思い出存分に書けばいいじゃん!小学校限定
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
昨日、久しぶりに小学校時代の夢を見たんだけど、そこに当時、好きだった女の子のが出てきた。
まるで本当にあの頃に帰ったみたいで、二人して楽しそうに話をした。
けれど楽しい意時間は唐突に終わりを告げた。
ふと目覚めると、いつもの六畳の自分の部屋に寝ていた。
夢でも何でももう一度会えてよかったよ。
ふいに思い出して>>424に書き込んでから、Hさんのことが頭から離れません。
HさんWです。これ見てたら連絡ください。
結婚しましょう。 >>434
願いが叶ったらエエね。
そういう光景を第3者のオレは目撃した事があった…羨ましい。 僕は二人を羨ましそうに眺めてる435をこっそり見てた おれが小学生の頃は、まだのら犬が結構いて、よく学校にも来てた
休み時間になるとみんなで一緒に走り回ったり、給食のパンをあげたりしてた。
確かみんなに「クロ」て呼ばれてたな。あまり大きくない毛がフワフワの雑種だった。
懐かしいw 通っていた小学校にはスカートめくりは無かった。女子にそういうことをするのは
最低の行為とされていた。ただしその代わりのように男子同士で相手の隙を
見つけてはズルパン(強襲ズボン下ろし)をやっていた。10年近く前の横浜市
某南小学校高学年生達の話です。 寒い体育の時間、ズボンの中に手を入れた奴にズルパンをやってた 歯磨きのとき、好きな子が俺のコップに口に入れた水を入れてきた。
飲まされたw 帰る時に友達のランドセルの鍵を無理矢理開ける遊びが流行った 当時休みがちだった自分は頭や腹が痛くて休もうとしたんだが
先生が休み時間に家に来てズル休みだと思ったのか無理矢理連れて行かれる
午後になって死ぬ思いで友達に支えられながら帰宅して病院行ったらインフルエンザ、一週間寝込む
おまけに同じクラスの人にも移ってしまった
ふざけんな 6〜7才の時、大好きだったおじが結婚するのが嫌で嫌で。
今度おばになるおじの結婚相手の女の人にやきもちを焼きまくっていました。私の両親が結婚式にどうしても行けず、嫌々ながら親戚に引きずられるように結婚式に行った。
私は親がいない事をいい事に、披露宴で困らせてやろうと、真面目なシーーンとした結婚式の誓いの言葉では、隠し持っていたクラッカーをパンパンならしたり、「あきる〜。うざーい!早く終わらせろー!」とグチった。
披露宴では、「この料理まっずい!このジュースまっずい!」と食べては吐き出すの繰り返し。
大きい声で「○○ちゃん(おじ)のお嫁さん、綺麗だね!当たり前だよね!普段超ぶっさいくなのに、あんな厚化粧に綺麗なドレスじゃ綺麗になって当たり前だよね!メイクした人の技術すごいね!あんなぶっさいくな女がここまでなるとは!」と、言ったり、
小さいながらエロティックな事はすべて知り尽してた私は、大きな声で「静かなコハンの森の影から〜♪○○ちゃん(おじ)とお嫁さんの声がする〜♪いやーん!ばかーん♪そこはだめよ〜♪」と定番の替歌を歌ったり、
お嫁さんの両親の前で「結婚式終わったら、二人は新婚旅行待てずに、すぐにお○んちん、お○んこに入れちゃったりー!きゃー!初夜じゃなく、初夕〜!」とか叫んだり、
料理の太いウインナーを手にし、「○○ちゃん(おじの嫁)は多分こういう太いウインナー大好きだよね!下の口からこっそり食べてるもんね!」と叫んだり、
ばたばた走り回っては、ここではもう言えないようなエロネタを叫んでた。
お嫁さんのドレスの中に入り込み「脚太ーい!しかもドレスの中めちゃ臭いー!おえー!」とか言って出てきたり。
誰だったか、あまりに怒った大人が、私の胸をかかえてお尻をたたいた時、「警察呼ぶぞー!お尻触られたー!きゃー!痴漢だ痴漢!ロリコンがいるよ!お尻触られた!胸触ってる!」と叫んだ。
途中で私は会場を追い出され、会場の人に預けられた。そのあと、すきを見て、外に一人で四時間くらいも出歩き、さらに迷惑かけました。
現在私は25歳になりました。あれ以来、親戚とは会ってません。というか、縁を切られました。6〜7才だったのに縁を切られた。
おじさんともおばさんとも会ってません。いくらおじが好きだったとはいえ、我ながらすごい事をしてしまったなぁ。今じゃとてもできない。 昔、夏の土曜日や日曜日の夜に小学校のプールに友達数人で入ったなぁ。
貸切状態だったのではしゃぎまくってたら、近所の人に後日チクられた
らしく、ある日を境に放課後のプールにはネットが張られるようになった。
今考えたら、これって不法侵入罪だよなぁ(笑) クラスの男子の多くが憧れてた才女のNと、ちょっとでも多く触れ合えるのが
楽しくて仕方なかったな。
名前の順番のかみ合いで、日直をしょっちゅう一緒にやっていたこと。
お互いに絵を描くのが好きで、(おまけに俺は負けず嫌いだったので)
競って真剣に図工に取り組んで、ふたりともほぼ毎年11月に表彰されたこと。
王様ゲームで、どちらかが王様になるまで手を繋ぐって命令で、
憎まれ口を叩きながら手を繋いだこと。
まあ彼女は結局小6の卒業式目前から別の男とくっついたんだけど、
ちょっとだけ謎だったことがある。
それは、中学のときのフォークダンスで組になったとき、組を変える直前に
彼女は決まって俺に微笑みかけてありがとうと言ってきたことだ。練習のときも本番のときも。
優しい彼女はみんなに言っているものだと思って、先日地元のプチ同窓会で
その話をしたら、「ペアになったけど言われなかった」とみんな言っていた。
別に彼女が俺のことを好きだったとかなんてありえないけど、
ちょっと嬉しい気持ちになった。彼女はどうしてるんだろう。同窓会には一度も来ない。 好きな子をいじめてしまうたちだった。
一学年上の男の子と、運動会か何かが縁で親しくなったのに
廊下で会えば「よお!!」って背中をバーンて突き飛ばしたりして
本人が嫌がってるのにやめられなかった。
ある日放課後に校庭に呼び出されて、内心ちょっとドキドキして行ったら
手にミカンの網をぐるぐる巻いたその男の子と友達がいて
「果たし状」って書いた紙をたたきつけて真剣な顔で殴るふりをしてきた。
泣きそうになって、ランドセル振り回して逃げた。
あの子はどんなに迷惑だったろう。あの頃の自分に会えたらおまえは馬鹿かっていってやりたい。 朝早く登校して好きな女子の机漁ってたら運悪く目撃されてしまい
「違うんだよ!この机が4次元に通じてるって兄ちゃんに教わったんだよ!!」
って涙目で弁解する奴いたなあ
学校にランドセル忘れてきた事あったな〜
しかも家に着く直前に周りに居た連中に言われて気づいた。
当時はスクールバスで通ってたし親仕事だったから夜に親が帰ってきてから
電話して学校開けて貰い、ランドセル取りに連れてって貰った。
何で学校に居るうちに言ってくれないかな!
まぁ・・・・・・・自分が忘れたのが悪いんだけどねorz >>449
私も忘れた事ある!
夜になって宿題をやろうとするまで気づかずにいて、もう遅いからと諦めてそのまま寝た。
翌日は足りない教科書だけ持って登校w
宿題をやれなかった理由を親が一筆書いてくれたけど、
実は普段から忘れ物大王だから宿題忘れなんていつもの事! 学校は無いが家にランドセル忘れてそのまま学校へ到着
そしてクラスのみんなに大爆笑されたことはあるぞ。
あとなんかの都合で全校一時間授業だったとき下校が9:30だったんだが
あたしが起きた時間は10:40だったことやら色んなことしでかしたな・・・
今ではいい思い出。 >>56を読んで思い出した。
放課後の校庭に迷い込んだ一匹の犬。
僕らガキども大はしゃぎ。
散々走り回って校庭を出ようとした犬が
校門にある鉄柵に胴体が挟まって身動きとれず。
もがく犬のアナル狙ってガキどもが水鉄砲で射撃。
いろいろあったな…あの頃。。 帰りの会で一人の女が手を挙げた
女「先生!○○君がパジャマです!」 おい貴様ら!
37歳だが、校区外に一人で出たらダメだったよな?
どうよ? スレの初めの方の2003年あたりのレスってすごく読みづらいな…。 今から4年も前か・・・タイミングによっちゃ小学生が中学卒業しちゃう位の時間なんだよなあ。 ねりけし買ってほしくて「みんな持ってる!」って言ったら、
誰が持ってるんだ?って聞かれて、「〇〇ちゃんと〇〇ちゃんと…」って答えたら、
「たった3人だろう」みたいに言われて買ってもらえなかった。
で、そのあと1学年2クラスのみんなにアンケート取ってさ
これがまた8割くらいの人が持ってたから親にリスト渡して買ってくれって頼んだら
「うちはうち、よそはよそ」って言われた。
酷いよね。ねりけしくらい買ってくれてもいいじゃんって今でも思うw
たしか100円もしなかったはずだし。 ケシの汁って知ってる?
ポピーとかのケシ類の茎を折ると白い乳液みたいなのが出てくるんだよね
学校帰りに同級生の一人がその白い液を舐めすぎて
救急病院に運ばれた事があった
いきなり大声出したり道端に寝転がったりしてたからなんだか危ねえなと思ってたら
突然ゲロを吐いて意識朦朧になって倒れた
やつが舐めたのはノゲシの一種だったみたいで麻酔薬と同じ成分だったらしい
当然の事ながら、次の日の学級会では道草を絶対くわないようにと先生のお告げが出たのを覚えてる 小6の冬に授業中に目眩がして、保健室で休むことになった。
たしか2時間目。3時間目が始まるまでの休み時間に級長だったH君が様子を見に来た。
実はわたしは彼のことが好きだったので、ドキドキしたけど、恥ずかしかった。
彼は保健室の先生に「少し熱があるので体温計を貸して」と言っていた。彼も具合が悪くなった
のかな、と思ったものの、わたしは彼を心配する余裕はなかった。
「あ、38度ある」という彼の声に、保健室の先生は「少し横になっていなさい。●●先生(わたし達の
担任)には伝えておくからね」と答えていた。
H君が隣のベッドに入ってきた。やがて保健室の先生が出て行き、2人きりになった。
H君は「大丈夫?」と尋ねたので「あまり大丈夫じゃない」と答えると、わたしの額に手を置いて「熱は無い
みたいだね」と言った。彼に触れられたので、またドキドキした。彼はわたしの手をとり、「冷たいね」と
言った。一層ドキドキが激しくなった。
その日から彼はわたしに凄く優しくなった。周りは囃し立てたけど、彼は落ち着き払っていた。
今から考えると小学生とは思えない振る舞いだった。
中学校では2年生のときに再び同じクラスになった。1年間はあまり接することがなかった彼だが、
あいかわらずわたしに優しかった。わたしは彼のことがずっと好きだったので嬉しかった。
1学期が終わる頃には学校で唯一のカップルのように周りからは扱われるようになったし、登下校
も途中から一緒にするようになった。休みの日にも一緒に遊んだり、勉強するようになった。
修学旅行でも一緒に行動したけど、彼は一度も「好き」と言ってくれず、わたしも恥ずかしくて
言えなかった。
高校進学のときに別れ別れになったけど、思いは続いた。休みには会えたし、高2の冬にようやく
「好きだ」と言われた。小学生時代から待ち続けてやっと言ってもらえた「好き」はとても嬉しかった。
彼と小学校時代の保健室の話をしたら、眩暈で気分が悪くなったわたしの様子を見たくて仮病を使って
保健室にきたのだという。「恥ずかしくて好きといえずにゴメン」と謝られた。
小学校のときの卒業文集に書いた通り、彼は医師(内科医)になった。わたしは「看護婦」(当時は看護士とは言って
いなかった)と書いていたけど、主婦になってしまった。でも本当は「H君のお嫁さん」と書きたかったのだ。
それは実現した。
小学5,6年生の2年間、ミニバスケット部に所属していました。
毎朝7時40分から45分の朝練。放課後は暗くなるまでやって、土曜の午後も毎週練習or試合。
チームも強くなかったし、私も上手じゃなかった。
ものすごく苦しかったこともあったけど。今ではいい思い出です。 467ですけど
毎朝7時40分から8時25分まで
45分間の練習に訂正です
小学校6年の夏休み。遠方の県の親戚の家の近所に住む、マコト君と3年ぶりの再会。
一緒に海で泳いだ。一週間の滞在中毎日一緒に過ごすうちに私はマコト君に恋をしました。
その恋の続きは19歳になってからなんて知らずに… >>467
それって特別クラブのでしょ
うちの小学校でもあって
あたしも入ってた
朝と放課後は必ず練習があったけど朝は早いんだよね
7時半には校庭をもう走ってた記憶がある
クラスで少なくとも部員が3〜4人いたから
5、6年全体で27、8人は参加してた
夏休みの練習日に夕立ちで帰れなくなって
6時過ぎまで練習したのを思いだす 学校でニワトリ飼っていて、悪ガキ何人か集まってニワトリは空を飛べるのか?
実験あるのみの結論が出て三階からニワトリを飛ばしてみました。
ニワトリは飛ばなかったけど、三階から落としても死にませんでした。 6年のときクラスの学級委員長が大問題を起こした。
そこそこ顔のいい男子で、明るくて勉強や運動も出来て人気者だったんだが
女子が配ったプロフィール帳に好きな子の名前を書かなかったという理由で女子グループの嫌がらせを受け
ある日の授業中に突然
「バカにしてんじゃねーよ!!」
と叫び、授業が終わった後学校を飛び出していってしまった。
先生たちは思いつめて自殺するんじゃないかと心配し、学校の周りを捜索活動。
担任とそいつの仲良しグループと悪びれないいじめっ子女子は電話の周りにいた。
結局そいつは家に帰ってたけど、クラスで問題になった。
そいつは中学に入っても学級委員長を務めたが、相手の女子の尻にしかれるようなヘタレになってたw
一年の時に尻やら太股やら触られながら、授業中に好きですと囁いてくる奴がいた。
最初は「気持ち悪い奴」と思っていたんだけど、
二年に進級した頃になぜか物凄く好きになった。
多分、ドッジボールで庇ってもらったとかがきっかけだと思う。
少女漫画誌の付録の便箋に、
一年生の頃の告白の返事です。私も好きです。みたいな事を書いて
そいつの下駄箱に忍ばせていたら、丁度掃除の時間に掃除当番の奴らに見つかって
物凄い勢いでからかわれた。
恥ずかしくて、私が出したんじゃない。誰かの悪戯だと言ってしまった。
その後そいつが「ショックだ!」と騒いでいたので
あぁ、私はふられたんだと思い込んで、家でこっそり泣いた。
それから何か縁があるのか、ずっと同じクラスで
お互い憎まれ口叩きあうような仲だった。
時々本気で喧嘩する事もあったけど、私はそいつの時が好きだった。
五年生になって、そいつが転校する事になった。
クラスでお別れ会があった後、家に帰ってわんわん泣いたけど、
もう一度告白するとか、連絡先を聞くなんて勇気がなくて、
元気でね。すら言えずそのままお別れした。
次の日、忘れ物をしたともう一度そいつが学校に来た時に、
せめて連絡先でも聞いておけば良かったと今でも思う。
聞いた所で連絡できるか判らないけど…。
そいつの親は転勤族らしくて、何度も引っ越したらしい。と噂では聞いたけれど
それ以来一度も会っていない。
中学に上がって、高校に行って、大人になるまでに何度か恋もしたけれど、
心のどこかにそいつの事が常にある。
時々当時の事を夢にみたりするし、髪がきのこカットの小学生男子を見るとドキッとしてしまう。
(小学5年生までそいつはずっときのこカットだった)
小学校とか、そいつが住んでいたマンションの前を通る度に
今どこで何をしているかは知らないけど、
どうかあいつが幸せでありますようにと願っている。
小学6年生のとき、昼休み前にクラスで分担する掃除場所が昇降口だった。
グランド近いのもあっていつもグランドのサッカーゴール独占してたw
(当時の暗黙のルールが先にボールをゴールに入れたとこがゴールを使えたw)
片付けは最後に触った人がボール片付け。ノーバンで取ったらセーフってルールで
先生が来るまで盛り上がった。嫌われてた子は、のーばんで取られると大変だった
4Fから外に投げられて拾いに行かなきゃいけない。
よく取りにいってたマーくん元気にしてるのかな〜
5年生か6年生のとき同じ区で事件あって急に集団下校になったのもいい思い出w
大洋の中山選手が近所で・・・orz.
友の会にはいってたオレとしては悲しい事件だった^^;
このスレ読んでたせいか,夢を見た.
よっくん元気かなー
大学時代に小学校の同級生(女)から聞いた話だと,心臓に病があって,高校も中退したって話だったけど.
小4で転校してきたときから,クラスの中心的存在だったよっくん.
人望も厚かったし,気配りもできて,尊敬してたし,かっこよかったから,女子にもててた.
でも,なんか私だけいじめられて.毎日.
よっくんと友達の2人に毎日さんざんからかわれて,辛い思いをした.
そのよっくんが,一度,私に,あるプリントを欲しいから,よっくんの家に持ってこいって言ったんだ.
でもその約束忘れてて,次の日謝って,今日届けに行くって言ったら,もういいって言われて…
あの日忘れず行ってたらどうなってたんだろうなー.とか最近思ったりする.
まぁ,100%うぬぼれだなんだろうけどなー.
よっくん,病気治って元気だといいなぁ.幸せな家族築いてるといいなぁ.
今は私,実家を離れてしまって,諸事情で帰ることもできないから,なかなか情報も手に入らなくて.
ただ遠くで思い出すことしかできないのが悲しい. なんでふいにこんな昔の事思い出すんだろうな
小学校1、2年の時、物心ついた時から運動誘発生の喘息で、班登校がまともに出来なかった。
俺は特に朝に弱くて、百発百中で発作が起きた。苦しくなるとその場で休んで、収まると歩いてを繰り返した。
もう班のみんなにも「置いてってくれ」と言ってある。でも時間までには学校に着いてたから問題はなかった。
しかし班から離れてる低学年、しかも何か休んでるとあって、事情を知らない他の生徒は不思議そうに俺を見るのな。
当時DQNだった俺は自分のみっともない所を見て欲しくないし、発作の苦しさと相まって相当苛つき、「見せもんじゃねえぞ!」とばかりにガンを飛ばしてた。
たいていはそれで目をそらして過ぎていくんだが、一人そらさなかった女子がいた。あろう事かガン飛ばし返してきやがった。
名札を見たら俺と同学年。しかも女子の中でもかなり小さい部類とあってますます頭に来た。
近づいたらびびるだろと思ってガン飛ばしながら歩みよってった。もう完全にDQNであるwww
したらあの野郎全然びびらんでやんの。もうどっちも引いたら負けとは思ってるんだけど、どうしたら勝ちになるかは両方わかんなくてメンチビーム撃ちつつけるしかなかった。
結局発作も苦しくて、その状態が維持できなくなった俺が引いた。あの時程混じりっ気無しに、「面白くない」と感じた事は未だないな。
その後廊下で会うたびデコくっつけるまで接敵してはメンチビーム撃ち合ってた。一緒にいた彼女の友達には迷惑かけたなと今思う。
三年四年くらいになるともうそんなみっともない事は両方しなくなった。結局全部俺から引いてた気がする。
思い出補正もあるだろうが、顔はなかなか整っていて、やけに白い肌とやけに赤い唇の印象がある。そんなに色白かったかなぁ?
今はさぞ素敵な女性になっているんだろうな。…あのまま成長してれば。 ふと思い出したから書いてみよう。
私はすごく気の弱い子だった。多分喜怒哀楽も乏しい子だったと思う。
転勤族の我が家は私が小学2年になる頃からG県に住むことになった。
慣れない土地で方言の違いもあいなりクラスから奇異の目で見られ、緊張とストレスでいっぱいいっぱいになっていた。
そんな中近所のO君が毎日遊んでくれた。『●ー●ー●ーちゃん(私の名前)!あーそーぼ!』と毎日のように家の前で叫んでくれた。
O君の家の裏の川でザリガニを釣ったりキャッチボールしたり・・・
そういえば私が偶然引き当てた遊○王のレアカード、デーモンの召還を価値もわからずにホイホイ交換しちゃったこともあった。後でちょっと喧嘩になったけど・・・
そんな生活の中で私は笑顔になることが増えていった。
2年後、また唐突に父の転勤が決まった。あれよあれよという間に住み慣れた土地を去ることになった。
記憶が曖昧だがO君とはくっつきそうな位近所にいるのに最後顔を合わせなかったように思う。
その年の年賀状にはO君のお母さんが「たまに●●ちゃんの家の庭で一人で寂しそうにサッカーしています。笑」と書いてあるのを見て嬉しかったっけ。
丁度10年後の今年3月、偶然にもG県に向かうことになった。O君の家を気づかれないように軽く覗こうと思っていた。
久しぶりのO君の家は何かが違った。
裏の川に続く扉がなかったり、裏の倉庫が見覚えのないものになっていたり、一緒にキャッチボールしたミットやバットの入っている掘建て小屋がなくなっていた。
嫌な予感がした私は玄関に向かった。私の記憶の中ではO君の家の玄関には表札代わりに赤いポストがかかっていたはずだった。
そこに赤いポストはなかった。代わりに古ぼけた違う名字の表札がかかっていた。私はなんだか全身の力が抜けてしまった。
しばらくボーっとしていると玄関の脇に赤いポストがあるのが見えた。土ぼこりをたっぷりかぶり、ポストに書いてあった表札の文字はほとんど消えかかっていた。
近所のおばさんにO君一家はどこへ行ったのか聞くか悩んだが結局聞かないことにした。縁があればまたどこかで会えるはず。
最後に私はもう一度赤いポストの前へ行き『ありがとう』と告げた後、G県を去った。 東京 林間学校 日光 霧降の反対おばん これで 思い出してしまった
YouTube −「日光]Nikko栃木県で、世界遺産と水源汚染と開発暴力が見える〜〜
http://jp.youtube.com/watch?v=cyqoC6TgIZU
↑農薬汚染ゴルフ場 日光霧降カントリークラブ 欠陥スウェーデンハウスも見えてる
・斎藤貴志 観光経済部長、阿部哲夫 副市長は市保有の日光カンツリー倶楽部株の私的 流用者だと
YouTube −スウェーデンハウス「欠陥住宅」モデルハウス◆その1外廻り
http://www.youtube.com/watch?v=Pt4GHV7sFQg
YouTube −スウェーデンハウス「欠陥住宅」モデルハウス◆その2建物内
http://www.youtube.com/watch?v=aBk7gdH2498
よっくん.....
映画少林寺のマネをよくしてたなぁ・・・ 一年の時だったかな・・・昼休み学校中鬼ごっこしててたまたま廊下ですれ違った同じクラスの女子に
「○○君、この靴下と手袋、教室まで持っていくれんかな?」
雪が降ってた時期だったんで外で遊んだのか両方ともグチョグチョに
俺「(ハァ?なんであんたのはいてた靴下なんざ持っていかにゃならんのだ)」
・・・とは言えないので
俺「す、すまん今鬼ごっこしてて逃げてるから無理!!、それに自分のじゃん自分で持っていけや」
と同時に後ろから鬼のやつが全力でこっちに・・・
これ幸いに
俺「うぉ!!!もう来ちまった!!!」と全力ダッシュ・・・
ここまではまあ、よくある話なんだが。
こともあろうにその女子がそのことを帰りの会で言いやがった
先生もそいつの味方するしとにかく意味不明だった。 よく女子をからかって叩かれて、またからかって逃げての繰り返し。
捕まったら女子が乗っかってきたりして、今考えると夢のような過去の思い出
大人になるに連れ、体の接触をしなくなるし、互いに男女という意識をし始めるよな
小学校の中学年くらいまでは相手にそんな意識はなく、でもこっちは十分に女子って
意識をしてて、そんな毎日が楽しかったなぁ
もどりてーww
小5のときクラス替えがあって新しいクラスになったときに、
のんきでマイペースな性格の私は、何をやっても鈍くさくてからかわれているうちに
いつの間にかいじめの対象になってしまっていた。
休み時間にみんなに囲まれていじめられていると、いつも隣の席の美由紀が私をかばってくれていた。
美由紀は頭脳明晰で運動神経も抜群でしっかり者の優等生タイプで毎年学級委員に選ばれるような子で、
背が高くて顔も声もかわいくて、全く非の打ち所がないパーフェクトな子だった。
美由紀が来るのが遅くて私が既に泣かされていたときは
「○○くんは男なんだから、こんなに簡単に泣いちゃだめだよ」といってハンカチで私の涙を拭いてくれていた。
私は給食を時間内に食べ終わることができなくて、食器を片付けられて昼休みになっても1人で教室に残って食べていると
美由紀が来て「もう、何で○○くんはこんなにのんびりしてるのよ。本気出すと早いんだからもっと早くすればいいのに」と言って隣に座って、
食べ終わったときに一緒に食器を給食室まで持っていってくれた。
確かに、私は運動神経はいいほうで50m走や走り幅跳びはクラスで2〜3位ぐらいだったが、どういうわけか動作が鈍かった。
席順に日直当番が回っていて、もうすぐ2学期が終わって席替えでリセットされるというのにリセット間際に日直が回ってきてしまった。
しかもこの頃はもう寒くて、普段の日直の仕事に加えてストーブの灯油を持ってくるという仕事まで増えていて損をした気分だった。
相変わらず私はのろまで、私が日直の仕事をしようとする前に美由紀が全部やってしまっていて、
気がつくと6時間目が終わるまで私は日直の仕事を1つもやっていなかった。
せめて、最後に残っていた植木鉢と花壇の水やりだけでもやろうと思って、
美由紀に「ぼく、今日何もやってないから花壇に水をあげてくるよ。美由紀さんは先に帰ってていいよ」と言ったが、
美由紀は「あたしもやるよ。一緒にやろう」と言ったので2人で一緒に花壇がある中庭に行った。
教室は暖かかったが外は曇っていて薄暗くてとても寒くて、花壇に水をあげていたときに美由紀がとても寒そうにしていたので
「美由紀さん、寒いから教室に帰ってていいよ」と言うと、美由紀は「ううん、だいじょうぶ」と言ったが、声が震えていてとても寒そうだった。
水やりが終わって教室に戻って美由紀を見ると、信じがたい光景が目に映って私の脳裏に焼きついた。
美由紀の鼻からものすごく太い黄緑色の鼻水が唇の手前まで出ていて、すすり上げて鼻の中に引っ込めていた。
私の中では美由紀はすべてにおいて完璧な子だったので、これを見たときはかなりショックだった。
しかも、その後も教室で2人で話をしていたときに美由紀がくしゃみをすると、大量の鼻水が両方の鼻から噴き出て
濃厚な黄緑色の鼻水は切れずにそのまま30cmぐらい美由紀の鼻からぶら下がっていた。
美由紀が渾身の力を込めてすすって噴き出た鼻水を全部鼻の中に戻すと、そのまま崩れるようにしゃがんで泣き出してしまった。
私は必死に美由紀を慰めながら絶対にこのことを誰にも言わないことを約束すると、やっと泣き止んでくれた。
普段と立場が逆転した数少ない出来事だった。
それから19年後、今から3年前、30歳のときに同窓会で美由紀に会ったとき、美由紀は2児の母になっていた。
そのときに美由紀から「小学生のとき、ずっと○○くんのことが好きだった」といわれて、
思い返してみればあそこまでかばったり手伝ってくれたりするなんて普通の関係ではありえなかった…と今頃になって気づいた。
やっぱり私は最後までのろまで鈍感だった。 昼休憩の時に校庭で集団縄跳び(一人ずつ入っては出てく)が流行っていた。
たまたま集まったクラスのやつら男女合わせて20人くらいでやってたんだ。
その日は調子が良く、いつまで経っても終わらなかった。
普段は喋りもしないようなやつらと一緒にひたすら跳び続ける。
校内での最大回数は250回くらい。
一致団結というか、みんなで何かを成し遂げる喜びを味わったね。
で、記録更新してもいつまでたっても終わらない。
始業のチャイムが鳴って、ようやく教頭先生が怒りに来た。
説教も聞かずにみんなで教室に走って戻ると、
教室の窓から俺らをずっと見ていたであろう担任が
「よく跳んだなー。何回だ?」
「「「464回!」」」
「もっと跳べたよ!」
「縄を回すの大変だった!」
担任は満足げに頷くと、遅刻してきた俺らを叱ることなく授業を始めた。
一番の想い出だ。 入学〜小1時代。
だいぶ端折ってはいくがオイラは嘘つきで卑怯で弱虫で裏切り者だった。
ある日筆箱の消しゴムが無くなり親にどこにやったか問いつめられ咄嗟に
「○○君に取られて、○○君とか○○君にパスしてどこに行ったのかわかんない」
そう答えたら親が連絡帳に、そっくりそのまま書き、次の日の朝の会が終わってから○○君達とオイラが集められて○○達が怒られ詰問されていた。
全然知らないと必死に訴える○○達。そしてその担任(女)はオイラに聞いてきた。
でもまた嘘をついて
「夢か本当かわからない」と意味不明な回答をして担任はそれをそっくりそのまま連絡帳に書き、その日親に読まれ怒られたのだった。
○○達に誤りそれは終わった。確か消しゴムは教室の落とし物入れにあった。
次は運動会でやらかしたのだった。
小学校のグラウンドのすぐ脇にある保育園(自分たちが卒業したとこ)なのだがこの窓ガラスをほぼ全部割ったのだ(その保育園はもう取り壊しが決まり自分より下の子は既に新しい保育園の方に通っていた)
初めて割ったのが運動会当日。最初に割ったのが誰かは知らないが、その時2年の数人が割っていたので自分たちも真似をして何枚か割った。
小学校の低学年はまず自分たちが走ったりするとき以外はもう自由時間のような物だった。他にも遊具で遊んでたりしていた。
運動会の代休が終わり学校に登校したその日の放課後オイラ達はやらかしたのだった。
運動会当日に割った保育園のガラスを放課後に飽きるまで割った。鍵が無く中に進入できたのでオイラは中で小便をした。外の保育園の倉庫の中では糞をした。
そして最後まで残っていたのがオイラと友人の道男(仮名)だった。
帰ろうと思っていた矢先に正義感ぶって2年の高登(仮名)がやってきてオイラと道男の腕をむんずを掴み職員室に連れて行こうとした。
そこでオイラの裏切り&卑怯を発動した。
「ごめんね高登君。ごめんねごめんね(U字工事ではない)俺だけでも許して?ねっねっお願い。ねっ?」
と必死に頼んだらオイラは離してもらったが道男は連れて行かれたのだが数分しないうちに戻ってきた。
オイラだけ逃げたのには何も言わず、一緒に帰って一緒にそろばん塾に行ったのだった。
次の日の朝の会。明らかに担任の先生は怒っており爆発数秒前に見えた。そして
「昨日保育園の窓ガラスを割ったバカ者がいるッッッ!立ちなさいッッ!」
ビクビクしながらオイラ達男子7〜8人が立ち上がった」
その時は何を言われたのかは覚えてはいないが、とりあえず放課後に職員室の教頭先生のところに逝けといわれたのは記憶にある。
放課後教頭先生の机を囲んで説教されたが10分も無かった。
このことを担任に連絡帳に書かれ、家も叱られた。
後に聞いた話では警察が保育園を見に来たらしい。
そんなオイラも恋をした。惚れられた相手は亜利美(仮名)ちゃん。
後ろからそっと尻を撫でたりしたこともあったが、男子特有の好きな女子へのイジメへと変化した。
「バ〜カ、ア〜ホ」は日常茶飯事で休み時間にお絵かきしている横を通ってはわざとぶつかっていた。でも亜利美ちゃんは決して泣かなかった。
水泳が始まりオイラはずっと亜利美ちゃんにプールの中で付きまとっていた。プール内のストーカーだ。
そしておもいっきり水をぶっかけて喜んでいた。
放課後も4時半頃まで泳ぎたい人だけプールで泳いでいた。これは授業とは違う自由時間。
そこでもオイラは亜利美ちゃんがプールに入るとなると急いで海パンに着替えてプールに入っていた。
そして亜利美ちゃんに水をぶっかけたりしていたら亜利美ちゃんはずっと泳げないままだった。亜利美ちゃんは泳ぎたかったのだろうがオイラが邪魔することで全く練習にならなかったのだろう。
そんな意地悪は小2まで続いたのだった。詳しくは次のレス小2時代で。
友達への意地悪やいたずらが日常の小学1年だったがこのころは授業で手を挙げハキハキしてた。勉強も頑張ってた。成績は中の下くらいだったが。
では今日はこのへんで。 小2時代前編
学年が一つ上がったが担任の先生は1年の時と同じ先生だった。
オイラとオイラがよく裏切る道男(仮名)は更に仲良しになっていた。だが、二人で遊んでいても時々障害があった。
道男の兄貴だ。4つ年上の兄貴だったが、道男と遊んでいると友達が少ない道男の兄貴が仲に入ってくる。
その兄貴にオイラは小2でセックスを教えられた。とは言ってもマンコにチンコを入れる、とだけ。その先は自重したのか知らされなかった。
そして普段学校での休み時間には道男と
「セックスしようぜ〜」と冗談半分でチンコを揉み合ったりしていた。
そしてある日授業で学校の周りに咲いている花をスケッチするという授業があった。
みんな一通り書き終えて教室に戻ろうとしていたとき、同じクラスの男女数人がしゃがんで何かを見ていた。
オイラが何だろうと思い見に行ってみると、タンポポを男女数人で見ていたのだった。オイラは
「こんなもの!!!」とタンポポを蹴った。すると茎から花の顔(?)上の綺麗な部分が丸ごとポーンと飛んでいった。
すると数人は
「あー・・・・・」
と本気で残念そうな顔をしていた。オイラは
「ワハハハハハー」と笑いながら教室に走って逃げた・・・が途中でタンポポを見てた堀江(仮名)が走ってきて追いつかれ尻を思いっきり蹴られ、
そいつらみんなで担任の先生にオイラの悪行をチクリに行き、その授業の休み時間に先生に呼ばれ何故そんなことをしたのか聞かれた。
本心はただなんとなくだが、それらしいことを言ったと思う。説教は終わったかと思うと何故か道男が呼ばれたのだった。オイラは???と思いながら待っていると道男が連れられてきた。
すると担任に
「今日はあなた達に重大な注意があります!!!」と普段優しい先生が本気で怒った顔をして言った。
それはオイラ達が
「セックスしようぜ〜」とチンコを二人で揉み合ったり「エッチしよう」とか言って、クラスに悪い影響を与えているということだった。
説教は長々と続きやっと終わったかと思うと連絡帳に書かれ家でも怒られた。
家に帰り夕方から昼寝をして目が覚めたのが夜の8時過ぎ(だったと思う)で母親に風呂場に来るよう言われオイラは服を脱いで風呂場に行くと母はいつになく険しい顔をしていた。
やはり連絡帳に書かれたことだった。確か連絡帳には厳しい事が書かれていたと思う。
母は湯船に浸かりながら、オイラは体を洗いながら説教された。次の日の朝、母は前日遅く仕事から帰ってきた父にも話していた(父はあまりそういったことに口を出さなかった)
オイラは母から先生宛のお詫び状のような封筒を渡され学校の担任に渡してこれは終わった。
ある日小1時代から意地悪をしてきた亜利美ちゃんへの意地悪をもう絶対止めようと思うことがあった。
それは朝のはげみ学習の時間。 ※はげみ学習とは自習にはげむこと。8時〜8時25分位まで。
先生がまだ教室に来ていないことを良いことにオイラは席を立って亜利美ちゃんの横を通るときワザと机にぶつかると亜利美ちゃんの書いてる字が思い切りズレた。亜利美ちゃんはオイラをキッと睨み、手刀で反撃してきた。
オイラも負けじと手刀で応戦をし飽きたところで席に戻った。
先生が来て、朝の会が始まり、終わった後にすぐに1時間目が始まり、それは隣の教室で行われた(どんな授業だったかは覚えていない)
隣の空き教室に移動するとき亜利美ちゃんが目にとまった。亜利美ちゃんと仲の良い女子が2〜3人で亜利美ちゃんを取り囲んでいた。
亜利美ちゃんは泣いていた。ずっとオイラのイジワルに耐えてきたがついに緊張の糸が切れたというか、限界を超えたというか・・・・・。
オイラは泣いてる亜利美ちゃんをずっと忘れられずに1時間目を過ごした。
絶対に先生に怒られるだろうと思っていたが、何の音沙汰も無しだった。亜利美ちゃんは担任にチクらないでいた。
正直先生に怒られて連絡帳に書かれていた方がマシだった。だが何もなかった。亜利美ちゃんにイジワルしたことを初めて悔やんだ。先生にチクって欲しかった。何故言わなかったのか今でも気になる・・・・・。
時々一緒に亜利美ちゃんへのイジワルに加わっていた道男にオイラは
「一緒に亜利美に謝ろう」と誘っていた。一人じゃ謝る事なんて出来なかった。だが、その日の掃除の時間道男は一人で亜利美ちゃんに謝っていた。
オイラがとった行動は次の日の朝早く登校して、亜利美ちゃんの机の引き出しに中に
いままでいじめてごめん
とA4の紙に書いて入れておくことしかできなかった。もちろんそれからは亜利美ちゃんにイジワルなんてしていない。亜利美ちゃんから話しかけられる事なんて事だってあった。
オイラはそれから小6位まで亜利美ちゃんが好きだった。
では今日はこのへんで。 地下鉄サリン事件でオウムが騒がれてた頃、
小学生だった俺達は教室内で
「しょ〜こ〜しょ〜こ〜しょこしょこしょ〜こ〜♪」
と歌っていた。
そしたら同じクラスのショウコさんが
「私の名前で遊ばないで!」と言い出したが、
俺達は「ショウコじゃなくてショウコウだよ!へへっ」
と言って続けてたら担任の先生からきつく怒られた。
あの当時、似た様な怒られ方した奴が他にも絶対いるはずw 朝、学校行って教室に入ったらみんなに指さされて
笑われた。
なぜ笑われたのか俺は分からなかった。
そしてそのまま朝の会が始まったとき、一人の女が手をあげた
女 「先生! うぉうりぃ〜君パジャマですw」
( ^,_ゝ^)オメデトッ!
⊂彡☆))Д´) >>500
パーン! 私も思い出したから書いてみる。
神奈川県某市に住んでいるので小5になると
長野の市営ログハウスみたいなところに林間学校にいく風習になっていた。
その時、私は初恋をしていた。
同じクラスのH君。席が近くなったり、共通の友達もいっぱいいたので
H君とは毎日、いつも一緒にいた。
林間学校のログハウスにはデッキがあって
みんなが中でワイワイやってる時に一人でデッキに出て星空を
眺めてた。
神奈川では見れない天の川まで見える星空をぼーっと眺めてると
なんとH君が隣に立っていて、ビックリした私は「あ!」って言うのが
精一杯だった。
H君は「星が凄いね。星好きなの?」と聞いて来たけど
自分は頷くのが精一杯。
でも、それからは長野から帰ってきて以来
H君は毎日、図鑑で調べた星の話を書いたメモをくれるようになった。
私も嬉しくて毎日、星の話をしていた。
私が林間学校から2か月くらい?して転校して以来、
彼との交流はなくなりました。
今思うと両想いだったのかな??
H君、素敵な思い出ありがとう☆ Sさんの思い出。
小学生の時、母親の趣味で無理やり水泳をやらされていた俺は
陸上はてんでダメなのに、泳ぐのは得意で、プールの授業では余裕そのものだった。
力を抜いて泳いでも勝てるので(同じく習ってる奴にはほとんど負けてたけどw)
クラス対抗水泳大会みたいなイベント以外では、いつも遊び気分で競争していた。
そして、小学校4年の夏の日。二人ひと組順番で泳ぐとき、
俺と競うのはクラスでも頭が良く、発表回数がクラスでトップの女子、Sさんだった。(ランキングされて貼られる)
隣の席になった時は頭の差を見せつけられて正直、コンプレックスに陥ってたもんだが、
泳ぎだったら大丈夫だといつものように力を抜いて泳いでいた。
25m泳いで、水面に顔を出した途端、クラスの男子、Nくんが「○○(俺の名字)の、負けーー!!」と
言って変なポーズをとりつつ言って逃げてった。どうせ勝つだろうと思ってたのに、なんで負けるんだろう?
と周りに聞いたら、「少しだけ俺の方が遅かった」らしい。まあ今でも疑問なんだがw
さらに疑問に思って当のSさんに聞いてみたら「ちゃんと泳いでないでしょー?」と怒られた。
実はSさん、同じスイミングスクールに通ってたらしい。
俺より上の級みたいだから知らなかったけどw彼女は気づいてたみたい。
ちなみに、Sさんに関してはおとなしくて頭が良くて近寄りがたい女子、のイメージしかなかったけど、
実は男子から相当好かれてたみたいで、よく見てみればちょっかいを出されたり、
日直の粗探しをされたりしてたな。(特にNには)
そして時は流れ、6年の2学期。俺は座っていたSさんの足を間違って踏んでしまったことがあった。
「あー、ごめん、ごめん」と謝り、通り過ぎようとしたら「なにやってんだよ?ざけんじゃねえよ」と普通の声で言った。
いつものおしとやかなSさんとのギャップに驚いた俺は「えっ!?そういう言葉遣いするんだ!?」と言ったら
刹那にSさんは「あ、うそうそ!なんでもない!忘れて!」と急に動揺しだした。が、時すでに遅く、
このやりとりを見ていた男子が群がってきて、Sさんはさらに男子の人気者になったそうでw
なんか、Sさんの本性を見れて嬉しかった。
3学期、クラスで噂になっていた話を確かめようと、プールでSさんに聞いたら、私立中学へ行くのは本当だそうで。
ほぼ同時期にスイミングをやめた。施設内のアイスクリーム販売機で彼女がよく食べていた「ガブリオーレ」は、
今でもアイスクリーム自販機を見ると探してしまう。
別に好きだったわけでもないけど、なぜかきれいな記憶で残ってるんだな、Sさんのことは。 小学校一年のとき、極端に無口な男子がいた。
列の順番で教科書を音読することってあるだろ?
彼はそんなとき、読もうとするんだけど、どうしても読めなかったんだ。
クラスは、彼の読む声が聞こえるように、静まり返っている。
少し時間が経つと、「今日はやめておこうね。はい、ありがとう」と担任が言う。
今思えば、プレッシャーになっていたのかもしれん。
でも、ある日、彼が小さな声で教科書を読んだ。
隣に座っていても、どこを読んでいるのかもわからないくらい、小さな声だったけど、
教室はすごく静かだったから、端のほうまで聞こえた。
みんな拍手喝采で、やった!やった!とか喜んでる。
おおー!!って感じで、盛り上がってる。
いい年したおばちゃんの担任も、子どもみたいに喜んでる。
そんな中で、彼は俯き加減でちょっと笑ってた。
それをずっと繰り返して、卒業する頃には、
冗談なんか言って、ふつうに笑って遊んでいた。
学年で一番ケンカが強いと男子に言われていた私のことだって、
他の男子と一緒になってからかうんだ。イラっ☆
思い返せば、「聞こえねーよ」とか言う奴が同学年にいなくてよかった。
元気かね、Sくん。 小学校6年生の時
兄弟学級で一年生の女の子とペアになったな。
凄い活発で、月一で兄弟学級で交流のイベントが有るんだが
その時は、よく俺の手を引っ張って「あっち行こう!」って言ってたよ。
でも俺明るくない方だったから若干テンション低くて、常に「俺がペアで嫌だろうな・・・」とかよく考えてた。
でも三学期辺りにその娘が朝会で作文発表したとき、作文に俺の事書いてて
「お兄ちゃんは常に笑顔で、一緒に遊んでいて凄く楽しいです。」って書いてた。本当かどうかは知らなかったけど、凄く嬉しかったな。
あれから五年がたって今年は彼女が6年生、
絶対優しいお姉さんになって1年生からも凄く好かれて居ると思う。賭けてもいい
あと長文失礼 小6のときの昼休みに女の子数人にちょっと来てと言われてついてくと告白された
告白してくれた子は同じ町内の幼なじみ、家が近いのと登校の班が一緒なのでよくデートだとか冷やかされたりしてた。
実際好きだったし嬉しかったからOKして付き合い始めた。といっても小学生だから下校の時2人で一緒にわざと遠回りして帰ったりするのがデートだったな(笑)
でも1回だけちゃんとしたデートした、探検みたいな感じで山登りをした。お昼ご飯は山登る前に行った駄菓子屋で買った菓子パンだったな、カッコつけて奢ってあげたよ、金ないのに(笑)
んで山頂の休憩所で2人でパン食べたな、疲れたけど楽しかった
その女の子は今の嫁…じゃないんだ、付き合ってるのばれて冷やかされたりするのが恥ずかしくなってあんまり話さなくなって、気付けば顔合わせても喋ることもなくなった
悪いことしたと今でも思う 小学校前二年生の頃、バレンタインの日、当時からモテない俺は公園で友達と二人で遊んでいた。
夕方になってそろそろ帰ろうとしたら、自転車でクラスのS子がやってきた。
友達のほうにちょっと目を瞑るように言ったS子は、友達が目を瞑ってる間に、俺にチョコをくれた。
その後、適当に少し話してS子は帰って行った。
なんだかすごく恥ずかしかったから、もらったチョコはしばらく封印してた。
ホワイトデーに飴をあげたけど、それだけだった。
何もその後の発展はなかったけど、今でもとてもよく覚えている。 放課後の図書室 古くなった本の匂い
誰も居なくなって、しんと静まり返った部屋に
夕陽が差し込み、白壁がオレンジ色に染まっていた。
図書室前の廊下には、読書感想の絵が何枚か貼られていて、
絵の下のタイトルには「ゆうれい殺人事件」「見えない殺人犯」
友達が好んで借りていた推理・探偵シリーズの絵らしい。
小学生が描いたとは、思えない程リアルな絵で、それが怖くて仕方なかった。
帰る時は、絵をなるべく見ない様に、足早に廊下を去っていった。
北九州市 黒畑小学校にて 1985年頃 居残りさせられたのは、一年生の一回だけ
国語の教科書の一文が面白くて授業中に爆笑!
教師激怒!!
居残り朗読www
5人位だったけど、居残りも楽しかった… 書道の時間の終わり
筆を洗うのと一緒に、書き損じの半紙を水にさらして薄墨色に…
クシャっと丸めて、廊下の突き当たり(非常階段の出入り口の上)めがけて
全力投球!!(バチ〜ン!!)
張り付く紙玉が面白くて投げ続けていたら、音に気づいた教師が出てきて激怒!
大学進学で地元を離れる時に見に行ったら、跡が残っていたwww
四年間ずっと1組だったのに、ここへ来て2組…
何故か、すげーショックで、うなだれながら教室へ…
!!
幼稚園の頃からの想い人が一緒のクラスだったw
1組とか、どーでも良くなったwww
席が決まっていないことを良いことに、隣に座って…
話・せ・な・い!orz
女「幼稚園以来だね☆」
俺(ビクッ!)
俺「おぅ!よろしくな!」
再会を、喜びつつも、話せない
チキンハートは、今も変わらず 好きな子が、5年生の時に放送委員だったので、俺は6年で放送委員を希望!
…
気になるあの子は、別の委員に……orz
でも仕事はしっかりやったさ!
保管されてるレコードの分類とか、劣化した放送用カセットテープの作り直し、毎週末 マスター時計の補正…
給食時のリクエスト放送の企画…
ある日リクエストが無かったので、担当の先生に何を流しても良いとの許可をもらった
選曲…俺
カテゴリー…運動会
曲名…軍艦行進曲
普通は校舎だけ流すところを、敢えてALLでw
ボリュームも気持ち高めでwww
程なくして担当の先生の伝令が来て、即時中断
リクエスト放送が無かった頃の曲を流してEND
担当の先生は、牛乳を噴いたそうな… ある日、ふとしたことから幼稚園の頃の話になった
幼稚園から使ってたピアニカが、みんなと違ってちょっと長かったのが、原因だったかな…?
幼稚園が一緒の想い人(以下S)も、もちろん俺(以下T)と一緒のピアニカ
皆「運命だねぇ」とか「Sちゃん追ってきたの?」とか(俺、引っ越しの経験無いしwww)
或る女「Tは、わざわざSちゃんと同じの使うとか、Sちゃんを好きなの?」とか…
俺(ちょっとキレた)「あぁ、幼稚園の頃からずっと好きだけど…、好きで悪ぃのか?」
一同「…」
S「…」
………
次の休み時間…
S「ねぇT(俺の名前)、ハトポッポ体操って覚えてる?幼稚園の時の…」
俺「何となくしか覚えてないなぁw」
………
正直嬉しかったね。当分話しかけてもらえないと思ったから。
まぁ、ますます好きになっていったわけですがwwwww うちの学校は校舎が3棟あって、それぞれ平行に建てられているものの、
微妙にずれていたりした。
■■2 ■■
■■■■■
■■1 ■■
■■■■■■■■3■■
■■■■■
こんな感じかな。
校舎内鬼ごっこをしていて、第3校舎から第1校舎へ走り抜けようとしたときに
渡り廊下でカーブを渡りきれず壁に激突!
つま先が当たったところに大穴をあけてしまって、校長室に謝りに行ったのはよい思い出orz 小学校というと、普通部活なんかやってないよな?な?
俺も全力帰宅部だったのだが、夏の間だけ臨時水泳部だった
水泳部顧問「メドレーの人間が足りないから出てくれ!」だと…!?
喉が弱くて、循環器系を強くする目的で始めた水泳だったけど、それなりには泳げたので承諾w
女子の水着姿を見たくて水泳部やってる連中と、一緒になって戯れ…もとい、練習するうちに
煩悩全開になって、プールに行くたびに人間が壊れるようになってしまった!
夏休みのプールも、第1校舎に更衣室があるのをいいことに、第3校舎のベランダからオペラグラスで覗き行為!
しまいには、更衣室の掃除用具入れに隠れる始末www
↓結果
例によって、見つかるわけだが…w
顧問の先生に怒られつつも、市の大会ではそれなりの成績を残したので厳重注意ですんだけど
2学期の始まりの頃、クラスの女子の視線が痛かったorz 林間学校!
飯盒炊飯、カレーライス、キャンプファイアー…これだけですむなら楽勝なんだけど、うちの学校には「オリエンテーリング」があった(他の学校もあるのかもしれないが…)
………………………………………
渡される地図とコンパス。動揺する友人たち。地図を逆さまに見る奴、コンパスをただじっと見つめる奴…
「俺たちの番だぜ」
班のお調子者(以下O)が、時間差出発の順番が来たことを告げ、先頭に立って歩き出す。
地図も見ずにひたすらに前進!彼は前の班に追いつく考えのようだが…、山道に入ると、視界は利かず何処を歩いているのかも分からない…無論、前の班も見えないw
とりあえず一本道だから迷わないけど…、運命の分かれ道www
O「こっちだ」
俺「おいw、地図を見ないでなぜ分かる?野生の勘か?とりあえず地図見ようぜ」
O「いや、道が広そうだし、駄目なら戻ればいいだろwww」
他「地図見ても分からないし、賛成〜」
俺(ま、いっか…orz)
…………………………………
進んで行くと一般道に出た。要はハズレ
O「戻ろうぜ〜」
他「了解〜」 先ほどの分岐まで戻る。進むべき方向は…
O「で、どっちから来たんだっけ?」(おい!)
他「わからない〜」(orz)
俺(ちょっとキレた)「地図貸してくれ、コンパスも!」
俺「現在位置は、地図のこの分岐。コンパスによると北はこの方向。」
俺「本来は磁北の線を書き加えておくとよりいいんだけど、大差無いからとりあえず地図の上を北とする。」
俺「というわけで、進むべきはこの方向。ほれ、行くぞ」
…………………………………
うちの親が遊び人で、夏休みの度に山(日本アルプス)に連れて行ってくれたので、自然に身についた知識
以降は地図の見方、自己位置の標定の仕方等を説明しながら、突き進み迷うことなくゴール!
最短の時間でゴールしたものの、賞を取るには至らなかった!
全チームの平均タイムに近いチームが優勝だったんだとさwwwww
俺「なんじゃそりゃ!」(怒って、学年主任にくってかかる俺…)
他「まぁまぁ、遭難しなかったんだからいいんじゃない?w」(なだめる皆)
S「Tって何でも知ってるのね!頼もしい〜☆」(班にいたSのこの一言で、優勝などどうでもよくなる俺w)
…………………………………
この後の飯盒炊飯でも、火をおこしたり、米を炊いたり、野菜を切ったり…、大活躍な俺の転機は「キャンプファイアー」
火を燃え上がらせるために、先生が袋詰めした燃料を投げ込んでいた…ので、真似して投げ込むと見せかけて、全力投球!
着火した燃料が丸太の間を突きぬけ、反対側が火の海に…
…………………………………
夜、枕投げしているクラスメートの声を聞きながら、消灯まで廊下で正座www
ほんと、反対側の火のそばに人がいなくてヨカッタヨカッタorz 運動会!
前々から「棒倒し」か「騎馬戦」をやりたいと思っていた俺は、5つの組全ての学級委員に根回しし、生徒にPRをした上でアンケートという名の2択の希望調査を行いw
生徒の希望という形で、「棒倒し」or「騎馬戦」の選択を学年主任に迫ることとなった
こうすれば、「棒倒し」は無理でも「騎馬戦」ならできるはず…。が、学年主任の一言に俺は絶望した
学年主任(以下U)「棒倒しは危なすぎるから駄目だ。騎馬戦は帽子を取る勝負とする。引きずりおろすのは危ない。」
俺(帽子を取るとか、小学生か!)#小学生ですw
俺「それじゃ燃えません!!」
U「おまえみたいな血の気の多いのがいるから、危険なんだよ」
俺(キレた)「わかりました。騎馬戦は確定のようなので、生徒側で暗黙のルールでやらせてもらいますwww」
U「!!、わかったわかった。男子は落馬まで。女子は帽子でどうだ?」
俺「考えさせてもらいます」(勝ったな…www)
……………………………
学級委員を通じて各組と調整した結果、男子は落馬まで、女子は帽子を取られるまでに決定!
体育の授業で模擬戦も行われ、皆、運動会にそなえるのだった…
ここまで書くと、俺は上に乗る役?と思う人もいるかもしれないが
水泳に登山までやる俺はゴツくて上にはなれず…、馬の中央になるのだったwww 運動会!
過去5年間優勝経験が無い俺は、どうしても優勝したかった。
なぜか毎年3組が優勝していたのだ(2年毎に人が入れ替わるはずなのに!w)
今年こそは!という思いはあるものの、具体的・効果的な対策は立てられぬまま、時は過ぎていく
クラスで2番目に足の速い奴Oが選考の時にコケて、俺がリレーの選手に…って、それだとリレーに勝てないのでリレーはOに任せ
俺の他の騎馬の中央になる奴に、通学時、辞書を鞄に入れるようにさせて足腰を鍛えさせ…
(正直スマンカッタ、が、俺も広辞苑・国語辞典・漢和辞典と全教科の教科書・ノート持ち歩いていたから許せw)
運動会当日!!
放送委員の俺は、各競技毎の音楽をかけながら、暇を見つけては応援席から声を枯らせて応援し続けた
ウグイス嬢は、声がいいってことで急遽呼ばれたS!
でも、この時ばかりは応援を優先させてSとは業務的な会話しかしなかった…
そして、6年生の競技が「騎馬戦」と「リレー(5,6年)」のみとなった…
この時、やっぱり(!?)3組がトップ。2位以下はどんぐりの背比べ
普通に潰しあったら、3組優勝…。
俺(俺たちが優勝できなくても、3組だけは潰したい!)
暗い感情に支配された俺は、他の学年が出し物をやっている間に3組以外の各組と調整に入った… 騎馬戦(女子の部)!
バーゲンセールと揶揄された競技が始まると、一般席から「おお〜〜〜〜〜」と声が上がったw
ちいさいオッサンならぬ、ちいさいおばちゃんが黄色い声を上げながら戦っているwww
俺(やっぱり、騎馬戦!観客も燃えるよねwwwしかし…、作戦はうまくいったのか…?)
帽子と一緒に髪の毛を引っ張られて落ちる女子生徒…
いつの間にやら、帽子とか関係なくなってるしwwwww
そして、規定時間終了〜〜
3組全滅w、うちは全騎健在www、他は知らねwwwww
密約の内容は「3組独走だと面白くないから、騎馬戦は男女とも、とりあえず総力を以って3組潰そうぜwそれ以降は自由って事で」でしたwww 騎馬戦(男子の部)!!!
3組男子は、血の気の多い奴が沢山いることで有名で、女子が全滅したことが悔しかったのか、男子がイラついているのが遠目にも分かった
血を見なければ済まない…そんな雰囲気。それを見た他の組は(うちも含め)皆、明らかにビビってしまっていたのだが……
俺(このままじゃ、皆3組に向かって行かず消耗戦を余儀なくされる…どうしよう)
俺(そうだ!声出すか!!!!!)
俺「行くぞ!」
皆「…」
俺「返事はどした!? 行くぞ!!!!!」
皆「おう!」
俺「勝つぞ!!!!!!!」
皆「おう!!!!!!!!!!」
俺「3組倒すぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」(言い過ぎたw)
皆「おう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
睨みつけてくる3組の連中wでも、士気の上がったクラスメートはビビらないwww
2組を盛り上げたことで、他の組も盛り上がってきたところで…
パーン!(競技開始の合図)
俺「突撃!続け〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!」#「ひひ〜〜ん」じゃ、様にならないのでw
各組の騎馬が3組に殺到する…、3組瞬殺wwwww
俺(5騎の騎馬が全滅!?10秒も経たずにかwwwwwww)
俺「続いて行くぞ!!!!!!!!!!」 規定時間終了〜〜結果…圧勝!
2組は全騎健在、他は知らねwww
3組の男子は、負けた高校球児よろしく地面を拳で叩いて悔しがっている…
俺「戦争は数だよ、兄貴…」
そう呟きながら、各組の密約に応じてくれた代表者に挨拶に向かう
密約がばれた場合、3組の狂犬Aが襲ってくるかもしれないので、「お互いのために、この件は内密に…」というわけだw
……………………………
だが、戦いが終わったわけではない! 現在の得点は、2組が僅差で1位!2位以下もどんぐりの背比べ状態で、何処が優勝してもおかしくない状態www
最後の競技のため、リレーの選手が呼ばれる。集合場所へ向かうOに
俺「抜かれたら殺す!」と拳を突き出す
O「応よ!お前の分まで走る!!」と俺の拳に拳をあてる…、今日のOは、普段のおちゃらけたOではなかった
俺(リレーで決まる!!!今年こそは!!!!!)
俺は選手ではないので、できることは応援しかない。お祭り男を自称する俺は、2組(1〜6年まで全員)の前で先頭切って応援をすることにした
リレーの選手が改めて競技の説明を受けている間、予定外の応援合戦を行なう
昼食前、午前最後に行われた統制された応援だ。日ごろの練習の甲斐あって、グラウンド中に皆の揃った声が響く…
俺(俺たちみんなの想い、選手に届いてくれ!!!) リレー(5,6年の部)
第1走者がスタートラインにつく…
静まりかえる会場…
「ヨーイ…」 (パーン!)
一気に沸き立つ会場!トップは2組(5年女子)!!
第2走者(5年男子)へのバトンタッチ…、無駄なく巧い!!!
これで5年生は終わり、次は6年女子のS!!!!
俺が昔スカートめくりのために追い掛け回したためか、速い! #幼稚園の時の話ですwww
Sからバトンを受け取るO!!
日頃はお調子者のOが見せる、必死の顔に感動を覚えつつ、応援はさらにヒートアップ!!!
ただひたすらに声を張り上げる応援席と俺…
Oからアンカー I へ!!!!
トップで渡るバトン…。学年最速のIがトップでバトンを受け取った時点で、勝負は決していた
ドラマ的には、Iが転んでみんなで慰めあうのだろうが、現実は違う!
ゴール!!! (パーン!)
……………………………………
喜びに沸き立つ応援席は、もう統制できないかと思われたが、それじゃ応援団長の名が廃る!ってなもんで
俺(まだだ、まだ終わらんよ!)
2組左翼席(低学年)の前に行き、全員立たせて万歳三唱www
右翼席(中学年)の前に行くと、既に全員起立www万歳三唱wwwww
中央席(高学年)の前に行くと、なんとw全学年起立wwwww万歳三唱wwwwwww
#ヒントはクロマティから得ましたw 結果発表はまだだけど、結果はわかっているので、嬉し涙が止まらないw
Oには「ありがとう;;」としか言えなかったwww
そして、成績発表
「優勝、2組」
淡々と読み上げられる発表はSの声だった
うれしさを微塵も感じさせないその声に、感動しつつ、再度応援席の前に躍り出る
もちろん、万歳三唱www
そうして、最後の運動会は終わったのだった…
……………………………………
A「まだだ、まだ終わらんよ!」#と言ったのかどうかわからないが…
放送関連の片付けが終わり、会場の片付けも手伝っていた俺が体育倉庫に物を運び込んでいた際
A他2名の襲撃を受けた!!! A「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」 俺(いや、それあんただからw)
A「なにニヤついてんだ!!なめんなコラ」 俺(相当悔しいらしいwww俺はうれしいですwwwww) #顔に出てます、お互いにwwwww
A「てめぇ!!!」
Aの攻撃!クリティカルヒット!
俺の反撃!ミス!
Bは様子を見ている、Cは様子を見ている
A「おい!」 Bは俺を羽交い絞めにした!
Aの攻撃! 俺のカウンターアタック!(蹴り)
Aの顔面にクリティカルヒット!Aはボール籠の中に消えていった…
俺はBのつま先を踵で踏みつけた。Bは悶絶している!
俺はコンクリート土台付き鉄のポールを振り回した
Bにヒット!Bは流血し気絶した
Cにヒット!
Cは逃げ出した…
戦いに勝利した!
3ポイントの経験値を獲得、0円を… #ポッケは漁ってないですw
……………………………………
で、やっぱり片づけ中に職員室にお呼ばれ
俺がBを一方的に襲ったような話をAが学年主任に話したらしい(後に嘘がばれて、Aは全クラスからヘタレ扱いに…)
Oが俺が襲われていることを、先にうちの担任に報告してくれていたため(Oよ、報告はいいから、助けてくれよ…w)
怪我人が出ているにもかかわらず(A,B,Cともに流血、Bは縫ったらしい…)
「過ぎたるは、及ばざるが如し」という言葉と、拳骨だけで済まされた
それ以来、俺自身もAも互いに近づかなくなった。痛いの嫌いだし、自分の血を見るのは絶対嫌だからwww 遠足!
遠足の内容については、ほとんど覚えていないw
日光東照宮に行ったということ。例のサルが3匹いたこと。
日光江戸村に行ったということ。がまの油を始めて見た事。
これくらいか…?
小学生高学年の男子としては、バスガイドさん!!!
が美人かどうかなんてのも話題になるが、これも覚えていないwww
…………………………
遠足の帰り道、バスが突然に止まった
場所は国道120号線、通称いろは坂
雑談を止め通路越しに観光バスの前方を見ると、前を走る1組のバスがカーブを曲がりきれず、切り返しを行っていた
切り返しを終え前進する1組のバス。続いて前進する2組のバス…難なくカーブをクリア…、が…
再びバスが止まる。切り返しを行う1組のバス…
俺(こりゃぁ、帰りが遅くなるんじゃないかな)
そんなことを考えながら、カラオケのマイクを断り、ぼんやりと外を眺める俺…
#当時、非常に音痴で歌が嫌いでしたwww 何度か同じ事を繰り返すうちに、ふと気付く
『このバス、一度も切り返ししてない』
断りきれずに手にしたマイク。曲を選択せずに一言…
俺「このバスの運転手さんさぁ、一度も切り返ししてないぜ。すげぇよな」
俺の言葉に盛り上がるバス内。歌の催促は無くなっていた
カーブを曲がるたびに上がる歓声…、前のバスが曲がり損ねた上で、ミス無く曲がるとさらに大きな歓声…
いつしか「すげー」を連発しながら、ただひたすらにバスの動きを追うクラスメートたち
そして、最後のカーブ
「おぉぉぉぉぉ…」唸るクラスメートたち
「抜けた!」
立ち上がるクラスメート。沸き起こる拍手。万歳する者。口笛を吹き鳴らすもの…
…………………………
小学校に着くと、運転手さんもまんざらではなかった様子で、愛想良く見送ってくれた
生徒はというと、腕のよい運転手さんに敬意を示し、「ありがとう」の言葉とともに握手をしてから降りた
#現在、大型・牽引免許は持ってるけど、観光バスは運転したいとは思いませんwww
#運転手さんには、凄いプレッシャーだったと思います。正直スマンカッタwwwww 冬場の体育の時間、丸太で作った平均台みたいな遊具に跨って、友人達と話していたときのこと。
大好きなSが近づいて来て、普通に話しに加わったんだけど、
ふと気づくと「おまた」を俺の脚(ひざの上・太もも付近)に擦り付けて…
回りも気づいていないし、S本人も何の気なしにやってるようで、普通に話してるし、
平然を装いつつも気が気じゃない俺w
集合がかかった時に、遊具からすぐ降りられませんでしたwww
エロい話でサーセンorz しつこい。
∨∨∨∨∨\ /∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
∨ _,-'' ) 。゚・ 。 。
∧ ∧ , -' (.__,-'' , , , 。゜
, - ´_ゝ`)_ .,-'~ ,- ' / / i〜i /, 。
/ )ヽ(w i .,-'~ ,-'~ // , /// 〜 //,
.,/ / ヽヽヽ ,-/'~ ,ノ / ////@ @// '/
/ ^)' _ l ゝ _)-'~ ,-'~ //, ' ⌒/∨ ̄∨ ⌒ヽ
/ /' ヽ ^ ̄ ,-'~ / / ヽ ゚ ・
(iiiiリ∫ ヽ ./ (⌒`〜〜' /i ノ ノ\ ヽ
ヽ─|〜' ノ/ ゙〜〜〜〜 | ./ `- '
|| ||l、_ / ,,, | / ゚ 。
|.| _|.|_,,,| | __-'',,-~ / / ←T
.|.| ニ─、─''''| | =-''' / 、 ヽ
.|.| |.| .| | | l l
|.| |.| .| '、 _ _.| / ノ
.|.| ,,== ==.| l .|.| ,_,,-'',,,-| / | /
|.| ||_ノノ | | i、`''',,-'''' | / .| .|
.|.レ `-- ' | |  ̄ | .ノ | )
,- | | ..... | .| ||
`ヽ );;;::::::::''''' | | | .|
゙ - ''''''' ,- 、| | ,,,,,;;;;;;;;と__)''
\__);;;;;;;'''''' ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています