マーティンと愉快な仲間たち2 [無断転載禁止]©2ch.net
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平均年齢は2年半、低脳ステマ業者(自称)のホルモン・マーティン君と戯れるスレです ■チームも62年から東京オリオンズに。
だが、映画産業の斜陽に伴い、69年からロッテが経営に協力して、チーム名もロッテとなった。
翌70年にロッテ初優勝、永田オーナーはグラウンドに乱入したファンに胴上げされて涙。
ただ、それは一時代の“終わりの始まり”だった。永田オーナーが大映の再建のために球団を
手放す苦渋の決断をしたのが、その翌71年。球場の赤字も当時の10億円を超える莫大なものだった。
ロッテは東京スタジアムの買い取りを求められたが、あまりの高値に断念。
72年いっぱいで“家を追い出される”形となって、東京スタジアムも閉鎖された。
そして73年。新たに金田正一監督が就任したロッテだったが、県営宮城球場を準フランチャイズ
としながら、川崎、後楽園、神宮と渡り歩くことに。パ・リーグでは前後期制も始まり、なにかと
新たな挑戦が多いシーズンだった。金田監督の連発した「やったるで!」は流行語にもなったが、
移動に次ぐ移動でロッテのナインは疲労困憊。それでも前後期ともに2位、シーズン通算3位と健闘した。
■流浪2年目の頂点
翌74年も本拠地は定まらないまま。だが、前期2位、後期は優勝という快進撃で、プレーオフでも
黄金時代の阪急に3連勝で4年ぶりリーグ優勝。その勢いのまま日本シリーズで中日を破って、
ロッテとしては初めての、球団としては創設1年目の50年に続く24年ぶりの日本一を決めた。
その後は優勝から遠ざかっていくが、なかなか本拠地が決まらない。事態が好転したのが77年だった。
老朽化して解体された横浜公園平和野球場の跡地に完成した横浜スタジアムへ“入居”を試みたが、
もともと横浜市が隣の川崎市にある川崎球場を本拠地としていた大洋を誘致していたこともあり、断念。
川崎市がロッテに有利な条件を提示したこともあり、大洋の移転で“空き家”となった川崎球場への
“入居”が成立した。 新たに川崎球場で迎えた78年シーズンは、流浪から解放されたこともあってか開幕から好発進。
だが、前期5位、後期は3位もシーズン通算4位と振るわず。80年代も序盤は2度の前期優勝もあったが、
その後は低迷を続ける。ロッテは91年いっぱいで川崎を去ることになるが、結局、川崎での優勝はなかった。
外出自粛の昨今、巣ごもり、つまり本拠地に定着していないほうが快調のようにも見えてしまいそうだが、
そういうわけでもないだろう。ただ、どんな逆境にも好機があることは間違いなさそうだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM 五輪&パラ開閉会式は合同で!森会長が経費削減案
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200428-24270517-nksports-spo
4/28(火) 8:30配信
<東京2020組織委員会・森喜朗会長直伝(4)>
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(82)が
日刊スポーツのインタビューに応じ、新型コロナウイルスの感染拡大で来夏に延期した
東京五輪の開閉会式を、パラリンピックと合同で開催する案も、演出家メンバーの中で
浮上していることを明かした。
追加経費を大きく削減でき、世界的危機を乗り越えた特別な意味を表現することが狙いで、
実現すれば史上初となる。ウイルスが来夏までに終息しなければ22年への再延期はないとし、
その場合は「中止になる」と断言した。今回の「会長直伝」(不定期掲載)は2日にわたって掲載する。
【取材・構成=三須一紀】
近代五輪124年の歴史で初となる延期が決定した「3・24」から1カ月が経過した。新型コロナの
感染拡大が続き、組織委職員の9割以上がテレワークを行う中、大会会場の再確保など延期で生じた
業務を進めなければならない苦しい状況。森会長に延期による今後の課題について聞いた。
−ほぼ構想ができあがっていた開閉会式の計画変更はあるか
森会長 これまでの計画は「平和時」につくった祝祭がストーリー。今度は人類が新型コロナとの
壮絶な闘いに勝って迎える劇的な五輪であり、根本的に考えなおす必要がある。
−具体的にはどう変更するのか
森会長 野村萬斎さん率いる7人の演出家チームのあるメンバーが、五輪とパラリンピックでそれぞれ
開閉会式を行う「4部作」ではなく「2部作」にする案を考えている。つまり、五輪の開幕時に
五輪・パラの総合開会式をやり、パラの閉幕時に、総合閉会式をやるという案だ。相当な経費削減
になるし、世界的危機を乗り越えた大きなメッセージにもなる。だが簡単なことではない。
まず国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)が賛成をするか。
既に販売した五輪閉会式・パラ開会式のチケットをどうするか。さらには放送権の問題と大変なハードルがある。
関係者全てが、2021年に延期をしたことが五輪史上初めてのことだという重大さに気付いてほしいものだ。 −他のアイデアは
森会長 ウイルスと大きな闘いをした後、これまで同様「大名行列」のようなことをやっていて良いのかという意見もある。
以前から長時間の入場行進が選手の負担になると問題視されてきた上、新型コロナが発生し密集、密接
を伴う大行進に再考の余地があるとの考えを示した。
−聖火リレーの変更は
森会長 ランナーが既に決まっているので基本的には変更する必要がない。
−大会後のマンションとして既に販売済みの物件もある選手村が大きな課題
森会長 (特定建築者の代表)三井不動産(レジデンシャル)は、困難ともいえる大変な問題だから
できるだけ協力すると、言ってくれている。一方でマンションに入居する予定の契約者もいらっしゃる。
私たちが直接係る問題ではない。
−追加経費が3000億円以上とも言われている
森会長 まだ全然分からない。初めから4000億円、5000億円と数字だけが独り歩きしたら、計画もそれに引っ張られてしまう。
まだ精査を慎重にやろうと先日、コーツ氏(IOC調整委員長)とのテレビ会議で合意している。
−追加経費について国庫負担は求めていくか
森会長 国は、これまで通り東京都が負担すべきだと言うと思う。都に潤沢な予算があると分かっているから。
新型コロナの休業補償でも都が国を先行した。ただ、安倍総理が延期でリーダーシップを発揮したので、
政府にもお願いはしたい。延期経費は既にある役割分担を踏まえつつ、今後しっかり関係者と協議だ。
−IOCも負担すべきではないか
森会長 我々もそう主張している。精査し、双方納得した上で決めるべきだ。
−マラソン会場の札幌移転のIOC負担金も、あいまいなままだ
森会長 IOCは負担すべきところは負担すると言っており、決まっている。 −来夏、新型コロナの終息が見込めなかった場合、22年への再延期はあるか
森会長 ない。その時は中止。過去にも戦争など、そういう問題が起きたら普通は中止になる。
今回は見えない敵と闘っている。それを何とか押さえ込み平和裏に来夏、五輪を開催しようと決めた。
これは人類の賭けだ。世界中がウイルスに勝利した後、五輪ができたら今までの五輪より何倍も価値のある大会となる。
そう思わないと苦労と努力が報われない。(つづく)
◆森喜朗(もり・よしろう)1937年(昭12)7月14日、石川県根上町(現能美市)生まれ。早大卒。
産経新聞社、議員秘書を経て69年衆院選で初当選。83年第2次中曽根内閣で文部相として初入閣した。
00〜01年に首相。衆院議員を14期務め、12年に国会議員から引退した。東京五輪招致委の評議会議長を務めた後、
14年1月、組織委会長に就任した。 都市部から地方私鉄に再就職 さまざまな譲渡車両たち
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200428-30000236-tetsucom-ind
4/28(火) 18:20配信
新型車両の導入によって置き換えられる車両たち。置き換える理由は、車体や機器の老朽化、設備の陳腐化、
車両規格の統一などさまざまですが、整備すればまだまだ使用できる車両も数多くあります。
そのような車両の中には、地方の私鉄に譲渡され、中古車両として第二の車両人生を始めるものがあります。
■中古車両のメリットとデメリット
中古の鉄道車両を導入する理由として大きなものは、車両価格です。
鉄道車両を新車で導入する場合、価格は1両あたり1億円前後となります。
一方、中古車両を導入する場合、価格は新車の半分近くまで下がります。
三重県と岐阜県を走る養老鉄道養老線の設備・車両を管理する養老線管理機構が、2018年に東急からの
中古車両15両を導入すると発表した際、事業費は6億1000万円と発表されました。これは車両の輸送や
改造も含む金額ですが、1両あたりでは約4000万円。新車の半分以下の価格です。
大規模投資が必要となる新型車両の投入は、経営状況が厳しい地方の鉄道事業者では困難。老朽化が進む車両の
置き換えとしては、新車よりも予算を減らすことができる中古車両は、地方鉄道の救世主とも言える存在です。
一方、中古の車両が購入できるかどうかは、そのタイミングに左右されます。クルマのように、常に中古車の在庫
を持つ取り扱い業者があるわけではないので、前使用者が車両を手放すタイミングでなければ購入できません。
かつて、静岡県の伊豆急行では、親会社の東京急行電鉄(当時)が保有する8000系を中古車両として導入し、
従来車両を置き換えることを想定していました。しかしながら、当時は8000系を廃車するタイミングではなかったため、
購入できる時期までのつなぎとして、JR東日本から113系・115系を導入。2000年から2008年まで200系として使用しました。
■18メートル?20メートル? 人気の秘訣は「長さ」
20メートル級車両が長編成を組んで走る都市部の路線と異なり、地方の私鉄路線では設備も一回り小さいことがあり、
車両も18メートル級までしか入線できない場合があります。 そのような路線で大きな車体の中古車両を導入すると、車体と電柱などの設備が接触してしまう危険性が。
また、わずかながら編成長が長くなるため、駅ホームや車庫の長さが足りなくなる恐れもあります。
もちろん設備を改良すれば対応は可能ですが、それでは投資額が膨らんでしまいます。
そのため、地方の私鉄が求める中古車両は、18メートル級の比較的小型な車両が人気が高くなっています。
東急電鉄は、運営するほとんどの路線が20メートル級対応ですが、池上線と東急多摩川線の2路線では、
18メートル級車両を運行しています。そのため、この2路線で活躍していた車両は、中古車両として大人気。
先の2線のほか、かつては東横線でも活躍していた1000系は、上田電鉄や福島交通など4社に譲渡。
先述の養老線管理機構へ譲渡された7700系は、車体は製造から約50年が経過していますが、腐食しないオールステンレス
車体であることに加え、床下機器は製造から約30年ということもあり、今後30年程度の活躍が見込まれています。
東急線で2000年まで活躍していた18メートル級の初代7000系は、秩父鉄道など5社へ譲渡されました。
このうち、弘南鉄道、北陸鉄道、水間鉄道へ譲渡された車両は、今でも現役で営業運転を続けています。
同じく2000年に営業運転を終了した7200系も、上田交通(当時)と豊橋鉄道、十和田観光電鉄へ譲渡。
現在は、豊橋鉄道、そして十和田観光電鉄からさらに譲受した大井川鐵道が、営業運転に使用しています。
京王井の頭線で2011年まで活躍した3000系は、同線最後の18メートル級車両。こちらは北陸鉄道、上毛電気鉄道、
岳南鉄道(当時)、松本電気鉄道(当時)、伊予鉄道へ譲渡され、現在も各社で活躍が続いています。
また、1996年に営業運転を終了し、京王線最後の18メートル級車両となった初代5000系も、譲渡車両として大人気でした。
伊予鉄道、富士急行、一畑鉄道(当時)、高松琴平電気鉄道、わたらせ渓谷鐵道へ譲渡され、現在は再譲渡先の
銚子電気鉄道、岳南電車を加えた計7社で使用されています。
近年では、東京メトロ日比谷線で活躍していた03系が人気。熊本電気鉄道が2019年に導入したほか、
長野電鉄でも3両編成2本を導入する予定。北陸鉄道でも、2両編成2本を導入する予定だと報道されています。 一方、JRや首都圏の私鉄が主流とする20メートル級車両は、かつては譲渡された例は多くありませんでした。
京王3000系と同時期に廃車が進められていた京王6000系は、20メートル級車両だったということもあってか、
車体の譲渡例は皆無。3000系の改造車である岳南鉄道8000形に運転台が使用されるという、部品単位での使用に
留まりました。2008年に引退した東急8000系も、7000系と同じオールステンレス製車体ながら、国内での譲渡例
は伊豆急行のみとなりました。
ただし、近年ではこの傾向に変化が見られます。2019年まで東急線で活躍していた、20メートル級の8090系・8590系は、
秩父鉄道と富山地方鉄道へ譲渡されています。同じく東急の20メートル級車両である8500系は、長野電鉄、秩父鉄道
などに譲渡例が。JRからも、京葉線などで活躍していた205系が富士急行に譲渡され、2012年に営業運転を開始しています。
これら20メートル級車両の譲受事業者は、20メートル級車両が直通してくる・していた路線で、駅や線路の設備には
問題がなかったため、導入が可能だったようです。
■改造された中古車両たち
譲渡された車両の多くは、譲渡先の路線の状況にあわせて改造されています。
路線の需要にあわせて、編成は2両編成などに組み換え。中間車に運転台を設置し、先頭車に改造することもあります。
譲渡元と譲渡先で線路の幅が異なる場合には、台車を交換します。床下機器を新品に交換することも。
制御装置をVVVFインバータ方式のものに交換し、省エネ性能を高める事業者もいくつか見られます。
このほか、無線設備や保安装置など、導入路線で必要となる装備を搭載していきます。
大胆な改造を伴った例もあります。富山地方鉄道の16010形の車体は、元は西武鉄道の5000系「レッドアロー」のものです。
しかし、西武鉄道は5000系を廃車する際、機器類は10000系「ニューレッドアロー」に流用する方針を立てていました。
そのため、富山地方鉄道では5000系の車体のみを譲受。制御装置や台車、モーターはJR九州の485系から、運転台の
マスコンやブレーキ弁は京急旧1000形から、といった形で、多数の廃車発生品を組み合わせた形となりました。 また、京王の初代5000系のうち、わたらせ渓谷鐵道へ譲渡された2両は、電車ではなく客車に改造。
側面を大きく切り開き、トロッコ用車両としました。
このわ99形は、現在もトロッコ列車「トロッコわたらせ渓谷号」に使用されています。 「使い捨て」ではなかった通勤電車、209系の系譜
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-30000235-tetsucom-ind
首都圏の通勤を支える通勤電車。特にJR東日本の通勤電車は、標準化された仕様で各線に投入され、
それぞれの輸送を担う主役です。最新型のE235系や、中央線などで活躍するE233系、常磐快速線のE231系
などなど。そして、これら通勤型車両の基礎となったのは、JR化後第1世代の車両として登場した、209系です。
■寿命半分、価格半分、重量半分
1987年の国鉄分割民営化により誕生したJR東日本。発足直後の課題の一つとして、首都圏で活躍する
通勤電車の置き換えがありました。
JR発足当時、首都圏の通勤電車で主力を担っていたのは、国鉄時代に設計された103系。中央線快速電車や
中央・総武緩行線では201系が導入されており、山手線でも205系への置き換えが進みつつありましたが、
京浜東北線や横浜線など、その他の路線では多くの103系が残存していました。
同社は、山手線や横浜線、埼京線などには205系を継続して投入しましたが、さらなる103系の置き換えには、
車両のコストダウンが求められていました。また、将来の少子高齢化も見据え、車両工場でメンテナンス
に携わる要員を減らすための技術革新も求められていたのです。
そこで同社は、「寿命半分、価格半分、重量半分」というコンセプトを掲げた車両の開発を発表しました。
これこそ、JR東日本が初めて開発した通勤型車両である901系、後の209系です。
寿命半分とは、従来の車両では数十年間の使用を前提としていたものを、法律で定められた減価償却期間
(企業会計において年数が経過するごとに資産の価値を減少させていく期間)である13年間を最低の使用期間
とし、車両の使用年数を約半分に見直したものです。
209系では、「13年/200万キロ非解体」を掲げ、製造後13年経過するか200万キロの走行を終えるまでは制御装置
などの重要機器を分解不要な設計とし、大幅なメンテナンスフリー化によるメンテナンスコスト削減を目指しました。
また、機器類や接客設備が陳腐化した場合でも、更新、あるいは廃車することで、陳腐化した技術の継続使用が避けられます。 もちろん製造段階で13年後の廃車が確定していたわけではありませんが、多くの車両が走る首都圏の通勤電車では、
この「寿命半分」が重要なコンセプトでした。
寿命半分を実現するには、メンテナンスなどのトータルコストはもちろん、車両価格自体も削減しなければいけません。
「価格半分」です。209系では、製造を担当した東急車輛製造(当時)と川崎重工業に対し、それぞれ両社が得意と
する車両製造工法の採用を認めることで、製造コストの削減を図りました。
東急車輛製造では、従来工法を進化させた軽量ステンレス車体を製造。川崎重工業では汎用ステンレス鋼のSUS304
を用い、従来は太く重い柱で担っていた車体強度を、プレス加工による成型板が担うことで重量削減を狙う
「2シート工法」で、軽量ステンレス車体を製造しました。
そして、省エネ化による動力費削減や、線路のメンテナンスコスト削減に寄与するのが、「重量削減」です。
209系では、軽量ステンレス車体の採用のほか、モーター搭載車の削減などにより、大幅な重量削減を達成。
京浜東北線用の10両編成では240.7トン(1次車)と、それまで同線で使用されていた103系の363.1トンよりも
34%もの重量を削減できました。
このほか、新技術も積極的に採用されています。モーターを動かす制御装置は、当時普及しつつあったVVVFインバータ方式に。
これは、過回転を許容する交流電動機との組み合わせによって定格出力を抑え、コストや重量を削減することにもつながっています。
また、運転台には機器を監視するモニタ装置を設置しました。これは651系などに続いて採用されたものですが、
209系では加速・ブレーキ指令の伝送機能も搭載し、運転台からの指令は各車両へデジタル伝送されるよう進化しています。
これはE231系以降の車両が搭載する「TIMS」や、E235系などが搭載する「INTEROS」にも繋がる技術となっています。
なお、209系のコンセプトのうち、「寿命半分」という点は、簡略化された内装も相まって「使い捨て電車」との勘違いを産み、
レンズ付きフィルム「写ルンです」をもじった「走ルンです」という愛称がメディアや鉄道ファンらにより付けられてしまいました。 先述した通り、209系は製造から13年が経過した時点で廃車しても元は取れるよう設計されていますが、後に京浜東北線
を撤退した際にも、約4割の車両は機器を更新し、他路線へと転属しているなど、使い捨て車両として扱われたことは
ありませんでした。もちろん、転属先の需要に応じて廃車された車両もありますが、これらは資源としてリサイクルされています。
余談ですが、写ルンですは現像時にプラスチックの本体を回収された後、整備されて再び流通するリサイクルシステム
が構築されており、こちらも使い捨てカメラではありません。
■新世代車両の躍進
209系量産車に先立って登場した901系では、新機軸の導入のため、さまざまな形態からなる3編成が製造されました。
制御装置はVVVFインバータ方式を採用していますが、各編成で異なる制御方式のものを搭載。1本目のA編成では
荷物棚の一部省略など、2本目のB編成ではワンハンドルマスコンの採用や吊革の非設置など、3本目のC編成では
広告用液晶画面の設置などが盛り込まれました。
吊革や荷物棚の省略は、利用者へのアンケートにより撤回されましたが、ワンハンドルマスコンは賛否があった
ものの本採用。広告用液晶画面も、後に登場するE231系などで採用されています。
901系は、1992年に京浜東北線で営業運転を開始。そして、901系の試験や営業後の評判を踏まえて登場した
209系量産車が、1993年にデビュー。同線で活躍していた103系を、1998年までに全て置き換えました。
901系は、1994年に量産車改造の上、A編成が209系900番台、B編成が910番台、C編成が920番台へ改番されています。
京浜東北線以外では、0番台が南武線に、3000番台が川越線と八高線に、地下鉄直通用の1000番台が常磐緩行線に
投入されました。また、東京臨海高速鉄道では、りんかい線用の車両として、209系をベースに設計した70-000形
を導入しました。この70-000形は、当初は4両編成で導入されましたが、後に6両編成、そして10両編成へと増強
されており、編成組み換え時に余剰となった6両がJR東日本へ譲渡。これらは中間車2両を増備の上、川越・八高線用
の209系3100番台として、209系に組み込まれています。 このほか、209系を基にした車両として、横須賀・総武快速線用のE217系と、常磐線用のE501系が登場しています。
前者は主に足回りが、後者は車体のデザインが209系と共通。その他の部分は異なるものの、後の形式における
標準化につながるグループを築きました。
JR東日本は、209系の発展形として、さらなる新型車両の開発に着手します。1998年に登場した209系950番台、
後のE231系900番台です。209系のコンセプトはそのままに、定員増加を目指した広幅車体や、IGBT素子を
採用した制御装置、モニタ装置をさらに進化させたTIMSなど、新世代の車両として開発されました。
次世代車両の開発を進める一方、老朽化した車両の置き換えは急務となっていました。当時の中央・総武緩行線
では、103系の老朽化が深刻となっており、故障が多発していたのです。そこでJR東日本は、E231系の広幅車体と、
209系の足回りを組み合わせた、209系500番台を製造。1998年に営業運転を開始しました。
編成単位の製造は、2000年に落成した500番台のC516編成をもって終了。2005年に製造された3100番台の中間車2両
を含め、合計1030両が製造されました。
■そして次の活躍の地へ
京浜東北線を主体に活躍していた209系ですが、製造当初に想定されていた「13年」が経過し、次第に老朽化・陳腐化
が目立つようになります。JR東日本は、209系量産車のデビューから約13年が経過した2006年9月、京浜東北線への
E233系投入を発表。翌2007年に置き換えが始まりました。
当初投入された京浜東北線を追われることとなった209系。しかし、開発時の想定にあったように、機器更新をする
ことで新たな路線で活躍することとなりました。転用先となったのは、内房線や外房線、総武本線など、千葉県のローカル線。
10両編成から6両編成と4両編成に組み替えられた京浜東北線の209系は、810両のうち324両が2000番台・2100番台として、
千葉へと活躍の地を移しました。他にも、南武線の車両置き換えや増発のため、6両編成3本が機器更新の上で中原電車区へと転属しています。
事業用車両に転用された編成もあります。クハ209-2以下の編成は、在来線用試験電車「MUE-Train」に改造されました。 車体傾斜装置や地上設備のモニタリング装置、E235系で採用される伝送システム「INTEROS」などの新技術を実証する
ために用いる車両で、現在も試験走行を繰り返しています。また、車籍の無い「機械」扱いではありますが、
2両編成4本の訓練車が改造により登場し、新秋津駅や久里浜駅などで乗務員の訓練などに使用されています。
一方、中央・総武緩行線に投入された500番台は、一部は流浪の経歴をたどることとなります。京浜東北線0番台の
改造工事や検査に備えるため、2000年から2003年にかけて計5本が京浜東北線用として転属しました。京浜東北線用
E233系の投入によってこれらは置き換えられましたが、うち4本は京葉線へ転属。さらに3本は8両編成化の上で
武蔵野線へと転属しました。
中央・総武緩行線に残存した編成も、山手線から転属したE231系500番台によって置き換えが開始され、2019年までにすべて撤退。
現在は10両編成1本が京葉線で、8両編成10本が武蔵野線で、そして、4両編成5本が川越・八高線用の3500番台として活躍しています。
1000番台は、2018年に常磐緩行線用から撤退。そのまま機器更新を受けることなく、中央快速線用として豊田車両センターへ転属しました。
E233系のグリーン車組み込み改造による予備車が必要になったための措置で、2019年に同線での営業運転を開始しています。
南武線で活躍した209系は、E233系の投入によって2017年までに置き換えられましたが、このうち6両編成1本は、自転車を
積載できる「BOSO BICYCLE BASE(B.B.BASE)」に改造されました。始発駅の両国駅などでは自転車を分解せずに車両へ
積載できるというもので、2018年以降、内房線、外房線、総武本線、成田線などで運行されています。 ■209系、まもなく終焉?
京浜東北線や房総各線で活躍してきた209系ですが、まもなく「13年」の倍となる落成26年を迎える編成が表れる時期となります。
機器のみならず車体の老朽化も進みつつある時期で、その将来が気になる頃合いです。
2000・2100番台と同じ房総エリアを走り、同時期に機器更新を受けたE217系は、2020年度以降にE235系へ置き換えられる計画が発表されています。
また、川越・八高線で活躍してきた3000番台は、機器更新を受けることなく、全編成が運用を離脱。中央快速線用として転属した
1000番台も、E233系へのグリーン車組み込みが順調に実施されれば、グリーン車の営業開始となる2023年度末までには引退することが考えられます。
現時点で2000・2100番台の置き換え計画は発表されていませんが、その活躍は長くはないのかもしれません。 【風間八宏コラム/自分に、期待しろ】「あなたは何が見えていますか?」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00072338-sdigestw-socc
4/27(月) 17:11配信
●“見る”は重要なファクター
サッカーダイジェストでは今年1月から風間八宏氏の連載コラムがスタート。その技術論や、サッカー
哲学などを余すことなく語ってもらっている。リーグ中断が続くなか、自身のSNSなどで自宅で試せる
トレーニング法やテクニック動画なども伝えている風間氏の、記念すべき第1回目のコラムを紹介しよう。
――◆――◆――
今回からサッカーダイジェストで連載コラムを始めさせてもらうことになりました。タイトルは教え子たちに
よく送っている言葉「自分に、期待しろ」。どの人にも無限の可能性があり、自分たちの意識次第で世界は大きく変わる。
そう信じ私なりのサッカーの見方、捉え方などを伝えられればと思っています。
さて初回のテーマは“見る”。メッセージは「あなたは何が見えていますか?」です。
“見る”という行為は、“言葉”“触る”というキーフレーズとともにサッカーを伝えるうえで重要なファクターです。
例えば味方にパスを出す時、皆さんはどこを意識しているでしょうか。
ひとつエピソードがあります。先日、名古屋でトレセンの選手20人と、指導者の方約90人が集まってサッカークリニック
を開催しました。テーマは「どうやってペナルティエリアに入るか」。そこで「止める・蹴る」の重要性を説明しましたが、
ゴール前で相手を外すためには、受け手の動きも大切ですが、パサーも相手を外す必要があります。
ではどうするべきなのか。パスの出し手と受け手、そしてDFひとりを置いた練習で、最初は上手くいかなかった選手に、
私がアドバイスしたのは「相手の膝の動きを見てみなさい」ということ。「相手の膝がどちらかに動いたら逆に出してみなさい」と。
パスの受け手も相手の膝と逆に動いてみる。すると相手の体重移動の逆を突き、動きを封じることができるわけです。
“止める・蹴る”を意識するのは重要です。ただ、その言葉に縛られすぎている気もします。
大切なのは、相手の動きをどう見て、“止める・蹴る”を実践するか。そこがベースになります。 その基本をしっかり押さえておかないと、先につながりません。一方でそこを理解できれば、驚きのあるプレーが
たくさん見られるようになるのではないでしょうか。ちなみに現役時代、私は相手のつま先の動きがはっきり見えたので、
そこを確認するようにしていました。そうすると、膝の動きを見るよりも難易度は高いですが、一瞬で次の判断ができる。
そういった自分に合ったやり方を見つけることも大切です。
また現役時代にこんな経験もありました。ジーコさんと対峙した時に、私が一歩足を出した瞬間にスッと、体重がかかった
足の目の前にパスを通された。後にも先にもこの1本だけでしたが、「なるほどな。この人はここがはっきり見えるんだな」
と彼に見えているものを感じることができた。そうした感覚は分かる人には分かって、指導者としてそれをどう伝えていくのか。
そこは考えさせられる部分です。
先ほどのように2対1という状況を抜き取って、膝を見ることを意識してみると、パスは通るようになるかもしれない。
でも実際の試合では、多くの選手がいるなかで、何をどう見るか、いつ見るか、目を揃えられるようにならないといけない。
その感覚をどう養うか。
●大事なのは自分の目で見て何を感じるか
また“見る”重要性はサッカーを観戦する人たちにとっても同様です。
最近はシステムや戦術論などがひとり歩きしている気もしますが、大事なのは自分の目で見て何を感じるか。
例えば、ある選手が一本のスルーパスを出したとする。そのプレーを「あれは凄かったね」で終わらせるのではなく、
「あのパスはどこを見ていつ判断して出したんだろう」と突き詰めて考えれば、世界は広がる。
もし3つ星レストランがあったとして、その店の料理は皆が美味しいと感じるでしょう。
でも1つ星のレストランにだって大きな可能性があるかもしれない。それを見つけることも、楽しいことだと思います。
繰り返しになりますが、重要なのは言葉に惑わされずに自分の目で見ること。
そうすれば、新しい楽しみ方がある。固まっている従来の世界観を捨て、新しい視野を持てば、成長にもつながる。
「あなたは何が見えていますか」。この言葉を意識してサッカーに接すれば、新しい発見が必ずあるはずです。 ■PROFILE
かざま・やひろ/1961年10月16日、静岡県生まれ。現役時代はドイツのレバークーゼンやレムシャイトなどでプレーし、
89年の帰国後にはマツダSC(現・広島)に加入。93年のJリーグ開幕戦(対市原/現・千葉)では、開始1分にチーム第1号
&日本人Jリーグ初ゴールを決めた。97年の引退後は解説者を務め、97年から04年まで桐蔭横浜大、08年から12年まで筑波大を指揮。
12年4月からは川崎、17年1月からは名古屋を率い、魅力的なパスサッカーで大きな話題を集めた。
構成●サッカーダイジェスト編集部
※『サッカーダイジェスト』2020年1月23日号より転載。 風間八宏が選ぶJ歴代ベスト11「伸二と嘉人は日本が生んだ天才」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200429-00072341-sdigestw-socc
4/29(水) 11:46配信
■マスロバルも魅力的な選手
4月23日発売のサッカーダイジェストでは、「Jリーグ歴代ベストイレブン」と題し、現役選手や
元日本代表など総勢50名に“マイベストイレブン”を選んでもらっている。人選の条件は現在までに
登録されたJリーガーで、外国籍選手は3人まで。ここでは、現役時代はドイツや広島などで活躍し、
指導者になってからは川崎で一時代を築き、昨季まで率いた名古屋でも魅力的なサッカーを示した
風間八宏氏の“マイベストイレブン”を紹介しよう。
――◆――◆――
まず外国人枠は、個人的には「助っ人+アジア枠」も考えてみて……。
その場合、右サイドハーフに入れたかったのがマスロバル(市原などで活躍)。
彼は良い意味で“嫌な選手”でした。派手さではピクシー(ストイコビッチ)やリティ(リトバルスキー)
のほうが上とはいえ、技術に加えて、間合いの取り方が独特で、意外性のあるプレーをしてくる。
対応が難しかったことをよく覚えていますね。
ただ今回の企画どおり外国人を3人に絞るとなると、ここに挙げた11人が“ベスト”ではないでしょうか。
編成のポイントは現実的に試合に臨み、お客さんをワクワクさせられるか。
今のサッカーは非常にスピードが上がり、特定の選手に依存して勝てるほど簡単なものではありません。
その背景を踏まえつつ、全員がボールを巧みにコントロールし、失わないことが重要です。
だからこそ最終ラインにもスピードがあって足もとの技術にも長けた選手を並べました。
中盤から前線で印象深いのは(小野)伸二と(大久保)嘉人ですね。
他の選手も相当にレベルは高いですが、彼らふたりは日本が生んだ天才だと思っています。
高校時代から特別なものを持っていました。
それに(香川)真司、(中村)俊輔、乾、(中村)憲剛らもボールを持てて、“相手を攻められる”。
そして正確に「止める・蹴る」を実践でき、ボールを奪えて、素早いパスワークでゴールも挙げられる。 究極を言えば、ボールを自分たちの下に置き続ければ、ゲームを支配できるわけですよ。
それが実現できるメンバーです。現役時代だったら自分も一緒にプレーしてみたいですし、
監督として指揮もしてみたいですね。想像しただけでワクワクしますよ。
■オシムさんとは思考が重なる部分があった
指揮官は最も印象に残っているオシムさんでしょう。
選手時代はテクニシャンとして鳴らしたこともあり、技術を第一に考える方で、私と思考が重なる部分がありました。
それに個性を伸ばす手腕にも長けていて、今回の11人を率いても非常に面白いサッカーを見せてくれるはずです。
ちなみに選んだ11人は、年代的には、Jリーグで現実に集めることが可能だった顔ぶれです。
ただ、海外移籍をした選手も多かった。そう考えるとタレントを国内に残す努力も今後、必要だと感じますね。
そして最後に日本サッカーの底力も信じていると伝えたいです。
大変な時期を迎えていますが、発想次第でなにかできることはあるはず。
今こそ皆で力を合わせ乗り越えていきましょう!!
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
※『サッカーダイジェスト』2020年5月14・28合併号より転載。 C大阪 新本拠「桜スタジアム」目指す“日本一の親近感”来年3月完成へ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-00000070-spnannex-socc
4/29(水) 5:30配信
新型コロナウイルスの感染拡大でサッカーチームが軒並み活動休止となっている中、
昨年から始まったC大阪の新たな本拠地「桜スタジアム」の改修工事は今日も進んでいる。
担当者によると、来年3月の完成予定に向け、現在の進ちょく状況は45%。「日本一の親近感」
を基本コンセプトのひとつに掲げるスタジアムの現状と今後を、写真とともに伝える。
かつてのキンチョウスタジアムでは、今なお、新たな姿へと生まれ変わるための改修工事が
続けられている。新型コロナウイルスの影響でリーグ戦やチームの活動が止まっている中でも
「桜スタジアム」と銘打たれたC大阪の新本拠地は、来年3月の完成に向けて今日も作業が進められていた。
クラブの担当者は「屋根も付き始め、工事の進ちょく状況は現在で45%です」と説明する。
完成までの部品等は全てそろえられており、自主的な中断や休止要請などがなければ、
新型コロナウイルスの対策を実施しながら、工事は日々、進んでいくという。
完成後、来年6月から使用開始予定で、ACLにも対応した収容人数2万5000人の球技専用スタジアム。
その新たな本拠地の基本コンセプトのひとつにC大阪は「日本一の親近感を!」と掲げている。
その「親近感」を味わえるのが、メインスタンドの観客席からピッチまで5・7メートルという距離の近さだ。
G大阪の本拠地パナスタで最も近いところが7メートル、神戸が本拠地とするノエスタが6メートル、
J2京都の新たな本拠地サンガSが7・5メートル。関西のJクラブで最も接近しており、臨場感を
味わえる仕様となっている。一方では、特別感を味わえるラウンジなども設置される。
「地域のための都市型スタジアム」というコンセプトもあり、防災拠点としての機能だけでなく、
試合日以外にも地域の人々が活用できる場所を作ろうとしている。レストランやコーヒーショップ
といった飲食店を設置する構想があり、スタジアム内の部屋などは会議室として貸し出す予定。
また、学習塾の教室、子育て支援施設として利用を募る案もある。 クラブのイベントで桜スタジアムについて問われたFW柿谷は「楽しみ」と改修後を待ちわびた。
募金で改修する「桜スタジアム」は、その目標額が66億円。
4月1日現在、集まった額は約34億6000万円となっている。
法人、個人に対して継続して寄附をお願いしつつ、完成の時を目指していく。
○…かつてのキンチョウスタジアムから抜本的に変わるのが、旧バックスタンドとホームゴール裏席。
旧バックスタンドは改修後にメインスタジアムとして使用することになり、かつてのメインスタンドがバックスタンドとなる。
座席数が大幅に増設されるホームゴール裏席とともに屋根が付く。
コンセプトのひとつに「クラブの成長に応じた段階的改修」と掲げており、今後も継続的なバージョンアップを目指す予定。
球技専用スタジアムのため、完成後はラグビーやアメフットなどの試合も誘致する。 Jリーグ公式戦、1クラブ最大40試合に 8月再開なら中2日超強行日程も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-00000073-spnannex-socc
4/29(水) 5:30配信
Jリーグの今季公式戦開催は越年せず、まずはリーグ戦とルヴァン杯を合わせ
1クラブ最大「40試合」とする方針で調整を進めていることが28日、分かった。
新型コロナウイルス禍で公式戦中断中のJリーグはこの日、各クラブの運営、
強化担当らとウェブ会議を実施し、今後の日程変更などが話し合われた。
複数の関係者によれば、ルヴァン杯は全6試合に簡略化される見通し。
4クラブ総当たりの1次リーグは3試合(既に1試合消化)に。
決勝トーナメントは準々決勝からで準決勝、決勝まで全てが1回戦制となる。
現在、リーグ戦(1試合消化済み)の再開は最短で6月13日を目指すが、
関係者によれば準備期間は練習再開後「4週間」となる見込み。
当初、クラブ側から6週間を要望する声もあったが、一方では少しでも
早い再開を望む声も強く4週間で調整された。
深刻なコロナ禍の現状を考慮し、Jリーグは既に6月の他にも7、8月の再開案も想定している。
もっとも現実的とされる7月案でも試合数はさらに削減の可能性がある。
8月案となれば、中2日での試合開催が連続する超強行日程をのみ込んででも
試合消化を優先する方向。シーズン終了の「越年」は反対多数だったという。 【もう君はいない】半年前「コロナ禍」を知らずに逝った妻。笑顔と愛が消えた家で一人戦う日々
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200418-00010002-seraijp-life
4/18(土) 11:05配信
取材・文/沢木文
結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。
本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、
妻と突然の別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。
* * *
■健康的な制服姿に一目ぼれした
お話を伺ったのは、皆川憲明さん(仮名・66歳・会社員)。
2歳年下の妻がクモ膜下出血で64歳の生涯を閉じたのは半年前のこと。
「私は本当に妻のことを愛していたんです。
2人の息子たちにも、『お父さんはホントにお母さんが好きなんだね』と呆れられるくらい。
彼女が風呂場で倒れた日のことはよく覚えていて、あの時から自分の半身も死んだような気持ち。
母親からも『時間が薬になるから』と言われるけれど、悲しみなんて時間の経過とともに増幅していくだけ」
妻と出会ったのは、最初に勤めた地元の信用金庫の外回り先だった。
「地元の北関東にある国立大学を出て、地元の信金に採用された。当時、自転車に乗って
得意先を回って、地域の人から『シンキンさん』なんて呼ばれ、御用聞きみたいなことをしていた。
ある印刷会社の事務にいたのが、妻だった。
色が白くて、ふっくらとしていて、笑顔がかわいくて……
健康的な制服姿に一目ぼれしてからデートに行けるまで2年かかったよ」
憲明さんは整った顔の美男子だ。昭和時代なら“ソース顔”と言われていただろう。
背が高くて筋肉質で清潔感がある。
ややカールした癖ッ毛のニュアンスもよく、ミケランジェロのダビデ像に似ている。
「モテたとは思う。でも私は自分から積極的に言い寄ってくる女性が嫌いだった。
何かを奪われそうだし、不潔な感じがする。
私の世代はオクテが多いから、私のような人は多いんじゃないかな」 ■姿を見かけるだけで幸せだった日々。4年間、一筋に思い続け、結婚したきっかけは
妻は全く違った。男性を明らかに回避していた。当時22歳の憲明さんが1〜2週間に1回、
彼女が勤務する印刷会社に行っても、なるべく接点を持たないようにしていた。
「地元の会社のお姉さんからデートに誘われていたから、彼女の反応が心に残った。
聞けば、3姉妹の一番下で、お父さんを早くに亡くしていたこともあったんだよね。
地元の商業高校を卒業後、その印刷会社で経理や事務を担当していた。
男性恐怖症になったのは、新卒のときに職人さんなど男性にからかわれて、とても嫌な思いをしたから。
私に対しても『チャラチャラしている若い男』くらいに思っていたんだそう」
憲明さんが一日千秋の思いで、印刷会社にルート営業に行き、彼女の姿を横目でチラッと見る。
それだけで幸福だったという。オクテ同士の恋愛は、どのように進展したのだろうか。
「社長の奥さんが、『シンキンさん、あなたステディな人、いるの? いないんだったら、
ほら、あの子どう?』と耳打ちしてくれた。『2人で行ってきなさいよ』とスケートリンクの
チケットをもらって、行ったのが初デート」
手を握るどころか、会話もできない2人。スケートは、憲明さんはからっきしダメだが、妻は上手だった。
「ふだんもじもじしているのに、生き生きとキレイに滑るんだよ。彼女のふっくらした手と、
赤い頬が今でも思い出せる。私が転びそうになると、抱きかかえてくれて、手をとって滑り方を
教えてくれた。あれは夢のような時間だったと思う」
中華料理店でラーメンを食べ、ビールを飲み、その日は17時に解散。
「いつまでも、一緒にいたいし、抱きしめたいけれど、きっと彼女はそれを嫌がる。
それからキスをするまで2年かかった。26歳のときに、私に縁談話が持ち上がり、
彼女のことを諦めようと思ったら、彼女が私の手を取って、引き留めてくれた」
今まで、押しとどめていただけに、それからの進展はダムが決壊したかのように怒涛だった。 「4年間も我慢していたからね。彼女以外考えられなかったから、そういうお店にも行かず、
ひたすら彼女のことを想像していた。その体が目の前にあるというのは、衝撃ともいえることだった。
私は大学時代に年上の恋人がいたこともあった。
初めての彼女と、関係を作っていくのは、大変だったけど愛しさが募っていった」
その後、すぐに結婚し、夢のように楽しい30年間の結婚生活が始まった。
最愛の妻を幸せにするために、夜逃げ同然で上京する……【後編に続きます】
幸せな結婚生活の終わりは突然に。冷え込んだ日の朝、風呂場で倒れた妻との別れ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200429-00010001-seraijp-life
4/29(水) 9:06配信
取材・文/沢木文
結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。
本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、
妻と突然の別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。
* * *
お話を伺ったのは、皆川憲明さん(仮名・66歳・会社員)。
2歳年下の妻がクモ膜下出血で64歳の生涯を閉じたのは半年前のこと。
【前編は関連記事から】
■妻と妻の母親を引き離すために上京・転職
憲明さんは現在、東京都心のマンションに住んでおり、勤務している企業も都内にある。
憲明さんは安定志向だ。地元の国立大学卒業後、信金に勤務したのに、なぜそこにいなかったのだろうか。
「妻と26歳のときに結婚してわかったのは、彼女の母親と姉2人が厄介な性格だということ。
妻は結婚してからも仕事を続けていたんだけれど、その給料が奪われていることがわかった。
妻が頑なに男性との交際を拒んでいたのは、男性恐怖症だけでなく、彼女の肉親の問題が大きかったから」
妻は頑なに結婚式を拒んだことで、それがわかった。
「地方の信用金庫に勤務していたので、お金の怖さは知っていた。中でも一番厄介なのは、寄生する親族。
お互いに依存関係になって、共倒れになる。それで、夜逃げ同然で東京に出てきたんです」 誰も知人がいない東京で、2人きりの生活がスタート。
「24歳と26歳だから、毎日が楽しかった。すぐに仕事も決まり、彼女も働き始めた。
29歳のときに息子が生まれ、32歳のときにマンションを買い、33歳で次男が生まれた」
妻は子供を産んでも、仕事を続けていた。
「働く妻が好きだった。だって最初にホレたのは、一生懸命帳簿を見る横顔だからね」
33歳で生まれた次男が熱を出した時は、憲明さんがつきっきりで看病した。
「妻は仕事をどうしても休めなかった。だから私が『息子が熱なので休みます』と連絡したら、
上司に『オマエはクビだ!』って言われたのもいい思い出」
妻はそんな憲明さんに対して「私のせいで申し訳ない」と言い続けていた。
「俺は『ママ、愛しているよ。幸せだよ』と毎日のように言っていた。
夫婦ゲンカはしたことないよ。生活していればいざこざは起こるけれど、話し合って解決した」
■40歳ごろから妻は太り始めた悲しい理由
もともとぽっちゃりしていた妻が太ってきたのは40歳を過ぎたあたりから。
「かなりふっくらして、血圧も上がった。
生活習慣病の兆候があると言われ、気を使っていたけれど、どうしても食べちゃうよね。
一緒にダイエットをすると、痩せるのは私だけ。妻は病院を嫌って、そのままにしていた」
自分のことは二の次、三の次にして、憲明さんと息子たちの面倒を見ていたという。
「息子が生まれたあたりから、添加物や農薬が少ない食材をわざわざ取り寄せて、食べさせてくれた。
ガンのリスクを低くするための勉強会にも参加して、牛乳や卵も“いいもの”を選んでいた。
私の帰りは遅くなることが多くなり、妻と子供たちで食事をしていた。どうも妻は家族には
いい食材を食べさせていたのに、自分はインスタント食品などで適当に済ませていたようなんだ」
妻はずっと母親から搾取されており、「家族にはいいモノを」という習い性になっていたのではないか。
「おそらくそう。だから、安い食べ物を何十年も食べ続けていた。東日本大震災の時も、
私や子供たちへの放射能の影響を過度に心配し、九州から水を取り寄せていた。
それなのに自分は水道水を飲んでいた。自己犠牲が習性ってホントに悲しい」 気持ちが安定している妻が、最もパニックになったのが、震災の時だったという。
「様々なデマに気持ちが揺さぶられ、メンタルがやられていることがわかった。
妻は苦労人だけあって、辛抱強い。でも目に見えない敵にはとても弱い。
震災から元の妻に戻るまで3年くらいかかった」
それから、体調が不安定になり、57歳で早期退職をした。
高血圧やホルモンバランスの乱れがあり、漢方薬やハーブを飲みながら、自己流でケアしていたという。
「頭が痛いということも増え、病院に行くことをすすめても『いいのよ』って。
『もし入院って言われたら、私、泣いちゃう。パパと別れて夜過ごすなんてイヤよ』と言うんです。
いじらしくて、かわいくて、思わず『ママ、愛してる』なんて抱きしめちゃったりしてね」
それは、亡くなる1か月くらい前のやり取りだ。
「11月、冷え込んだ日の朝、風呂場で倒れて、それっきり。
たまたま私が家にいたので、救急車を呼んだのだけれど、明らかに心臓が動いていなかった。
救命する間もないくらい、あっけない最期だった」
葬式には500人以上の参列者があり、葬式会社の人も驚いていた。
「妻の友人が口々に『初めて自慢の旦那様にお会いできたわ。こんな席じゃないところで会いたかった』
なんて言いながら嗚咽している。恥ずかしいけれど私も泣いてしまった。葬式が終わったら、
体重が2キロも減っていた。あれは涙の量だと思う。それから、何をしても楽しくないし、涙がこみあげてくる。
今も仕事以外はずっと家で泣いている。まだ妻が使っていたものに手を付けられない」
ずっと沈んでいたが、ここ最近のコロナ禍で、考え方が変わってきたという。
「妻の性格を考えると、今回のコロナ禍は、彼女にとってとても苦しかったと思う。
自分自身もハイリスク要素を抱えているから、ひたすら怯え、長期間を過ごさなくてはならなかったはず。
見えない敵との長期戦を考えると、彼女はこれを知らず天国に行ってしまい、よかったと思うようになりました。
ただ、私自身は孤独ですよ。でも、いつか死ぬときに、彼女の前に立って胸を張れるように、
この孤独な戦いに耐えていこうと思っています」
サライ.jp なぜか湧き上がる「橋下徹総理待望論」。そこで彼の過去発言を振り返ってみた
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200429-00217853-hbolz-soci
4/29(水)8:32配信
■確かに安倍政権は最悪だが……
先日、ネットで「これが対コロナ最強布陣『橋下総理、小池長官、吉村厚生相』」という記事を見かけた(「PRESIDENTOnline」)。
新型コロナウイルスに対する安倍政権の動きを批判。「今、求められる内閣の『最強布陣』を探った」とのこと。
たしかに安倍政権は最悪だった。われわれは日本が崩壊していく過程をリアルタイムで目撃してきた。
不道徳な政権を7年以上も放置すれば、当然こういうことになる。自称保守やネトウヨ、
安倍信者の一部は見切りをつけて、泥船から逃げ出し始めたが、これで一件落着ということにはならない。
社会の空気が腐っている限り、同じようなものが持ち上げられるだけだ。
災害が発生し、社会が混乱すると、それに乗じて悪事を働こうとする人物が出てくる。歴史を振り返ればそれが常だ。
この記事も怪しい。執筆者は「麹町文子」となっているが、実在の人物なのか?
プロフィールには「政経ジャーナリスト。1987年岩手県生まれ。早稲田大学卒業後、週刊誌記者を経て
フリーランスとして独立。婚活中」とあるが、橋下徹の持ち上げ方が普通ではない。
記事には次のような文言が並ぶ。
「首相は橋下徹、一択だ!」
「歯に衣着せぬ発言は物議を醸し、時に横暴との批判もつきまとうが、批判を恐れずに核心を突いていく
「突破力』は有事のリーダーには欠かせない能力といえる」
その他、官房長官に小池百合子、厚生労働相に吉村洋文、さらには内閣官房参与として、百田尚樹や高須克弥の名前を挙げていた。
どこまで本気なのかよくわからないが、橋下が書いた記事を大量に載せている「PRESIDENTOnline」なので、
政界復帰のタイミングをはかるためのアドバルーンの可能性もある。
私には「最強布陣」というより、現時点で考えられる「最悪の布陣」にしか見えないが、それでも世の中には「橋下総理」を望む声もある。
そこで、橋下の政界復帰の是非を考える上で、参考になる資料を提示することにした。 議論は事実をもとに積み上げなければならない。維新の会支持者の方も、まずは事実を知るべきだ。
以下、橋下の過去の発言を、項目別に分類した。
■橋下の日本に対する発言
「日本国民と握手できるか分からない」(※2013年5月18日ZAKZAKInternetArchive)
「日本をグレート・リセットする」(2012年1月3日※本人Twitterなど)
「国は暴力団以上にえげつない」(2008年11月28日※朝日新聞)
「日本の人口は6000万人ぐらいでいい」(2009年の講演で)
「能や狂言が好きな人は変質者」(2002年5月15日TBS「サンデージャポン」)
「(近松門左衛門原作の『曽根崎心中』を鑑賞して)演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」
「演出を現代風にアレンジしろ」「人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」
(2012年7月26日、27日※2012年7月28日msn産経の魚拓)
「自称インテリや役所は文楽やクラシックだけを最上のものとする。これは価値観の違いだけ。ストリップも芸術ですよ」
(2012年8月12日 ※本人Twitter)
「(大阪について)こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい」
(2009年10月29日 ※讀賣新聞のInternetArchive)
「小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」
(2010年10月28日※朝日新聞)
■橋下の政治観
「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」(2011年6月29日 ※しんぶん赤旗)
「僕が直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」(2009年1月 ※毎日新聞2010年1月29日夕刊「検証就任2年 踊る橋下語」より)
「(選挙は)ある種の白紙委任だ」(「朝日新聞」2012年2月12日※InternetArchive)
「なんで『国民のために、お国のために』なんてケツの穴が痒くなるようなことばかりいうんだ?」(『まっとう勝負!』小学館)
「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ」(『まっとう勝負!』小学館)
「自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のために奉仕しなければいけないわけよ」(『まっとう勝負!』小学館)
「私は政治家には向いていませんよ。早く弁護士に戻って私利私欲の生活に戻りたい」(2014年11月29日 日本経済新聞) 「そもそも竹島問題も、李承晩ラインを引かれ、その後韓国が竹島に建造物を設置し、着実に実効支配を積み重ねたときに
それを阻止できなかったのも自民党」(2012年11月24日 本人Twitter)
なお、李承晩ラインが引かれた1952年に自民党は存在していない。
「竹島は(韓国と)共同管理すべき」(2012年9月26日 朝日新聞)
「嘘つきは政治家と弁護士のはじまりなのっ!」(『まっとう勝負!』小学館)
「いまの日本の自衛力、軍事力は非常におそまつだ」「米国に強力な外圧をかけてもらいたい」
(「日経新聞」2017年3月28日 日本経済新聞)
「国籍関係ないでしょ」「有権者の意思で、有能な外国人を選んでもいいじゃないか」「政治家は、最後は有権者が
『選ぶ』か『落とす』か決められるから、もう極端なことを言えば外国籍でもいい」(「橋下×羽鳥の番組」2016年9月19日)
■橋下の女性観
「僕は育児に家事、何もしないですよ。子供は単に玩具感覚の可愛さです。(中略)何もしない。完全にキム・ジョンイル体制。
将軍様ですもん。(中略)僕は子供をつくるまでが好きなのかなあ」(「女性自身」2006年10月17日)
「浮気者を責める前に、「自分は性的魅力に欠けているんじゃないか」と考えてみる必要もあるね」(『まっとう勝負!』小学館)
「(沖縄の米軍司令官に対して)もっと風俗業を活用してほしい」「性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は、
日本にある」(2013年5月13日 産経新聞InernetArchive)
この発言についてアメリカが激怒すると、「(風俗には)ダンスやパチンコまで含まれる。売買春ではない」
(2013年5月17日 サンスポInternetArchive)と誤魔化し火に油を注いだ。
「(銃弾が飛び交う中)命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら
慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる」(2013年5月13日 WAM)
この発言が問題になると、「僕は慰安婦が必要とは言っていない」と嘘をついた。
女房の妊娠中にコスプレ不倫を繰り返し、それがばれると「娘に制服を着ろと言えなくなった」
(2012年7月19日msn産経westInternetArchive)と発言。 ■人間関係について
「僕が考える友だちの本質とは――
・メリットなし
・面倒ばかり
・いっしょにいてもなにか与えてくれるわけではない
つまり、損をすることはあっても、得られるメリットは特にない」
「だから、グループの動きに足並みを揃えて、誰かをいじめてしまう『世渡り』を僕は『絶対に悪だ』『いますぐにやめるべきだ』とは思いません」
「ほかの子に無視されたくない。いじめられたくない。そのような気持ちから、やむを得ず、いじめに荷担してしまった
のであれば、しかたのないところではあります」
「強いグループに組み込まれるというのは、具体的には周囲の力関係を見ながら、ジャイアンのような強い子についていく
という方法です。もっとわかりやすく言うと、スネ夫のような生き方といえばいいでしょうか」(以上、(『どうして君は友だちがいないのか』)
「だから、自分の位置や他人との関係やヒエラルキーを守るために、いじめてしまうのはある程度、しかたがない」(『どうして君は友だちがいないのか』河出書房新社)
「小泉元首相がやったことと比べれば、僕のやったことなんて鼻くそみたい」(2008年9月26日 朝日新聞InternetArchive)
■橋下の交渉術
「交渉において非常に重要なのが、こちらが一度はオーケーした内容をノーへとひっくり返していく過程ではないだろうか。
まさに、詭弁を弄してでも黒いものを白いと言わせる技術である」
「交渉では“脅し”という要素も非常に重要なものだ」
「私は、交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。自身のミスから窮地に陥ってしまった状況では特にそうだ」
「正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」
「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚させる!」
(以上、『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』日本文芸社)
「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込むことだ」
(『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』日本文芸社) ■教育について
「国が事前に危険な奴を隔離できないなら、親が責任を持って危険なわが子を社会から隔離すればいいんだ。
他人様の子供の命を奪うほどの危険性がある奴に対しては、そいつの親が責任を持って、事前に世の中から抹殺せよ」
「苦渋の決断でわが子を殺した親に対しては、世の中は拍手を送ってもいいだろ。国に代わって、世の中に代わって、
異常・危険分子を排除したんだからね」(以上、『まっとう勝負!』小学館)
橋下は子供の挨拶の仕方が悪ければ蹴りを入れるという。子供をバットで殴ったり、長時間にわたり投げ飛ばしたこともある。
「口で言って聞かなければ手を出さなきゃしようがないですよ」(2008年10月の府民討論会朝日新聞 InternetAtchive)
■大阪都構想について
「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」(2011年6月29日読売新聞InternetArchive)
「(大都市局の職員らに対して)数字は何とでもなる。見せ方(次第)だ。もっと何か乗せられないか」
「もっとしっかり効果額を積み上げてほしい」(『読売新聞』2013年8月10日)
当初、維新の会は「最低でも年間に4000億円」の財源を生みだすとしていたが、粉飾が発覚。
そのうち、「財政効果はあまり意味がない」と言い出し、最後には「財政効果は無限」と言い出した。
そして、「今回が大阪の問題を解決する最後のチャンスです。二度目の住民投票の予定はありません」
(大阪維新の会の公式HPInternetArchive)と言いながら、否決後3ヶ月もしないうちに、再び「都構想」をやると言い出した。
■人間性
「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」(『まっとう勝負!』小学館)
橋下は破れた革ジャンを仕入れて高値で売り、友人が批判すると「気付かずに買うのはお人よしや」と答えたという。
また、「広がる橋下ネットワーク」という自己紹介パンフレットには、実在しない公認会計士や税理士らの名前が
ずらりと並べられていた。橋下同期の弁護士たちが「こんなもの配ったら懲戒請求されるぞ」と警告すると、橋下は
「だって、本名書いたらバレますやん」と答えたという。(『毎日新聞』2012年4月15日) 一部ではあるが、橋下徹という人物を知る上で参考になりそうな発言をピックアップしてみた。
橋下は繰り返し政界復帰を否定しているが、2007年には大阪府知事選への出馬の準備を進めながら
「(立候補は)2万パーセントあり得ない」と言っていた人物だ。
引き続き、社会全体で監視していく必要がある。
※文中敬称略
<文/適菜収>
ハーバー・ビジネス・オンライン 長澤まさみ 品薄スーパーでパスタあっても買わなかった理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200429-00000010-pseven-ent
4/29(水) 16:05配信
東京都から外出自粛要請が出された直後の3月下旬の都内のスーパーマーケットには、自宅での自粛生活に
備えて食料を買い込もうとする消費者が数多く訪れていた。その中に、女優・長澤まさみ(32才)の姿もあった。
マスクをして顔の下半分は見えなくても、170センチの長身でロングコート姿の彼女は、一般人とは違ったオーラを醸し出していた。
午後7時過ぎということもあり、店の中は品薄状態。そんな中、長澤は、仕事の関係者と思しき女性とともに、
食材を買い物カゴに入れていた。運よく残っていた5キロのコシヒカリも片手で抱えて、レジの列に並んだ。
ただ、そんなプチ食品難の中でも、棚に残っていたパスタなど小麦粉系の食品には見向きもしなかった。
そう、抜群のスタイルを維持し続ける長澤は、もう約10年間もセミ・グルテンフリー生活を続けているのである。
最近、ある女性ファッション誌のインタビューでは、美容のための食生活を尋ねられると、「パンはほぼ食べないかな。
グルテンフリー生活をしているわけじゃないんですが、グルテンを取らない方が、調子が良いんです」と明かしていた。
長澤が心がけるグルテンフリーとは、小麦、大麦、ライムギなどに含まれるグルテンを摂取しないもの。
炭水化物ダイエットよりは制限がゆるく、米はOKで、パン、うどん、パスタ、ラーメンなどを控える食生活スタイルだ。
男子プロテニスのノバク・ジョコビッチ(32才=セルビア)や、モデルのローラ(30才)らも実践していることで有名な健康法だ。
長澤は、「(10年前に)始めたころは結構ストイックにやっていたんですけれど、今は主食だけグルテンフリーにしたり、
1日1食はパンか麺類もOKなど、ゆるいルールにしています」と明かしている。
ダイエットなどはストイックになり過ぎることが長続きしない要因ともいわれる。長澤のように上手にスタイル維持をしていきたい。 五輪中止回避へ先手打ち延期提案、森会長語る舞台裏
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200429-24280311-nksports-spo
4/29(水) 8:30配信
<東京2020組織委員会・森喜朗会長直伝(5)>
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(82)が日刊スポーツの
「会長直伝」(不定期連載)で、五輪史上初の延期が決定した舞台裏を語った。
日本での新型コロナウイルス感染者が増え始めた2月上旬、森会長は組織委の幹部に延期した場合の
シミュレーションをするよう内々に指示していた。中止を回避するため聖火を日本に持ち帰り、
先手を打って日本側から国際オリンピック委員会(IOC)へ延期を提案したことも明かした。【取材・構成=三須一紀】
中国・武漢で新型コロナが感染拡大し、クルーズ船など日本でもその影響が大きくなり始めた2月、
森会長の頭に延期の可能性がちらついた。首相時代に取り組んだ沖縄サミットの感染症対策などの
経験から、新型コロナが「年内には収まらない」と予測した。
森会長 組織委の一部幹部に、大会を半年または1年ずらしたらどうなるかなど、今から考えた方が良いと話していた。
−そんな中、森会長をはじめとした各団体の長は表向き「通常開催を目指す」と言い続けた。理由は
森会長 日本側がその姿勢を崩したら、IOCバッハ会長は喜んで「中止」を選択しただろう。
−3月22日、森会長とバッハ会長の電話会談で延期の方向性が決まった。なぜこのタイミングだったのか
森会長 IOCはこれまでの我々の努力を認めてくれている。だからバッハ会長は中止を避けたい日本の立場
を考えてくれた。その間、IOC理事や各国オリンピック委員会がいろいろなことを言い出した。それでも
バッハ会長は日本のために耐えていたと思う。だから、どこかでバッハ会長に応え、日本も延期を打ち出す
必要があった。国連や他国、他団体から「中止すべきだ」と言われたら、目も当てられない。その前に、
バッハ会長と協調している間に、延期論を出さなければならなかった。 −日本側として中止はあり得なかった
森会長 もちろん。選手たちもガッカリするし、経済もガタガタになる。
−そこからわずか2日後に史上初の延期が決まった
森会長 バッハ会長と急いで会談したいと、安倍首相の意向だった。私の勘で言えばトランプ米大統領、
G7首脳の順で延期の応援を取り付けたことで、24日になったのだと思う。
−安倍首相に対し、2年延期の選択肢も提示した
森会長 感染症がどうなるか分からない。2年の方が安全だと誰もが考える。だから一応、提示したが首相は
「1年にしましょう」と言い、決まった。でも、現実的には選手のこと、大会運営上の問題を考えても
2年延期はありえなかった。22年は北京冬季五輪があるし、その2年後にはパリ五輪がある。2年後なら中止になる。
−来年9月に迎える安倍首相の自民党総裁任期と1年延期の関係は
森会長 関係ない。
−ギリシャでの採火式、引き継ぎ式が縮小される中でも、なんとか聖火を日本に持ってきた
森会長 延期を決める上で、聖火が(20日に)日本に来ていたことは極めて良いタイミングだった。
−聖火が日本に来ていなかったら大会の中止もありえたか
森会長 そうかもしれない。
−延期した東京五輪はどのような大会になるか
森会長 延期前は健常者と障がい者の壁を取り払う「共生」をテーマにしていた。延期後は、人類の危機を
乗り越える戦いとなるため、共生に加えたテーマが必要。皆さんの知恵をお借りして今後、打ち出していきたい。 豊洲で左曲がりに終わる ゆりかもめ 軌道、その先に続く計画ルートは
https://article.yahoo.co.jp/detail/1a3e05f3db553f326d32a0f1e68216ef6adc77ea
4/29(水) 20:45配信
東京2020オリンピック・パラリンピックの競技場が集結する湾岸エリア。
ゆりかもめ の終点 豊洲駅とその周辺は、タワーマンションが次々に立ち並ぶ大人気エリア。
そんな ゆりかもめ の豊洲駅は、軌道の末端部分が左曲がりで終わってる。この続きはどこへ行くのか、どんな計画ルートがあるのか。
そのヒントが↓↓↓の地図。東京都が1990年代に公開した資料で、ピックの点線がゆりかもめ。公表当時は、ゆりかもめは有明まで開業していた。
豊洲はピンク点線の太い点線が細い点線に変わる付近。
この地図上の左曲がりが、いまリアルに残ってる左曲がりプツン断線。
ゆりかもめ は、豊洲の先、大江戸線の勝どき駅と接続する計画だった。それもまっすぐに行かず、コの字型に右へ左へと曲がりながら。
おそらく、豊洲交差点で左折し、晴海通り沿いに軌道がのび、月島警察署前交差点で環二通りへ右折、黎明大橋を渡って
勝どき陸橋交差点を清澄通りへ右折し、勝どき駅へ到達するというイメージ。
が! この計画は、交通政策審議会が2016年に公表した「東京圏における今後の都市鉄道のあり方」から、候補落ち。
豊洲をはじめとする臨海部エリアは、「都心部・臨海地域地下鉄構想の新設及び同構想と常磐新線延伸の一体整備
(臨海部〜銀座〜東京)・東京駅付近において常磐新線と相互直通運転を行う」や、「東京8号線(有楽町線)の
延伸(豊洲〜住吉)」がプロジェクト候補にあがり、ゆりかもめ延伸計画は見事にスルーされてしまった。
――― 豊洲交差点でぐいっと曲がる ゆりかもめ軌道。その構想や、まさかの逆転劇を想いながら、歩いてみて。 京急品川駅が景色が変わるほどただいま大改装中 「連続立体交差化」って何?〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200419-00000007-sasahi-life
4/29(水) 17:00配信
京浜急行品川駅とその周辺が大きく生まれ変わる。2020年4月1日、東京都建設局が京急本線泉岳寺〜新馬場間
約1.7キロ区間の連続立体交差事業に着手する旨を発表。およそ10年にわたる大事業がスタートすることになった。
* * *
■幹線同士が交差する“開かずの踏切”の解消を目指す
立体交差化されるのは、港区高輪2丁目〜品川区北品川2丁目間のおよそ1.7キロ区間。京急の駅では新馬場〜泉岳寺
の4駅間にまたがる区間だ。高架と地表、地下と3層に及ぶ大規模な計画で、現在は高架駅となっている京急品川駅を
地表に移設することなどが盛り込まれている。事業規模は1247億円。2020年度に着工し2029年度の完成となる計画だ。
この事業により、同区間3カ所の踏切(品川第一、品川第二、北品川第一)が廃止され立体交差化、慢性化している
道路渋滞の軽減をはかる。とりわけ、品川構内に近い通称「八ツ山橋踏切」(品川第一、第二)は、時間帯によっては
1時間あたり40分を超えて遮断機が降りている状況であり、今回の事業目的の柱ともなっている。
一方、京急品川駅の大改装は品川駅周辺開発計画の一環でもあり、利用者の動線を含め大幅に改善される見込みだ。
駅構造は現在の2面3線から2面4線化され、京急本線の輸送力増強が期待できる。駅施設は現在より泉岳寺側に移設
されるほか、全体にJR側に移動する。西側(高輪口側)の1面は現在の1・2番線直下に、東側(港南口側)の1面は、
現在JR1・2番線(山手線)ホームの西側にある留置線部分に設けられる。
京急の改札口やコンコースはJRと同じ2階部分に設けられるため、両社間の乗り換え通路にある段差が解消される予定。
また、京急駅の地表下によって、2階コンコースと自由通路が京急側の高輪口まで延長可能となる。
完成後には、街の東西を結ぶルートとしての活用もはかられるに違いない。
同じく大改装される北品川駅は、現状より東側に移設される形で、2面2線ホームが高架上に設けられるほか、西側に保守線が設置される。 ■起伏に富む地形を地下と地表、高架化で克服
現状では泉岳寺が地下駅、品川と新馬場が高架駅で、北品川が地表駅となっている(泉岳寺から順に地下ー高架ー地表ー高架)。
品川は高架駅ではあるものの、北品川側に向けて地形がせり上がっている関係で、駅構内を抜けるとほどなく地表線となり、
北品川駅へと至る。京急線の下り列車に乗って高架の京急品川駅を発車すると間もなく幅の広い踏切(八ツ山橋踏切)を渡り、
地形の起伏を実感できることだろう。さらに北品川〜新馬場駅間で勾配線を登ると高架線区間に入るという線形だ。
今回の計画はこの部分などが高架化され、周辺の景色も大きく変貌するに違いない。具体的には、地表化した品川駅構内の
北品川側からすぐに勾配線となり、高架の北品川駅へ向かって駈け登る形となる。高架部分には防音壁が設けられるほか、
バラスト軌道とロングレールとするなど騒音軽減がはかられる。泉岳寺側は、現状の高架と地下とを結ぶ勾配が緩和され、
引上線も高架から地表に移設される。
完成後は新幹線を含む大規模駅である品川駅が大きく変貌するとともに、周辺道路環境の大幅な改善が期待される。
また、品川駅ホームが増強されることにより、京急の輸送力も向上することだろう。通勤・通学需要はもとより、
羽田国際空港アクセスなど、多方面への効果を期待したいところだ。(文・植村誠)
植村誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。
近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、
『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。 都心の渓谷「お茶の水」の坂道を走る51年前の都電 江戸期から続く名所の変貌〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200424-00000058-sasahi-life
4/25(土) 7:00配信
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに
当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は本郷台地から外濠通りを
水道橋に下るお茶の水坂と、坂下で交差する白山通りを走る水道橋線の都電だ。
* * *
神田川の南岸に位置する駿河台と、これに拮抗する北岸の本郷台がおりなす御茶ノ水渓谷は、江戸城の
外濠として防衛上の重要な役目を果たしていた。御茶ノ水の渓谷美は明治期から絵画や詩に遺されており、
現在でも四季折々の移ろいを楽しめる都心の景勝地だ。
駿河台と本郷台を結ぶお茶の水橋に敷設されていた錦町線の線路遺構の話題は既に配信しているが、
今回は本郷台地の南端を東西に貫く外濠通りに敷設された御茶ノ水線の「お茶の水坂」と、坂下の
白山通りに敷かれた水道橋線を走る都電と街並みの話題だ。
冒頭の写真は「お茶の水坂」の上り勾配を力走する13系岩本町行きの都電。水道橋から本郷元町まで、
230mの上り坂が続く御茶ノ水線の難所だった。画面右側には震災復興公園として1930年に開園された
「元町公園」の樹木が見える。洋風に造園された園内からは神田川の渓谷美と駿河台の街並みを鑑賞できる。
高層建築が無かった時代、好天日には「富士山」が遠望できたため、お茶の水坂も「富士見坂」の一つに数えられていた。
半世紀を経た近景では、神田川寄りに街路樹が植樹された歩道が設置されて、人に優しい緑豊かな「お茶の水坂」
に変貌していた。元町公園の背後の建物が東京都立工芸高校の校舎で、クリエーターの養成校に相応しい際立った
外観をしている。その右奥の高層建築が東京ドームホテルで、前世紀末の1999年から営業を開始している。 ■風光明媚な御茶ノ水渓谷が都電車窓に展開
外濠通りに設置された御茶ノ水停留所から13系統新宿駅前行きの都電に乗車。停留所を発車すると、神田川に
架橋されたお茶の水橋が左手の視界に入ってくる。往時は橋上で折り返す錦町線があったことを思い出す。
右側には東京医科歯科大学の建物が見え、関東大震災までは、この地に東京女子高等師範の学び舎があった。
直近の三差路の交差点を直進すると大きく展望が開け、湯島から本郷元町(現本郷二丁目)に町名が変わる。
右には順天堂大学病院が所在し、少し西側に「日本学生会館(旧・文化アパートメント)」が見えると、本郷元町
の停留所だ。ちなみに、1965年に実施された町名変更にともなって、本郷元町の呼称は順天堂病院前に改称された。
本郷元町を発車して200mくらい進むと、最急勾配が52.6パーミルの「お茶の水坂」に差し掛かる。
頭上には「特別坂路 注意」の標識板が現れ、都電は一旦停止してからブレーキを緩め、水道橋に向けて坂を下って行く。
車窓左手には神田川畔の渓谷が続き、対岸には国鉄(現JR)中央快速・緩行線が並走している。
御茶ノ水駅に向かう中央線上り快速電車と緩行電車がクロスオーバーするファン垂涎のシーンが展開する。
次のカットは本郷元町を発車してお茶の水坂に差し掛かる13系統新宿駅前行きの都電。画面右側の上空には
「特別坂路 注意」の標識板が見える。神田川を挟んだ対面の建造物は、1995年まで駿河台に所在した日仏会館と推察した。
画面左端には東京医科歯科大学を背景にした13系統水天宮前行きも写っている。
■母校・日大経済学部屋上から撮った本郷の都電風景
1968年3月31日に、母校である日大経済学部三崎町校舎前を走る水道橋線の廃止が予定されていた。春休み中の校舎の
屋上から、後述の水道橋停留所と一緒に本郷台方向の都電を撮影した。このカットは、アサヒペンタックスSVにタクマー
200mmF3.5望遠レンズを装填した一コマだ。画面手前が神田川の北岸で、外濠通りにはお茶の水坂を上り順天堂病院前停留所
に接近する13系統水天宮前行き都電が写っている。この13系統も撮影した3月いっぱいで、運転区間が新宿駅前〜水天宮前から
新宿駅前〜岩本町に短縮の予定だった。 画面右端のクラシックなビルが「日本学生会館」だ。この建物は大正期の1922年に竣工した日本初の洋式集合住宅。
本郷のランドマークの一つとして親しまれたが、老朽化したため1986年に解体された。
都電の背景が戦災を免れた本郷元町の街並みで、昭和の雰囲気を醸し出す佇まいが残されていた。
この一隅には、筆者も通った「鉄道模型社」の店舗が盛業していた。同社はHOゲージのC62型やEF58型など、国鉄の看板車両
をいち早く製品化した鉄道模型メーカーで、戦後の鉄道模型業界の原点となった。
次のカットは、タクマー200mm望遠レンズが捉えた水道橋停留所を行き交う17系統の都電だ。17系統は3月31日で、運転区間が
池袋駅前〜数寄屋橋から池袋駅前〜文京区役所前(旧称春日町)に短縮の予定で、水道橋からは姿を消すことになっていた。
画面手前から左奥にかけて、白山通りに敷設された水道橋線の軌道敷が写っている。画面左中央が後楽園前停留所で、戦前は
壱岐坂下と呼称されていた。その奥に営団地下鉄(現東京メトロ)丸ノ内線の跨道橋が見えている。
私事で恐縮だが、筆者が東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)に在学中、画面右手前に写っている「日本水道会館」
にはスタジオと暗室の教室が設置されていた。二年次には駿河台のお茶ノ水本校舎と共に、この水道会館でも実習授業を受けていた。
建物の二階には喫茶店「舟」があった。供食施設やロビーが整った本校舎と違い、分校舎の水道会館にはその様なスペースがなく、
舟が先生方や学生の談話室になっていた。コーヒーカップを傾けながら、先生方や級友たちと写真論を熱く語った思い出がある。
また、作家・三島由紀夫がトレーニングに通った「後楽園ジム」帰りの飲食に、舟の階下で盛業していた「かつ吉」を贔屓にしていた。
というエピソードも残っている。
最後のカットが水道橋交差点から写した半世紀後の白山通りと本郷一丁目の近景だ。件の日本水道会館は建て直されて、
貸し会議室の全水道会館になっていた。画面左隅の観覧車の見える遊園地は、従来の「後楽園ゆうえんち」をリニューアルした
「東京ドームシティアトラクションズ」で、2002年に開園している。 左奥の東京メトロ丸ノ内線の跨道橋には1988年に登場した02系が写っている。
数年後に全車が新鋭の2000系に置き換えられる予定だ。
1960年代の水道橋交差点は2・13・17・18・35の五系統の都電で賑わった。
最後まで残った13系統が1970年3月に廃止され、交差点から都電の轍が消えた。
温かさや生活感に溢れた本郷の街並みは、半世紀という歳月の中でオフィスビルが林立するクールな街に変貌した。
時の流れの冷酷さを、あらためて痛感している昨今だ。
■撮影;1969年6月9日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。
鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、
「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。
2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。
※AERAオンライン限定記事 メールの書き出し「お疲れさまです」が相手にとって迷惑な理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200428-00010000-php_s-bus_all
4/28(火)11:44配信
ビジネスチャットツールやオンライン会議ツールの普及で、仕事のスピードアップ化が急速に
進むなかでも、仕事のおける「メール」の存在感はまだまだ大きい。
外部との連絡はメールがベースとなるケースも多いし、そのぶんメール対応に手を取られがちで、
貴重な時間を消費していくことも多々。
新著『仕事が早い人は、「これ」しかやらない』を上梓した石川和夫氏は、同書において
「メールに時間を奪われない方法」を示している。ここではその一節を紹介したい。
※本稿は、石川和男著『仕事が早い人は、「これ」しかやらない』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
■あなたはメールに振り回されていないか?
世の中、すっかりネットワーク社会になりました。図書館に行かなくても情報は手に入ります。
必要な情報をスクラップしなくても簡単に保存できます。さまざまな情報が瞬時に手に入るようになりました。
コミュニケーションも、昔は直接会うか電話でした。今はメールでOK。
情報伝達も、SNSを通じて世界中に発信できるようになりました。
しかし便利になった反面、便利な仕組みに振り回されてしまい、かえって仕事が遅くなっている
ケースが多くあります。必要な情報を得ようとネットで探していると、不要な情報まで目に入り、
気がつくと何時間もネットサーフィンをしてしまっていた。離れている相手には、電話か手紙
でしかコミュニケーションが取れなかったのに、今はメールという便利な手段を手に入れた分、
不必要な連絡も入るようになりました。もちろん、メールが便利であることは否定しません。
多忙な相手にも連絡を取りやすい、添付ファイルをつければ多くの情報を送ることができる、記録に
残る、CC機能を利用して多数の人に同時に内容を伝えることができるなど、多くのメリットがあります。
これらのメリットを享受しつつ、仕事を効率的に行ううえで、メールとどう付き合っていくべきか? 私が考える8つの注意点をお伝えします。
■1日のうちで、メールをチェックする回数と時間を決めてしまう
【1】メールをチェックする回数と時間を決める
私はメールを確認する時間を、出社時、13時、15時、帰社前の4回に決めています。
もちろん「部下が取引先を回っていて連絡してくるのに、4回では少ない」「新人なので、頻繁にメール
をチェックする必要がない」など、あなたの職種や立場によって回数は変わります。あなたにあったメール
をチェックする回数と時間を決めてみてください。それだけでも、メールに振り回されなくなります。
ただし「今日は得意先から緊急の連絡が入る」などの予定があれば、臨機応変に対応してください。
【2】緊急のメールはスキマ時間に確認する
メールをチェックする回数と時間を決めても、何か緊急の連絡が入っていないか気になるものです。
私は15分単位で仕事をしています。ジャスト15分より早く終わらせることを目標にしているので、60分の間
にスキマ時間が1〜5分ほどできます。この時間が、私にとっては緊急のメールがきていないかチェックする
時間なのです。ざっと確認し、すぐに返信が必要なものにだけ対応します。後から返信すればいいメールは、
【1】で決めたメールチェックの時間で返信するようにしています。
■決まりきった慣用句は読み手、書き手の双方にとって無駄
【3】開いた受信メールはすぐ返信
メールを開いたら対応は3種類しかありません。「すぐ返信」「すぐ削除」「後で返信する」の3つです。
原則は、「すぐ返信」か「すぐ削除」ですが、返信が必要でも他にどうしても急ぐ仕事があり返信できない
場合は、返信する時間をその場で決めてください。二度読みや返信のし忘れを防ぐことができます。
【4】午前中は重要なメールしか開かない
集中力がみなぎっていて、仕事が進む午前中はゴールデンタイムです。
メールをチェックする必要はあっても、重要ではないメールにまで時間を使うのはもったいない。
メールのタイトルを見て、重要なメールだけを開きましょう。 【5】社内メールでは、無駄を省くルールを決める
私の事務所では、社内メールのやり取りで「お疲れ様」などの慣用句を省略するというルールにしています。
毎回の決まりきった言葉は、打つほうも読むほうも時間の無駄だからです。また、緊急のメールは件名でわかる
ようにすると決めています。このように、チーム内でメールの効率化につながるルールを決めることが重要です。
■受信通知はオフにして集中力をキープ
【6】複雑な内容なら電話で伝える
個人相手に複雑な内容を伝えるとき、メールだと、打つほうも読むほうも大変です。必要に応じて、電話や
テレビ会議システム、あるいは対面で会うなど手段を使い分けましょう。何往復もやり取りしても正しく
伝わらないメールが、電話なら1分で正確に伝わることがありますし、謝罪のメール作成に長い時間をかける
くらいなら、いっそ直接会いに行くほうが短時間で解決につながる場合もあります。
【7】メールの受信通知はオフにする
新着メールが届くたびに通知が届くと、目の前の仕事に集中できませんよね。受信通知はオフにするのがベターです。
【8】メール返信の制限時間を15分にする
1回のメール返信にかける時間を最大でも15分と決めましょう。メールを開く時間を決めている人は多くても、
終わらせる期限を決めている人は少ないはず。私は1回15分(これもポモドーロ・テクニックの進化形です)
と決め、その時間にできるだけ多くのメールに返信するようにしています。15分を過ぎた時点で返信文の作成
が途中のときは、3分まで延長できることにし、その3分間は、しゃれで「ロスタイム」と呼んでいます。参考に
なるものは、個人だけでなく、チーム全体で取り入れて、メールに振り回されることなく、便利に活用してください。
石川和男 「理不尽なダメ出しをする人」に打ち勝つ超戦略
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200430-00346113-toyo-bus_all
4/30(木) 8:01配信
上司や同僚、あるいはお客様のささいな一言で、やる気が下がってしまったことはないだろうか?
「前例あるの?」「やる必要あるんですか?」といった発言で、やる気を下げてくる人物。
経営・組織戦略コンサルタントの西野一輝氏は、そんな人たちのことを”モチベーション下げマン”と名付けている。
こうした厄介な存在に出会ったとき、どう対処したらいいのか?西野氏は、2000人以上の経営者・著名人の
インタビューを通し、やる気が高い人にはある行動・思考の法則があったという。モチベーションを高めるため
の方法論をまとめた初の著書『モチベーション下げマンとの戦い方』から一部を抜粋・再構成して紹介する。
「誰かの一言」によって、モチベーションを大きく下げている人にたくさん会ったことがあります。
ただ不思議と、その一言を発した本人からすれば、モチベーションを下げようと思って発言していないケースが
多々あります。むしろその人のモチベーションを上げようと思って言っているケースさえもあります。
そんな「一言」に対抗する方法を紹介していきましょう。
例えば「仕事に対するこだわりが薄い点がきみの長所だね」というように、自分は相手の気持ちがわかるとか、
自分は相手のことをわかってあげようと努力していると勘違いしている“モチベーション下げマン”(以下、MSM)
はたくさんいます。自分を過大評価しているのかもしれません。残念ながら、この過大な自己評価は今後も変わりません。
「わかってないですよ」と理解させるのは相当に困難な話なのです。
このタイプにはどう反論すればよいのでしょうか。
■MSMとの上手な付き合い方
まず、変わらないのですから自分のモチベーションの下げ幅を最低限にするために、極力その人とのコミュニケーション
の量を減らしましょう。次第にMSMとの距離感を少しずつ離していくのです(この努力が実ると、自分はモチベーション
の下がる機会が減りますが、誰かが犠牲になるリスクは残ることは覚えておきましょう)。 さて、どんなふうに距離を取っていくかというと、やみくもに冷たい態度をとるのはおすすめしません。
そこで、「自分は鈍感で、あなたが話している意味がよくわかりません」と言うのです。
つまり、MSMの発言が高尚であって、自分にはわからないように振る舞うのです。MSMも話していることが伝わらない
となれば、面白くなくなり心の距離を置く可能性があります。
仮にMSMの発言に敏感に反応すると、それがうれしくて離れてくれません。
それどころか、さらに発言を繰り返す、厄介な状態が続く可能性があります。
人は、発言するなら相手の反応は欲しいもの。相手が言いやすく、かつ応えてくれるのでターゲットになっている可能性があります。
例えばあなたが経理部に所属していたとして、他部署のある人物が「総務部の後輩が、きみのことを『計算ミスが多い』
と、言っていたよ」と、いまの仕事に不適切と言いたげなコメントをしてきたとします。
ここで「どんな場面で計算ミスが多いと感じたのですか?もしかして、経理失格と言いたいのですか」と感情的な質問
でもすればMSMの思うツボです。モチベーションがさらに下がるコメントが準備されているかもしれないからです。
ならば、そのコメントを聞き出すことなく、「そうですかね」と気にしていない感じを示すか、「あんまり気にしていないです」
と素っ気ない回答をしてみるのです。すると、MSMからすればつまらない気持ちしか生まれないことでしょう。
「こいつに言っても無駄」と離れていってくれるはずです。私も過去に同じような対応をすることで、
自分に近い距離感から相手にお引っ越し(距離を置いて)いただいた経験があります。
ただ、もしMSMの指摘を真摯に受けとめ、改善をすべきかもしれないと思えたら、ぜひ自己評価を試みてください。
自分が本当に信頼できる人物(同僚など)に「自分って計算ミス多いかな」と聞いてみるのもいいでしょう。 ■モチベーションが下がったふりをする
「きみが『調子に乗りすぎて、周囲に称(たた)えさせる飲み会をやってるらしい』と聞いたよ。大丈夫?」と業績が
著しく高い社員に話しかけるMSM。そうすることで、仕事が順調な社員が落ち込むとモチベーションが上がるようです。
だからといって自分が悪者にはなりたくないので、噂話を利用して「大丈夫?」と心配している姿勢で話しかけるのです。
本当に困った存在です。
先ほど、自分の領域からお引っ越ししていただくために「鈍感なふりをする」という対策を紹介しましたが、それが
難しい場合の反論術を1つ紹介しましょう。
相手のモチベーションが下がればMSMが満足するのであれば、下がったふりをするのです。例えば、
「すごくショックです。かなりの衝撃を受けたので、明日会社に来れるか自信がないです」「自分自身で十分受け止める
だけの力がないので、どう答えていいかちょっといま戸惑っています」
こうしたことを言って、相手にご満足いただくのです。さらに「図星を指されました」といったように的確さを称える
コメントを加えると、MSMからすれば満足度はさらに上がることでしょう。
しかし、相手と信頼関係があると思っていたのに「あなたのあの言動はダメだった」「なぜああしなかったんだ」と
ダメ出しをされてしょんぼり。相手との心理的距離感もできてしまい、高かったモチベーションもグッと下がってしまった、
こんな経験はありませんか。
自分としては信頼されていると思っているゆえ、ショックは大きなものがあることでしょう。おそらく、その後は
近づきたいと思えず、お互いの距離も空いてしまうことになります。こうしたダメ出しをしてくる、心理的な背景は
どのようなものなのでしょうか?
まずよくあるのが善意のMSMによる、教育的な見地です。相手のために、よかれと思ってダメ出ししてくれる人とも
言えるでしょう。仮にトゲがありカチンとくるような言い方であったとしても、基本的には感謝したい存在といえます。 ■よかれと思って言ったダメ出しで信頼関係が壊れたら
ただ、よかれと思ったという動機のなかでも、主観が入っているケースは少々厄介です。単にイライラしたから指摘を
したというように、その人の主観や気分によって左右されるダメ出しは、言われた本人にとっては理不尽なものに感じられるからです。
いずれにしてもダメ出しをした人には、その後に共通して感じることがあります。それは、相手を傷つけてしまったかも
しれないという罪悪感です。教育的見地であっても、イライラしてダメ出ししてしまったとしても、ダメ出しした本人は、
後で「言いすぎたかもしれない」と感じる人が大半なのです(もちろん、例外的に感じない人もいるとは思います)。
実は、かつて自分も知人に対して「いまの言い方では、周囲に支持されないよ」とダメ出しをしたことがありました。
業績好調で周囲からもチヤホヤされていた知人が会社の社長に「ここまで急成長してこれたのは、自分の力量だ」と
自意識過剰とも思える発言をしており、さすがに気になったため軽くいさめたのです。
ただ、そのダメ出しをきっかけにして、関係は疎遠になってしまいました。知人が自分を避けるようになったのです。
定期的に開催していた知人数名での食事会に誘われなくなったり、SNSの友達リストから外されたりしました。さすがに
「普段の自分からしてみたら、きつい言い方をしたのかもしれない」と、反省する機会になりました。
明らかに距離を置かれたら、自分から無理に近づくのも気が引け、そのまま縁が切れてしまいました。もし知人から
声がかかれば、気にせず喜んで付き合いは続けたいと思っていたので、後悔の残る出来事になりました。このように
ダメ出しによって信頼関係が壊れた経験がある人は、意外と多いものです。理想的な回答をするならば、お互いが
歩み寄って信頼関係を再構築すべきだとは思います。
ただ、過去にダメ出しをして後悔している立場から言うと、ぜひここで指摘を受けた人が歩み寄ってきてほしいと思います。
言った本人は、おそらく「言いすぎたのではないか」「傷つけたのではないか」と気にしているからです。 相手への嫌悪感にはひとまずふたをして「ありがとう、これからもよろしく」と感謝の言葉を述べていきましょう。
仮によかれと思ったダメ出しであれば、意図が伝わったと信頼関係がさらに深まります。仮に感情的なダメ出し
であったとしても、感謝の言葉をくれた人に対してさらなる悪意を仕掛ける人は少ないはずです。
つまり、歩み寄ることはプラスしかありません。まずは言葉だけでも感謝を伝えるように意識をしてみてください。
それがきっと、モヤモヤを解消し互いの関係性を改善するきっかけになるはずです。
西野 一輝 :経営・組織戦略コンサルタント 「Zoom婚活」を享受する35歳男性の納得理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200430-00346441-toyo-soci
4/30(木) 7:40配信
新型コロナウイルスが蔓延し、世界中が混乱している。日本でも感染者をこれ以上増やさず終息に向かえるようにと、
不要不急の外出の禁止、3密の禁止、マスク着用や手洗いの徹底など、あれこれと対策が講じられている。
そんな中で、婚活業界にも新たな動きが出てきた。オンラインによるお見合いが盛んになってきている。
仲人として婚活現場に関わる筆者が、毎回1人の婚活者に焦点を当てて、苦労や成功体験をリアルな声と共に
お届けしていく連載。今回はオンラインお見合いを始めた男性の話と共に、“変わりつつある婚活業界”について記す。
■3密を避けて、お見合いもオンラインへ
新型コロナウイルスは、いつ終息するのか。今はまったく見通しが立っていない状況が続いている。
年が明けてから、コロナのニュースがさかんに報じられるようになったが、当初日本はどこかひとごとだった。
SARSのように“そのうち終息するだろう”と楽観視する向きが多かった。婚活業界も1月はこれまでどおり、
土日は普通にお見合いが行われていたし、婚活パーティーも開催されていた。
ところが、2月に入り、ダイヤモンド・プリンセスの船内感染が報じられるや、日本国内でも危機感が芽生えてきた。
以来、感染者数は、日に日に増えていった。
感染に敏感な会員の中には、「予定されていたお見合いは、コロナが落ち着いてからやりたい」と申し出てくる者も出てきた。
また、「しばらく活動はしたくないので休会したい」という会員もいた。予定されていた婚活パーティーも、軒並みキャンセルになっていった。
婚活は、会わなければ始まらない。どの仲人も、「この状況がいつまで続くのだろうか」と重たい気持ちで日々を過ごしていた。
しかし、こんな状況を打破するべく、Zoomというアプリを使ったオンライン上のお見合いをする動きが出てきた。
結婚相談所協会もオンラインお見合いを推奨するようになり、仲人たちにZoomの使い方を講習する定例会を開くようになった。 上田正治(仮名、35歳)は、Zoomでお見合いをしている会員の1人だ。正治は、大手IT企業に勤めているので、会社では
随分前からZoomによるテレビ会議をしていたようで、使うことには慣れ親しんでいた。
初めてのZoomお見合いを終えた正治が、言った。
「リアルに会うお見合いって、写真とはまったく違う女性が来ることがあるじゃないですか。お見合いをするティー
ラウンジの入り口で、キョロキョロと探してしまうことがある。Zoomのお見合いは、それがないのがいいですよね」
確かにお見合い写真は、お見合いを組むことの呼び水なので、写真スタジオで完璧なライティングの中、プロの
カメラマンが撮ることが多い。写真の修正をする人もいるので、写真とはまったく違う人物が来ることがある。
そこは、婚活者なら誰もが周知していることだ。
「オンラインのお見合いは、 “ああ、写真とはずいぶん違うな”って思っても、“まあ、カメラを通すとこんなものかな”
と思って、お見合いがスタートできるんですよ(笑)」
■男性側の「お茶代」負担がない
Zoomは婚活業界の救世主だと、どの仲人も思い始めている。
結婚相談所では、個人情報を保護する観点から、登録サイトには会員番号が記されているのみで、名前は出ていない。
お見合いが成立したときに相手に知らせるのは、苗字のみだ。
その後、双方が交際希望を出し交際になって初めて、フルネームが明かされ、連絡先を交換する。
スカイプやLINEビデオは、個人のIDを交換しないとつながらないので、個人情報を保護する観点から、
結婚相談所のお見合いには使えなかった。
しかし、Zoomは仲人がホストになり、お見合い開催のミーティング設定をして、URLとパスワードを2人に送れば、
個人情報を交換することなく画面を見ながらのお見合いができるのだ。
正治は、こんなことも言った。
「お見合いのお茶代って、男性持ちですよね。自分の彼女にだったら、払うのは一向に構わないのだけれど、
対面したときに僕の何が気に食わないのか、不機嫌そうな顔をしている女性がいる。“こんな態度を取っている
相手にもお茶をごちそうしないといけないのか。このルール、どうにかならないのかな”と、思うこともあったんですよ」 仲人型の結婚相談所では、男性が女性のお茶代を出すのは暗黙の了解事項だ。
たまに割り勘にしてくる男性がいるのだか、そこに女性たちはとても厳しい。
「今日の方、お茶代が割り勘でした」
「お見合いを終えて、『お支払いは?』とお聞きしたら、『1000円でいいですよ』と言われました。
コーヒーが1430円だったので、430円だけ出していただきました」
お見合いを終えた女性たちから、こんな報告が入ってくる。“お茶もごちそうできない男は、ケチでセコイ”の烙印が押されるのだ。
ただお見合いは、ホテルのラウンジで行うことが多いので、コーヒーが1500円前後と、男性の負担も大きい。
正治ではないのだが、私の男性会員が以前こんな経験をした。
都内の1流ホテルのラウンジでお見合いしたときのこと。入り口付近で待ち合わせをし、ウェイターに席まで案内をされ、着席をした。
運ばれてきたメニューを女性がジーッと見ている。彼は自分の飲み物を決めたので、彼女に聞いた。
「決まりましたか?」
すると彼女は言った。
「飲み物は決まったけれど、食べ物がまだ決まっていません」
その女性とのお見合いを終えたとき、彼が私に連絡を入れてきて言った。
「今日の女性には、交際希望を出しません」
そして、この一連の話を私にした。
「セコイかもしれないけれど、僕が、『何か食べませんか?』と誘ったのならいいんですよ。お見合いでは、支払いは男がする
というのはわかっていること。お見合いを終えて、『私、食事をしてしまったので、割り勘にしてください』とか、一言あれば、
『いえいえ、ごちそうしますよ』となるけれど、お財布を開こうともしなかった。今回の女性は、相手に対しての配慮が足りない気がしました」
彼の気持ちもわかる。お見合いしたホテルのラウンジは、いちばん安いミックスサンドが、2250円するのだ。
お茶代と合わせ、消費税を入れて、その日は6000円を超える支払いをしたそうだ。 ■実際に会ってガッカリすることもある
また、サイトに載せるプロフィールに関して言えば、年齢、出身地、現在住んでいる都道府県、仕事内容、年収(男性のみ)などの情報は、
正確なものを入れないといけないが、自己PRや相談室からの推薦文に関しては、お見合い写真同様、かなり盛って記されている場合が多い。
かつて正治がこんなことを言っていたことがある。
「今日の女性は、“笑顔がチャーミングで男性を癒やすタイプ”と、相談室の推薦文にありましたけど、会ってみたら、すご〜く
暗い雰囲気で、こちらが何か質問しても、一言答えが返ってくるだけ。まったく会話が弾まなかったので、男性を癒やすどころか、
変な汗をかきましたよ。これで1時間話すのは厳しいと思って、40分くらいでお見合いを切り上げてしまいました」
どんな雰囲気を持っている人か、会話の波長が合うかどうかは、オンラインで話せばだいたいがわかる。プロフィールを熟読して
会話の展開を考え、お見合い場所に出向いたものの、想像していた人とはまったく違う人が来たとなると、そのときの脱力感は大きい。
しかし、こうしたプロフィールとのズレも、交通費もお茶代もかからないオンラインお見合いなら、腹も立たないだろう。
また、オンラインお見合いに抵抗がある要素の1つとして、背景が映り込んでしまい、どんな部屋に住んでいるのかわかってしまうのが嫌だ
という人もいるだろう。狭いワンルームで、ベッドが見えてしまったり、部屋が散らかっているのがわかってしまったりすることに抵抗がある人もいる。
ところがZoomは、背景を自分の好きな写真画像に変えられる。スマホやパソコンに保存してある画像を呼び出し、それを背景にすることができるのだ。
正治が4月の初めにZoomでお見合いをしたとき、女性の背景が、満開の桜の画像だった。
「きれいな背景ですね」と正治が言うと、彼女はこう答えた。
「今年は、お花見も自粛だから、せめて今日は満開の桜の中に、自分を入れてみました」
そこから、毎年春になると、どこでお花見をするかという話になったという。
「私は、目黒川沿いのお花見に毎年会社の同僚と行くんですよ。ピンク色のスパークリングワインを飲むのが楽しみです」 「あ、僕も、それ飲んだことありますよ。ワインの中に生の苺が入っているものもありますよね」
そこからは、お花見の話でひとしきり、盛り上がったそうだ。
■どんな状況下でも、前向きになれる人が強い
今回のコロナウイルス騒動は、その人がどういう人間なのか、本質を知るリトマス試験紙になっている気がしてならない。
正治のように、いち早くZoomを使ってお見合いし、その後もオンラインでコミュニケーションを取っている人たちもいる。
仲人の中には、Zoomによる婚活パーティを主催する人も出てきた。この状況下でできることを探し、それを楽しく活用しているのだ。
そうかと思えば、「休会します」という連絡をよこして以来、こちらが業務連絡を入れても、一切返信をしてこなくなった会員もいる。
私が、「お相手相談室から、『オンラインのお見合いは、いかがですか?』ときていますが、どうしますか?」と連絡を入れたところ、
「緊急事態宣言が明けるまではお見合いはしないって、言いましたよね!」という強い口調のLINEを返してきた会員もいる。
今テレビやネットは、コロナのニュース一色だ。感染者と死亡者の数が連日報道されている。終わりの見えない戦いに、人々のイライラも募ってきている。
そんな状況下で、ストレスをためずにどう生活していくのか。どう婚活をしていくか。
前向きに暮らし、この状況下でやれることを見つけ、愚痴を言わずに笑っていられる人こそ、将来のパートナーにふさわしいのではないか。
Zoomお見合いから交際をスタートさせている正治やそのほかの会員たちが、リアルで会えるようになり、その後結婚へと進めたら、
その道のりの記録は、またここにつづりたいと思う。
鎌田 れい :仲人・ライター クライマックスシリーズは中止すべきか?「ケース別日程」3案+「特別CS」案を提言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200430-00010000-realspo-base
4/30(木)7:31配信
新型コロナウイルスの脅威はいまだ収束のめどが立たず、プロ野球もいつ開幕できるのか
見通しがつかない状況だ。すでに交流戦18試合の中止が決定しているが、レギュラーシーズンの確保のために
クライマックスシリーズも中止すべきだという声もあがっている。だが、それは本当に妥当なのだろうか?
廃止論の根強く残るクライマックスシリーズ。
未曽有の危機にある今だからこそ、あらためてポストシーズンの在り方を考え直してみたい。
(文=花田雪)
■6月開幕なら、実際どれだけの試合数を消化可能?
新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、プロ野球の開幕は早くても6月以降にずれ込む見通しとなっている。
すでに交流戦は中止が発表され、仮に6月に開幕された場合でもしばらくは「無観客」で開催される可能性が非常に高い。
プロ野球界は恐らく、可能な限りレギュラーシーズンの試合数を減らさない方向で調整を
続けているはずだ。中止となった交流戦を除けば、残りの試合数は1チーム125試合。
6月以降の開幕で、これをどこまで消化できるかがカギとなる。
そこで議論の対象となりそうなのがクライマックスシリーズ(CS)の在り方だ。
球団のことを考えれば、12球団満遍なく、試合数を確保したいのが正直なところ。
ただ、例年通りCSを開催するとなれば、当然レギュラーシーズンの試合数に大きなしわ寄せがくる。
そもそも、今季の開幕予定は3月20日。東京五輪開催の影響で例年より1週間ほど早まる予定だった。
仮に6月頭から開幕できたと想定しても、単純に2カ月以上遅れたことになる。球団ごとに多少の差
はあるが、当初開幕予定だった3月20日〜5月31日までに組まれていた公式戦の試合数は、約60試合。
本来であれば5月終了時点でシーズンの4割以上が消化されていたことになる。
その一方で、東京五輪が2021年に延期となったことで、本来であればシーズンを中断する予定だった
7月21日〜8月13日までの期間も試合が行えることになった。
この24日間に週6試合をベースに日程を組み込むことができれば、21試合を追加することができる。 ■CSを中止にすれば、レギュラーシーズン125試合確保も可能に
となると、理屈上のレギュラーシーズン試合数は以下になる。
シーズン143試合(当初の予定)−60試合(5月末までの予定試合数)+21試合(シーズン中断予定だった期間に行える試合数)=104試合
交流戦を中止にした残る125試合には、あと20試合ほど足りない。
ちなみに、本来であれば今季、セ・リーグは10月17日に全日程を終了、パ・リーグは同12日に終了予定で、
CSの開幕は両リーグともに10月24日を予定していた。
シーズン終了から1〜2週間弱でCSへと突入する日程だったが、さすがにこの期間内に20試合を消化することは物理的に不可能だ。
ただし、もしCS開催を見送り、レギュラーシーズン+日本シリーズのみの開催とするとどうだろうか。
日本シリーズの開幕予定は11月7日。
レギュラーシーズン終了から3週間程度が確保されることになり、プロ野球が現時点で目指す『シーズン125試合』
を確保できる可能性はグンと上がる。
これらを踏まえたうえで、今季のポストシーズンの開催について、考えられるケースをいくつか挙げてみよう。
◆ケース(1):CS開催の中止
レギュラーシーズンの試合数をできるだけ確保し、なおかつ日本シリーズ終了の時期を変更しないためには、
この方法がマストだ。CSが開催される予定の10月末〜11月頭までレギュラーシーズンを行えば、各球団が
目指す125試合、もしくは限りなくそれに近い試合数を担保できる。
◆ケース(2):レギュラーシーズンのさらなる短縮
125試合にこだわらず、あくまでもCS+日本シリーズ開催にプライオリティーを置くのであれば、このプランになる。
単純計算で各球団総当たりの20試合制=シーズン100試合、もしくは21試合制=105試合あたりが、当面の目標になるだろう。
◆ケース(3):ポストシーズンの日程変更
10月24日開幕のCS、11月7日開幕の日本シリーズの日程を後ろにずらし、レギュラーシーズンの試合数も可能な限り
確保したうえでCS、日本シリーズも例年通り行う。日程の調整や球場の確保さえ可能であれば、このプランを選択
する可能性は非常に高い。 これは筆者の個人的な意見ではあるが、ケース(1)のCS中止に関しては断固反対だ。例年、その存在自体に否定的な
意見もあがるCSだが、2004年にパ・リーグがプレーオフ制度を導入し、2007年からセ・リーグもそれに追随して
『クライマックスシリーズ』としてスタートを切った現行のポストシーズン制は、開始から十数年を経てようやく
ファンにも浸透し始めている。
このタイミングでCSを中止にするということは、かねてから否定派が言っている「CSはシーズン優勝の価値を下げている」
という主張を認めることになる。
「レギュラーシーズン+CS+日本シリーズ」の形がようやく定着しつつある今、その理念を根底から覆すことは避けてもらいたい。
もしここでCS中止を決断すれば、「やはりCSは不要なのでは」といった議論が再燃する可能性もある。
となるとやはり、ケース(3)のポストシーズンの日程変更が一番望ましい。
■そもそも6月開幕が不可能になったケースを考える必要がある
ただ、ここで問題なのがここまでの話が全て「6月開幕」を前提とした話であるということだ。現時点でたとえ無観客でも
6月にプロ野球が開幕できるかは不透明だ。むしろ、収束の見込みも立たない現状を考えると、7月、8月までずれ込む、
もっといえばシーズンそのものの中止すら考えなければいけない。
この1年間、日本からプロ野球が消える可能性も十分ある。
もちろん、そんな状況は避けてほしいが、例えば9月、もしくは10月以降の開幕となったような「超短期シーズン」になった
場合、プロ野球の在り方そのものが大きく問われることになる。
そうなった場合、シーズン125試合やCSの開催といった現行システムにこだわっている場合ではない。
ただ、やり方は他にもある。
◆ケースα:スペシャルクライマックスシリーズを開催
例えば、セ・パ6球団がそれぞれ総当たり戦でグループリーグを行い、上位チームが決勝トーナメントに進む
「スペシャルクライマックスシリーズ」のような形式の開催も視野に入れてほしい。
あくまでも仮定の話ではあるが、
6球団が各3試合ずつの総当たりでグループリーグを行う。その上で、上位2チームが3〜5試合制の決勝戦を行い、
勝ち上がったチーム同士で日本シリーズを戦う。 これであれば、試合数は以下に抑えられる。
グループリーグ
1球団=5球団×3試合(2戦先勝制)=最大15試合
リーグ代表決定戦=3〜5試合(3戦先勝制)
日本シリーズ=7試合(4戦先勝制)
最大でも27試合。これなら、1カ月半もあれば日程消化は可能だ。
サッカーやラグビー、大学野球のリーグ戦のように、勝敗ではなく「勝ち点制」を導入しても面白いかもしれない。
当然、長いシーズンと違い、いわゆる「捨て試合」のようなものが一切なくなる。
若手を試す機会や新戦力を起用するチャンスは減るかもしれないが、そもそもシーズンが短縮されれば、そういった現象は起こる。
1カ月半の「超短期シーズン」と考え、毎試合「絶対に負けられない」試合が続くとなれば、超法規的措置とはいえるが
これまでとは違ったプロ野球の魅力も見えてくるかもしれない。
もちろん、シーズン試合数を可能な限り担保し、CS、日本シリーズも現行通り行えるのが理想ではある。
ただ、先の見えない今、プロ野球もいつ終わるかわからない新型コロナウイルス感染拡大の収束を見据えながら、
レギュラーシーズン、ポストシーズンの在り方を考えなければいけない。
ここで挙げたようなプランだけではなく、今までにない、画期的な、ファンを驚かすような施策をとって、
プロ野球の底力からを見せてほしい。
<了>
文=花田雪 【風間八宏コラム/自分に、期待しろ】「意識すべき“目”の重要性と怖さ」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200502-00072624-sdigestw-socc
5/2(土) 19:28配信
■私たちの“目”は大事で、危険で、怖い
サッカーダイジェストでは風間八宏氏のコラム「自分に、期待しろ」を連載中。
風間氏の技術論や、サッカー哲学などを余すことなく紹介しているが、リーグ中断が続き、
サッカーの話題が限られるなか、ここではそのコラムの第2回目をお届けしよう。
――◆――◆――
メッセージ2
「意識すべき“目”の重要性と怖さ」
初回は“見る”に関して話しましたが、2回目はこのテーマをより深く考えましょう。
改めて“見る”という行為には大きく2つのパターンがあると感じます。
ひとつは動体視力などの反射的な動作。これは一般的に誰もがやっていることで、数値化も可能です。
フィールド内で相手の動きを見て、反応するという一連のプレーにも当てはまります。
一方、もうひとつの“見る”は数値化できない力です。サッカー界では“数秒先の世界が見えている”
などと表現されますが、想像力や空想力を活かして周りの人たちとは異なった世界を捉えている選手がいるわけです。
なにもできないようなシチュエーションから、驚きのあるプレーを披露する。
彼らには私たちが想像できないようなビジョンが見えているはずで、それをピッチ上で表現しているわけです。
かくいう私も現役時代、ある場面を一瞬見ておけば、次にそこで何が起こるかイメージできたり、40bほど先の光景が
目の前に止まって見えたりしました。さらに相手の動きがスローに感じることも。最初は特別なことではないと思って
いましたが、チームで目の検査をした際、私の映像記憶能力が非常に秀でていることが分かったのです。
もっともこうした“見える”能力を持った選手を育成年代で発掘するのは相当に難しい。それは彼らがどんな世界を見ているのか、
周りの人たちは判断し辛く、概して足もとが上手いなど、分かりやすい特長のある選手に目がいってしまうからです。
そのため本当は素晴らしい才能を有していた人材も、気付かれないうちに消えてしまうケースは往々にしてあると思います。 多くの人たちの判断基準に収まらない人材は淘汰される――
それはサッカー界だけでなく、一般の社会でも起こっていることではないでしょうか。だからこそ私たちの“目”
は大事で、危険で、怖い。目の前の事象だけに捉われ、物事を決めつけてしまうのは非常に恐ろしいことなんです。
■素晴らしい力を持った選手を見抜く大切さ
ではそうした人材と出立った時にどうするべきなのか。
おこがましく指導するというわけではなく、長い目で見守ってあげることが大切です。
余談ですが、私も学生時代は背が低く、足も遅く、国体の代表に選ばれても、練習試合でさえ使ってもらえないこと
もありました。でも、自分を認めてくれた多くの先生方の後押しのお陰で試合にも出られ、ワールドユースの日本代表
にも選ばれ、ここまでやってこられた。ひとりだけで大成するのは難しい。数々の苦難を乗り越えるには、周囲の助け、
そしてその子の力を評価できる“目”が必要なわけです。
人は自分の尺度から逸脱するものをなかなか許容できません。ただ、自分に見えているものがすべてだと決めつけて
行動するのと、自分が想像できない世界があると理解したうえで行動するのでは、まったく異なります。
そこに気付くのが大切なのではないでしょうか。
今のサッカー界では、アスリート能力の高い選手が評価されるようになっていて、いわゆる“天才”と呼ばれるプレーヤー
が減っているように感じます。その背景には周囲の人たちの目も関係しているはずです。足が速い、技術がある、そうした能力も重要です。
でも繰り返しになりますが、表には見えない素晴らしい力を持った選手を見抜けるようになることも大切なんです。
今の時代、AIの発達が進み、自動車は人間よりも“目”が良くなっています。自動運転の技術も進み、手動よりも正確に
走れるようになっていますから。スピードや頑丈さが重視されていた一時代前からポイントが変わっているわけです。
私たちもそうした流れに沿えないか。 限られた選手にしか見えない世界は、周囲の人たちと共有することは難しい。
でも彼らのビジョンを私たちが垣間見ることができれば世界は広がる。
数値化できない力をどう評価し、視覚化するのか。難しい挑戦だとは思いますが、
それがこれからのサッカー界にとって大きなテーマではないでしょうか。
■PROFILE
かざま・やひろ/1961年10月16日、静岡県生まれ。現役時代はドイツのレバークーゼンやレムシャイトなどでプレーし、
89年の帰国後にはマツダSC(現・広島)に加入。93年のJリーグ開幕戦(対市原/現・千葉)では、開始1分にチーム
第1号&日本人Jリーグ初ゴールを決めた。97年の引退後は解説者を務め、97年から04年まで桐蔭横浜大、08年から12年まで
筑波大を指揮。12年4月からは川崎、17年1月からは名古屋を率い、魅力的なパスサッカーで大きな話題を集めた。
構成●サッカーダイジェスト編集部
※『サッカーダイジェスト』2020年2月27日号より転載。 つくばエクスプレスで異常多発内部告発が問う“新型車両”の問題点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200501-00010000-kinyobi-soci
5/1(金) 16:04配信
東京・秋葉原と茨城県つくばを結ぶ「つくばエクスプレス」で、3月に導入された「新型車両」の異常が多発している。
車両を製造した日立製作所が故障原因を探っているが、その最中にも不具合はやまない。走らせて大丈夫なのか!?
鉄道会社の使命は、言うまでもなく「安全運行」である。
新型コロナウイルス感染拡大で乗降客が激減しているとはいえ、路線距離約58キロメートル(20駅)の
「つくばエクスプレス(TX)」は1日平均数十万人が利用。運行するのは首都圏新都市鉄道(株)
(本社・東京都千代田区神田練塀町、柚木浩一代表取締役社長)だ。
ところが今、乗務員の間ではこんな言葉が囁かれているという。
「新型車両だけは怖くて、乗りたく(運転したく)ない」
【立て続けに異常発生】
同社では3月14日のダイヤ改正に合わせて新型車両「TX―3000系」を導入した。同社プレスリリースによれば、
この新型車両の投入で〈平日朝ラッシュ最混雑時間帯〉に〈大幅な混雑緩和を図る〉という。
しかし、新型車両の運行からしばらくして、筆者の元に次のような内部情報が寄せられた。
〈日立製作所が製造したTX新型車両3000系の不具合が頻発しています〉
五月雨的に送られてきたメールによると、運行開始から2週間だけでも計10件の異常が多発している(別掲「告発メール」参照)。
「81編成」「82編成」とは3000系の個々の電車につけられた番号で、同社では81から85まで5編成を配備。
しかし、トンネル内で火花が散ったという「85編成」は目下、試運転にすら入れない状態だという。
メールにはほかにもいくつかの専門用語があるが、何らかの異常が多発していることだけは素人の筆者にもわかる。
内部告発者はこう指摘する。 「一番の問題は、故障が出たりする現象が解決されていないのにまた走らせていること。
ダイヤ改正までギリギリのスケジュールで余裕なく準備し何とか間に合わせたけれど、試運転で十分な
微調整ができていないまま走らせた。とくに問題なのは、制御不能になり、みどりの駅で臨時停車後、
それを電源リセットして、つくば駅まで運転を再開したこと。安全を考慮し運転を打ち切るべきでした」
その後も、新型車両の不具合は収まらない。3月28日にはドアの故障で柏たなか駅で乗客を降ろし、
4月8日には南千住駅でやはりドア故障が発生したという。
【製造元でコロナ感染】
首都圏新都市鉄道に事実確認を求めると、前述した異常事例を大筋で認めながらも「いずれも乗客の安全を
脅かすものではありません」とし「現在、製造元の日立さんと一体となって解決に当たっています」(広報課)と説明する。
ところが、その日立製作所(東原敏昭執行役社長兼CEO)では、3月17日に社員が新型コロナウイルスに感染し、
約1000人が働いている水戸事業所(茨城県ひたちなか市)は事実上閉鎖された。日立の発表によれば、感染が
確認された従業員と同じ建屋の就業者全員に自宅待機を指示。その後、3月26日になって「緊急対応」として、
東京都内の拠点約150カ所(従業員約5万人)と東京都以外についても自治体の要請があれば〈原則在宅勤務〉とした。
「そのような状況ではありますが、日立さんには緊急案件として新型車両の点検・調査を実施していただいております」(同)
製造者責任があるので緊急対応は当然と言えば当然だが、本来であれば原因を特定し、それが解決するまで3000系
の車両運行をストップさせるのが鉄道会社として取るべき対応ではないのか。
■お金のかけどころ違う
TX乗務員の声を紹介しよう。
「以前の2000系の製造費は約12億円、3000系は約14億円とされていますが、基本的な構造は同じ。
東日本大震災時、コスト削減で車両の窓が開かない“はめ殺し”構造であったため、長時間運転ができなくなる
ことが問題になりました。ところが、新型になっても同じ“はめ殺し”です」
コロナ感染防止で東京メトロや小田急、西武、東武、京急、京成などの私鉄では「窓開け走行」を実施しているが
“はめ殺し窓”のTXは構造上できない。 問題はそれだけではない。
「新型と言っていますが、停電時にも走行できる蓄電池装備(非常用バッテリー)の装着も見送られました。
社員アンケートではこの2つの装備を望む意見が多かったのですが、安全と快適よりコストを重視してしまう。
デザインなど見た目ばかりにこだわって肝心なところにお金をかけない。コロナ感染の真っ最中に人を呼び
寄せる新型車両の出発式典を開催したり、廃棄すると損失になるからと記念乗車券の発売やスタンプラリーの
開催に踏み切ったり(のちに中止)、お金のかけどころを間違えています」
【新型ではなく「改造車」?】
安上がりの車両だから不具合が多発するわけではないと思うが、実は、同社が「新型車両」と銘打っている
3000系は「新型」ではないと指摘する声もある。
同社に確認を求めると、同車両を国土交通省関東運輸局に登録したのは2019年12月5日で、「登録の名称は
〈TX3000〉」(広報課)だという。しかし、実態として2000系を改造したものではないかと再度確認を求めると、
「改造車ではありません。ただ、申請書類は〈2000系の構造装置変更〉として届け出をしている」(同)。
構造変更のことを日本語では「改造」というのではないかと思われるが、実に紛らわしい「届け出」だ。
柚木社長は4月1日に守谷駅で行なわれた入社式で、39人の新入社員に「行動に責任を持ってほしい」などと
訓示したという(『茨城新聞クロスアイ』4月2日配信)。異常多発の「責任」は製造元にだけあるのだろうか。 【2週間で10件!「告発メール」に基づく3000系の不具合】
3月14日 「新型車両3000系」を導入し2年ぶりのダイヤ改正。
3月16日 非常ブレーキが突然作動する異常が発生。
3月22日 81編成が「2次側ルーター」電送異常。
3月23日 朝、84編成に前日と同じ現象。両編成ともに「守谷〜みらい平」間で異常表示。
同日夕、朝に異常が出た車両が「守谷〜みらい平」駅下りで同様の異常発生。つくば駅で「パンタグラフ下げ電源リセット」。
3月24日 浅草駅で82編成のドアが一部開かない異常が発生。
3月25日 守谷駅で82編成のドアが開かず、コントロールユニットを予備のものに交換。
同日、84編成の車両制御装置に不具合が発生し「みどりの駅」に臨時停車。車両の制御が一切できなく
なったことからリセット操作。つくば駅まで運転し「回送」にして運休。
3月27日 新御徒町駅で82編成のドアの一部が開かない異常。
3月28日 未明、85編成が夜間試運転で守谷駅からつくば駅に向かって走行中、つくばトンネル内で漏電により火花が散って煙が立ち込める。
(作成/片岡伸行)
(片岡伸行・記者、2020年4月24日号) 存続へ危機感 DAZN放映権の影響は―Jリーグ、28年目の危機(上)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200502-00000026-jij-spo
5/2(土) 7:50配信
新型コロナウイルスのまん延により、28年目を迎えたJリーグがかつてない窮地に立たされている。
長引く公式戦の中断で、興行収入を失ったリーグ全体の経営状況は日に日に切迫。
存続へ危機感を募らせるJリーグと、クラブの現状を追った。
◇予算確保を最優先
4月15日の臨時理事会後。「2020年、恐らく21年も、コロナ対策に全てのリソースを集中して備えていく」。
村井満チェアマンは、リーグの根幹をなすJ1〜3の全56クラブを守り抜くための資金確保を最優先し、かじ取りを担うと誓った。
事業目標を定めた中期計画の凍結を決め、予算も大幅に縮小する方針。リーグ運営経費を3、4割削減して
30億〜40億円の捻出を探り、中止した新設のエリートリーグの予算を転用する。リーグ戦安定開催融資制度では無担保、
返済期間拡大の特例措置を設け、均等配分金も前倒し支給を準備。経営危機に陥るクラブを救う支援態勢を整えた。
その原資となるのは、17年から10年で約2100億円の大型契約を結んだ動画配信「DAZN」の放映権収入だ。
昨年12月に公表された20年予算の経常収益の7割近くを占める202億9300万円が、今年度分に当たる。
だが、DAZNにとっても放映試合が世界的に消え、状況は厳しい。他国では放映権料の不払いも伝えられている。
村井チェアマンは現時点で「減額はない」と否定するが、仮に開催試合数が減れば、今年度分について満額を
受け取れない可能性が高い。経営危機が差し迫るあるJ2クラブの社長は「Jリーグが助けてくれるとは思うが、
DAZNのお金がなくなれば終わり」と共倒れを危惧する。
DAZN参入による莫大(ばくだい)な資金を元手に強固な財政基盤を築き、再成長を加速させてきた矢先のコロナ禍の逆風。
「クラブを万全の態勢で支援していく。(リーグの経費削減も)相当の痛みを伴う」とチェアマン。
1993年の開幕後、そして自身の最終任期に直面した未曽有の事態に、決死の覚悟を示す。 チケット収入激減へ 「寄付」申し出るファンも―Jリーグ、28年目の危機(中)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200503-00000014-jij-spo
5/3(日) 7:34配信
通常通りに観客を入れての再開が難しい情勢となったJリーグでは、各クラブの営業収益の2割前後
を占めるチケット収入の激減は必至。その柱のシーズンチケットをめぐる対応は悩みの種だ。
Jリーグが昨年実施したスタジアム観戦者調査では、シーズンチケット購入者は全体の46.4%。
新型コロナウイルス感染防止策として収容率を5割以下に抑える案があり、前後左右の間隔を空けて
指定席を配置すると、購入者全員分を用意できない恐れがある。シーズンチケットの売り上げが
約2億円に上る札幌では、席の配置を組み直して販売した場合、1000万円単位の追加費用が見込まれる。
王者横浜Mの昨年の入場料収入は約11億円。観客席全体の35%程度がシーズンチケットに割り当てられる。
特に買われているのがゴール裏で、「相当数のお客さまに払い戻しなどをお願いすることになる」(担当者)。
リーグ屈指の集客力を誇る浦和は4月11日、約2万人のシーズンチケット購入者に対し、同様の取り扱いの検討
に着手したことをホームページで通知した。
大分はホーム収容人数約3万2000人に対し、昨季の平均入場者数が約1万5300人だった。
収容率制限の影響は少ないとはいえ、担当者は「この情勢でスタジアムに来てもらえるかは別の話」と頭を悩ませる。
「開催するにしてもまずは無観客」。
23日の感染症専門家チームの提言により、当面は無観客開催の可能性も出てきた。
動員が鈍る平日開催の増加も、追い打ちをかける。
一方でスポーツ庁は、中止された試合などのチケットを払い戻さなかった場合は購入代金を寄付とみなし、
2000円を差し引いた金額の4割分の税金が控除される制度を始める予定。
川崎の担当者は「ありがたいことに、払い戻しを辞退していいという連絡が数十件ある」。
クラブの苦境を支えるのも、またファンかもしれない。 迫り来るスポンサー離れ クラブ経営、来季も懸念―Jリーグ、28年目の危機(下)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200504-00000004-jij-spo
5/4(月) 6:51配信
Jクラブの収入の要はスポンサー料だ。
ただ、その出資先は公式戦の中断で露出機会を失い、新型コロナウイルスのあおりで本業自体も苦しい。
各クラブにはスポンサー料の減額や離脱など、恐れていた危機が差し迫る。
2019年度の決算報告に臨んだクラブの社長からは、不安の声が相次いだ。
最も世間への露出が高いJ1では、広告料の減収は避けられない情勢。
大分は過去にも大口スポンサーの相次ぐ撤退で09年に経営危機に陥り、J3まで転落した経験を持つ。
現在も経営規模は小さく、榎徹社長は「資金繰りは厳しくなる。市中銀行の融資を考えている」と明かした。
J1で最多8度の優勝を誇る鹿島の小泉文明社長は「10億〜20億円単位で(収入が)落ち込む可能性がある」
と指摘。札幌の野々村芳和社長は「少し悪く見積もると10月にはキャッシュが尽きることも想定される」
と、最悪の事態に備え資金調達を進める方針だ。
財政基盤が弱いJ2、J3はさらに深刻だ。
観光業が基幹産業の沖縄に本拠を置くJ2琉球は、打撃を受けた航空会社から既にスポンサー料の減額を求められた。
今季は乗り切っても、来季の人件費削減は不可避とみる。どのクラブも入場料とグッズの売り上げが見込めず、
スクール事業休止により月謝の入金も滞る。新潟の是永大輔社長は地元テレビで
「9、10月にくらいにキャッシュがなくなる。倒産する」と、衝撃の2文字を口にした。
村井満チェアマンは「J3の場合は試合をすればするほど赤字がかさむ」と言うが、どうも実情は違う。
選手の完全プロ化が進んでいないクラブは、入場料収入を職員給与に充てるケースが多い。
関係者は「かなりきつい。自転車操業状態」と語る。
Jリーグには忘れてはならないつらい過去がある。1998年に主要株主の撤退により、横浜Fが消滅。
OBの元日本代表GK楢崎正剛は言った。「一番あってはならない出来事だった」。悲劇を繰り返してはならない。 の悪さで有名な「足立区・竹ノ塚」団地の奥に広がるのは…
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00026828-gonline-bus_all
5/5(火)10:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東武伊勢崎線「竹ノ塚」駅。
■「竹ノ塚」を象徴する、駅南に広がる歓楽街
「竹ノ塚」駅は東京都足立区にある、東武鉄道伊勢崎線の駅です。東京のなかで北端に位置する駅のひとつで、
各駅停車しか停まりません。1日の乗降客数は7万人強。
以前はさらに多い乗降客を誇っていたそうですが、2008年日暮里・舎人ライナーが近隣に開業し減少しました。
「竹ノ塚」の地名の由来は、周辺一帯から古墳(≒塚)が発掘され、高台に位置していたから「高い塚」から
「竹ノ塚」となったとか、竹が自生していたから「竹ノ塚」と呼ばれるようになったとか、諸説あります。
竹ノ塚駅近くにある白旗塚史跡公園には、1062年に源頼義・義家が奥州反乱を鎮圧する戦いで、この塚に源氏の旗
である白旗を立てて戦ったという逸話が残っています。いずれにせよ、由緒ある地名だといえるでしょう。
「竹ノ塚」駅の東口を出ると、ロータリーを囲むように、1階に店舗が入る、昔懐かしい巨大な集合団地がそびえ立っています。
さらにその南側には、都内でも最大級といわれるフィリピンパブの歓楽街、通称「リトルマニラ」が広がっています。
ロータリーの向こう側に広がるのは、「竹ノ塚 カリンロード商店会」。地域活性化とイメージアップを狙い、
植林したカリンの木にちなんで、1988年、昭和63年に、竹ノ塚東口商店街から改名したそうです。
「ピーコック」や「イトーヨーカドー」のほか、全国区のドラッグストアや100円ショップ、飲食チェーンなど、
お馴染みの店が集積する一方で、地元密着型の個店が集積し、平日の夕方には多くの買い物客でにぎわいます。 治安の悪さで有名な「足立区・竹ノ塚」団地の奥に広がるのは…
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00026828-gonline-bus_all
5/5(火)10:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東武伊勢崎線「竹ノ塚」駅。
■「竹ノ塚」を象徴する、駅南に広がる歓楽街
「竹ノ塚」駅は東京都足立区にある、東武鉄道伊勢崎線の駅です。東京のなかで北端に位置する駅のひとつで、
各駅停車しか停まりません。1日の乗降客数は7万人強。
以前はさらに多い乗降客を誇っていたそうですが、2008年日暮里・舎人ライナーが近隣に開業し減少しました。
「竹ノ塚」の地名の由来は、周辺一帯から古墳(≒塚)が発掘され、高台に位置していたから「高い塚」から
「竹ノ塚」となったとか、竹が自生していたから「竹ノ塚」と呼ばれるようになったとか、諸説あります。
竹ノ塚駅近くにある白旗塚史跡公園には、1062年に源頼義・義家が奥州反乱を鎮圧する戦いで、この塚に源氏の旗
である白旗を立てて戦ったという逸話が残っています。いずれにせよ、由緒ある地名だといえるでしょう。
「竹ノ塚」駅の東口を出ると、ロータリーを囲むように、1階に店舗が入る、昔懐かしい巨大な集合団地がそびえ立っています。
さらにその南側には、都内でも最大級といわれるフィリピンパブの歓楽街、通称「リトルマニラ」が広がっています。
ロータリーの向こう側に広がるのは、「竹ノ塚 カリンロード商店会」。地域活性化とイメージアップを狙い、
植林したカリンの木にちなんで、1988年、昭和63年に、竹ノ塚東口商店街から改名したそうです。
「ピーコック」や「イトーヨーカドー」のほか、全国区のドラッグストアや100円ショップ、飲食チェーンなど、
お馴染みの店が集積する一方で、地元密着型の個店が集積し、平日の夕方には多くの買い物客でにぎわいます。 日が暮れて夜になると、「竹ノ塚」駅東口エリアは、また別の顔を見せてくれます。周辺に居酒屋やスナック、
パブが多く、昼間とは別のにぎわいをみせます。駅南エリアのフィリピンパブの集積エリアとともに、
竹ノ塚周辺の治安を不安視する声がよく聞かれるのは、このようなエリアの特性からでしょう。
■やっぱり犯罪率の高い「竹ノ塚」に変化の兆しも
そんな「竹ノ塚」駅周辺の家賃水準をみていきましょう。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.83万円、11分を超えると4.94万円となっています(図表1)。
足立区の平均と比較すると、駅周辺は区平均と同程度ですが、駅から離れると区平均を大きく下回ります。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、
そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、
都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
会社員の適正家賃からみてみると、「竹ノ塚」周辺は、20代の若手会社員でもお釣りがくるほどの家賃水準です。
大手ポータルサイトで検索してみると、特に東口エリアは商店街が面で広がっているので、駅チカ物件は少なめで、
築年数も30年以上の古いものが目立ちます。徒歩15分程度いくと物件も多くなってきますが、どれも築年数は古めです。
築年数の経っていない物件を好む人は、物件選びに少々手こずるかもしれません。
交通の利便性を見ていきましょう。
「竹ノ塚」から足立区のターミナル「北千住」までは9分、「大手町」には最短34分です。
「竹ノ塚」からは東京メトロ日比谷線直通で「日比谷」や「六本木」方面にダイレクトにアクセスできますが、
行く先によっては「北千住」で東京メトロ千代田線やJRに乗り換えたほうが、所要時間の短縮になります
(所要時間は平日8時に「竹ノ塚」駅を出発した場合の目安)。 次に生活利便性をみていきましょう。
駅東口には「ピーコック」「イトーヨーカドー」、西口には「西友」があります。深夜、または24時間営業の店もあり、
時間を気にする必要はありません。また商店街には全国展開のドラッグストアチェーン、100円ショップなども点在
しているので、駅周辺でたいていの最寄り品を揃えることができます。またファストフード店やファミレス、牛丼店や
定食店など、単身者でも入りやすい飲食チェーン店も多いので、外食派の人でも、駅周辺で完結させることができます。
問題は、前述の通り治安です。
足立区自体、治安を不安視する声が聞かれますが、実は23区中11位と、イメージが先行している感があります。
では「竹ノ塚」駅周辺はというと、はっきりいって治安が良いとはいえません。
特に歓楽街のある「竹の塚1丁目」の犯罪率は高いので、物件を選ぶ際には避けたほうが無難です。
そんな「竹ノ塚」が大きな変化を迎えようとしています。長らく問題となっていた付近の踏切が2022年、
高架化によって解消されて、東西交通がスムーズになる予定なのです。
今後、線路で分断されていた街が一体となり、魅力も一気に向上するかもしれません。
GGO編集部 新たなトレンドを切り開いたE231系 一時はJR車両最多形式に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200505-30000238-tetsucom-ind
5/5(火) 10:05配信
首都圏の通勤輸送を担うJR東日本。国鉄分割民営化により同社が発足した当時、首都圏では国鉄時代に投入された
103系が多数活躍しており、老朽化したこの車両の置き換えが課題となっていました。多数の車両を、コストを抑えつつ
導入する、というコンセプトの基に、JR東日本が1993年に営業運転に投入したのが、京浜東北線などで活躍した209系です。
同社はさらに、1994年に近郊型のE217系、1995年に交直両用車両のE501系を投入。JR発足後の第1世代車両群を作り上げました。
そして、209系をさらに進化させた第2世代の車両として、JR東日本が開発したのが、2000年にデビューしたE231系です。
■2つのタイプを1形式に統一
E231系の一番の特徴は、それまで区別されていた「通勤型電車」と「近郊型電車」を統合し、「一般形電車」という区分を生んだことです。
国鉄時代、都市部の通勤電車に使用される「通勤型電車」と、都市部と郊外を結ぶ列車などに使用される「近郊型電車」は、
明確に区別されていました。103系や205系などの通勤型は、4つドアとロングシートが基本。113系や415系などの近郊型は、
3つドアとセミクロスシートが基本と、両者の設備は別。通勤型では加減速性能を重視、近郊型では加速性能と引き換えに
高速性能を重視と、性能も異なっていました。
しかしながら、国鉄末期にかけて郊外からの通勤需要客が増えてくると、特に首都圏においては、従来の近郊型では扉数が少ない、
セミクロスシートのため乗車効率が悪い、というデメリットが目立ってきました。また、設備や性能が異なる車両を別形式を
それぞれ開発し、保守管理することは、コストも膨らみます。
1994年にデビューしたE217系は、近郊型の区分ながら、ドア数は4つ、セミクロスシートは一部車両のみと、従来の近郊型とは
コンセプトを異にした車両となりました。また、床下機器は209系を基にしており、209系よりも起動加速度を抑えた代わりに
高速性能を向上させた車両となっています。 このように、すでに209系・E217系で機器類の設計共通化は実現していましたが、E231系ではこれをさらに推し進め、
同じ形式の中に「通勤タイプ」と「近郊タイプ」の2つの仕様を持つコンセプトとしました。E231系の車体は、E217系のような
広幅・4つドアのもの。通勤タイプでは従来車よりも定員が増加し、近郊タイプではE217系同様に乗降時間短縮が狙えます。
床下機器は従来の通勤型の性能を発揮できる仕様ですが、209系やE217系よりもモーターの回転許容数を引き上げることで、
近郊タイプに求められる高速性能も発揮できるように。E231系通勤タイプの起動加速度は時速2.5キロ毎秒と、209系と同じ数値
となっていますが、設計最高速度は時速120キロと、起動加速度が時速2.0キロ毎秒に抑えられるE217系と同等のスペックを実現しています。
車体設計や搭載機器が統一された一方で、先頭部のデザインは両者で異なっています。通勤タイプは209系のデザインを受け継ぐものですが、
近郊タイプは衝撃吸収構造を採用した高運転台の設計。踏切などでトラックのような障害物と衝突した場合にも、あえて破壊する部分
を設けることで衝撃を分散し、乗務員の生存率を高める「クラッシャブルゾーン」の概念を採用し、郊外路線走行時の安全性を確保しています。
また、車内設備も両タイプで異なります。通勤タイプでは従来通りのロングシートを設置していますが、近郊タイプでは一部車両に
セミクロスシートを設置。基本編成にはグリーン車も連結しており、中長距離での移動需要に応えています。
車両タイプの統合に加え、搭載機器の進化も試みられました。特筆されるのが、車両統合管理システム「TIMS」の搭載です。
従来の電車では、加速や減速、ドアの開閉、空調機器などの指令は、すべてそれぞれ独立した電線を編成間に貫通させ、乗務員室など
から伝達する方法を採っていました。しかし、この方式では多数の配線が必要になることでの重量増加、メンテナンスの不便さと
いったデメリットが表れていました。 E231系が搭載するTIMSでは、これらほぼすべての指令をデジタル通信化し、2本の伝送路に統合。大幅な配線数削減を実現しました。
また、通信容量も従来車より大幅に向上したため、さまざまな新機能も搭載できました。たとえば、車両基地から出区する際に実施
する点検の自動化や、機器類の稼働状況の記録などなど。TIMSをJR東日本と共同で開発した三菱電機では、検査員5人による月検査
(1か月〜3か月間隔で実施する検査)に要する時間を、TIMS搭載車では40分と、従来車両の120分から大幅に短縮できるとしています。
■通勤路線から郊外路線まで
E231系の試作車にあたる209系950番台は、1998年に登場しました。車体は後に登場する量産車とほぼ同一ですが、1編成内に2種類の
制御機器(三菱電機製・日立製作所製)を搭載し、両ユニットで磁励音が異なるという、試作車らしい特徴を持つ編成として製造されました。
製造後はしばらく試運転を実施した後、翌1999年に中央・総武緩行線での営業運転を開始しています。
量産車の登場は2000年。まずは従来車両の老朽化が深刻化していた中央・総武緩行線に、通勤タイプが投入されました。量産車の
デビューにあわせ、209系950番台もE231系900番台へ改番されています。
2002年には、常磐快速線・成田線でも通勤タイプが営業運転を開始しました。それまで常磐快速線では103系が使用されていましたが、
同線は駅間距離が長く、快速列車の最高速度も時速100キロ(当時)と比較的高く設定されていたため、短距離での高加減速に重点を
置いた103系にはミスマッチな路線でした。一方、これを置き換えるE231系は、先述したように加減速性能も高速性能も確保した車両。
同線での旅客列車がJR化後の車両に統一された現在は、性能をフルに発揮した、最高時速120キロで運転する場面も見られます。
常磐線用車両と同じ2002年には、山手線用の500番台もデビューしました。当時山手線で活躍していた205系は、第1編成の登場から18年、
最終編成の投入からも11年しか経過していない、比較的若い車両でしたが、山手線の保安装置更新を前に、車両を置き換えることとなったのです。
このグループでは、ドア上の液晶ディスプレイという、今では当たり前となった装備が、JRでは初めて本格採用されています。 また、山手線へのホームドア設置を前に、製造当時に連結していた6ドア車を4ドア車に置き換える編成組み換え工事が、
2010年から2011年にかけて実施されています。
2003年には、中央・総武緩行線と地下鉄東西線の直通列車用に、800番台が投入されました。こちらは地下鉄線の狭い車体限界に対応し、
他の広幅タイプではなく、狭幅タイプの車体に。機器類はE231系通勤タイプと同じですが、地下鉄千代田線直通用に投入された209系1000番台
をアップグレードしたような車両となりました。
近郊タイプの車両は、通勤タイプの量産車と同じ2000年に登場。当初は宇都宮線で運用を開始し、翌2001年からは高崎線や湘南新宿ライン
へも運用線区を拡大しました。2004年には東海道線用の編成も登場し、現在は黒磯・前橋〜逗子・伊東・沼津間と広範囲で活躍しています。
E231系の転機が訪れたのは2015年。山手線で新型車両のE235系がデビューし、E231系500番台の置き換えが始まったのです。
山手線から転出した500番台は、カラーリングを変更して中央・総武緩行線に投入。同線で活躍していたE231系を他の路線へ転属させる
という、いわゆる「玉突き転配」によって旧型車両を間接的に置き換えていきました。
中央・総武緩行線から捻出されたE231系は、8両編成と4両編成に短縮され、前者が武蔵野線用、後者が八高・川越線用として改造。
両線で活躍していた205系や209系を置き換えています。
E231系の総製造数は2736両。山手線の6ドア車置き換え用に製造した4ドア車も含むため、全ての車両が同時に在籍したことはありませんが、
これは2011年現在ではJRグループでの最多両数。
次世代車両のE233系には記録を抜かれたものの、総製造数では現在でもJRグループ2位の記録となっています。 ■鉄道車両の「標準化」に貢献
JR東日本が開発した車両であるE231系ですが、その設計は他の事業者へも影響を与え、E231系の私鉄バージョンと言える車両がいくつか登場しています。
相模鉄道が2002年に投入した10000系は、前面デザインを除けばほとんどがE231系と同一の設計。これによりE231系と部品を共通化することで、
車両の設計・導入コストを抑えています。相鉄ほど極端ではありませんが、東京都交通局の10-300形1・2次車や、東急電鉄の5000系も、
E231系と一部機器・部品を共通化し、コストを削減しています。
この設計共通化の流れに乗り、鉄道車両や部品のメーカーが加盟する日本鉄道車輌工業会は、2003年に「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」
を発表。車体寸法や採用機器、性能などのひな型を作り、車両設計の共通化によるコスト削減を目指したのです。このガイドラインに沿った車両は、
必ずしもE231系のようなステンレス・広幅車体ではありませんが、大小さまざまな面で共通化を図っており、特に首都圏の事業者において採用されています。
また、E231系にて採用されたTIMSは、車両の標準化以上に多くの事業者へ広まりました。事業者によって名称は異なるものの、小田急電鉄や京王電鉄、
ゆりかもめなど、多数の事業者がこれを採用しています。現在はTIMSの後継システムにあたる「INTEROS」も登場。通信容量が大幅に拡大しており、
E235系やE261系などJR東日本の最新型車両のほか、東急電鉄2020系、東京都交通局5500形などに採用されています。 「10万円給付のツケ」は結局、国民に…!大増税時代がやってくる
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00072339-gendaibiz-bus_all
5/5(火) 7:01配信
■「所得増税」がターゲットに
新型コロナウイルスの感染拡大による経済の急速な悪化に対応して、日銀は先週月曜日(4月27日)、国債を制限なく
購入することなどを柱とした追加の金融緩和策を決定した。
生活困窮者が続出したり、中小企業が未曽有の資金繰り難に直面したりする事態が現実の問題となりつつある中で、
先週木曜日(同30日)に成立した2020年度補正予算の執行を可能にして政府のコロナ対策を実現するためには、避けて通れない道だろう。
しかし、日本の金融・財政が、ここ数年、「財政再建不要論」として経済学の世界で大きな論争を呼んでいる
MMT(現代貨幣理論)派が主張するような「いくらでも借金ができる」ような状態とは、筆者には思えない。いずれ、
日銀や日銀のバランスシート、そして通貨・円への信認が揺らぐ日が来ないとは断言できないのではないだろうか。
われわれ納税者の立場からみて、さらに深刻なのは、日銀が制限なく買った国債の元利払いのため、遠からず、増税せざる
を得ない日がやってくることだろう。新型コロナウイルス感染症ショックの深い傷跡が残り、成長率が下押しされ、
雇用と所得が伸びにくい中で、法人税や消費税ではなく、所得増税がターゲットになるリスクは非常に大きいのだ。
コロナは克服できても、経済面での我慢は続く。
今から覚悟が必要な問題であり、せめて今から、安倍政権の不要なバラマキに目を光らせておかなければならない。
まず、おさらいだ。先月の金融政策決定会合で、日銀が決めた追加の金融緩和政策の概要を見ておこう。
■日銀が掲げる「3つの柱」
日銀の発表文書「金融緩和の強化について」によると、大きな柱は3つある。
第1が社債、CP(コマーシャルペーパー)等の買入れ増額だ。この施策は、大企業向けの資金繰り対策で、買入枠の上限
をこれまでの3倍近いおよそ20兆円とした。
1社ごとの買い入れ残高の上限についても、社債がこれまでの3倍の3000億円、CPが同じく5倍の5000億円になった。
金利の高止まりを緩和して、資金を円滑に供給しようという狙いがあるという。 第2が「新型コロナ対応金融支援特別オペの拡充」である。これは今年3月に導入したばかりのものだ。
金融機関が企業や個人にしっかり資金を融資する体制を固める狙いがあり、オペの対象になる担保をこれまでの
3倍の23兆円に拡充することや、オペの対象になる金融機関に新たに各種の系統金融機関を加える。
これとは別に、政府が緊急経済対策に盛り込んだ中小企業向けの資金繰り支援制度の設置のために、日銀として早急に
金融機関をどう補助するかの施策を検討する方針も盛り込んだ。
極め付けが、第3の施策である、国債のさらなる積極的な買い入れ、である。これについては、「債券市場の流動性が
低下しているもとで、政府の緊急経済対策により国債発行が増加することの影響も踏まえ、債券市場の安定を維持し、
イールドカーブ全体を低位で安定させる観点から、当面、長期国債、短期国債ともにさらに積極的な買入れを行う」
との補足説明が付いている。
国債のさらなる積極的な買い入れとの関連で思い出してほしいのが、新型コロナウイルスの経済対策を盛り込んだ
2020年度の補正予算案がやはり先週木曜日に、参議院本会議で可決され、成立したことだ。
■異例の予算組み換えをどう見るか
今回の補正予算は、借換え分なども含めた国債発行額が年度当初案よりも35兆0914億円多い188兆5535億円に膨らんだ。
その背景にあったのが、異例の閣議決定後の予算案の組み換えだ。
財源が4兆円で足りるはずだった、所得が激減した人への「30万円の現金給付案」を、3倍を超える12兆9000億円の財源が必要な
「一律10万円の現金給付」に切り替えたことが背景にある。
この組み換え自体は、新型コロナウイルス感染症の影響で現実に生活に困窮する人が増えている以上、必要な施策である、
速やかに実行しなければならない。ただ、必要な財源の確保のためとはいえ、これほど巨額の国債を通常の市中消化だけで
発行しようとすれば、国債の発行利回りが急上昇して、財政を大きく圧迫することになりかねない。 そこで、日銀が市中から国債をどっさり買い上げて、その種の問題が起きないようにするというのは、やむを得ない。
避けて通れない道だろう。日銀の黒田東彦総裁は金融政策決定会合後の記者会見で、「中央銀行ができることは何でもやる」
と強調したという。まさに黒田総裁の言う通り、目一杯の金融政策を繰り出したと言える。
これを別の側面からいうと、日銀はこれまで国債の保有残高を「年80兆円をめど」に増やす方針としていたのを今回撤廃して、
これからは制限なく買いまくるということだ。財政との連携が強化されるのも明らかだ。
歴史的に見れば、日銀のような中央銀行がその国の国債を大量に直接引き受けたり、度を超して買い入れたりすることは
禁じ手とされてきた。通貨への信認が薄れるなどして猛烈なインフレを引き起こす懸念があるからで、経済学の世界では
今でも、どこかで限界が来るという見方の方が支配的だろう。
■“乱暴な政策”が求められる事態に
ただ、ここ数年、経済学の世界では、MMT(現代貨幣理論)とか、その大元になった、空からおカネをばらまけという、
ヘリコプター・マネーといった議論が注目されている。そういう理論は、こうした中央銀行の国債購入も理論的に正当化
するものなので、主流派との間で喧々諤々の議論が闘わされている。
今回の日銀の追加金融緩和を見ていると、必ずしも正しいというコンセンサスが経済学の世界で確立しているわけではないものの、
新型コロナウイルス感染症の猛威はそんな学問的な議論とは違う次元で経済や暮らしを破壊しかねない勢いがあり、金融・財政政策が
そういう事態に対応せざるをえないという現実の非情さを感じずにはいられない。
この現実は、金融・財政政策の弊害や副作用を検証する十分な時間を与えることなく、日本や諸外国にリーマンショック時とは
桁違いの財政出動と、それを支える中央銀行の国債買入れを繰り返し要求することになりそうだ。現状の見通しでは、そういう意味で
かなり乱暴な政策が実施されないと、企業の存続は覚束ないし、困窮する人々の生活も立ち行かない。 ここでちょっとMMTに触れておくと、「政府と中央銀行をあわせた国」あるいは、「自国の通貨を発行して借金ができる国」は、
「いくらでも借金ができる」という議論がベースにある。財政再建は必要ないので、経済を刺激するためにいくらでも借金をして
財政支出を膨らませて経済を成長させればいいという考え方である。
とはいえ、どんな場合でも通用するわけではなくて、雇用が完全ではない状態に限って有効な政策であり、生産年齢人口に余裕があり、
かつ人口が増加している国、例えば米国のような国ならば、この政策が有効だという。
■日本の財政とMMT
インフレについては完全雇用になるまで起きないとしており、完全雇用になると財政支出が不要になるので、財政赤字もそれほど増え過ぎない、
心配しないで良いといった主張も含まれている。
大元の議論である、「ヘリコプター・マネー」(貨幣発行でファイナンスされる減税政策)というのも、反緊縮財政というべき学説で、
かつてデフレ脱却の処方箋として注目された時期があった。
その一方で、MMT派の学者の中には、「日本は早くからMMTを実践してきた国だ」という主張もあれば、「すでに人手不足で、なおかつ
人口が減っている日本で行うのは極めて危険だ」と主張する人もいる。MMT派の中にもこれといった確固たる定説はないとも言える。
要は、「MMTは正しい」と断定できる段階にはないということだ。伝統的な経済学が
なかなかデフレや長期停滞から抜け出す処方箋を描き切れず、社会的な要求に応えていないから、異端のMMTが注目されているのだ。
一方で、歴史的な教訓として、中央銀行が国債を直接引き受けする形で財政赤字を肩代わりする「財政ファイナンス」
を法的に規制している国家は今なお多く、今後もMMTが経済学の主流になる可能性は低いだろう。 日本はこれまで、他国の窮状に救われて、相対的に通貨・円への信頼が維持されてきた。結果として、高インフレが起きない幸運に
恵まれ続けてきただけという感もある。深刻なのは、財政の実情だ。将来、MMT云々とは無関係に、非常に厳しい事態が到来するだろう。
その点こそ、今から覚悟しておかなければならない問題だ。
■ツケが国民に回ってくる
どういうことかというと、所得税の大増税時代がやってくる可能性が高いのだ。
今回、緊急コロナ対策で、個人への一律10万円の給付や、売り上げが半減した中小企業に200万円、フリーランスを含む個人事業主に
100万円を上限に給付する施策を盛り込んだことによって、国債発行額が借換え分なども含めると年度当初予算より35兆0914億円多い
188兆5535億円に膨らだのは前述の通りである。
当面、黒田総裁が無制限に引き受ける方針を打ち出したものの、こうしたおカネは未来永劫、日銀の国債買入れでファイナンスされる
わけではない。遠からず、増税という形で、ツケが国民に回ってくる。
その際、国際誘致合戦が起きている企業に対する法人税の増税や、去年10月についに10%まで引き上げたばかりの消費税は、
現実問題として増税が難しい。そこで残るのは、個人の所得税への大増税ということになる。
何年かけて、どの程度の所得階層を中心に回収するかなどにもよるが、10万円貰ったら何百万円も増税されたという笑えない話が
再来年辺りにやってきてもおかしくない。
しかも、その頃は、新型コロナウイルス感染症の流行は終わっているかもしれないが、コロナショックの傷跡が深く経済がなかなか
回復しない履歴効果に苦しんでいるはずなのだ。つまり、景気が底這い状態になっていることを覚悟しておく必要がある。
結局のところ、外出自粛という我慢を強いられたコロナ危機が収束後しても、重税という我慢の時代が続くという可能性が大きいのだ。
町田 徹(経済ジャーナリスト) 報ステ、代役「森葉子アナ」の評価が急上昇中 彼女を知るための“7つのキーワード”
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00625851-shincho-ent
5/5(火) 11:02配信
■34歳に訪れた“大チャンス”
テレビ朝日が誇る夜の看板報道番組に激震が走ったのは4月13日のこと。『報道ステーション』
のメインMC務める富川悠太アナウンサー(43)が新型コロナウイルス陽性判定を受け、
感染拡大防止のためスタジオ出演者を一新せざるを得ない事態に陥ったのだ。
***
富川アナとの濃厚接触者となった女性MCの徳永有美アナウンサー(44)も、自宅待機となってしまった。
その間の番組を支えたのが、普段は金曜日のメインMCを担当する小木逸平アナウンサー(45)と、
19年4月から同番組にフィールドキャスターとして出演中の森葉子アナウンサー(34)だった。
なかでも森アナは視聴者からの評価が高く、一躍注目の存在に。普段はショートカットの髪型が
清楚な雰囲気を醸し出していてとっても可愛いのだが、これがニュース原稿を読む際には、
きりっとした美しさに、そこはかとない色気も感じられる。このギャップがたまらないワケだ。
番組の公式サイトにも、森葉子アナは出演者として、写真と簡単な経歴、そして抱負が掲載されている(4月30日現在)。
すでに徳永アナは復帰したものの(富川アナは依然として自宅待機中:同30日現在)、
別スタジオからのリモート出演となり、まだまだ森アナはスタジオで奮闘している。
そこで今回は、そんな森アナの功績を讃えて、彼女の魅力を7つのキーワードとともに紐解いていきたいと思う。
まずは彼女の簡単なプロフィールからだ。
森アナは1986年4月26日生まれの牡牛座で、出身地は千葉県いすみ市とのこと。
血液型はO型で身長は女子アナとしては珍しく170センチという高身長を誇っている。
テレビ朝日には10年4月に入社、以後は研修期間を経て情報・報道番組をメインに活躍中だ
(視聴者的には2代目アシスタントを務める『ナニコレ珍百景』が一番おなじみかもしれないが、
基本、あの番組はネプチューンが回しており、彼女の出番らしい出番はVTR振りの際の「VTRナニコレ」
というセリフくらいしかないのが残念)。 キャリア的には今年で34歳ということで、中堅アナからベテランアナの域に差し掛かってきたというところだろう。
さて、ここからが本題である。森アナ語る上で欠かせないエピソードその1は“三人姉妹の真ん中である”
ということである。これだけだと何の変哲もないネタなのだが、実はお姉さんもアナウンサーなのだ。
現在、NHK水戸放送局勤務の森花子アナウンサー(35)がその人である。
そして妹さんは残念ながら女子アナにはなっておらず、一般人である。
もし女子アナになっていたら、おそらく史上初の快挙とも言うべき、女子アナ三姉妹が誕生していた
ということになるワケだったのだが……。
末っ子の妹さんの名前を書くわけにはいかないが、長女の花子、次女の葉子と同じように植物にちなんだ名前が使われている。
これは彼女たちの父親が植物好きだからなんだそうだ。
エピソードその2は、剣道4段という腕前を持つ“剣道女子”だということ。前述した姉・花子の影響で幼少期から
地元の少年剣道クラブに通っていたら、千葉では当時、相当珍しかったのか、“姉妹剣士”としてテレビの取材が来たという。
その後、高校と大学も姉と同じ木更津総合高校と茨城大学に進学し、そこでも剣道を続けた。
結局、約17年も打ち込んだ結果、高校と大学の個人戦ではともに全国ベスト8にまで進出するなど、かなりの
“強者”なのである(ちなみに姉の花子は、高校では関東3位、大学ではなんと全国3位に輝いている)。
■剣道勝負で芸人をめった打ち
その実力のほどをテレビで披露したこともある。現在も放送中の『マツコ&有吉 かりそめ天国』で、やはり
剣道の有段者であるお笑い芸人・チャンカワイ(39)の企画“お笑い芸人・チャンカワイの剣道地獄7番勝負”
の第3弾(18年10月3日放送)に対戦相手として登場したのである。
チャンカワイは当時、剣道2段(のちに3段に昇段)で三重県ベスト16が最高成績であった。
にもかかわらず、対戦前には剣道4段の森アナとの対決に「めちゃめちゃ自信がある」と余裕をかましていたのだが……。 肝心のルールは1試合3分でチャンが1本取ったら試合終了となる。ただし、1本取るまで何度でも繰り返す……
というものだった。そしてこのルールによってチャンはこの上ない地獄を味わうこととなるのである。
森アナは約10年のブランクがあったのだが、試合開始直後からそれを感じさせない素早い動きでチャンから
1本を取りまくっていった。この森アナの容赦ない攻めにチャンは途中から半泣き、ついには彼女の気迫に
ビビってまったく手が出なくなってしまった。要は“サンドバック状態”と化してしまったのである。
結局、試合時間は3時間4分で全39戦が行われたのだが、チャンは最後まで1本も奪うことは出来ずに全敗、ギブアップしたのだった。
エピソードその3は“運動神経抜群”であること。剣道の有段者なのだから、当たり前の話かもしれないが、
その運動神経の良さを買われて出演したのが、局の人気バラエティ『ロンドンハーツ』である。
2012年8月28日に放送された人気企画“女性芸能人真夏のスポーツテスト”に登場し、女性お笑い芸人や、
女性アイドルに交じって体力測定に挑んだのだ。
そのなかで50m走や上体反らし、ビーチフラッグスなどにチャレンジ、特に走り高跳びでは長身にも関わらず、
ダイナミックな背面跳びを披露し、全27人中、3位という好成績をマークした。総合順位でも3位という大活躍だったのである。
先に紹介した2と3のエピソードは文武両道なら“武”のほうだった。なので、このエピソードその4は“文”
を紹介したい。それは“教員免許を取得している”ことだ。
前述したように森アナは姉の影響もあって茨城大学へ進学したが、これは男性アナウンサーも含めた
全アナウンサーの出身大学としては極めて珍しい。
だいたいが早稲田、慶応義塾、最近なら東大出身や青学出身の女子アナの活躍がめざましいなかで、ある意味、異色の存在といえる。
そんな茨城大学で森アナは教育学部に通い、“小・中・高の教員免許”を取得することに。
卒論もアスリートらしく「月経が競技者に与える影響」というテーマで書き上げたという。
エピソードその5は“見事なまでのモデル体型”であること。身長が170センチというのはすでに述べたが、
細身で、美脚で、“これぞモデル体型”と言うべき感じで、抜群のスタイルだ。 そのルックスも、控えめな感じのなかに、かすかに派手さも持ち合わせているという、不思議なオーラがある。
■実力で勝ち取った女子アナの座
これだけキレイなのだから、学生時代はモデル活動なり、何らかの芸能活動をしていてもおかしくないのだが、
その形跡がないところも魅力の1つかもしれない。いわば、完全に実力で勝ち取ったテレビ朝日の女子アナ枠なのだ。
ちなみに自慢の美脚を活かした仕事……というワケではないだろうが、13年にはテレビ朝日開局55周年記念応援隊
として結成された若手女子アナユニット“ゴーちゃん。GIRLS”に最年長メンバーとして参加している。
そこでの衣装は、イメージカラーの緑に彩られた網タイツにミニスカートという“戦隊ヒーロー風”コスプレだったことも付け加えておきたい。
エピソードその6は“ヘアースタイル”だ。最近の『報道ステーション』で彼女のことを知った人はショートカット
のイメージが強いかもしれないが、実は入社当初からしばらくはロングヘアーだったのだ。
特に多かったのが、ゆる巻き風の可愛い髪型だった。紙が長いときの森アナは可愛い感じが強めだったが、ショート
にしたことで今度は清楚でキレイなお姉さん風美人感が増したというか。だからこそ、報道番組でのきりっとした表情
や凛とした美しさが生きてきるとも言えよう。
最後のエピソードその7は“気になる恋愛事情”である。実は森アナ、かつてとある新聞のインタビューで理想の
男性像についてこう語っている。「ずるくない人。あとは尊敬できる人」。
出典は、日刊スポーツの連載コラム「女性アナの水曜日」。電子版は19年6月5日に掲載されており、見出しは
「テレ朝森葉子アナ 結婚は? 『しくじってます』」というものだ。
《1人の時間を満喫できるタイプだが「結婚はしたいです、本当に」。過去も隠さず「しくじってるんですよね、数年前に。
だからそこからどんどん遠ざかっているような気がして」と苦笑する》
このときの相手こそが、新日本プロレス所属の人気プロレスラーのオカダ・カズチカ(32)であった。
17年1月に東京スポーツで真剣交際が報じられた。
その記事によると、2人の出会いは12年8月で、翌13年から交際が始まったという。 そして、オカダとの交際は4年間にも及んだことから、いつ結婚してもおかしくないと思われたが、
18年1月に東スポが今度は2人の破局を報じている。
結局、オカダは19年4月に声優の三森すずこ(33)と結婚し……という結末となったのだった。
以上が森葉子アナをもっと詳しく知るためのキーワードである。
ピンチヒッターとして出演し始めた当初の彼女はかなり緊張している様子が伺えたが、先日の岡江久美子さんの突然の
訃報の際には『ナニコレ珍百景』などで共演している関係から、彼女にしかできないコメントを、涙をこらえて語っていた。
自身の短所を「周囲を意識し過ぎて自分を出し切れずにいること」というが、この場面での彼女はそうではなかったと言える。
今後のさらなる活躍に期待したい。
上杉純也
週刊新潮WEB取材班
2020年5月5日 掲載 『テラスハウス』“東京”編の功罪 ハワイ編、軽井沢編と比べてなぜ恋が実りづらく衝突が多い?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00010007-realsound-ent
5/5(火) 7:26配信
新型コロナウイルス感染拡大の影響で配信が一時休止になってしまったが、『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』
は開始から約1年が経過し、話数も40まで伸ばしている。当初は、“東京オリンピック開催に向けて”
と銘打たれていたものの、それも1年後に延期。東京を舞台にする意味が薄れかけている現状では、
ハワイ編や軽井沢編などに比べてあまり恋愛が発展しない状況も物悲しく映るだろう。
ここでは、東京編で恋が実りづらい理由や、シーズンによって大きく異なって見える人間関係の濃密さについて、
ハワイ編や軽井沢編と比較しながら振り返ってみたい。まだ東京編以外に触手が伸びていない人は、ぜひこの
GW期間中に観てみてほしい。それぞれに異なる“人の性格”や“舞台の美しさ”にきっと魅了されるはずだ。
■<恋愛面>「定番のデートスポット」「恋する理由」が多い軽井沢編
まずは、東京編が他のシーズンに比べて色恋が少ないことにロケーションの観点から切り込んでみたい。
ハワイ編や軽井沢編の特徴として最初に挙げられるのは、「定番のデートスポット」の多さだろう。
ハワイならサーフィン、軽井沢ならスノーボード(スキー)という特定のスポーツとの関わりが深い土地で
あるのに加え、この2つはれっきとした観光地でもあるから、イチ旅行者の気分でデートスポットを選ぶことができる。
そうすると場所選びの際のハードルが一気に低くなり、“相手を誘う”ことも容易になる。スノボーやスケート
をしにいったり、パスタや蕎麦を食べに行く軽井沢編の一幕が印象深い。
一方で東京は、何から何まで多様に発展した土地だ。食事をするのか遊びに行くのか、車で行くのか電車で行くのか、
どこに行くにしても「なぜそこに行くのか」という理由が突きつけられることになる。そんな状況だからか東京編
ではよく迷走したデートも展開されており……。 例えば、流佳がたびたび巻き起こした距離感ガン無視のデートプラン、あるいは社長主導の京都への1泊2日水族館旅行、
ビビに日本の美を体感させるため(?)志遠が計画したデートプランもちょっと特異なものになっていただろう。
多様なデートスポットから選ぶからこそ、翔平が見せてくれた店選びのセンスの良さ、ペッペによる
プリンスホテルでの告白などが光るという側面もあるので一概には言えないが、デートスポットを選ぶ
ハードルが高く、相手を誘う口実が見つけづらいのが東京編の難点のひとつではある。
また、東京編はもともと東京に住んでいて、仕事の拠点も東京であるという人が多いことも恋愛が
発展しづらい大きな理由のように思う。ハワイ編で「死ぬほどの恋を探しにきました」と言った
ギルティ侍(大志)や、軽井沢編で「最後の恋を見つけにきました」と入居時に述べた聖南を
例に出すとわかりやすい。彼らは「恋をすること」を第一条件として、“遠くからわざわざ”ハワイ
であったり軽井沢に行くわけである。そうであるから、恋を実らせないことには元いた場所に帰りづらい。
だから彼らは、卒業したら一生のお別れになってしまう可能性も考えて、積極的にアタックしていったのだろう。
そのあたりの恋愛への切迫感が、東京編では希薄なのだ。
新メンバーの玲生は入居時に、「今のテラスハウスはみんなが離れている感じがするから、みんなで一緒に
熱いものをつくっていきたい」と意気込んでいた。その玲生による“テラスハウス改革”にも期待していきたいところだ。
■<人間関係面>東京編はなぜ衝突が多いのか?
恋愛以外の人間関係においても東京編は他のシーズンと大きな違いを見せている。
たびたび例に出している軽井沢編(とくにその前半)は、家族のような雰囲気がある種の魅力であったように思われるが、
それに比べると東京編は「みんなで何かをして遊ぶ」という機会が圧倒的に少ないし、住人間の衝突も多く映る。
卒業シーンもなんとなくサラッと流れてしまうことが多く、感傷に浸る余韻を与えさせてくれない。 それはやはり、恋愛面と同じく東京は元々住んでいる場所だから卒業してもすぐに会えてしまうという理由もあるだろうし、
他シーズンと比べて仕事に注力しているメンバーが多いなど、多様性豊かなメンバーが集まっていることにも起因しているだろう。
テラスハウス内で気に食わない人がいても、外の友だちに逃げやすい。
「出会い」と「別れ」の一大事さが、他のシーズンのそれとは比べものにならないのではないかと予想ができる。
一方で、東京を舞台にしているからこその感動シーンもあったことを忘れてはいけない。漫画家のペッペが、
日本にきて初めて雑誌連載を持つことになり、その記念すべき1話目が載った『週刊ビッグコミックスピリッツ』
をコンビニへと買いに行く場面。そこでの店員さんとの心温まる会話は、人間関係が希薄であると思いがちな
東京で交わされているからこそ、よりエモーショナルに映るのだ。日本で漫画を描くことを夢見てやってきて、
最終的にそれを叶える姿。そうした「夢を叶える場所」としての東京の特異性も、今後ますます明るみになってくると面白い。
『テラスハウス』は日本が誇る恋愛リアリティショー。おそらくこの先長く続いていくだろうが、今後どういった土地を舞台に
人間模様が繰り広げられていくのか。筆者としてはやはり、ハワイや軽井沢、湘南など特別感のある観光地を推したい。
原航平 コロナショックで「悲惨」だったJR決算、大打撃の中身
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200506-00072322-gendaibiz-soci
5/6(水) 6:31配信
■JR決算は「悲惨」だった
いまだに新型コロナウイルスが猛威を振るっている中で、JR各社の決算の発表が続いている。
JR本州3社のほかにJR北海道も概要を発表しているが、ここでは本州3社についてみていこうと思う。
期末の3月には、新型コロナウイルスによって、各社とも新幹線・在来線、長距離・近距離を問わず、
ほぼ旅客輸送量が壊滅状態である。
それによる旅客収入の減収が、かつて経験したことのない規模で起こっており、決算の内容も、悲惨の一語に尽きる。
ところで、新型コロナの一件で忘れられているが、去年は秋口から大型台風が東日本を襲い、
JR東日本を中心に大きな被害をもたらした。そういう意味で、去年の後半もJRにとって散々であった。
10月の台風19号で長野の新幹線の車両基地が水没した光景はショッキングであった。それにより水没した
JR東日本のE7系新幹線8本とJR西日本のW7系2本が全車廃車となった。いずれも経年が浅いために、資産の除却損が
巨額に上ることになったが、それに加えて運行の再開のための車両の転用や施設の復旧も大きな負担となった。
4月28日「昭和の日」で今年のゴールデンウィークは始まった。いつもならば新幹線のホームには多くの旅客が
列車の発車を待っているはずであった。しかし、連休中の帰省でさえ避けなければならないという雰囲気である。
「緊急事態宣言」が5月31日まで延長されることにより、感染拡大を抑えるために不要不急の外出の自粛を求められ、
移動自体が抑制されているために、観光や娯楽など到底できない状況である。
JR各社は、乗車率が大きく低下したために新幹線の臨時列車をすべて運休としたが、それでも自由席に乗客が
いない列車が東京駅を発着しているという異様な風景が現出している。
例年大変な混雑の東海道新幹線でも、自由席の平均乗車率は1割を下回っていた。
■JR東日本の決算内容
JR東日本の決算内容は、鉄道事業の営業収益が1兆9692億円で、前年より592億円減収であった。 新型コロナの感染拡大が期末近くであったので、この程度で済んだということもできる。
新年度に入っても感染の拡大はとどまらず、減収がどこまで進むことになるかを考えるにつけ恐ろしいことである。
一方、減価償却費の増加や台風被害により営業費用が486億円増えたので、営業利益は984億円減の2540億円と大幅な減益となった。
これを四半期ごとに見てみると、JR東日本単体の営業収益は、台風被害が大きかった第3四半期には前期(前年ではない)
より276億円減少、続く第4四半期には新型コロナにより同じく626億円減少した。第4四半期の営業利益の減少は1637億円と巨額に及ぶ。
台風被害も記録的な規模であったが、今回の新型コロナの影響額は今後もなかなか経験することのない大規模なものとなった。
最終利益は、連結が、前年より989億円少ない1984億円、単体で同じく921億円少ない1590億円となった。
JR東日本は、当面のキャッシュ不足をカバーするために、4月10日付で社債1250億円の発行を発表した。
募集期間は4月10日で、払込期日は4月22日である。償還期間別の発行額は、3年500億円、10年200億円、20年100億円、
30年100億円、40年150億円、50年200億円である。有利子負債の償還資金などに充当するという。
■房総半島台風の大打撃
ところで、いまや忘れかけているかと思うが、2019年に東日本を襲った台風について少し詳しく記録しておきたい。
まず、9月9日の早朝に台風15号が千葉市に上陸した。
最大瞬間風速56.7m/sというすさまじい暴風を記録し、関東地方から東北地方にかけて大きな被害を与えた。
JR東日本は、前日の17時に計画運休を発表し、9日は首都圏の在来線について始発から午前8時まで運行を中止するとした。
しかし、猛烈な風により多くの物が線路内に飛散、山手線の運転の再開は午前10時となった。月曜日の朝の通勤の足が大混乱することになる。
千葉県内では、現場での被害状況の把握に時間を要したこともあり、総武線をはじめ千葉県内のJR線は、9日中はほぼ運行できなかった。
この台風では、東京電力の送電網の被害が目立った。高圧鉄塔が倒壊し、配電網はズタズタに寸断され、復旧には長い時間を要することになった。 続いて、10月12日には台風19号が伊豆半島に上陸、千葉県の西部を通過して北上した。台風が首都圏を通過したのは
13日の早朝であったが、JR東日本は、前日の昼に同日20時からの計画運休を発表した。
実際には、20時以降順次運行を中止する方法をとり、その後も遅れて到着した東北新幹線などの乗り継ぎのための電車を運行し、
最終的に23時過ぎまで運行が続いた。旅客には運休を告知したうえで、適宜電車の運行を続ける方法は、今後の一つの教訓となるだろう。
この台風は風よりも雨による被害が目立った。
とくに、長野市内で信濃川が氾濫して北陸新幹線の長野新幹線車両センターを水没させた。
台風19号による、JR東日本の影響額(営業収益)は、運輸事業約155億円、流通・サービス事業約15億円、
不動産・ホテル事業約10億円の計約180億円に及んだ。
また、復旧費用は、長野新幹線車両センターを除く線路設備復旧に約165億円、E7系8編成の廃車に係る費用約120億円(一部保険対象)とされた。
長野新幹線車両センターの用地、施設は整備新幹線として国の鉄道建設・運輸施設整備支援機構の所有であるため、
JR東日本は機構に協力して復旧を進めていてるところである。
この被害額が、JR東日本単体の第3四半期と第4四半期の特別損失に反映している。
■JR東海の決算内容
JR東海は、鉄道事業の営業収益が前期より298億円少ない1兆4222億円、営業利益も465億円少ない6167億円となった。
四半期別(単体)でみると、第2四半期は前期(第1四半期)より100億円増収、第3四半期も76億円の増収ときわめて順調であった。
ゴールデンウィークの曜日の並びがよく10連休となったこと、海外からの観光客が大きく伸びたことによるが、
前年の台風被害による減収の反動で、前年に比べると大幅な増収・増益となった。
しかし、第4四半期になると、今回の新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛の要請である。
第4四半期は第3四半期に比べて907億円の減収となった。
JR東海単体では、営業利益は447億円減、最終利益は352億円減と大幅な減益となった。
駅ビルやホテル事業に対する影響も大きく、連結決算では、営業収益は前期より335億円の減収、
営業利益は536億円の減益、最終利益は407億円減の4450億円となった。 実は、JR東海は、もともと非常に高い営業利益率をあげている。連結最終利益も営業収益1兆8446億円に対して、
大幅減益となったものの最終利益は4043億円に上る。今回の新型コロナによるキャッシュ不足の心配はないという。
また、JR東海は、現在建設中の中央新幹線の建設費用として留保資金を3兆円近く準備していた。しかし、平成28年度と29年度に国の方針で
財政投融資資金があわせて3兆円が投入され、現在までの工事費はすべてこの資金が充てられている。バランスシートにおいても問題はない。
ただし、今後中央新幹線の工事が進むにしたがって、資金需要が高まった段階で、どのような影響があるのか予断を許さない。
財投資金投入の理由であった大阪延伸の早期着工が若干遅れる程度の影響はあるかもしれない。
また、在来線の特急気動車、通勤電車の取り換えを計画しているが、この事業期間が延びるということもあるかもしれない。
例年この時期に発表される新年度の設備投資計画の発表がまだである。
■JR西日本の決算内容
JR西日本は、新型コロナによる影響額として366億円の鉄道事業営業収益の減収があったとする。
一方で増収要素として、平成31年3月の「おおさか東線」新大阪〜放出間開業のほか、前半のインバウンドの増加などによる増収、
その前年の台風21号の被害の反動増があった。最終的に、単体鉄道事業の運輸収入は前期より166億円の減少となった。
なお、新型コロナによる減収額の内訳は、新幹線247億円、在来線近畿圏81億円、在来線その他38億円である。
東日本や東海に比べて小さいのは、単に運輸収入の金額が小さいからである。大阪を中心に、新型コロナの感染者は増えており、
首都圏に次ぐ流行地であることから、JR西日本の事業規模に対する影響の度合いは大きい。また今後の展開にも憂慮される。
なお、去年の10月の台風15号では関西圏では被害はなかったが、JR東日本と相互直通運転する北陸新幹線が被災して
運休を余儀なくされ、25億円の減収があった。 また、平成30年9月4日に台風21号が神戸付近に上陸。4日の夕方から翌日にかけて近畿圏の各路線で計画運休を実施した。
この台風では、関空島で瞬間最大風速58.1m/sを記録し、停泊中のタンカーが漂流して連絡橋に衝突。
JRと南海の関西空港線が18日まで長期間運休した。影響額は29億円とされる。
そのほかJR西日本グループは、今年度中に宿泊特化型ホテル「ヴィアイン京都駅」「ヴィアイン博多口」、JR福島駅に隣接して
阪神電気鉄道と共同で開発したホテル、商業施設「ふくまる通り57」などの新規開業が相次いだことにより増収があったが、
一方で費用の増加もあったため、通期では、最終利益は、連結が140億円減益の938億円、単体が71億円減益の735億円となった。
■新年度への影響はさらに大きい?
令和元年度は、秋の相次いで上陸した巨大台風による被害があったのに続いて、今回の新型コロナの感染の拡大である。
全国の鉄道事業者がすべて旅客の減少に直面し、列車の運休を決めた鉄道会社も多い。
とくに、新幹線や在来線特急列車の旅客の減少は大きく、JR各社をはじめ、首都圏や関西圏などの私鉄では、
有料の特急列車を中心に運転を取りやめている。
しかし、これによる営業費用の削減はごく限られたものでしかなく、厳しい経営状況に寄与するものではない。
今後も新型コロナの感染拡大は続くことになるため、新年度にはさらに大きな影響が想像できる。
運輸収入の大幅な減少によりキャッシュ不足が予想されるが、一鉄道事業者だけでどうにかできるものではない。
国により適切な支援措置が取られることが望まれる。
佐藤 信之(亜細亜大学講師他) 東西線は、いかにして最も混雑する路線になってしまったのか?<東京地下鉄100年史>
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200506-00218125-hbolz-soci
5/6(水) 15:32配信
1964年、東京オリンピックの閉幕から約2カ月後の12月23日、東京に5番目の地下鉄「東西線」が開業した。
東京の地下鉄ネットワークは、1925年に策定された5路線からなる地下鉄建設計画を原点に形作られてきた。
東西線はオリジナルの5路線の最後を飾る路線であり、また、それまでの路線とは異なる様々な新機軸を取り入れた路線でもある。
■国鉄と直通運転をするため、1両20mで最大10両編成
東西線の最大の特徴は、初めて国鉄(現JR)と相互直通運転を行った地下鉄ということだ。
そのために、中央・総武線と共通の規格を取り入れ、それまでより車両を大型化した。
銀座線は1両あたり16mで6両編成(全長96m)、丸ノ内線は1両あたり18mで6両編成(全長108m)、
日比谷線は1両あたり18mで8両編成(全長144m)だったが、東西線は1両あたり20mで最大10両編成(全長200m)
の列車を運行可能な設計とし、これまでの路線より輸送力を大幅に増強した(1977年から1991年にかけて10両編成化)。
以降の路線は、南北線を除き、全て20m車両10両編成が基本となった。
■中央線快速と総武線の混雑緩和を目指して
なぜ地下鉄がこれほどの輸送力を備え、国鉄との直通運転に踏み切ったのか。国鉄は当時、中央線(快速)
の混雑に頭を悩ませており、利用者の一部を中央・総武線(各駅停車)に誘導したいと考えていた。
だが、東京駅を経由しない中央・総武線は利用者が少なかった。そこで国鉄は、御茶ノ水〜東京駅間に線路を増設し、
中央線各駅停車を東京駅に乗り入れさせることで利用者を増やそうと考えたが、建物が密集した都心に新たな線路を
建設することは困難だったため、東西線の整備計画と手を組み、東西線経由で都心に乗り入れることにしたのである。
中央線との直通運転が決定した東西線には、もうひとつの「バイパス」としての使命が与えられることになった。
国鉄総武線の混雑緩和だ。千葉から都心に向かう総武線も当時、激しい混雑が問題となっていたため
東西線を千葉まで延伸し、総武線と直通運転を行うことで、新たな都心直通ルートを整備しようと考えたのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています