70〜80年代の少年時代を語ろう
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半ズボン姿で路地裏で手打ち野球。
高い場所から唾落とし。
70〜80年代の少年時代を語りましょう。 >>182
なるほどなぁ。
バランスってやつでしょうなぁ。偏りすぎるとよくないやね。
「何が何でもハーフパンツ」はいるのに、「何が何でも半ズボン」がいないから綱引きに負けた。 >>185
市民の努力義務。
悪意でない声掛けを逮捕したとき、警察権力を指弾する方法を固めること。 学校の帰りに、みんなでチンコの皮むいて遊んだな
もどんなくなったりしてさあ
なつかし〜なあ 新宿区の非常勤職員になって、「子供の生活パートナー」とやらを務める「五体不満足」の著者・乙武洋匡氏が某小学校を訪問しての感想が今日の報知新聞に掲載されていた。
1.児童全員が首から防犯ブザーを提げている。2.児童が教科書を忘れてきても先生に叱られない。
3.逆上がりで下手に介助するとセクハラ呼ばわりされる。(校長談) 以上を見聞してショックだったとの事。 児童の権利に関する条約なんて、大人の権威をなくすだけだよ。
何となく、戸塚宏の理想も分かるような。。。 >188
と言うより、「権利」という意味を大人も子供もはき違えているね。児童の「権利」は、子供が“人として尊ばれること”という意味であって、何でも好き勝手に振舞っていい訳ではないし、大人は何も子供に阿る必要はないのだから。とにかく、皆意識過剰で笑止千万!
義務があって権利がある。
子どもは義務をなし得ないから権利もないのであって、「人として尊ばれること」は人権と言うべき。
不用意に権利という言葉を使うと、濫用に繋がる。 >191 ご指摘の通り、『子供の権利』条約に謳われていることは、児童の人権擁護に関する事が主です。所謂、“Human Rights/Human Dignity”に関わる事を子供に分かり易く噛み砕いて説いています。一般的な「権利」とは少しく趣きが異なります。
>>193
概念の曖昧さが、一人歩きを始める。
たとえばジェンダーフリー。
内閣官房は、男女共同参画とジェンダーフリーは違うと躍起になっているが、いったんジェンダーフリーが独り歩きを始めたら手を付けられなくなるのと同じ。 '60年代の「ケンちゃんシリーズ」は“いい子”のモデル的存在。一方の'80年代の「はっちゃくシリーズ」は天衣無縫な“アウトロー”をシンボライズしていた気がする。過去のビデオを見返すにつけ、今の子には「情けなくて涙でてくらぁ!」 >>195
正反対のタイプではあるが、どちらも子どもの理想を描いた作品。
そうしてケンちゃんも、桜間長太郎も、半ズボンを穿いていなければならなかった。
DVDの普及により、そういう文化が見直されることを期待。
どちらも国際放映作品だが、国際放映が半ズボン文化の確立に果たした役割は大きい!
追伸)自伝を読めば分かるが、宮脇康之は半ズボンを拒んで主役を外されたそうだ。
当時のプロデューサーの断固とした半ズボン主義に敬意!
>196 その宮脇氏の自伝って、どこかで手に入ります? >>197
「ケンちゃんの101回信じてよかった」(講談社)。
俺は新宿の紀伊国屋で買った。 >>198
192もおまえか?
レスがなかったんだから粘着せずにほかで語れよ、YMOのスレなんていくらでもあるだろ 子どものおしゃれを推奨するような記事ばかりが目立った朝日新聞に、4月初めだったかようやく「まとも」な記事が載った。
子どもに防犯ブザーを持たせなければならない経済大国日本と、電気も電話も自動車道路もないブータンと、どちらが暮らしやすいだろうか。
ブータンの閣僚が、「GNPが高ければ、ぺっとボトルの水は飲めるだろうが、川や泉の水は飲めないだろう」と発言したそうだ。
ようやく、消費生活のマイナス部分に光を当ててくれたと思う。 子供が主役の児童向けドラマもない、いくらCGやデジタル技術が隆盛を極めても、生身の人間の活力に勝るものはない。活力の宝庫たる子供がボテボテとした鎧の様な服でいる有様は異様だ。 児童向けドラマがあったのはいつ頃までだったかな。
児童向けドラマがメジャーな存在だったのは、「あばれはっちゃく」の時代までだけれども、その後「なかなかドジらんぐ」ってのを見た覚えがある。
ファミコン世代の少年の生態を描いているだけって印象が強かったが。
CG使った作品はサイテーだね。
教育テレビの「どっちがどっち?」で、実写でありながら、登場人物の顔を曲げたり延ばしたりしたのにはゲーが出た。
渋谷謙人のハーフパンツ・腰パン・トランクスもサイテーだったし。 どなたか、関西系の'80年代後半のドラマで「1.2.3と4.5.ロク」について詳しく知っている方、情報下さい。お願い奉ります。 小学校低学年の時は近所の歳の近い仲間と缶蹴り(鬼ごっこの一種)にあけくれていた。
あとはコマにパッチなんかをやっていたな。
野球はやらなかった。だから球技はどちらかと言えば苦手だったな。
小学校中学年では友達と海岸に行って爆竹で遊んだり
学区外の少し遠い所へ冒険気分で遊びに行っていた。
悪ガキだったので人の家のチャイムを鳴らして逃げるなんてこともやったことがあった。
友達がチャイムを押して走って逃げていくのを遠くから顔を少しだけ出して
覗いていたら、お婆さんが出てきてキョロキョロ見回して人がいないか探していた。w
ファミコンなんかが無い時代だったから良かったのかもしれない。 ピンポンダッシュって、公団で育った子どもの遊びの定番だよね。
海があるような場所でもやってたの? “ピンポンダッシュ”懐かしい響きだね、僕も友達とやりましたよ。団地の階段を駆け下りたりするのは結構大変だけど。あの当時の悪戯ってどこか憎めない、可愛げがあったよね。 そうね! 要領の悪いのと逃げ足の遅いのは、大抵捕まって集中砲火に遭っていたな。 俺らの地域はピンポンダッシュ。んでチャイム押すだけじゃ飽き足らなくてチャイムは押さずにポストに爆竹投下してた。たまに犬の(ry 同じくピンポンダッシュだった。
ある日自分だけ逃げ遅れてそこの家の主に捕まった。
で、うちの親に電話で連絡され、恐る恐る家に帰ってみたら、
待っていたのは親父の膝の上でお尻丸出しでのお尻ペンペン。
半ズボンどころじゃなかったw
これも当時のうちの定番お仕置きだったのを思い出した。 ttp://blog.livedoor.jp/pidurugi/
どうよ。 小学生の頃、糞したくても邪魔されてできなかったのを覚えてる。
うー、下痢っぽいときでも、男子便所だと、小便と大便するところが違うから、
小便してる奴に糞してるくせえ、誰だ、と言われてからかわれ、
ひどいときにはいじめのネタにもされた。
そのときだけ女の子がうらやましかった。
外側からじゃ、大便か小便かわからないもんね。 2Bと電子ブロックらしいがオレ的には
小学3年生までのプールの時間着替え
だな 男女同じ教室で着替えてたぞ この前、実家の押入れの奥から
マジックでオレの名前が書かれた
段ボール箱が出てきた。
がきの頃使ってたカピカピになった
グローブや観光地のペナントの束や
インベーダーキャップと一緒に
いろんなガラクタが出てきた。
小一時間ひとりでトオイメになったよ。 今の子はお医者さんごっこなんかしないだろうな。
へんに意識して。
我々のころは普通にやっていたな。
おもちゃのドクターセットみたいなのがあって持ち主が女の子なんだけと
なぜか医者役が男のコで患者役が女の子なんだよな。 昔と今のテレビ番組では、昔の方が暴力シーン多かった。
昭和のドラマ、アニメも再放送ができない状況だからね。
例えば、流血シーンがあるだけで放送コードにひっかかるし、基地外などの単語も
すぐひっかかる。青少年なんらかの影響か?
最近のドラえもんだって、ジャイアンがのび太を殴るシーンもほぼなくなっている
らしいし。ということは最近の子どもは綺麗なものしか見ることができない状況に
あるだろう。 キッズウォーだって数年後は放送コードにひっかかり再放送できなくなる
だろう。 携帯電話が一般的では無く、当然持ってないので
緊急連絡用に名札の裏に10円玉を入れていた。
使う電話機はダイアル式の赤電話。
自宅もダイアル式の黒電話。 セックスで、男女がお互いに向かい合う体位は「ハメッコ」または「ズッコンバッコン」、
男が女の背後から挿入する体位(アナルセックスを含む)を「アンシコ」といった。 コピペ
極悪の始りは、東京都中央区築地・月島の不良少年達が源流と言われ。
また築地・月島の不良少年達が、高校での他地区の不良少年達との出合いから始まり。
その後東京の下町一帯に、極悪が一大勢力を誇示する事になる。
極悪を語る上で忘れられないものが、日本の暴走族史上で最大の大喧嘩である。
1977年東京品川区にある大井埠頭にて、極悪80人で1000人以上のCRS連合に特攻を掛け、
日本刀を抜いてはるかに数の多い敵に突っ込み、極悪の名を全国に轟かせた大喧嘩が大井埠頭事件である。
また武闘派として、未だにその名が日本暴走族史に輝く極悪を語ろう。
初代築地極悪T氏の参考資料を参考にし、初代に存在した地域の極悪を書き記して置く事にします。
築地極悪・月島極悪・北千住極悪・西新井極悪・新宿極悪・板橋極悪・越谷極悪
その後に出来た、深川極悪・五反野極悪・梅島極悪・町屋極悪・千駄木極悪・三ノ輪極悪・向島極悪・等があり
大井埠頭事件後も、武闘派としての極悪の名を世に広めた事は云うまでもない。
>>231
それだけじゃない。いたずらも結構遭ったから再放送すると
PTAからクレーム来る可能性あり。
だから地上波ではなく有料番組で再放送される。
それはあばれはっちゃくに限らない。 デーモン小暮のオールナイトニッポン4
ttp://that4.2ch.net/test/read.cgi/rradio/1145451469/ >>196
亀レスだが、俺の中での半ズボン文化の象徴というと2代目ケンちゃんの岡浩也氏
だな。
初代ケンちゃんの宮脇氏は小6で半ズボンを拒否したそうだが、岡氏は中2まで
半ズボンでケンちゃん役をやっていたそうだ。
ケンちゃんをやっていた間は他の番組やCMでも半ズボンで出演し続けていたそう
だから凄いよな。 ゴレンジャー・キカイダー・電人ザボーガーなどのヒーロー物が好きだった。
近所にライダーベルトや色々なおもちゃを持っている奴がいてみんなで見に行ったりした。 >>238
そういや、「ケンにいちゃん」辺りでは如何にも兄貴としての風格が感じられたな。
半ズボンだったりしたらそれも半減してただろうな…。 その頃、半ズボンが最高にかっこよかった。
みんな争うように短い半ズボンをはいていた。 だが半ズボンはうんこを漏らすとすぐばれるからなぁ… なんか懐かしいな。
当方76年生まれです。
あの頃は、ファミコン出始めで、持ってる友達の家にみんな集まってたけど、
30分位やった後、飽きて、森の中の秘密基地に行ってたっけ。
春は、花の密吸ったり、タラの目やワラビなどの山菜とりしたな。
梅雨とか雨の日は、広場でダム作ったりしてたっけ。
夏は、虫取りとか花火とか、プールに探検ごっこやらしてたな。
秋になると、木の実とかアケビとか山芋掘って食べたりしてたっけ。
冬とかも、外で駆け回ってたな。
擦り傷切り傷青タン当たり前で遊ぶのが基本でした。
中でも一番やったのは、なんと言っても「戦争ごっこ」
でした。
ダンボールやトタン集めて、基地を構築して、ガチンコ勝負。
エアガン花火パチンコなどの飛び道具はもとより、
竹や針桐の枝、ウンコ入り落とし穴とか、何でもありでした。
ルールは、泣いたり、降参したら負けでで、
流石に大怪我するような事はしなかったな。
石とか砂、小便の入った缶やら色々飛び交って過激でしたよ。
石が当たって
「ギャー」
とか、伏兵にネズミ花火持たせて基地に放り込んで
「うわー」
「なんじゃこれ!」
とか混乱して、騒ぎ立てた所に、本隊のパチンコ一斉射撃。
今やってたらPTAに、問題化されるな。
中学生のとき、虫取りしに、山に何人かでいきました。
当時は、引退してたけど取りたいって奴がいて、山に入って気が付きました。
蚊がよってこない。
と、取りたがってた奴見たら、真っ黒になってました。
これも、免疫かね。 外でもかなり遊んだけど、家にいる時はプラモデルの代わりに画用紙で車の
模型を作ってた。特にカウンタックがお気に入りで近所の子にも作ってあげた。
今考えると粗末な作りだったけど。 ↑お〜俺もやってたよ!
工作用紙でSFチックな飛行機とかロボットらしき物とか。
確かに今考えると作りは粗末だったね。
でも、満足してたなぁ・・・ 子供の頃、友達とファミコンで楽しんだ事がある。
スーマリを含めて、忍者じゃじゃ丸・ナッツ&ミルク・ゲゲゲの鬼太郎・
ボンバーマン・ドラクエ。etc・・・。
あと、PCエンジンのカトちゃんケンちゃんもやったけど。
アノ頃、有名・無名問わず。いろんなゲームが、雨後のたけのこのように、
イッパイイッパイ多かった気がする。 給食のコッぺパンをおやつ代わりに持ち帰ってた(ジャム付き)
給食の残りを晩御飯にした人いる? 地面に着かずにジャングルジムで鬼ごっこをして
午後の授業前、蛇口に口を付けながら水道の水を飲んで
急いで教室へ戻って行った いまテレビで80年代初めの田舎の映像と、同じ場所の現代の映像が流れてたんだけど
画質の問題だけじゃない温かさや包み込むような雰囲気が80年代には感じられるな。
現代は明るすぎるというか…空間が均質で整然としてる。
いや、整然としてるのは昔も一緒なんだが…同じ木造の建物なのに温度が違う気がする。
なんか大事なものなくしたのかな。ニッポン。
>>254
わかる。
昔の再放送してる時代劇と今の時代劇の差みたいな…画ヅラが。だから再放送の方を見いってしまう。
スレ違いスマン。 セブン行ったらレジ近くにお菓子の復刻版コーナーがあった
当時のパッケージでチョコボール・ハイソフト・ジューシーフルーツ板ガム・ハッピーターン・パックンチョ・コロンetc
懐かしかったよ。そんな私は39才 タイツの上から半ズボン、二段穴止めベルトにゲッターロボの運動靴。
チャリはブレーキが解らず、爪先で停めていた。
>>260
おお!近いね。確かに低学年でタイツの奴多かった。 ションベンする時
チャックの下の部分に漏れ後が良く付いた 皆さん年近いですな。自分も昭和43年生まれ(3億円事件の年)
小学生の時は、サーキットの狼に夢中になってたな。今でも何人かの登場人物の名前が言えるし。
しかし、ルービックキューブがまた復活してるとは驚き。 スライムも流行ったよね
スーパーカー消しゴムとかも
女子はゴム段に熱中してた
S45生まれ 女子って同い年なのに何故か落ち着いてたな。
男はカンチョーしたり誰々がトイレで雲個したとか…w
そういえばクラス中でガヤガヤしてたのに、急にシーンとなる現象は不思議だった。 >>265
自習の時とか一瞬、教室がシーンとなるのが確かにあった!
教室の戸をガラッと開けて、先生が来たかのように驚かす奴とかもいた。 45年生まれ。
蛍光色のボールでハンド野球、あておに。
あておに?
おに役の2人がキャッチボールして、
両側の陣地内の人間が陣地間を走って移動。
おには走ってる人間の背中に当てたら交代できるというやつかな?
大原則は、走ってくる人間を正面からボール当てたらいけないというものだったような。 「アゴに何か付いているよ」と言い、相手がアゴを擦ると「ウーン、マンダム」
と言ういたずらが流行していた。
1999年 人類は滅亡すると思っていた。
太く短く人生を楽しんで あわよくば自分は助かるつもりでいた。
たのきんトリオの誰が好きかで派閥作って争ったよね! 道歩いてて、よく落ちていた犬のうん○。
夏になると、乾燥して繊維質だけが残っていたりした。
乾燥してないやつを踏んで、知らずに家の玄関で靴を脱いで
しばらくして、親から「さんかくさい!」って言われてよく調べたら
自分の靴から臭ってたことがあった。 ジーパン(当時)の膝のところに穴が開いたわけでもないのに、
補強する布を丸く縫いこむのが流行ってた。
今は、わざと破りまくるけど。
チェーリング、スーパーカーのメンコ、チョロQ、ベーゴマ、スーパーヨーヨー
ゲームウォッチ、ルービックキューブ、スライムetc etc
子供の頃に興味を示した思い出深いもの(乗り物編)
バスの整理券の料金表示パネルや扉の開閉、運転席周り。
親戚の叔父さんのスカイラインのメーターパネルの色(グリーン)が何故か心地よかったり、
空中散布のヘリ(昔はゴツかった)の操縦士が見えて喜んだりと、他愛も無い事に興味を持ってた。
昔の乗り物の方が情緒があったような気がする。 自転車のスポークにプラスチックの輪っかとか、なんかフサフサしたヤツ付けてたw >>279
それやってた、ママチャリでw
5段変速のチャリは高嶺の花だったな。
あとあんまり趣味じゃないのに、
無理やり寝台特急ブルートレインとかスーパーカーの写真取りにいった記憶も。
東京駅も後楽園球場も子供だらけ。
交通博物館で買った「特急あさかぜ博多」っていうレプリカ愛称板が、
つい最近まで残っていたが、鉄道マニアの友人がクレクレとウルサイ
んであげた。
スーパーカー消しゴムをボールペンのバネの力で飛ばして遊んだりした。
あとコカコーラの栓のウラにスーパーカーの絵が描いてあった。
コカコーラのビンに似せたキーホルダーもあったなぁ。
ヨーヨーについては他の人が書いているだろうから略w 『あばれはっちゃく』の主人公が代ると、子供心ながら違和感を感じた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています