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【板橋】大東文化大学1時限目【東松山】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001学籍番号:774 氏名:_____
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2013/10/31(木) 18:53:39.57ID:QeX9Q4Ut
https://twitter.com/hae_taiji_godon/status/377999887477923841


※ 荒らしは完全スルー、構う奴も荒らし
※ 煽りには極力乗らない
※ 誹謗・中傷は禁止

※ レスの削除依頼はここ
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1322175466/

■関連サイト
大東文化大学公式HP
http://www.daito.ac.jp/index.html

大東文化大学−Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6

DB Portal
https://www.mypage.daito.ac.jp/wps/portal

シャバイアス大東文化大学
http://dbu-michelin.hp.infoseek.co.jp/dbu/index.html

大東文化大学 サークルdawn [大東生活支援サイトdawn web]
http://www.d7.dion.ne.jp/~t_s/

大東文化大学(入試広報課)Twitter
http://twitter.com/daito_univ
0005学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/02(土) 08:42:58.73ID:eUYHjPml
■頭の悪い国民をNSA盗聴問題の話題に集中させつつ 裏では 「盗聴法の改正」 へ向け準備が進んでいる

http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2013/06/post-5ec7.html
政府の情報セキュリティー政策会議(議長・菅義偉官房長官)は、2013年6月10日、2015年度までの
「サイバーセキュリティー戦略」を正式決定した。サイバー犯罪の複雑化と被害の深刻化を踏まえ、
通信事業者がインターネットの利用状況を解析したり、利用内容の履歴を保存したりすることについての検討を打ち出している。
今後は、特に、通信履歴の一定期間の保存を通信事業者に義務付けることの検討が進むだろう。
このように、既に、私たちり電子メールや通信履歴については現行法上も対象犯罪の限定なく容易に取得できる状況となっており、

さらに、通信傍受が拡大されるとともに、その手続が緩和されようとしており、捜査機関の捜査権限はますまず拡大されようとしているのである。

対象犯罪にテロ関連犯罪も含める動きがあることから、通信傍受の対象は、ますまず将来犯罪を対象とするものに拡大され、
限りなく行政盗聴に近付いていくことが予想される。そうだとしたら、アメリカで明らかになったインターネットの監視プログラムに
ついても他人事ではないと言わなければならない。秋の臨時国会には、秘密保全法案が提出されることも決まっており、
これと併せて、日本においても通信の監視が強化されていく可能性は極めて高いと言わなければならない。

いずれにしても、通信傍受法の改正の動きを注視し、反対の声をあげていくことが強く求められている。


■マイナンバー法と盗聴法改正問題
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html
■ACTA〜水面下で進められる動きに注意〜/堤 未果のブログから ほか
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d1d08b3ae375726481dc64a2ef8c24ee
「国民が何が起きているか分からないでいるうちに、急速かつ強権的に改革を進めることだ」
国民がおかしいと気付いた時には、すでに社会のあらゆる場所が「監視国家」と化していたのだ。
テレビや新聞が抽象的なスローガンや芸能ニュースで占められ、国民の知らない間に、
いつの間にか法律がいじられてゆくという状況は、3・11以降の日本と酷似しているのではないか。
0007学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/02(土) 16:18:07.69ID:???
■頭の悪い国民をNSA盗聴問題の話題に集中させつつ 裏では 「盗聴法の改正」 へ向け準備が進んでいる

http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2013/06/post-5ec7.html
政府の情報セキュリティー政策会議(議長・菅義偉官房長官)は、2013年6月10日、2015年度までの
「サイバーセキュリティー戦略」を正式決定した。サイバー犯罪の複雑化と被害の深刻化を踏まえ、
通信事業者がインターネットの利用状況を解析したり、利用内容の履歴を保存したりすることについての検討を打ち出している。
今後は、特に、通信履歴の一定期間の保存を通信事業者に義務付けることの検討が進むだろう。
このように、既に、私たちり電子メールや通信履歴については現行法上も対象犯罪の限定なく容易に取得できる状況となっており、

さらに、通信傍受が拡大されるとともに、その手続が緩和されようとしており、捜査機関の捜査権限はますまず拡大されようとしているのである。

対象犯罪にテロ関連犯罪も含める動きがあることから、通信傍受の対象は、ますまず将来犯罪を対象とするものに拡大され、
限りなく行政盗聴に近付いていくことが予想される。そうだとしたら、アメリカで明らかになったインターネットの監視プログラムに
ついても他人事ではないと言わなければならない。秋の臨時国会には、秘密保全法案が提出されることも決まっており、
これと併せて、日本においても通信の監視が強化されていく可能性は極めて高いと言わなければならない。

いずれにしても、通信傍受法の改正の動きを注視し、反対の声をあげていくことが強く求められている。


■マイナンバー法と盗聴法改正問題
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html
■ACTA〜水面下で進められる動きに注意〜/堤 未果のブログから ほか
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d1d08b3ae375726481dc64a2ef8c24ee
「国民が何が起きているか分からないでいるうちに、急速かつ強権的に改革を進めることだ」
国民がおかしいと気付いた時には、すでに社会のあらゆる場所が「監視国家」と化していたのだ。
テレビや新聞が抽象的なスローガンや芸能ニュースで占められ、国民の知らない間に、
いつの間にか法律がいじられてゆくという状況は、3・11以降の日本と酷似しているのではないか。
0009学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/05(火) 17:34:51.57ID:gQ2bCt0d
高木浩光@自宅の日記 - takagi-hiromitsu.jp ■ 動機が善だからと説明なく埋め込まれていくスパイコード

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20130626.html

これは、利用者間のそういうサービスであり、そういうシステムが組まれているのだからいい。
まさか、この仕組みを流用して、つまり、システムの内部に介入して、

警察が、市民の端末のGPSを遠隔作動させているということなのか?


そもそも、こんなアプリを勝手にインストールするのは、刑法168条の2、不正指令電磁的記録供用罪に当たるのではないか。
キャリアの説明書、利用規約、約款を調べてみたが、あくまでも、

「ケータイお探しサービス」
「子ども見守りサービス」
「今どこ検索」、「緊急通報位置通知」

のために使うものとされていて、その他の目的で流用することがあるなどと、どこにも書かれていない。
キャリアの人ら、端末は自分たちの物だと勘違いしてるんじゃないのか。

自分たちの制御下にあって、何をインストールしようが勝手だと。

百歩譲って10年前の電話ならそれもいい。だが、自由にアプリをインストールできるスマホは、コンピュータなのであって、
キャリアの管理下にあるわけじゃない。

いや、それどころか、総務省令事業用電気通信設備規則で義務付けた結果がこれなのだから、
まるっきり、国が、スパイコードを国民の携帯電話に埋め込んでいる話じゃないか。

まさにこれは、「コンピュータプログラムに対する社会的信頼」という刑法168条の2(及び同3)の
保護法益を侵すものであり、到底許されるものではない。
0010学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/06(水) 19:57:37.25ID:CgYApZNn
.







社民党ホームページ 「盗聴法はいらない」 が文字化け中 不正アクセス改竄されたか?

http://www5.sdp.or.jp/central/faq/toutyou.html










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0011学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/07(木) 12:24:51.89ID:HSvRSvrT
■マイナンバー法と盗聴法改正問題 - 清水雅彦の憲法・鉄道・バイクetc ...
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html
■“治安対策”の名で進む監視体制
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0707/0706308111/1.php
■人がやることなすことすべて監視する構想が政権内部の既成事実となっている
人たちを警察が監視カメラでチェックし、人相、しぐさ、顔かたち、音声を解析することにより〜
音声の解析ということは、 ■「 監視カメラ 」 がおかれたところには ■「 集音マイク 」 が仕掛けられていて、
そこで話した会話が ■「 盗聴 」 されていることを意味します。
斎藤さんは「人がやることなすことすべてを監視する構想が政権内部では常識になっている」と述べ、
そのような監視体制が既成事実となっていることに懸念を示しました。

■警視庁様 | 導入事例 | 法人のお客さま | NTT東日本
地域ぐるみによる未来を担う子どもの安心・安全を守る「子ども見守りカメラシステム」
■電柱に設置された見守りカメラ http://www.ntt-east.co.jp/business/case/2010/004/image/image04.jpg
「子ども見守りカメラシステム」の構築に当たり、システムの要となるのは、カメラの設置場所です。
これについては、小中学校の近辺や通学路脇の■電柱に設置することとなりました。

■監視社会はビジネスにとっても宝の山
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0707/0706308111/1.php
サミットを利用し、あおっている「監視」の背景伝える重要性強調 清水雅彦教授の講演要旨
■目的外使用されている「プライバシー」
http://jcj-daily.sakura.ne.jp/hokkaido/report08/0607shimizu/youshi.htm
■民間の個人情報売買解禁へ 政府、新事業創出を後押し
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO48940300Z21C12A1EE8000/
寺澤有 ?@Yu_TERASAWA 10月27日
■「 警察庁 」 は ■「 盗聴法を改正 」 して、 ■「 室内盗聴を合法化 」 しようとしているので、近い将来の話です。
RT @mitsuru_kuroda 電話もメールもしなくても、声に出しただけで来るかも
「安倍首相の携帯も米国から盗聴されているらしい」 #秘密保全法がある明日
https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/394413203376988160
0014学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/07(木) 22:47:30.71ID:???
■頭の悪い国民をNSA盗聴問題の話題に集中させつつ 裏では 「盗聴法の改正」 へ向け準備が進んでいる

http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2013/06/post-5ec7.html
政府の情報セキュリティー政策会議(議長・菅義偉官房長官)は、2013年6月10日、2015年度までの
「サイバーセキュリティー戦略」を正式決定した。サイバー犯罪の複雑化と被害の深刻化を踏まえ、
通信事業者がインターネットの利用状況を解析したり、利用内容の履歴を保存したりすることについての検討を打ち出している。
今後は、特に、通信履歴の一定期間の保存を通信事業者に義務付けることの検討が進むだろう。
このように、既に、私たちり電子メールや通信履歴については現行法上も対象犯罪の限定なく容易に取得できる状況となっており、

さらに、通信傍受が拡大されるとともに、その手続が緩和されようとしており、捜査機関の捜査権限はますまず拡大されようとしているのである。

対象犯罪にテロ関連犯罪も含める動きがあることから、通信傍受の対象は、ますまず将来犯罪を対象とするものに拡大され、
限りなく行政盗聴に近付いていくことが予想される。そうだとしたら、アメリカで明らかになったインターネットの監視プログラムに
ついても他人事ではないと言わなければならない。秋の臨時国会には、秘密保全法案が提出されることも決まっており、
これと併せて、日本においても通信の監視が強化されていく可能性は極めて高いと言わなければならない。

いずれにしても、通信傍受法の改正の動きを注視し、反対の声をあげていくことが強く求められている。


■マイナンバー法と盗聴法改正問題
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html
■ACTA〜水面下で進められる動きに注意〜/堤 未果のブログから ほか
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d1d08b3ae375726481dc64a2ef8c24ee
「国民が何が起きているか分からないでいるうちに、急速かつ強権的に改革を進めることだ」
国民がおかしいと気付いた時には、すでに社会のあらゆる場所が「監視国家」と化していたのだ。
テレビや新聞が抽象的なスローガンや芸能ニュースで占められ、国民の知らない間に、
いつの間にか法律がいじられてゆくという状況は、3・11以降の日本と酷似しているのではないか。
0016学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/16(土) 23:44:32.82ID:oecR628p
【緊急対談】情報統制・国民監視時代の生き方 山岡俊介×寺澤有
https://www.facebook.com/events/549023758523272/
秘密保護法制定、大本営発表を担う記者クラブ、情報機関創設、共謀罪法案、盗聴法改正案の国会提出も……。
今回、ジャーナリスト山岡俊介氏、寺澤有氏をお招きし、錦秋対談決定!

【日時】
11月24日(日)
受付開始 17:45
トークライブ 18:00〜20:00
※トークライブ終了後もキャッシュオンでドリンクを召し上がっていただけます。

【会場】
ありがTO Cafe &Bar
http://www.arigato-cb.com/
東京都中央区日本橋兜町7-15 ISEビル1F
03-6231-1303
※MAPは以前のデータで、金十証券(株)兜町ビルと表示されます。

【アクセス】
・茅場町駅11番出入口徒歩1分
・日本橋駅D2出入口徒歩3分

【会費】
1,500円
※18:00〜20:00の間、フリードリンクです。
※20時以降は1杯500円でドリンクを召し上がっていただけます。
※お食事は別途料金となります。
0017学籍番号:774 氏名:_____
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2013/11/18(月) 05:58:17.24ID:CgbyrUqi
犯人、不審者、監視対象者、調査対象者は 「 誰か? 」 とにかく ■「 誰でもいいから作らないと裏金が作れない 」 んですよ。
愛媛県警の裏金を内部告発した仙波敏郎さん 6/13
http://www.youtube.com/watch?v=Tf5ZNiruFxA
市民の方と接触している最高の権力機関は警察ですよね?その警察が・・・・■「 全部 」 ですよ?
100パーセント裏金にもう汚染されている 町のお巡りさんから高級官僚から ■「 上から下まで全部 」
裏金を必要悪だといわれる方がいる。公務のためにプールして運用するというのも必要ではないかと。
ところが、日本の警察の裏金はそういったものと類が違う。
公務に使うという名目で私腹を肥やしている。 ■「 結局自分の飲み食いに使う 」

公金横領なる犯罪 - ジビエ料理&ハンティングのシェフブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/japangibier/32547160.html
先日、当時現職警察官として日本で初めて実名での警察による裏金問題公開記者会見を行った、
仙波敏郎さんにお会いした折り、こんな質問をしてみました。 「 愛媛県には銃砲安全協会ってありますか? 」

『いや、そう言う名称のものは無かったけど、■「 防犯協会 」 というのはありましたね。
■そこでも皆同じような手口で裏金を作っています。』

私たちが知らないところで、そんなことがまかり通っているのですから呆れてしまいます。

町民の皆様へ 余市町防犯協会経理事務における不正な会計処理に対する関係職員の処分内容とお詫び
http://l.moapi.net/http://www.town.yoichi.hokkaido.jp/oshirase/soumu/sc-20120830.pdf
【事件】署幹部にビール券…防犯協が不適切支出4000万円 栃木県警、返還要求へ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120316/crm12031623310035-n1.htm

官の不正も機密? 内部告発、逮捕の懸念 2013年10月31日 朝刊 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013103102000128.html
「秘密保護法は公益通報者の足かせになる」と話す仙波さん=鹿児島県阿久根市で(早川由紀美撮影)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2013103102100036_size0.jpg
0018学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/23(土) 09:06:47.86ID:4vzmFBDn
警察天下りを受け入れるダメ企業393社リスト 渡邉正裕 09:26 07/30 2008
http://www.mynewsjapan.com/reports/883
寺澤氏は、警視庁内では誰もが知っている「人材情報センター」という組織が
警察官の再就職を斡旋している実態をつかみ、東京都情報公開条例によって過去2年ほどの求人票を入手。
うち200社以上に対しては電話取材も行い、警視庁OBを採る理由などを尋ねた。

■「全員、他の社会人と同様、ハローワークに行け」

■「天下りが跋扈してる会社がいい会社なわけない」

と主張する寺澤氏に、その背景、構造について、編集長の渡邉が聞いた。
就職で人気ランキングに入るような有名企業にも、組織的な斡旋で天下った警察OBが跋扈している
官庁の斡旋による押し付け的な天下りが政府の行革で問題となるなかでも、懲りずに受け入れる企業が後を絶たない。
警察報道の第一人者、ジャーナリストの寺澤有氏が明らかにした警視庁の天下り先リストによれば、過去2年ほどの間に、
大企業・有名企業を多数含む393もの企業(団体)が天下りを受け入れていた(下記一覧画像参照)。

リストを見ると、スネに傷を持つ“問題企業”がズラリと並び、読売新聞など官僚機構を監視すべきマスコミ企業までが
天下りを受け入れている。これら企業は、働く場としては避けたほうがよさそうだ。(末尾にて全「斡旋求人票」現物のPDFダウンロード可)

【Digest】
◇「どこでやめてもらえるか」で実質的な取引
◇インフラ、重厚長大産業は警察以外でも多い
◇ドワンゴにまで入り込む警察OB
◇パチンコを無理やり合法化して天下る
◇年1万人前後、10年間続く退職者

寺澤有のホームページ「インシデンツ」
http://www.incidents.jp/profile.html
MyNewsJapan 警察天下りを受け入れるダメ企業393社リスト
http://static. o w . l y /docs/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E3%82%8A%E3%81%8A%E3%81%AD%E3%81%A0%E3%82%8A%E4%BC%81%E6%A5%AD393%E7%A4%BE%E5%85%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88_Kvo.pdf
0019学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/24(日) 14:31:04.02ID:C5Mtl/pQ
明日から本気出す!
0021学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/27(水) 17:19:00.87ID:???
警察天下りを受け入れるダメ企業393社リスト 渡邉正裕 09:26 07/30 2008
http://www.mynewsjapan.com/reports/883
寺澤氏は、警視庁内では誰もが知っている「人材情報センター」という組織が
警察官の再就職を斡旋している実態をつかみ、東京都情報公開条例によって過去2年ほどの求人票を入手。
うち200社以上に対しては電話取材も行い、警視庁OBを採る理由などを尋ねた。

■「全員、他の社会人と同様、ハローワークに行け」

■「天下りが跋扈してる会社がいい会社なわけない」

と主張する寺澤氏に、その背景、構造について、編集長の渡邉が聞いた。
就職で人気ランキングに入るような有名企業にも、組織的な斡旋で天下った警察OBが跋扈している
官庁の斡旋による押し付け的な天下りが政府の行革で問題となるなかでも、懲りずに受け入れる企業が後を絶たない。
警察報道の第一人者、ジャーナリストの寺澤有氏が明らかにした警視庁の天下り先リストによれば、過去2年ほどの間に、
大企業・有名企業を多数含む393もの企業(団体)が天下りを受け入れていた(下記一覧画像参照)。

リストを見ると、スネに傷を持つ“問題企業”がズラリと並び、読売新聞など官僚機構を監視すべきマスコミ企業までが
天下りを受け入れている。これら企業は、働く場としては避けたほうがよさそうだ。(末尾にて全「斡旋求人票」現物のPDFダウンロード可)

【Digest】
◇「どこでやめてもらえるか」で実質的な取引
◇インフラ、重厚長大産業は警察以外でも多い
◇ドワンゴにまで入り込む警察OB
◇パチンコを無理やり合法化して天下る
◇年1万人前後、10年間続く退職者

寺澤有のホームページ「インシデンツ」
http://www.incidents.jp/profile.html
MyNewsJapan 警察天下りを受け入れるダメ企業393社リスト
http://static. o w . l y /docs/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E3%82%8A%E3%81%8A%E3%81%AD%E3%81%A0%E3%82%8A%E4%BC%81%E6%A5%AD393%E7%A4%BE%E5%85%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88_Kvo.pdf
0022学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/27(水) 22:41:18.92ID:???
■mayuzumiyuu 黛@完全平和主義
群馬県在住
大東文化大東松山キャンパス
経営学部
2年
今城ゼミに申し込み中
イオンモール高崎未来屋書店勤務
エロゲオタ

やらかしたみたいだけど
経営はゼミ申し込み2年生なのん?
0023学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/28(木) 15:57:42.03ID:rzAre7se
現経二年の基地外何とかしろよ
まじあり得ない
0024学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/28(木) 20:44:04.80ID:ODnr0YHr
「欲しい本くらい自分で探せ!ないならAmazonで買え」「老害と情弱とキモオタは書店にくんな」書店員の愚痴ツイートが波紋

http://getnews.jp/archives/464096
0025学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/29(金) 16:05:04.05ID:1w4Tsh+Q
私たちの目・耳・口をふさぐ秘密保全法案:清水雅彦 - 法学館憲法研究所
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20120723.html
清水雅彦氏講演 『秘密保護法と憲法』 2013/11/10
http://www.youtube.com/watch?v=znBzatd2M3A
治安政策としての「安全・安心まちづくり」 監視と管理の招牌 清水雅彦 著
http://www.shahyo.com/mokuroku/gendai_shahyo/authority/ISBN978-4-7845-1463-2.php
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 Yahoo!ニュース 3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
日本弁護士連合会 エッ!これもヒミツ?あれもヒミツ!あなたも「秘密保全法」にねらわれるQ&A
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/himitsu_hozen_qa.pdf

Q なにが「特別秘密」になるの?

A 「特別秘密」は、@国の安全、A外交、B公共の安全と秩序の維持
  の3つの分野の情報のうち、「国の存立にとって重要な情報」なのだそうです。

  Bの「公共の安全と秩序の維持」には、わたしたちの生活全般に関わる事が全て入ってしまう危険があります。

Q わたしのプライバシーも調査されるってほんと?「適正評価制度」

A ほんとうです。報告書は、「特別秘密」が外部にもれないようにするために、
  「秘密をとりあつかう人たちの管理を徹底する」ことが重要だとしています。
  他人に知られたくないプライバシーまで調査し、管理し、チェックするとしています。

  調査の対象になるのは、情報をとりあつかう本人だけにとどまりません。
  家族や親戚、そして恋人や友人など、「本人の身近にあって、本人の行動に影響を与えうる者」
  のプライバシーも、管理される人の範囲は、際限なく広がっていくといってよいでしょう。
  国の「特別秘密」をまもるために、私たち国民ひとりひとりの、知られたくないプライバシー情報が、
  国や自治体、民間の事業者によってあつめられ、使われていく。そんな人権侵害が、許されてよいのでしょうか。

Q @処罰されるのは公務員だけ?
  A私たちの私生活が「監視」されるってほんと?

A @違います。一般人も含まれます。
  A確実にそうなります。一般市民には、いつ、なにが「特別秘密」に指定されたか
   わからないのですから、知らない間に「特別秘密」を収集、取り扱っていた等。

┏------警察------------------------------------------┓
┃                                       ├---監視---→調査対象
┗--監視--→ 地域安全活動に関わる全ての人間(調査対象)---┛

Q まさか地域安全の為 (公共の安全と秩序の維持)
  に防犯活動をしていたわたし達までも監視対象だったなんて・・・

A プギャ――m9(^Д^)――
0026学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2013/11/30(土) 16:46:24.29ID:???
例の炎上騒ぎを起こしたバイトの正体は
原崎尊徳だってよ、経営学部2年の

こいつが名前伏せてたせいで「大東大文化大学生」って特徴だけが独り歩きして
他の生徒まで書店で働きづらくなっちまったな
0027学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/03(金) 17:19:47.25ID:???
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財政状態の厳しい大学にピックアップされている大東文化大学
大東文化の悪徳経営に騙されて入学したら人生終了です

財政状態の厳しい大学はどこ?
解散命令や募集停止など追い詰められる大学も
http://toyokeizai.net/articles/-/12883?page=2
---------------------------------------------------------------------
★大東文化大学空手部員、立教大アメリカ人教授を殴り殺す
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024443360
最近でも大東文化大のボクシング部員が目があったという理由だけで
中学生を二人がかりでリンチした悪質な事件もあったしね
大東はチンピラみたいなガラの悪い学生が多いことでも知られてる
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http://www.youtube.com/watch?v=fCpj49DtGy8
書店の店員が『Twitter(ツイッター)』で愚痴ツイート。
2013年11月26日、その日書店に来た客に憤慨していたと思われるツイート主が
「ラノベはアニメイトとかで買え。老害と情弱とキモオタは書店にくんな」
といったツイートの後、「書店員は忙しいので『この本どこ?』って聞くな」といった内容をつぶやいた。

 大東文化大東松山キャンパス経営学部2年
 イオンモール高崎未来屋書店勤務アルバイト店員
 趣味;エロゲ

クズすぎワロタw
さすがFラン大東
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0029学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/04(土) 11:35:43.26ID:zsJSv/J3
這い上がってこいよ
2教科Fラン、1教科犯罪Fランw
0030学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/04(土) 11:37:55.94ID:zsJSv/J3
■2014年度:最新決定版 (東洋経済参照)■

【偏差値+社会的実績+生涯獲得賃金+上場会社社長・役員輩出度】
以上を考慮して作成されています。従来の偏見ある序列から真の私立大学ランキングと
なっています。会社の人事部の参考として使用されています。

【SA1】
・慶応・早稲田
【SA2】
・東京理科・明治・立教・上智・ICU・関西学院
【A1】一流私大
・中央・青山学院・津田塾・同志社
【A2】一流私大
・日本女子・芝浦工業・法政・東京女子・成蹊・東京都市・関西・立命館 
【B】準一流私大
・武蔵 ・成城・明治学院・聖心女子・南山・甲南・豊田工 ・学習院
【C】中堅私大の上位
・日本・國學院・東洋・獨協・駒沢・専修・東京電機・東京農大・近畿 ・西南学院
【D】中堅私大
・玉川・神奈川・大妻女子・実践女子・工学院・東海・愛知・龍谷・京都産・京都外・福岡
【E】中堅私大
・北海・東北学院・国士舘・亜細亜・神田外・大東文化・明星・関東学院・千葉工業
・東京経済・大阪経済
・追手門学院・摂南 ・帝京・拓殖・立正・大正 ・中京・名城
0031学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/05(日) 00:22:07.85ID:???
バイト先の店長ですら「大東大生は絶対に採用しない」って言ってたから
企業の人事部長で「大東アウト」って思ってる人は多いだろうな
0033学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/05(日) 21:41:43.19ID:uEzPVTcB
>>31
俺んところは国士館生だった
0034学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/05(日) 21:44:31.25ID:jI9nk+2R
実際国士館生アウトの会社あるよ
0035学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/05(日) 21:55:15.02ID:u+I1D+uq
アナウンサー川田亜子 
怪死と謎の宗教団体 発覚した新事実と「集団ストーカー被害」
怖い噂 VOL.12 2012年2月25日
http:/■/www.peeep.us/ef67e3ee
http:/■/www.peeep.us/c76fe3cd
0038学籍番号:774 氏名:_____
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2014/01/08(水) 11:32:51.21ID:???
>>27
50年以上も昔の事件だろ、空手部の件は
もう時効だろ、時効

もうとっくに空手道部に生まれ変わって禊も済ませたのだから
いつまでもグチグチ過去の不祥事をあげへつらってんじゃねーぞ、ks
0039学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/01/08(水) 14:36:53.44ID:gMYg88DJ
>›27
空手道部に悪い噂でも立ったらどう責任取ってくれるんだ?
部員の士気が下がるからやめてもらえないかな、こういうのは
0043学籍番号:774 氏名:_____
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2014/01/08(水) 17:47:34.20ID:???
本当にあったかどうかも分からない大昔の出来事を取り挙げて
大東文化の運動部disんのマジでやめろや

慰安婦がどーのこーの騒いで世界中に日本の悪口言いふらしまくってる
低脳チョソ猿とガチで同レベルだわ
0047学籍番号:774 氏名:_____
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2014/01/09(木) 15:48:06.78ID:???
>>27
一般入試を間近に控えた今、物騒な噂を立てられるのは非常に困る
なぜ、このようなことをするのか分からないが、根も葉もないデマをこれ以上流布するのはやめていただけないだろうか?


どうか今一度、冷静に自分の書き込みを読み直して欲しい
大東文化大学の理事会がその気になれば偽計業務妨害で告発することだって可能なのだからね
0052学籍番号:774 氏名:_____
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2014/03/09(日) 22:05:11.54ID:???
大東文化大学、卒アル委員会の学生が代金500万円もらいトンズラ卒業、Fランの意地を見せつける
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1394355591/
卒業から1年…届かぬアルバム 制作担当の学生が放置
卒業からもう1年。なのに……。埼玉県東松山市にもキャンパスのある大東文化大学
(本部・東京都板橋区)で、昨春の卒業アルバムがいまだに購入者の手元に届いて
いないことがわかった。制作担当だった学生全員が、作業を放り投げたまま卒業した
のが主な原因という。下級生の卒業が間近に迫るなか、同大は「大変申し訳ない。
一日も早く届けたい」としている。
同大によると、2012年度の卒業アルバムは1冊1万2千円。学部卒業生2796人
のうち、約15%にあたる410人が購入を希望し、学生から集めた代金の総額492万円は
、すでにアルバム制作の委託業者に支払われている。
アルバムづくりに同大は関与せず、学生自治会の「卒業アルバム委員会」が企画・制作する。
12年度は、委員の5人全員が4年生(当時)だった。ところが、写真データの張り付けや
レイアウトなどが未完成のまま、昨年3月に全員卒業してしまい、同委員会内に作業を引き継ぐ
後輩もおらず、制作途中のまま放置されたという。
0053学籍番号:774 氏名:_____
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2014/03/10(月) 11:13:37.93ID:???
「東日本大震災で亡くなった人達の“遺体"で裏ガネを作っていた警察 3万体 9000万円」
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2011/04/post-9f7c.html
4月25日発売の写真週刊誌『フラッシュ』(5月10・17日合併号)が、大スクープしている。
http://www.amazon.co.jp/FLASH-(フラッシュ)-2011年-5月10-17日合併号-光文社/dpB00B7E7N76

東日本大震災で亡くなった方の遺体の検案(「変死体」扱いのため、警察が検視し、
医師が死因を決定する検案を行う)で、医師に遺体1体につき3000円払ったことにして、裏ガネを作っているというのだ。
この記事を書いたのは、本紙でもお馴染みのジャーナリスト仲間の寺澤有氏だ。
以前から、記者クラブ制度の問題もそうだが、警察の裏ガネ作りについても精力的に取材している。
寺澤氏は6年以上前、会計検査院に警視庁会計文書について情報公開請求し、入手した約38万枚を分析。

その過程で検案における裏ガネ作りの可能性に気づいていたが、被災地を取材した際、
実際に検案した医師の証言を得ることができ、今回のスクープに結実した。警察庁は1体に3000円払うといっているのに、
今回記事に登場した医師は約20体検案したが、一銭ももらってなければ、今後、もらう予定もないと証言したからだ。

従来の警察の裏ガネ作りといえば、捜査協力への謝礼の架空計上が真っ先に思い浮かぶが、いくら何でも遺体の検案、
それも未曽有の大震災におけるもので、未だ関係者は大きな心の傷を負っていることを思えば、
さすがに警察に対してこれまでにない反発の声が挙がってもおかしくない。
それだけに、警察はこの記事に対し、いつも以上に過剰に反応をしたようだ。 2011年4月30日掲載。

寺澤有のホームページ「インシデンツ」
http://www.incidents.jp/profile.html

警察庁だけでなく法務省もやっていた
【政治】公安調査庁「被災地で過激派に勢力拡大の動き」と復興予算で乗用車を購入
http://www.logsoku.com/r/newsplus/1352424836/
0054学籍番号:774 氏名:_____
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2014/03/25(火) 02:51:37.87ID:???
■黙殺された野村総研の『テレビを消せばエアコンの1.7倍節電』報告
http://www.news-postseven.com/archives/20110810_28053.html

「こまめに電灯を消そう」「エアコンの設定温度を28度に」
テレビのワイドショーでは、様々な節電方法が連日紹介されている。その一方で、黙殺され続けている
「一番効果的な節電方法」がある。それはズバリ「テレビを消すこと」だ。

興味深いデータがある。野村総合研究所が4月15日に発表した『家庭における節電対策の推進』なるレポート。
注目したいのは「主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量」という試算だ。

これによれば、エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130ワット。
一方、液晶テレビを1台消すと220ワットとなる。単純に比較しても、テレビを消す節電効果は、エアコンの約1.7倍にもなるということだ。

この夏、エアコンを使わずに熱中症で亡くなる人が続出しているにもかかわらず
「テレビを消す」という選択肢を国民に知らせないテレビ局は社会の公器といえるのか。
自分たちにとって「不都合な真実」を隠しつつ、今日もテレビはつまらない番組を垂れ流し続けている。


■新聞購読を止めてみる?年間約5万円の節約に

なんとなくダラダラと購読し続けてしまう新聞・・・テレビ欄やスポーツ欄くらいは見るし、近くのお店の
チラシは入っているし、たまには興味のある特集記事が掲載されていたり・・・

「契約の更新のときも、なんとなくサインしてしまっていませんか?」

メジャーな全国紙を朝刊・夕刊のセットで購読すると「月額約4,000円、年間で5万円近い出費」となります。
また、毎日出る読み終わった新聞をまとめて捨てるのも意外と小さな手間に。さあ、思い切って新聞購読を止めてみませんか?

「浮いたお金と時間を、より有効的に活用」することで、人生が変わるかもしれません。
0056学籍番号:774 氏名:_____
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2014/10/19(日) 10:42:27.96ID:???
入間女子大生殺害 被害者と3人で食事 7月ごろ知り合う
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141019-00000088-san-soci

埼玉県入間市の路上で、近くに住む大東文化大3年、佐藤静香さん(21)が刺殺
された事件で、殺人容疑で逮捕された同市の日本文化大2年、沼田雄介容疑者(20)
が佐藤さんと事件前に食事をするなど面識があったことが18日、関係者への取材で分かった。
沼田容疑者は県警の調べに対し、佐藤さんについて「近くのコンビニ店員で、顔は知っている」と説明。
県警は沼田容疑者が当初から佐藤さんを狙っていた疑いがあるとみて、「誰でもよかった」との供述の
信憑性について慎重に捜査を進める。
関係者によると、沼田容疑者は知人に「コンビニにかわいい子がいる」などと話しており、今年7月ごろに
佐藤さんと知り合った。約1カ月後には共通の知人とともに3人で食事をしたという。
佐藤さんはこの頃、「バイト帰りにつけられているかもしれない」と周囲に相談していた。
0057学籍番号:774 氏名:_____
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2014/10/25(土) 20:54:40.47ID:GL7Y6mwy
【ご参集ください】 2014年11月19日 秘密保護法違憲訴訟 第3回口頭弁論 東京地裁 第103号法廷

大学生が中心に500人ぐらいが秘密保護法反対のデモをしています。
世の中の大人も、もう少し頑張らないとです。
https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/525919168550297600

寺澤 有 (てらさわ ゆう)
http://www.incidents.jp/profile.html
経歴等
1967年2月9日、東京生まれ。大学在学中の1989年からジャーナリストとして、警察や検察、裁判所、弁護士会、
会計検査院、防衛省、記者クラブ、大企業などの聖域となりがちな組織の腐敗を追及しはじめる。
過去2回、平沢勝栄・衆議院議員(元警察庁キャリア)と消費者金融大手・武富士から名誉毀損で提訴されるが
(損害賠償請求金額は、前者が1780万円、後者が2億円)、どちらも勝利。
2009年公開の映画『ポチの告白』(高橋玄監督)では、原案協力者とスーパーバイザーを務め、特別出演(裁判所職員役)も果たした。

【映画】ポチの告白 (予告編)
https://www.youtube.com/watch?v=tsFy_BzAzok
【映画】ポチの告白 (本編) 3時間13分
https://www.youtube.com/watch?v=JqXnda1ZKGU

寺澤有さんが、国境なき記者団により『世界のヒーロー100人』に選ばれ、日本外国特派員協会で記者会見をしました。
http://www.youtube.com/watch?v=7dS0AiFUAW8

留置場での強姦事件も「テロ防止」で秘密指定(寺澤有氏)
http://www.youtube.com/watch?v=kum18nIVlw0

ジャーナリスト寺澤有、車を破壊される
https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/367568128508579840
寺澤有 ?@Yu_TERASAWA
クルマに危害を加えられることがたまにあるので、新車を買う気が起きないんです。
0058学籍番号:774 氏名:_____
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2014/11/06(木) 18:04:21.79ID:rfG9bEvD
中学生買春容疑で逮捕 中学3年の少女にみだらな行為
2014.11.6 12:38

中学3年の少女(15)にみだらな行為をしたとして、警視庁は6日までに児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で、

埼玉県東松山市、専門学校生 天野静也容疑者(20)を逮捕した。

逮捕容疑は、少女が18歳未満と知りながら、8月16日と21日ごろ、
それぞれ10万円と7万円を渡す約束をして、埼玉県滑川町のホテルで買春をした疑い。
「持ち合わせがない」と言って、金は渡していなかった。

警視庁によると、天野容疑者は調べに「同い年か少し下と思っていた」と供述。
一方、少女は実際の年齢を伝えたと話している。
捜査員が9月、インターネットで、援助交際の相手を募集する少女の書き込みを見つけて発覚した。(共同)

http://www.sanspo.com/geino/news/20141106/tro14110612380006-n1.html
0059学籍番号:774 氏名:_____
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2014/12/04(木) 20:00:54.47ID:???
大学群一覧

旧帝大  北海道大、東北大、東京大、名古屋大、京都大、大阪大、九州大
早慶上理  早稲田大、慶應義塾大、上智大、東京理科大
金岡千広  金沢大、岡山大、千葉大、広島大
MARCH  明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大
関関同立  関西大、関西学院大、同志社大、立命館大
5S  埼玉大、新潟大、静岡大、信州大、滋賀大
成成獨國武明学  成城大、成蹊大、獨協大、國學院大、武蔵大、明治学院大
STARS  島根大、鳥取大、秋田大、琉球大、佐賀大
日東駒専  日本大、東洋大、駒澤大、専修大
産近甲龍  京都産業大、近畿大、甲南大、龍谷大
愛愛名中  愛知大、愛知学院大、名城大、中京大
西福  西南学院大、福岡大
SSK  椙山女学園大、愛知淑徳大、金城学院大
東京4理工  芝浦工業大、東京電機大、東京都市大、工学院大
外外経工佛  京都外国語大、関西外国語大、大阪経済大、大阪工業大、佛教大
大東亜帝国  大東文化大、東海大、亜細亜大、帝京大、国士舘大
摂神追桃  摂南大、神戸学院大、追手門学院大、桃山学院大
名名中日  名古屋学院大、名古屋学芸大、中部大、日本福祉大
関東上流江戸桜  関東学園大、上武大、流通経済大、江戸川大、桜美林大
中東和平成立  中央学院大、東京国際大、和光大、平成国際大、立正大
神姫流兵  神戸国際大、姫路獨協大、流通科学大、兵庫大
0060学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/08(月) 22:40:03.86ID:Q67kYlqS
http://www.daito.ac.jp/file/block_33554_01.pdf
 大学学生定員充足率〔平成26年度〕 平成26年5月1日現在

入学定員充足率

中国学科0.80

中国語学科0.77
0062学籍番号:774 氏名:_____
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2015/06/11(木) 16:44:57.32ID:???
もう聞こえない笑い声…報道にも遺族傷つく 入間女子大生殺人
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150611-00010000-saitama-l11

昨年10月、入間市豊岡1丁目の路上で、近くに住む大学3年佐藤静香さん=当時(21)=
が同市豊岡5丁目、大学生沼田雄介被告(20)=殺人などの罪で起訴=に殺害された事件
から間もなく8カ月が経過する。当初、女子大学生が殺害されるという痛ましい事件に報道は過熱。
埼玉新聞の取材に応じた両親は、癒えぬ胸の内を明かすとともに、報道への疑念を口にした。
.
事件が起きたのは昨年10月15日午後10時50分ごろ。雨が降る肌寒い日だった。佐藤さんは
アルバイト先から帰宅途中に突然襲われた。自宅までわずか20メートルほどだった。
事件当日の夜、自宅では母親(50)と弟(20)が「遅いから迎えに行こうか。もうすぐ帰ってくるよね」
と佐藤さんの帰りを待っていた。母親は「あの時、迎えに行ってあげたらこんな目に遭わなかったね。
『ごめんね』と言いたい」。事件後、自宅前の現場を目にするたびに心を痛めてきた。
仏壇には赤い晴れ着姿でにこやかに笑う佐藤さんの写真と、知人を通じて届けられた浦和レッズの選手の
サイン入りユニホームが飾られている。「頑張り屋で、頭が痛くても大学を休まなかった」
「お菓子教室で作ったモンブランのケーキを大事そうに抱えて持って帰ってきた」。
両親と弟は佐藤さんとの思い出を一つ一つ語った。
人一倍、人見知りする佐藤さんだったが、家族の前では場を明るくするムードメーカーだった。
佐藤さんのいない居間は事件後、静かになった。「しーちゃんが弾くエレクトーンの音も、
笑う声も聞こえないね」。家族が集まると、決まって誰かが「しーちゃん」という愛称を口にする。
父親(54)は「大学を卒業して、就職して、いずれ結婚して孫を見せてくれると思っていた。
そんな当たり前の日常が壊されてしまった。静香を生き返らせてほしい」と無念さを募らせている
一方、遺族は佐藤さんを失った現実を受け入れられぬまま、過熱する報道に傷つけられた。
事件をめぐる報道に、現在でも疑念を持ち続けている。
事件の翌日、佐藤さんと沼田被告を知るという男性2人が報道陣の取材に応じた。男性2人は佐藤さんと
沼田被告が事件前に食事をするなど面識があったかのような発言を繰り返した。しかし、
男性2人は佐藤さんの名前を間違えるなど、信ぴょう性は疑われた。
一部報道では、男性2人の証言を報じ、佐藤さんと沼田被告が知り合いであるかのような印象を与えた。
報道を受けて、県警は「そのような事実は確認が取れていない」と否定したが、一度発せられた報道を
消し去ることはできなかった。
佐藤さんの父親が報道を知ったのは、事件直後の慌ただしい警察署の中だった。
「なぜ裏付けも取らずに報じるのか。報道への不信感が募った」。佐藤さんの遺族は報道の内容を
否定したくても、事実を社会に訴えるすべがなかった。 
両親は「静香の名誉を深く傷つけられて悔しかった。報道一つで静香を知らない人たちに、
イメージが植え付けられてしまう。静香の本当の姿を、真実を伝えてほしい」と訴えている。

大東文化大3年、佐藤静香さん(21)
日本文化大2年、沼田雄介容疑者(20)
0063学籍番号:774 氏名:_____
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2015/06/12(金) 22:21:23.57ID:???
「危ない大学・消える大学 2016」島野清志著
2014年難易度・総定員充足率による私立大学分類
(P84〜P95より主要大学のみ抜粋)

【SAグループ】私学四天王

慶應義塾・国際基督教・上智・早稲田

【A1グループ】一流私大
青山学院・学習院・中央・東京理科・明治・法政・立教・南山・同志社・立命館・関西・関西学院

【A2グループ】一流私大
獨協・國學院・芝浦工業・成城・成蹊・武蔵・明治学院・西南学院・立命館アジア太平洋

【Bグループ】準一流私大
駒澤・専修・東洋・日本・東京農業・武蔵野・愛知・愛知淑徳・中京・佛教・龍谷・近畿・甲南

【Cグループ】中堅私大の上位
北海学園・東北学院・文教・玉川・東京経済・東京電機・東京都市・立正・神奈川・金沢工業
・愛知学院・愛知工業・名城・京都産業・大阪経済・摂南・広島修道・松山・福岡

【Dグループ】中堅私大
北星学園・千葉工業・亜細亜・桜美林・国士舘・工学院・大正・拓殖・東海・東京工科
・二松学舎・金沢星稜・岐阜聖徳学園・中部・大阪工業・神戸学院・就実・美作・久留米

【Eグループ】大衆私大 できればこのクラスまでに入ってもらいたい
北海商科・白鴎・中央学院・城西・西武文理・駿河台・東京国際・帝京・淑徳・大東文化
・文京学院・明星・和光・関東学院・山梨学院・常葉・名古屋学院・大同・大谷・桃山学院
・追手門学院・四天王寺・大阪商業・阪南・岡山理科・広島国際・広島工業・広島経済
・九州産業・福岡工業・熊本学園・沖縄国際

※ 本書を参考にする受験生にはこのグループ以上の大学に入ることを切に願っている。
大東文化、帝京、明星、和光、関東学院、追手門学院など相応な知名度がある、
認知されている大学が含まれるのはこのクラスまでである。
0064学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/20(土) 07:13:25.56ID:???
文系偏差値ランキング(河合塾)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html


●3教科以上入試方式<法・経済・経営>(順不同・学科含む)
日本大学 :法律55.0 経済50.0 経営50.0
東洋大学 :法律52.0 経済52.0 経営52.0
専修大学 :法律47.5 経済50.0 経営50.0
駒澤大学 :法律47.5 経済50.0 経営50.0
獨協大学 :法律47.5 経済47.5 経営50.0
武蔵野大学 :法律45.0 経済47.5 経営47.5
神奈川大学 :法律45.0 経済45.0 経営45.0
東京経済大学:現法45.0 経済45.0 経営45.0
立正大学 :法律47.5 経済47.5 経営47.5
拓殖大学 :政経40.0 経済40.0 経営45.0
東海大学 :法律35.0 政経45.0 経営35.0
大東文化大学:法律40.0 経済40.0 経営40.0
関東学院大学:法律35.0 経済37.5 経営35.0
帝京大学 :法律35.0 経済35.0 経営35.0
0065学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/24(水) 22:11:15.49ID:???
文系偏差値ランキング(河合塾)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html


●3教科以上入試方式 <法・経済・経営>(順不同・学科含む)
日本大学  :法律55.0 経済50.0 経営50.0
東洋大学  :法律52.0 経済52.0 経営52.0
専修大学  :法律47.5 経済50.0 経営50.0
駒澤大学  :法律47.5 経済50.0 経営50.0
獨協大学  :法律47.5 経済47.5 経営50.0
武蔵野大学 :法律45.0 経済47.5 経営47.5
神奈川大学 :法律45.0 経済45.0 経営45.0
東京経済大学:現法45.0 経済45.0 経営45.0
立正大学  :法律47.5 経済47.5 経営47.5
拓殖大学  :政経40.0 経済40.0 経営45.0
大東文化大学:法律40.0 経済40.0 経営40.0
東海大学  :法律35.0 政経45.0 経営35.0
関東学院大学:法律35.0 経済37.5 経営35.0
帝京大学  :法律35.0 経済35.0 経営35.0
0066学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/28(日) 17:55:08.79ID:M+DZUcXG
あれが
0067学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/28(日) 21:52:37.73ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0068学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/28(日) 22:03:19.89ID:N94rtpVF
TBSテレビ60周年特別企画・日曜劇場「天皇の料理番」(日曜後9・00)の
エンドロールに大東文化大学の名前がある。番組制作に協力しているようだ。
0070学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/29(月) 21:02:03.12ID:???
一般入試による入学率

★東洋大学 75%
★芝浦工業大学 70%
==============
★駒澤大学 63%
★帝京大学(八王子文系) 59%
★専修大学 58%
★東京電機大学 56%
★大東文化大学 55%
★東京農業大学 55%
★拓殖大学 54%
★神奈川大学 54%
==============以下実質アホの集団(偏差値操作大学含む)
京都女子大学 49%
同志社女子大学 49%
★創価大学 48%
★神田外語大学 48%
★亜細亜大学 47%
★立正大学 46%
★玉川大学 45%
★千葉工業大学 45%
0071学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/29(月) 21:02:40.01ID:???
==以下大学じゃねえよバカ==
★桃山学院大学 37%
★桜美林大学 30%
↓推薦入学組が多い

比率非公開大学は省略
日本大学 推薦率非公開
国士舘大学 推薦率非公開
東京都市大学 推薦率非公開
0072学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/29(月) 21:03:26.98ID:???
文系偏差値ランキング(河合塾)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html


●3教科以上入試方式 <法・経済・経営>(順不同・学科含む)
日本大学  :法律55.0 経済50.0 経営50.0
東洋大学  :法律52.0 経済52.0 経営52.0
専修大学  :法律47.5 経済50.0 経営50.0
駒澤大学  :法律47.5 経済50.0 経営50.0
獨協大学  :法律47.5 経済47.5 経営50.0
立正大学  :法律47.5 経済47.5 経営47.5
武蔵野大学 :法律45.0 経済47.5 経営47.5
神奈川大学 :法律45.0 経済45.0 経営45.0
東京経済大学:現法45.0 経済45.0 経営45.0
拓殖大学  :政経40.0 経済40.0 経営45.0
大東文化大学:法律40.0 経済40.0 経営40.0
東海大学  :法律35.0 政経45.0 経営35.0
関東学院大学:法律35.0 経済37.5 経営35.0
帝京大学  :法律35.0 経済35.0 経営35.0
0073学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/30(火) 20:49:26.90ID:???
「危ない大学・消える大学 2016」島野清志著
2014年難易度・総定員充足率による私立大学分類
(P84〜P95より主要大学のみ抜粋)

【SAグループ】私学四天王

慶應義塾・国際基督教・上智・早稲田

【A1グループ】一流私大
青山学院・学習院・中央・東京理科・明治・法政・立教・南山・同志社・立命館・関西・関西学院

【A2グループ】一流私大
獨協・國學院・芝浦工業・成城・成蹊・武蔵・明治学院・西南学院・立命館アジア太平洋

【Bグループ】準一流私大
駒澤・専修・東洋・日本・東京農業・武蔵野・愛知・愛知淑徳・中京・佛教・龍谷・近畿・甲南

【Cグループ】中堅私大の上位
北海学園・東北学院・文教・玉川・東京経済・東京電機・東京都市・立正・神奈川・金沢工業
・愛知学院・愛知工業・名城・京都産業・大阪経済・摂南・広島修道・松山・福岡

【Dグループ】中堅私大
北星学園・千葉工業・亜細亜・桜美林・国士舘・工学院・大正・拓殖・東海・東京工科
・二松学舎・金沢星稜・岐阜聖徳学園・中部・大阪工業・神戸学院・就実・美作・久留米

【Eグループ】大衆私大
北海商科・白鴎・中央学院・城西・西武文理・駿河台・東京国際・帝京・淑徳・大東文化
・文京学院・明星・和光・関東学院・山梨学院・常葉・名古屋学院・大同・大谷・桃山学院
0074学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/06/30(火) 21:22:22.16ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0075学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 06:40:08.44ID:???
文系偏差値ランキング(河合塾)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html


●3教科以上入試方式 <法・経済・経営>(順不同・学科含む)
日本大学  :法律55.0 経済50.0 経営50.0
東洋大学  :法律52.0 経済52.0 経営52.0
専修大学  :法律47.5 経済50.0 経営50.0
駒澤大学  :法律47.5 経済50.0 経営50.0
獨協大学  :法律47.5 経済47.5 経営50.0
立正大学  :法律47.5 経済47.5 経営47.5
武蔵野大学 :法律45.0 経済47.5 経営47.5
神奈川大学 :法律45.0 経済45.0 経営45.0
東京経済大学:現法45.0 経済45.0 経営45.0
拓殖大学  :政経40.0 経済40.0 経営45.0
大東文化大学:法律40.0 経済40.0 経営40.0
東海大学  :法律35.0 政経45.0 経営35.0
関東学院大学:法律35.0 経済37.5 経営35.0
帝京大学  :法律35.0 経済35.0 経営35.0
0076学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 10:06:54.71ID:???
「危ない大学・消える大学 2016」島野清志著
2014年難易度・総定員充足率による私立大学分類
(P84〜P95より主要大学のみ抜粋)

【SAグループ】私学四天王

慶應義塾・国際基督教・上智・早稲田

【A1グループ】一流私大
青山学院・学習院・中央・東京理科・明治・法政・立教・南山・同志社・立命館・関西・関西学院

【A2グループ】一流私大
獨協・國學院・芝浦工業・成城・成蹊・武蔵・明治学院・西南学院・立命館アジア太平洋

【Bグループ】準一流私大
駒澤・専修・東洋・日本・東京農業・武蔵野・愛知・愛知淑徳・中京・佛教・龍谷・近畿・甲南

【Cグループ】中堅私大の上位
北海学園・東北学院・文教・玉川・東京経済・東京電機・東京都市・立正・神奈川・金沢工業
・愛知学院・愛知工業・名城・京都産業・大阪経済・摂南・広島修道・松山・福岡

【Dグループ】中堅私大
北星学園・千葉工業・亜細亜・桜美林・国士舘・工学院・大正・拓殖・東海・東京工科
・二松学舎・金沢星稜・岐阜聖徳学園・中部・大阪工業・神戸学院・就実・美作・久留米

【Eグループ】大衆私大
北海商科・白鴎・中央学院・城西・西武文理・駿河台・東京国際・帝京・淑徳・大東文化
・文京学院・明星・和光・関東学院・山梨学院・常葉・名古屋学院・大同・大谷・桃山学院
0077学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 10:07:28.35ID:???
一般入試による入学率

★東洋大学 75%
★芝浦工業大学 70%
==============
★駒澤大学 63%
★帝京大学(八王子文系) 59%
★専修大学 58%
★東京電機大学 56%
★大東文化大学 55%
★東京農業大学 55%
★拓殖大学 54%
★神奈川大学 54%
==============以下実質アホの集団(偏差値操作大学含む)
京都女子大学 49%
同志社女子大学 49%
★創価大学 48%
★神田外語大学 48%
★亜細亜大学 47%
★立正大学 46%
★玉川大学 45%
★千葉工業大学 45%
0078学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 10:08:16.88ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0079学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 10:12:39.06ID:???
【関東文系関係図】

┏━━━┓    ┏━━┓
┃早稲田→敵視←慶應┃
┗↑━━┛    ┗↑━╋━━┓         ┏━━━━┓┌――――┐
 嫉妬  .      邪魔┨上智 ←┐   ┌→ 国際基督┃│中央(法)│
┏┷━┓    ┏━━┓┗↑━┛嫉妬 嫉妬┗━━━━┛└────┘
┃明治→敵視←立教┠―邪魔  ┏┷━┷┓
┗┯━╋━━╋━↑┛  ┌憧れ→学習院←―┐
優越感┃青学┠邪魔    │    ┗━━━┛別世界┌―――――┐┌――――┐
┏↓━╋━━┛      ┏┷━┓        ┏━┷┓│國學院(文)││獨協(外)│
┃法政┠――牽制――→成蹊←―牽制―┨中央┃└──――─┘└────┘
┗↑━┛      ┏━━╋━↑┛  ┏━━╋━━╋━━┓    ┏━━━┓
  敵視―┐    ┃成城┠―追従―┨武蔵→敵視←明学→敵視← 國學院 ←┐ ┏━━┓
      ┏┷━┓┗━↑┛        ┗↑━┛    ┗↑━┛     ┗━↑━┛嫉妬┃獨協┃
 追従→ 日本┠― 敵視―――――敵視―――― 敵視       ┌─┘  ┏┷━╋↑━┛
┏┷━╋━━╋━━┓       ┏━━┓. 潜伏              憧れ   .  ┃文教┃│
┃専修→敵視←東洋 →敵視←┨駒澤┣━↓━┓潜伏  ┏━━┷━┓  ┗━━┛憧れ 上昇中  潜伏
┗↑━┛    ┗↑━┛ ┏━━╋━━┫神奈川┣↓━┓┃二松学舎┣━━━━┓│    ↑  ┏━↓┓
 諦め         └粘着 ┨東海┃    ┗━━━┫玉川┃┗━━━━┫神田外語┠┘  ┏│━┫東経┃
┏┷━┓     ┏━━━╋━━╋━━━┓    ┗┳━┻┓      ┏┻━┳━━┛    ┃立正┣━━┛
┃大東→仲間← 国士舘→仲間←亜細亜←無関心→麗澤←無関心→拓殖┃┏━━┓  ┗━↑┛
┗━━┛     ┗┳━━┻━┓┗━↑━╋━━┓┗━━┛      ┗━━┛┃大正┠―意識┘
┏━━━┓ ┌―┨関東学院┠――敵視┃帝京 諦めの空気 ━┳━━┳━┻┳━┻━┳━━┳━━┓
┃桜美林←意識 ┗━━━━┛        ┗━━┫江戸川┃城西┃淑徳┃和光┃駿河台┃中学┃上武┃
┗━━━┛                         ┗━━━┻━━┻━━┻━━┻━━━┻━━┻━━┛
0080学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 11:10:53.50ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0081学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 15:09:12.53ID:???
一般入試による入学率

★東洋大学 75%
★芝浦工業大学 70%
==============
★駒澤大学 63%
★帝京大学(八王子文系) 59%
★専修大学 58%
★東京電機大学 56%
★大東文化大学 55%
★東京農業大学 55%
★拓殖大学 54%
★神奈川大学 54%
==============以下実質アホの集団(偏差値操作大学含む)
京都女子大学 49%
同志社女子大学 49%
★創価大学 48%
★神田外語大学 48%
★亜細亜大学 47%
★立正大学 46%
★玉川大学 45%
★千葉工業大学 45%
0082学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 15:10:02.88ID:???
==以下大学じゃねえよバカ==
★桃山学院大学 37%
★桜美林大学 30%
↓推薦入学組が多い

比率非公開大学は省略
日本大学 推薦率非公開
国士舘大学 推薦率非公開
東京都市大学 推薦率非公開
0083学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 15:11:33.47ID:???
一般入試合格者率50%以上のまともな大学(「大学ランキング2015」朝日新聞社)
01位 東京理科81.1%
02位 東洋大学77.1%
03位 南山大学73.8%
04位 西南学院72.4%
05位 明治大学71.4%
06位 青山学院67.0%
07位 獨協大学67.0%
08位 立教大学66.8%
09位 上智大学64.2%
10位 法政大学63.7%
10位 福岡大学63.7%
12位 甲南大学63.1%
13位 明治学院62.7%
14位 駒澤大学61.9%
15位 学習院大61.7%
16位 立命館大60.9%
17位 同志社大60.8%
18位 早稲田大60.7%
19位 専修大学60.4%
20位 慶應義塾59.7%
21位 帝京大学58.3%
22位 名城大学58.1%
24位 中央大学57.6%
24位 愛知大学57.6%
27位 東京農業54.8%
29位 國學院大54.4%
30位 大東文化53.6%
31位 神奈川大52.9%
32位 関西大学52.2%
34位 中京大学52.0%
35位 明星大学50.6%
0084学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 15:47:39.90ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0086学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 21:14:29.96ID:???
【偏差値+社会的実績+生涯獲得賃金+上場会社社長・役員輩出度】
以上を考慮して作成されています。従来の偏見ある序列から真の私立大学ランキングと
なっています。会社の人事部の参考として使用されています。

【SA1】
・慶応・早稲田
【SA2】
・東京理科・明治・立教・上智・ICU・関西学院
【A1】一流私大
・中央・青山学院・津田塾・同志社
【A2】一流私大
・日本女子・芝浦工業・法政・東京女子・成蹊・東京都市・関西・立命館 
【B】準一流私大
・武蔵 ・成城・明治学院・聖心女子・南山・甲南・豊田工 ・学習院
【C】中堅私大の上位
・日本・國學院・東洋・獨協・駒沢・専修・東京電機・東京農大・近畿 ・西南学院
【D】中堅私大
・玉川・神奈川・大妻女子・実践女子・工学院・東海・愛知・龍谷・京都産・京都外・福岡
【E】中堅私大
・北海・東北学院・国士舘・亜細亜・神田外・大東文化・明星・関東学院・千葉工業
・東京経済・大阪経済
・追手門学院・摂南 ・帝京・拓殖・立正・大正 ・中京・名城
0087学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/01(水) 23:27:40.37ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0089学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/07(火) 10:48:38.01ID:???
【企業の人事担当者から見た大学のイメージ調査】
〔総合ランキング〕順位
日経HR『価値ある大学2016年版』日本経済新聞社(2015年6月)より
●:国立大学、▲:公立大学、○私立大学

1:●京都、2:●筑波、3:●東京、4:●東京外国語、5:○早稲田、6:●大阪、7:●東京工業、8:●神戸・●北海道、10:○慶應義塾、

11:●東京農工、12:○上智、13:●長岡技術科学、14:●京都工芸繊維、15:▲兵庫県立、16:●信州、17○同志社、18:○立命館、19:▲大阪市立・○関西外国語、

21:●横浜国立、22:○明治、23:●九州、24:○青山学院、25:●東北、26:●名古屋、27:●長崎、28:▲首都東京・▲大阪府立、30:○関西、

31:○学習院、32:●佐賀、33:●一橋、34:○東京理科、35:▲北九州市立、36:●千葉、37:○龍谷、38:●愛媛、39:○関西学院、40:○愛知・●広島、

42:○中央、43:○明治学院、44:○立教、45:○獨協、46:○金沢工業・●九州工業、48:●名古屋工業、49:●茨城、50:○東京電機、

51:●埼玉・○日本工業、53:○法政、54:●山形、55:●岩手、56:○甲南、57:○東京都市、58:○成蹊、59:●熊本、60:○芝浦工業、

61:○大阪工業、62:○帝京・●徳島、64:●静岡、65:●富山、66:○近畿、67:○国士舘、68:○京都産業、69:●岡山、70:●三重、

71:○東京農業、72:●山口、73:○日本・○名城、75:○駒澤・○愛知淑徳、77:○中京・●岐阜、79:○関東学院、80:●新潟、

81:○東海、※82:○東洋、83:●金沢、84:○工学院、85:●福井、86:○愛知工業、87:○神奈川、88:○専修、89:○南山、90:○福岡工業、

91:○拓殖、92:●鹿児島、93:○千葉工業、94:○中部、95:○東北学院、96:○立正、97:○福岡、98:○九州産業、99:○広島工業、100:○大東文化
0090学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/07(火) 10:55:26.26ID:???
<全国大学別平均年収ランキングBEST100> 

01 東京大学 843 26 津田塾大 755 51 静岡大学 721 76 龍谷大学 685  
02 一橋大学 841 27 成蹊大学 752 52 京都女子 720 77 関東学院 684
03 慶應義塾 828 28 青山学院 751 53 金城学院 719 78 近畿大学 683
04 国際基督 821 29 千葉大学 749 54 東京電気 718 79 創価大学 682
05 京都大学 812 30 名古屋工 746 55 新潟大学 716 80 京都産業 681
06 上智大学 807 31 横浜市立 745 56 学習院女 715 81 中京大学 680
07 早稲田大 806 32 明治大学 744 56 山形大学 715 81 武蔵大学 680
08 筑波大学 795 32 芝浦工業 744 58 東京女子 713 83 東海大学 679 
09 東京工業 794 34 金沢大学 742 59 名城大学 712 84 駒澤大学 678 
10 神戸大学 789 34 立命館大 742 59 滋賀大学 712 85 北九州市 676
11 大阪大学 785 36 中央大学 740 61 甲南大学 710 85 千葉工業 676   
12 北海道大 775 37 武蔵工業 738 62 摂南大学 709 87 専修大学 673  
13 東北大学 774 37 東洋英和 738 63 岐阜大学 707 88 昭和女子 672
14 大阪市立 769 37 広島大学 738 63 甲南女子 707 88 福岡大学 672
15 名古屋大 769 40 成城大学 735 65 同志社女 703 90 神奈川大 671
16 首都大学 769 40 聖心女子 735 66 工学院大 702 91 東北学院 669
17 九州大学 768 40 南山大学 735 66 椙山女学 702 92 國學院大 664 
18 電気通信 767 40 九州工業 735 68 共立女子 700 93 東京農業 662
19 横浜国立 765 44 京都工繊 734 69 金沢工業 697 94 帝京大学 659 
20 大阪府立 764 45 西南学院 732 70 明治学院 696 95 東洋大学 658 
21 東京理科 761 45 徳島大学 732 70 武庫川女 696 96 桃山学院 652
21 同志社大 761 47 神戸女学 731 72 大阪工業 695 97 獨協大学 645
23 関西学院 757 48 法政大学 730 73 大妻女子 693 98 北海学園 643
24 立教大学 756 49 日本女子 729 74 愛知大学 691 99 大東文化 642 
24 学習院大 756 50 関西大学 727 75 愛知淑徳 686 100 拓殖大学 636
(平成18年 プレジデント10/16号「大学と出世」より)

※全国753大学中、TOP100校
※東海・帝京は医理薬学部含
0091学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/07/07(火) 23:35:30.47ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0

●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0093学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/09/28(月) 19:59:47.42ID:???
被害者は大東文化大学
加害者は日本文化大学

★「自分の人生をリセットするため刑務所に行こうと思った」…女子大学生を殺害した罪などに問われている男の初公判

去年、埼玉県入間市の路上で、女子大学生をナイフで刺し、殺害した罪などに問われている男の初公判が28日に開かれ、
男は動機について「自分の人生をリセットするため刑務所に行こうと思った」と話した。

起訴状によると、沼田雄介被告(21)は、去年10月、入間市の路上で、
大学生の佐藤静香さん(当時21)をナイフで何度も刺して殺害した罪などに問われていて、28日の初公判で起訴内容を認めた。

検察側は、冒頭陳述で、「面識のない被害者をメッタ刺しにして殺害した」と指摘した上で、
「大学の留年が確実になるなどの現実から逃れるため他人を殺害した動機は身勝手で強い非難に値する」と主張した。

沼田被告はその後の被告人質問で、高校も大学も勉強についていけず、
「同じことを繰り返す自分が情けない」と感じ、夜も眠れなくなったとした上で、
「自分の人生をリセットするため誰かを殺して刑務所に行こうと思った」と犯行の動機を話した。

http://www.news24.jp/articles/2015/09/28/07310805.html
0094学籍番号:774 氏名:_____
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2015/09/28(月) 22:02:20.03ID:???
何かというとすぐに偏差値を持ち出して大学語る人が多いけれど、そういう人
は拠り所にしている予備校やネット上の偏差値表がデーターとして客観性に欠
けることを知らずに語っているようだ。

予備校の偏差値表などは一般入試合格者と学力試験を課さない推薦合格者との
入学者率を算出の基準に入れてないから、まともな偏差値と操作された偏差値
とがごちゃ混ぜになってて信憑性に乏しいことを知るべきだ。

つまり、推薦合格者を多く出して一般合格者を絞れば当然のことだが偏差値が
上がるわけで、そうした大学が極めて多い実態を知らなさすぎるようだ。

一般入試入学者率を50%以上確保しているまともな大学は、次の35大学に過ぎ
ないことをご存じかな。

一般入試合格者率50%以上のまともな大学(「大学ランキング2015」朝日新聞社)
01位 東京理科81.1%
02位 東洋大学77.1%
03位 南山大学73.8%
04位 西南学院72.4%
05位 明治大学71.4%
06位 青山学院67.0%
07位 獨協大学67.0%
08位 立教大学66.8%
09位 上智大学64.2%
10位 法政大学63.7%
10位 福岡大学63.7%
12位 甲南大学63.1%
13位 明治学院62.7%
14位 駒澤大学61.9%
15位 学習院大61.7%
16位 立命館大60.9%
17位 同志社大60.8%
18位 早稲田大60.7%
19位 専修大学60.4%
20位 慶應義塾59.7%
21位 帝京大学58.3%
22位 名城大学58.1%
24位 中央大学57.6%
24位 愛知大学57.6%
27位 東京農業54.8%
29位 國學院大54.4%
30位 大東文化53.6%
31位 神奈川大52.9%
32位 関西大学52.2%
34位 中京大学52.0%
35位 明星大学50.6%
0095学籍番号:774 氏名:_____
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2015/10/07(水) 17:18:50.14ID:???
埼玉・入間女子大生殺害 沼田被告に無期懲役判決
http://www.sankei.com/affairs/news/151007/afr1510070017-n1.html

埼玉県入間市で昨年10月、同市の大東文化大3年、佐藤静香さん=当時(21)=が刺殺された事件で、
殺人罪などに問われた同市の無職、沼田雄介被告(21)の裁判員裁判判決公判が7日、
さいたま地裁で開かれ、片山隆夫裁判長は求刑通り無期懲役を言い渡した。
判決で片山裁判長は、沼田被告が犯行理由を「人生をリセットしたかった」などと述べたことについて
「身勝手で生命軽視が甚だしい」と指弾した。
起訴状によると、沼田被告は昨年10月15日、自宅近くで佐藤さんの背中や胸などをコンバットナイフ
(刃渡り約18センチ)で30回以上刺し、殺害したとしている。

佐藤静香さん(当時21)
http://livedoor.4.blogimg.jp/akb48matomemory/imgs/c/8/c8751470-s.jpg
沼田雄介被告(21)
http://geinouhaishinn.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_b4c/geinouhaishinn/E6B2BCE794B0E99B84E4BB8BEFBC92.jpg

被害者=大東文化大学。加害者=日本文化大学
0096学籍番号:774 氏名:_____
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2015/10/12(月) 11:49:21.83ID:???
【企業の人事担当者から見た大学のイメージ調査】〔総合ランキング〕順位
日経HR『価値ある大学2016年版』日本経済新聞社(2015年6月)より
●:国立大学、▲:公立大学、○私立大学

1:●京都、2:●筑波、3:●東京、4:●東京外国語、5:○早稲田、6:●大阪、7:●東京工業、8:●神戸・●北海道、10:○慶應義塾、

11:●東京農工、12:○上智、13:●長岡技術科学、14:●京都工芸繊維、15:▲兵庫県立、16:●信州、17○同志社、18:○立命館、19:▲大阪市立・○関西外国語、

21:●横浜国立、22:○明治、23:●九州、24:○青山学院、25:●東北、26:●名古屋、27:●長崎、28:▲首都東京・▲大阪府立、30:○関西、

31:○学習院、32:●佐賀、33:●一橋、34:○東京理科、35:▲北九州市立、36:●千葉、37:○龍谷、38:●愛媛、39:○関西学院、40:○愛知・●広島、

42:○中央、43:○明治学院、44:○立教、45:○獨協、46:○金沢工業・●九州工業、48:●名古屋工業、49:●茨城、50:○東京電機、

51:●埼玉・○日本工業、53:○法政、54:●山形、55:●岩手、56:○甲南、57:○東京都市、58:○成蹊、59:●熊本、60:○芝浦工業、

61:○大阪工業、62:○帝京・●徳島、64:●静岡、65:●富山、66:○近畿、67:○国士舘、68:○京都産業、69:●岡山、70:●三重、

71:○東京農業、72:●山口、73:○日本・○名城、75:○駒澤・○愛知淑徳、77:○中京・●岐阜、79:○関東学院、80:●新潟、

81:○東海、※82:○東洋、83:●金沢、84:○工学院、85:●福井、86:○愛知工業、87:○神奈川、88:○専修、89:○南山、90:○福岡工業、

91:○拓殖、92:●鹿児島、93:○千葉工業、94:○中部、95:○東北学院、96:○立正、97:○福岡、98:○九州産業、99:○広島工業、100:○大東文化


企業人による大東文化大の評価は100位。ランクインする私大のほとんどが医学、工学、理科系学部を有する大学だから、文系だけの大東文化
が『価値ある大学2016年版』にランクインするのはお見事。成城、國學院、武蔵、亜細亜などはランクインしてないからね。
0097学籍番号:774 氏名:_____
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2015/10/28(水) 18:23:33.61ID:???
どの大東スレにも同じ事しか書いてない
同じ事しか書いてないからレスがつかないのか
レスがつかないから同じ事しか書かないのか
0098学籍番号:774 氏名:_____
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2015/11/26(木) 16:33:51.60ID:HpDE/SiQ
【The Times Higher Education World University Rankings 2015-2016】

※Times Higher Education World University Rankingsは
イギリスの高等教育専門週刊誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』が
2004年から毎年秋に公表している世界の大学ランキングで、
2010年からは「トムソン・ロイター社」と共同でランキングを作っています。
学生情報機関IDPの調査で世界で一番広く用いられている大学ランキングに選ばれました。
                  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://www.tmd.ac.jp/kouhou/ranking/THE/index.html ※東京医科歯科大ホームページ


https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2016/world-ranking#!/page/0/length/-1
日本時間2015/10/1 AM5:00発表

1位(43位) 東京

2位(88位) 京都

3位(201-250位) :東北、東京工業

5位(251-300位) 大阪

6位(301-350位) 名古屋

7位(401-500位) 北海道、九州、東京医科歯科、首都東京、筑波

12位(501-600位) 広島、金沢、○慶應義塾、大阪市立、東京農工

17位(601-800位): 千葉、愛媛、岐阜、○順天堂、○近畿、神戸、熊本、九州工業、
長崎、新潟、岡山、大阪府立、埼玉、信州、○昭和、○上智、○東海、徳島、東京海洋、
○東京理科、鳥取、豊橋技術科学、○早稲田、横浜市立、横浜国立
{備考} ○私立大学
0099学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/11/30(月) 23:35:24.38ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5
東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0


●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0101学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/12/10(木) 23:39:29.37ID:pPjYLeIe
   o   。         ______o  O   。    。 °
 。 ○  o    ○   /  ィ     ○  o    ○
        o      /ニニニ)⌒ヽ     ぼくのメイ演CDをプレゼントするといえよう。
  ゜   ○      ω□-□ω    o   
    o         ( 皿 ) )   。  o
  ○   。  ○  /○  ○) /|,. o       O  o
。  o    o   ∠∠______∠_/ /     ○
      o    .|/     |_/  ○   。  o  O 。
 o  O     / ̄ ̄ ̄/ ̄   o    。
      。  ノ      /    o         O
 o   o   y y_ノ)  y y__ノ)    。   o      ○
   o   (゚皿゚ )  (゚皿゚ ) つ  o   °      o   。
 。   o ∪-∪'"~ ∪-∪'"~  。  。 o   °o 。
     __  _ 。    __   _  o  o__       _ °
  __ .|ロロ|/  \ ____..|ロロ|/  \ __ |ロロ| __. /  \
_|田|_|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|_|田|._| ロロ|_
0102学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/12/11(金) 04:40:09.17ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営50.0 法律52.5
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営52.5 法律50.0
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
獨協大学:経済47.5 経営50.0 法律47.5
立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5
武蔵野大:経済47.5 経営47.5 法律45.0
東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
拓殖大学:経済40.0 経営45.0 法律37.5
東海大学:経済40.0 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営40.0 法律40.0
関東学院:経済37.5 経営35.0 法律35.0
帝京大学:経済37.5 経営35.0 法律35.0
0103学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/12/22(火) 22:41:15.54ID:/qWtrY5Y
上場企業の求人(2014)
合計11万
理系4万
文系1万
指定無し(営業など文理を区別しない職種)6万

就活生の総数56万人
理系22万人
文系34万人
0104学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2015/12/27(日) 21:56:25.39ID:I6FORSbX
【The Times Higher Education World University Rankings 2015-2016】

※Times Higher Education World University Rankingsは
イギリスの高等教育専門週刊誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』が
2004年から毎年秋に公表している世界の大学ランキングで、
2010年からは「トムソン・ロイター社」と共同でランキングを作っています。
学生情報機関IDPの調査で世界で一番広く用いられている大学ランキングに選ばれました。
                  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://www.tmd.ac.jp/kouhou/ranking/THE/index.html ※東京医科歯科大ホームページ


https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2016/world-ranking#!/page/0/length/-1
日本時間2015/10/1 AM5:00発表

1位(43位) 東京

2位(88位) 京都

3位(201-250位) :東北、東京工業

5位(251-300位) 大阪

6位(301-350位) 名古屋

7位(401-500位) 北海道、九州、東京医科歯科、首都東京、筑波

12位(501-600位) 広島、金沢、○慶應義塾、大阪市立、東京農工

17位(601-800位): 千葉、愛媛、岐阜、○順天堂、○近畿、神戸、熊本、九州工業、
長崎、新潟、岡山、大阪府立、埼玉、信州、○昭和、○上智、○東海、徳島、東京海洋、
○東京理科、鳥取、豊橋技術科学、○早稲田、横浜市立、横浜国立
{備考} ○私立大学
0105学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/01/03(日) 03:34:27.01ID:???
箱根駅伝、19位と3分差のダントツ最下位とか出ても恥かいてるだけじゃん

こんなんだから「大東糞゛化」って呼ばれるんだよ
0106学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/01/05(火) 00:20:01.99ID:???
┏━━━┓    ┏━━┓
┃早稲田―意識→慶應┃
┗↑━━┛    ┗↑━╋━━┓         ┏━━┓┌――――┐     
 嫉妬  .      邪魔┨上智┃←┐  ┌→ ICU┃│中央(法)│     
┏┷━┓    ┏━━┓┗↑━┛嫉妬 嫉妬┗━━┛└──┬─┴┐    ┌──┐  
┃明治→激戦←立教┠―邪魔    │  │   ┌────→SFC←別世界.→所沢│  
┗┯━╋━━╋━↑┛       ┏┷━┷┓  │     . └──┘    └──┘  
優越感┃青学┠邪魔    ┌憧れ→学習院← 別世界  
┏↓━╋━━┛      ┏┷━┓┗━━━╋━┷┓  
┃法政←――意識――┨成蹊┃←牽制―┨中央┃  ┌――――─――――─────┐
┗↑━┛      ┏━━╋━↑┛  ┏━━╋━━┛  │獨協(外) 文教(教育) 理科経営│
  嫉妬―┐    ┃成城┠―追従─┨明学┃←粘着┐└──────────────┘
      ┏┷━┓┗━━╋━━┓  ┗━━┛  ┏━┷━┓        
     ┃日本┃  .  ┃武蔵┃            ┃國學院┃ ┏━━┓ 
┏━━╋━━╋━━┓┗━━╋━━┓潜伏  ┗━━━┛ ┃獨協┃ 潜伏          
┃駒澤→敵視←東洋←―流出←専修┣━↓━┓潜伏   ┏┻━━╋━↓━━┓     UP
┗━━┛    ┗↑━┛┏━━╋━━┫神奈川┣↓━┓ ┃武蔵野┃東京経済┃  ┏ ↑ ┓
  諦め────┴固執┨東海┃    ┗━━━┫玉川┃ ┗━━━┻━━━━┛  ┃立正┃
┏┷━┓    ┏━━━╋━━╋━━━┓    ┗┳━┻┓      ┏━━┓      ┗━━┛
┃大東→仲間←国士舘→仲間←亜細亜←無関心→拓殖←無関心→麗澤┃┏━━┓  ↑
┗━━┛    ┗┳━━┻━┓┗━↑━╋━━┓┗━━┛      ┗━━┛┃大正┠―意識
┏━━━┓┌―┨関東学院┠――敵視┃帝京 諦めの空気 ━┳━━┳━┻┳━┻━┳━━┳━━┓
┃桜美林←意識┗━━━━┛        ┗━━┫江戸川┃城西┃淑徳┃和光┃駿河台┃中学┃上武┃
┗━━━┛                        ┗━━━┻━━┻━━┻━━┻━━━┻━━┻━━┛
0108学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/01/20(水) 21:11:07.45ID:???
軽井沢バス転落事故
乗員乗客14人死亡
被害:乗客12人乗員2人死亡(計14名)・27名が重軽傷(意識不明も含む)
身元が判明した死亡者(14名全員確認)
法政大学:林晃孝さん(22歳)神奈川県川崎市中原区
法政大学:西原季輝さん(21歳)千葉県市川市
早稲田大学:阿部真理絵さん(22歳)埼玉県さいたま市大宮区
早稲田大学:田端勇登さん(22歳)東京都・渋谷区
法政大学:花岡磨由さん(22歳)東京都・多摩市
早稲田大学:小室結さん(21歳)神奈川県川崎市宮前区
東京農工大学:小嶋亮太さん(19歳)東京都・小金井市
東京農工大学:大谷陸人さん(19歳)東京都・杉並区
首都大学東京:田原寛さん(19歳)東京都・八王子市
東海大学生:池田衣里さん(19歳)東京・多摩市
東京外国語大学生:西堀響さん(19歳)千葉県千葉市美浜区
広島国際大学生:山田萌さん(19歳)広島県東広島市
運転手・乗員:土屋廣さん(65歳)
補助員・乗員:勝原恵造さん(57歳)

田端勇登さん(22)
東京都渋谷区に実家
早稲田大学国際教養学部4年(授業は全て英語、在学中の交換留学必須)
オックスフォード大学に留学
日本政策投資銀行に内定

小室結さん(21) 通夜に1200人参列
早稲田大学国際教養学部4年
三井不動産内定

彼氏は田端勇登さん
ブラザー創業一族の姪

通夜を終えた母親は「何でも経験したがり、走り続けていた子だった。国際的な街づくりに興味があり、大手不動産会社に就職を決めたようだ」と話し、「こんな大勢の方が集まっていただいて、幸せな21年間だったと思います」と静かに語った。
今回の事故で亡くなった交際相手の田端勇登さん(22)についても「親しいお付き合いをさせていただいていた。一人でなく、お友達と一緒に亡くなったので、寂しくないと思う」と涙をこらえた。
バス会社に対しては、「怒りで後ろ向きになるより、前向きでいたい。ただ、学生が親への配慮から格安のツアーを選ぶのは自然なこと。その自覚を持って格安でも満足できる旅行を提供してほしい。娘たちの死を無駄にしてほしくない」と気丈な口ぶりで語った。

http://www.sankei.com/affairs/photos/160117/afr1601170006-p1.html
0110学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/01/23(土) 02:55:27.54ID:???
ノ.  ! ./      / \  j l  / , - 二二二二 ヽ ___二ニ二 >= 、
   l j       /    ヽハ ∨ / /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、 \          (⌒ ⌒ヽ
   !      /      V  ! ./ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ハ      (´⌒  ⌒  ⌒ヾ
   '.,     /          l  j ! /-―- 、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;V     ('⌒ ; ⌒   ::⌒  )
     ー ''          ヽ | j/     `  、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;}    (´     )     ::: .)
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                  /             ヽヽ;;;;;;; ,' ;;;;;};;;;;;;;;;;;;;;;;;; / j    (    ゝ  ヾ 丶 ソ
                   /                  ',;', ;;;;/;;;;;;;;l;;;;;;;;;;;;;;;/   .|     ヽ  ヾ  ノノ  ノ
                   /                  V;;ノ;;;;;;;;;ム − '       |
                /                 }';;;;;;, '"           |
                 /                 /7~             |
                  /                 //          

       bloomer
0111学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/02/06(土) 01:03:51.76ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5
東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0 ☆
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0



●2〜1教科入試校
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0 ★
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0112学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/03/08(火) 00:11:51.65ID:klzwK9ja
世界大学ランキングから見る
東海大学の評価

Times Higher Education と QS の両方にランキングされてい
る国内の私立大学は、慶應義塾大学、早稲田大学、東京理科
大学と東海大学の 4 大学のみです

http://www.u-tokai.ac.jp/international/news/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E8%A9%B3%E7%B4%B0.pdf
0113学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/03/09(水) 01:21:29.95ID:Lp2KOfna
大前研一が、税理士の集まりで
「海外で税務申告の仕事無くなったって内容」
を言った動画

くそ面白い

お勧め

【大前研一】今後税理士はいらなくなってしまう?!
https://www.youtube.com/watch?v=Hi-ZYEUkTaI
0114学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/04/13(水) 19:21:50.13ID:???
河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html

○3教科入試校
東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0
日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5
東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0
大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0 ☆
明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0
関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0






●2〜1教科入試校
立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5
国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0
亜細亜大:経済45.0 経営42.5 法律35.0 ★ ←ココw
拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0
0115学籍番号:774 氏名:_____
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2016/04/25(月) 23:49:45.66ID:jAyfFyr6
奨学金を安易に借りると、子どもがブラックリスト入りのリスクも!
http://diamond.jp/articles/-/89142
0116学籍番号:774 氏名:_____
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2016/06/05(日) 23:32:22.18ID:HKr2/kJ2
文系主要分野における大学別科研費研究案件年平均本数(2010年度〜2014年度内新規及び継続計)順位
http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_101.html

<私立大学上位20位>
【科研費研究案件全体(文理合計)】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_2.html
@慶應義塾、A早稲田、B日本、C立命館、D東海、E近畿、F順天堂、G東京理科、H北里、I明治、J同志社、K関西、L昭和、M法政、N福岡、O関西学院、P久留米、Q中央、R上智、S日本医科

【文系(人文社会系)合計】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_4.html
@早稲田、A立命館、B慶應義塾、C同志社、D関西、E明治、F法政、G関西学院、H日本、I立教、J上智、K東洋、L青山学院、M中央、N京都産業、O専修、P東海、Q近畿、R学習院、S龍谷

【人文学分野合計】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_8.html
@早稲田、A立命館、B慶應義塾、C明治、D関西、E同志社、F法政、G立教、H日本、I関西学院、J上智、K学習院、L東海、M青山学院、N東洋、O南山、P京都産業、Q中央、R日本女子、S龍谷

【社会科学分野合計】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_16.html
@早稲田、A立命館、B慶應義塾、C法政、D関西学院、E関西、F同志社、G明治、H日本、I立教、J東洋、K上智、L中央、M青山学院、N専修、O近畿、P京都産業、Q日本福祉、R龍谷、S東海
0118学籍番号:774 氏名:_____
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2016/06/23(木) 22:41:25.98ID:XXaQOC31
経団連グローバル人材育成スカラーシップ

http://idc.disc.co.jp/keidanren/scholarship/

募集対象校

北海道大学      神戸大学          東洋大学
東北大学       岡山大学          日本女子大学
筑波大学       広島大学          法政大学
埼玉大学       九州大学          明治大学
千葉大学       長崎大学          早稲田大学
東京大学       宮城大学          創価大学
東京外国語大学   国際教養大学       多摩大学
東京工業大学    首都大学東京       中京大学
お茶の水女子大学 大阪市立大学       京都産業大学
一橋大学       共愛学園前橋国際大学 同志社大学
横浜国立大学    慶應義塾大学       立命館大学
信州大学       国際基督教大学      関西学院大学
静岡大学       上智大学          福岡大学
名古屋大学      聖路加国際大学      北九州市立大学
京都大学       中央大学          立命館アジア太平洋大学
大阪大学       東海大学
0119学籍番号:774 氏名:_____
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2016/07/25(月) 23:50:08.25ID:L+ZmcHHe
出身大学別社長数ランキング2015帝国データバンクによる調査に基づいた社長の出身大学
【第1位】 日本大学社長数:22,582人
【第2位】 慶應義塾大学社長数:11,703人
【第3位】 早稲田大学社長数:10,993人
【第4位】 明治大学社長数:9,580人
【第5位】 中央大学社長数:8,534人
【第6位】 法政大学社長数:6,971人
【第7位】 近畿大学社長数:6,243人
【第8位】 東海大学社長数:5,663人
【第9位】 同志社大学社長数:5,561人
【第10位】 関西大学社長数:4,475人
【第11位】 青山学院大学社長数:4,025人
【第12位】 立教大学社長数:4,023人
【第13位】 専修大学社長数:3,985人
【第14位】 外国の大学社長数:3,853人
【第15位】 立命館大学社長数:3,754人
【第16位】 関西学院大学社長数:3,576人
【第17位】 福岡大学社長数:2,902人
【第18位】 東洋大学社長数:2,868人
【第19位】 駒澤大学社長数:2,770人
【第20位】 甲南大学社長数:2,683人
【第21位】 東京大学社長数:2,577人
【第22位】 神奈川大学社長数:2,540人
【第23位】 名城大学社長数:2,488人
【第24位】 東京理科大学社長数:2,139人
【第25位】 京都産業大学社長数:2,136人
0120学籍番号:774 氏名:_____
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2016/08/03(水) 17:25:13.22ID:???
★学生にモデルガンの銃口突きつける 教授を懲戒解雇
8月3日 11時27分
東京の大東文化大学の教授が、授業中に学生に対して「正解できなかったら、この銃で発砲する」
と言ってモデルガンの銃口を突きつけたり、複数の学生に暴言を繰り返したりしたとして、
大学が先月下旬に懲戒解雇の処分を決めていたことが関係者への取材で分かりました。
関係者によりますと、東京・板橋区にある大東文化大学の文学部の60代の男性教授は、授業中に学生に対して
「正解できなかったら、この銃で発砲する」と言ってモデルガンの銃口を突きつけたり、複数の学生に「バカ」などと暴言をくり返したりしたということです。
また、校内で模造刀を振り回したりエアガンを発射したりしていたということで、このエアガンは厚さおよそ3ミリの銅板をえぐるほどの威力があったということです。

これらの行為は学生からの訴えを基に大学が調査して明らかになったもので、大学側は極めて悪質な行為だとして、先月27日にこの教授を懲戒解雇の処分にすることを決めたということです。

これについて教授は大学側に対して、「銃の握り方を見せただけで、たまたま銃口が向いただけだ」などと話しているということです。
大学を運営する大東文化学園は「大学という教育・研究の場であってはならないことであり再発防止に努めたい」とコメントした
0122学籍番号:774 氏名:_____
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2016/08/21(日) 21:22:51.68ID:???
これが真実の河合塾偏差値ランキング(文系主要学科)
http://www.keinet.ne.jp/rank/

○3教科入試校
日本大学:経済50.0 経営52.5 法律52.5
東洋大学:経済50.0 経営52.5 法律50.0
駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律50.0
専修大学:経済47.5 経営47.5 法律47.5
東海大学:経済47.5 経営45.0 法律40.0
東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0
神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0
大東文化:経済40.0 経営40.0 法律37.5
関東学院:経済37.5 経営37.5 法律35.0 ★ ←プッw
明星大学:経済37.5 経営35.0 ―――― 





●2〜1教科入試校
立正大学:経済45.0 経営45.0 法律47.5
亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0
国士舘大:経済45.0 経営42.5 法律42.5
拓殖大学:経済42.5 経営45.0 法律40.0
帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0☆
0124学籍番号:774 氏名:_____
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2016/08/25(木) 16:48:49.66ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。
0125学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/08/25(木) 18:24:32.91ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。
0126学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/08/25(木) 23:06:41.51ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。
0127学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/08/27(土) 08:41:44.08ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。
0128学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/08(木) 18:50:20.58ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは
0129学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/17(土) 13:29:12.67ID:???
被害者=大東文化大、加害者=日本文化大

★オンナにふられ見ず知らずの女性に刃 「女子大生殺害事件」に無期懲役判決
2015年10月22日 19時0分

昨年10月に埼玉県入間市で発生した、大学生・佐藤静香さん(21=当時)に対する
通り魔殺人事件の裁判員裁判判決公判が10月7日、さいたま地裁で開かれ、
沼田雄介被告(21)に無期懲役が言い渡された。
沼田被告は夜道で面識のない佐藤さんを追跡し、コンバットナイフで滅多刺しにして殺害。
その後出頭しているが、公判ではその呆れた動機が明らかになっている。

《自分の人生をリセットする為に、誰かを殺して刑務所に行こうと。自分の今までやって来た事、築き上げてきた事、
過去、全て、台無しにする、という意味です》(沼田被告)
事件当時、20歳の若さで「人生のリセット」とは、よほどの事があったのか? と思いきや…。
「検察側の冒頭陳述によれば、被告は大学入学の翌年、好意を寄せていた女性が自分の友人と交際することになったと
知り、学校を休みがちになった。その直後、追試を受けずに留年が確定したため、
他人を殺害しようと思い立ったとのことです」(傍聴した記者)

女にフラれ、留年確定で刑務所行きを考えた揚げ句、見ず知らずの女性を殺めるという身勝手さ。
さらに沼田被告はこうも語っている。
《刑務所に行きたいっていうのとはちょっと違って、こんな自分は刑務所に向いてるんじゃないか、
ということで。社会から隔離されてて毎日同じことやってくだけ、そういうイメージ。そういう所に行けば、
何もめんどくさいことないんじゃないか、ただ同じこと続けてるだけでいいんじゃないかと考えました》
動機も浅ければ、罪に対する意識も希薄だ。
検察官「強盗致傷罪でも服役できますけど、そういうので刑務所に行けるとは思わなかった?」
沼田被告「確実に懲役刑になるのは殺人だと思いました。殺人はイメージとしては卑劣ではない」十分に卑劣だ。
0130学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/21(水) 18:40:53.84ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは
0132学籍番号:774 氏名:_____
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2016/09/26(月) 18:26:38.45ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って。
0133学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/28(水) 11:29:55.70ID:ohimed65
○○○○大学単位不正発覚!学長太田政男氏隠蔽中!
http://ameblo.jp/fenderapple/entry-12204329697.html
2002年より不正を指摘されるが黙殺!
関与すれば即時解雇になる事案長期隠蔽中!
0134学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/28(水) 17:18:35.71ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙
0135学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/29(木) 17:32:06.72ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは
0136学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/29(木) 17:47:05.02ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうち
0137学籍番号:774 氏名:_____
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2016/09/29(木) 18:51:19.58ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのう
0138学籍番号:774 氏名:_____
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2016/09/29(木) 23:14:43.11ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めの
0139学籍番号:774 氏名:_____
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2016/09/29(木) 23:30:49.73ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始め
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2016/09/30(金) 08:20:34.24ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始
0141学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/30(金) 08:28:19.08ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、
0142学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/30(金) 08:47:00.78ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを
0143学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/09/30(金) 17:52:11.91ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるの
0144学籍番号:774 氏名:_____
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2016/09/30(金) 23:14:25.87ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがる
0145学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/01(土) 02:10:08.87ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたが
0146学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/01(土) 07:53:02.12ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいた
0147学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/02(日) 09:35:41.90ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいい
0148学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/02(日) 18:56:13.36ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
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「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
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を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
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ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれい
0149学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/02(日) 23:57:36.87ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれ
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2016/10/03(月) 02:20:53.38ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこ
0151学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/03(月) 08:57:19.78ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれ
0153学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/04(火) 07:48:18.55ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにか
0154学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/05(水) 23:45:10.87ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりに
0155学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/06(木) 23:53:21.65ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきり
0156学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/09(日) 10:09:41.10ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しき
0157学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/11(火) 23:41:44.14ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、し
0158学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/12(水) 18:39:56.45ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、
0159学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/13(木) 18:45:26.38ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して
0160学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/13(木) 23:08:45.25ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指し
0161学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/14(金) 23:29:22.59ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指
0162学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/16(日) 18:39:51.25ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを
0164学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/19(水) 08:15:49.13ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だの
0165学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/21(金) 08:37:11.06ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だ
0166学籍番号:774 氏名:_____
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2016/10/23(日) 09:34:31.30ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑
0167学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/10/24(月) 01:43:46.31ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の
0168学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/06(日) 03:30:18.08ID:O7X5GJ2b
東京12大学 
 
1964年発足

青山学院大学 慶應義塾大学 國學院大學
上智大学 専修大学 中央大学 東海大学 日本大学
法政大学 明治大学 立教大学 早稲田大学

http://www.tokyo12univ.com/index.html
0170学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/06(日) 18:32:01.43ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。
0171学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/08(火) 08:29:44.08ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。あ
0172学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/11(金) 23:47:23.39ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。
0173学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/12(土) 23:28:36.35ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐
0174学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/12(土) 23:39:48.33ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから
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2016/11/12(土) 23:45:39.68ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだか
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2016/11/13(日) 09:55:17.43ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだ
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2016/11/13(日) 18:36:38.90ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るん
0178学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/13(日) 23:36:03.14ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
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も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変る
0179学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/14(月) 23:46:55.67ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
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「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変
0180学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/14(月) 23:57:43.47ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に
0181学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/15(火) 07:44:54.61ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人
0182学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/15(火) 07:47:51.79ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪
0183学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/15(火) 18:30:27.16ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に
0184学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/15(火) 23:54:11.43ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急
0185学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/18(金) 23:53:19.17ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、
0186学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/19(土) 18:33:00.24ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に
0187学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/19(土) 23:40:32.78ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際
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2016/11/20(日) 10:05:20.05ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
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せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間
0189学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/20(日) 10:17:31.06ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという
0190学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/20(日) 18:17:13.65ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
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「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざとい
0191学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/21(月) 22:39:42.53ID:NG3UY+Pc
平成26年度奨学金の返還者に関する属性調査結果
http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/h26.html
http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/__icsFiles/afieldfile/2016/07/07/h26zokuseichosa_shosai.pdf

(5)だれに奨学金の申請を勧められたか

延滞者
親:57.4%
教師:37.4%
その他:5.3%

無延滞者
親:83.1%
教師:14.4%
その他:2.5%


>一方、延滞者では「学校の先生や職員」と回答した者が 37.4%で、
>無延滞者の 14.4%に比べて 23.0%高くなっている。本人または親が主体的に申請した者に比べて、
>学校の先生等の勧めにより申請をした者が延滞となる傾向があることがうかがえる。
0192学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/21(月) 23:21:49.82ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざと
0193学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/22(火) 18:41:20.25ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
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「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
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ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざ
0194学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/24(木) 17:39:31.33ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、い
0195学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/24(木) 18:23:19.07ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、
0196学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/26(土) 18:41:57.38ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それが
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2016/11/26(土) 18:43:17.50ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。それ
0198学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/27(日) 10:11:53.86ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。そ
0199学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/27(日) 18:45:00.08ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
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も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです。
0200学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/28(月) 19:47:51.00ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんです
0201学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/11/28(月) 19:49:43.04ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なんで
0202学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/28(月) 23:40:15.41ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
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「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間なん
0203学籍番号:774 氏名:_____
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2016/11/29(火) 23:48:36.54ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間な
0204学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/01(木) 17:37:57.28ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人間
0205学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/01(木) 21:22:54.43ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
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「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の人
0206学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/01(木) 23:50:18.97ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
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「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
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「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
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「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
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「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
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私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
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せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通の
0207学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/02(金) 18:54:28.37ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな普通
0208学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/02(金) 23:45:29.14ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
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0209学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/03(土) 08:45:52.56ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみんな
0210学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/03(土) 20:12:37.41ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみん
0211学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/03(土) 22:58:39.54ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくともみ
0212学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/04(日) 23:53:38.17ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくとも
0213学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/07(水) 23:49:42.89ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
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「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
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も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なくと
0214学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/08(木) 18:31:39.51ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少なく
0215学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/08(木) 18:35:06.12ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少な
0216学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/09(金) 23:33:59.80ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。少
0217学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/10(土) 01:53:35.18ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の。
0218学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/10(土) 09:06:37.35ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の
0219学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/10(土) 18:47:32.05ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影
0220学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/11(日) 10:54:25.23ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御
0221学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/12(月) 09:14:32.36ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い
0222学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/12(月) 17:58:44.97ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長
0223学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/13(火) 23:52:12.57ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
0224学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/14(水) 08:34:20.43ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
0225学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/14(水) 23:55:23.74ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だ
0226学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/15(木) 18:59:51.65ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
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「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
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「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
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私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石
0227学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/16(金) 23:32:30.11ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓
0228学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/17(土) 18:58:33.83ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い
0229学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/18(日) 10:27:32.97ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸
0230学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/19(月) 19:55:22.33ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が
0231学籍番号:774 氏名:_____
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2016/12/20(火) 00:09:14.49ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私
0232学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/21(水) 23:48:52.96ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。
0233学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/22(木) 17:06:54.92ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
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「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった
0234学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2016/12/22(木) 22:44:19.61ID:???
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。
「私は財産家と見えますか」。
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」。
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。
「そうですか」。
 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。
断ができないんです」。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」。
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」。
「じゃ分らないでもよござんす」。
先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかっ
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