田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の政治家。

日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として有名。

財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死去したときは無一文だったという。

死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった。