大河内傳次郎も金は持ってたけど役者としては悲惨な晩年だったようだね
1953年の「丹下左膳」は傳次郎が再起をかけた作品で、永田雅一も張り切ってたんだが、伊藤大輔からは監督を断られてマキノ雅弘に
前編・後編の予定だったのに大河内傳次郎が高齢で思うように演技・殺陣が出来なくて後編はやりたくないとごねた
そのくせに大岡越前と丹下左膳の二役をやったからギャラを二本分よこせとワガママ言って永田雅一もマキノ雅弘もウンザリ
こんな感じでワガママ三昧だったから映画会社も使ってくれなくなって自宅の御殿に引きこもって晩年を過ごした