【何がいいのか】天城越え【さぱっぱりわからん】
6月27日午後9時より、BSプレミアムでドラマ版を放送予定。
そっちは名作だったが、映画のほうは全然ダメ。
「邦画史上に残る名作!」と持ち上げられてるが、何がいいんだか・・ 映画版のキモいところ
*平幹次郎がキモい
*老け役の渡瀬もキモい
*土工役もキモい
田中裕子のおもらしシーンも汚らしかった 真相解明、つまり殺害シーンでは、
何度も何度も殴るけど、いつまで経っても死なない被害者
なんなのさwwwwwwwwwwwww キネマ旬報年間ベスト8位だから、大したことない。
それでも8位にしちゃう評論家どもって… 殺される役やってんの誰?
確かに殴っても殴っても死なない(笑)
殴る→ぎゃあ!→殴る→ぎゃあ!→殴る→ぎゃあ!……
これを延々と繰り返す。演出、アホ過ぎW >>5
映画版『天城越え』83は巨匠・加藤泰を支えた松竹大船の重鎮助監督・三村晴彦の
満を持しての監督デビュー作だったから(脚本も加藤泰と共作)、当時の映画ジャーナリズム
が応援の意味を込めて高評価を与えたんだよ。
三村晴彦(1937〜2008)は83年当時で既に46歳、「たぶんこのまま監督に
昇進しないだろう伝説の助監督」的存在だったからね。
加藤泰(1916〜1985)じたいが既に「往年の任侠映画を格調高く作り上げた日本映画の
生ける伝説、まぼろしの名匠」的な扱いだった。
要するに加藤は現場でワガママやり過ぎて晩年はもう殆ど映画を撮れなくなっていた
人だったから、、
三村も以後は不遇だったけどな、、結局は劇場用映画は4本しか撮れず、晩年まで2時間ドラマや
TV時代劇の監督で終わってしまった。 当時なら実行不可能だろうけど
娼婦=百恵、土工=友和とか見てみたかったかも
この2人、意外に演じ切るだけの力量あるしね
映画「春琴抄」見て思った NHK版見たけど
宇野重吉は人殺しのクセに何を飄々と生きてたのか分からんかった >>16
そう思うのが普通だと思うけど、友和は後に悪役とかも演じてるし意外に演技力あり
原作の土工は長身設定だし汚れなメイクでいけたと思う
2人のどちらのファンも見たくはないのはわかるけど 今更だがスレ文は悪意ありきでなあ
執拗なレッテル貼りのせいでスレの流れも決まってしまった感
スレ主さぞ嬉しかろうて 護送される時の編笠姿怖かったけど振り落とした後少年見る時の田中裕子の表情ふっと険しさが抜けてこれまたいい表情なんだよな
でもやつれていて痛々しいという
この映画の一番の見せ場だと思う 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
こいつん家をけんまするのは大歓迎!!www鎌倉由比ヶ浜在住『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ みんな(観客も評論家)が良い!と誉めそやすのは、だいたい愚作