子供をノーベル物理学者にする方法
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自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ 金持ちになって
かつての企業中央研究所で放置されたネタを拾って
出資・共同研究者になる 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 大学の図書館に遊びに行ったほうがいいかと思う。
テストの点数を上げる勉強は無駄。 数十年前の北朝鮮科学教育の報道で小学生が将軍様の為に水爆を作りたいと言ってた。
既存の核技術情報を集め人金をつぎ込めば共産主義に洗脳された技術者でも核兵器が
製造できる。
北の住民を餓死させてまで開発した核ミサイルを北朝鮮が絶対に手放すはずがない。
核武装した反日連合の南北朝鮮の脅威から自由日本を防衛するには核抑止力を持つしか選択肢が無い。 理論武装より核武装か。ふうん。ミサイルも給料あるし、予後が隊列はってて
忙しいんだろうな。 図書館戦争より、バベルの図書館だろうか?二手に分かれて・・・・・。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 個別指導塾で一対一で教える暇があったら
大学に行って、図書館で
子供向けの科学の図鑑を読み聞かせたほうがいいのじゃないか? 大学の雰囲気を味わってもらうにも
図書館に遊びに行くのがいいと思うよ。
マイケル・ファラデーは学校にはほとんど通わずに本屋の仕事中に
科学の本を読み漁ってたんだよ。 大学図書館の使命上
子供コーナー・読み聞かせ室は存在せず
児童書の品揃えは貧弱です 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 >>179 何かを否定する、批判・分析するという行為も時には必要だけど
日本の教育と塾の世界では、プロのお手本を参考にして批判をすることが少なすぎる。
将棋や囲碁やスポーツの世界では、教える人がプロの試合を見る。 >>178 大学の図書館に行くのは優秀な児童だけでいいと思うよ
児童に大学の難しめの本を解説することで
教える教師の人も賢くなる。 自分が通ってた大学は、理工系と教育学部が同じ図書館使ってたから
児童向けの科学の実験の本がけっこう多かったよ。
狭い個室で個別指導でテスト勉強するくらいなら
大学に遊びに行って、興味あることの本を読んでほしいよ。 >>177
馬鹿と天才の違い 馬鹿が駅弁大学に入っても馬鹿は馬鹿だ例に出すのが間違い。 ちなみにファラデーは代数学を苦手としてた、
マックスウェルの数学レベルには遠く及ばなかったよ。
ファラデーはデービーの科学実験の正確なスケッチをしたのが良かったんだと思う。 ファラデーと言えば、「ロウソクの科学」で
日本製のろうそく、和紙でできたロウソクに感動してましたよ。
やっぱさ科学するには、部屋にこもってテスト勉強は最低限にして
外でいろんな体験をしたほうがいいんじゃないのかと思う。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 喜怒哀楽というと、日本の英語教育は喜怒哀楽の感情表現がない。
教科書の英文の中の登場人物の喜怒哀楽ではない。
英語がわからない人の感情表現がまったくない
英語教育に対する不満や、英語の教師に対する不満を英語で語る人が全くいない。 アメリカや英語圏の人は、進路相談や
学校生活の不満を英語で訴えますよ。
一方日本の学校教育では教師も親も、英語で生徒のことを語り合ったりしませんね。 オーストラリア戦略政策研究所
中国共産党軍の科学者がその素性を隠し米国豪州などの大学「共同研究」を行い軍事転用目的で
先端技術を持ち帰っている、知的財産を盗み本国に送るスパイ活動に従事していると警告。 日本の将来を考えるなら、たかが技術に毛の生えた程度を科学(者)などと呼ぶべき
ではない。
また、自分の独創的な思想体系を築けないものを哲学者などと呼ぶべきではない。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 基礎研究をおろそかにするヤツはノーベル賞とれへんで 中国共産党のなりふり構わない自由先進国からのハイテク技術・人材の強奪が元凶の
米中の貿易戦争は単なる貿易赤字の問題ではなく世界における米国のハイテク覇権を
維持するための戦争に拡大した。究極の資源とはハイテク技術とそれを支える人間な
のだ。 朝鮮人の思想は自分達と考えが同じなら善人とし、考えが違えば悪人という。
検察、裁判所は大衆と被告の反省程度によって量刑を決める無法の韓国社会
日本、市場経済、経済的自由に言及すれば極右にされる、共産主義の実験場。
慰安婦、朝鮮労働者問題で日韓基本条約を反故に不当な要求する国と国交断絶せよ。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 具体的な思考・考察の対象のない
自己啓発系の書き込みは物理学の掲示板にはふさわしくないですよ、
親が自信ないよりも、
自信満々に仕事を語るほうが教育上マシな気もしますけど 親が読書を楽しむ習慣は大事そうですけど、
テレビ番組を見るよりも
youtubeさんで、物理学や数学の講義の動画を食事中に見たほうがいいと思います。 それと食事のレベル、大学で研究するには体力があることが大事です。
睡眠時間を削って、無駄なお金を使って塾に通うよりも
家庭の食事の内容と、食文化のレベルを上げたほうがいいと思います。 液体の動圧は気体に伝わらない
この発見で私はニュートンクラスの偉人 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 数学者森毅さん。
管理はえーかげんがええ
天才を作るなんて無駄なことやめなはれ 義務教育って、最低限度の文化的生活をするための
基礎知識を身に着けるもの
学校が終わって放課後に無理にテスト勉強するほどのものではない。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 ノーベル賞物理学者に子供を育てるのは無理だけども
学問が好きになるには「知的な飢え」という感覚は大事だろうと思います
朝長振一郎博士 つまらない情報のつまみぐいばかりしていると
本当においしい情報を、おいしいと思えなくなるんじゃないか・・と言ったました 朝長博士は、哲学者である父親に「子供が書斎に入って本を読んではいかん」と
言われて育ったのです。
外で遊んだり、ガラスを溶かしてレンズを自作したりしてたんですよ。 そりゃ単なるの「ナワバリ」「遊び場」の話だろ
科学雑誌を買ってもらってたんやで 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。 人間は他人に迷惑をかけずには生きられない。
逆に言えば他人から当然のように迷惑をかけられながら生きるしかない。
どちらの可能性も引き受けること。 夢を持つなんて本来子供の使う言葉やで。
そういうものがあったとしても、ええ大人が人にひけらかすようなこっちゃない。 自分の人生と自分が関わる世界にどのような未来が待っているか誰にも分からないということを受け入れること。 人生に過剰な意味づけをしないこと。
それが分かれば、他人のことを詮索することも主観を押し付けることもない。 人生を楽しむなんてことをやたら力こぶを入れて強調する奴もなんだかなあって感じ。
それは生きる過程においてそういう瞬間も訪れることもあるってぐらいのことで、的にして追いかけるようなものじゃない。 教科書はつまらないからレベルを少し背伸びくらいのトピックを教える。図解のある 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 この世の不条理を受け入れること。
その強さがあればこそ自分を高めることができる。 あとは全力でいい加減に生きるこっちゃな。
それで世の中ちゃんと回るようにできてるんだから不思議なもんだ。 まあ世の中なんてそんなもんだ。
自分にできることなんてたかが知れている。
嘘にまみれた世の中だが、そういうものと諦めて自分のことだけ考えて生きていくしかないな。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。 めんどくさいけど付き合っていかなあかんにゃなあ。やれやれ。 wDEWKx0PtUg
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今の世の中、何かをやったつもりになってる奴ばっかりだ。 俺の思うがままwそろそろ終わりが見えてきたな。やってられへんわ。 通すべき筋さえ通せば、後は何やってもいいよ。
誰も自分を否定することはできない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています