各々が出来ることから少しずつ確実にやればいいものを、頭からいきなり完全や完璧を求めるから病的になるんだ
単純な反出生だって人間の出生数を抑制することで将来に渡って人間の犠牲になる動物を減らす可能性を持つ取り組みでもある
一部vegANやエフィリストを呼称してる人間が反出生を実行すればVeganにならなくていいなんて馬鹿げてるだの見苦しい言い訳だの書き立ててるけどな
じゃあ反出生にもならずVeganの理念にも賛同しないし実行もしないのとはどっちが動物の犠牲の削減に寄与出来るかで考えてみたらどうなのかって事だ
反出生のみの実行実践が馬鹿げてると断じるのは人間の数(=人間の犠牲になる動物の数)が減ることに意味を見出すのが馬鹿げてると断じるのと同じなんだ
vegANやエフィリストを名乗りながらそれを唱える事の矛盾を何故省みられないのか
理想と完璧主義に捕われてそれを自分だけでなく他人にまで過剰に要求してるからだよ
長期的なスパンで考えられず早急に結論だけを急ぐことが賢いやり方とも思わない
自分の代で早急に全てのカタをつけられると思うのはただの妄想と慢心だ
それを追い求めることは現実逃避、乖離的な危険すら孕む
早急で完全な変化を求め過ぎることによって様々な軋轢、争いの苦痛を新たに生むなら本末転倒なんだ
Veganにならなければ反出生になっても無意味だとか贋物だとかって論調は反出生を浸透させることの妨げにこそなれ後押しには決してならないし、内容も事実と違う
そしてこういう内容を語った相手を逐一アンチVegan認定して敵視してる間はそういう人間と共に進もうとする者の数がごく限られたものになることも自明
そいつの求める完璧な理想通りに生きてないとブツブツ陰口や悪口で人格否定してくる奴なんか普通に嫌だろ、てか俺は嫌だね
Veganを志すにしても尊敬が出来る、動物にも人間にも等しく優しい眼差しを向けられる、長期的な取り組みとして広い視野を持って忍耐力と自制心を自分自身に課してる実践者に御指導仰いで後に続きたいよ