の統制)、
そして不快なのでなくなるべきという主張なので、オタク論客の敵視する主張と似てて当惑する

不快に思われる表現をこそ守るのが「表現の自由」だ論者ですら、その主張を裏切っているように見えてしまう。その矛盾や欺瞞を露呈させる作品だった、と理解するべきなんだろうね。

いくつか推測できることがあって。言語化されたローカルルールには几帳面な従順だが、フェミニストが新たに問題提起したり闘争で動的に中身が変わる倫理には拒否感があるのは、規則性・法則性の有無の部分がでかいんだろう。
規則性への愛着というか、ナマモノへの不安というか。
10:23 - 2018年10月11日
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1050195085772509184
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)