原節子を大いに語ろう。Part11.
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戦後、東宝で日米合作映画の計画があったね。「旅愁」ー原節子が主演の予定がダメになった。残念だった。 没になってよかったんじゃない?
外国との合作映画なんて、ろくなのがないからw 旅愁は監督候補が久虎があがった
予算でダメになつたと聞いている。
原作がだれだったか、日本作家。 せっちゃんはデビューから数年間はとても人見知りする性格。いつも笑えるエピソードあり。1人銀ブラしていたら、いつの間にファンが後を付けて来てデパートに逃げるせっちゃん。そこで助けてもらう。「だって、私が悪いことしてないのに追っかけて来て」と泣く。w 横光利一も知らない無教養な輩が原節子を論じるとは片腹痛いw 俺も「旅愁」は聞いたことがある。原作を読んだことはないが、パリでの出来事があり、好きなパリにいけると、原節子は思ったらしいですね。 原節子は将来先生になろうかと思ったほど学校での成績が良く、
家のために女優になってからも読書を欠かさない才媛だった
少なくとも古今東西の名作文学を読んでない低能が彼女を
論じることを今後一切禁止する
イケメンで教養豊かな人間のみ書き込んで良い >>345
上から目線だ。そういえは、愛川欽也が原節子の大ファンだったね。何かエピソードを知っていたら教えて下さい。 1月20日、川崎ミュージアムで、「めし」を上映中。川崎を舞台にした特集。あと「おかあさん」も川崎らしい。これは知らんかった。 石井さんって人が晩年の3年間ほど原さんを取材したようだが、直接本人とは会ってない。が
突撃取材してほしかった。100の推測より1の肉声だ。しかし1962年の引退はさほどミステリアス
な事件でもなく、普通に女優生命が終わったということでしょう >>349 最後の映画「忠臣蔵」は1962年11月かな。俺は1963年に引退したと思う。外国の原節子履歴は1963年になっている。小津安二郎は1963年12月に死去したが、この時生きていればもっとやりたかったと、最後の肉声がある。小津が
いれば継続していたよ。 小津の葬儀に出席したのが公に見せた最後の姿だからそうなっているのかな? そうだね。それに1963年になっても、オファーは結構きており、それを原節子は断り続ける。彼女が小津の母親に辞めるにさいし、 膝がわるくなり座る芝居が出来ないといった。1つの原因か。また手術をした左眼は失明に近い 最後の出演だった忠臣蔵は、出番はほんの少しだったが、まだ40代というのにかなり老けて見えたよね。
あれでスパッと引退して正解だったと思うな。
数年後に隠し撮り写真が出回ったが、化粧なしとはいえ、かつての面影は微塵もなかった。 引退して1979年か80年頃、車を運転するためにメガネをかけた姿や山を歩いているすがたが写真週刊誌にスクープされた。若かったな。容貌も衰えていなかった。60歳頃。ロックンローラーのイメージ。やればできたよ >>354
いやいや、顔はそんなに衰えていないけど,体型が完全におばさん、太り過ぎだね
理想は20Kg減量、最低でも10Kgは減量しないとダメな感じだった、元々太り易い
体質なんだろう >>355
原節子は元々骨太でがっつり体系だから、太らない。水泳が好きで引退後も泳いでいる。まあ、43歳で華やかで、名作を多く残したからそれでいいと思う。「伝説の女優」と社説にも載ったし。いい人生だったね 小津安二郎生誕100年以後、NHKは原節子に何回か、アタックしている。俳優の後輩に声を聞かせて、経験を記憶のアーカイブにしたかった。これは深夜便なんかで、インタビューしたかったのかな? 結局、原節子は沈黙した。 おそらく、原節子さんの女優人生を「深夜便」あたりで、アナウンサーがインタビューするつもりでいたように思いますね。 原節子は引退して、自分の全てを忘却して欲しいと念じていた。でもファンは大切にしていたみたい。亡くなる時も、騒がないでと 原節子との一問一答
どういう役柄がやりたいですか?
「私はやっぱりいろんな事件にぶっつかるような役が好きです」(今村太平『映画入門』1955年)。 原節子とモーリン・オハラと同年生まれで、2015年に死去。せっちゃんも、西部劇に出て欲しかったぞなもし。2人とも好き。95歳で他界 >>361
モーリン・オハラ。
アカデミーに招かれた宮崎駿が会場で面会して大感激した伝説の女優ですね。
オリビア・デハビランドはまだ存命だったっけ? >>363
渋いね。102歳で健在。俺は知らなかった。妹の方が有名だね。ジョーン・フォーンテインだもの。ビデオもってる。姉は東京で出生した。原節子より4歳年上。 そういや、カーク・ダグラスも102歳でまだ元気(らしい)。
さすがに昔の面影はないけれど… もう少し早く、10年くらい前に原節子を知っていれば、鎌倉辺りで会えたかもね。ファンになるのが遅かったです。1940〜50年大の女優の美しさは、今より上です。銀幕女優は今はいわない。 北川景子や綾瀬はるからは一応美人の部類に入るが、やはり顔かたちが変化しているのだろうか。ハリウッド女優も含めて、黄金期の女優の方が次元が違う気がする。これはなぜかしら。 昔は役者なんて河原乞食なんて言われてかなり蔑視されていた。
入江たか子や久我美子など旧華族出身のとびきり美人が映画俳優になるなど例外中の例外。
しかし、映画産業黄金時代になると、スターはとてつもなく稼げる職業ということで、人目を引く美女は、もうそれだけで就職先が決まったも同然w
山本富士子や吉永小百合、佐久間良子などがこのパターン。
職業が多様化した現代、映画界はさほど魅力ある世界ではなくなった。芸能界に入っても、せいぜいテレビタレントだし、肌も露出しなけりゃならない。
女優になりたいと思ういい育ちの美人令嬢はいなくなったのでは? 原節子は県立高女にいっていれは、授業料が安いから女優にはならなかった。教師になっていたね。 小津安二郎とも出会っていなかったか。 資生堂のイメージガール原節子。1946年
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E8%B3%87%E7%94%9F%E5%A0%82+%E5%8E%9F%E7%AF%80%E5%AD%90#image_1 スレチだけど、坂本なおみの全豪オープン優勝。凄い。スポーツしている映画もいい。原節子は「青い山脈」で、生徒とバスケットやつていたね。 ツッコミをまっていた。大坂なおみといわずに、「坂本なおみ」にしたのさ。
ツッコミをおおきに。 ビートたけしの好きな女優
高峰秀子、原節子、浅丘ルリ子。 今日用事があり、ついでに町田駅のツタヤにいったら、俳優別の棚があり、女優では田中絹代と原節子だけがあった。監督別や男優の個別化はしても、女優はやらないので新鮮だった。原節子の棚は皆んな持っていた。 俺が持っている往年の写真誌「LIFE」の映画特集総集編(1975年版)によれば、
米国映画界の4大女優は、
グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリヒ、ベット・デイヴィス、キャサリン・ヘプバーン
となっていた。
これは、この時点でベスト女優を誰が選んでも、この4人だけは絶対に外れないということらしい。
日本はどうかな?
オールタイムで選ぶと、
原節子、田中絹枝、高峰秀子、山田五十鈴
あたり?
ちなみに、男優の方は
ゲーリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、スペンサー・トレーシー、ジョン・ウェイン
となっていた。 キャサリン・ヘップバーンは、アカデミー賞の主演女優賞を4回受賞している。美人ではないけど。原節子が「麦秋」でフップバーンのファンというのはキャサリンだった。日本では原節子、デコ、田中絹代、山田五十鈴➕京マチ子くらい。 >>379
原節子、田中絹代、山田五十鈴、京マチ子は、外国からみた有名な日本女優と似ている。巨匠監督の映画は海外でも有名になるから、出演した女優も知られる。溝口、小津、黒沢。成瀬は4人目か。 >>378
ゲーリー・クーパーは、原節子が戦前からのファン。16歳の頃から。「晩春」にも、杉村春子叔母が、鼻から下はクーパーといっていたね。 紀子のお見合い相手がクーパーに似ていたんですね。作家辻仁成さんは木下恵介の影響を受けたらしいです。木下、成瀬は黒沢、小津の陰に押しやられていて、学生時代不満だったと、1月28日東京新聞夕刊に述べています。 60年代から70年代前半にかけて、テレビで「木下恵介アワー」をやっていた影響で、木下は黒澤をしのぐ知名度があったと思う。
原節子が出た木下映画は「お嬢さん乾杯!」だけだったかな?
この映画の原節子は小津映画とは一味違う魅力がある。木下作品でもっと彼女を見たかったなぁ。 木下恵介は原節子との座談会で、今度映画に出て欲しいといわれ、出演した。「お嬢さん乾杯」は最高のラブコメだ(志らくは、戦後最高のラブコメと述べた)。1作だった。原節子がフリーでいれば、あと4.5本くらい撮れたね。1951年に東宝に義兄も込みで戻ったから、ダメになる。 デコが木下恵介と作品が多かったのは、ずっとフリーだったから。田中絹代、山田五十鈴も戦後はフリー。原節子は家族を考えて、干されていた義兄を助けたかった。成瀬とは、もっとできるはずだった。病気で「夫婦」は、杉葉子に変わった。連投失礼 樹木希林は悠木千帆の頃、18歳で文学座に入り杉村春子の付き人をやっていた。「秋刀魚の味」の撮影て、杉村春子がオールドミス役のNGを繰り返したのをみていた。小津映画の空気にふれていたと、本人はいう。原節子とは話したことはあるのかしら? おーい。皆んな。といってもいないか。
石井妙子「原節子の真実」の文庫版が、1月27日に発売された。単行本を買ってない人は買ってくれ〜。新潮社文庫。800円弱、増補版になっているよー。エヘン! 文庫本「原節子の真実」を買いました。口絵写真が単行本より2倍程増え、発見されたエッセイを載せていますね。解説は、テルマエロマエの原作者ヤマザキマリさんが書いています。安いので買って欲しいですね。 原節子の引退後、パパラッチが鎌倉の原節子宅で、カレーライスをご馳走になったのは、石井妙子は文庫本では嘘だという。真実はなんなんだよ >>388
漫画家のヤマザキマリでなく、映画評論家に解説を書かせるべきだろ 文庫版石井妙子「原節子の真実」(2019.2.1発行)は口絵写真が2倍程増えたが、キャプションに一か所ミスあり。「小早川家の秋」の説明で、司葉子の母親原節子とあるが、義理の姉の 間違いだ。後はない。皆んな買ってちょうだい。 「…原節子の周りは、これでもかというくらい人間を失望させる要素で溢れかえっていた。でも実はそのような過酷な環境こそが、この若い女優の精神を熟成させていったことは間違いない」(ヤマザキマリ「解説」(石井妙子『原節子の真実』文庫版、2019.2) 「娘と私」(1962)を観た方はいますか。まだ観ていないです。加藤剛が出ているらしいです。原節子さんとの絡みはあるか、知っている方がいたら教えて下さい。 ヤマザキマリは、石井妙子「原節子の真実」(新潮文庫、2019.2)の解説を書いてるが、あまり原節子の映画を観てない気がする。別にいいんだが。まぁまぁのコメントかな。上から目線で悪いが。 「お嬢さん乾杯」(1949)について、小林信彦が語っていたが、シーンごとにオチがあるんだって。ヘーエ!と思った。戦後最高のコメディといっている。1980年代にテレビ東京で、上映したことが初めて分かった。俺はこの頃は全く知らなかったよ、原節子を。 「お嬢さん乾杯」は確かに、オチがあるかも。
見直してみる。 原節子さんは、小津さんの墓参りを90歳くらいまでやっていたのは本当でしょうか。 今、ギャオで「冬のソナタ」をみている。日本で大ヒットしたらしい。ユジンのチェジウが、原節子だったらと、想像してみる。29歳の頃の原節子なら、完全に勝っている。あの頃は超絶美女だったなと思う。 知識の全てが偏りすぎ
毎日毎日の自演
お前の存在は親族の恥だろうな >>402
本当はお前が自演してんだろう。5ちゃんなんか、所詮は過疎スレだから話題のある奴が書けばいいんだよ。お前みたいに。自然消滅するなら自演もいいな。原節子が好きな奴が書けばいい 「めし」を映画化するさい、林芙美子は原節子の主演に反対、中北千枝子のような顔がいいといった。藤本が反対すると、せめて京マチ子にしてと。マチ子は五社協定でダメ、芙美子死去。原節子で大ヒットした。マチ子は美人じゃなかったんだね。 その改行しない独特の文体を直してほしい。
パソコンからだと一目瞭然でいつもの人の書き込みだと分かってしまう。 発狂バージョンとの使い分けなんだと思う
あっちはきちんと改行してる
馬鹿は馬鹿なりに考えてるんだろう
頭悪そう。
100字くらいの字数制限あるのに、改行なんかできねいだろう。スマホだな。 そういや「放浪記」の高峰秀子はブスメイクしていたな。
戦前版の夏川静江は普通だったが。 林芙美子はブサイク系じゃね
だから美人は嫌い
デコは十人並みか 原節子のグラビア 1940.10月 20歳。better
https://msp.c.yimg.jp/puffer?x=320&y=418&q=6dL2J.sXyLEmvr.tq8mPOUrgRrIZ_M9kfpp_8HxTQFalsstwlwBwzwAHcuGBhAHs6j.VIZOVQruh6x69lsO40xZuNB23dU7K2.gjHZ8HMufP7ofbmxn33fT0j.HM3cFuNMbwk1Je7w-- 新潮社で、4月にまた原節子の講座をやる予定。
石井妙子「原節子の真実」文庫版が発売されたからだ。
今度は参加してみようか。
講師は石井妙子さん。 「青い山脈」の歌は、NHKでやった昭和の歌アンケートで1番になった。
それだけ有名なんだな。映画も。
日活映画の歌はそこまではいかない 「青い山脈」リメイク4回。
リメイク1回目のビデオはないのかしら。
宝田明が沼田先生、司葉子は原節子の代わり。
57年版。 「東京の女性」(1939)は原節子のキャリアウーマンを描いた佳作。19歳。
戦時体制でよくできたモダニズム映画。
オープンカーでの原節子と立花晃は状況は違うが、ボガートとバーグマンが乗るオープンカーに見えた。「カサブランカ」 戦前の自動車は輸入車中心でした。だから、セールスも輸入車のみだった。
「東京の女性」での原節子は輸入車を運転していた。輸入車のオープンカーはカッコいいね 石井妙子「原節子の真実」の文庫本は発売されたばかりですが、原節子さんが書いたエッセイが載っていまさす。
読んでな方は読んで欲しいですね。 原節子のお墓がどこにあるか、知りたい人が多い。
石井妙子さんは探さないで欲しいといっている。無理はないか つべにある「東京の女性」(1939).「嫁ぐ日まで」をみた人は、コメントして欲しい。
改めてみてみると、いい映画だなと思う。
つべにもコメントはついているけど 例えば「嫁ぐ日まで」は19歳の原節子が、結構生き生き描かれており、ネズミ捕りのエピソードや妹との会話など、戦争体制でなければもっと評価が高かったのではないか。
女学校で歌う歌もいいな。 妹役の矢口陽子がとてもいい。
もっと出て欲しかったね。
また花嫁姿が、10年後の「晩春」を想起させた。島津保次郎の小市民的映画は、松竹の伝統だよ。 「嫁ぐ日まで」は、制作主任が八千草薫と再婚した谷口千吉。 「山の音」は節度あるエロティシズムが香りがする作品ですね。
義理の父は息子に愛人と子供がいる嫁をいたわる。 「嫁ぐ日まで」(1940)の撮影場所はどこだべか。2輌の電車が走っていたな。
誰か知ってるかい?
現在では都内か。 以前に誰か指摘していたが「嫁ぐ日まで」は、編集でカットされたのか、ストーリーが中途半端なんだよな。
姉が金持の外交官との結婚を決断する大事なシーンがない。
妹が義母と和解する場面もないし、なんだか消化不良で終わってしまうのが残念。 元々、「嫁ぐ日まで」は70分程だから、物理的に無理か。映画では大川平八郎は原節子を好きだけど、節子は恋愛より親との関係で結婚したいといっていた。結論を急いだ島津監督だけど、音楽はいいと思う。 連投。妹と義理の母は関係はよくはないけど、花嫁姿で妹に上手くやるように話したり、ラストシーンでは手紙を書いて、義母との関係を説いていた。
中編の映画では、そんな感じでまとめたか。 物語の定石だと、外交官が人を見下す嫌な奴で、貧乏だが優しい性格の大川と結ばれるところなんだがな。
妹も義母と和解して、みんなめでたしめでたしというラストを期待していたら拍子抜け。 あと「嫁ぐ日まで」は、女学校で音楽の授業であの歌はいい歌だなと思った。杉村春子は音楽の先生。元は音楽を広島で教えていたから、ピアノは上手いし。沢村貞子と雰囲気が似ている。 「嫁ぐ日まで」では、沢村貞子と杉村春子の対話のシーンがあった。この2人は雰囲気がにている。
どちらも名優。戦後のドラマ・映画などでは共演はあったかしら。 矢口陽子は、「嫁ぐ日まで」の原節子の妹役はいいよな。
「一番美しく」にも、黒澤映画に出ていたけど「嫁ぐ日まで」の方がずっといい。「青春の気流」にちょい役出でいた。他に観た人はいるかな。 矢口陽子は「一番美しく」出ていなければ、黒澤明と結婚しなかったかもしれない。
もっと女優を続けて欲しかったな。意思は強そうだ。 大川平八郎は「嫁ぐ日まで」(1940.3)では原節子に失恋したが、別の映画では夫婦をやってる。
「女の街」(1940.7)では夫婦だ。監督は今井正。
まだ観ていない映画。 ヘンリー大川は、戦前の主要な映画によく出てくるよね。
それと「嫁ぐ日まで」で父親役を演じる御橋公も。このときはまだ50歳くらいなんだね。青年役から老人役まで実に演技の幅が広く、善人も悪役も見事にこなす。
戦後も長く活躍して欲しかった名優。 大川平八郎はハリウッド俳優を経て、日本に戻ってきた。
ヘンリー大川にしたのは戦後からかしら。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています