プロレスの思い出 2試合目
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>>248
興行収益面でいえば新日はずっと全日に勝ち続けてたんだろうけど
こと「引き抜き合戦」に関しては全日の方が上手だった印象だね。
新日側が引き抜いた選手で上手くいった例ってあるかな?
ブロディも一時的には話題になったけど定着しなかったし。 >>255
>>255
過激な仕掛け人新間が全日を潰してやれ、とブッチャー引き抜きを画策したらしいけど
シン、ハンセン、キッド、スミスまで取られて馬場の政治力の恐ろしさを返って思い知らされ新日側完敗で白旗をあげた形だったよね。
逆に全日がジャパン軍に加え、カルガリーハリケーンズまで受け入れた時は
本気で馬場が新日にトドメを刺すつもりなのかと思った。
全日→新日の成功例というとディック・マードックかな マードックの引き抜きは成功したとは言えるけど、
ビッグマッチのメインを飾れるほどのレスラーではなかったからなあ あと越中詩郎も新日に移籍して輝いたね
この人の場合は引き抜きではなかったと思うけど・・
マードックと言えばずっと入場テーマが
線路は続くよどこまでも♪と思い込んでたけど
実はテキサス大学の応援歌だったんだね
で、当の本人はテキサス大とは全く無関係だったとw 越中詩郎か・・・ケツだけで試合を組み立てられるのは日本ではこの人だけだろな たった三人だけとはいえカルガリーハリケーンズまで全日マットに上がった時はさすがに人多すぎというか
全日正規軍、ジャパン軍、国際血盟軍、ハリケーンズ、それに加えて外人選手もいるからカオス状態な気がしたよ
キラーカーンがジャパン軍を裏切ったりカブキも全日正規軍を離脱したりと、
あの当時の全日はそれ以前と比べると凄くせわしなかったような テリーファンクも自著で「あの時期の全日は、数少ない馬場のミスの一つだろう」
と書いてた。「翌年には大半の連中が移籍してしまったのを見てもそれは間違いない」 ただ天龍vsマシンのUN戦は、なかなかいい試合だったと思う そういやマシンはWARに在籍してた時もあったっけ?
そのUN戦、天龍が防衛したんだろうけどマシンにフォール勝ちしたの?
あの頃のマシンは鶴田、長州ともシングルで戦ってて、いずれもフォールは奪われてない記憶がある。
その後のマシン=平田のポジションが中堅の域を出なかったことを考えると
当時のマシンの扱いやポジションは破格だった。 >>265
そう、フォール勝ち
とはいえ返し技でのものだけどね
鶴田・長州・谷津戦は、すべて反則での決着だったと思う
では天龍だけ、なぜフォール勝ちできたのか?
完全に推測だが、当時鶴田がインター、長州がPWFの王者だったが
日本の伝統インター、馬場の代名詞PWFに比べると
UNはどうしても「一枚格が落ちる」というイメージが拭えなかった
(歴代の王者を見ると決して見劣りするものではないんだが
鶴田がインターに挑む時にUNを返上した、というのも影響しているのかも知れない)
しかし、全日としては鶴田・天龍・長州は同格の位置付けにしたかったので
マシン戦において天龍にアドバンテージを取らせた…のではないだろうか? >>266
成る程、確かにあの当時のUNは鶴田が卒業したベルトでジャンボのお下がり的なイメージが拭えなかったもんね。
ただ鶴田、長州、天龍の格の問題だけど、馬場は一応三人を同格にしたかったのかもしれないけど
当時はどうしても天龍の格が若干低くなってたように思う。
天龍はインタータッグ戦で長州と谷津にフォール負けしてるのが大きい。
特に谷津にカウント3を奪われたのは、それまでの谷津の格を考えると衝撃だった。
まあ今思えばタッグチームとしての長州谷津組を鶴龍コンビと同格にしようとしたんだろうけど。 >>267
天龍ってインタータッグ戦で長州にピン取られたことあったっけ? >>269
確か87年だったと思うけど前年長州谷津に奪われたインタータッグ王座に鶴龍が挑戦。
横浜文体で長州がラリアットからの体固めで天龍をフォールして防衛。
その一週後位に札幌で再び鶴龍が挑戦、天龍がジャーマンで谷津をフォールして王座奪回。
という流れだったと思う。 いやそれはわかるだろw
>>270は意味わからんが >>272
その前年のインタータッグ戦も2連戦だったね。
初戦は天龍がパワーボムで谷津を押さえ込んで王者組の鶴龍が防衛したけど
2戦目は天龍が谷津のジャーマンに沈んでタイトルを失う衝撃の展開。
この一戦で谷津の格が一気に上がった。 大仁多厚のFMWから始まったインディーブームの頃
インディーレスラー達について
UWFインターの高田や三銃士の橋本は「十把一絡げのウンコみたいなレスラー」
とまで見下していた。 一方剛竜馬は「高田クンは僕の付き人だった」と自慢してた インディーレスラーと言ってもピンキリで
新崎人生なんて実に良いレスラーだったと思うけどな
アメリカの超メジャーWWEに抜擢される位の素材だった 特に新日はインディー団体やそのレスラーを見下してたね
てかそもそも新日は全日に対しても俺達こそが本物のプロレスだと見下してたからなあ
今じゃその新日もインディー団体や学生レスラー出身者がエース級なんだから時代は変わった http://www.youtube.com/watch?v=e9J1JJyH1-I
マジックの種明かし番組で取り上げられたプロレス。
腹にパンチを打つ時は指先を伸ばし気味にして、指先が触れたらさっと引く。
http://www.youtube.com/watch?v=vuXZOZSJ5I4
アメリカのプロレス団体の動画。
キャラを演じるプロレスだが、危険性もあるので正しいやり方を、と説明。
http://www.youtube.com/watch?v=Wj8MaRejpDY
元レスラーによるプロレス学校の練習風景。
一連のムーブ、技を受けたときのリアクションを大人、子供を交えながら反復練習。 >>276
そうするとハッスルは何だったの?って話だよね 長州のインディー批判も目に余るものがあったけど
自ら大仁田との試合を(執拗に迫られたとは言え)行い
集客の為インディー選手を多数新日リングに上げて
メジャー選手とインディー選手をボーダーレスにしてしまった以上
文句を言う資格はないよな ギャラで団体差別してたんじゃね?
それなら馬場全日本時はどうなるんだと(一試合1万5千円程度)
大仁田は、馬場さん猪木さんが俺の年収しったら発狂するよ、まで豪語してた時期もあったよね。 >>278
世界規模で見たら人生の方が橋本や長州よりずっと上の存在だよなw 新日のインディー団体に対する差別意識ってのは相当根強いものがあって
男色ディーノが新日マットに参加した時には
山本小鉄が悔しさの余り控え室に怒鳴り込んだとか
「本来、お前たちの様な奴が上がれるリングじゃねえんだよ!」 馬場も一時インディー批判というか別の言い方で嘆いてた
(後方回転式の)安全に受身を取る技術がない選手が打撃を受けても
踏ん張ってるしかないのを、全日の選手より耐久力がある様に見られるのは
おかしい。マスコミはもっとしっかり勉強して欲しいと >>290
インディーに対する差別というか色物に対する嫌悪感でしょ >>292
アメリカではF-1よりインディだからね >>291
詳しいことは覚えてないけど馬場はインディー選手達の練習に参加して受身を指導したらしい
頼まれて指導したんだろうけどインディーの試合を見たら受身の技術が未熟でいてもたってもいられなかったのかもね 馬場がハヤブサに受身を取らせてみて
馬場「おい受身は誰に習った?」
ハヤブサ「後藤さん(ターザン後藤)です」
馬場「後藤か・・・右と左が逆だ」
ハヤブサ(ガーン!逆だったのか〜後藤さんめー)
という様なことがあったらしいね >>296
そんな事言って迷わせるからあの大ケガに繋がったのかも知れん >>297
サードロープのある位置に後頭部がガツンと行っちゃったんだっけ
受身の失敗というよりアクシデントだよね。映像を見た限りではまさか半身不随の大事故になるとは
誰も思わなかった。本当に気の毒だと思う 最晩年の馬場はインディー若手の悲惨な現状を聞いて、何とかしてやりたいと言ってたらしいし。 長州のインディー感が少し変わったのは
第1回トップ・オブ・スーパージュニアじゃなかったっけ
あの時、みちのくプロレスの連中(当時はタカ・みちのく、グレート・サスケ、スペル・デルフィンが居た)の空中殺法を見て
「あいつら宇宙人か!」と言ったはず >>303
デルフィンvsライガーの決勝で満員御礼になったからな
ダフ屋にチケットの値段訊いたら5000円の席が3万円だと言われた 確か長州の意識変革には「スーパーJカップ」の影響も大きかったはず >>303
ただ長州はインディーの選手に技を制限させたって話じゃん。
なんでかな?新日のレスラーと呼吸が合わなかったりしてケガするから?
それとも新日レスラーが食われちゃうのを心配したの? 元健介オフィスの若手が色々暴露してるけど
本人はそのつもりがないにもかかわらず引退扱いにされたって馳もそうだったよな 脚本脚本連呼してる奴はSKに関する一連の問題もシナリオだって言うんかね? 元々長州はインディーどころか相撲出身レスラーや女子レスラーでさえ毛嫌いして否定してた。
それが今じゃインディーレスラーに混じってお笑いプロレスまでやるんだからな。
結局は金。偉そうな事が言えるのは金回りが良い時だけなんだよ。 >>287
長州VS大仁田戦の時、軽量の大仁田をブレンバスターで投げようとして
一度で持ち上がらず二回目のリトライでようやく投げたけど腰砕けだった。
かつてマサ斎藤が「日本一美しいブレンバスターを放つ」と絶賛した長州の
往年の力はその時点で既に無かった事を悟った。
あの試合を作ってたのはデスマッチ慣れした大仁田の方だった様に思う。 >>316
大仁田が下手だからブレーンバスターが一回で決まらなかった、という見方も出来る >>317
リハーサルでは上手く行ったんだけどね(笑 電流爆破に長州はビビッてたね。
観客は新日にそんな邪道持ち込みやがってという反感と
実際一度触れたらどうなるものか見てみたい、という期待を両方持って見てた。
新日ファンの気持を全て見切っていた大仁田は、期待に応え
壮絶な負けブックを飲み、長州を守った 長州現場監督の独断には相当むかついていた人も多かったみたいね。
三銃士は全員長州さんが嫌いだった(武藤談) その長州の威光をバックに当時やりたい放題だったのが健介
健介も三銃士から毛嫌いされてたね >>320
>>321
それ考えると馳は誰とでもうまく付き合って来れたな。 >>321
三銃士と比べたら明らかに格落ちだったのが
超実力主義(だっけ?)のトーナメントか何かで箔をつけさせたんだよな 馳も健とはビジネスフレンドだろ
外人にも嫌われてたし。 健介が新日の嫌われ者なら
川田は全日の嫌われ者
思えば2000年10月9日あの二人がそれぞれ団体の看板背負って戦ったのは
皮肉 >>322
根っからの政治家だからね
根回しは得意技だよ(笑 >>325
全日対新日の対決は全日の勝利!とメジャー新聞にまで載ってた
新日ファンは「チクショー、何でよりによってあんな大事な対抗戦を健介みたいな
塩に任せたんだ」と怒ってたよね 新日は常に名より実を(負けブックを譲っても)取るから
この時川田に多少の価値は認めたんだろう。 どうせ川田と渕しかいない、つぶれる寸前の団体だし一回くらい
花を持たせてやろう位の気持ちだったと思うけど
まさかその後、武藤が営業スタッフと移籍して全日が息を吹き返すとは
夢にも思ってなかったろう。 >>330
それは無いな(笑)
確かに人は居なく成ったが財力が桁違いだから倒産は無い事はオタなら周知の事実
寧ろ出て行った方が火の車だった >>328
健介は当時IWGP王者だったのにノンタイトル戦だったから、その時点で川田が勝つのがバレバレだったのにな >>327
政治家なら誰でも根回しが得意なわけでもないけどね。
民主党なんて根回しが下手すぎて余計な混乱をどれだけ生んだことか。 >>287
>>334
先日の長州と大仁田の対談で
長州が大仁田に対して「先生」という言葉を使ってて愕然としたよ
プロレスラーとしては明確に格の違いがあるはずなのに
所詮長州も権威主義者だったのかなと。
余談だけど長州と言えばプロレスマスコミに対してはもの凄く横柄な態度をとるのに
一般マスコミが来ると笑顔で対応する露骨な態度の違いを某編集長が指摘してた >>335
そもそも大仁田は長州にとって恩人みたいなものだろ
本当は引退後にカムバックしたくてウズウズしてた長州を大仁田が執拗に挑発する形で、
カムバックに対する批判が最小限になるようにしてくれたんだからさw
そういや長州は90年代に入ってから妙に馬場を持ち上げるようになったけど、あれはどうしてだったんだろう
対立してた猪木に対する当てつけ? >>335
その辺が長州と猪木の格の違いというか器の違いかな
猪木の場合は金さえ絡んでなければプロレスマスコミだろうがファンであろうが
基本的にどんな相手に対してもフレンドリーでサービス精神旺盛だからね >>335
長州を弁護する訳ではないけど、あの当時のプロレスマスコミはターザン山本を筆頭に
調子に乗りすぎてた嫌いはある。 前田日明も言ってたな「一月ほど巡業にくっついて取材をしてた記者が
まるで業界のオピニオン・リーダーみたいな面して記事を書いてやがる」と でもその記事を読んで熱くなったファンが会場に足を運ぶんだから
気に入らなきゃ自分でプロレス雑誌を発行すれば良いんだよ かつて全日や新日も団体ぐるみで週プロに対して取材拒否してたね。
新日はターザンが記事に「新日は地方で手を抜く」とか書いたのがきっかけらしいけど
全日の場合はどうだったんだろう。 山本が新日のタニマチに勝手に取り入ったりしたからだよね。 長州はかつてターザンに「山本、UWFはお前が作ったんだよ!」と言った事がある。
本来プロレスではメインで出すようなものでないシュートの技術を
過剰に取り立てプロレスを超えた先鋭集団の様に扱い、ファン層が形成され
プロレス人気の凋落を招いた批判のつもりだったが、
山本は勘違いしてしまったらしい。まるで自分が錬金術師か神の様な力を持って
いるかの様に。 裏事情とか詳しくないんだけど
結局>>340の言うように当時のプロレスマスコミ全体がそんな感じだったの?
それとも単に山本だけの問題? >>345
長州自身もマスコミによって一躍時の人になった事を忘れてしまったらしいな プロレスマスコミ全体が調子に乗ってたというよりも>>340が言うようにターザン山本が増長しまくってた。
当時は週プロが売れに売れてその影響力も大きく、週プロ主催で全団体出場の大会をドームで開催する程だった。
ただ長州自身も特に革命戦士時代は山本が大きくプッシュしたことによって
より大きな人気を得たのも確か。
プロレスマスコミとレスラーは本来は持ちつ持たれつの関係なんだがね。 プロレスの黄金時代とロリコンブームが時代的に重なってて
当時いろんな意味で充実していた。
余談だがロリコン誌の中の中の企画で「ブルマ姿でお手伝い」というのがあって
サンボ浅子の店でブルマ姿の女の子が一日店員として働く様子が掲載され
浅子のこれ以上ないという位、嬉々とした表情が載っていた。
同じ雑誌にコンドル斎藤の「埼京線で痴漢体験ルポ」という漫画も載っていた >>345
FMWを初めインディーブームを作ったのも山本 >>343
最初馬場(というか元子)に取材拒否されたんじゃなかったっけ、
馬場と和解後にSWSの批判と全日の提灯記事を書くようになり
しばらくしてから長州に取材拒否され、
調子に乗った自分が悪かったと死に装束の姿でプロレス界から手を引く宣言をした
はずなんだけど、いつのまにか戻ってた様な ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています