思い出存分に書けばいいじゃん!中学校限定
母校の電話番号の覚え方を未だに忘れてない
鼻 毛 フ サ フ サ
小学校 暗黒
中学校 灰色
高校 バラ色→血色
大学 (ry しゃあない、存分に書いてみてやるか。
まず部活。体力つけようかと男だらけのむさい卓球部に入る。
しかしその思惑ははずれて二つ上の三年がすぐ引退すると
とたんにキツくなくなる。もう勝手に遊び放題。
そのせいで行きたい時だけ行くようになる。大会などの戦績は0勝0敗w
塾行ってたせいかそっち重視で半分幽霊みたいなもんだったかな。
塾はきつかったがお陰でそれなりの高校へ進めた。
クラスの学校生活などは特に思い出はない。軽くいじめられたくらい
こんなもん 小学校 バラ色
中学校 バラ色
高校 灰色むしろ黒
大学 同上 バカばっかしやってた。
じゃんけんで負けたやつが下半身丸出しでジャンプしながら踊り場を往復したり
掃除の時間にほうきをギターと無理矢理思いこんでビジュアル系バンドごっことか
っつーか人生で一番楽しかった頃だなぁ。 中学はバスケ三昧でした。
うちの中学はやたら強く、そしてやたら練習好きでした。
朝6時から夜8時、授業以外はバスケやってました。
中学の時の事を思い出そうとしてもバスケやった事くらいしか思い出せない。
なんとなく悲しい・・・。 中2の夏休みに班で地元の高校訪問した。
事前に学年全体で何組の何班がどの高校行くか決めていた。
運良く私の班は、私が行きたいと思っている高校を選ぶことができた。
男子3人、女子3人のメンバーで電車に乗り駅から高校まで歩いた。
場所がはっきり分からなかったから自転車で通っている高校生の人を見かけたら
「あの人の後ついて行けばいいかも。」と女子の誰かが言ってその後ついていった。
ちゃんと高校へつくことができ、応接室に案内された。
それで10分ぐらい待った。
その間、足音なる度に女子二人はだらっとしていたのをぴしっとしていておもしろかった。
学校のこと説明してくれる先生が2人来ていろんな話を聞けた。
その後、ドムドムでハンバーガーセットをみんなで食べて帰った。 中学高校ってさ、一番楽しくもあり苦しくもあった時代だよね。
人間関係の難しさを最初に学んだのは学校だ。 中学校の時先輩におじぎしないといけなかった。
何m離れていてもおじぎしないと放課後体育館横のトイレに呼び出される。
1年の頃は毎日ビクビクしながら学校通ってたよ。
入学式の次の日、先輩が来ていろいろ持ち物とかチェックされる。
ウチの学校はカバンもくつ下も自由なのに、1年生のカバンは黒か紺、
くつ下は三つ折りって決められていた。
先輩になると流行り始めのルーズソックスとかカラフルなカバンとか持ってきても良かった。
友達がサンリオ(?)か何かのキャラクターのついた茶色いカバンを持ってきたら
呼び出されて「1年のクセに生意気なんだよ!」と木刀でボコボコにされていた。
私たちがそういうことされてきたから、私たちが3年になった時そういう悪い習慣は無くそうってことになって
私たちの学年がやっと廃止にした。
でもここ数年またそういう制度が復活したらしい。
くだらない。 >>15
漏れの中学も先輩が厳しかった。
挨拶しないと目つけられるしね。
バカバカしい風習だった。 中学の時の方が妙な拘束あったね。それも上級生によるもの。
小学の時は先生によるものだったし。
他の学校はどうか知らないが、2年と3年が同じ3階内の教室だったら普通ならトイレは
3階使うことになるけど、なぜか2年は駄目だった。
だからわざわざ2階まで行かなければならなかった。
当時、そういうこと知らず(クラブは文化系で先輩後輩の差なかった)に3階のトイレに
行って3年の人にジロジロ見られて怖かった。>>15 俺の中学3年の時の音楽の先生。
俺が全く真面目に授業受けて無くても、必ず成績表は5。
その上、何かにつけて俺に話しかけて来て、
良く音楽室にも、どうでも良いような事で呼び出されていた。
今思うと、俺に気があったのか・・・・?と都合の良いように
想像してる。色の白い、30歳くらいの女の人だったな。 スキだった女の子が急遽家庭の都合で転校してしまう事になった。
その彼女とは、付き合ってた訳じゃないけど、お互いの気持ちは
友人伝えに解ってた。
彼女の転校が決まってから一ヶ月なるべく俺はいつも通り、
チャラケた態度で彼女に接する努力をした。でも心の中では
(後何日・・・・・・・)ってカウントダウンしてた。
そして、彼女が登校した最後の日の放課後。
何故か、俺の机の上に俺の野球帽が置いてあった。
(当時、野球部。ピッチャーだった。)
ひさしの裏側を見ると、マジックで彼女のメッセージが・・・・
頑張れ!!負けんな!!と大きく書いてあり、
端っこに小さく、「ごめんね。ありがとう。」って書いてあった。
ありがとうの文字はにじんでた。
俺は帽子を握りしめて、泣き崩れた。
その後、試合で苦しくなると、帽子のひさしを見て頑張った。
でも、結局2回戦で負けた。
すごく青臭いけど、良い思い出。 中学が一番たのしかったな。人生すべての楽しみを使ってしまったんじゃないかというくらい。
2年の頃はバカなことばっかりやってたよ。先輩とケンカしたり先生とケンカしたり、
同級生いじめたり、後輩いじめたり。
何度も校長室に呼び出しくらったっけ。そのたびに泣きまねして勘弁してもらってたなw
>>17
私はちゃっかり目つけられて大変だったよ。
教科書とかが教室から中庭に投げ捨てられてたり、靴の中にカイロの中身が入れられたり。
体育館の壁にでかく、名指しで死ねっても書かれたなw
歩いてると集団で文句叫ばれたりもした。
でも傷ついた覚えはない。あっけらかんとしてたよ。
それが友達にやられたらきついけどね。 >>17
>>23
女子は結構そういうのあったみたいね。
暗黙の取り決めみたいの。
その点俺たちは気楽。
部活の時若干縦関係があったくらいで、
普段の生活は一緒に遊んでたしね。
しかし、女子・男子って響きもセピアだ。 中2の体育でバレーしていた時のこと。
私は1年の頃よりはアンダーサーブできるようになったけど、ボールがネットを超える
確率は50%ぐらいだった。
アンダーサーブのテストの時に、ふと「このボールをいじめてくる奴らに例えて打って
やっちゃえ!」とそれだけを思ってサーブしたらネットを超えた。
「わー、本当にネット超えた。でも次はこうは行かないだろうな」と思って2回目した
らまたネットを超えた。
「さすがに次は駄目だろうな」と思って3回目したら成功した。
「わー、ボールを嫌な奴だと思ってしたら全部成功したー!こんなこと初めてだ」と
思った。
そのことを生活日記(時間割や勉強時間その日あったことを書くノート)に書いた。
次の日、担任の先生は休みだったから副担任の体育の先生が来ていて生活日記見るこ
とに。
先生の一言に「頑張っていたよ。力強く打てていたよ!」と書いてあった。
「私がボールをいじめてくる奴らに例えて打っているのが先生にも分かったのだろうか?」
と思い少し恥ずかしかった。
その体育の先生は50代の女性ですごーく怖い先生だった。
ああいう一言書いてくれるとは思わなかったなあ。 傷害事件を起こし更生施設にぶち込まれた
中2の夏休みはじまってすぐ出所したから宿題なんてなかった
あんなところ二度と行きたくない
性格が丸くなってきたのもそのころからだろう 卒業アルバムのサイン会ってあったよな?
先生が「それでは20分までです。」みたいなことを言って
誰にサインしてもらおうと思ってたら、
好きだった子が俺のトコに走ってきて「書いてくれる?」って言われたんだよ。
でも、緊張してイイ事書けなかった。その後俺も書いてもらった。
この場を借りて言いたい
「俺がハブかれてる時に一人だけ話しかけてくれたよね。
あの時は本当に嬉しかったよ。ありがとう」
切なさ5万ボルトだね>>27
つД`)・゚・。・゚゚・*:
DQNグループの女子にコクラれて断ったら
しばらく嫌がらせられたな DQN仲間に
給食のカレー
オレのだけご飯にフルーツポンチかかってたり いじめは無かったんだがある意味暗黒だったなぁ。
中1→掃除中、教室の花瓶を誤って落として割ってしまい
その割れた破片で左膝に6針縫う怪我。
中2→下校中、変な新興宗教の勧誘に追いまわされ
逃げる途中に路地から飛び出してきた車にはねられ左足と右腕骨折。
中3→体育祭でクラス1太ってたやつと二人三脚に出ることになり
ゴールした瞬間そいつが俺の方に倒れこんできて
全体重を乗せた肘が鎖骨に直撃、そして骨折。
この頃の俺は何かに憑かれてたんだろうか・・・ 修学旅行で全員大広間への集合がかかったとき
好きな人のところにいって
いろいろしてきますた 学校へ行くと同級生が俺に気遣って、机に花束置いてくれたな。 「くだらねーなこいつら。」
と、一応一緒にいるだけのDQNヤンキーたちを下に見ていた。
よって本当の親友も良き思い出もなし!
空白の3年間ですた。 「くっだらねぇーなこいつら」と
思いつつ、今も高校生活を送るが
一部の奴はナカナカ気に入ってたり。
向こうもすこし好意的になってきていたり。
でも決して女子は見下さない。もはや友好的な雰囲気。 漏れ中学時代はクラスの人気者グループに人気者でもないのにくっついてた
なー。くっついてたって言うよりはむしろ媚ってタカも。心の中ではいつも
「嫌われたかな?」「おっしゃ!信頼度上がった!」みたいなこと
ばかり考えてた。ろくな思い出がない 俺は暴行事件起こして4回サツのお世話になった
うち2回留置所 中学3年の昼休み。
担任「○○(俺の名前)、お前足が長いなー」
俺「中2の時、体育の授業がバレーボールばかりだったのでそのせいで足が伸びたかと・・・」
担任「足が長いってことは人気者って言われてるんだぞ。腕の長い先生とは大違いだ」
『腕の長い人』の意味を知らなかった俺は、
「そんな事無いですよ先生、腕が長いのも凄くいいと思いますよ」
とフォローの意味で言った。
それに対して担任は
「腕が長いっつうのは獰猛な人って意味なんだぞ(゚Д゚#)」
と返した。
余計な事は言うもんじゃないね、そう思った。 好きでもない幼なじみの女の子に彼氏ができた時、妙に寂しくなったな。
それで俺ガキだったからその子に彼氏ができたことを妙に意識しちゃって態度にでまくり。
そのままなんとなくお互い気まずくなって校内で会っても話さなくなった。 1年と3年の時はクラスに一人えばりくさった奴(同一人物)がいてそいつ系とそうじゃない系派
に分かれてまとまりがなく、マジ最悪だった。
そいつ頭悪くてビッグマウスだったが図体がでかかったから誰一人として逆らえなかった・・・。
2年はマジ天国!!
今も親交が続いている中学時代の同級生はほとんど2年でクラスメイトだった奴。
でも一人変な格闘技ヲタがいて弱いくせに喧嘩ばかり売っていた。 中学ずっと同じ人好きだったよ。
3年間ずっと。
今でも好きだけど・・・
中学3年の頃に20代後半の男にレイプされて大切なものを
奪われてショックだった。
卒業式終わって片思いの彼に電話したら
なんだかしらないけど「わがままジュリエット」流してくれた。
今思うと「ナルシストだな〜」って思うけど
あの時は泣きじゃくってなぜか相手に「ごめんなさい」って
泣きながら電話して切っちゃったことを未だに後悔している。
相手が電話の向こうでこういう音楽流してくれたのすごく
嬉しかったんだけど、あの時の私と彼は両思いだったのかな〜って
思うと「なんで電話きっちゃったんだろう・・・」と
ひたすら後悔・・・TT
>>34
いたあ!友よ。
私はビンタもケツバットもくらったよ。 中学校でスカートめくり流行ってる学校・県教えて。
女同士の茶巾でもいいよ。
パンテイおろしもあるのかな、部活で。 中3の時に2階の教室から飛び降りて(イチビってました。すみません。)足を折って3ヶ月入院した。
それで3日目ぐらいに隣のベットに2つ下の女の子が入院してきた。
なんでもその子はオレの妹の彼氏と同じ私立の全寮制の中学に通っているらしい。
入院の理由は一部の糞男どもにイジめられ、それがエスカレートして階段から突き落とされたそうだ。
そういう風に毎日話を聞いているうちに彼女は心を開いてくれ、オレは彼女が好きになっていった。
それと同時に芽生えてくるのは、彼女を傷付けた糞への憎しみ(まあ怪我させてなかったら会えなかったんだが…)。
そうこうしているうちに彼女は退院していった。(彼女の連絡先は聞きました。)
それから1ヶ月半後オレは退院した。
退院して最初にする事がある。彼女をイジめた男を潰すために仲間数人を引き連れて彼女の学校へ乗り込んだ。
時は昼休み、教室のドアを思いっきり開けた。すると彼女の机に消しゴムのカスを投げてるやつがいた。
鼻から戦闘モードで行っているのでそいつの胸ぐらを思いっきり掴んで睨み付けると、見た事がある顔…
そいつは妹の彼氏だった。でもそんな事オレには関係ない。連れてきた仲間は後ろで見守るだけ。
思いっきり顔面をけり上げて馬乗りでボコボコに。しかしここで先生が登場してその場は収まった。
オレはそのあと2〜3日お泊まりした。彼女は電話で『ありがとう』と言っていた。
そのあとはイジめはなくなったらしい。多分最後に叫んだ『今度やったら絶対殺す!』が効いたんだと思う。 中学のときか。マンガオタ全開だったな〜
高校以降みたいに変に意識することもなく開放的に好き勝手騒いでた。
あの頃に戻りたいな〜 3年の時、先生がダルマを2個買ってきて「3年6組 全員高校合格しますように」と書き込み、教室に飾っていた。
放課後、友人数名と教室ではしゃぎ回っていたら「ガン☆」とダルマに当たり、ダルマを落としてしまい
「あ…」
↓↓↓ガシャ─ン☆↓↓↓
粉々に砕け散ったダルマ。
…とりあえずもう1個のダルマに「割れたダルマが直りますように」とボール7個集めたワケでもないのに無茶な願い事を頼んだものだ。 中学校でスカートめくり流行ってる学校・県教えて。
女同士の茶巾でもいいよ。
パンテイおろしもあるのかな、部活で。
>>55
ドラゴンボール? 中学の時はイジメられたりと散々だったけど、休み時間や授業中にたまに見える女子のパンチラが唯一の幸せだった。
…フッ、寂しい奴だと笑ってくれ… 本気で嫌われてる奴って声すら掛けて貰えないんだよね、と言うか向こうからの接触が極力無いように見える
皆の学校もそうだったろう、恐らく全国共通
中2の夏休み明けに漢字テストがあった。
私は「縛」という字の右上の点を付け忘れたために100点取れなかった。
つまり99点。
班で間違えた漢字を直す時、班長の男子が「この字どう書くんだ?」と聞いてきて
教えてあげた。
その男子は勉強がすごくできる人だったけど、その時に「漢字覚えるのは少し苦手
なのかな?」と思った。
その後、もう1回クラスのみんなそのテストを受けた。
私は100点取れたけど、班長の男子はまた100点取れず。
また「この字どう書くんだ?」と聞かれた。
秀才にも弱点というのがあるんだなあと思った。
小中学の時の秀才は、国語が苦手な人多かった。 部活の後輩で1つ下なんだけど、林○美○って奴が忘れられない。
その子、あまりかわいいわけじゃないけど、擦れ違うたびに強烈なおしっこ臭が鼻をついたんだよ。
こいつ、トイレ行った後拭いてないか、いつも間に合わすチビってるなとか勝手に妄想して楽しんでいた。
ちなみにオーケストラ部
林○さんはトランペット担当 おれはかなりグループ構成では半端だったな。
軟派からも硬派からもオタクからもスポーツマンからも
交際を拒まれたことはなかったが、親友と呼べるくらいのヤツは少なかった。
だれとでもよくじゃれ合ってたけどなんでだろうか? 中学の体育祭の練習はパラダイスだった。ブルマで体育座り萌え。 おまいら、女子がいなかったら学校行ってなかったんじゃないか?
学校を何だと思ってんだよw 中2の春2人目の子とSEXした
昔は優等生の俺も転向先ではやさぐれ(ツマンネークラスで
教生の女の先生の寄せ書きも俺が田中と(一人ヒトマス割り当てられ
マス一杯に『根』『性』(レタリング?だっけ?あれ調に書くと
他の連中も真似して2人一組で努力だの勇気だの
誰一人おもひでも感想も書かず真っ黒な寄せ書き。オリジナリティーも
何も無い仮面をかぶったれんじゅうばっかだった
つまんねー学校生活で「スカイ」と
知り合ったのは夏前の委員会でだった。女ソ(ソフト)で背が177せんつ合って
背が高いから男子から「スカイ」と呼ばれてよくいじめられてた
反応の薄い子で、俺に共感を覚えたのだろう。俺と会話(殆どエロ話)もあって
学校サボってよく海岸沿いを2ケツしてバイクで走った。
家にさそい、襲いかかってキスする。抵抗しない
パンツに手をかけると「ぃ・・・ぃゃ・・・」キスはでも抵抗しなかった
「き・・・きすはぃぃょ・・・ぷるぷる」
こうして俺とスカイのペッティングライフが始まった
(つづく 学校の近くにあった竹林から竹を一本切り取ってきて、
凧糸と道端に落ちていた鳥の羽で、見事な弓矢を作った。
試しに斜め45度の角度で打ち上げると、見事な放物線を描き
グラウンドでサッカーをしていた一年生の背中に命中した。
先に布を巻きつけていたので、けがはなかったが
先生からビンタをもらい、父親からマジパンチをもらった。
今となっては、全てがよき思い出。 小学校の桜の木で飛行機を作って飛んだ
俺たちがかの有名なライト兄弟ですが何か?
>72 弓矢つくったなぁ。確か選択授業かなんかで。
弾力のある棒をもってこいと言われて、みんな竹ひごとかもってけてるのに、農家の息子だったO君が、ビニールハウス用の竹板もってきたんだよな。
弓矢が完成して、みんな打ち合って遊んでいたら、「ゴスッ」って音が。Oくんの矢が図工室の漆喰の壁に突き刺さっていた。
その瞬間思ったよ、「こりゃ玩具じゃない…」って。なんかみんな悟ったものがあったと思う。よい授業であった。 中学の時学校で「乗っかりゲーム」ってのが流行った。
罰ゲームで乗っかりゲーム一番下になったものの上から、
じゃんけんで順番を決めた仲間達で重なっていく。
で、男子全員がサンドイッチ状態になったら下の人が「ギブ!ギブ。」と言う。
そこでバトル終了。まあヒョロガリの俺も初めて一番下になった時は危険だと思った。
これが「のしかかりゲーム」とか何だとか名前を変えて他校でも流行ってたらしいが、
あとは詳しく知らん。
T江さん、ずっと好きでした。今、幸せにしてますか?幸せであって欲しいし、
今も美しくあってほしい。
消防の頃、君は僕のことを好きだったそうだけど、恥ずかしがりやの僕は
それに応えられませんでした。
厨房になって今度は僕が君を意識し始めました。厨2で同じクラスになり、
厨3も同じクラスだったので、将来、消防のクラス会でも厨房のクラス会でも
君に会えると思うと嬉しかった。
あれはどういうきっかえだったか忘れたけれど僕と腕相撲をしたことがあって、
そのときはクラスのみんなから冷やかされましおたね。あのとき君から僕に「や
ろう」と声をかけてくれたので僕は最高に嬉しかった。
卒業してからは進路が分かれ、君はすぐ近くの高校で楽しそうにしてた。僕は片道
1時間かかる高校に入って受験勉強に勤しんでいた。
たまに帰りのバスから歩いている君を見て、まだ胸のときめきを感じていたけれど、
大学に入ってからは君の姿を見る機会もなくなり、いつしか君のことを記憶の片隅に
押しやってたような気がする。
だけど今でも君の面影は僕の心に焼き付いています。
修学旅行で二人で撮った写真は今も持っていますよ。
野球が好きな君にバッティングを教えてあげたら、ライナーを打てるようになって
喜んでいた姿も忘れられません。
どうして君に素直に好きだと言えなかったのか。今でも後悔してます。
今度会うことがあったら「好きだったよ」と素直に言いたいな。 リレーマラソン大会があった。
どんな嫌がらせか知らないけど、
「いつも足が早い奴が走るので、今回は遅い人に走らせよう」という事になった。
もちろん私も選ばれた。
50M走で12秒もかかるからだ。
が、実は長距離は得意だった。
50M走を走るペースをほぼ落とさずに1キロ走る事ができる。
全校マラソンの時は学年で男女合わせて16位だった。
ちびで運動神経の悪い私にしてはなかなかの好成績だったと思う。
で、リレーマラソン大会当日、うちのクラスは真中くらいの順位だったのだが、
私はちょっと頑張って3位まで順位を上げた。
途中に経ってるボランティアのおばちゃんが「今3位よ!」と声をかけてくれたので覚えてる。
で、私のあとの人に交代すると、最下位になって戻ってきた。
うちのクラスはそのまま最下位を爆走した。
そして私は「おまえが遅いから負けたんだ!チビ!!」と責めを受けるハメになった。
納得いかん。 中学の卒業文集に過去の犯罪者のようなことを書いたから
もし犯罪起こして、文集がTVにでたら視聴者に「あぁ、やっぱりな。」って
思われてしまう。 月 席替え ヒソヒソ・・・ 「え?まだ居たの?」
曜 グループ学習 歌えないカラオケ
の 調理実習 体 「あれ?今日呼んだっけ?」
朝 修学旅行 怨み 育 休 弁当
コソコソ・・・ 罰ゲーム告白 み 「調子乗ってんじゃねーよ」
「なんでお前もくんの?」 図 時間
飲まされた泥水 書 ト 「えーと、誰?」
二人組み 好きだったあの子 室 ザワ・・・ イ 鬱
寝たふり 「なんか臭くない?」 落 レ
MDが友達 「おいお前コンビニ行ってこい」 書
き
画鋲 机に花 キモイ・・・ 隠された所持品 「ちょっと金貸してくんねぇ?」
ザワザワ・・・・ 「なにアイツ?」 ガヤガヤ・・・
アドレス帳 嫉妬 保健のテスト100点 あるとき学年10数人でエアガンで町内を使っての撃ちあいが流行。
そのうち強力で高価な電動ガンが撃ち合いに投入されるようになりブームになった。
あるときクラスのリーダー格の奴が電動ガンを売ってくれと言って友人が学校に持ってきた。
しかしそいつが校内で撃ちまくり先生に見つかり友人は呼び出されてちょっと問題になった。
体育の授業でバスケをすることになりクラスで4チーム作られた。
メンバーは仲のいい友人とバスケ部のうまい奴とその他2名。
バスケ部の奴はチャラけた奴で個人的に嫌ってたんだがそのときは運動音痴の俺と友人にやたら親切にバスケを教えてくれた。
おかげで恥ずかしくない程度にうまくなり、高校の体育でも役に立った。
最後。
卒業式のときに席が隣の女子が練習のとき休んでいて式当日いろいろと質問された。
その子はおそらく学年でトップクラスのかわいい子だった。
その様子をクラスの奴らも見ていてやたら仲良くしてるように見えたらしく、式後にあちこちから冷やかしの声が聞こえてきた。
普段おとなしく女子ともほとんど話さなかった俺はおそらくそのときが中学で一番女子と話したときだった。
中学の頃、グロ好きがかっこいいとおもって
グロ漫画とか死体写真集を学校に持っていったりしてた
男子は少し興味を持つ奴もいたが、女子はもちろん引いてたよ
キチガイキャラを演じるために授業中突然「ひひひひひ!」と笑い出したり
鼻血が出た時、顔に塗りたくったり・・・
手を震わせながら錠剤(本当はタダのビタミン剤)を大量に飲んだり・・・
もちろん俺が歩くと女子が机ごと俺を避けた
そして卒業間際のお別れ遠足の日・・・
その日は制服じゃなくて皆、私服で来ることになってた
そこで俺はチャンスだと思いネットからダウンロードしたかなりエグいグロ画像を白いシャツにプリントアウトして
それを着てバスへ乗り込んだ
悲鳴をあげる女子、泣く女子・・・
男子たちからも「てめぇ!ふざけんなよ!」「毎度毎度いいかげんにしろよ!」「死ねよ!」
など、非難の嵐を浴び自分のやったことの重大さにようやく気付き少し涙目になる俺
結局その日はジャージで行く事に
ディズニーランドのトイレで過ごした6時間のことは今でも忘れません
>>77
コレは、ひどかった。
俺が2番目したになって10人上からのられたとき。
マジ死ぬかと思った。しかし、一番下のやつが ぎゃ〜って声がして俺も
うぎゃーって怒鳴った。
その同じ年、別の小学校で同じことをして一番下になった男の子が死んだ。
てか>>46は私がほれました。
今度あってください。 中2のころ、僕は、はじめから省かれムード全開でした。
理由は、いくつもあると思うけど、顔などの容貌からくる差別が大きいのかと思います。
自分コンプが激しくて、社会人になった今でも、ネガティブで女性にまともに話しかけられない。
だから、彼女なんて今まで一切いない。好きな人に彼が出来ていると知った時だって、悔しい思いばかりだった。
容貌の差別は中学で頻繁に行われるようになったと思う。たとえば女子に嫌われるだけで教師からいつの間にか目をつけられていたり。
でも、そのころの自分は精神力が無かったから、周囲の態度にすぐ疲弊して結局 適切な反抗は出来なかった。
中2の2学期、学級委員長がいじめの首謀者である女子を省きこみ、そいつを転校させた。
副委員長が俺に謝ってきた。しかし、自分は完全な人間ではないから周りが観ている中でヘマだってする。
そんなこんなで染み付いたコンプが強いから、うまく自己主張も出来ない。
濡れ衣を着せられても、言い返せない。で、やっぱり悪いイメージを擦り付けられてた。
高校に入っても似たようなことの繰り返し。つまり女子は1回目の対面からいきなり罵倒したりなど
する始末。無限ループ。女子に嫌われれば男子にも嫌われる。コレが、社会。
俺は、精神病になった。不安神経症、強迫神経症、対人恐怖症、不眠症、自律神経失調症、発作型不安神経症(パニック障害)、睡眠障害
などなど、自覚症状がある。しかし、親はわかってくれない。引きこもりになった。薬も数種類持っている。
この線路はどこへ向かっているのか・・運命の限界を今までどう努力しても、超えることが出来なかった。
さまざまに分岐する運命という路線。たとえば、自分が好きだった女子を止めようとしても結局無理だった。
今は、どこかへ向かって走っているころ。すでに7年も前に彼女は他の誰かと同棲していた経験を持ってる。
自分とはコンプの量が違いすぎる。そしてコンプの量が違いすぎる相手と一緒にいる。それですら気に入らない。
なぜそんなことが、性的な相手としての対称になる。それが許せない。
虐待や差別は永遠に存在する。真っ黒に壁で囲まれた世界。どこのドアにも鍵がかけられている。
道はやがて細くなり道の最後は徐々に狭くとがった行き止まりのそれを感じた。 中一の冬だった。
部活の練習試合のことだった。
俺は、小学生から、学校で一番脚が早くて、親がサッカーのコーチをしていた経緯もあり
いやおうなしにサッカー部へスカウトされた。中学は2つの小学校から集まり、同じ出身の小学校と
隣の小学校から着た混成チームだった。
小学校のころは、自分たちで放課後や休日に練習したりしていたためチームワークが非常によく強かった。
それに加え、市内の強豪である隣の小学校との混成チームなので弱いわけが無かった。
しかし、顧問の教師は教え下手で怒ってばかりなので、皆萎縮してしまっていた。
萎縮すれば、よいメンバーの動きも止まってしまう。先輩も恐持てばかりだった。
ある練習試合で単一クラブ出身者で構成された中学サッカー部との練習試合だった。
俺は、そんな無意味に厳しい部活を毛嫌いしていて、ずいぶんとサボってしまった。
ある冬の日、練習試合があった、俺は、脚も早かったし、技術も戦術眼もあったが、
部活をサボったり遅刻したりしていたし監督が怖く萎縮していて自分のプレーをしていなかったので
どうやら、補欠?にさせられたらしい。
相手のチームは、小学生のころ通っていた市のクラブチームの出身者が何人かいるチームでそこそこの実力を
持っている事はわかったけど、自分たちのメンバーよりよいわけが無いことは知っていた。
試合はそんな相手にボロボロだった、前半4失点、後半4失点していた。
監督は、後半10分から俺を起用した。
俺は、難しいこと考えず、適当にセオリーどうり動いているだけだった。
左サイドがどうやらがら空きだった。
MFがボールを持ったときにスペースに上がるただそれだけだったが、守備もしなくてはならないので
かなり体力の要るポジションだった・・・
とりあえず、MFからボールがくることを予想して走っていると、予想通りスルーパスがやってきた。
キーパーの動きをよく見て、インサイドで蹴った。
入った・・・・・
試合は8-1で負けたけど、どうやら、幽霊部員の俺を監督は、秘密兵器として使うらしい。
以後、大事な局面で出場機会が何度もあった、県大会のベスト8で相手のエース(市船進学)をハードマーク・・・
した、しかし、当時俺は、幽霊なので煙たがられ、監督には早く辞めないかな〜?
と思われていたらしい。運動不足がたたり俺は後半後10分で足をツリ、一瞬マークがあいた10番のそいつにパスがわたり1点取られて負けた。
その年そいつの進学する市立船橋は高校選手権で優勝していた。
俺の負け犬人生はそのころからすでに始まっていたらしい。
なんでか知らんけど、小6の時に転校してきた女の子に敵視されてた。
小1の時から仲良しだった子と同じ部活に入っていたんだけど、
その友達と話していると、私と友達の間に割り込んですわり、
折れて尖っている木琴のバチなどで足を強くつつかれ、怪我もした。
まぁほかにもいろいろ。
きっと転校したてで友達がいなくてさびしいんだろう、
友達を独占したいって人もいるから、そういうタイプなんだろうとあまり気にしてなかった。
中学になれば収まるかとおもったけど、それは大きな間違いだったよ…
その友達とは部活が別れ、クラスも離れてあまり話さなくなったんだが
なぜか毎日うちのクラスに来ては
「ちび!!ちび!!くそちび!!」とか言ってわざとぶつかったりしてくる。
私は完璧に無視してた。
でも彼女は毎日やってくる。
そのうち私の友達が怒って「うるせーデブ!デブ!」と言い返すようになった。
そしたらますますエスカレートして、仲間引き連れてちびちび言いに来るようになってしまった。
ちなみに、初対面が上記の木琴のバチで足をつつかれた時なので、
本当に一度も口をきいていない。
なんだったんだろう…? 中学時代サイコーだったな・・・
初めて女の子と付き合ったのも中学だった
初めてタバコ吸ったのも
今思えば初めてづくしだった
そんなこともあってか高校時代は刺激がなかった・・・・
戻りたいなぁ
中1・・・・ うちの学年は、女はヤンキーみたいのが少しはいたけど、
男はいなかったので、中2までは比較的静かな学園生活を
送れたが、中3の時、よりによってうちのクラスにパンチパーマ
にちょび髭生やした、どう見ても中学生には見えない、やけに
フケ顔のチンピラみたいなKが転校して来てからは様相が一変した
こいつがまたやたら喧嘩っ早い奴で、肩が触れたの触れないのと
いった実に些細な事で、誰彼構わず喧嘩を吹っかけてきたり、授業時
には大声で喚きちらすだけでは止まらず、爆竹鳴らしたり、消火器ブチ
まげたりといった問題行動ばかり起こして、皆に迷惑をかけまくっていた
そんなある時、うちの学校の生徒が隣町のH中学の奴らに殴られると
いう事態が起こったのだが、それを聞きつけたKが「よし、仕返しに行こう」
と言い放ち、うちの学校の連中20人くらい引き連れて殴り込みに行った
まではよかったが、どうやら相手は喧嘩に習熟したモノホンのヤンキー連中
ばかりだったらしく、逆にコテンパンにやられてしまい、肝心のKの野郎は威勢
の割に早々とのびてしまうは、他の連中はもともと単なる喧嘩の素人に過ぎな
かったことから、あちこち逃げ回った挙句、道行くおばさん連中に助けを
求めるという体たらくぶりで、そういうこともあって、この一件は学校側にも
すぐさま知られることとなり、殴り込みに行った連中は、強面の教師らに長々
と説教された挙句思いっきりぶん殴られ、中学生にしては珍しい自宅謹慎
処分まで食らってしまうといった、何とも言い難い悲惨さを味わうことになった
それ以来、さすがにKの奴も多少はおとなしくなったのではあるが、キレ易い
性格までは何ら変化が見られなっかったとさ、 ジャンジャン これコピペじゃねえよw、ジャンジャンは余計だったけど