>>150
大数の法則だけじゃ、「個々の測定値がばらついても相対頻度は一定値に(ほぼ確実に)収束する」とは言えない
何故ならば、現実に物理量の測定値が「何らかの確率分布に従って分布している」と考える根拠は元々はないから。

Bornの確率規則の役割は、
・物理量の測定値はある確率分布に従っているとみなせるということをまず述べ、
・その確率分布の具体的な形を与えている
であると清水先生は言ってるんじゃないか?
この第一項目と大数の法則を組み合わせることで、相対頻度が無限回の実験の後に(ほぼ確実に)一定値に収束することが言える

>>151
実験科学である物理学では、実験できない概念は無意味
物理学で「誤差のない測定」と言ったときは普通、「誤差を小さくすればするほど、誤差のない場合の測定結果に近くなる」ことが暗黙の内に仮定されている
(そうでなければ、「誤差のない測定」そのものは実現不可能なんだからその理論は現実の実験に対して何も述べていないことになる)
この暗黙の了解の下では、「誤差のない測定」も「誤差が無視できるほど小さい測定」もほとんど同じ

まあ多分ここは、「誤差のない測定」って書いたら「そんなもの現実に存在しないじゃん!」ってツッコミがきそうだから適当な補足をつけたって感じだと思うけど

>>152
確率論の公理だけ決めても、その下で現実の物事に対してどのような確率分布を使うかは色々な立場がありある
主観確率とか、頻度主義とかね
ここでは確率というものを頻度主義の立場で使いますよ、と宣言しているだけだと思うが

あんまり関係ないけど「頻度主義」でググったら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E7%A2%BA%E7%8E%87
> 典型的な客観確率は、ある事象が起きる頻度の観測結果に基づいて、無限回繰り返した際の極限値として定義されるものであり、頻度主義といわれる。
と、ここでも「定義」という言葉が使われてはいるな(所詮wikipediaといえばそれまでだけど)