また今年も、ノーベル賞の狂騒曲が始まった。ほんとうに、毎年、うんざりである。
これほどバカバカしい話もない。何がバカバカしいかといえば、もらう人がどんどん小粒になっているからである。
たとえばそれは、ノーベル賞のなかでも特に権威の高い物理学賞を見れば明らかである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E

を見ると、最初の頃は、レントゲン、ベクレル、レイリー、キュリー、モーレーといった非常に有名な人々が並んでおり、
二十年代は、アインシュタイン、ボーアという超ウルトラ級がもらい、30年代も、ハイゼンベルグ、シュレディンガー、ディラックという
スーパー級が並んでいる。40年代になるとかなり落ちるが、それでもパウリや湯川がもらっている。このあたりまでは、
名前を知らない人でも、業績を見れば、ナルホドな、という気がする。

50年代になると急に知らない人ばかりで、60年代はランダウ、朝永、ファインマン、ゲルマンを知っているが、
格から言って、ランダウだけが戦前の超大物と同レベルで、あとはだいぶ落ちるように思う。70年代になると、
知っているのは江崎玲於奈だけだが、彼が湯川と同列だと思う人はいないだろう。80年代以降は、
知っている人は日本人だけで、そのうち南部陽一郎は、湯川・朝永クラスのように思うが、
小柴を同レベルだと思う人はいないだろう。

それ以上に、知らない人も、知っている人も、貰った理由を見ても、何のことやら、さっぱりわからないのである。

何が起きているのかというと、物理学の発見が人類の世界に対する認識に与える影響が、急速に落ちている、ということである。
有り体に言うと、ノーベル賞が出るような種類の物理学が、衰退しているのである。
物理学と言っても、範囲は広く、たとえば非線形科学などは、戦後に急速に発達したのだが、
ほとんどノーベル賞の対象になっていない。ケネス・ウィルソンが相転移に関して貰っているけれど、
彼は果たしてこの分野で、唯一と言えるほど、傑出した人なのだろうか。