第3次怪獣ブーム その5【無断転載禁止】
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ここは1978年頃から80年頃にかけて発生した第3次怪獣ブームのスレです
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 79年から一気に特撮本数少なくなってるから
まだ76年〜78年の方がブームなような気がするんだけど… 79年は「ザ☆」がアニメ化されてしまったのが痛かった
この年の特撮は、まだ続いていた「コセイドン」
「メガロマン」「スカイライダー」「西遊記U」
忘れちゃいけない「バトルフィーバーJ」 あとアニメとのコラボだが、「タンサ―5」もあった
な〜んだ、結構あるじゃん
翌80年は「スカイ」 → 「スーパー1」
「ウル80」「野球探偵団」「デンジマン」
洋モノだが「アトランティスから来た男」
「猿飛び佐助」「黄土の嵐」
ヒーローもの以外含めると結構ある ごめん、「Xボンバー」も80年だったね
続く81年は「80」と「スーパー1」が終了
完全新作は「サンバルカン」と「ロボ8」くらい
洋モノの「ギャラクチカ」を含めても、本当に少なくなってしまうんだなぁ タンサー5は円谷恐竜シリーズの枠だけど、アニメ主体で円谷は下請けだっけ確か タンサー5の特撮は円谷ではなく、特撮研究所が手掛けていた
当時、特撮研究所に身を寄せていた、佐川和夫監督が手掛けていた 81年はひょうきん族が始まって、タケちゃんマンが人気を集めたな。
76年のデンセンマンみたいに、正統派ヒーローが廃れるとああいうパロディヒーローがヒットする法則。 タケちゃんマンてパロディをやるための装置なんだよな
80年代にいきなりグレートレースのパロディをやってしまうとか、何故?と思うんだけど、イコンとしてのヒーロー物のパロディが先にあるからものすごく自然に見える
そして当時のヒーロー物よりも二回りぐらい古いセンスってことも普遍性を付加するアクセントになっている 3次はウルトラマン、ライダー復活のためのブームだった。
だから、新作と共に80年に終了。
新作がかつてウルトラやライダーをリアルタイムで観て成長したヤングに評価されてたら
ブームは続いていたかも知れないが、ハリウッドのSF映画とは比べられない2次ブームの延長だったため終わってしまう。
だが、時代背景にアニメブームとハリウッドのSF特撮が健在であったため、
3次で復活が間に合わなかったゴジラ待望論が起こる。
この84年に復活した新作ゴジラもウルトラ、ライダー同様評価がイマイチでブーム復活にはならなかった。
火が消えたかと思われた日本特撮だが、子供の時にリアルタイムで観たものがマニアとなり支えた。
「ヲタク」の誕生である。
オタクの物欲は3次の頃の書籍からビデオ(映像)、立体資料としてのフィギュアとなり日本特撮アニメを支えていくことになる。 ( ^ )o( ^ )つ
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(_) (_) メガロマンといえば、昨日の「アンサングシンデレラ」にメガロマンの母・獅子堂マリ = ローズマリー役の高林由紀子さんがゲスト出演していました
お元気そうでなによりです メガロマンって「メガ・ロマン」だからケーキ屋か何かかと思ってググったら
髪の毛が生えたウルトラマンが出てきた、なんて笑い話はよく聞く テレ朝が陰でフジが陽の時代
オタクはテレ朝東映の影響が強いので陰
なので宮崎勤が出るとフジ全盛期の風土に染まった一般ピープルから非常に叩かれた 最近は、オタクの地位が高いが
テレ朝の視聴率が高くフジが低いことと何らかの関係があるはず >テレ朝が陰でフジが陽の時代
だからフジは、「]ボンバー」で「デンジマン」に勝てると思ったのかな?
どっちも特撮ファンが観たかったので、デンジマンの視聴率落ちて当然と思いきや、殆どのファンはデンジマンを選択した
お子様人気でも圧勝だったからね 「]ボンバー」は東映特撮嫌いの特ヲタは観ていたみたい
でも持ち上げていた「スターログ」の読者はあまり観てなかったみたいだ
誌上ではほとんど話題になってなかったし
当時まだ少なかったフィギュアファンは観ていたようだ
ラミアの人形が人気だったし 「スターウルフ」の時、日テレの番宣CMの力の入れようは凄かったと思う
「実写と特撮の組み合わせ」とか当たり前のこと主張していたけど
裏が「スタージンガー」だったのが痛かった
ヤマトの再編集版がヒットして、松本アニメだったことと、スタージンガーの方がお子様には断然わかりやすかったしね 「メガロマン」の時のフジテレビの番宣も凄かった
途中「特撮怪獣映画メガロマン」「炎の超人メガロマン」と2度も改題したし
怪獣軍団前後編の時もわざわざ特別に番宣していた
裏が「ルパン三世」だったのが痛かった
奇しくも、日テレがスターウルフの時のリベンジ果たしたんだな 第2次と第3次の間では、「太陽にほえろ」や「必殺」に嵌る子供が多かった
個人的には所謂超常現象ものに嵌ったな(ドラマではないけど)
12チャンネルでやっていた「ビックリ大集合」とか、日テレの木曜スペシャルで矢追さんがやっていた「現代の怪奇シリーズ」とか
「私はUFOにさらわれた」とか、すっげー怖かった思い出
「ビックリ」で地底人の特集やっていて、撮影されたという地底人の写真が、どう見てもアーストロンの着ぐるみだった
洞窟の奥で目を光らせ、口を大きく開けていたが、誤魔化しようがなかったな
円谷から着ぐるみ借りてきたのかな? >>254
織田無道自体が特撮に出てもおかしくないリアルキャラだった
謹んでご冥福を・・・ ストロンガーBlu-ray発売されたことで
またBlu-rayで3次ブームのウルトラとライダー後回しにされて残った… よく考えると、宅八郎氏は、第3次怪獣ブームを牽引していないね
宅氏はもっと後だった
間のレトロブームを牽引したのは、泉麻人氏だったね 第三次ブームのきっかけを作ったのは竹内博とか池田憲章とかあの辺かな
当時はマニア代表の解説者みたいなのがTVに出る時代でもなかった
泉麻人も同世代ぐらいだけど、彼の場合は『ナウのしくみ』で一般にコラムニストとして認知されてからTV進出した感じか テレビバラエティでは特撮やスポ根ドラマのワンシーンが抜き出されて笑われるようになった。
それはマンガや芸人らもこぞって推進していた。
こういったことに目くじら立てる「おたく」もいたのだろうし、採り上げられる作品や場面が毎度のワンパターンな事に物足りなさを感じる事もあったろう。
昭和特撮との関わりに限って言えば、泉麻人やみうらじゅんらはそういう時代とタレント性の強さがフィットしていた。
みうらがよく言及する旧友トット・リーの生態は典型的な旧世代おたくで、彼をからかいながらも遠ざからないスタンスは今も続いている。
泉麻人は見た目も声もいかにも虚弱体質(で元肥満児)というルックスが世間に与える印象をキチンと弁えていた。
そんな彼らよりタレント性で突出していた宅八郎は、ならば特撮との関係は?と問われた場合かなり曖昧で
単なる気まぐれで無意味な嫌がらせのような行為をだんだんムキになって本気で演じてしまった(そしてフェードアウトした)ようにも見えた。
真性の特撮マニアからすれば彼らを見てても著書を読んでも知識が深まらない不満はあるのだろうけど
世の中の流れと特撮がほとんど分断されていた時代に活躍した人物として興味深い。 75年が特撮の終息扱い受けるのは円谷や東映のテレビヒーローよりも
やっぱり原点になる20年以上続けてきた東宝怪獣映画の終了が致命的でそれの印象が大きいんだろうな…
そしてその二年後にスターウォーズやエイリアンや未知との遭遇など多くの洋画がヒットしたのもまずかった 「洋画」と圧倒的に差をつけられて、やがて香港にも負け
日本映画自体が低調だった80年代とは言えいいとこ無し。 当時はジャッキーを始めとしたカンフー映画の人気が最高潮だった記憶 そういう武侠の流れの系統やノワールばかりではなく、ファンタ系作品でも負けてた。 スターウォーズのみならず「グレムリン」「バックトゥザフューチャー」「ネバーエンディングストーリー」と夢のある作品が乱立してたからなぁ
怪獣映画の出る幕は無くなったよな そのSFブームに乗って失敗したのが円谷のスターウルフ >>269
グレムリンやネバエン、ゴーストバスターズあたりがいわば80年代の怪獣映画だよ
日本は作る方も見る方も60年代から脱却出来なかった
>>270
あのタイミングでは老舗として黙っているわけにはいかんかったってのも理解は出来る
テレビ特撮としちゃ頑張ってんだが、やはり当時の日本の技術じゃ
メッセージの深作欣二曰く「竹槍で機関銃に立ち向かう」ようなもん
そこをどう見るかだな 既存の特撮番組的製作体制の中でスペースオペラをやろうとしたことが間違い
もしもあのとき新たな方法論を確立できていたらその後の特撮番組にも何らかの変化はあったかもな
宇宙刑事シリーズが終了しても相変わらずマクー空間で戦うメタルヒーローみたいな状態って云うかw 第1次では「キャプウル」がスぺオペに挑戦していた
後半は例のごとく、怪獣ものになってしまったが・・・
セブンも怪獣ものの中で、宇宙ものにも果敢に挑戦していた
他は巨大ロボものの「ジャイアントロボ」も、時代劇の「赤影」も、妖怪ものの「悪魔くん」も、皆、怪獣ものになってしまったが
第2次は特撮ではスぺオペものは皆無、アニメは「ゼロテスター」や「ヤマト」があった
エースやタロウではワープするシーンがあるんだけどね
やはり、第3次では今までのスぺオペものに対するノウハウが圧倒的に欠けていた
「マイティジャック」みたいなメカものも、ヒット作あったら、継続で来ていたんだろうけどね 要約すると、第1次は様々なジャンルに挑戦していたんだけど、皆、怪獣ものに集約されてしまう(「戦えMJ」も、後半は怪獣ばかりだ)
スぺオペものに必要なメカもののノウハウが欠けていた
ウルトラその他で円谷は防衛隊のメカたくさんだしていたけど、皆、怪獣やヒーローのかませてき存在だったしね
「惑星大戦争」や「メッセージ」の宇宙の描き方も、キャプウルの時から進歩なかったからね Pプロの幻の作品になってしまった「シルバージャガー」も、時流を狙ったのか、スぺオペになる筈だった
パイロットを見る限りじゃ、本作品の描く宇宙もキャプウルから進歩していない
Pプロはジャガーマン、ひょうマンの企画をライオンマンとして実現しようとしていたが、現代劇では所詮、仮面ライダーの亜流になってしまうからと時代劇にシフトしてライオン丸が出来た経緯がある
一応、時代を見る目はあったんだね 時代を見る目があったらスターウォーズの時代にアニメ合成でやろうなんて考えねえよ
そこ言ったら依然吊りやミニチュアで特撮つう日本自体がおかしいわけだが >依然吊りやミニチュアで特撮つう日本自体がおかしいわけだが
日本特撮をボロクソにし続けていたスターログ読者も同じことを言い続けていた
確かに日本の特撮は、伝統の手作業に頼り切りだった
新しい道具に頼らなくても、伝統があるから、充分だと
でもSWだって吊りやミニチュアは使われている事をスターログ読者は気づいていなかったよね
コンピューター画面上で背景と合成していたから分からなかったんだろうけど
ミニチュアを固定して、カメラの方を動かす撮影手法は、既に「宇宙大作戦」の頃から使われている手法だから、決して新しいものじゃなかった
日本でも、むか〜しから使われていたスクリーンプロセスという手法が、「精霊の守り人」では「スクリーンプロジェクター」という名で復活した
道具が新しくなったので、形を変えてまた使える様になったと
いずれにしろ、当時の日本にはスぺオペを描くためのノウハウに欠けていたからね
きっかけもなかったし・・・ ところで今の日本の特撮は、スぺオペに関してはどうなんだろうね?
スぺバトヤマトは殆どCGだったし、ウルトラの「ベリ銀」は結構頑張った方だが、如何せん、ヒーローを描くのに必死だったようだ
SW風のドッグファイトは、最近、例があるかな? スペースオペラは本来ハードコアなSFよりも一段下がる漫画的なSFを指す言葉だったが、今やひとつのジャンル的系譜を形作る流れになったわけで、科学的考証よりもケレン味を重視するアニメからのビジュアル的フィードバックを得た現代の和製スペースオペラは、ひとつの指標として作っておくべきだよね
甘えや妥協を絶対に許さずに本気で作るって前提で >>275
仮面ライダーの亜流にならないようにと時代劇にシフトしたのは「変身忍者嵐」も同じ
ただ、裏番組がとんでもない怪獣番組(このころはそれ以上の超獣)だったからね バロムワンも仮面ライダーの亜流にならないように、さいとうたかお原作を選んだ
さいとう先生は、本来SFやファンタジーが好きだったんだけど、時代が劇画しか許さなかったとか
石ノ森先生が羨ましかったと語っていたことある >>280
Aがある程度こけたから、裏の嵐や黒べえがそれなりに健闘したわけで >>282
どこらへんが?ある程度ってどれくらい?
路線迷走は巨額の経費が問題視されたからと新規の幼児層に対する方向指針からで
物販や視聴率はコケたというほど落ち込んでいない
だから後半延長されたし続くタロウも企画された
健闘したと言えるなら嵐の後も特撮変身アクションのはずだし
まして安価なアニメの黒ベエが半年で幕などあり得ない スターログといえば、戦争映画「連合艦隊」の特撮が古すぎると一人の読者が投降したことで、特撮論争が持ち上がった時、あったね
「吊り特撮なんて、アマチュア特撮」「無形文化財」「コンピューターを導入しないと、世界に取り残される」「東宝特撮とILMの差を見ると、虚しい」と反対派
それに対し「日本はわが道を行けばいい」なんて保守的態度をとる人もいた
そもそもSWと戦争海戦映画を較べられても、ジャンルが違うだろ?と思ったけどね
因みに、特撮監督を務めた中野昭慶監督は、当時は「アメリカ人は手先が不器用」「日本には伝統の吊り特撮がある」と否定的態度だったけど
今世紀初め「すたーぼうず」の特撮監修を務めた時は、最新のデジタル特撮技術に夢中になっていました
人間、年を重ねれば、丸くなるものだなぁと・・・
中野監督は、今でも建材らしいね、なによりだ
個人的には、「ゴジラ対メカゴジラ」と「首都消失」の特撮が気にいっている >>284
投降 → 投稿
建材 → 健在
変換違いも甚だしい、失礼しました 円谷は「ザ☆」を途中からサンライズに丸投げしちゃったみたいだけど
東映は、長浜アニメのプロデューサーだった鈴木さんが、当時培った演出等を後年、スーパー戦隊に取り入れている
丸投げしてなかった証拠だね バトル以降の戦隊のルーツも元は日本版スパイダーマンなんだよな
>>283
ていうかコケたなら一年間続かないで打ちきりだからな…
最近のにわかってコケたって言葉好きだな >>282じゃないけど俺もエースはある程度コケてると思うわ
初期の設定は中盤で殆ど無くなりダン少年もいきなり退場、超獣という呼称だけは最後まで頑張ったけどタロウ一話であの扱いだし
当時の円谷の看板シリーズが打ち切りなんて相当なことが無い限りありえんだろう
とは言え無難にいかず果敢に挑戦したエースは昭和ウルトラの中でも意味のある作品だと思う >>287
そうだよね、ゴレンジャーとジャッカーは、ルーツのひとつに過ぎないと思う
スパイダーマンに石ノ森戦隊と前にやっていた長浜アニメの要素、その他を加えた感じだった
鈴木さんがメインプロデューサーになってから尚一層、顕著になったよね スーパー戦隊ってな要するに玩具売るための番組だから
ロボ視点ならそりゃ石森戦隊とBFJ以降は明らかに違うわ
スパイダーマンでのロボ投入もどう考えたって物販対策なんだし
遡れば17での玩具記録的成果、視聴率壊滅って実績なんだから 17は喋るようになってつまらなくなった。
未知のロボット生命体ってのがよかったのに。
その割には最終回は特攻とシリアスだったけど。 >>288
南とヤプール退場が痛かったね。どちらも売りだったのに。
メインライターの市川氏も余り書かなくなっちゃうし。
3クール以降は突然現れていつの間にか消えたダン少年とか、
ヤプールじゃない宇宙人が超獣を連れてきたりとか、本当に迷走してる感じ。
ヒッポリト回で子供がAの人形を叩きつけるシーンがあるけど
終盤になるとスタッフもそんな気持ちだったんじゃないかな。
もうAは捨ててタロウに賭けよう、ってね。
よく最後まで完走したもんだと感心するよ。
これもウルトラのブランドだからこそなんだろうね。 >>288
>>292
路線変更は結果じゃなく過程だから
反響が思ったほど出なかったものに固執してたら動脈硬化起こして気が付いたら手遅れになる
相当のことがあり得るから打ち切りが検討されたわけで、夕子とヤプールの降板もその代償
ダン(ウルトラ6番目の弟)にしたってタロウが決まったからの退場で、本来Aで打ち切るための布石
(いわゆる明日のA=次のウルトラマンは君だって意)
路線変更が失敗を意味するなら同時期の仮面ライダー〜V3も失敗してることになる
(むろん、負傷による主演の交代の件ではない)
2年半続いた怪獣や宇宙人を幕にして怪奇犯罪へ移行せしめたセブンは言わずもがな
迷走はただ見るだけなら見苦しいだろうが
それがどうなったかまで見なければ全体は語れないんだよ
現場にやる気がないならそこで終わってる
ウルトラはそれだけカネがかかるんだから、殿様商売出来るほど安楽なもんじゃない
でなきゃ打ち切りの話なんかそもそも出たりするもんかね 今でこそ要素やネタが話題になってるAだけど当時の路線変更だらけの失速は歪めない
>>269
まさか40年後にそのスターウォーズがディズニーと下請けになってしまったために
あぁなっちゃったとは思いもよらずだけどね… >>294
とりあえず女を活躍させとけ路線と過去作の栄光に依存するって点でエースとディズニー
ウォーズは共通する エースは好きな人いるからいいがスターウォーズは…
ローグワンは良かったんだけどね…
エピソード789でまさかまさかのどうしてあぁなってしまったのか 76年はゴレンジャーやロボコンがあったが
77で一旦ストップ
7879年でアメコミや宇宙からのメッセージと提携してや宇宙の影響受けで随分変わったな
70年代本当に怒涛の10年間だな 第2次怪獣ブームは、ウルトラとライダーの終了と共に終わったと言われているけど、特撮もの自体は減っていなかったんだね
ゴレンジャーやロボコンが人気得てたし、東映以外でもバンキッドやバトルホーク、ガンバロンなんかあった
「BD7」や「それいけカッチン」「ここは惑星0番地」なんかも含めりゃ、結構な数放送されていた
それがアニメブームやSF映画ブームの時に起きたと言われていた第3次ブームの失敗により、特撮ものは激減してしまったと思われた
今思うと、そうでもないんだけど、やっぱりウルトラとライダーが出足で躓いたのが痛かった
逆にゴレンのあとのジャッカーの失敗で、スパイダーマンの後釜みたいに始まったスーパー戦隊は、ブームなんてどこ吹く風、マイペースで継続されたみたいだった
もっとも、スパイダーマンの時は「特撮ものの火を消してたまるか」の思いだっけど
継続したおかげで、宇宙刑事や仮面ライダーBlackを登場させられたしね 特撮がスターウォーズによって一般にまで着目されたからなまなかなもんでは納得されんかったのよ
ウルトラマンも仮面ライダーも斜め上で自分の首を絞めた
戦隊は企画的には別に帰ってきたゴレンジャーってわけではないし
そもそもがロボ玩具拡販の番組だからブームとはぶっちゃけ関係ない
そんなわけで戦隊に加えメタルヒーロー→石森抜きライダーと展開出来た
過去に囚われてなきゃ(=ビジネスに徹してりゃ)ウルトラもライダーもこの時から延々続いとるよw ブラックは最初はよかったけどRX末期には昭和ライダーが出てきて
2期ウルトラと同じ羽目になる >>300
結局のところヒーローとして何がカッコ良さなのか?何が強さなのか?を間違えてしまったんだろう
歴代ヒーローが全員集合で悪い奴らをフルボッコにしてもカッコよくも強くもない
不利な状況でも立ち向かう勇気、彼さえいれば大丈夫と言う圧倒的存在感
それがヒーローのあるべき姿なんだと思う ボスガンなどのデザインと造形は良かった。
幼稚な内容にするにしても、キン肉マンのようなまるで出鱈目なのに子供心を惹きつける絶妙なバランスはなかった。 一期ライダーの魅力は立花のおやっさんを演じた小林昭二の愉快な力もデカイ >>300
内容のダルさは少し二期ライダーに戻っちゃったよな….
敵はネオショッカーやドグマよりは見映えはあった >>298
2次の終わりは怪獣ブームを引っ張りすぎた結果だよ。
終わった怪獣をSFブームから懐古ブームで復活させたのが3次。
懐古で流行ったのに2次の着ぐるみショーで新作作ったからSF作品としての評価が得られず3次は終わってしまう。 良い先生との出会いは人生に良い影響を与えてくれる。
1977年のコロコロ創刊からドラえもんが俺の中にも復活した。
コロコロから復活した内山ウルトラマンを始め、ドラえもんが未来を教えてくれた。
当時は学生だったのでブームに貢献出来なかったが、大人になり趣味の怪獣(特撮)を
生業の傍らに良い人生を過ごせた。もうすぐ還暦だ。
思春期に第3次という師に会ってを本当に良かったと思う。
生まれが5年前後してたら、今の俺はない。
ありがとう。第3次怪獣ブーム。 でもまあ3次ブームがあったからこそ、ウルトラ怪獣が定番キャラクターとして定着したんだよな。 ケイブンシャのウルトラマン大百科のおかげで俺の人生は狂った(笑) コロコロに再掲載された内山マンガとかの影響も大きかったかと ゴレンジャーはゴジラ、ウルトラ、ライダーの終了1975年に始まったが
集団ヒーローはすでにガッチャマンなどがいたから
バトルフィーバー以降のおかげで「馴染み深い」はあったが「衝撃的面」はなかったんだろうな…
そして東映という会社のヒーローの二番手ってのは変わらない
大映のガメラもどうしてもゴジラの二番手になっちまう 戦隊モノが長寿になったのは何次ブームとかと別の流れからだろう。
フィギュアブームでも戦隊モノは蚊帳の外だからね。 >>307
特撮ヒーロー番組はあまりにも幼稚だからなあ。
そりゃ高学年で卒業してアニメに流れちゃうよ。
アニメはうまい事卒業させないような流れを作ったね。
作品内容がハイティーンにも通じる内容だったから。
ヤマトから始まりガンダムにより
「わたしたちはこういうのを観てても恥ずかしくないんだ」
っていう自信みたいなのを増長させてくれる作品がアニメにあった
つまり「幼稚だから」と卒業をさせないジャンルになった。
特撮作品なんて三次になってさえあんな感じだったからな。 >>317
3次ブームの特撮はハリウッド映画がベースで始まった。
スターウォーズがヤマトと同じスペースオペラだったので特撮に飛び火したの。
だが、当時の日本特撮はハリウッドと比べられるものでは無かったので、
この流れから懐古でウルトラ、ライダーとキャラクター路線に変わったのだよ。
懐古なら昔のモノということで特撮が未熟でも許されたということさ。
ところが、世の流れは新作が要求され、80とスカイライダーが作られる。
しかし新作は海外SFとの比較で低評価となり第3次ブームは終了してしまう。
これが3次怪獣ブームの事の始まりと終わりである。 第3次の頃はスぺオペはダメでも日本には怪獣やヒーローがあると
そっち方面に流れたというのは判る
でも、それって逃げじゃないかって、今気づいた
その頃、日本特撮も敢えてスぺオペに挑戦すればよかったものを・・・
と言っても、海外SFXの方法論じゃなければ世間を納得させられなかったというものがね・・・
別の意味で挑戦し続けてきたのがスーパー戦隊だったね
当時は巨大ロボの変形合体はアニメの独壇場と言われてきたのに、敢えて挑戦し続けてきた
結果、実写特撮で出来ない変形合体はなくなったとさえ言われている
実写でやっているのだから、もはやアニメの独壇場ではない
逆にアニメはリアルロボ路線へと流れてった
幼稚だろうとなんだろうと、継続は力なりを示した、日本特撮の意地だったと言えるだろうね スぺオペに77年暮れ78年正月映画で挑戦して敗戦しただろう。惑星大戦争だ。
当時の日本映画が二番煎じをしないわけがない。
東宝はスターウォーズでこんなの昔から作ってたと時代錯誤の特撮技術でスターウォーズが来る前にスぺオペ作ったんだよ。
久々の東宝特撮でこの宣伝が過去に東宝、円谷はこんなの作ってましたとゴジラ、ウルトラが想起されるきっかけになり、
惑星大戦争玉砕が第3次スタートのきっかけと言ってもいいくらいだ。 ちなみに東映も78年春に宇宙からのメッセージでスターウォーズ公開前にスぺオペの挑戦してるよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています