昭和ゴジラシリーズ7
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当スレの該当作品
1954年 ゴジラ
1955年 ゴジラの逆襲
1962年 キングコング対ゴジラ
1964年 モスラ対ゴジラ
1964年 三大怪獣 地球最大の決戦
1965年 怪獣大戦争
1966年 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
1967年 怪獣島の決戦 ゴジラの息子
1968年 怪獣総進撃
1969年 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
1971年 ゴジラ対ヘドラ
1972年 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン
1973年 ゴジラ対メガロ
1974年 ゴジラ対メカゴジラ
1975年 メカゴジラの逆襲
1984年 ゴジラ
■注意事項
荒らしはスルー推奨。反応する人も同類です。
特定の作品及びシリーズを貶める発言は原則禁止でお願いします。
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「1984年ゴジラ」は「ゴジラの逆襲」〜「メカゴジラの逆襲」と別世界の設定ですが、
昭和特撮であるため 、 このスレでも扱い可能とします。
前スレ
昭和ゴジラシリーズ6
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/rsfx/1488361055/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured うるさいっ!しつこすぎる!ガチャン!
えい!えい!えい! うるさいっ!ふるすぎる!ガラケ!
えい!えい!えい! 誤変換って要は情報機器を使いこなせない獣並みの知能の持ち主って事だろ 有川貞昌他、当時の特撮スタッフがのちに語っていることのひとつに
「オヤジ(円谷英二監督)はゴジラでやりたいことは『ゴジラの逆襲』でやり尽くした」
という証言を最近知った。「円谷の中では、すでにゴジラは2作目で終わってたの?」
その後のシリーズに付き合った我々にしたら「それはないんじゃないの」とも思うが
巨匠と呼ばれる監督には「一度やったことは2度はやらない」という人がよくいる
円谷は根本が発明家で「これからの特撮には電子技術技術を取り入れるべきだ」
などと、フィルム全盛の時代にとんでもないことを言ってるくらいの人物で、
特殊技術の多様性、可能性を追求し続けるのが本意だったろうから、同じジャンル
の作品を無難に繰り返しても意味がないという考えだったのかもしれない。ただ、
特殊技術の道に進む時に影響を受け、かつ、終生敬愛していた1933「キングコング」
そのコングを日本に招致しゴジラと対戦させるという映画の企画を提示された時には
円谷英二も「ここは是非」と大いに意欲が湧いてきたのではないだろうか?
結果は予想以上の大ヒットとなり、東宝はこのドル箱シリーズを手放すはずもなく、
世界中の観客にも受け入れられ、多くのファンが次回作を熱望する事態となっては、
シリーズ化はもう誰にも止めることはできない、と、そういう流れだったのだろう シャドウをぞんざいに扱ったことが問題だろ。シャドウは最初から改造魔人引き連れてクーデター起こす気はなかっただろうし >>635ってなんでこんな粘着して>>628を煽ってるんだろう
意味不明だし人格疑うわ 90年代の図鑑では怪獣ランドとオール、ガイガン、メガロに登場する怪獣島は混同されてたよね
怪獣を島から出さないための壁も途中から通じなくなったとも書いてあった
総進撃を時系列的には最終作だと認識していた人は少なかったのか >>650
勝手な同人誌的解釈が堂々と商業出版物に公式設定かの様に書き込まれた時代… 怪獣総進撃の時系列がどうこうよりも、もっと映画を観たり小説を読んだりした方がいいよ
怪獣映画に限らず、昭和の連作やシリーズ物などの創作物がどのような構造になっていたかを理解すれば、作品と設定や考察の距離感も掴めてくる >>650
「『怪獣総進撃』を昭和ゴジラの最終作として考えると収まりがいい」、という意見を見かけるようになり、
そしてそれに賛同する人も出て来たのは、特定は出来ないが比較的近年のような気がする。
かつては誰もがそんな発想は無かったのだろう。 >>654
商業誌で初めて明確に記述したのを見たのは、東宝特撮映画全史の作品記事だったな。 怪獣ランドからゴジラが逃げ出した説はともかく、更には、
新VSゴジラを世界観継続含め2代目と同一個体とした解説も見受けられたね。 総進撃をラストにしないと1番長く戦い、三大怪獣以降何度も人類のために戦ってくれたゴジラである二代目の消息が気になってしまうからな
しかし、月基地の存在や液晶テレビとか明らかに68年当時から見たら近未来を意識して作られてるように見えるけど、
それでもオール〜メカ逆の方が総進撃の前日談という認識はスタッフにはなかったのか ガイガン以降怪獣島に暮らしてるんだから、後日談でいいんじゃないのか?
つまり全ては未来の話 だから早い話が総進撃の時代設定は1993年、ガイガンは1972年当時って設定の映画だから総進撃の
前日談じゃなきゃおかしいって言ってるんだよ ゴジラもキングコング、大戦争、息子、総進撃、メカ逆と男がかなり年上のカップリングが多く見られるよな(俳優の年齢の話ね。しかも内3つが久保明w)
男が下の女に言い寄るのは批判的な目で見られることは少ないけど、女が下の男にお熱だとみっともなく見えるのは何でだろ 円谷英二は毎回これが最後のゴジラ映画という思いで挑んでいたのではないか?
これまでの怪獣を総登場させて総決算にと製作した「三大怪獣地球最大の決戦」
(もちろん全部ではないが、数が多すぎると映画として成り立たないと考えたか)
これでやり残したことはないと思ったが、まだ宇宙人侵略ものがまだあったので
怪獣と合体させこれが最後のつもりでまた「怪獣大戦争」を作ったんじゃないの?
「これで最後なんだから観客サービスでゴジラにシェ〜でもやらせてみようか?」
なんてね。 まだその頃は怪獣ブーム真っ盛りだったから、たぶんそれは無い
有川さんに実質的な演出を任せていた筈だから英二さん自身が「最後にするかな」くらいは考えていたかも知れんが
『〜総進撃』は怪獣ブームの陰りを見て最終作として作られたことは事実
ただ、考えていたよりまだまだ怪獣で行ける、若しくはメカ物では駄目だからやっぱり怪獣でと判断されてその後『〜メカ逆』まで作られたんだろう
その頃は体制も大きく変わったし時系列なんて考えていなかったんじゃないかな >>662
単に新人女優を売り出したかっただけでは? >>666
>>663
河内桃子や水野久美みたいに相手の男と年齢差が釣り合った女優もいるのになぁって
佐原健二も久保明も佐々木勝彦も女優と年齢差を感じさせる見た目じゃないから、映画を観ただけじゃ気にならないけど 昭和四十年頃、本多猪四郎、円谷英二両監督がゴジラ映画のマンネリ化を嘆き
「同じような映画が続いてしまって我ながら情けない」とこぼしていたという。
「少年マガジン」昭和四十一年九月十一日号「円谷監督へ七つの質問」に
質問「つぎの映画はどんなものですか。」
答え「『キングコング対エビラ』。〜」という記事がある
これは「サンダ対ガイラ」の次に企画されたキングコング映画に違いない
これが主役をゴジラに変えて「南海の大決闘」という映画になるワケだが
この時点で「もうゴジラは弟子に任せよう」という考えが出てきたのではないか
実際に円谷英二が特技監督を担当したゴジラ映画は「怪獣大戦争」が最後となった
「怪獣総進撃」でも「特技監督」と表記されてはいるが、実質は「監修」だという 大戦争辺りでマンネリを感じていたなら、後期ゴジラの頃になるとたとえ生きていたとしても、完全に一線を退いて
いたのかな>円谷英二
円谷英二がいたら後期ゴジラはもう少し良いできだったんじゃないかとか思ったんだが。やっぱりヘドラ〜メカ逆は
総進撃までとは作風もクオリティも違うから 怪獣総進撃ではゴジラの国連ビル破壊描写のスケールが変なのと、宇宙空間飛行でのSY3の廃棄煙に初見の時に違和感を感じてしまった…
円谷監督で見たかったけど、別に有川さんを貶す訳では無い 円谷さんがマンネリを嘆いてたみたいだけど、後にウルトラセブンに対してはマンと違って否定的に捉えてたらしいじゃん
マンみたいに作風が明るくなくて画面も暗くて話も地味だしいかがなものか、みたいな苦言を呈してたんだよね?
それを考えると円谷さんはマンネリは嫌だけど、かといって思いきり変えるのも抵抗がある人だったような気がする 円谷英二は決して連作されるゴジラ映画を嫌っているワケじゃなかったと思いたい
それどころか無闇な濫作ででゴジラブランドの低下を避けたかったのでは?と思う
シリーズ物の宿命でマンネリはつきもの、後はニセモノを登場させ敵対させるとか
番外編でお茶を濁すとか、「新」をつけて旧作のリメイクを新技術で再現するとか
それくらいしかネタが残されてない、その事にいち早く気付いていたとのでは思う
ちなみに「怪獣総進撃」で円谷英二は監督を有川に任せて自身は監修を担当したが
どの程度作品に関わったのかなどは、部外者にはもちろんわかるはずもなく…ただ、
飯塚定雄氏の著書「光線を描き続けてきた男」の中「怪獣総進撃」のエピソードで
ゴジラが吐く熱線の出口と爆発との線が結べないということを円谷英二に相談してる
『「オヤジさん、合わない」って言ったら、「そんなもんうまく合わせろ」って。
しょうがないから、水面を這わすようにして曲げたんだ。そんなこともあったよ。』 国連ビル破壊シーンのことだろうな。あのカットは日程的にも一日用意で一発撮りだったろうな
撮り直しする余裕は無かったろう いつ頃からゴジラが正義のヒーロー的な存在になったんだろうね
ガイガン、メガロ、メカゴジラ2作ではもうこの立ち位置確定してるよね >>655
東宝の出版物だな
となると、公式見解か? >>674
初代〜三大怪獣が悪、大戦争〜オールが中立、ヘドラ〜メカ逆が正義だろう。偶然だろうがどれもきっちり5作品ずつになってるよね ちょうど帰ってきたウルトラマン、スペクトルマン、仮面ライダーの登場と時を同じく >>675
2代目達は最終的に幸せな余生を送ったと言う事だよね。 三大怪獣はグレイじゃね?
人間は俺たちをいじめるとか言いつつギドラ倒して帰って行くじゃんじゃん 流星人間ゾーンはゴジラを主役にしたテレビ番組という企画が前身だが、円谷英二が健在ならゴジラをテレビで使うことすら
許さなかったのかな。ゴジラを主役に使っていたら同時期のV3やタロウにも対抗できるようなテレビ番組になったかもだけど、
ゴジラブランドの価値はダダ下がりだっただろうな
>>680
中盤までは前作までと同様に人類の脅威として扱われていただろう。三大怪獣が二代目にとって転換期なのは確かだろうが、
大戦争以降の扱われ方とは違ってた >>681
73年度(タロウやV3の年)に巨大怪獣ってのはもう旬を過ぎてたよ
変身ヒーローすら連日連夜の氾濫でもう飽和状態
どの番組も手かえ品かえ試行錯誤していた
いかな怪獣王でもただそれだけでは見向きもされなかったと思う
ゴジラのブランドというのがどのようなものを指してるかわからんが、
人知を越えた災厄か神がかりな力を指しているならこの時代に居場所はないよ
チャンピオン祭りなんて児童向け興行の一本になってる所で察せるだろ
幼稚園で大学の哲学の講義をするようなもん >>682
V3、タロウに匹敵は言い過ぎたかもだが、ゾーンに比べたら遥かに善戦できたんじゃないかね
ガイガンやメガロみたいな展開を1話か2話完結でテレビで観れるなら、やっぱりウケると思うし
その代わりそれまで映画でしか観れなかったゴジラをテレビで毎回流したら、ゴジラ映画のありがたみが薄れるという弊害も
生じるだろうが メガロゴジで地の底まで一旦落ちた気がするが…
ロボットとジェスチャーで意思疎通
火に囲まれ焦る
空中浮揚仰向け長距離マッハ爆弾キック
ぽわ〜ん♪ぽわ〜ん♪ぽわ〜ん♪たたたたたたたた♪…♪
ロボットの健闘を声を出して讃えながらガッチリ友情の握手
でも嫌いには成れない…不思議だぷ〜っ 更に腕を前に習えでテクテク歩いて来る
攻撃確認のVサイン
デフォルメキャラみたいな着ぐるみ&役者交代で失われた重量感と威圧的迫力 >>686
不思議では無いっ!
現実だよ、キミッ! >>685
お前は日本語もまともに理解できない程バカなのか?>>683読んでもゴジラブランドの意味わからんの? >>689
キミはぁこのワシをクルクルパァー扱いするのかねぇーっ! >>683
いや、意外とゾーンよりも更にウケない可能性もなくない?
乱造状態だったとはいえ世のブームは怪獣よりも変身ヒーローだった訳だから、チビッ子視聴者にとっては
ゴジラより変身ヒーローのゾーンの方がまだマシだったんじゃないだろうか
食い付く可能性のあるもっと上の世代も実際に番組を観たらテレビ特撮でのチープなゴジラに失望するだけだろうし、
おそらくこの年長世代もゴジラよりゾーンエンジェルを見れる方が嬉しいと思う >>681
お前のせいでホームラン打たれたじゃねーか
馬〜鹿
死んどけ テレ東のなんでも鑑定団でゴジラ怪獣惑星が映画31作目にカウントされていた
アニメでしかも三部作のアレはゴジラ映画に加えちゃいかんだろ >>694
ゴジラ・グッズ出品されたん?
田舎なので放送遅いんだ。 大戦争見返したが、ゴジラ、ラドンコンビとギドラとの戦いって事実上の引き分けだよな。あれがゴジラ達の勝利なら
キングコング戦はやっぱりゴジラの負けだろ
ガイガンではゴジラは初めてギドラに同条件の戦いで勝利できてるが、ゴジラが強くなったというより、
ガイガンの時のギドラが不自然な程に弱いようにしか見えないのが(´・ω・`) 海中に落ちて、ゴジラが圧倒的有利になったからコングは逃げ出したんでそ? わざわざアメリカから呼んだ大物ゲストに恥をかかせるわけにはいかないからね
両者痛み分けなれどコングさんやや優勢で帰国って事でいいんじゃね >>699
他の作品はゴジラに補正がかかることが多いが、キングコングは敵怪獣の方に補正がかかっている珍しいパターンだよな
雷が都合良くキングコングに当たり、しかもそれでドーピングされるなんてジャンプ漫画でもそう見ない強引な補正だわ 海底におちるとき頭の打ちどころが悪くゴジラはお亡くなりになりました。
モスラ対ゴジラ登場のゴジラは3代目となり、地球最大の決戦後ギドラの攻撃の影響で3代目もお亡くなりに。
大戦争、南海の4代目は宇宙旅行の疲労で目が赤くなり、エビラとの戦いが災いし死亡。
ゴジラの息子の5代目は凍死。
総進撃からガイガンまでの6代目はガイガンに受けた傷がもとで後に死亡。 >>701
作品毎に別世界観になる平成ゴジラ(ミレニアム)に近いなそれ
ミレニアムになってからいよいよゴジラもダメになったよね。ウルトラもメビウス以降は平成ライダーと大差なくなったし ミレニアムシリーズは当時なんか違うと思って見なかったな。
いま見直すと面白いとこもちゃんとあるんどけど。
ただなんかやたらと強い女性を推してたり制服や飛行機がウルトラマンチックなのが今でもなんかあれ。 リングアウト場外乱闘で有耶無耶になるのは
ショープロレスの常套手段です >>704
ミレニアムからして、84〜デストロイアをリセットする意味があったのかって内容だったしな
素直に成長したジュニアを
主役にしたゴジラではダメだったのか(・ω・`) ミレニアムよりVSの方が出来悪いだろw
特撮だって川北退屈バトルだしw 大抵のタイトルは 『ゴジラ対○○』 のようにゴジラが先になってるけど、
『キングコング対ゴジラ』 や 『モスラ対ゴジラ』 のようにゴジラが後に書いてあるのは、
大物ゲストのキングコングに花を持たせたり、ゴジラがモスラ幼虫に負けるからなのか? VSは昭和の残滓があって楽しめるだろ。作品毎に世界観変えるミレニアム以降の偽ゴジラと違って、世界観の繋がりを昭和ゴジラ以上に
重視しているとこも良いしな >>708
・キャラクターとしてはキングコングが先輩、そして海外からお招きしたお客様
・モスラは慈愛と母性の象徴、それと戦うゴジラが正しくなる道理がない
・そもそも『ゴジラシリーズ』という概念ではなく、盆と正月の恒例特撮興行という姿勢だった
この辺ではないかと 対ゴジラで名前があとなのは悪役だから程度しか考えてなかいわw 共同で論文書いた場合、一番貢献した人が一番上と一番下に書かれる。
だいたい最後は教授の名前だったりする。
○○対ゴジラはゲストを先に、主役を後にと言う扱い。
と思う。 チャンピオン祭版
「怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ」 「モスラ対ゴジラ」って語感がいいよね。濁点からはじまらないからやわらかい感じ 必殺シリーズのキャストクレジットの順番を思い出す
誰の名前がトップに出るかで藤田まことが番組側と色々と揉めたという話があるね
番組側は苦肉の作でトップクレジットと同等或いはそれ以上という意味を示すために、ラストにクレジットされる俳優名の出し方を工夫してた
俳優名の文字が遠方から近付いてきたりピョコっと起き上がったり >>723
活躍画面が流れた後や、風景画像複数後の名前出しも有ったね。
スペシャルや映画だと中間単独出しも…
村上政が中間立ち上がりに成ったのを最後にシリーズ卒業
初っぱなの仕掛け人から頭と止めが毎回入れ替えられてた
ストロンガー最終回の主役→番組登場順は凄く印象に残った 怪獣総進撃を役者テロップ表記にしたら
古参から新人、1枚タイトル持ちも居て揉めそうだな… ガラケーも過ぎてみれば
不燃ごみのクズ
いつのまにか溶けて消える
時代のかたすみに
スマホは動画を
スマホは音楽を
自由に 出来る 端末
ガラケー時代 去ったあとに
売れるスマホよ
ひとつふたつ 通りすぎる
過去の機種よ >>730
映画館かと思ったら本当の星座か
粋だね タワリシチに粘着する荒らしはNGにしてる
タワリシチもそうしろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています