砂の器 Part.5
厄介な外国人がコミュニティを作ってる今
いくらでも成りすましとかあると思うよ
現に健康保険証の使い回しなどは当たり前中の当たり前らしい >>708それだ!
次に砂の器をリメイクする時は主人公を日本でのし上がろうとしてる外国人移住者にすればいい
内乱、貧困、飢いくらでなど悲惨な過去の境遇はいくらでも設定できる さてそろそろ三木謙一の悪行所業を列挙することにしようか 宿命とは. この世に生まれて来たことと、 生きているということである 伊勢から上京して何故、蒲田で待ち合わせたのか?
じっくり話をするなら、なんでホステスなんかいるバーに入店したのか?
どうやって操車場に進入したのか。二人でフェンスを乗り越えたのか?
殺人に至る前の二人の会話・感情がまったく不明。
殺人を決意するまでの心の葛藤に触れないのはなぜ? 「鬼の筆〜戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」発売日2023年11月25日 出版社文藝春秋
12年をかけた500ページ弱の超大作
当人への計20時間のインタビューと、没後に発見された門外不出の創作ノートから、数々の新事実が掘り出されています。
・「複眼の映像」で書かれなかった黒澤明との葛藤
・「真昼の暗黒」「私は貝になりたい」「切腹」「仇討」「上意討ち」「侍」「日本のいちばん長い日」「人斬り」「人間革命」「八つ墓村」等の執筆秘話
・「砂の器」「八甲田山」製作の全貌
・シナノ企画(創価学会)との関係性
・「幻の湖」製作&撮影の詳細
・あるヨーロッパの巨匠との合作の頓挫
・壮絶すぎる晩年の執筆風景
刊行記念のイベントも数多く企画中!お楽しみに >>713
和賀の愛人のアパートが蒲田に近かった。愛人が倒れる踏切は池上線か目蒲線。
三木が上京した時間が夕方くらいで連絡取って出会うのが夜。
原作では照明が薄暗いバーで顔がわかりにくい。ホステスがそれを証言。
原作の昭和35年くらいは、操作場にはフェンスなどない。
二人の会話・感情・心の葛藤などは、原作や映画の中の行間で容易に読み取れますね。 通常なら職権で管轄地より立ち去らせるのが常套手段───
例の白装束を己の領地から追い出してたのは、田中康汚。 助監督で付いたのが野村芳太郎だった。
『醜聞』の方は会社から付けと言われて付いたのだが、『白痴』の時は黒澤直々の指名だった。その『白痴』の仕上げが長くなり、切る切らないで揉めて沸騰している黒澤の元に橋本忍は結局頓挫した『棺桶丸の船長』の打ち合わせに現れた。
黒澤は橋本に「松竹ではいいことはなにもなかった」と話し出し、しかし日本一の助監督がいると言う。もちろん野村のことだったのだが、そこに当の本人がやって来た。当時の松竹の社長、城戸四郎の意を伝えるためだった。
黒澤は早速、ふたりを引き合わせ、双方の生まれた年を訊いた。野村は大正8年で、橋本は大正7年だった。黒澤は言った。
「これから君たちの時代だ。ふたりとも仲良く、一緒に仕事をしろよな!」
その最初の機会はしかし、『張込み』ではなかった。それは『糞尿譚』(57年)という鼻を摘む社会派コメディで、最後に伴淳三郎が糞尿をぶちまけて終わる。評価する人もあったが、橋本は気に入らなかった。
というのも「ところどころをネズミが齧ったように脚本を直して」いたからで、野村とはこれっきりと思ったが黒澤の言葉が脳内を過ぎり、もう1本様子を見ようと思った。そしてそのもう1本が『張込み』だったのだ
当時の野村は若いのにすでに職人で、あるいは職人のまま終わるかと思われた。だが野村の助監督だった山田洋次によると、『張込み』では簡単に会社の方針と妥協しないという覚悟を感じたという。
それは撮影方法に如実に現れていた。野村はリアルな夏の暑さを出すために空が少しでも曇っていたら一切、
撮影をしなかった。おまけに午後1時という設定なら、大船撮影所のオープンセットでもその時刻でないと撮影しなかったというから徹底している。まるで黒澤明のようだ。
そんなわけで撮影は大幅に遅れる。2週間の撮影予定が2ヶ月経っても終わらず、製作部長が説得に来たが野村は喧嘩して粘った。お陰で11月の封切りだったのだが1月に延びた 砂の器は出雲地方は東北と同じズーズー弁というトリックで土地の人たちはズーズー弁でちゃんと話しているのに笠智衆だけいつもと同じ熊本弁で話してる 女房が殺人犯の元官房長官自民党議員
砂の器のメロディーが
チャララチャララララ〜♪ 加藤健一が頑として方言拒否の映画
その言い訳を主人公丹波に語らせる傲慢さ 島根のズーズー弁はケンミンショーで取り上げたことないよね
てか島根出身の芸能人がそのことについて話してるの見たことない