>>946
ゴジラとは全然違う

ゴジラやその他の東宝特撮怪獣達というのにはそれを凌駕する対立概念が存在しなかった
強さの最上位に位置するのが怪獣でありそのパワーは圧倒的だった
だからこそそれに対抗する非力な人類が科学やマンパワーを駆使して倒すことにカタルシスがあったわけなのだ

ミニマム化されているがウルトラQも全く同じ構造だ
人類の手に負えない厄災をなんとかで克服するといういうのがゴジラ以降の東宝特撮怪獣映画の基本格子だ
コテンパンにされた人類が最終的に逆転する物語であって怪獣がコテンパンにされる物語ではない

ウルトラマンと比較的構造が違いのは「キングコング対ゴジラ」「フランケンシュタイン対地底怪獣」だが、そこでも怪獣に自力で互角に対抗できるのは怪獣だった
互角だから「どちらが強いのか」「どちらが勝つか」というところが物語の焦点になり得たわけだ

しかしウルトラマンの力量は怪獣のそれを圧倒的に上回っている
だからこそ活動限界というアキレス腱を設けたのであり、ウルトラマンが登場した時点で既に怪獣は最強の座を退いているのだ

最後にウルトラマンが控えている以上、物語の序盤で怪獣がいくら大暴れしてもそれはもはや前座の余興みたいなものだ
ウルトラマンにコテンパンにやられるまでの繋ぎであり様式美に過ぎない
最後には毎回無残に爆砕されたり輪切りにされたりするだけの悪者に憧れる子供はいないのだ

ウルトラマンはそれまでの分厚い東宝特撮怪獣達が作り上げた怪獣の価値を担保にして作られた対照的ヒーローだった
そしてその立場は一瞬で逆転して怪獣の方が絶対的ヒーローの対照的存在になってしまった
ウルトラマンによって主役の座から強引に引きずり降ろされてしまったのだ
だからセブンではもう怪獣の価値を担保に物語を作ることが不可能だったのだ