在留ブラジル、ペルー人って多い割に
あんまスレ立ってないよね?
在日韓国中国人、フィリピンに次ぐくらいの人数でしょ?
犯罪も多い割には在日韓国人より憎まれてない…うーん、謎?
結構仲良くできる?
女の子とかどう?
日本女性とやっぱ感性違う? ふぃりぴん人は臭いしBBAでも手つないで歩いてたりして気色悪い
仕事も手抜きまくって人に負担かけたり長時間トイレ行ってそのまま帰ったりやりたい放題
こんなゴミ共を受け入れてたら日本人への負担がますます増える 対話だけどペルーはフィリピンよりは大人しい印象
韓国人よりは対抗してくることはないしな、韓国人なら対話で一番口論になりやすい
外国人犯罪率だけで見ればペルー人は割と多い方だけどね
やっぱ対話して喧嘩になりにくいから憎まれてないんだろうね
ちなみにペルー人女性が迷子の子供2人を救助して
警察から感謝状貰ったっていうニュースが今日されたね >>4
その迷子救助の件、5ちゃんだと完全スルーされてたなあ
熊谷6人殺害の件はさすがに複数スレ立てられたが
う〜〜ん、どっかに日系人(ペルーは戸籍の売買が公然とあるんで自称日系が多いが)つう安心感があるのか、一応白人系の人もいるんでそちらへのコンプもあるのか… オレはブラジルの熟女に言い寄られて困ってるが、口で逝かされるのがクセになってしまった(´Д` ) >>6
コロンビアで女にモテなかったら男を辞めたほうが良いと言われるが、ブラジルは違うのか?
あ、アニータってチリ人もいたよな。 「侵略的外来種」
・ブラックバス
・ジャンボタニシ
・ブラジル人 熊谷連続殺人事件の犯人ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの実兄
ペ/ド/ロ・パブロ・ナカダ・ルデニャ
1973年2月28日、リマ生まれ。
ペルーのシリアルキラーx通称「死の使徒」「死の使者」2000年から2006年にかけてペルーで25人を殺害し、
うち、17人について有罪が立証され、35年の禁固刑が宣告された。ペルー史上最大の殺人犯である。懲役35年で服役中である。
ペ/ド/ロの自供によると、17歳の時に最初の殺人を犯す。畑でスイカを盗んでいたところ、これを見つけてとがめた農夫を殺害した。また、この時期にペルー空軍のメカニックを仕事としていたと報道関係者に対し語っていたが、のちに虚偽であることが判明している。
また、本来の名字はメシアス・ルデニャであったが2003年、日本に行くことを考慮して、日系人に偽装するために「ナカダ」の名字を取得した。
ペ/ド/ロは800ソーレス(約3万円)を支払い、日本国籍を有する人物と養子縁組を行うことで「ナカダ」の名字を不法に取得しており、真正の日系人ではなく、ペ/ド/ロの兄弟も日本人の名字を持っている。 BCGがほんとに効いてるのなら
BCG打ってないブラジルペルー系どうなるの? 今回のコロナ騒動でも各地のブラジル、ペルー系の人達の動向ってほとんど伝わってこないね 大阪府三島郡島本町絡みの中田敏男は
被害者と社会に謝罪しろ
街のダニで人間のクズのままで人生を終わりたくないだろ
それとも もう人生が終わったのか 在日フランス人より在日ボリビア人のほうが多いって知ってる? 在日ブラジル人 ドリフト大会 in 鈴鹿ツイン SL Vol 001 B 2008
https://youtu.be/JiBPXOiSRcE 最近コンビニの店員にアジア系でもない白人系の人が増えてきたがブラジルペルー系? 日系最大級の人材派遣会社=創業30周年を迎える「晃和」=トメ・アスー出身の斉藤社長=カンノエージェンシー 菅野英明
https://news.yahoo.co.jp/articles/057c8ed6fee444c468d408c9a9bea33dd723691e
の3月に7年ぶりに二世の創業社長・斉藤和浩(さいとう かずひろ)を取材した。その間、会社の事業規模は一回り大きくなっていた。来日2年後の1991年に24歳で創業。仕事はブラジルの日系二世・三世を中心にした外国人労働者を、日本企業と結ぶ人材派遣を行う会社だ。社名は株式会社「晃和」(こうわ)(群馬県伊勢崎市本社)で、日系社会では最大級の人材派遣会社になっている。今年3月現在の晃和グループの事業規模は、本社がある群馬県伊勢崎市のほかに関東(東京、神奈川、千葉、茨城)、東海、関西、九州に拠点を構え、また、グループとして愛知県(豊田市)、千葉県(船橋市)静岡県(富士市)愛媛県(新居浜市)などにもネットワークを拡大している。 貧困から抜け出せない外国人労働者の2世たち「16歳から夜の店で働くのがフツー、10代で母になるコも」
https://nikkan-spa.jp/1373979
「低賃金で働く外国人労働者が工場近辺の団地などに集住。日本で生まれた子供たちに高い教育を受けさせることができず、2世、3世までもが貧困から抜け出せなくなっている地域があります」
そう話すのは、国内外で若者文化を撮り続けるカメラマンの福持英助氏だ。彼がレンズを向けるのは神奈川県平塚市。平塚といえば、戦後に戦災復興都市の指定を受け、自動車関連をはじめ工業都市として発展した地域である。現在でも工業団地が点在し、多くの外国人労働者が生活を送っているという。
彼らが集住するのは工業地帯に隣接する団地群。なかでも平塚駅から5kmほど離れた横内団地は、全住民の20%弱を外国人が占めている有数の外国人タウンである。さっそく現地へと足を運んだ。
この地に通って3日目、ようやくこの団地で育った“2世”の若者に話を聞くことができた。
「親父がブラジル人で母が日本人。もう離婚して母はいないんですが、親父と15歳の妹と3人で住んでます。僕と妹は国籍も日本だし、日本にしか住んだことがないです。今20歳で、仕事は高校出てから自動車工場のライン工。以前は親父も近くの工場で働いていたんですけど、目を悪くしてからは知り合いのブラジル料理店で働いています。同世代のハーフでもココから出て行くヤツもいますけど、結構残ってますね。俺と同じように工場で働いてるヤツもいるし、車のディーラーやってるヤツもいるし、クラブのイベント仕切ってるヤツもいる。同い年で子供がいるヤツも少なくない。なんつうか早いんですよ、サイクルが(笑)。まぁ確かにカネはないヤツらばっかですけど……ハーフも純日本人も関係なく、先輩後輩含めみんな仲いいですよ」 YouTubeで Japao とか Japon とか検索すると日本で暮らすラテン系YouTuber のビデオが結構出てくるよ 海外「日本の工場勤務が孤独で辛い」よりよい職を求めて日本にきたけれど絶望しかない外国人 1:海外の反応を翻訳しました :
ID: ここ(日本)での暮らしが大嫌いだ(長文) 日系ペルー人だ 父と兄が日本で働いていたから20歳になって僕も日本へ来たんだ、よりよい職を求めてね そして気づいたよ ここにいても一生やりたくない仕事に就くしかなく、家計はギリギリで友人もできないまま死んでいくんだって 工場勤務だけど、英語が話せない外国人だらけで友人もできないよ 英語講師に転職したくても、ネイティブ以外需要はなさそうだし、スペイン語の需要もない 見た目が日本人だから話しかけられては、日本語ができないとがっかりされる 2:海外の反応を翻訳しました :
ID: 公文にしばらく通ったけど、興味もわかず、月謝がきつくてやめた 大学に行きたいけど、奨学金は、違う国に生まれて日本語検定に受かってて自分の国で立派な学歴がある人のためにあるようだ ペルーに帰らないのは自分の国の劣悪な環境のせいもあるけど、20万の帰国費用が貯まらないってのもある アメリカやカナダ、オーストラリアに移住できたら、せめて英語で友人ができるのかな、孤独でたまらないよ 死ぬことまで思い詰めるくらいね 長文に付き合ってくれてありがとう 【愛知】軽乗用車どうしが衝突し大破 中国籍の49歳男性が死亡 豊田市保見に住むブラジル国籍の23歳男を逮捕へ [どどん★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1640490126/ 学校給食にキャッサバ芋 日系ブラジル人農家を支援 島根・出雲
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f44787b570a798bb7b6a31f4f0c9fbdafb2f81e
昨年11月末時点で約3600人の日系ブラジル人が暮らす島根県出雲市の学校給食で、ブラジルの主食「キャッサバ芋」を使ったメニューが初めて提供される。市内で栽培する日系ブラジル人農家を支援する取り組み。キャッサバ芋はタピオカの原料としても知られ、市の担当者は「多文化共生社会の実現の一助になれば」と期待する。
市内のブラジル人を支援する「NPO法人ブラジルサポートセンター」が市に要望して実現した。センター副理事長の滝浪実セルジオさん(67)によると、市内のブラジル人の多くが電子部品工場に勤務。近年は失業しても生活できるようにと農業を始める人がおり、現在は12人が取り組んでいる。
市学校給食課によると、トマトベースのスープに豆やキャッサバ芋が入った「ドブラジーニャ」を28日に市内の一部の小中学校で約8000食提供する。滝浪さんは「給食に使われるのはうれしい。日本人のサポートに感謝したい」と話した。【松原隼斗】 外国人に寄り添う医師に 滋賀医科大卒の島田さん
https://web.archive.org/web/20200408200519/https://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20200406/CK2020040602000006.html
長浜市で育った日系ブラジル人の島田ゆうじさん(24)が三月に滋賀医科大(大津市)医学部を卒業し、四月から東京都内の病院で研修医として勤務を始めた。日本で育ったブラジル人が、医師となるのは珍しい。「外国人の不安な気持ちや生活事情を知っているからこそ、困っている人に寄り添える医師になりたい」と意気込んでいる。
島田さんは、ブラジル中西部のクイアバ市生まれで、両親の出稼ぎのため一歳半の時に長浜市に移住した。中学三年のころ、東日本大震災で被災者を助ける医師の姿を知って医師を志し、県立虎姫高校から滋賀医科大に現役で進学した。
保育園から日本語の環境で育ったため、言語面では特別に苦労したことはなかったという。地元のサッカー少年団で勉強熱心な日本人の友達に出会い、中学では塾に通うなどして、自然に勉強習慣も身に付いた。「経済的に不安定な中でも、両親がやりたいことをやらせてくれて幸運だった」と振り返る。
その一方で、「自分は外国人で周りの友達とは違うと、常にアウェー感があった。将来、何にもなれないのではないかという不安もあった」という。「日本人の皆と同じになりたい」との気持ちが強く、将来、ブラジルに関わることは視野に入れていなかった。
転機は、大学入学後。医学部には、企業での勤務、公務員、教員などいろいろな経験後に入学してきた人がいた。ブラジル人であることに興味を持ってくれる人も多く、「自分のルーツをプラスにとらえるようになった」と話す。
母語のポルトガル語を生かし、四年生の夏には一カ月間、ブラジルの医療現場での研修に参加し、地域の診療所を見学した。現地の医師は患者に陽気に接しており、在日ブラジル人が日本の医師を「冷たい」と感じる背景にある、文化の違いを実感したという。