【溝口健二の】西鶴一代女/雨月物語/山椒大夫/近松物語【四大傑作】
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語りましょう
西鶴一代女(1952年4月17日公開)ヴェネツィア国際映画祭国際賞
雨月物語(1953年3月26日公開)ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞
山椒大夫(1954年3月31日公開)ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞
近松物語(1954月11月23日公開)ブルーリボン賞監督賞
溝口健二 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E5%81%A5%E4%BA%8C 『雨月物語』について (1954)
溝口健二
わたしが『雨月物語』に興味を持って映画を考えたのは、もう大分以前のことになりま
す。全篇を通読して、「蛇性の婬」と「浅茅ケ宿」から、特に強い感銘を受けました。『雨
月』を読まれた方は、どなたでもそうであろうと思います。
「蛇性の婬」は、愛慾の妄執というものを、端的に強烈に描いています。「浅茅ケ宿」に示
されているのは、人問のいのちのはかなさ、言葉をかえれば、人生無常の考え方です。そ
のうら側には、人間の物欲が、妻の生死さへ度外視させるすさまじさを想像させます。
二つの物語は、いずれも共に、独立して、それぞれの主題をもつ、きちんとした短篇で
すが、わたしは、『雨月物語』の映画をつくるならば、この二つを一つのものに、何とかし
て仕上げてみたいと考えました。二つの物語のどちらも、一篇としてとりあげると、話が
足りないから、二つをつぎ合わせて満足な一つにしようというのではありません。
…
物語の背景は、秋成も戦乱を舞台にしていますがその効果を一層つよめるために時代を、
戦国にずり下げました。愛欲、物欲が、さらに異常にふくれあがって、人間を食ってしま
うという条件を、戦乱という本能露出の絶好の機会に求めたのです。同時に、モーパッサ
ンの短篇から示唆された、非常に現実的な挿話を付加しました。この挿話の現実性が映画
全体の浪漫性ないし象徴性を一層つよめる対比作用に役立つと信じてそうしたのです。
従って、全体にわたり、現実、非現実を通し、わたしは、瑣末な写実描写を一さい省き
去り、喜怒哀楽の率直な、それだけに力強い表現を、ロマンチックな美感の中に、つくり
出すということをたて前にしました。
現実と非現実はギリギリのところで交錯し、その秩序は、一貫して保たせてありますが、
さらに強烈さを要求する場面には、はげしいディフォルメーションと、超現実主義、とで
もいうような拡大を行っております。
しかしながら、物語はあくまで日本のものであり、東洋の神秘なのですから、変形とい
い、拡大といっても、日本の文化的遺産のもつ無類の美しさを標準とし、基調としていま
す。
能に範をとり、修学院、桂両離宮の様式を拝借しているのもそのためです。
これらの日本文化のすぐれた遺産は、驚嘆すべき洗練と単純化を見せています。これを、
映画の表現を通じて、現代の美感として再生させたいのは、わたしの念願ですが、いわゆ
る、「映画の東洋的美感」という、わたしの演出家としての野心が、この作品で、どこまで
達成されているか。これもまた、みなさんの御判断を仰ぎたい点です。
撮影の宮川一夫、美術の伊藤熹朔、音楽の早坂文雄の諸氏が、わたしの意図を十二分に
くみとりすぐれた協力を与えていただいたことを感謝して、挨拶を終りたいと思います。
(一九五四年六月色彩映画研究のためアメリカに渡った時、ハリウッドでの講演原稿より)
(「『雨月物語』について」『映画監督溝口健二−−生誕百年記念 別冊太陽』128頁)
佐相勉編『溝口健二著作集』参照 赤線地帯だっけあれは良かった
ラストシーンは伴奏が絵とマッチしててホラーぽくて怖かった 脚本:依田義賢
撮影:宮川一夫
美術:水谷浩
音楽:早坂文雄 >>3
めちゃくちゃ考えて作ってたんだな
タダ者ではないと思っていたが(なぜか上から目線) 近松物語は香川京子がミスキャストだと思う
役柄と合ってないし、長谷川一夫とも釣り合ってない
無理して貫禄を付けさせようとしたのか、着物の中に詰め物を入れてるかのようにパンパンになってる
柄も顔に負けて似合ってないし顔も大きすぎる
やっぱり戦後は時代劇を演じられない俳優が増えていったんだなと思った
ただのアイドル女優にしか見えなかった それと比べると、1940年代以前くらいの作品はやっぱり凄いなと思った
特に「残菊物語」の序盤に出てくる女性2人(菊之助の取り合いをしてる)は惚れ惚れするほど美しい
着物は華奢な体を包み込むように着ているし、髪型はふんわりしてて、まさに浮世絵の世界
美しさが天と地の差 いやぁ〜「近松物語」の香川京子は素晴らしいの一語に尽きる 香川京子は山椒大夫の方がまだずっと役柄が合っている
近松物語ならまだ若尾文子の方が自然にこなせたろう 雨月物語の京マチ子は文句無しに素晴らしい
森雅之、田中絹代も
役柄がピッタリ合うとはこの事 あ、1954年じゃ若尾文子はまだまだ若過ぎて無理だ 香川は女優として特に好きでもないけど近松の香川京子は良い クラシックな映画はいいわ
自分が長生きして得した錯覚に陥る >>16
水戸光子と小沢栄太郎といえば木下恵介の「女」だな
木下監督のデビュー作「花咲く港」でも共演してるね 溝口映画の女優三傑 俺のチョイス
「瀧の白糸」の入江たか子
「残菊物語」の森赫子
「西鶴一代女」の田中絹代 >>16
小沢の駄目男っぷりが愛くるしくて、
観ていると無性にむらむらしてくる。。。 >>17
ラストの市中引き回しのシーンの凛とした顔がいい >>23
夏川静江さんだね。
フィルム断片2分だけ残ってるとか。
見た人いる? 90年代の終わりぐらいに
夏川さん、徹子の部屋でみたことある 855 考える名無しさん[sage] 2021/06/30(水) 23:23:03.99 ID:0
時間ができたおかげで、ジジェク氏は昔の映画を見直す暇ができたという。
「黒澤明や溝口健二の作品をもう一度見ている。溝口の『山椒大夫』は私の一番の
お気に入りだ。パンデミックのために日本の名作映画を再発見できたのはありがたい」
外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(40)哲学者スラヴォイ・ジジェク氏と考えるパンデミックの意味(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/696e875ac6c5ecbf969a7881611ff8a01c89b235?page=7 でも、ヨーロッパの映画監督が一番評価してるのが山椒大夫だという話を
聞いたことがある。溝口健二と黒澤明は欧州の文化人に神格化されてるよ
うだからな。 そもそも欧米では戦後作品のごく一部しか紹介されていないだろう
我が国でも観る機会は寥々たるものだが… 日本語を知らない人が字幕で見るってのもかなり差がありそう 字幕や吹替で見ているから
不自然な台詞や演技は差し引かれちゃうかもね 王様の耳はロバの耳ってなんでオペラや映画にならなかったんだろね 香川京子さんって美人だね。最近近松物語とか山椒大夫を初めて見てから顔と名前が一致するようになった。他の作品で何度かみたことあったけど、ある程度お年を召してからの作品だったし、あまり気になってなかった。 >>39
美人の狂人は、怖すぎる。
餓鬼の頃、映画館でリバイバル観てトラウマ 「噂の女」が一番好き
母・絹代と娘・久我で、今でいうチャラ男取り合いすんの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています