なぜ慣性(質量)は時空の歪では駄目なのか?ということである。
つまりなぜわざわざヒッグス機構を導入しなければならないのか?
さらに時空というものがありながら、なぜダークマターやダークエネルギーを必要とするのか。
もちろんそれはエーテルに取って替わった相対論の時空に汎用性がないからであろう。
ならばそれは科学史が証明しているように、かつてのフロギストンやカロリックの轍を踏んでいることになる。
いずれにせよ相対論の時空が力不足ならば、エーテルの二の舞いどころか三の舞、
四の舞いと科学者は永遠に舞い続けなければならないことは明らかだ。