鶴瓶・新野のぬかるみの世界2
うえやなぎも遠距離受信していた幻の深夜番組
提供:お好み焼きのちぼう など 当時「あの方」を必死に推理するためレコード屋でジャケットを手当たり次第に漁ってたが
答えが分かったとき、それまでの期待が高すぎた為かも知れんがそんなに笑えなかった。
というか鶴瓶新野両氏のツボは、そんなものだったのかと
少々拍子抜けしたのを覚えてマス。 「ぬかる民」っていう言い方もうやめようや、と鶴瓶さんが強く言われていたことを思い出しました。 ぬかるみが終了した後、新野先生はレギュラー司会をつとめた
やしきたかじんの番組(新たかじんが来るぞ)があの方をプッシュする企画をやったとき
どんな気持ちだったんだろうね >>396
>>397のいうとおりだよ。
おじんおばん論だって芸能人の中傷に及びかねない話もあったし。
そのエグさがぬかるみの魅力であったわけで。 芸能人に対しては、この人怖いor怖くない談義もありましたね 当時は中学生で、なぜ怖い人にカテゴライズされたかよく分からなかったが
大人になって、なるほどと納得することが多かったよ。 先生が早大卒という所に託けて
都電ツアーをしつこく提案してくる早大生からの手紙を
少々ウザそうに読むつるべさんが可笑しかったですね。
記憶にあるだけで3回は手紙を読まれていました。 早稲田大にはぬかるみ研究会などというサークルがあったくらいですから
ちなみにサイキックにも神戸大や立命館大に研究会がありましたね。 ぬかるみんからサイキッカーに移動した人は多いのかなあ 多いのではないでしょうか。
サイキックの放送開始年、私は大学受験浪人で、
予備校の同じクラスの連中で盛り上がってましたよ。
みんな元はぬかる民でした。
当時はネットも携帯もありませんから、深夜に手を延ばすのは
ラジオしかなかったんですね。 >>409
ttp://blog-imgs-30.fc2.com/h/a/n/hanryo/20090724153259560.jpg
ようつべで約20年前の新野先生がさんまの番組に出てる映像が見られるが
今も昔もあんまり変わらないね。
一緒に出てたキダタロー氏の方は・・・・・・ とんねるずが一時期新野語を好んで使っていたよね。
意味を分かって使っていたのかどうかは知らんけど。 まずは下の絵を見てください。
<━━━━━━━━━━━━>
>━━━━━━━━━━━━━━<
下のほうが長く見えると思います。
これが眼の錯覚です。
タモリが笑っていいともで「〜やり〜の〜」と言っていたのには驚いたなあ。 ベタなんて単語、今は素人でも平気で使うようになったね。 今朝のはなまるで渡辺徹が、年齢のため指先が乾いて本のページがめくりにくくなったという
話をしてたら友近が、「でも、ニチャ手よりはイイですよね」 って・・・。
ニチャ手という言い方にスタジオにいた誰も突っ込まなかったし、普通にうなずいてたのに
かえって笑ってしまった。 仮にぬかるみを知らなくても
「ニチャ手」はニュアンスとして分かりそうな気がしますね。
さすがに美メコとか醜メコは通じないでしょうけどw
>>420
そのまた渡辺徹が「〜ありーのー」とかよく使うんだよな。 渡辺は大阪ローカルの番組に出ると
決まって胡散臭い関西弁をツカミで言う。
こういうのってイヤだな。
俳優時代の渡辺は好きだったんだけど(太陽にほえろに出てた頃) 渡辺徹は周りのスタッフが関西出身ばかりなので影響されてるんだとか。
それに関西のテレビ局での仕事も多いし色々吸収してるんでしょ。 いつぞやの公開放送(ティーチイン?)で自分の頭の良さを延々と喋り続けて
最後に「ワタシ、ワガガ強いでしょ?」と言い放った医学生の女に
ちょっとキレ気味に「そうでもないよ」と返答した鶴瓶さんに
「ワルベ」の真相を見た気がしました。
番組の晩年は空気を読まない素人がルーツを探るなどにもよく出てましたね。 ティーチインは先生があまりお好きじゃなかったような?
スタジオからの放送が性に合ってると宣うておられた。 八尾でやった森の妖精のときも、センセ、スタジオの方がいいみたいなことゆうたはったね。
センセ、タバコの火をさかさまにつけてフィルターから炎が上がってるのを鶴瓶に指摘されて、
「先生、あがってんのんかいな?」
「うるさいなぁ、言わへんかったら分からへんやないの〜」 ぬかるみの森の妖精、あったねぇ。
季節はちょうど今頃、夏休みの前くらいだったね。
会場のお寺が実家のすぐ近所で、次の日が期末試験だったのに
勉強を放っぽり出して見に行ってました。
生で芸能人を見たのが生まれて初めてでした。
1987年7月の放送です。
いわゆるレーティング対策の企画。 新野ビルが建てられるとき、つるべが「隣のモリサワさんところも買いいな」と見下していた
下の店舗が定住してくれてよかつたね
先生たまに玉姫殿側に歩いてからTAXIひろいます ぬかるみんは、今のつるべをどう見ているのか
もう別の人としてみるのか
パペポ きらアフロ ヤンタン いいとも 家族乾杯 おとといのニッポン放送「笑福亭鶴瓶・日曜日のそれ」に
新野先生が電話出演
ドットコム以来久しぶりに声聞いたけど、元気そうな感じだった 今や かつての遺産で繋いでる感じの鶴瓶さん、ラジオは流してるだけ アフロに至ってはパペポへの懐古みたいで らしさが全くなく。
家族に乾杯だくですね 頑張ってるのは。 うーん。 さんまやビートたけし、笑福亭鶴瓶とかの良さが理解出来ない。 馬場章夫(ふみお)とか、ばんばひろふみとか、なんで 「馬場」 という名字の人に
限って、「踏む」という名前が多いねん!という話題になったことがあるが、
確かにオレの小学校時代にも、女の子で 「ばばふみ」 という、そのものズバリの
名前の子が居た。その子はオレよりずっと下の学年だったが、絵がうまくていつも
入選して校内に貼られていたので、その絵(の署名)を見ては皆で笑っていた。 「福生の仙人」と「上方落語協会副会長」のみならず「大国町のセンセ」まで・・・
大好物の揃い踏みで琴線に触れる珠玉の音源。2011年のぬかるみの世界が垣間見える。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15445679
被災地に寄付はしまへんで
でも
次回東北に行ったらきっちりカメラ回して飯のタネにさせてもらいまっせ かたや60、かたや76。還暦と喜寿てまえのオトナが揃えば、さすがにいい加減、
毒っけも抜けた?ということにして、新たな展開を期待したい雰囲気。
ここから始めるのがホントのライフワーク。さぁ、有限実行やってもらいまひょか?
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
確かサンケイホールだったと思うけど
「新野新 その世界」ってのに行った
しかし、松鶴さんがゲストに来た以外は何も記憶にない
何やったか覚えてる人いますか? 新野新ってロードオブザリングのスメアゴルに似てない? >>451
オレは行ってないが、センセの本によるとゲストは松鶴師匠だけで
そのほかは全部新野センセのひとりトークのみ。
サンケイホールは立ち見ができるほど満員で、ゲストも1人だけ、
センセもノーギャラだったにも関わらず収支は赤だったとのこと。 >>453
ありがとう
全然思い出せないが
しかしなんで赤字か不思議やね 若いときのセンセは、ミヤネにも似てる。
今もし、センセとミヤネがカラんだ番組があったら、
ミヤネはセンセにどんな突っ込みを入れるのか
見てみたい。 1984〜1987年の放送をほぼ毎週録音していたカセットテープを実家で発見(120分テープ使用)
笑福亭松鶴師匠が亡くなって、その初七日の席で何がしかの不満を抱えた鶴瓶が
生放送のいつものスタジオに泥酔状態で現れ
グダを撒き散らし新野新にからむ様子が
「センセ何やその目は?気に入らんのかいな?え?」とケンカ腰の鶴瓶
かたや狼狽する新野新が「いぇいぇ、お守(も)りも大変やなあ…とかねぇ」
このテープの山、YouTubeとかにアップして問題ないのかな? >>459
著作権云々を主張する方々はいないと思うので問題ないのでは。
むしろ文化的記録(遺産?)として関係者の方々も喜ばれるのでは
ないでしょうか。少なくともセンセは喜ばれると思います。 店員さんに、ぬかるみ焼きって言ったら出してくれるよ!! ラジ関の春蝶の番組で
大者さんにいきなり電話するってコーナーがあって
新野新が登場してた 新たかじんが来るぞ で鶴瓶から乗り換えた時もあった
あの頃、ビル建てた時期やから良くテレビに出てたわ ほーほーほーほー
んーんーんーんー
はいはいはいはい
こんなのみっけ
http://www.youtube.com/watch?v=f_pwmUWbxyI
なにわのアクティブシニアに聞く 新野 新さん編(2012年3月収録) 新野先生は、芸能学校の校長か先生かしてたよね
誰か育ったのかなあ ロードオブザリングのスメアゴルって新野先生そっくりじゃね? >>470
それ、本当に鶴瓶が言ったのか?
だとしたら、どうしようもない馬鹿だよな >>464
遅レスですが…
昔行ったけど、出してくれなかったよ
ぬかるみ.comが始まって間もない頃だった
“何それ”みたいな対応された
今もその店あるかワカンナイけど、お初天神の商店街にある店
良い恥さらしだったわ 帰りにシールくれたな。
歌舞伎の字みたいで赤いの。 最もぬかるみに熱中していたS56年の音源が聞きたい
今手元にあるのは、ラジオの深夜放送そのものを卒業したあとの
番組末期(S62〜H1)のものばかりなもので 未知との遭遇でトリュフォーと手話してた宇宙人も新野新の親戚 こんなスレ有ったんだ。
私東北の♂ですが、番組30年ぐらい前に
福島の実家から日曜の夜中神奈川の学校
までの車の運転中何気なく偶然ラジオの
チューニングを合わせてからいつも聞く
ようになりました。最近ユーチューブで
聞いたりし懐かしさを感じている50代
です。 >>480
お初天神のちぼう、ぬかるみ焼き出してくれるぞ!! もうしばらく前だけど、東京・恵比寿ガーデンプレイスの千房でもぬかるみ焼きが出たよ。
千社札ステッカーだかも貰った気がする。
現在はどうか分からないけど、オーダーする時の店員さんにもよるのかしらね。 「ANN」「ヤンタン」「アタヤン」「ぬかるみ」…etc.80年代深夜放送黄金期の
ラジオ番組を振り返る! 「なつかしラジオ大全」6月28日発売
http://news.livedoor.com/article/detail/6701355/
出版社三才ブックス(http://www.sansaibooks.co.jp )は、80年代のラジオ番組
を当時発行していた月刊誌「ラジオパラダイス」の記事・写真をもとに振り返る、
「なつかしラジオ大全」を6月28日に発売しました。
●DJインタビュー「あの頃と今…」
三宅裕司/吉田照美/玉袋筋太郎(浅草キッド)/みのや雅彦
懐かしくなって、ぬかるみ本をブックオフの105円棚を回って探してるが、さすがにないな
アマゾンにはあるものの、製本のあやしい並製本は手にとって、
状態を調べられないネット通販で買う気にはなれないしな… アマゾンで買いましたけど、ちょっと高くて年期はいってましたが
面白いのはそのままでしたよ。
また娘もその当時は存在してませんが珍しがってみて楽しめたみたいです。