原節子を大いに語ろう。Part11.
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山田洋次は、40代の頃から小津安二郎を意識してたんだな。ずっと批判していたけど。 山田洋次は寅さんが大きな位置を占めているから、民子三部作はどうなんだろう。
紀子三部作には劣るけど。 今月、市川市で「驟雨」の上映。
来月、神保町シアターで、「驟雨」の上映。
またまた、喜劇のような映画「驟雨」がくるよ 原節子は出ていないのでスレ違いだが、以前このスレで話題が出ていた
「男の償ひ」が今つべに上がっている。
前後編の大作で、とにかく物凄いストーリーなので是非見てみて。 「驟雨」は観にいきたいな。
1956年か。本当は、原節子主演で「斜陽」の予定だった。それがダメになったから。 「大番」シリーズ、全てみたいな。
最初だけしかみていない。大ヒットしたんだろう。加東大介か。原節子は特別出演か。 加東大介の初めての出演作品、「大番」。
加東大介は若い頃は前進座にいたね。原節子と「河内山宗俊」で共演したのが、最初かな。
名前は違っていたが。どこかでシリーズやって欲しい。 政府が文化予算をもっと上げれば、古い映画もソフト化されるかもしれないなぁ。
東宝が、ソフト化に消極的なのは予算がないからだろう。 「大番」は、東野栄治郎の「チャップリンさん」が笑える。 「大番」はホントは映画シリーズが終了後、テレビドラマになったやつが見たいんだが。
ギュウちゃんが渥美清、原節子の役が八千草薫で、亡くなった祖母が滅茶苦茶面白かったと言っていた。
60年代前半だからまず映像は残ってないだろうけど、勿体なさすぎだよなあ。 「大番」は、TVでもやったんだ。1960年代だろうか。渥美清がギューちゃんか。面白そう。
八千草薫が、原節子の代わりか。淡島千景は、誰だい。 スレチだけど、映画「約束」(1972)は岸恵子と萩原健一が共演した。2人は付き合っていたとは。22歳と40歳か。岸恵子は、1973年離婚した。その前に、小田実と付き合っていた。恋多き女だね。 メシベとオシベの交わりはホントだろうけど、ショーケンの戯言は話半分ににしときや ショーケンは、前略おふくろ様に出ていた。
おふくろ様は田中絹代だったか。
スレチゴメン。原節子が現役を続けていたとすれば、お婆さん役をやったかな? 岸恵子は、プレイガールだな。
節っちゃんとは違うね。原節子のみたい映画がみれないつらさ。 >>704
「男の償ひ」
監督:野村裕将、脚本:野田高梧、
原作:吉屋信子、1937年松竹作品。
ストーリーは通俗的な悲劇のヒロインものだが、波乱万丈の展開は見処が多い。松竹スター陣の競演も見もの。
だが特筆すべきは、この時代には珍しくロケ撮影が多いこと。特に、伊豆地方をドライブするシーンを前後左右からきっちり撮影している。
当時の撮影機材の大きさを考えると、かなり大がかりな撮影だったことが窺える。それだけでも観賞する価値は十分過ぎるほどある。 >>717
自己訂正。
監督は野村浩将の誤り。失礼。 西村雄一郎(n)「小津さんは、原節子さんがお好きだったんですか」。司葉子(t)「大好きだったと思います。「小早川家の秋」の撮影中は、小津先生は宝塚の旅館。私たちはホテルに泊まっていました。でもリハーサルがあったので、先生たちと夕食が一緒だったんです」続く。 司葉子「…その時、原さんを小津先生の隣にすわらそうとしたら、先生は真っ赤になられて(笑)。n「照れてらした……」。t「ええ、あんないたずらをしたのは、私だけじゃなかったかしら(笑)」(1999年9月25日) 小津安二郎は玄人には手を出すけど、素人の女優には手を出さない。足を出す? 「戦争中は恋愛なぞ考えるいとまもありませんでした。だけれど唯誰かを愛していなければ、あの大苦痛、狂いそうな時間の連続には耐えられないような気がしました」(原節子「民報昭和」1947年6月2日付)。 ということは、誰かと恋愛していたかい。
例のベルリンオリンピックに出た某だろう。
最後は、親の反対にあいダメになったらしいが。矢澤正雄か 石井妙子さんがいっていたけど、原節子の 本を書いた人は作品論が中心であり、原節子の性格・思想を中心に書いた著者はいないという。確かにそうかも。石井さんの「原節子の真実」は、彼女の思想形成が中心かもね。作品論ではない。 戦前の映画で、「女の教室」(前編、109分。中・後編、98分、1939年8月、9月公開)。この映画は、めったに映画館にかからない。女医専門学校の青春、卒業後の生き方。7人の医学生のあゆみ。原節子は陳鳳英、中国留学生の役。東宝にフィルムあり。 個人的には原節子「永遠の処女」伝説くらいかな 印象的だったのは 戦前の原節子映画は、映画館でかかるのを観るか、つべ、VHSくらいか。
我が家には、TVがないから映画館しかないな。 >>728
CSで2008年9月「女の教室 学校の巻」
10月「女の教室 人生の巻/戦争の巻」放送された。
また放送されるのを待ってます。 >>731
みたんですね。それはうらやましい。
その頃は映画に興味なかったし、原節子も知らなかった。国立アーカイブにはないけど、東宝にはフィルムがある。みたい。 平成という元号に興味はないが、30日で終わりか。原節子も、2015年9月5日に亡くなった。95歳。平成27年か。今、95歳の京マチ子は来年3月まで生きれば、96歳。マチ子は肉体派で裸になっているが、美人とはいえないね。 >>735
なんか京マチ子って、太地喜和子の母親か、お姉さんに見えるんだよね。
似てると思うよ。 神保町シアターで映画を見たら、帰りに近くのラーメン二郎で食事をしていくのが
今どきの通 ラーメン次郎て、わが街の銀座通にあるけど、食べたことはない。
上手いのかい? >>736
五十鈴、草笛、マチ子さんらは70年代後半には必殺シリーズでお茶を濁してたが
マチ子さんだけは真摯に殺し屋を演じてたよ あの目つき さすが羅生門の狂気健在 そういえば、原節子と京マチ子の著書は購入したよ。2人を叙述した本。 京マチ子は「華麗なる一族」で、佐分利信の妾をやった。正妻が月丘夢路。だから、京マチ子にはいいイメージがない。
スレチでゴメン。原節子は、シングルの経営者がいいね。 京マチ子は、第一印象はよくない。
それがイメージをつくる。本人は真面目でおとなしいみたいだけと。観客は見た目でみるんだよ。まあ、肉体派、ヴァンプ女優のイメージは払拭できない。原節子のヴァンプは新鮮味あり 大阪のシネ・ヌーヴォで、今京マチ子特集をやっていて、5月3日に終わる。
2015年5月頃、ここで原節子特集をやり、40作品以上の映画上映があった。ここで特集やると、その年に原節子は逝った。京マチ子は大丈夫か。同じ95歳だし。 京マチ子は、他のヴァンプ女優と全く違って品がある。それに抜群の演技力。
羅生門を見て、あの森雅之と堂々と渡り合ってあれだけの演技ができる女優は田中絹代か高峰秀子くらいしかいないと思った。
正に大女優の称号に相応しい存在。
その京マチ子をして「二度と出たくない」と言わしめた溝口健二という監督も相当な人物。
原節子は溝口との接点はない(?)が、もし彼女が溝口作品に出ていたら、どれだけしごかれたか… >>746
原節子は、溝口健二からオファーあったが、脚本を読んで断っている。溝口は当たり外れがある。せめて、北村匡平「スター女優の文化社会学」(2018)を読むべし。原節子と京マチ子の分析だ。 京マチ子は魔女で原節子は聖女と北村匡平はみているね。京マチ子は40代以後、30代もか、裸になっている。普通の観客はそういう目でみる。これは仕方がないことだけと。日本では損してるか。だから仲代はそういう目で見てるし。 原節子は、戦後直後は戦後民主主義の映画にいくつか出て民主主義の女神扱いされた。小津映画では、平和と秩序、伝統の中に入った感じか。小津がいなければ、もっと自由奔放にやれたと思うな。黒澤明は「羅生門」に、予定通り原節子が出ていればね。 今週の「週刊現代」に、「美人ランキング」が特集にあり。売上げを伸ばそうと思い書いたか。1位後藤久美子、2.宮沢りえ、3.夏目雅子。ゴクミが美人? 当てにならないが、黄金期女優では岸恵子、有馬稲子、原節子(10位)の3人がベスト10に入っている。大正生まれでは原節子だけ 週刊現代の「美人ランキング」は、殆ど今どきのアンケートだから、黄金期の女優が入っているのは嬉しいね。有馬稲子のスレにもある。
吉永小百合は8位か。100位まである。古い女優を盛り上げて欲しいな。連投失礼 10連休は長いな。
原稿の〆切があるのに、原節っちゃんの映画をみたくなる。 成瀬巳喜男映画で、原節子出演のなかで一番好きなのは、「驟雨」だね。
この映画は、観た人の評価が高く、「めし」「山の音」を上回る。時代により評価がかわるよね。 女性の美しさの尺度は、人によって大きく異なるので、これはあくまでも自分個人の意見。
今まで見た邦画の中で、ため息が出るほど清純で美しいと思った女優は二人。
「母の曲」の原節子
「宮本武蔵(東宝)」の八千草薫 「母の曲」は、映画館でみた方がいいね。
つべにある。
八千草薫は、可愛いタイプじゃないか。 今、京都の文博で、成瀬巳喜男没後50年の特集をやっている。原節子に関しては、「山の音」。全部で14作品。
亡くなって50年もたつのか。1969年か。成瀬巳喜男を知ったのは最近だから、作品をみたい。 地方ロケには原節子も、多く行っていると思うが、1957年3月は福島県二本松にいった。
「智恵子抄」の撮影だ。撮影場所に、千人程が来たと。原節子は、顔を背けていてファンはがっかりしたと、地元新聞が記した。シャイかしら 映画の歴史では、1930年代だと思うけど。
四方田犬彦「日本映画史110年」によると、第1黄金期は「1927年〜1940年」だった。まあ、当たっているが、映画はアメリカに次いで多かった? 原節子の10代か。 >>751
100位以内に香川京子がいない。いてもいい。
9位北川景子と10位原節子は一票差か。
石原さとみ、長澤まさみ、綾瀬はるからは美人度で劣るのか。低いね。信用できぬランキング 小津映画では、「晩春」が1番好き。
成瀬映画では、「驟雨」…とても、生き生きした主婦。倦怠期だけど。原節子がいいね。 今、神保町シアターで川島雄三特集。
今日、「女であること」(1958)ーチケット完売。 原節子、森雅之、久我美子、香川京子ら。
けっこう面白い。最後に、原節子が妊娠したところで、エンド。 「晩春」はちょっとケバ過ぎるんだよなぁ…
自然な演技で魅力全開に感じるのは「麦秋」。
映画自体も「麦秋」が小津作品のベストだと俺は思う。
この年のキネ旬ベスト1が「麦秋」で2位が「めし」。原節子の異なる魅力がリアルタイムで堪能できたこの時代の映画ファンは本当に幸せだ。 >>964
1人の女優が、キネマ旬報で1、2位を取るのは現在では考えられない。原節子は、1949年に「晩春」1位、「青い山脈」2位、「お嬢さん乾杯」6位。1951年も1位、2位。この頃、生まれたかったね。 その頃に生まれた方が今より情報得られないと思うけど
それに今ならその3本を安価で手元に置いておけるし
今の方がイーデス・ハンソン >>763
その通り。妊娠もラストの範疇だからいいのだ。久我美子が家族を掻きまわす役柄か。
今日、5月5日は「自転車の日」.
「青い山脈」「晩春」以外に、節ちゃんがチャリンコに乗った映画は、何か? そういえば、「山の音」も少し自転車にのっていたような。
原節子は小津映画に出て、名作に出られて淑やかさがあったが、演技が狭くなった感じ。その点、黒澤明はダイナミックに原節子を演じさせた。どちらがいいかは不明だが。もっと黒澤映画に出て欲しかったね。 原節子のフリーが、もっと長ければ。
木下恵介の映画に何本か出ていたね。都会派の映画か。成瀬映画にも、もっと出ていたか。
小津映画は細く深く。溝口健二の映画には、時代劇で出て欲しかったよ。 今日から仕事だ。10連休が終わってしまった。原節ちゃんの映画みてないな。
>>771
回顧録か。いいと思う。 スレチで悪い。週刊現代の「美人ランキング」100、あてにならないが、100位真野響子。藤原紀香が97位くらい(いい加減)、三田佳子も95位以下。紀香って、こんなもんなの? 1位後藤久美子も?だけど。 代表作すらないゴクミが1位?
これって現代編集部俺たち数人で選ぶ美人ランキングだろ 週刊現代の「美人ランキング」は、識者15にん、あと1000人余りの一般人らしい。
ゴクミ1位、宮沢りえ2位.竹内結子6位、吉永小百合8位、原節子10位、沢口靖子18位、新垣結衣52位、三田佳子99位。高島礼子90位。 戦前とまで言わなくても、戦後から昭和40年代までの邦画をほとんど見ていない人物が決める美人ランキングなど笑止千万。
美容整形などなかった時代の美女と、プチ整形など当たり前という現代のタレントを同列に置いてランクする馬鹿馬鹿しさ。 ネットで見てうろ覚えなんだけど、大正時代にもう整形女優って言葉が
有ったらしいよ。
昔は今みたいにネットに過去写真とか出てこないから、誤魔化しやすかった
部分もあると思う 今の時代は中学生時代あたりの写真を持参してもらわないと安易に信用できないな
ガッキーなんて素人時代(小学6年〜中学あたり)にお直し(今の原型)完了してる恐れもある
また浅丘ルリ(いしだあゆみ含む)系みたいに若い頃の愛くるしさから
中年期からはガイコツに変貌なんて誰が想像したろうか?
これは整形の弊害なのか自然現象なのか?だわ 浅丘ルリ子を初めてみたとき、化粧の濃いおばさんのイメージ。痩せすぎ。今、映画で原節子をみると、殆ど化粧してない感じがする。「わが青春に悔なし」はその例。化粧の薄いイメージだね。ナチュラルなメイクか。 「東京物語」のラストに近くシーン。紀子と義父との会話で泣く人多数。
俺は「晩春」の京都の宿での紀子と父親の会話に、ホロリとくる。泣ける映画もある。我儘な原節子も好きだけど。 >>776
整形は戦前からある。特にハリウッド。大半が整形美人だったと暴露されただろ。
もちろん日本女優もだ。あまり戦前を美化しないことだ。 スレチゴメン。
NHKドラマDVDを地元図書館で借りた。「おさんの恋」(1985年作)。これは「近松物語」とほぼ同じか。映画では香川京子、ドラマでは太地喜和子。茂兵衛は長谷川一夫、ドラマは滝田栄。喜和子は美人には見えないな。 川島雄三の特集ー神保町シアター。
「女であること」…原節子と森雅之の夫婦、
森雅之はまともな夫だね。「洲崎パラダイス」も。これはつべでみた。もう忘れたいる。 1945年8月15日敗戦。その頃黒澤明は、東宝撮影所で「虎の尾を踏む男達」を撮っていたけど、のちGHQにより上映禁止となり、1952年に公開。源義経役に、原節子も候補になっていたらしい。へーぇ。 エノケンが、この映画に出ていましたね。
エノケンは原節子さんと共演していると思いますが、何でしたか。
戦前、エノケンは映画によく出ていました。 共演は1939年の「忠臣蔵」かな。フィルムがないらしいけど。
エノケンさんは,製作もかねて戦後もいっぱい出てますよ。 >>786
感謝です。
戦後もでていましたか。朝ドラでエノケンてやったような?
中村メイコも、子役で原節子と共演していたね。 原節子のデビュー作品、「ためらふ勿れ若人よ」(1935)は、彼女が主役だった。これは珍しいよね。普通は脇役くらい。久虎の影響があったのかしら。
潮来で撮影。それでいて、当初は期待されていなかった……。 小津の東京物語みてから東京暮色みてるんだが
これってもしかしてストーリー繋がってる?
繋がってるなら原さんが出てくる物は年代順に見たほうがいいのかな >>787
中村メイ子さんとは1942年の「希望の青空」ですね。
メイ子さんは「証城寺の狸囃子」で踊ってます。
主役は高峰秀子さんと池部良さん。原さんの助言から、二人が池部さん側の兄姉の家庭をめぐり結婚生活を考える話。
原さんの白無垢姿がきれいです。 >>789
両作の、どこをどう見たらつながって見えるのか、決して煽りでなくマジで聞きたい。 晩春を暮色と間違えてしまった、いつもの暇人の釣り狙いだと推測 >>791
つながっているのは、「東京」だけ(笑い)。 「女医の診察室」(1950)は、原節子が初めて上原謙と共演した作品。
でも、これはフィルムが残っていない。なぜ、残っていないのか。不思議だ。誰か知ってるかい? 原節子が企画に参加したらしいが。 作家高橋治は、「東京物語」の助監督の一人。
原節子は背中にトクホンを貼っていて、 それが透けてみえないか確認する役目。「高橋さん」と呼ばれる度にドキドキしたらしい。トクホンは誰が貼ったんだろう。トクホンになりたかったぜ。 トクホン、懐かしいな。
昔はサロンパスより売れてたんだよな。 高橋治の小津安二郎について書いた本は、読んだことがあるね。 「女医の診察室」をみたかった。原節子と石井ふく子の会話を聞きたかったなぁ。 かけ出し時代がみたいよー
藤田進とのカップリングが結構好き。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています