原節子を大いに語ろう。Part11.
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>>800
「かけ出し時代」は、最近20分弱の映画で、つべにあったが、いつのまにかなくなっていた。
結構面白い。 「羅生門」では、黒澤明が当て書きで原節子を使うつもりだったのが、分かった。
惜しかった。久虎が反対しなければな。 原節子の靴は大きかったと、「麦秋」の助監督の今村は言っていた。今日テニスを仲間とやっていたら、靴底が剥がれた。俺と同じ25センチくらいあったかしら。 西村雄一郎「小津さんは、原節子さんがお好きだったんですか」司葉子「大好きだったと思います。……先生たちと夕食が一緒だったんです。その時、原さんを小津先生の隣にすわらそうとしたら、先生は真っ赤になられて(笑)」 小津安二郎は、結構遊び人だったよね。
小田原の芸者とつきあったり、銀座にもいたそうだ。原節子には、どうだったんだろう。共にシングルだったが。 僕の好きな原節子の役柄で、没落華族の令嬢がある。
「安城家の舞踏会」と「お嬢さん乾杯」が有名、こうゆう役柄は原節子以外は似合わないな。この映画の他に華族令嬢はあったかな。斜陽も脚本が、間に合えばね。 「斜陽」(太宰治原作)は脚本が未完だったから、代わりに「驟雨」になった。
「驟雨」は面白いけど……. >>801
うん、見てなかなか面白かったんで続きがみたいんだ。
日本映画チャンネルでやっていたようなんだが… >>808
この映画で、原節子は車を運転していたね。 京マチ子が亡くなった。95歳。心不全。5月12日。残念、お悔みを申し上げます。
シネ・ヌーヴォで特集を組まれた女優は、その年に死去する予想が当たってしまった。2015年には原節子がシネ・ヌーヴォで特集があった。原節子も95歳で死去。学年では3つ上の原節子。 スケールの大きさでいうと、京マチ子は原節子と同じくらいか。共に、存在感があった。原節子が聖女なら、京マチ子は魔女か。
特集で京マチ子の映画を観に行こう。 京マチ子の死去。お墓をハワイに作ったから、ファンはお金がかかる。原節子の墓は浅草方面にあるけど不明。憎いけど素敵だな。
代わりに、小津安二郎と浄妙寺にある熊谷久虎の墓参りをして、原節子を偲ぼう。 12日死去した京マチ子の映画は、あまり観ていないです。「ぼんち」はよかった。「赤線地帯」をスクリーンでみたい。原節子とは、会話したことはなかったのかしら。 京マチ子が亡くなって、90歳代のスター女優はもうほとんど鬼籍に入ってしまった。
80歳代なら、久我美子・岡田茉莉子・有馬稲子・香川京子などがいるが。
銀幕(死語)の華がこの世から消えていくのは、やはり寂しいね。
月丘夢路の妹、月丘千秋は94歳で健在らしいが… 今朝の一般各紙をみたら、京マチ子追悼の扱いが小さいね。三大紙は1面に載せないし、スポーツ紙は1面にはない。原節子の時は、三大紙を始めスポーツ紙も一面を飾った。恐らく原節子は引退後半世紀以上表舞台に出ず、神格化され「伝説の女優」になったからではないか。 また、グランプリ女優といわれているのに、海外からの追悼がまだないのはおかしい。原節子の時は、英・独・仏・米などからあったが、京マチ子にはまだ無いようだ。国際的女優ならあって当然だが、なぜか追悼が来ないね。なぜだ。 「雨月物語」「羅生門」「蜘蛛巣城」「地獄門」は、京マチ子なしでは考えられないほどの名演技。
世界的名作も、彼女の存在あったればこそ。
全盛期の森雅之とサシで演技できた女優は、他には田中絹代と高峰秀子くらい。日本映画界屈指の名優というのに、マスコミはともかく首相が何のコメントもしていない(?)のは情けない限り。 黒澤、お色気、必殺
残りの2つのイメージが足をひっぱったのかもな どうだろう?
必殺は五十鈴、草笛さんも出てて特にイメージを毀損してる訳でもないし >>819
当たり。やはり肉体派女優京マチ子というのが、世間では受けないか。
妖艶、官能的なイメージがあるし。海外の追悼が
ないね。原節子とは違うのかもね。 「楊貴妃」で溝口にさんざしごかれて「もうコリゴリ」と言っていたね。
あれだけの名優に音を上げさせる溝口健二というのも凄いが。 溝口健二の指導は、「反応して下さい」
どうリアクションするかが大事。時代劇が受けた。現代劇は余り面白くない。原節子がオファーをけったのは脚本の問題だったね。 >>825
これは一部の海外のファン。
欧米の新聞はないな。新聞の追悼がないということは、現在は人気がない? 監督か女優か。
妖艶のイメージがよくないのか。
原節子は90歳の誕生日にも、イギリス紙ガーディアンに祝われている。この差は何だろう とりあえず日本映画全盛期の大女優は全員亡くなった
若尾さんは好きだけど名女優かな エロ絡んでるから難しいかも
個人的には原節子を超えて永遠の偶像だけど 欧米では、今でも根強い人気のある小津映画のミューズ原節子は、現代劇だから分かりやすいよね。「東京物語」は2012年に世界の監督によるアンケートで1位。「晩春」は評論家のアンケートで15位(「サイト&サウンド」誌).黒澤映画にも、2本の主演。溝口映画は下がってるね。 どっちにしろ昔の日本映画見てる外国人なんて少数だろう >>827
邦画全盛期は昭和30年代だから、
「戦前から戦後の全盛期にかけて活躍した大女優」という表現が正確かと。 日中戦争で日本兵が捕虜になったとき、中国兵から、お前は「李香蘭派か原節子派か」と問われ、原節子派と答えたら、俺も同じだと言われ、優遇された。戦前は中国人も、原節子や李香蘭は有名だったのか。 女優の死去後からみた国際的女優の高さをみると、欧米の主要メディアの追悼記事ー原節子…英・独・仏・米、香港など。高峰秀子…英・米。山田五十鈴と京マチ子はなし。オリエンタリズムにかかわる時代劇はダメか。 原節子の場合、引退して老けた姿を見せなかったのが一番大きいだろ それだけではない。映画自体がみずみずしくなければ、現在にはうけない。それと、原節子の存在感もある。欧米人にうけたのは、アーノルドファンクが、原節子じゃなければドイツ、欧州に通じないといったのと、似ているね。
今でも、評論家などにファンが多い。 1963年43歳に引退して、2015年9月まで52年も、お隠れになっていた。52年の沈黙は、「原節子」という名前を守っていたんだね。
涙が出ちゃうな。工藤夕貴がいうように、女優以上に「女優」てあったからか。 「節子の歌」はいい歌だなぁ。
覚えたい。「東京の女性」(1939)の中に出て来る。一度だけ。つべをみてくれよ。
でもこの歌は、妹と男のドライブの時にかかる。 「節子の歌」は二葉百合子が歌っているの?
淡谷のり子も、歌っていたね。
「処女の夢」かな。 まあでも原節子は絶妙なタイミングで引退したよな
この後昭和40年代になると国民の生活は豊かになり文化も多様化、映画は娯楽の王様から転落し斜陽期に入る
芸術作品は消え、ヤクザモノか時代劇、寅さんみたいな喜劇しかヒットしなくなりやがてテレビの時代を迎える 1958年で映画の人口はピークに達した。
以後、減り続ける。TVの登場で。
小津安二郎が生きていれは、原節子は続けた。
本人が、そういっていた。 1960年代も後半になると映画の代わりにテレビ、漫画、平凡パンチ等の刺激的新興メディアが大衆娯楽の主役となった
若者は車に乗りギターを弾きビートルズの影響でGSを初め、長髪でミニスカートのゴーゴーガールをハントする、昭和元禄楽しそうで羨ましいぜ
この時代に小津映画なんて時代遅れだろ、お見合い結婚なんてナンセンス今の時代はフリーラブだとかバカにされそ 井上尚弥はグラスゴーで勝利したけど、原節子とボクシングというと、「お嬢さん乾杯」(1949)。当時は拳闘といってたらしい。
佐野周二と試合を見学しに行く。この頃は、世界チャンピョンはいない時代。 >>842
小津映画はホームドラマの原点ゆえ、TVに原節子は出た可能性はあるね。
また、家族を描く映画は寅さんも同じ。「万引き家族」あり。家族があるかぎり、続く。だから、2012年に「東京物語」が世界一となった。 俺は、原節子が上着よりインナーに気を使っていると、聞いたことがある。
下着に凝っていたか? 1950年代の女優は、今と違い、シャンプーは毎日使っていたのか。
今でこそ毎日洗う人はいるが、昔からか。
原節子は毎日洗う人だったらしい。皆んな同じかしら。 小津映画がホームドラマの原点という定説には違和感あり。小津作品は、寅さんや渡鬼などとは本質的に異なる次元に到達している。
自分は小津の後継者と勝手に思い込んでヘンテコなリメーク映画を作る監督もいるようだが。 もともと、松竹は島津安二郎や小津安二郎の家族ものは、ホームドラマの原点だろう。その延長上に寅さんもある。家族物のバリエーションがちがうだけだろう。 小津映画はスタイリッシュ。
色々斬新なことをやっており、その点でもおもし >>849
面白い、という前に押してしまい、すまん。 昨日、5月21日は「探偵の日」だった。
探偵というと、原節子の「三本指の男」(1947)があったね。片岡知恵蔵の金田一耕助、その助手の白木静子が、原節子。初の金田一耕助映画。貴重だけど、みたことがないんだよね。みたい。 小津は良い時期に死んだよね
成瀬もそうだけどあのまま70年代まで生きてたらテレビの台頭と共に
間違いなく淘汰されてた監督の1人だろうからね 70年代まで生きていれば、小津も成瀬も淘汰されたかもしれないが、TVに進出したか。
木下恵介は進出した。映画の評価は下がったな。でも、現在は小津映画は欧州などでは、依然として人気がある。黒澤以上かも。 テレビの「青春放課後」を見ると「秋刀魚の味」で感じたマンネリズムから脱却できていないように感じた。
あの脚本では、仮に小津自身が監督しても、それほど感動できたかどうか? 今週号の週刊誌に、京マチ子の追悼記事はでたか。まだ全部みてないが、「サンデー毎日」「週刊現代」はなく、ポストはほんの僅か。10行くらいの追悼だった。文春と新潮、「週刊朝日」はみてない。やはり原節子と比べて、寂しいね。 節ちゃん、おはよう。
今日も、仕事頑張るよ。
「今日も、暑くなるぞー」 杉葉子が亡くなった。
「青い山脈」(49)の主演者はなぜか長生きという邦画界の伝説がついに終焉。 杉葉子は、15日に亡くなっていた。京マチ子と同じくらいか。「青い山脈」がデビューかしら。「めし」など70本以上に出ている。1960年代始めに結婚でやめてアメリカに行き、数年前に帰国。深夜便で、原節子のことを語っていたね。 「青い山脈」(1949)では、原節子・池部良が主演だけど、杉葉子も準主役だね。まあ主役が3人でもいいが。原節子との共演ー「めし」「山の音」「東京の休日」「東京の恋人」くらいか。深夜便に出て、原節子との思い出を語っていた。再放送あるかな。 杉葉子は、「山の音」の前年に成瀬の「夫婦」で上原謙と共演してるよね。ミスキャストかなと思ったら、誰か(原節子?)の代役だっとと聞いたことがある。
自分は、田中絹代が監督した「月は上がりぬ」と東宝初の総天然色作品「花の中の娘たち」が印象深い。主演よりも助演で光る名優かな。
「恍惚の人」でカムバックしたが、出番が少なかったのが残念。 >>860
「夫婦」は原節子が出演予定だったが、病気で杉葉子に変わった。 >>852
あの頃は映画が古い時代の象徴扱いされ大袈裟に云うと廃仏毀釈みたいに排斥されかけていた
実際、大映は潰れるし、日活はポルノ路線、独立したスターたちは制作した映画がコケて皆、借金まみれ、巨匠黒澤すら悩み自殺未遂騒動と映画界苦難の時代だった
これ日本では暫し起きる大衆ヒステリーの一種なんだよね、今だと紙のメディアが危うくなってる 杉葉子の代表作は、「青い山脈」「続青い山脈」でOKか。成瀬映画もあるが。「めし」など。
千葉泰樹の「東京の恋人」では、売春婦役。 京マチ子は現役を通じて今まできた。
原節子は43歳で引退、「原節子」の名前を守り通してきて、95歳で死去。死去後は、原節子が特別にメディアが追悼したが、京マチ子は短かった。俺は原節子が、より好きだね。 日本人女優が海外のフアンにどれだけ人気があるかを、確かめる手段の一つは、つべにコメントが英語などでたくさん書かれているかで判断できる。
原節子は、その点凄いね。小津、黒澤、成瀬の映画ではとても多い。京マチ子はどうよ。 京マチ子は大映に縛られてしまったのがなぁ…
溝口以外の作品では別人のように精彩を欠いている。
松竹か東宝なら、彼女を生かした映画がもっと見れたような気がするが… 大映は映画の系統が似ている。京マチ子の現代劇は、傑作は少ないか。
社長が独裁者か。やはり肉体派女優。それを彼女は嫌だったらしい。原節子のようではないな。 京マチ子は、デビューが25歳で遅かったから映画は100本もない。でも、映画、舞台、TVと頑張ったよね。「伝説の女優」とはならなかったが、週刊誌の一誌くらい特集があればね。大女優なんだから。冷たいな。原節子の時とは大違いだ。 「羅生門」とか「地獄門」を見ると、平安時代の京女の雰囲気が見事に出てるよね。
白人っぽい顔の原節子は未成年時代に「河内山宗俊」に出たきり(だっけ?)。
その意味では貴重な存在だった大女優、京マチ子。合掌… 地獄門や羅生門が外国に受けたのは、時代劇という物珍しさがあった。オリエンタリズム。
現代劇が受けたのはイギリスが最初。「東京物語」が、1958年イギリスでサザーランド賞を受賞した。 谷崎潤一郎が京マチ子のことを「平安時代の女を演じても現代娘を演じてもそれらしく見えるは真の美人」と褒めてたね
原節子は谷崎作品出てるかな?
谷崎の小説にはあまり合わないタイプかも 京マチ子は谷崎原作の「痴人の愛」でナオミ役を演っているよね。
原節子には絶対まわってこない役柄w
京マチ子は、戦後にわんさと湧いて出た「バンプ女優」とは段違いに気品があって演技力もS級。
もう彼女ほどの大女優は出ないだろうね(ため息) 「羅生門」を、当初の予定の当て書きだった原節子でみてみたいな。久虎が反対しなければ出演した。俺は、京マチ子にそれほど気品は感じない。肉体派女優が最後までついて回った。 原節子の観てない映画のなかで観たい映画
1. 「三本指の男」
2.「麗人」 原節子は、43歳からの後半生を何を考えながら生きてきたのだろうか。
とても、興味がある。現役で突然に引退したから、ファンは気になっていると思う。 水泳が好きだから、一人で城ヶ島や湘南で泳いでいたね。孤独に強い原節子か。 原節子さんは、引退後女優仲間と自宅で麻雀をやっていますね。でも、誰かが拡散したためにやめていますよね。 原節子は、戦前の10代からしっかり自己主張していて、それが生意気だと受け取られてしまう。特に戦前は男尊女卑が高いから、俳優の世界も変わらないなぁ。生意気は賛成だ。 「上海陸戦隊」(1939)ー上海にいった原節子。
「上海の街は…無残な荒れ果てた街となってしまった…戦争には、どんなことをしても勝たなければいけない、とかたく思いました」(1939)ー軍国の優等生となる原節子。 >>879
「なんともうしましょうか〜、はいポン!」
なんて言ってたりしてw 原節子は現役の頃の麻雀仲間は、久我美子、淡路恵子、乙羽信子、中北千枝子ら。 91年のゴジラ映画を観てたら山村聡が出てた ちと驚いた
その映画のトメは土屋嘉男 知ってる俳優さんだけどかなり意外
山村聡は真ん中あたりの単独クレジットだが長年功労の敬意を表して(特出)くらいは入れてもえんでないか?と思ったわ なんか、山村聰や佐分利信は特別枠でいいかもしれない。黄金期の俳優だ。節ちゃんがいればね。 「日本誕生」の映画では、山照大神をやった原節子のクレジットは、一番最後にでていたな。
これも特別枠かな。 ラストクレジットは作品のトメ俳優で、
特出や友情はクレジット中間以降に単独もしくは連名で記されることが多い >>886 天照大神の誤り
原節子は戦前から潔癖な女優であり、17歳から水着や入浴を拒否する。が、「わが青春に悔なし」「晩春」「麦秋」での乳首浮き出るサービスショットは、どう考えたらいいんだろう。
考えると眠れない。 原節子さんは、演技で必要とあれば「ブラをしない」。戦後直後はブラジャーはなかったのでしょうか。 原節子が拳銃を撃った映画ー「望楼の決死隊」
原節子が拳銃に撃たれて死んでしまう映画ー「颱風圏の女」
後者はサスペンス映画。演出がイマイチだった。 原節子が拳銃を握る映画に、「安城家の舞踏会」がある。 >>889
原節子よりは一世代下の母が学校の裁縫の授業でブラジャー作ったと言ってます ブラジャーの歴史を見ると、日本では1929年に「乳房バンド」が出現したが、あまり流行らなかった。戦後、1949年「ブラパッド」が大流行した。戦後直後には、女優はブラよりスリップの方が多いのではないか。 >>893
裁縫の授業でブラを作ったの。高等女学校でかな。戦後じゃないよね。
俺は小学校のとき、ミシンで何を作ったか忘れた。枕カバーか。節子さんはミシンのCMに出てるから、上手いよね。 >>895
今本人に聞いたら学校の授業ではなくて昭和28年頃文化服装学院に洋裁習いに行った時だそうです 文化服装学院で洋裁を習った。モダン!
洋裁ができると、洋服から下着まで全て作れるようになるんですか。商売ができますね。
原節子は編み物の写真を見てるので、編み物は得意かも。 原節子にも、デザイナーのような配役も、やって欲しかったね。そういう原作がなかったか。 原節子は、16歳のときドイツからフランスに行ったとき、監督のジュリアン・デュヴィヴィエとジャン・ルノワールに会い、映画を撮ろうといわれる。特にデュヴィヴィエは、日本で撮ろうと提案した。「望郷」は良かった。 「望郷」をみて、俺はジャン・ギャバンをしった。原節子は、彼との共演もありえたかもね。
ジャン・ルノワールも、フランスで原節子と「蟹工船」が撮りたいと。エー。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。