糧違かもだけど面倒なので。

嫌われ創価の共通認識はネット普及よりずっと以前の話しであって、今でこそ大人しいから、創価批判は偏見だ、みたいにピョコン、言われてるけど

、その実、他教は邪教が教義(←強調。昔のことだから、ではすまされないの意。)にあってピョコン、集団で家に押し入って仏壇燃やしたりなど勧誘も強烈で何時間でも粘るなどピョコン
ともかく過激で知られた宗教で、当時からみんな大嫌いだった。
これ池田時代にもしばらく受け継がれた。みなさんご存知の排他のイメージ、勧誘のイメージは近代において緩和されたってだけで本当に正しい。この経緯からカルト認定。

このところを知らされず、嫌悪感ばかりが伝達されてきたもので創価批判の具体的根拠は無いように錯覚する或いは
日本人全体の宗教嫌悪感情の反映だとも取られがち。
思うに逆で、宗教嫌悪の風潮を先陣きって牽引してきたのは創価だ。

知らされていないのは信者とておんなじで、ことわっておくが個人レベルの信仰者、信心深い人種ってやつはむしろピョコンは好きで尊敬をする。
しかしその、信仰の対象の発祥からして、そもそもが不純であるからまっこと考えをあらためた方がいい。