△△△△△八甲田山 第九次雪中行軍△△△△△ ★3
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>>751
え?
秀吉が朝鮮出兵で脚気予防の為に白菜に唐辛子を漬け込んだものを
船乗り達に食べさせた物が朝鮮に伝わってキムチになったと聞いたけど 江戸時代からあったよ
ただ当時は栽培が上手く行かず狭いエリアでほそぼそと作られてただけだったが 凍り付いて食べられなかった兵隊さんたちのおにぎりって白米だったのかな
神田大尉はたしか奥さんが気をきかせて弁当はパンだったと思うけど
どんなパンだっただろう?
サンドイッチじゃないだろうし… >>756
この凍りついた握り飯の悲劇は映画二百三高地でも繰り返されるのであった 明治の陸軍で白米というと思いつくのは軍医の森林太郎(森鴎外) 原作読むとどうも準備にかける費用は軍にケチられたみたいだから
士官はともかく一般兵の弁当は米飯は食べられなかったんじゃないかなあ
補償金も最初に提示された金額は将校以外は有り得ないほど低かったみたいだし 明治の軍隊はとにかく白米にこだわって脚気に悩まされたんじゃなかったっけ >>758
そうなの!?
八甲田の教訓を生かしたんじゃなかったのか
兵隊さんたちは浮かばれないよな… 賽の河原とかネーミングから怖過ぎる
地獄谷温泉とか白骨温泉とかもそうだけど
何で日本はそんなに怖い地名付けるんだ 正式な地名でなくとも賽の河原と呼ばれてる場所は日本中あちこちにあるね
青森で有名なのは恐山と金木町だけど八甲田のあの場所を
賽の河原と呼ぶことは今ではほとんど無いんでねえべが 白骨はもともと正式な地名が定められてなかった頃は「白船」と呼ばれてたんだけど
小説の中でつけられた地名がメジャーになって白骨が定着したそうだ 適当なサイズの円礫がゴロゴロしていて 一つ積んでは父のためゴッコができそうな河原はことごとく賽の河原呼ばわりされる これから寒くなってくる
またこの映画を観たくなってくる 寒い時観るとますます寒く…
でも最近のは画面が明るいからそんなに寒くないかも
暗いのが良かった…って気もするけどね 「山田少佐を温めて差し上げろー」と少佐と他の隊員が裸になって抱き合うシーンがあればよかった
もしかしたらその場で春を謳歌することで無理な行軍を止められたかもしれない 大雪の日に、
全く同じルートで歩きたい
勿論超絶防寒で 雪山でウンコしたくなったらどうすんの
吹雪の中でも尻出して野糞? 山で野糞はできない
脱糞してすぐ食べることになってる ズボンに脱糞だろ
ジャックヒギンズの死にゆく者への祈りも冒頭に銃突きつけられてそのまま脱糞する場面が出て来る >>774
現代の装備なら余裕と思ってっべ?
無理だど当時と同じ気象条件なら死ぬど スキーを装備してれば何とかなると思う
当時の行軍もスキーが無い上にソリがあったから 1人じゃ怖くて歩けないけど
プロの案内人と共に50人くらい一緒なら歩いてみたいよ 災害があると自衛隊のありがたさを実感するなぁ
明治の軍隊は災害救助とかしなかったんだろうか >>788
ちょっとググってみた
明治24年10月の濃尾地震の時に現地の最高指揮官であった桂太郎の命令で軍が出動しる
この頃は災害時の軍隊の出動は、部隊指揮官の裁量で決定されてた模様
その後も何回か各地で災害出動はあったが全て現場指揮官の裁量で
物資放出なんかもその権限で行われてた
日本は当時から法治国家だったので軍隊出動の法的根拠を整える事になり
明治43年3月18日の衛戍条例改正(勅令26号)によって軍隊の「災害出動」が制度として確立
だそうだ 明治24年以前の事については軽くググった程度じゃ資料見つからんかった >>789
そのころはまさか未来の軍隊は迷子の捜索までするなんて思わなかったろうなぁ 自衛隊を2分して、災害派遣や後方支援を主任務にするのと、
戦闘を主任務にするのに分ける必要がある。 この映画では明治時代の青森人が普通の日本語を話している。
この点、大きく史実と異なる。 大隊長クソヤロウかと思いきや最後は責任認めてるし自決したし、なんか憎めなかったな。
てかマイナス10℃以下の中を軍手二枚重ねでよく行軍できるな。
あとこの映画見て冬山は絶対やらないことにした。 もう少し悪役らしい活躍見たかったな
ああいった役柄は性豪と相場が決まってるし 実在の人物をモデルにしている以上
あれ以上悪役にしたら遺族からクレーム来そう >>797
実際題材になってる原作者には遺族関係者からの相当なクレームあったはず。 本名に近い山田少佐じゃなくて全然違う名字にするべきだったな 村長が地元の若いのが冬季に何度も遭難している話をしていたが
土地勘ありありの地元民でも危ないというわけで健さん隊で案内人の調達報告で 自分は銀山で働いておりましたその必要はありません 初見だとこれは絶対フラグだと思っちゃう あの村長さん
エピローグのシーンで緒形拳と一緒に全国放浪して欲しかった 山田大隊長が前後不覚で倒れて部下に引っ張って運んでもらってる状態なのに
救助隊と対面した時に即起き上がって申し開きをしたシーンを見ると結構元気じゃんと思ってしまう
まあ気力で起き上がったんだろうが 東京オリンピックのマラソン
八甲田山縦断で青森から三本木が50kmだから
田茂木野から増沢あたりのコースが丁度いい
札幌より涼しいよ いちばん元気だった倉田大尉が軽い脳梗塞だとか
早くお元気になってまたバイオハザードに励んでいただきたい! 三上少尉のあんなみじめな弁解は聞きたくなかったなぁ 倉石大尉は最も軽傷だったが2年後の日露戦争で亡くなったはず
黒溝台の会戦だったかな
相当な激戦だったみたい 原作でひとりだけゴム長はいてた人でしょ
部下が『大尉が元気なのはゴム長靴のおかげだろう、いいなぁ…』って描写があった気がする 上京した記念に買った長靴か
当時はゴム長ってオシャレアイテムだったらしいね ソ連の原子力潜水艦事故を基にした「Kー19」って映画を見て
訓練で亡くなる兵隊さんは本当にせつないなと思ったよ ちなみに出征する前にもう生きて還らないと妻に語ったそうです倉石大尉
ソースは明治38年の東奥日報 徳島大尉は妻子持ちだったけど、実際の福島大尉はこのときまだ独身で、事件後に嫁さんをもらってるんだよな。
そしてその新妻を残して黒溝台で・・・ 黒溝台の会戦て相当な激戦だったんだな
青森連隊も弘前連隊も主だった生き残りはみんなここで死んでる
結局、八甲田で手足切断して除隊になった数名しか生き残らなかったという 登場軍人最年長の友田旅団長は日露戦争にも参加しその功績で中将に昇進 一将功なりてというか無常を感じる 倉石大尉は脳梗塞でコンサートを中止したらしいな。
大丈夫か。 今Wikiで見たが大滝参謀長も日露戦争にも出征し陸軍中将第七師団長まで出席したそうである 本作とは関係ないが乃木大将は「見える人」だったらしく
戦地でうとうとしていたら従軍中の次男が訪ねてきたが
副官の記章をしてこなかったので叱って帰したところで
部下に「次男が戦死されました」でと揺り起こされたとか… 朦朧とする意識の中で目の前に浮かんだ寿司をつまんだら
それは自分の舌で噛み切っていた神田大尉であった 五聯隊で日露に従軍した倉石大尉伊藤中尉長谷川特務曹長の内戦死されたのは
倉石大尉のみですね
伊藤中尉は大尉に長谷川特務曹長は少尉に昇進してて伊藤中尉はどっか別の
聯隊(おそらく第八師団内)に転属になってたみたいです
すごいのは三神少尉で大隊長中隊長ことごとく死傷してしまい一時的に大隊を指揮したと書いてあった 黒溝台の会戦では31連隊だと徳島大尉が戦死してたね 二百三高地では名将扱いされる児玉源太郎だが、黒溝台の苦戦は参謀長のこいつを筆頭に
参謀共がどいつもこいつも木偶の坊過ぎたせい。
二個軍団が南下してくるとこに、第8師団単独で突っ込ませられたんだから、目も当てられない・・・
蛸壺掘って防御に徹してる秋山支隊と違って遮蔽物無しで戦うんだからな。 偵察隊からロシア軍に動きがあると何度も情報が上がってきてるのに
冬季に動くわけないって無視し続けたんだっけ?>参謀部
黒溝台はマイナス26度の猛吹雪の中の戦いとなったみたいだね
五聯隊が戦った場所の写真をみると本当にほとんど遮蔽物がない
何度も2、300メートル目前まで敵に接近されながら三昼夜勇猛果敢に戦ったんだよね 無理な親衆に使われて 十の臓器から血を流す アリャ 弥三郎エー だな https://i.imgur.com/IJ9WlR7.jpg
https://i.imgur.com/O1BUIU5.jpg
お互い抱き合うぐらいにギュウギュウに1階2階に詰め込んだら
何人ぐらい泊まれるだろうか
まだ営業してた昭和60年頃に撮影されたものらしいが何気に大きいな やまだ館は田代元湯にあった宿で行軍が目指した田代新湯とは別の場所
明治期に田代新湯にあった建物は老夫婦が住む小さな一軒家だったらしい 家庭の風呂を少し大きくしたくらいの湯舟に掘っ立て小屋が建ってたけど
それも雪で潰れて屋根だけになってる写真を見たな
駒込川に降りていく半分崖みたいな場所にあるから
近いうちに駒込ダムができるとどっちもダム湖に沈んでしまうみたいだね >>833
登らずに一旦戻った方が良かったんじゃないのかなあ
兵隊さんがかわいそうだった 壊滅的な遭難の後、ファイナルデスティネーション的に白昼夢から醒める北大路 渓谷沿いって全部川になって歩く部分が無い事が多いんだよ
だから下山の基本は沢沿いじゃなくて尾根沿いなわけで
馬立馬とか完全に尾根沿いだよね 小学校のとき原作を読んで、冬山には行かないと誓った 宮城や岩手のものが多いと危惧されていたが例えば日本最北師団で厳冬慣れした旭川第七師団とかなら全員予定通り田代温泉で一杯やれましたってなるかなあ ならないよ
指導者がそもそも田代新湯にいつまた事がないんだから スキーを持ってない上に、日本史上最低気温だった日だからねぇ
ぶっちゃけ、シベリア軍団だって危ないんじゃね?
寒いのは慣れてるだろうが、大ボスは寒さじゃなくて雪の方だからな 大峠あたりで天候が悪化した時に帰ろうかって話になったらしいが
兵卒からは続行しようって意見が多かったらしい
厳冬をよく知る兵が多い部隊ならすんなり引き返して助かった可能性はあるね 元々万が一を想定し、連絡手段を準備していなかった時点で軍上層部も冬の八甲田の厳しさを舐めていたとしか思えない。遭難後の保身に動いた津川連隊長は最たる存在。 ゴールデンカムイに八甲田山遭難の捜索にあたったアイヌ人の兵士が出てきた
彼らは雪山では本当に有能だったとか…
最初からそういう案内人をつけてればなぁとも思うが
まさか普通の人でも市街地から徒歩でいける八甲田で
こんなことが起きるとは思わなかったんだろう 案内人も手足切断したり脳やられて寝たきりになったくらいだからな 行軍中に一番高い場所にある馬立場でも標高700mくらいだからな
鳴沢と平沢と駒込川に囲まれた台地で迷ってウロウロとしてしまってた感じ 寒さで思考能力も低下して
何もかもいきずまったんだろうな >>850
下士官はお粗末な装備の上、飲まず食わずの行軍。積雪に加え暴風終いにホワイトアウトでは迷走するのは当然。しかも率いる大隊長が雪の怖さ知らないんだから(T . T) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています