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.            *** 他者は私の見る世界と同じものを見ているのか ***

人間の思考器官が物質的脳だと仮定して、その活性により属性意識が生じる場合、その物質的脳で外界認識をする時、
外界から視覚器官に到達する光信号を生体電位に変換する過程や、
神経線維を走る信号強度やシナプス間での神経伝達物質の、濃度や受容感度には “ 個体差がある筈 “ だ。

さらに第二次世界大戦などの戦争や事故で脳実質に損傷を負った事例は相当数あるが、その損傷例について外界認識が
どのように変化したかを調べると、視野欠損や視野狭窄などがほとんどであり、外界が以前とは異質にように見えるなどの、
外界そのものの変容を訴える事例は、皆無ではないが極めて稀である。

つまり脳実質に損傷を負った場合、外界認識あるいは意識像に “ 見え方の障害 “ は生じるが、見える内容あるいは
見る内容が以前とは異質なものになったという事例は稀ということだ。

そのような過程を経て外界イメージが形成されるなら、人間各個体の外界はそれぞれ違ったものになる筈だが、外界認識
において “ 他者は私の見る世界と同じものを見る “ という素朴な信念は何が根拠になるのか。
この人間各人の外界像同一性についても、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に参加する “ からと思われる。

さらに成長段階の幼児の意味認識発達が人工知能に比較し得ないのは、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に
参加する “ からであり、この参加によって、親の教育という外界影響だけではなく、
幼児の自発意志の成立が思考発達を促進させると思われる。

↓ 光の非局所性
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