長澤正雄さんの確率力学ってどうなの? [無断転載禁止]©2ch.net
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本読んで、ほーんってなったんだけど... なぜ主流派には受け入れられないのか >>1 多元宇宙論と万有内在神論ってどっちの方がスケールが大きい概念ですか? どの話か特定しなければわからん まぁ注目されていないことから評価は分かる 正しい正しく無いの問題ではなく、彼の論文は物理的意義付けがヘタクソすぎてどうしようも無い 数学者だということを差し引いてももう少し書き方を変えればよかったのにと思ったことがある 量子的微小粒子がランダム運動しているという仮説からスタートして、 コルモゴロフの放物型偏微分方程式に外力項を加えた、ランダム運動の運動方程式 伊藤の道筋解析から、ランダム運動の道筋方程式 が導かれて、 ランダム運動の運動方程式とシュレディンガー方程式が同等であること、 二重スリット実験の干渉が確率過程の絡み合わせで説明できるところ、 水素原子に含まれる電子の運動の道筋を計算すると、ボーア半径が出てくる あたりは感動したんだけど、評価は悪いのか... だって式変形して、表現を変えてるだけだろ 言ってることにもっともな部分はあったが、だからと言って別に面白くも無い 数学者のやることだなぁって感じ ゴールドスタインの古典力学の教科書にあった、古典力学から光学的アナロジーでシュレディンガー方程式が得られる話の方が面白いわ でも、粒子性と波動性の両方の性質を持つという相補性の原理を信じるよりも、 量子的粒子はブラウン運動をしており、その確率過程の絡み合わせが、数学的にも物理的にも波動のような現象を引き起こすという考え方の方がしっくりこない? >>10 こない なぜならば、相補性の原理の代わりにしっくりこない仮定を紛れ込ませているにすぎないから 複素時間というのを導入してなかった? ここで非局所性が導入されると思うよ 言ってることは別にいいんだけど、結局のところは古典力学とは全然違うものでしょ 言い方を変えているに過ぎないね 自分が全然理解できていないだけ、もしくは無知なだけなのかもしれませんが。。。 ブラウン運動の発展方程式であるSchrodinger-Nagasawa方程式には複素時間というものは出てきていないようです。 どういった議論をする際に導入されたものなのでしょうか? 複素数が出てくるというと、複素発展方程式であるSchrodinger方程式を用いた議論でしょうか? 物理的に意味を持つのはSchrodinger-Nagasawa方程式の方で、Schrodinger方程式は干渉などを計算する際に便利な式ということなのかと考えていたのですが、この認識は間違っているのでしょうか? 前提として置いてる仮定としてはランダム運動仮説くらいだと思っていたのですが、他にもっと奇妙な前提が置かれているのでしょうか? ちなみに、ランダム運動仮説に関しては不思議ではない仮定だと思います。 >>12 どの論文を読んでいるかの情報ヨロ そもそも、ブラウン運動の方程式は時間反転非対称で、シュレディンガー方程式は対称だから、 時間反転対称性を復活させるために時間反転した方程式とカップルさせてるんじゃなかったか? 虚数時間という言葉が出てくるところといえば ファインマン-カッツの公式のところぐらいしか思いつかないのですが。。。 >>14 読んでる論文を参照して答えるしかないと思うが 何を読んでる? そもそも時間反転したブラウン方程式を導入する時点で?だけどね 解釈に過ぎないなぁてかんじ >>1 > なぜ主流派には受け入れられないのか 主流派に受け入れらない理由なのかどうかは知らないが 長澤さんの確率過程の立場から量子力学を再構築しようとするアプローチって 本質的にはEdward Nelsonが60年代にやってるんだよね。 Edward Nelson, "Dynamical Theories of Brownian Motion", Mathematical Notes (Princeton University Press, 1967) それにも関わらず長澤さんはNelsonの仕事に対する言及は全くしていないのは異常というか文献参照のルールやマナーに違反してると 思うんだよね。 仮に長澤さんがNelsonのとは独立に考えたのだとしても向う(Nelson)の方がずっと先にやってるわけで、しかもその仕事は プリンストン大学出版局の数学ノート(黄表紙のペーパーバックの奴ね)って広く出回ってる形で発表されてるわけだし。 その先駆的仕事を一言もリファーしないってのは文献参照や先行する研究との比較って基本ルールからはっきり逸脱してるから そういうルール違反が明らかなのって常識ある研究者からは「あれっ?Nelsonのがあるじゃん!リファーしてないの?怪しいなあ」って 最初から切り捨てられて真面目に読んでもらえない可能性が高くなっちゃう。 保江さんとかも 保江邦夫 『量子力学と最適制御理論:確率量子化と確率変分学への誘い』 (海鳴社、2007) とかで似たようなアプローチでやってるけれども、保江さんはちゃんと自分の仕事のルーツがNelsonの上の仕事にあるって 明記してるんだよね。 仮に長澤さんがNelsonの仕事のことは全く知らずに(数十年も後だけれども)完全に独立で考えたのだとしても、 Nelsonの先行する仕事がある以上、長澤さんには自分の仕事がNelsonのとどこが同じでどこが違うのかを 明確に述べるのが研究を発表する際の基本ルールだと思うんだよね。 最初に発表したときはNelsonの仕事を知らずに発表したとしても、少なくともすぐにそれがNelsonの仕事に似てるって 意見が長澤さんのところに寄せられたと思うんだよ。だって僕みたいなレベルでさえ気づいたぐらいだからさ。 でもそれらの意見を無視して相変わらずNelsonの先行業績を無視した形で発表続けてたら誰も本気で相手にしなくなるよね。 >>17 に補足 ごめん、重要な文献のリファーが抜けてました。 Nelsonの量子力学と確率過程との関連付けは17にリファーしたのは萌芽的な仕事で次のがそのものズバリって感じです。 Edward Nelson "Quantum Fluctuations", Princeton Series in Physics (Princeton University Press, 1985) >>13 すみません...長澤さんの論文も人に借りて読んだのですが今は手元にないです(汗 時間反転などの議論に関しては、もともとはシュレディンガーがエディントンの考え方を参考にして、ペアのブラウン運動の運動方程式を立てたみたいです。それで、実際、ブラウン運動をする粒子の分布と波動関数の二乗が一致することを示したそうです。 そこで長澤さんは、シュレディンガーのブラウン運動の運動方程式を外力のスカラーポテンシャルと、ベクトルポテンシャルを含む場合に拡張した。。。という流れみたいです。 E. Schrodinger, Uber die Umkehrung der Naturgesetze, Sitzungs- berichte der Preuss Akad. Wissen. Berlin, Phys. Math. Klasse (1931), 144-153 >>17 保江さんの本は最近、読み進めてます! どうやら、長澤さんの確率力学は1931年のシュレディンガーの論文を基礎として展開しているようで、 ネルソンのものNelson(1966)には、Schrodinger(1931),(1932)、Kolmogoroff(1936)(1937)、Fenyes(1952)などは引用されておらず、長澤さんのものとは別の文脈にあるもののようです ネルソンのものと違うところは、長澤さんの理論だと シュレディンガー方程式を波動方程式ではなく、複素発展方程式とする音ができ、相補性の原理から抜け出せる。 ネルソンの運動方程式は非線形方程式であり、また、相対論的な運動への拡張は考えにくい。 などでしょうか。。。 また、ネルソンの運動方程式に関して、定義に条件付き期待値を使用しているため、DXを確率過程Xの時間微分とするのには無理があると言及しています。 >>21 ブラウン運動を選ぶ理由か... アインシュタインの議論した古典的な微小粒子のブラウン運動の原因は、媒質中の分子の不規則な衝突によって引き起こされるもの。 じゃあ、量子的粒子はどうなんだろう? たとえ、真空中だったとしても、真空偏極反応のように非常に短い時間に粒子と反粒子の生成消滅が繰り返されており、十分ブラウン運動の原因となるノイズは発生しうる。 シュレディンガー方程式とブラウン運動の運動方程式の類似性。 例えば、シュレディンガーの導いたブラウン運動のペアの方程式から得られるブラウン運動をする粒子の分布と、シュレディンガー方程式の波動関数の二乗が一致する。 (数学的に厳密ではないが)ファインマンの公式は複雑な外力の元のシュレディンガー方程式の解を作れる。それに対して、ファインマンの公式のitをtに変えた、(数学的に厳密な)カッツの公式は複雑な外力の元のブラウン運動の運動方程式の解を作れる。 ブラウン運動の運動方程式は、シュレディンガー方程式から得られるような量子論のエネルギー計算に有効であり、 ブラウン運動の運動方程式のSchrodinger-Nagasawa方程式は、Schrodinger方程式と数学的に同等である。 さらにブラウン運動と考えることで、既存の量子力学で計算できなかった道筋が伊藤解析で計算することができる。 その道筋が確からしいかどうかというのは、例えば水素原子に含まれる電子の運動の道筋を計算(主量子数1,方位量子数0,磁気量子数0)してみると、ボーア半径(h^2/4π^2me^2)近くで、ブラウン運動していることがわかる(原点に到達しないことはフェラーの定理から示せる)。 波動性というものに執着しなくても、ブラウン運動する粒子であるとして、粒子としてみることができる。 とかが、理由になるのかな... 俺さぁ………Nelsonって間違ってると思うんだおねーw >>17 >Nelsonの先行する仕事がある以上、長澤さんには自分の仕事がNelsonのとどこが同じでどこが違うのかを >明確に述べるのが研究を発表する際の基本ルールだと思うんだよね。 まったくその通り ルールかどうかはともかくとして、物理科学の論文の定跡を無視して言いたいことだけ書かれても訳が分からない 長澤さんの仕事はほかの研究との関連や比較がほとんどなくて、結局何だというのかよくわからない むしろ、実はほかの人がすでに言っていることを隠してあたかも新たなことを言っているように見せかけているように も見える 何度か読むうちに、この話って実は知られたこういう話と同じじゃないのって思うことも多い でも書いてないから、結局自分でそういうことなんだろと思って切り捨てる そんな感じ ちなみにネルソンの仕事はパリティの紹介記事では言及されていて、自分はそれとは違ってある部分を 数学的に証明したから自分の解釈が間違いないということを強調していた でもネルゾンと同じく量子性を紛れ込ませた古典論は結局非局所的隠れた変数でしかないと思うので 大して面白いとは感じなかった >>22 いえ、不規則な運動をブラウン運動と断定する根拠が気になったのです ブラウン運動って性質がいいですから 長澤はベル不等式が無意味であることを数学的に証明した。 しかし今の物理学会ではベル不等式が大きな拠り所になっている。 黙殺しておくのが一番良いわけだ。 >>21-22 なぜ拡散方程式か、なぜ虚数が必要になるのかは数理科学に書かれていましたよ とてもわかりやすいです 参考のためうpします http://imgur.com/a/yYrTg >>27 実にくだらないですね からくりも知らないくせに >>26 ウィーナー過程は性質が良いから、理論に乗せやすいんじゃね? >>32 それを説明できないぐらい理解できてないってことだろ ベルの不等式のどこをどう変更したかが問題 拡散方程式では時間反転非対称なので、何らかの方法で時間反転対称にする必要がある そのテクニックの一つは非エルミートである虚数単位をかけることで、これがシュレディンガー方程式 そのかわりに時間反転した方程式と巧妙にカップルさせることも考えられる これが長澤のやりかた どっちも同じことをやっているが、表現が違うだけ と思ってるけどね >>23 ジグザグにランダムな運動している粒子なんだから、ポテンシャルが無限大でないならときにはそのポテンシャルを超えることもある。 非エルミートじゃなくて反エルミートですね 反エルミートは時間反転と同じことです t → -t (時間反転) x → -x (空間反転) の変換に対して方程式が不変となるためには、方程式はtおよびxの2階微分を含む必要がある tについては1階微分にするかわりに、虚数単位iをかけて時間反転に対して不変とした >>27 確か、長澤さんがベルが暗黙に加えた条件としてるBell's dependenceは、4通りの実験相互の独立性を否定する条件であって、Stern-Gerlachのマグネットの方向を定めた単一の実験に対して定義される局所性の概念とは関係ない。 で、スピン相関の実験に対して局所的な関数表現が存在することを示して、物理的実在は局所的であるということに妥当性があることを示したんだよな。 真面目に読んだことないから知らんけど。。。 >>20 解説とフォローありがとう! お詳しそうなので質問したいのですが、長澤さんの本って新版になってかなり変わったのですか? ご存知だったら教えて下されば幸いです >>41 彼はベルの考えた局所性条件が狭すぎると言って広げることをしたのだけど、 その広げ方は隠れた変数が観測設定に依存してよいというもの これはいいかえれば、観測設定が隠れた変数によって決まるというモデルで 自由意志ループホールあるいは観測設定独立ループホールを再発見したと 言ってるに過ぎない(本人は気づいていない可能性がある) >>44 >その広げ方は隠れた変数が観測設定に依存してよいというもの ちょっと違う気がするけどな ベル:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという暗黙の了解 長澤:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという保証はない >>44 >その広げ方は隠れた変数が観測設定に依存してよいというもの ちょっと違う気がするけどな ベル:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという暗黙の了解 長澤:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという保証はない >>46 >ベル:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという暗黙の了解 >長澤:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという保証はない どんな観測でも同じ=観測設定に依存しない どんな観測でも同じである保証は無い=観測設定に依存しても良い つまり隠れた変数が観測設定パラメーターと関係性を持っても良いと緩めたわけ このモデルではどちらが原因でどちらが結果かという因果関係については何も仮定していない 隠れた変数が原因で結果として観測パラメーターを決める(観測パラメーターは隠れた変数により制御される)と考えると、これは自由意志ループホールの話になる 逆に観測パラメーターが原因で結果として観測パラメーターが決まる(隠れた変数が観測パラメーターにより制御される)話は局所性ループホールの話に入ると思われる いずれにせよ既知の話で(ベルを含めて)みんな知ってた話 そういうバックグラウンドを無視して解りづらい論文を書いても評価されるわけが無い 要するに長澤は昔の話を掘り出して、リファーもせず新しい仕事ですよと言ってるわけで、数学者としてはともかく物理では評価が無い 他人の仕事をリスペクトしない人がリスペクトを受けることはないね 訂正 逆に観測パラメーターが原因で結果として観測パラメーターが決まる(隠れた変数が観測パラメーターにより制御される)話は局所性ループホールの話に入ると思われる ↓ 逆に観測パラメーターが原因で結果として隠れた変数が決まる(隠れた変数が観測パラメーターにより制御される)話は局所性ループホールの話に入ると思われる >>50 長澤さんの考える隠れた変数に関しては条件緩めないと変になっちゃうからなぁ 長澤さんの隠れた変数は、作用素の関数表現で、その関数表現は一意的に定まらないから、それぞれの実験で区別しないと関数表現の非一意性に影響及ぼすからねぇ... "長澤さんの理論の元では、"個々の実験についての関数表現は互いに独立と考える方が自然だし、ベルの仮定は不合理と言えるんだろな >>53 数学屋の発想 数学はとにかく一般性追求だが物理は自然の制約を考える学問 >>54 隠れた変数に対する予備知識は無いはずなのに どんな観測でも同じ=隠れた変数は唯一と決めている 物理屋は、どんだけ神なんだろう? >>50 隠れた変数が一意に定まっているという暗黙の仮定があるから 観測に依存するとか制御されるとかの発想が出てくるのでしょう。 長澤は一意に定まらないとしているので、出発点が違うね。 >>55 つーか、隠れた変数と観測設定が相関する理由がないんだが 光源側で観測者の手を読んで統計を変えるとか、あるいは光源側で観測者の手を仕込んでおく ってことだぜ 隠れた変数に特に制約は入れてないぜ 統計的性質が観測設定パラメーターと相関を持たないというのは物理的には合理的 相関を持ってしまったらどんな観測結果もねつ造できてしまうので 我々は我々の実験と独立に普遍的な物理法則が自然に備わっていると仮定している 上の仮定を外すと物理法則は我々の実験に依存してしまうので、物理法則の普遍性が疑われる つまり長澤の考えは数学的にはどうか知らないが、物理法則の普遍性を認めない立場なので、 物理屋はそれを合理的とは認めないだろう >ベル:隠れた変数が、どんな観測でも同じであるという暗黙の了解 この仮定があるから、不等式中に出てくる「隠れた変数」が同じになって どの項にも掛かっている「隠れた変数」を消し去ることができる。 この大胆な仮定で、見かけ上「隠れた変数」の影響を取り除いたのがベル不等式。 それで、ベル不等式が実験で破れているのは、ベルの使った制約はきつすぎる可能性も否めない。 というのが長澤の本に出ていた。 >>57 大胆でもなんでもなくて、物理法則の普遍性を信じる立場なら当然の仮定だわ >>56 隠れた変数からどのような影響を受けるのかは未知であるのに 影響のされ方は一意に定まると、普遍性に制約を設けて導出されたのがベル不等式でないの? 長澤はなぜベルがそのような仮定をしたかを追求することなく、大胆な仮定と切って捨てている その態度が決定的な不信感を生む そういう仮定をしているのにはどんな理由があるのか、そこをなぜ考察しないのだろうか? それをせずに、自分の立場で不自然とか決めつけるから、評価ゼロ 自分の立場で不自然であっても相手の立場で自然である理由もあるだろう この自然である理由というのは科学の根幹にかかわることなので、そんなに単純に決めつけては いけないこと >>59 全然違う ベルのは隠れた変数は観測設定と独立=影響は全くないとしている 長澤は隠れた変数は観測設定と従属可=影響があってもよいとしている 長澤の話は物理ではループホールとして取り上げられている問題と同じ 影響という言葉は因果関係を感じさせるからあまり不適当ではないが 共通の原因で関係性を持つ場合があるので、相関といったほうが良い >>61 >ベルのは隠れた変数は観測設定と独立=影響は全くないとしている こう言えるのは、やはり隠れた変数が一意に定まるという仮定が要るね。 何故なら、隠れた変数は観測対象に影響しているから。 隠れた変数の影響の仕方が一意に定まっていれば、どんな観測をしても毎回同じになる。 >>63 >何故なら、隠れた変数は観測対象に影響しているから。 誤解 観測設定に影響しないということは観測対象に影響しないということと違うこと この違いがわからない? >>63 一意に定まる定まらないの意味がよくわからないが あいまいすぎる >>64 違いがわかっているから観測対象にしたんだよ。 観測設定に影響しない=どんな観測をしても隠れた変数の観測対象への影響は同じ=隠れた変数は一意に定まる >>63 >何故なら、隠れた変数は観測対象に影響しているから隠れた変数が一意に定まる と書いてあるが >66 >観測設定に影響しないから隠れた変数は一意に定まる 話が変わってる 隠れた変数は観測対象に影響しているから隠れた変数が一意に定まるという仮定が要る 観測設定に影響しない=どんな観測をしても隠れた変数の観測対象への影響は同じ=隠れた変数は一意に定まる 後者は隠れた変数が一意に定まる(あいまい)の理由は観測設定に影響しないからと言っている 前者は何を言いたい?後者がおかしいといいたいのか? 隠れた変数が一意に定まる(あいまい) ということの合理性がないと長澤は思っているらしいが、物理屋は、隠れた変数と観測設定は完全に 独立だと思っているので、その結果 隠れた変数が一意に定まる(あいまい) に合理性はあると思ってる 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>67-69 「隠れた変数」は観測対象に影響している。これはいいかな? 長澤:「隠れた変数」は、どんなものがあるのか未知だし、その影響の仕方はいろいろ。一意に定まらない=影響を同じ関数で書けない。 ベル:「隠れた変数」は決まっていて、影響の仕方も唯一つだけ。どのような観測をしても影響の仕方は同じ関数で書ける。 >>60 にもベルの仮定のことが書いてあるね。 >長澤はなぜベルがそのような仮定をしたかを追求することなく、 どのような観測をしても隠れた変数の影響は同じ関数で表されるというのがベルの仮定。 何故そのような仮定が合理的であるのかは、関連した文献にも書かれていない。知る限りでは。 どれも唐突に同じ関数で出てくる。 同じ関数にしておけば隠れた変数が消えて、観測可能な物理量だけの不等式になることは確か。 >>70 長澤:「隠れた変数」は、どんなものがあるのか未知だし、その影響の仕方はいろいろ。一意に定まらない=影響を同じ関数で書けない。 これが違うんだよなぁ 隠れた変数というのは、そういうあらゆることを想定してもなんらかの確率分布で記述できるということをシンボリックにいっているわけで、 一意とか一意でないとかいう必要ない 大事なことは、長澤のは隠れた変数が観測設定(これは人間が自然法則と独立に自由に選べる)に依存してよくて、ベルのは依存しない としていること ↑ これを受け入れない限りは同意しないね >>70 ベルの仮定の合理性の裏付けは >>56 の後半に書いた通り 物理屋の認識はこの通りで、暗黙の合意事項 長澤はこの物理のフィールドに踏み込んできて、物理屋の認識になんの注意も払わず、数学的な 合理性だけから局所性の条件を緩めた >>70 一意にかけないとしたらその理由は何?どうやって決まるのさ? 物理屋の考える隠れた変数は物理法則に相当するもので、普遍的かつユニーク 一意にかけるのはそういった理由 書けなければその都度変わる理由が必要になるし、どう変わるか何もわからないとするなら どんな実験結果も作り出せるという無意味な話になってしまう 隠れた変数が一意にかけない、それがいろいろ変わる理由も与えられないとなると、それは長澤の かけた局所性の制約よりもさらに緩い どんな相関だって作り出せる 長澤はそこまで緩めはしていない >>71-73 何だかベルの仮定を信じ込もうとしてるだけにしか見えないよ。 >隠れた変数というのは、そういうあらゆることを想定してもなんらかの確率分布で記述できるということ この認識が違うんだね。 その確率分布が違う観測でも同じ関数で記述できることは、 「隠れた変数」なんだから証明できないんだよ。 証明できないけど同じ関数で記述できることにしておくのが、ベルの仮定でしょ。 だから、ベルの仮定において隠れた変数が観測設定に依存しないというのは、 一つしかないのだから変えようがないということ。 ベルの仮定がなければ、ちがう観測で確率分布関数が同じになるとは限らない。 これを観測設定に「依存する」というのは違うよ。 >我々は我々の実験と独立に普遍的な物理法則が自然に備わっていると仮定している 普遍な物理法則があるからこそ、ベルの仮定で隠れた変数に制限を設けてはいけないのだが。 >書けなければその都度変わる理由が必要になるし、どう変わるか何もわからないとするなら >どんな実験結果も作り出せるという無意味な話になってしまう そんな大げさではなくて、ただベル不等式が無くなるだけでしょ。 >>75 >隠れた変数が一意にかけない、それがいろいろ変わる理由も与えられないとなると、 ベルの仮定のように、同じ分布関数で書けることは証明できないよ。 そう信じているだけでしょ。 >>76 上に書いたように、隠れた変数がコロコロ変わってもいいというのなら、どんな実験結果だって作り 出せるから、われわれの知る物理法則に従わない結果だって作れるよ そういうことのないように、物理法則の代わりにユニークな隠れた変数としているわけ 君は長澤シンパにしかみえないな >普遍な物理法則があるからこそ、ベルの仮定で隠れた変数に制限を設けてはいけないのだが。 >そんな大げさではなくて、ただベル不等式が無くなるだけでしょ。 上に書いたとおり 物理法則もくそもない 数学的には許されるがなんでもありの世界になる 例えば、因果律に反するような結果だって許容されることになるだろう >>77 信じる根拠はユニークな物理法則というものを信じるからです 変わるということはそれを放棄すること 放棄することが合理的であるとでも考えるわけですか? >>77 私は信じる理由を書きました そちらも変わることを信じる理由を書きなさい 数学的には許容される以外になにかありますか? 例えば、実験ごとに物理法則が変わる世界を考えてみましょう この世界では隠れた変数は一意じゃないことになりますよね 君のモデルはそういった不合理な状況をも包含してしまうのですよ >>78 >上に書いたように、隠れた変数がコロコロ変わってもいいというのなら、どんな実験結果だって作り >出せるから、われわれの知る物理法則に従わない結果だって作れるよ 未知な変数だから隠れた変数なわけで、コロコロ変わっているわけではないよ。 どんな実験結果だって作り出せるというのも、隠れた変数が実験設定に「依存している」としているからでしょ。 それが違うんだよ。 >>80 ベルの仮定のように隠れた変数の関数表現に制限を設けても良いことは証明できない。 証明できないのだから、制限を設けずにより普遍的な記述をするべきだ。 未知である「隠れた変数」が観測対象にどのように影響するのかは、誰も知りえない。 つまり、違う観測を行ったときに同じ確率分布関数で記述できることは証明できない。 観測ごとにどのような分布関数になるのか未知であるのに、 これを「観測設定に依存する」としているのが間違い。 それをもとに「隠れた変数が観測設定に依存するならどんな物理法則でも作り出せるのは変だ」 という方が変だね。 >>78 隠れた変数がコロコロ変わってもいいということは長澤さんは言ってないかな。 作用素の関数表現の定義式を用いて隠れた変数(確率変数)を導く際に、一意的に決定できない。そのため、関数表現としては物理的に意味のあるものを注意深く設定する必要がある。 と、述べている。 問題は個々の実験の異なる部分が確率変数に影響を与えうるかどうか A点とB点のStern-Gerlachのマグネットの方向を変えた4通りの実験、{a,b},{a,c},{b,c},{n,b} を独立に行い、相互に影響されないとした時に、それぞれの実験でスピンを表す作用素の関数表現である確率変数が異なるかどうか >>85 訂正 A点とB点のStern-Gerlachのマグネットの方向を変えた4通りの実験、{a,b},{a,c},{b,c},{b,b} で、実験相互は独立に行われた実験なのだから隠れた変数たる確率変数も異なるはずで、 ベルはこの4通りの実験相互の独立性を否定しているのではないか、マグネットの方向を定めた単一の実験に対して定義される局所性の概念とは無関係なんじゃないか ってことじゃね? で、それぞれの実験で確率変数が異なるかどうかっていうことについて俺が思うのは a,b,cは向きに関するパラメーターで、 長澤さんの理論では、上向きスピンと下向きスピンと(確率過程を)絡み合わせたスピンがあると考えられる。 {a,b},{a,c},{b,c},{b,b} の四つの実験において確率変数が同じになるかといったらそうとは限らないと思う。 もし隠れた変数が存在するならば、既存の量子力学に付け加えることに意味があるのではなくて、むしろ 隠れた変数が物理量であるような首尾一貫した理論が既存の量子力学の理論とは別に存在するということを暗示しているのであって、 長澤さんの物理量が確率変数で与えられてる確率力学はそのような理論。 で、作用素の関数表現は一意的に決めることはできなくて、物理的に意味のある関数表現を確定するには長澤さんの理論が必要。 また、長澤さんの理論のもとでは、ベルの不等式で与えられてる仮定はおかしいってことだから 長澤さんの理論から見るか、既存の量子力学から見るか、で変わってきちゃう気がするんだけど >>82 一意ではないの意味を質問しましたが、コロコロ変わるではないとしたらどういうことなのでしょう? >>83 まぁ数学者の正義である一般性ですね 物理的考察はないわけで >>84 >違う観測を行ったときに同じ確率分布関数で記述できることは証明できない。 証明の意味は数学的証明ですよね? もちろんそんなことは数学的に証明できることではありません。 これは物理的仮定です。いわゆる自由意志の仮定と呼ばれるものです。 この仮定を外せば局所的隠れた変数モデルでベルの不等式を破ることができてしまいます。 これが自由意志ループホールです。 自由意志の仮定は根拠がないものですが、これなしには物理法則の導出ができないもの なので、物理屋は受け入れるのです。 もし隠れた変数が観測設定に依存しないのなら、なぜ一意ではまずいのでしょう? 数学的に要請されないというのでは物理を見ていないとしか思えませんね >>86 実験ごとに確率変数がコロコロ変わるとしても、それらの実験をまとめた確率変数というものを 考えることができます。 そしてまとめた確率変数を観測設定ごとに分類したとき、(自然が作為的でないなら)それらの 間で違いが見いだせる物理的理由はないということです >四つの実験において確率変数が同じになるかといったらそうとは限らないと思う。 上のように実験のアンサンブルを分類したときに確率変数は同じになります >>90 >この仮定を外せば局所的隠れた変数モデルでベルの不等式を破ることができてしまいます。 ベルの仮定を外すとベルの不等式は導けませんが? 何を言っているのでしょう? >>87 >物理的に意味のある関数表現を確定するには長澤さんの理論が必要。 数学から物理的に意味のあるものを選別できるというのがわかりませんね。 ベルの不等式では(いくつかは暗黙の)仮定が設けられています。 この仮定は、自然が作為しないと思えば合理的なものですが、そのこと自体は仮定なので 実験において守られているか吟味する必要があります。 こういう類の問題はループホールと呼ばれていて、長澤以前に多くの物理屋によって議論さ れています。 やるべきことは仮定が満たされる実験を行うことというのが物理屋の考え方です。 ただし、自由意志ループホールだけはそのような方法では対処不可能で、信じるという態度しか とり得ないようです >>92 ベルの仮定を外せば、ベルの仮定の下で得られる不等式を破ることは可能になると言っています。 とても当たり前のことですよね? >>92 しかも、それは局所的隠れた変数モデルでもあるのです。 なんなら論文を紹介しましょうか? >>91 自分が無理解なだけかもしれませんが。。。 そのようにまとめて確率変数を同じにすることは、4つの実験は独立に行われるという仮定を置いてるのに、4つの実験相互の独立性を否定することになりませんか? マグネットの方向を定める単一の実験に対して定義されるような局所性の概念とは違ってくるような気もするのですが。。。 >>94 ベルの仮定を外せばベルの不等式は得られないわけですから、破るとか破らないとかはナンセンスでそれに基づく議論も無意味です。 >>97 ベルの仮定の下でのベルの不等式というのは論理的にありますよね? それが正しいかどうかはともかくとして、ベルの仮定をなくせばそのベルの不等式は満たさなくなる あなたの言い方ではベルの不等式は無効になる まったく同じことを言っています >>95 ベルの仮定があるから局所的隠れた変数モデルが否定されたわけで、 ベルの仮定を外せば、局所的隠れた変数モデルは否定されない。 簡単なことですね。 >>96 まとめる行為は、実験後に行います。 因果的に実験後にまとめる行為が実験の独立性が問題になる理由がありません このまとめる行為については、ベルが書いた論文にちゃんと書かれていますよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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