【かぜ耕士 たむたむたいむ】
ああ〜なんか昔聞いてたよこの番組。
でもどんな内容だったのか全然思い出せないわ。 「ひらがなでかぜ、耕すという字に武士の士 かぜ耕士です。」
と、必ずオープニングで言っていたな。 妹が新島に旅行するというが、ナンパがすごい島らしいので心配という
お兄さんの投書を覚えてる。 昔聞いてたなぁ。0時から「あおい君と佐藤君」があって、0時10分から20分番組。
雑誌で一度、顔写真見たけど、結構かっこよかった。
今なにやってるんだろう。もう爺さんだよね。 本、持ってる。投書がいろいろ載っているヤツ。
それから、レコード。これもリスナーが送ってきた曲。
何度も捨てようと思ったけど捨てられなかった。
たしか、谷山浩子さんのアルバムにも声の出演してましたね、かぜさん。 日曜のTBSラジオのバックグランドミュージックのスクリプトは「かぜ耕士」だよ。
多分御本人では・・・。MCが若山弦蔵ってのも渋い・・。・ >9
「車の色はそらのいろ」の運転手の松井さん役ですね。
なつかしー
かぜさんから北炭生とかいう人に代わったときは
かぜさん信者から非難ごうごうだったのかな。
>>11
あったなぁ〜。マジックで首に黒子描くっていうのでしょ? オールナイトの2部もやってたなぁ。
結構重いテーマのときもあって、眠れなくなったりした。
ラストにかかる「ブルーカナディアン・ロッキードリーム」が
懐かしい。いい曲だったが、誰の歌だったんだろう? ナンチャッテおじさんブームのきっかけ作った番組だった。 タモリと鶴光が自分が元祖だと言い張ってたね。なんちゃっておじさん。
電車の何何線は、何何線の車両のお古だという話題もあった。 アマチュアの楽曲を流すコーナーがあったかな。
「レイニーグラジュレイション」「なこその港」とか記憶に残ってます。
あと、「茶色の少年」という肥溜めに落ちた少年の話に大笑いしました。 >23
ナショナルクーガ7 by高島秀武
のCMをやっていたので松下電器の提供かと。。。
♪遠くの電波を聞きましょ〜 ナショナルクーガセブン〜
のCMソングは渋谷公会堂の公開録音でナマで聞いたなぁ。 BCLのCM?もしてたな。
あれはナショナルのラジオのCM? オールナイトニポンもセイヤングも聞いてた。
テープも持ってる 「有楽町で会いましょう」っていう公開録音に行ったことがありましたが。。。木之内みどりが出てきた公開録音も行ったことがある人います? この人、後にオールナイト2部に復活したんだけど、
予備校生に絶大な人気を誇っていて、
確かに青春の影っぽいイメージが充ちていた。
なつかしいなあ
このころニッポン放送は、1240だったね。 この番組でハックルベリーフィン(・・・だったかな?)の歌を流したりしていなかった?
確か、この番組の後が、コッキーポップだったよなぁ・・。 お便り読みっぱなしのコーナー
木曜日だっけ すきだったな〜 ハックルベリーフィンは、今完璧なおじさんになり、つい3・4ヶ月前から
曲作りを再開しているんです。(僕)は、ハックルベリーフィン本人達では
ないけれどお知らせします。 「たむたむたいむ」って各局ローカルだったみたいだけど。
同じタイトルで全く別番組のような、スポンサーだけがいっしょ。
かぜ耕士はLFローカル(ネット局はあったのかな?)
放送してた局は?ネット・自社含めて。
>正しくは http://www.din.or.jp/~kkoji/
みんなここ↑のWeb Radio聞いてる?
「さよならの待ち伏せ」っていう歌を歌ってましたな。 お送りするのは、ナショナルクーガ115
「ねえ、かぜさん〜 」 ドンカッ ドンカッ 確か、リスナーが留守電に何十秒か録音したのを、連続して放送してなかったけ。
このころ冬の深夜とか短波でやたらモールス信号が聞こえましたね >>47
聞こえた聞こえた。あれはやっぱり、”あれ”ですかねw >>48
そうのようです
あと女の声でゴニョゴニョ言ってたのは・・・数字らしい >>49
今思うと、堂々とやっていたんだねw
何か不思議には感じていたんだけど。なんだろうって。
当時は、モスクワ放送もだいぶ邪魔してたなあ。チューニング難しかった。 一時、風小路省吾とか名乗ってテレビの構成をしていた時期もあったね。
それにしても、若い頃は確かに江守徹に似てるw >>45
応募すると30分録音のカセットテープが送られてくる。
何回も繰り返し応募した結果、1回だけ採用されたよ。
「バイタリス フォークビレッジ 拓郎でした。また明日!」 本もってたなー。2冊でたよね?
「ひらがなでかば、感じで交わる、と尾っぽの尾 でかば交尾です。」
っつーハガキが読まれたときはワロタ。
これはタムタムではなく、セイヤングだったかもしれないけど。 >>21
>ラストにかかる「ブルーカナディアン・ロッキードリーム」が
>懐かしい。いい曲だったが、誰の歌だったんだろう?
ココで視聴できます
http://www.mp3.com/tracks/1483646/reviews.html 俺、高校の時、たむたむ銀輪団に参加したことある。
番組で呼びかけて、大晦日の夜に都内を自転車で走り回ったんだけど、結構集まってたよ
各駅停車の青春とかいう本を持ってるけど、スマップ中居にちょっと似てない? かぜさん達と、LFから静岡大井川までバスで行って、C62の車内音を生録したなぁ...デンスケ持って。 九州でLF聞いてました、深夜零時過ぎの番組。他人に聞かれないようにイヤホンで(当時寮住まいでした)
たしかオープニングはコンガの連打だったような。
CMはラジオのクーガとかラジカセのマックだったように記憶してます
>>59
かぜさんが好きな俳優でしたね 『今日はお便り読みっぱなしの10分間でいきます』
な、感じだったっけ? かぜさんの作詞した「涙をこえて」が、NHK紅白のスキウタ上位100曲に入りましたね。 絶対、「なんちゃっておじさん」は鶴光よりこっちが先に放送されたはず。 ウイスキー・ボンボンの福井さんてフジテレビの福井アナ? 誰かの投稿で、“カレーにはソースか醤油か”ってのにやたら論議してたな〜
正直言ってあほらしかった。 >>71昔の深夜放送は皆さんそうだったろ?ナチチャコパックは、一通の封書を読むだけで終わった事有るし。 >>32
木ノ内みどりが出たには、番組終了間際の公開録音でしたね。
28年ほど前かな。
木ノ内さんの前で、自分の書いた葉書が読まれたで、なんとなく記憶しています。 >>71
焼きそばは中華料理かアラビア料理か、てのもあった。
ローマ字並べ替えで解読とかww。
>>75
彼女の名曲「横浜いれぶん」の歌詞の解釈とかもあったなww。 >>98
なーんちゃっておじさんのオリジナルはこっちが半年くらい先だね。
初めて聞いたときはマジで笑い死ぬかと思ったw
今思い出したんだが、'78年の元旦、1時から?たむたむ年始特番があった。
この日は日曜(土曜深夜)で、本来なら鶴光のオールナイトだったんだが、
特番の関係でオールナイトは2時スタートだったような?
鶴光が「たむたむとかいう番組に1時間取られましてな」としゃべってた。
(・・・ってことは全国放送だったのか?)
本題の特番の内容はほとんど覚えてないが
受信報告送って記念ベリカードをもらった記憶がある。内容散漫でスマソ。 うろおぼえでごめん。
ナショナルで、「ラジカメ」っていう、ラジオとカメラがくっついたのを発売することに
なって、
ラジオコマーシャルの脚本を、この番組で募集したんだんだけど、
覚えている人いるかな。
>>78たむたむたいむって、地方局は局アナが担当してたでしょ?それが一同に集まったんじゃなかったっけ?
ちなみに、木之内みどり。木ノ内みどりではありません。彼女は、必ずファンレターの返事くれたよね。 >>82
ニッポン放送のかぜさんのやつが人気が出て全国展開へ。
やがて、ここで『お笑いまんが道場』の柏村武昭(当時
RCC中国放送アナ:現参院議員)が生まれる。 なんちゃっておじさんブームの先駆者かぜ耕士に幸あれ。 電車の車両のボロ自慢?もあったな。
どこどこ線はどこどこ線のお古の車両を使ってるとか。 今夜NHKアーカイブスで、ステージ101(最終回・昭和49年)放送 >87
見た見た。
かぜさんの作った歌が流れたね。びっくりした。 北炭生さん。今は、どうしておられますか?「たむたむたいむ」の時からずっと好きでした。 ♪ゆ〜め〜見〜てたの〜 ウェ〜ディングベル〜の〜 鳴〜る〜音〜
許して欲しい〜 だまぁって引っ越したこと〜〜ぉ〜
許して欲しい〜 さよなら〜
ピアノのイントロがよかったなぁ、、、、。/じゃぁまた明日ッ。 実家に帰れば「たむたむれこーど」あったはず。
北炭生はほとんど覚えてないんだが
「あの人は(が?)やってくる」とかいう唄があったような。 かぜ耕士さんからバトンタッチして、
北炭生さんのたむたむたいむに変わった時に
「なんでもしゃべろう30秒」に採用された事があります。
私は当時、高校2年生。深夜放送全盛期でした。
「なんでもしゃべろう30秒」出演記念品の「たむたむバック」が品切れで、
ニッポン放送のバスタオルが送られて来た時はショックでした・・・。
自作自演のコーナーで松山千春、この番組に
よく出てなかった?
ピエロのアールとかと同時期の頃。勘違いかな。 確か、最終週の放送だったと思います。
楽しんでいただけたら、幸いです。
ttp://up2.shinetworks.net/cgi-bin/snup-mini/src/shinemini2037.zip
DLKey kaze 神さまありがとう。
といいたのですがDLキーが違いますと出てしまいます。
何か間違っておりますでしょうか?
でもありがとう。 無事に落とせました。
覚えていたのとかぜさんの声が
違っていて時の流れを感じました。
ありがとうございました。 遠距離受信のため、フェージング及びノイズはご勘弁を
しかも、日付不明
ttp://up2.shinetworks.net/cgi-bin/snup-mini/src/shinemini2109.zip
kaze 茶色の少年 頭の悪い厨房だったので、よく覚えてないんですが、
収録スタジオを公開してたんですよね。
今はなき有楽町のニッポン放送まで見にいったことがあります。
学校の帰りにかけつけたので気の利いた事もできず、
ノートの切れ端にサインして貰った覚えがあります。
なんて失敬な。
かぜさん、あの時はごめんなさい。 かぜさん、今何してるんだろう。
たむたむたいむまた聞きたい ナンチャッテおじさんを生んだ番組。
タモリでも鶴光でもなくナンチャッテおじさんを生んだきっかけの番組は
紛れもなくこの番組だ。
タモリが本家で鶴光は元祖だと鶴光がおっしゃっていたが。
それらしいことを鶴光が開局50周年記念特番やブロードバンドニッポンや
オールナイトニッポンアゲインなどで言っていたが。
誰も見る人いないだろうけど 番組中急に体調崩して苦しい息使いながら 最後まで番組を進めたことを覚えている 相撲好きのかぜさん、一時期ダイエットのために玄米食に切り替えたことから、
自ら“玄米”という力士名(しこな)を名乗った時期あったよね?
それと常連投稿者のペンネームで覚えているのが
「マッドトランキライザー」「精神衛生上の悪魔」「がんばれラブリーズ」etc.
ラジオ番組UPスレ 懐かしの過去物専用 Part1
632 :[名無し]さん(bin+cue).rar :sage :2008/07/20(日) 22:29:51 (p)ID:XDrzBalY0(2)
まだまださびしいので、up
たぶん1978年の たむたむたいむの終わりからコッキーポップの頭
テープの片隅に残っていたもの。
TNPT 5M up22575
# 例によって北海道でのニッポン放送受信。
# ヤマトのもひどい受信状況のならあるけど、昔ヤマトスレで
# うpしてくれた人もいたのでそちらで頼むほうが早道だと思う。
633 :[名無し]さん(bin+cue).rar :sage DLpass kaze :2008/07/20(日) 22:31:05 (p)ID:XDrzBalY0(2)
忘れてた。
わいるどなまず氏ってどうしてるかな?
ふと、思い出した。 かぜさんのたむたむタイムは
聞いていたか、覚えて無いんですが、
「セイヤング」はよく聞いていたました。
俺は現在、46歳ですが、多感な時期に
セイヤングを聞いていて、
多大な影響を受けました。
どーしてるかな?
ウインド・カルティベイト・ナイト君?
がんばれラブリーズ君?
(^^;
付け足しですが、
数年前に
日曜日の昼のラジオ(TBS)で
若山源蔵さんがDJをしている番組で
スクリプト:かぜ耕士と言っていました。
その時に俺は、「まだ、かぜさんはラジオの世界で
がんばっているんだなー?」と感慨にふけりました。
推定年齢で、60歳は超えてるよね?汗
(^^A; 前に会ったことがあるけど、その日、お目にかかるのがはじめてなのにとても感じ悪かった。
話す仕事の人は、逆に人を受け入れず理解しようともしない理不尽な人が多い。
本の表紙カバーは本人の顔ドアップ。
ひねくれた中居という感じの微妙な池免。 そうかもな
表紙もそんな感じやし、感じよろしくないかも知れんなww
人としてそんな信頼も尊敬もでけへんけどww
たしかに変わった人やね
こんなスレあったんだ。
中学の頃1時以降はラジオ聴けず(聞いたら没収と言われた)唯一毎日聞いてた番組。
お便りも一回読まれた(欽ドンでは全部没だったが)なーんちゃっておじさんの時もまじめに聞いていた。
もしまた誰が始めたという議論になったら投書した女性の方名乗り出てほしい。 古本屋で「各駅停車の青春に」を見つけてゲット。サイン入りです。 webラジオのパスワード登録したら
ご本人からメールもらえて大感激 >>132
その本見て白いズボンは短足に見えることを知りました かぜさんの本に顔写真のアップがあるよね。
スマップの中居ににてない? YOUTUBEに
たむたむたいむ最終回の放送がUPされてるぞ
俺は、LINE OUTでばっちり録音させてもらった 俺はジョンC子さんと
同じ学校で同学年だったよ
俺も真似して投稿したな 一度だけ学校帰りにスタジオ見学に行ったことがある。 かぜさんのあと、北炭せいという人に代わったんだが
信者から抗議殺到だったじゃね。
つか、北炭さんて誰だったんだろ >>144
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%82%AD%E7%94%9F >>147
おお!
Twitterはまだやってないみたいね? >>148
アカウントあるけどツイート0。
名前で一発で出ますわ。Am01Nkt3aです。
本人かどうかわからず。 >>149
ありがとう
本人かどうかこれじゃわからないねえ なつかしいものがあったので
ttp://www.youtube.com/watch?v=FaZbgCp-lxk 今ではふつうの言い方「そんなのありー?」の元祖だったような ニッカン番記者より
今から40年ほど前、ラジオのニッポン放送で「たむたむたいむ」という番組のDJをやっていた、かぜ耕士さん(70)のインタビューをした。当時、かぜさんは、自分の母親のことを、本名じゃなくて「真知子さん」と呼んでいた。
そのことを、ぼんやりと覚えていたのだが、その理由を忘れてしまっていた。そしてそれは、かぜさんだったのかも怪しくなって40年の月日が流れてしまっていた。
インタビューが終わって、迎えの車を待っているときに聞いてみた。「かぜさんて、お母さんを『真知子さん』て呼んでましたよね」。かぜさんは、そんなネタを覚えていることにびっくりしながら、説明してくれた。
かぜさんの、今年91歳になるお母さんの名前は「古」さん。こぅさんと発音して、かぜさんの妹さんは「こぅちゃん」と呼んでいたそうだ。だが、お母さんは、この名前が嫌だったらしい。
そこで、かぜさんが「だったら好きな名前で呼んでやる」。ということで「真知子さん」と呼ぶようになったと説明してくれた。
もう2度と解明できないと思っていた(本気になれば出来ると思いますが・・・)謎が40年ぶりに解明して、気分はスッキリ。酷暑の中でも、あと1週間くらいはサラリーマン生活を全力疾走できる気分になった。 ヤフオクで番組投稿曲を集めた自主制作レコード落札したけど
プレーヤーがなくてまだ聞けない
でも、持ってると思うとうれしい 小室さんが番組でかぜさんの話をしてた
ご病気になられたそうで、現在はリハビリでたいぶ回復されているそうです
かぜさん作詞の歌を上條さんと唄ってました 問題提起のコーナーとか、不幸の手紙をかぜさんのところに送って、「ここで僕が止めます」といってハガキを破ったりしましたね。
不幸の手紙は後任の北炭生さんの時かもしれませんが。 懐かしい。
あおいくんと佐藤くん→たむたむたいむ→コッキーポップ→オールナイトニッポン。
この流れで、ニッポン放送を聞いていた、中高生時代。
不幸の手紙を止めます、といったあとに、その葉書を破るのが斬新だった。 101の方のコンサートの打ち上げに呼ばれたんだけど、この方が偶然いらした
ちょうどテーブルの前の席だったので挨拶したり話しかけたけど一言も完全無視された
解散して帰るときも然り
泣き寝入り、悲しすぎて眠れなかった
とても最悪な日
行かなきゃよかったと
こんなことがまた来ると思うともう怖くて怖くてもう10年近く101関係のコンサートは行ってません ラジオも面白いけど得できる儲かる情報とかぶろぐ
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
CVRA1 懐かしラジオもいいけど最新の稼げる方法とかもいいのでは
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ』
ZIG8Z 友達から教えてもらった在宅ワーク儲かる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
27F 誰でもできる在宅ワーク儲かる方法
役に立つかもしれません
2chまとめで副業できる方法とは?『立木のボボトイテテレ』
UID 長らく闘病されていた かぜ 耕士 さんが 2020年(令和2年) 9月26日未明 永眠されました 謹んで御悔やみ申し上げます 合掌
ttps://twitter.com/hiroyuki_0014/status/1309779387097645056
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202009280000005.html
「たむたむたいむ」DJかぜ耕士さん死去 76歳
[2020年9月28日0時23分]
深夜放送全盛期の70年代から80年代にかけて、
ニッポン放送「たむたむたいむ」などのDJとして若者に絶大な人気を誇った、
作詞家で放送作家のかぜ耕士さんが26日に亡くなっていたことが27日、分かった。76歳だった。
かぜさんは13年にギランバレー症候群で入院したが、翌年退院。
ここ数年はエフエムさがみ「かぜ耕士のどこかでラジオ」でDJを務めていたが、最近は体をこわして静養していた。
かぜさんは日大芸術学部演劇学科在学中の67年12月に、故永六輔さんの門下に入って放送作家デビュー。
69年には作詞家としてシング・アウトが歌った「涙をこえて」がヒットした。
72年にNHKラジオ「若いこだま」のパーソナリティーを務め、
73年4月から78年6月まではニッポン放送の月曜から金曜までの帯の深夜番組「たむたむたいむ」のDJを務めた。
アフリカの民俗楽器、たむたむの音色から始まる番組で、爽やかな声の優しい語り口で若者たちの兄貴分と慕われた。
その後もパーソナリティー、作詞家、放送作家として活躍。
13年8月には指定難病のギラン・バレー症候群に襲われたが、
厳しいリハビリに耐えて、翌年FMさがみ「どこかでラジオが」で復活した。
復活した際に日刊スポーツの取材に「若いなんて言えない年で病気になった。
でもリハビリは苦しいなんて思っちゃいけない。何だって苦しいと思えば苦しい、明るくやろうと思った。
人生で習い事をしたことがなかったけど、先生の言う通りにやろうと思った。
我流の人生だったから、リハビリで初めてほめられて不思議な気がした」と笑いながら答えた。
その後はファンと交流を持って、映画や音楽などについて語り合うなど、独自の活動を続けてきた。
近年は体調不良で仕事を休む事もあったが、最後までマイペースの活動を続けて慕われた。
◆かぜ耕士(こうじ)1944年(昭19)7月13日、埼玉県生まれ。
68年4月アイ・ジョージ「太陽よ永遠なれ」で作詞家デビュー。69年に放送作家として活動開始。
72年10月NHKラジオ「若いこだま」パーソナリティー。73年4月から78年6月までニッポン放送「たむたむたいむ」。
78年4月から79年12月まで文化放送「セイ!ヤング」。80年7月から81年10月まで「オールナイトニッポン」。
87年映画「ラッコ物語」脚本担当。13年からFMさがみ「どこかでラジオが」を担当。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202009280000005-w1300_0.jpg
かぜ耕士さん(2014年撮影)
かぜ耕士さんに、哀悼の意を表します 若山弦蔵のバックグラウンドミュージックのスクリプト担当位しか知らないけどご冥福を かぜさんの訃報、遅ればせながら今知りました
学生時代は毎日たむたむたいむを聴いてた
かぜさんの声、大好きでした 亡くなったんですね。私の青春時代の番組でした。
この後、ヤングスキャット、日立ミュージック・イン・ハイフォニック、ライオン・フォーク・ビレッジ
と続いていたような・・・ どんな内容だったか思い出せなかったが
つべにあったんで聞いてみた
リスナーの周りであった面白い出来事を延々に紹介してるだけだったんだな