昔、僕の家の周りには…。
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何がありましたか?
そして、今はどうなっていますか? 「夢の中で神様に立てるように言われた」とか言ってインドの宮殿みたいな外観の家を建てたオッサンがいた。 俺んちの最寄の公園で自殺した人がいたって友達がいってた
しかもその公園日中でも日が当たらないんだけど 昔 俺の家の周りには…
公害で汚染された川があった。
真っ黒な水に底から湧き上がる えたいの知れない泡。
いらなくなった自転車や、大型のゴミが普通に捨てられていた。
今は水も綺麗になり、鯉が泳いでいる。
今のほうが自然環境としては、いいに決まっているが、
俺の中では汚染された川が懐かしい思い出だ。 馬のパン屋さんがよく来てた。
パンを買おうとして近くへ寄ったら獣くさい臭いがして、少しひいた。
なんとなく、蒸しパンは臭いがうつってそうで買わなかったな。 蝙蝠がたくさんいた。
夕方になると、川辺を集団で飛び怖かった。
東海道線の某駅まで5分ぐらいだったから
蒸気機関車を使っての入れ替え作業を見に行っていたな。 近くに甲子園球場があった。
親から、阪神が負けた日は、夜外に出ないようにいわれていた。
花火がしたかったのに、できないこともあった。 小三の社会科の授業、「地域の様子を学ぶ」という内容のがあった。
ちょうど校区が写った航空写真が家にあったことを思い出し、それを学校へ持っていった。
それは授業に役立った・・・
で、その後もしばらく教室に貼られていた、その航空写真。
で、ある時それが消えていた。
どーしたのか、と担任に聞くと「知らない」の一点張り。
今あれば、あれは宝物だよ〜
二十数年前の地区の様子がわかる・・・ 今はすっかり様変わりした地元
ついで・・・
さて、消えた理由は何だ? 誰か児童が破棄したに決まってる。
そんなことするのは、大○トモキか高○トモキの二人のうちのどちらかだ。
あのクラスの「両トモキ」は、とにかく陰険なヤツだった。
舗装されていない道路と、定期的に車が脱輪するでかい用水路があった。
たまに自転車の子供も落ちてた。
今は道はきれいに舗装され、用水路も土管で地中に埋められた。 らせん階段のついたアパートがあった。
手すりを両手で掴んで、滑って降りるのがかっこよかった。
川崎の夢見が崎公園てのがあって、そこにチンコを見せる変態男が出没
してて小学生だった我々に警戒警報が出されていた。 同級生の女の子が住む家が隣だった。
しかも、俺の部屋の窓と彼女の部屋の窓は2mくらい離れて向かい合ってた。
小学校低学年の時-----お互い気にせずカーテンはあけたまま。
同じクラスだったので窓ごしに宿題のことを聞いたりした。
小学校高学年の時-----彼女はカーテンを閉めたままになった。
中学の時-------------彼女はカーテンを閉めたまま。
同じ学校だったけど、ほとんど話さない。
高校の時-------------カーテンは閉められたまま。
彼女は女子高に行ったので疎遠に。
大学の時-------------偶然同じ大学になった。
学校で話したのがきっかけで約10年ぶりに
カーテンは開けられた。
毎晩、学校のことやなんか窓越しで話した。
両方の親が、夜遅くに話し声がうるさいと
俺たちをしかった。
そして、窓越しで話すなら家に来なさい と
彼女の親が行ったので、ほとんど毎日自分の部屋のように
彼女の部屋へ行った。
夕食をよばれたり、家族ぐるみの付き合いも始まった。
楽しい時代だった。
二人とも就職してからもしばらくその状態が続いてたんだけど、
俺が転勤になってしまって話さなくなり、彼女に別の相手ができてしまった。
たまに実家に帰って自分の部屋の窓から
彼女の窓を見ると、彼女がいないせいかカーテンはもちろん雨戸も閉められていた。
なんか切ない気持ちになる。
今度こそ、このカーテンが開けられることはないんだろうな。 小1・2のとき、同じマンションに同じクラスのやつがいて、一緒に学校に行った。
小2の3学期の終わりも近い頃、俺と遊んでいたんだが、引っ越しにともない転校するという旨を話した。思わず泣いてしまった。後日、クラスでも転校する旨を告白。
それ以来、15年近く会ってないんだけど、元気してるかな。 隣が映画館だった。
成人映画の上映が多かった。
裸の看板の前を通って家に入るのが恥ずかしかった。 近くに空港があった。
今のように防音の技術がなかったので
最初うるさかったが、慣れっこになってた。
周りはこじんまりとした住宅地。
浜辺の町なので、歩いてすぐのところに海があった。
この時期ともなると、毎日のように海に行ってたなぁ…
焼けた砂が熱くって「あちっ、あちぃぃっ!」と悲鳴上げながら
波打ち際まで走って行ってたっけ。
この前、ちょっと寄ってみたら…
高速道路は走ってるし、砂浜も浸食されて殆ど無い状態で…
海なのに、まったく違った外観を醸し出してた。 草原があった。
当時、NHKで『大草原の小さな家』が放映されていて、
俺の家はそう呼ばれていた。
共産党の看板が有ったので、毎日学校帰りにキックしてたらボロボロに
最後は誰かに取り外されて風で飛ばされどっかに行った 実家の近くには小さな模型屋、文房具店、中華料理屋があったなぁ。
それらは無くなりコンビニができて、
町工場があった所にはマンションが建った。 畑がたくさんあったな。
肥えつぼもあって、臭かった。
こわごわ肥えつぼの中を覗くと、無数の蝿がいた。
そしてなぜか、バーモントカレーを思い出した。 風俗店があった。
昼間遊んでると、出勤途中のお姉さんに声をかけられて
お菓子をもらったことがある。
親から、知らないおじさんには気をつけるように言われていたが、
『知らないお姉さんだったら良かろう!』と自分に言い聞かせた。
そのせいか、大人になった今でも
知らないお姉さんから声をかけられたら断れない。 近所の公園に戦争中の不発弾が残っている噂があった。
ビー玉するために、穴を掘ってて鉄板が出てきて
怖くて帰ったことがある。
これといって珍しいものはなかった。
普通の民家がやたらと多く、商店が少ししかない。
スーパーやコンビニなんかなくて
もちろんゲーセンやカラオケ、ボウリング、映画館もない。
それでも、なんだか楽しい暮らしだったな。 .\\ / .::::::::::::::::::::::::::::::::: く
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\ l ,ッィrj,rf'"'"'" lミ::::::: く れ モ ま
Y ,!ミ::::::: ヽ な 以 な
`ヽ、 | くミ:::::::: ノ い 外 い
|、__ ャー--_ニゞ `i::::,rく か は
``''ー- ゝ、'l  ゙̄´彑,ヾ }::;! ,ヘ.) ! 帰
゙ソ """"´` 〉 L_ っ
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≡=- 〈´ ,,.._ i 't-'゙ | ,へ ,r┘
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子供の頃、「世界人類が平和でありますように」と書かれた白い札が
町内に何枚か貼ってあって、なぜか怖かった。
あれは何だったんだろう。最近は見かけなくなった。 うちの地域には公営住宅や隣保館、ニコイチや長屋と呼ばれる低所得者向けの住宅がある地域があって
そこには近付くなと言われた
夕方になるとその近くに公園に5時ババアが出没して子供を襲ってた 住宅街なんだけど昔、空き地で遊んでいたら近くに住むお爺さんが影で写真を撮っていた。
しかもその写真を学校に持って行っていたらしい。(?_?) 日通の巨大な空き地があった。小三くらいで立ち入り禁止に、んで今はマンションが立ってる。
それから…、近所にあった幽霊屋敷。すぐ近所だが、どうなったかは知らん(´・ω・`)本当に幽霊屋敷だった。皆で乗り込みたい衝動を必死に押さえてたっけ。 商店街のデカいのがあった。
年末年始はそこで買い物するのが楽しかったな。 夕方になるとラッパをパーぷー吹き鳴らしながら、お豆腐屋さんが来てた
おかあさんに頼まれて「もめんのおとうふをいっこくださいっ!」
あの頃は家族も仲良かったっけ。幸せだった
煙もくもくの火葬場→廃止後しばらく放置のあと解体、
公営駐車場を経て放課後自動クラブハウスに(奴らに昔の写真みせてやりたいw) \ 毛 /
腿 \_ | _/
彡彡彡
ミミミミ クリトリス
ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
ノ σ ヽ 尿道
/ / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ( ( 膣 ) ── 小陰唇
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\ *──肛門
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家の裏が秘境の密林で、秘密基地を作ってゲリラ戦していた。 漏れの住んでいる街は田舎だが温泉街があり、歓楽街としても有名なところでストリップ劇場があった。(その劇場は東京にある有名な劇場に地域名を冠した名前だった)
そこにはそれなりに名の知れたストリッパーの公演もあった。(AVでも名の知れていた細川しのぶも来たことがある)
消防の頃は劇場の前を通るとストリッパーの裸の写真が貼ってあってそれを見ては興奮していた。
さらに、温泉街の電柱にもポスターが張ってあったり、チラシが大量に貼ってあったりしたこともある。
だが、高速道路や新幹線ができ、東京から日帰りで田舎に遊びに行けるようになってからは温泉街はどんどん廃れていった。
その頃にはストリップを見に来るのは年寄りがぽつぽつという感じで閑古鳥のなく公演が続いていたせいで4年前、遂に閉館を余儀なくされた。
その後、劇場は大衆演劇場として再スタートし、さらに昼の部の公演も始まった。
現在、劇場はおばさん達が入るようになったお陰で思ったより繁盛していてそれなりに名の知れた女形のスターが来たりもしている。 \ 毛 /
腿 \_ | _/
彡彡彡
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毎週土曜日の夕方に来る焼き芋屋さんが楽しみだった。 家の前は中央広場だった
夏にはラジオ体操、盆踊りに屋台
秋には運動会
正月には凧上げしたり、春頃には友達と庭球野球
ポン菓子を売りに来てたおっちゃんもいたっけ むかし、僕の家の周りには西が松の木が生えた空き地東がケチくさい桶屋
北がボロ屋敷の駄菓子屋
南が口コミ糞ババアの家 マンションだったけどほぼ隣にラブホがあった。
中2の頃に担任(若い女の)が家庭訪問に行こうとして道に迷ってたから
そこの方角指さしたらすごい変な目してた。別に誤解はされずに済んだみたいだったけど
あの瞬間は何か冷っとした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています