電子の波動性のスリット実験 疑問が湧いたから教えて欲しい [無断転載禁止]©2ch.net
量子の波動性を実証する実験で、電子ビームをスリット二本線に通して干渉させ合い、スクリーンに縞を作るってのあったでしょ? ちょっと疑問があるんだけど、誰か教えて。 スリットに照射された電子って、穴を通るものと穴を通らないものが出てくるよね。 そうするとさ、進み続ける電子と止まる電子の間に電気的相互作用起きるはずだよね? しかもさ、スリットも物質だから電子と陽子あるし、そこにも相互作用起こるはずだよね? とするとさ、そういう相互作用で、スリットを通り抜けた電子って乱雑な動きにならないかな そして、その乱雑な動きが、波動や確率の計算でしか処理できないものになるのだとしたら、 スリットを通った二つの電子ビームって、波動や確率で現れる縞を作らないかな? そうするとこの実験てさ、この実験だけでは電子が波動の性質を持つっていうことの確実な証明にはならないんじゃない? 縞ができる他の可能性を排除できてないんだから。 そこら辺のこと教えて欲しい >>208 平均かよw しかも必ず0.5に近づくという、それ確率じゃないぞw 論理破綻乙w >>208 「コインを細工せずに投げたとき、表がでる確率が50%で、裏がでる確率が50%」 「コインを細工せずに投げたとき、表が平均50%出て、裏が平均50%出る」 違いがあるのか?よーーーーーく考えてみよう!(笑) lim_(n→∞) a(n)/n = 0.5 lim_(n→∞) b(n)/n = 0.5 ただの平均あるいは期待値ですよね。 はい論破。 >>211 平均とは、例えば表に1、裏に0と値を付けたときに初めて出せる値であって、 表や裏に数値を与えていない今の段階では、平均値など考えることはできない。 お前はサイコロの目の確率1/6と、目の平均値3.5の区別が付かない馬鹿だと、今表明したことになる。 >>208 意味不明。 その式が無限回投げれば必ず0.5に収束するという意味なら、収束しない場合もあり得るので 確率の定義としては不可。 本当に馬鹿馬鹿しいよ。低脳すぎる。 >>218 収束しないなら、確率は定まらない。 これで何の問題があるのか? >>216 パーセンテージでも普通に平均だから。 くだらないね。その程度か。 >>219 >収束しないなら、確率は定まらない。 はい終了。 >>220 もうそんな煽りしかでなくなったのか。 本当にくだらない。その程度かよ。 >>222 それが収束するものについては、確率が定義できる。 コイントスについては、収束するだろうことが経験的に認められている。 >>208 確率の意味は? その式は50-50の平均だね。 はい論破。 >>224 >コイントスについては、収束するだろうことが経験的に認められている。 それ数学なの?物理なの? 「経験」とか「だろう」って定義して? あと、そのコイン作ってみて? あと、投げ方はどうするの? ついでに、どんだけ頭悪いの? >>215 どう見てもただの平均です。 どうもありがとうございました。 >>229 それなら、お前が平均だと理解しているものが、世間で確率と呼ばれているものだ。 お前が平均を否定していないなら、確率も否定することはできないな。 >>208 100回試行して 35回出ました。平均して35% 65回出ました。平均して65% ただの平均ですね。 どうもありがとうございました。 >100回試行して 35回出ました。平均して35% なんか酷いな。ちゃんと学校行ってたのか? >>230 平均はただの結果にすぎない。 確率は、意味の分からない「確からしさ」として未来を予測するものでしょ? 平均=確率なら未来を予測しないので物理学ではないね。 はい論破 >>233 平均=確率だなどと言い出したのはお前だろ。 lim_(n→∞) a(n)/n = 0.5 lim_(n→∞) b(n)/n = 0.5 ただの平均あるいは期待値ですよね。 はい論破。 >>208 それ平均だから。 1+0+0+0+1+0+1+0+1+0+・・・/n=0.5 ここまで書かないと分からない無能だとは かなり驚いたよ。 >>208 表については表が出たなら1回、裏なら0回だからそれらを合計していってa(n)、 試行回数で割ったら1回投げたときの平均表回数ですよね。少数だから%でOK、 日本語ワカリマスカ? >>208 こんなただの「平均」を「確率」だと思ってるのが ほとんどすべての数学教授なんだろうな。狂ってるわ。 そもそも、平均が収束するってのは最初から確率ではない。 収束しない場合もあり得るのが確率だからな。 つまり、低脳の妄想が「確率」。定義すらまともにできない。 できるわけないんだがな。 >>231 これだけのことだな。 単なる平均にすぎない。これが確率だって何の冗談なんだ? >>218 必ず収束するのが確率なんだろうよ。 収束しないこともあるのが確率なのにな。 完全に論理破綻してることにいつまでも気付かないのだから哀れだ。 >>208 それ、平均は必ず収束するって意味しかないよ。 確率に必ずはないからね。どんな場合もあるのが確率。 だからそれ、確率の否定なんだよね。 誰かが言ってるように本当に頭が悪いよ。 そのろくでもない知識をいっぺん捨てて、深く考えてみたら? 確率なんて定義もできないし、実証もできないことに少しは気付けるかも。 どうでもいいけどね。 lim_(n→∞) a(n)/n = 0.5 lim_(n→∞) b(n)/n = 0.5 ただの平均あるいは期待値ですよね。 はい論破。 >>242 量子論信じてる連中の知能はその程度だ。 初めから正しいと思い込んで疑わない、実に脆弱な他人任せの知識。 本物の知識というものを持っていないんだよな。 本物の知識とは、とことん否定しても否定できず最後まで残った知識のことだ。 量子論なんか簡単で、確率の空想に気付いたら至極簡単に虚構理論だと気づける。 これほど簡単に否定できる理論は他にはない。 なんでこんな虚構理論が残っているのかというと、確率の空想にほぼすべての 人間が騙されているから。確率が存在しないなんてまず考えないからな。 数学教授でもまるで信じて疑っていない。 大事なことはな、確率を実現する器械を作ってみろ、 そしてそれが確率を正しく実現するのか実証してみろと言っても 誰も出来やしないところだ。 だからこんなものは最初から物理学でも数学でもない。 空想でしかないということだ。 定義も実証も作成も何一つできないものは自然科学ではない。 空想あるいは妄想なんだよな。 この地球の人間はほとんど馬鹿しかいない。 自滅して当然だ。 宝くじは確率だと思ってるよな、ほとんどすべての人間がだ。 しかしまったくそんなことはない。 宝くじには必ず当たりがあって、誰かが1等に当たる。 その当たった人間からすれば、絶対と言っていいぐらい当たらない「確率」だったはずなのに 当たったので「確率」は存在していなかったのに等しい。 そしてこれを見ている人間もすぐに当たるかもしれないし、 永遠に1万円すら当たらないかもしれない。 そう、確率など存在していないのと何ら変わらないのだ。 どんな可能性もあるというのは、確率など存在していないのと等価なのである。 確率が大きいから起こるとか、確率が小さいから起こらないとか、 これこそが確率の否定なのである。確率は小さくても起こり得るとするのが 確率なのだから値の大小には何の意味もない、つまり確率自体に意味がないことになってしまうのだ。自己否定である。 どうあがいても定義不可なのが確率なのである。 >>243 A君の身長は150cm、B君の身長は170cm 二人の身長の平均は? 定義に基づいて計算せよ。(まあ無理だろうけど。) 落ちこぼれが必死に否定して安心したがってるけど いくら否定しても安心できなくて繰り返すんだなー >>245 >宝くじには必ず宝くじには必ず当たりがあって、誰かが1等に当たる。 大間違い 公営ギャンブルや保険は法律で規制され、不正抽選、当たりで払わないと違法行為だが、 買っただれかが当たらなくてもよい。 100万枚券(6桁)販売で10万枚しか売れなくても、100万枚券(6桁)で 抽選する仕組みで1等は売れなかった90万枚のなかにある確率が90%になり、 主催者は統計的に損しない。 任意保険も同様な仕組みで統計的に損しないように 最初から仕組まれてる。(当たり屋は逮捕される) 宝くじ任意保険は統計詐欺そのまんまだが利益も公共目的だとして誤魔化している。 サイコロの出目やシャッフルカード配り事故統計を偶然性の確率現象で解析すると 多くの科学的成果が得られる。 その成果を否定する馬鹿ギャンブラーどもは、統計的に必ず損をすることも確率論から証明できる。 >>248 以上から、賭博だけでなく公営ギャンブルのノミ行為が禁止されてる理由が誰でも判る 継続的な主催者(胴元)が勝敗に関係なく統計的に必ず儲かるからだ。 >>248 >>249 確率論の大数の法則の簡単な説明にもなっている。 つまり、決まった確率が有り継続的にn回繰り返せば、n->∞ の極限では 確率1で主催者(胴元)が何割儲かり、確率1で馬鹿ギャンブラーどもが何割損する。 という結果を得るのが主目的であり、一回ごとの事象は直接関係ないのだよ。 いまどき遠隔操作せずに 純粋に疑似乱数だけでカジノやってると思ってる奴ってまだいるんだなw 確率が存在するなら 胴元が負ける確率も存在するのがまだ分からない馬鹿。 現実にはパチンコもカジノもすべて遠隔操作で店が負けないように調整しているのが事実。 疑似乱数ですらない。世間知らずの恥ずかしい馬鹿。 >継続的な主催者(胴元)が勝敗に関係なく統計的に必ず儲かるからだ。 確率が存在するならその「必ず」というのがない。 「必ず」という言葉を使う時点で確率を理解できていないのが丸分かりの馬鹿。 どうやら最近よく騒いでいる確間は 「確率論が確率論であるなら、確率論に基づいて得られる知識自体が確率的でなければならない」 というような頭のおかしい主張をしたいらしい。 「コインを投げて表がでる確率は50%だ」 ⇒「確率論なのに50%だと確定するのはおかしい! 0%や100%の場合がないなら、それは確率論ではない!!」 みたいな。 大数の法則は法則ではない。 公理でもなければ定理でもない。 いったい何かというと、ただの前提条件にすぎない。 相対論で言えば光速不変と相対性原理に相当する、ただの空想。 数が多ければ収束すると考えよう、という空想に基づいた前提条件にすぎない。 「大数の法則(たいすうのほうそく、英: Law of Large Numbers, LLN、仏: Loi des grands nombr es[1])とは、確率論・統計学における基本定理の一つ。極限定理と呼ばれる定理の一種。 たとえばサイコロを振り、出た目を記録することを考える。このような試行を厖大に繰り返せば、 出た目の平均(標本平均)が出る目の平均である 3.5 の近傍から外れる確率をいくらでも小さくで きる。これは大数の法則から導かれる帰結の典型例である。より一般に、大数の法則は「独立同分 布に従う可積分な確率変数列の標本平均は平均に収束する」と述べている。 大数の法則は期待値の存在を前提としている。そのため、期待値の存在しない場合に大数の法則を 適用することは適切ではない。例えば安定分布において特性指数が α ≦ 1 の場合(例:コーシー分 布)、期待値は存在しない。また、この法則が成立するためには事象の独立性が保証されなければ ならない。 」 このように、確率という定義不可な単語にもとづいているので完全に空想であることが分かる。 また、自然界において期待値の存在など実証不可であり、そのことからも空想であることが分かる。 つまり、大数の法則とは そうあってほしいという空想から発生した前提条件にすぎないのである。 >>255 大数の法則も実は空想だったwww 確率論完全終了wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww どんなに偉そぶっても平均身長さえ答えられない時点でおつむの程度は知れている。 確率が存在する とか意味わからんわ じゃあ1は存在するのか?実数は存在するのか? 何かを定義したらそれは存在するのか? 数学用語としての動詞「存在する」が物理学的な意味とは食い違っていて、それが何? 言葉には複数の意味や使い方があることも知らないお子ちゃまですか? >>259 他人の足っ引っ張る間に、「存在する」…の数学における意味だか使い方だか定義だかを教えておくれ お子ちゃまにもわかるようにね 数学での意味なら「矛盾なく定義できる」だろ 物理じゃ1つの意味など無いがな >>260 1も実数も存在するよ。数学的にはね。 集合論の公理から演繹できるものはすべて「存在する」。 レスの返し方からするとここで暴れている確間ではなかったみたいだから、噛みついたことは謝罪するが、 数の実在性というような、そんな飛び火しやすいものを用いて奴らを批判するのは止めてくれ。 >>262 ありがとう 留意するよ 1と実数についてはわかるけど 「確率が存在する」って何? 計算可能って意味? >>263 原因があって結果がある 結果がないなら原因はない よって存在する。よって影響を与える。 >>263 確率とは何か? と聞かれたとき、論理的に答えることは不可能。 また、ある事象が確率によることの証明も不可能であり、 確率事象を作成することも不可能。 これらをまとめて、確率は存在しないという。 例えば、サイコロの出る目は確率によるとされているが、 この場合の確率とは具体的にどういうものなのか、中学生にも 分かるように論理的に説明せよ。 絶対に不可能であると断言しておく、 確率は現代数学の確率論で定義され論理矛盾もない、基本定義だから有る無しとは関係ない。 19世紀までの確率の定義は、中高学校で教えるm/n古典定義と統計的定義になるだけ、素人には十分だ。 2つの確率定義を統合し、連続量に矛盾なく拡張したのが現代の確率論だから簡単に説明できる訳が無い。 或る集団的な物理現象、生物・社会現象に適用して確率論の推論と一致すれば確率現象になる。 例えばサイコロ振りやコイン投げ実験の出目比率を確率論で説明することが可能だが 因果関係で説明するのは不可能だ。 >>266 「確率=確かさを0〜1までの間の数値で表現したもの」 じゃだめなのけ? >>269 アホの一つ覚えか そもそも、実数の数値を全部加算できるか?、和がどうなる? 21世紀だというのに日本の確率・統計教育の現状は酷いとしか言えない。 例えば、3.11東日本大震災の初期の気象庁の津波予測値が3mであった。 この値の物理的意味は、確率の平均値(期待値)が3mという意味であり、 因果的に(確率1で)約3mになる意味ではない。 津波被害地域の住民が、確率の平均値(期待値)と認識した人は10m以上の高台に避難し、 十分な避難時間があたったにもかかわらず 因果的に(確率1で)約3mになると信じた人は避難せずに津波に流されたともいえる。 つまり 津波警報が3cm平均値で10mの津波が実際に起こる確率は非常に小さいが、 津波警報が3m平均値で10mの津波が実際に起こる確率は小さくない。 新型コロナウイルスの政策実施が後手後手の現状を見ると 現代日本の政治指導者が高校レベルの確率・統計数学さえ正しく理解してるか疑問だ。 >>266 よくよく考えるとサイコロ1つまともに説明できないよね。 どの目も同じ割合に必ず近づくなら、それはもう確率ではないし。 何故かって、同じ割合に近づかない確率だってあるはずだからね。 だから1/6の意味が説明できないし、そもそも意味がないことになってしまう。 なーんだ、やっぱり確率って自己矛盾の概念だったんだと。 素晴らしい再発見で完全にフィールズ賞ものでしょ。 もし、完全確率のサイコロがあったとする。 そうすると 111111111・・・・とずっと続く場合もあり得るし 11131111511113111111111161111・・・・とずっと1が多めに出る場合もあり得るし 234443533265444325533・・・・ずっと1がほとんど出ない場合もあり得るよね。 確率はこういう場合も想定しているので、そうすると1/6とはいったい何を示すのか意味が分からなくなる。 割合が1/6に絶対に収束するというのは確率であるのならば認められないわけで そうすると1/6とは何かということになってくるね。 だいたい1/6に収束するのか、ほぼ1/6に収束するのか。この「だいたい」や「ほぼ」というのは まったく定義不能で、上のように試行しなければ目がどう出るのか分からないのならば だいたいもほぼも意味をなさないよ。やってみなければ分からないんだから。 なるほど。確率は完全に空想だったわけね。 確率を示す数値があったとしても、試行した結果がその数値に近づくとは決して言えない。 よって確率を示す数値には何の意味もない。つまり、確率は存在しない。 これ、宝くじそのものでしょ。 言われてみれば実に簡単なことだよね。人類はどうしてこんな馬鹿げたことに気付かなったんだろうか。 本当に不思議。 だから量子力学は妄想なんだよね。 シュレーディンガーの波動方程式の存在確率。これを土台にしているから 確率が存在しない以上、妄想理論だと断言できる。 本当にすっきりするよね。単純明快。 >>274 >>どの目も同じ割合に必ず近づくなら、それはもう確率ではないし。 それを確率と呼ぶんじゃ、ボケ 収束せんで発散したら確率にならんわ >>275 確率論で、そのような事象がどの程度「あり得ないか」も定量的に計算できます。 >>276 >確率を示す数値があったとしても、試行した結果がその数値に近づくとは決して言えない。 同じ試行を非常に多い回数繰り返しても収束しないならば、そもそも確率が有るとは言わない。 >これ、宝くじそのものでしょ。 オマエは宝くじ券を何万枚も買って調べる金も無いだろし、買った大人数を調査する能力も無い。 オマエのオレ様説にすぎない。 実体調査の情報を遮断することが、宝クジ(高額保険)販売者の狙いでもある。 一等3億円のマスコミTV宣伝だけやって馬鹿どもを騙しているのだよ。 確率否定の馬鹿は無視 互いに運動してる2つの微粒子が相互作用して運動が変わる現象を散乱(衝突)という、 散乱を偶然現象として、衝突確率の面積が「散乱断面積」で古典力学、量子力学どちらでも 計算可能で色々な実験結果の違いから量子力学が正しいことが確認されている。 興味深い例では スピンも同じ電子同士を正面衝突させる散乱実験では、90度方向に散乱される事象は殆ど起こらない。 古典力学では90度方向に散乱は可能(ビリヤード球で実験できる)だから説明不可能だ。 くっくっくは帰納的推論と演繹的推論を履き違えとるやろ 物理現象とかを理論に起こす際は帰納的にしか無理なんやが 正しい確認できないとかいう演繹的推論ができるわけがない 「確率は存在しない」とか主張してるキチガイは絶対に知らないだろうけど 確率論ではまず確率を「定義」(数理的にモデル化)して、 その定義の元でどのような「定理」が得られるかを論じている。 その「定理」が現実問題の解決に有用だから、精密科学で数理統計学が利用されている。 >>275 >だいたい1/6に収束するのか、ほぼ1/6に収束するのか。この「だいたい」や「ほぼ」というのはまったく定義不能 馬鹿が確率をマトモに理解できないだけだ、古典的確率の定義レベルなら中高生でも解るように 理想サイコロの6面が完全対称などで出目の確からしさが1/6である ならば、 試行回数nが n->∞ の極限で出目の比率が1/6の極限値に収束するということだ。 または、 統計的に試行回数nが n->∞ の極限で排他事象の比率が或る極限値pに収束するならば その偶然現象の確率はpである。(0<=p<=1) 馬鹿がいう”だいたい、ほぼ1/6、”などは確率などではないことが判る、馬鹿は2つの確率定義を混同してるだけだ。 微積分学の極限の定義と同様であり、収束しない極限値が無いような事例はハナから扱わない。 また 現代の確率論では馬鹿が混同しないように、2つの定義が公理的な確率定義から導出される定理になっている。 >>284 例えば2つの確率定義の使い方は ラジウム原子核が崩壊する年間tの確率pは p = 1 - exp(-0.000436..*t) になるが 式と係数は実験により得られた統計的な確率の計算値であり、確率pが決定された後は 古典確率の定義から一定量のラジウムの半減期や放射線量の時間変化などを計算できる。 >>284 「確からしさ」を数学的に定義できず。 「極限値pに収束」しない場合もあり得るとするのが確率事象なので論理破綻。 「試行回数nが n->∞ の極限」は実現不可能なので収束性の実証も不可能。 「収束しない極限値が無いような事例」は現実のサイコロがこれ。他もすべてそう。 このように確率は 定義不可、実証不可、実現不可の3拍子揃っていて 最初から存在しないのである。 自然界にも当然ながら確率は存在しない。 放射性原子の崩壊は1つ1つの原子が周囲から異なった影響を受けるために 崩壊時間がばらつくのである。いわばノイズ的な影響が原因であって確率事象ではない。 >>287 本当にこの通りだよね。 原子の崩壊を周囲からの影響を考えずに確率だけで決まるって すんごいあほ丸出しの考え方だよね。どうしようもないよ。 >>286 これだけで確率は終わってるw 数学教授は知的障碍者だろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 平均すら計算できないアホに確率が理解できるわけない >>286 サイコロを1万回でも振って、データを取ってみることを真面目に勧める。 そうすれば何か気付くこともあるだろう。 >>291 1が1回も出ない確率もあるぞ。 確率が存在してるならな。 >>292 「特に理由もないのに、1万回サイコロを振っても1の目が1回も出ない」 そんな経験が一体どれだけ稀か? 市販されている普通のサイコロならなんでもいいから、実際にサイコロを振って確かめてみろって。 ついでに経験に裏打ちされない思い込みの無意味さについて理解できるなら、時間を費やす価値もあるというものだ。 >>292 その確率は0ではない。それが何か問題か? >>294 飛行機に乗って墜落死するのも稀なんだが、 お前は確率を否定していることにすら気づけていない大馬鹿。 >>296 飛行機の墜落率調べると0.0009% 10000回1がでない確率1.54×10の-790乗 同じ稀でも話にならないレベルだが そもそも確率は厳密に言えることはないのですが 10の790乗回程度試行してるうちで1回おこるなら妥当ぐらいしか言えない つまり10の790乗回サイコロ降ってみろ 巷では「頭が赤い魚を食べた猫」が話題になってるが 「黒い瞳の大きな女の子」というのもあるらしい これは形容詞がどの名詞に懸かるかわからない日本語の例で 外国人泣かせなんだそうだ 「黒い瞳の大きな女の子」を 1)黒い瞳、黒い女、黒い子 の3とおり 2)大きな瞳、大きな女、大きな子 の3とおり 3)女(の子)、女の子供 の2とおり という18とおりの確率空間を表現した式であると考えてみる さてここで、ある人が「瞳が黒い、子供を連れた大柄の女」を観測したとする この瞬間に、確率空間が収束して一つの現実が確定してしまう 量子力学で波束が収束するというのはこのようなものだと思う 観測によって一つの固有値を確定させることになり波動関数を収束させることになる おまけ1 観測しなかった人にとっては依然として18とおりの確率空間のまま 「黒い瞳の大きな女の子」である 「黒い瞳の大きな女の子」と 「瞳が黒い、子供を連れた大柄の女」では 確率空間のサイズが異なる 後者は明らかに観測によって知識が増え、式表現が変化したのだ おまけ2 観測者が「子供を連れた」しか観測できなかったとすると 「子供を連れた、黒い瞳の大きな女」という式表現になる これも観測によって式表現が変化する一例だ >>298 >>299 アホ 素人の発想をそのまんま量子力学うんぬんに関係づけるアホ知恵 >「黒い瞳の大きな女の子」18とおり このような識別を偶然的な確からしいとするかは主観に左右されて「確率」と言わない。 マトモな確率論教科書の始めにアホ思考に陥らないように注意例が必ず書いてある 当然、量子力学の確率解釈はそのような人間の主観に左右さ入れない量子観測が対象。 >>285 元素別の原子核が崩壊する年間tの確率pは p = 1 - exp(-a*t) aは定数、tは時間 この式は一定確率で一定期間のごとに試行する事象にも適用できる。 同じ条件の宝くじ1等当選モデル、同じ運航条件の航空機事故モデルなどでも同様 定数aが大きいほど試行(時間)で確率が大きくなり、試行(時間)∞では確率1になるのが判る。 これは日常の稀な偶然性の現象が起こる経験事実と矛盾しないこともわかる。 キミが確率論を理解できるだけの知能レベルがあるかどうか簡単にテストできる。 十分シャッフルしたトランプカードを10枚配ったとする 1回の試行で4種類のうち10枚とも同種類だけが自分に配られたと知ったとき 1.イカサマだと考える 2.十分ありうると考える キミはどちらを選ぶかでアホかどうかが判る。 イカサマと選んだ人は、4種類が混ざって配られた場合そう言わない理由も考えよう。 >>300 >>301 確率論なら当然 2.十分ありうると考える (リアルワールドでは別) 確かに>>298 の設定は確率空間として説得力ないなと思い少し肉付けしてみた 1)芝居小屋で出し物をしており、毎日1回上演する 2)100万通りの出し物があり同じものはない(衣装や小道具も脚本で決まっている) 3)演者は女の一人芝居で子連れの時もある 4)被り物で大きく見せたり、黒装束や黒い瞳の小道具を使うこともある 5)100万通りの出し物を分析してみると例えば 「瞳が黒い、子供を連れた大柄の女」のケースは10万本あるので 確率10%で上演されるはず、他も同じ 6)上演は当日、乱数で一つ選ぶ 作為的な設定ではあるが、確率空間らしくなった 確かに私は専門家ではないが、素人の意見は馬鹿にならない >>302 は間違いだとわかったので、投稿はなかったことにしてください これだと100万通りの方が確率空間になってしまう アホは初歩的な確率の概念が理解できないか、理解しようとしない 6桁の数字のどの組み合わせも同じ偶然性すればその確率は1/1000000と定義される。 100万の組み合わせの1つが出る意味ではない、仮にそうだとしたら常に確率は1だ。 >>304 繰り返しだが古典的確率の定義で、どの組み合わせも同じ偶然性(予測不能で同じ確からしさ) の部分はその様な現象が有るという基本仮定であり、その確率(0=<p=<1)を定義している 5ちゃんの決定論者はすべて因果的現象と主張してるので、「確率現象の仮定」は間違いになる。 ならば、数列 0/1000,1/1000,2/1000.....998/1000,999/1000 の順を何回も繰り返えせば 個々の数の出る頻度が1/1000に収束する。 以上の数列は、頻度が1/1000に収束する確率のように見えるが、順序が簡単に予測できるので 基本仮定の同じ偶然性(予測不能で同じ確からしさ)が成り立たないことは自明である。 この数列を使ってビュフォンの針の問題をシミュレーションした結果はどうなるのか? 1・偶然性(予測不能)など存在しないから、実験の針と同じく円周率πに収束する。 従って、確率論は数学上だけのもので現実現象には存在しない。(確率論が崩壊) 2・古典的確率の定義が明らかに成り立たない数列だから、円周率πに収束しない。 従って、確率の定義が成り立つような偶然性の現象でのみ円周率πに収束する という確率の法則が現れる。 どちらの主張が正しいのか?自分のPCでシミュレーションしてみれば結果が判る。 wikiに基本プログラムが載ってるから、乱数発生の項を上記の数列に置き換えればよい。 PCで使えるプログラム言語に置き換えて試してみ。 >6桁の数字のどの組み合わせも同じ偶然性すればその確率は1/1000000と定義される。 「確率」という定義不可の単語を「偶然性」と言い換えただけにすぎないので 定義になっていない。 6桁の数字のどの組み合わせも同じ確率とすればその確率は1/1000000と定義される などと意味不明なことを述べており・・・ 偶然性があるとしよう。そうすると 延々と1が出ない偶然性もあり、1/6は実証できないことになる。 つまり、1/6は何の意味ももたないことに等しく確率は存在しないことになる。 この極めて単純な論理に気付けば、確率は完全に否定される。 量子論は確率を土台にしているので完全な虚構だと断言できる。 何の因果もなく、いきなり状態が決まることなどこの宇宙には存在しない。 サイコロを振るにも振り方があり、それによって出目が決まる。 それは完全にニュートン力学で決まる事象である。 ロト7でもまったく同じであり、偶然で出目が決まるのではない。 系が複雑すぎて現実には計算できないだけなのだ。 この計算できないことを確率だと思っているのだからお目出たい。 微小粒子の二重スリット実験で出来る干渉縞。 これが粒子の波動性による確率事象だというのなら きれいな干渉縞が出来ないこともあり得る。 なのに表に出てくるのはきれいな干渉縞ばかりであり、このことは逆に 二重スリット実験は波動性の確率事象ではないことの証明になっているのである。 read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる