ディラック流に言えば、相対論と量子論を整合させようとするとき
どうしても必要になる自由度、ってことかな。朝永さんの
「スピンはめぐる」の受け売りだが。
古典力学的に考えた場合、電子の自転に似ているところもあることはあるが、
それは単なる偶然の一致であって、電子の自転と考えるのは
もちろん正しくない。
古典力学的イメージで考えることができないことを「思考停止」
と呼ぶのならば、量子力学そのものが既に思考停止なのだが。