思い出存分に書けばいいじゃん!小学校限定
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小6のときにクラスで起きたケンカから反省会になったとき
先生が「人の悪口は言ってはいけない」とか言ってたんだけど
6年に言う内容か?と思った
…だがたしかにそう言うしかないとも思えた 就職について大企業に入るか?中小企業に入るか?
なんて討論をやったことがある
…が、実際は志望者に決定権はねえわな 仲間内でやってた
つまんなそうな卓上遊び(パターゴルフとか)を嫌々眺めてた クラスの中で
言葉の語尾に「〜うぇい」とか「〜びぇい」とか付けて言うのが流行ってた
よくよく思い返したら仮面ノリダーの影響かもしれない 小学校5、6年のときのクラスは男が女より2人多かったんで
野郎2人並んだ席ができたのだが
席替えの時はその席のほうが男に人気だった
振り返って思えば
野郎同士の席のほうが人気なんてそんなバカなと思いがちだが
そういう感覚もわずかに分かると思う
隣の席の女なんているけどいない存在みたいなもんだったから
しかし年食って思うのは
女って男より二人少ないどころじゃなくゴッソリいなくなるな 小学校の頃
目が悪くなってゲーム禁止になって5、6年ぐらいで禁止がうやむやになって
またゲームやるようになった
集中して画面を凝視し続けないように自制できる年になってきたからか
当時は小学生で目が悪いなんてかなりの異常事態のような風潮があった
今では幼稚園児でもメガネかけてるのがいるけど(ニュースとかを観ると) 厨房じみた奴がやってた自転車の両手離し運転は
年取るにつれていずれできるようになる必要があるのかと思ってた スレチかも知れませんが書かせてください
小学校5・6年の話
(クラスも担任も一緒だったので時系列の記憶が曖昧なので一緒くたにさせてください)
ちょっとぽっちゃりしてたし、当時の家庭環境的にも貧乏すぎてろくすっぽ風呂に入れなくて身体から異臭放ってたり、
基地外じみた兄貴が一学年上にいたりして、いじめられてたというかいじられてたというか、そんなような存在でした
担任も当時27歳くらいで、校内でもかなり若手な方で、おそらく先生も自分のことそんなによく思ってなかったんだろうと感じていました
ある日、学校の屋上で水風船を投げ合うっていうレクリエーションをやってて、
屋上の使用許可は出ていたけど、さすがに物が上から落ちてくるのはNGということで、
水風船を落としたらその時点で即終了という条件で遊んでいました
自分の通ってた小学校の屋上は、出入り口と遠く離れた一辺だけが柵になっていて、
あとは壁になっているので、普通に遊んでいれば水風船が落ちることがなく、
自分も確か出入り口側でのんきに遊んでいたのですが、担任がすごい剣幕で自分の名前を叫ぶ声がして、
何事だろう?と思ったら「はい!(自分)が水風船を落としたから終了!!」というレクリエーションの終了宣告 みんな文句を言いながら引き上げていきましたが、当の俺はあっけに取られました
上で書いた通り、柵になっている方にはいなかったし、そもそもそんなに肩がいいわけでもないから、
自分がいた場所から水風船が外に出ることはないはずなのに・・・
というか、ソッコーで自分のせいにされたのが、なんともショックな気分でした
また、別の日には、体調がすごぶる悪すぎて、昼休みに保健室で寝ていたところ、
先生とクラスメート数人が保健室に来て「(自分)もう大丈夫だよね?教室帰るよ!」
と有無を言わさず寝てる自分を起こして、教室に連れてかれました
普段から、学校はほとんど休まなかったので、体調悪そうにしているのが珍しく、
また、いじられキャラというかそんな存在だったので、体調が悪そうな教室に戻っても
体調が戻らず机に突っ伏してた自分に周りはちょっかいを出してきていて、
自分も「やめろ」って応戦していたのですが、とうとうそのまま机の上でリバース
連れ戻してきた先生は卒倒して一目散に逃げ出す始末
自分はそのまま保健室に逆戻り、そのまま早退しました
今となっては笑い話ですが、当時はけっこう傷つきましたというお話 田園地帯で育った。
遊び仲間にまもるがいた。一つ年上だった。
まもるの家はおとっつぁんとおっかさんの三人だった。
おっかさんは継母だったが、まもるにはやさしかった。
「一緒に暮らすようになる前は飲み屋で働いていたらしい」 と
まわりの大人たちが話していた。
当時の田舎では婆ちゃんたちは夏は腰巻一枚というのが
普通だったが、まもるのおっかさんも暑い日は家では上は着てないことが多く、
三角形のおっぱいが目にはいった。日頃、婆ちゃんたちの
垂れたおっぱいや、授乳中の母親たちのぱんぱんに張ったおっぱいを
見慣れていたので、三角形のおっぱいは子供心に不思議に思った。
おとっつあんは無口な人で、仕事で家を留守にすることが多かった。
あるとき、遊びにまもるを呼ぼうということになって、友だちの一人が
家に行ったが、「いなかった」 と言って戻って来た。そして、
「おっかさんと正夫のおとっつぁんが焼酎を飲んでいた」 と付けくわえた。
数日後、その友だちが私にそっと、 「二人は裸だったよ」 と明かした。
あばら家だから家の中が見えたのだろう。
正夫は一つ年下で、住まいは隣の地域だった。彼のおとっつぁんは浅黒く、
がっちりした体つきの人で、昔、他所で闇屋をしていたと聞いた。こちらに来て、
道路沿いに小さな駄菓子屋兼雑貨屋を開いたが、繁盛は開店当時だけで、
閑散とした店内で店番のおばさんが近所の人と所在無げに世間話をする姿を
みかけたが、そのうち一家でどこかへ引っ越して行った。
田舎に帰ると、墓地にまもる一家の墓があった。まもるが建之とある。
墓碑銘に先祖と並んで、おっかさんの名前が刻んであった。
線香を一本お供えして、手を合わせた。 ゲロ吐きながらスキップしてたNくんはかなり器用だと思う
ふつー服にかかるはずなのに無傷でみんな「すげー」とか言ってた笑 なぜか知らないが国語の漢文と音楽だけが好きだった
そして中学高校の時英語と音楽でいい成績だった
これって小学校から片鱗を見せるんだろうな >>619
文学的だなぁ。墓碑銘で分かっちゃうんだな。。 小学生の頃、俺は腹が出ているのが嫌で学校ではずっとお腹をへこませてた。
ある時音楽の時間に先生がX字腹筋をやろうと言い出した。
俺もやってたんだけど、隣の友達が俺の服をバーっとめくったんだ。
当然服を着てて腹筋をしているから腹は凹ませられてない。めくられたところには腹の肉が何段にもなって
ズボンの上に乗っていた。それを好きだったEちゃんに見られたのが今でも恥ずかしい・・・ 学生時代=歩道が狭く、通勤通学では難があった。
21世気に入って10年目=ようやく歩道と自転車用通路が拡幅され、
通勤通学の交通弱者の通行が快適になった。
これって、かなり遅いじゃん。
少子化問題が進行しつつあり、学童が少なくなっているというのに…。
元々言えば、将来的には片側2車線の道路として仕上げるつもりだったんじゃ?
※2車線道路にすると、歩道のない国道になっちまうからね。
草加バイパス、二本松バイパス、盛岡バイパスなんかは
1970年代の規格で作られたため、道幅は狭く、
大型車が通行すると、車線いっぱいに走ってくる。 思い出といえば、通知表が先生の好感度の現れで、
当時勉強が割と出来た僕は選挙という漢字を選手と書いてしまうほどアホな担任を少し見下していて、
テストが90点〜100点という謎の高成績を収めた年だったというのに、
(まぁ中学受験のため勉強はしてましたけど…)
国語の授業態度が悪いということで成績を全教科B評価にされ、
体育以外全て40点以下の子に見下されたことですねハイ。 担任ではない女の先生によく「化粧してるでしょ!!」と言われた
水で洗っても「厚化粧だから落ちないんでしょ!!」って怒られた
色白だとこういう事が嫌だな〜 あの頃の夏と言えば、
網戸、蚊取り線香の匂い、鰹節とネギの乗った冷奴、汗かいたラガービールの瓶
若かった頃のランニング姿の親父、台所のおふくろが水を流す音、
笑い転げる弟 ポンコツテレビから外れたチャンネルのノブ、
おふくろが汗まみれで茹でたとうもろこし。青臭いトマト。
夏休みに笑っていいとものコーナーに出たクラスメートはヒーロー
バスクリンの匂い
早起きして出かけた朝のラジオ体操。汚いラーメン屋で見た高校野球。
夏のバス停で見た、近所にはいないはずの、きれいな女の子。
友達と一緒にいつまでも見てた影法師
今はもうない宝石箱 ドラキュラアイス。
まだ、ダイエーになる前に忠実屋で食べた、寿がきやのラーメン、ソフトクリーム、先割れスプーン
夕立はあのころ、本当に夕方に降っていたんだ。
女はあわてて洗濯物を取り込み、男はその女の姿を見て、ただ笑うだけ
(以下、この動画の音楽を聴きながら、写真を楽しんでくださいw。
https://www.youtube.com/watch?v=RAB8l6msHk8 )
http://i.imgur.com/At0LDOP.jpg
http://i.imgur.com/6gFudFU.jpg
http://i.imgur.com/CF5CVti.jpg
http://i.imgur.com/AlhBGRM.jpg
http://i.imgur.com/GUUjltE.jpg
http://i.imgur.com/XKmX0jQ.jpg
http://i.imgur.com/krUldnv.jpg
http://i.imgur.com/8AUhfgb.jpg
http://i.imgur.com/Ww2F0rR.jpg
http://i.imgur.com/0bujjp0.jpg
http://i.imgur.com/LA3qkQz.jpg
おまえらこの中にいそう
戻りてえよなあの頃に・゜・(つД`)・゜・
http://livedoor.blogimg.jp/shake1728/imgs/9/5/952289cc.jpg セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
CY5WV 上履きを隠すイタズラがよくありました。
お気に入りのセーラームーンのビニール靴が
片方無くなっていてがっかりした記憶があります。 >>587
小4で彼氏かよ?
俺なんて、男と女が付き合うっていう概念自体がなかったわ、中学ころまでww 体育館の舞台の天井の鉄骨に登って、それを渡って遊んでいました。
もしも落ちていたら…今思うと恐ろしい >>634
私も子供の頃、お寺や神社の屋根に登って遊んでいました。全く恐怖心がなかったかもしれません。今思うとゾッとします。 >>631
ローマ字ですか。4年生だった。
なんかすごくかっこいいものを勉強してる、と感じてた
のは、はっきり覚えています。 入学式欠席して後から一人で保健室かどっかで一人で入学式やった
ずっと忘れてたけど最近思い出した 僕は某県の中学に通い、周辺の男子生徒は、ほぼ全員が校則で丸坊主にさせられた。
僕はチジレ毛だったため、小学生の頃、髪の毛のことでからかわれたことがあった。
しかし、同級生の男子達は、丸刈り校則のことを「絶対に嫌だ!」と言っていたが、
僕はチジレ毛のこともあり、内心、『早く丸刈りになってみたい!』と思っていた。
僕が5年生の夏休みを過ぎると、1学年上の先輩がポツポツと丸刈りになり始めた。
僕が通った小学校では、卒業式は、男子は、頭は丸刈りにして黒い学ランを着衣し、
女子は、髪型をオカッパかショートにして制服を着衣するのが習わしになっていた。
僕は、丸刈りになった男子先輩やショートにした女子先輩を、憧れの目で見ていた。
6年生になり夏休みが終って2学期になると、同級生のI君とN君が丸刈りにして来た。
僕も早く丸刈りになりたくて、次の日曜日に床屋で丸刈りにしてもらうことにした。
その日、近くの床屋に行くと客はおらず、床屋のおじさんに丸刈り校則の話をした。
バリカンが取り出され、『グィーンバリバリバリ』とドンドン丸くなる丸刈り顔に、
『待って!』と思ったが、もう遅く、10分弱で、3分刈りの丸刈りにされてしまった。
刈り終ると、床屋のおじさんに「丸々とした良い形の頭だ」と言われて苦笑いした。
家に帰ると、両親に笑われたが、和気藹々とした感じで、妹に何度も頭を触られた。
翌日、小学校に行くと、やはり笑われたが、僕自身はとても満足な気持ちだった。
刈る時の長さも、床屋へ行く度に短くしてしまい、3oの1分刈り、約1oの5厘刈り、
0.5oの2厘刈りと、ドンドン短く刈ってしまい、中学校の入学式の前日には、
頭を剃ってもらって、『青坊主頭』と言うよりも『白坊主頭』で入学式に出席した。
部活は陸上部に入り、中学は剃髪禁止だったが、土曜日の夜に剃髪する事を条件に、
特別に丸剃り許可をもらい、中学1年生の頃は、土曜日の夜に父親に剃ってもらった。
中学2年生以降は、土曜日の夜にお風呂で頭を剃ったが、血塗れになったこともある。
高校は男子校で、陸上部の駅伝班に入った。陸上部の駅伝班に入部したのも、
『陸上部駅伝班が、伝統的で強制5厘刈りだった』と言うのが、本当のところである。
始めて丸刈りにしたのが平成元年だったが、もう約31年間、丸刈りや丸剃りを続け、
今でも、週2回の割合いで頭を剃り、剃髪坊主頭を続けている。(一応、妻子あり) そういえば、放課後に同級生の女が外で遊んでいる光景を見かけたことがほとんどなかった >>297
小学校って2年毎にクラス替えじゃなかった?うちの学校だけなのか? 人がどんどん積み重なる遊びを男子がやっていたのを見たことがある
ttps://www.youtube.com/watch?v=zfKqfwwGJSU
ttps://livedoor.blogimg.jp/harry2525/imgs/1/1/115b6817.jpg
ttps://blog-imgs-64.fc2.com/h/o/k/hokudaimarine/2014040913470092f.jpg
こんな風に直列に重なっていったり
人間をジェンガみたいに積み重ねていく方法もあるらしい
男女一緒に遊んだら楽しそうw
https://i.imgur.com/6fxxMqI.jpg 遙か昔、小6の時の夏の思い出。
2泊3日の林間学校はバスで行った。
席は男女で座わることになりくじ引きだった。
自分は密かに憧れていた女の子が隣に座ることになり、有頂天だった。
更にその子はいつもズボン姿だったのが、ピンクのミニスカートでとても眩しく感じた。
バスが発車してしばらくは会話も弾んだけど、彼女はそのうち寝てしまった。
バスが山道を走っていた時、急に目を覚ました彼女は「気持ち悪い、吐くう」と一言、いきなり嘔吐した。
すごくショックだったが、気を取り直しタオルとちり紙で、拭けるだけ拭くいて、後は先生に任せて席を移った。
その後、ドライブインで服を着替えた彼女は体操服になっていた。
彼女は「さっきはごめんね、でも○○君優しいんだね、助けてくれたもんね」涙目で話した。
既に100年の恋も一瞬で醒めた自分だったが、「誰でもあることだよ、気にしないで良いよ」って答えた。 帰りの彼女は酔うこともなく、無事に林間学校は終わった。
次の日、彼女の母親から連絡があり、娘のことでお礼がしたい、一度遊びに来てほしいとのことだった。
遊びに行くと、彼女も母親も歓迎してくれた。
彼女に対し100年の恋も冷めてしまった自分だったが、改めて彼女を見ると、かわいいし、
やっぱりお友達になりたいと思うようになっていた。
身長は彼女160ちょっと、自分150ちょっと、10センチも差があった。
彼女は自分を弟にしたいと言ってかわいがってくれた。実際彼女は4月生まれ、自分3月生まれでほぼ1歳違い。
一人っ子の彼女にはちょうど良かったようだ。 遊びに行くとピアノや1輪車を教えてくれたし、おんぶもよくしてくれた。
でも中学に入るとお互い部活が忙しくなり会うことはなくなってしまった。
中2になり久しぶりに会うことになった。彼女の美少女度はアップしていて輝いて見えた。
中学に入り急に背が伸びた自分は、彼女より高くなっていた。
おんぶの話が出たとき、今度は○○君がする番だよと彼女は言った。
初めて彼女をおんぶした。部活で友達をおんぶすることはよくあったけど、彼女をするのは初めて。
思いのほか軽くてびっくりした。ついでに抱っこもしてくるくる回すとキャッキャッと喜んでくれた。
夢のようなひとときだった。 中3になると彼女は父親の仕事の関係で、地方に引っ越すことになってしまった。
また絶対会おうねって約束したけど、それ以来会っていない。
既に二人ともアラフィフにさしかかっている。 オレは根暗なタイプではあったけど超おとなしい隣の席の女子には性的なちょっかいを出していた。
小4の時だけど担任が怖い女の先生だったからあくまで見つからない範囲でだけど女子の股間の前を触りまくっては、だんだんチンコの無い女子の股間が実際に見たくなってしまったわけだ。
ふっくらとしたツルンとした丘の下には縦筋があり小さなお尻って感じで。女子は泣きながら逃げた。
次の日に担任から呼ばれてしまいオレは木製の定規で尻を叩かれながらチンコを出した姿勢で女子に謝らされた。やはり悪い事をするといつかはバレるもんだ。 たまたま高嶋ちさ子がテレビに出てていてその時の先生が似てるから思い出しただけだけど、中身もがさつな所は似ていたかも。
だけど子供の時だし本当に怖かった先生だったな。「どう?女子にちんちん見られて。恥ずかしくない?!」って頭を定規で「バシッ」はマジで痛過ぎ。
まだ尻叩きの方がマシ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています