>>153
>>147は少し言い方が悪かったかもしれない
大数の法則で、一回一回の試行における「確率」と、無限回の試行の後の「相対頻度」は(ほぼ確実に)一致することが言える
頻度主義の立場では、これを逆に使って、その試行を無限回行ったときの相対頻度をもって、一回一回の試行における確率分布を定義する
だから頻度主義の立場では、無限回の試行の後の相対頻度も、一回一回の確率も、同じもので区別する理由がない


あとさっきから気になっていたのだけれど、「実験で「定義」される確率というのはおかしい」って、一体なにがおかしいと言いたいの?
何らかの実験データを見て、それに基づいて確率分布を一つ定義する、というのは何もおかしくない操作だと思うが
(歪んだコインを100万回投げて60万回表が出たから「P(表)=0.6, P(裏)=0.4」となるような確率分布を定義して以後はこのコインの裏表を予測するのにこの確率分布を使おう、というのはおかしい?)