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量子論の確率解釈がわからない
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0001ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/02/15(水) 01:34:10.18ID:/aLSmI/o
確率というからには母集団があるということでしょ?
でもそれって複数の事象を仮定しているという点で多世界解釈と変わらないのでは?
0214ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 20:41:12.99
まず測定自体が近似理論だからな
測定装置も測定結果も量子状態のままであれば測定により物理量が定まるという考え方は実際には起こっていないことをあるモデルで近似して捉えてると言える
具体的にはこの宇宙全体をU
測定対象をA
測定装置をBとしたとき
U⊃A+B
となっているわけだが
AとBの相互作用ハミルトニアンHABを用いてU全体の時間発展を相互作用描像で書くことが出来る

ここでBによりAが測定されBに測定結果の情報が残ると仮定すると
そのプロセスすらも量子論的に記述した正確な時間発展に比べると
測定により古典的物理量が得られるという考え方はHABの位相情報を捨てていることになる
この位相情報を捨てているのでBの終状態が完全な量子論的プロセスに比べて不明になるというところが確率に対応している
0215ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 20:46:59.57
測定という字面が良くないんだよな
ハイゼンベルグカットの議論からわかるように
どこまでを量子論的プロセスとみなしてどこからを古典的プロセスとみなすのか
つまり測定の境界は完全に自由に動かすことができる
このことは測定という概念は実際に起こっていることではなくて
起こっていることに対して後から行う解釈にすぎないということだ
全く同一の量子的プロセスに対して自由に解釈を変えられるのがハイゼンベルグカットの議論から導かれる測定の正しい理解

それでは測定が近似モデルに過ぎないというなら近似しなければ量子論で完全に測定結果がわかるのかと言えば
ある条件を満たせばわかる

その条件とは全宇宙UとAとBの量子状態を完全に知っていることだ
しかしその条件を満たすことはUに属している人間には不可能なので測定プロセスも量子論的に完全に把握することは非常に限られたときにしか行えないというのが正解になる
だからそのような状況では確率解釈が正当化される
0216ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 20:56:05.24
ハイゼンベルグカットは任意に移動できる
思い込みにより測定対象と測定器の間とか
測定器と人間の間に入れそうになるが
ハイゼンベルグカットは完全に同一の現象に対して原子1個でも人間の脳内のどこかでも自由に後から変えても良いということがポイント
測定とは実際には起こっているわけではない後から当てはめる解釈なのである
0217ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 20:59:34.87
確率とはそのような後から行う解釈の際に捨てられる量子状態の位相の情報が失われることにより生まれる不確定性を表している
0218ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 21:02:05.38
ウィグナーの友人の議論からも測定とハイゼンベルグカットの性質が理解できる
ハイゼンベルグカットは任意に移動できるし測定結果を認識した人とそれを聞く人の間にも境界を置けるし
なんなら測定結果を聞く人の脳内の好きなところに移動することもできるし
その境界は全宇宙のあらゆるところに自由に置けるのだ
つまり測定は実際に起こる現象ではないということ
0219ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 21:07:34.07
ある人にとっては測定されたとみなされても他人にとっては測定されてないとみなされる状況があり得る
それもこれも測定は解釈に過ぎず実際の現象ではないから
だからボルンの確率解釈もエヴェレットの多世界解釈も
実は深く考える価値はない
なぜならどちらで考えても現実に起こっていることとはかけ離れているからだ
測定後という状況を考えてしまった時点で系の量子状態位相を一部捨てているので
その時点で現実世界の正確な状態からずれている
それは近似モデルによる解釈が正確な量子状態とずれているということに過ぎないから
近似によるズレがどうなるかは現実世界の性質でもなんでもないし現実には何も変化していないのだ
だから多世界なんてものは無いし確率も架空のものに過ぎないから深く考える意味が全く無い
0220ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 21:21:58.38
「この宇宙が始まってから終わるまでこの宇宙の中では測定というプロセスが一度も起こっていない」という考え方も全く正しい
この宇宙のどこかの誰かが測定を行ったから量子情報が失われるという考え方は明らかにおかしい
なぜならその測定を行ったとする人物だの測定対象も完全な量子状態を知っていれば時間発展を追跡できるからである
どこかで誰かが測定を行ったとしても情報が失われるのは測定という近似モデルを当てはめて解釈を行った者に対してのみであって
全宇宙の量子状態の知識を持っている者にとっては失われた情報など無いからだ
ただ単に全宇宙の内部に居る者にとっては全宇宙の量子状態の知識を得る方法が存在しないというだけに過ぎない
ハイゼンベルグカットの議論からは測定の性質をそのように考えざるを得ない
0222ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2023/03/01(水) 22:03:23.74
測定という言葉がよくない
この文字だと量子論的な自由度が大きい測定器っぽいもので自由度が小さい量子系と相互作用したときだけが測定であるかのように先入観を与えてしまう
この先入観を取り除き解釈を行なっているに過ぎないという性質を強調するには

「古典解釈」とでも呼べばいいと思う
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