△△△△△八甲田山 第九次雪中行軍△△△△△ ★3
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そう言えば神田大尉の所はお子さんいなかったな
徳島大尉の所は結構デカイ子供がいたが
ゼンジローが子作りの邪魔してたのかもしれぬ 山口少佐というのは別に悪人ではなかったんだろうが、まあ凡人だったんだろうね
あの師団にはそこまで傑出した人物はいなかったと思う
事件当時は東京にいた師団長はなかなかの人間だったようだが 自分のやったことの重大さを認識してるという点では単純な悪役どころでも無いよな
崖の前で か細い声での 登ろう とかこの辺でもう可哀想に思えてくる わーとか滑ってる兵隊はもっと可哀想なんだけどさ 全員無事に帰れたとしても日露戦争で悲惨な目に遭うんだろうね
ゴールデンカムイの知識だけど… 日露戦争も五体満足で生き抜いた人ってほとんどいなかったような
生き残ったのは手足切断で除隊になった人ばかりで >>554
そんな老人はいなかったと思うがそれでもあの猛吹雪の中で暖をとるためにあの雪ん子を皆で一斉に犯すのは緊急避難としてありかもしれない
そうしないと雪ん子も凍死する危険があるし最後の敬礼の説得力も増す 結局、第五連隊にいる時点でかなりの確率で2年後には死ぬ運命にあったのかもな
八甲田で手足失った人達は幸運だったのか不幸だったのかよくわからんな 悲しいのは近代だったからこそ起きた悲劇ってことだな 戦国時代はこんな馬鹿なことはやらんかっただろ 戦国時代で想起されるのはなんと言っても佐々成政のさらさら越え
富山から浜松まで向かうために真冬の北アルプス立山連峰を超えるという今でも不可能時ではないかという超難度
家来の多くを失いつつも成政は浜松へたどり着く
これは成政にしても必要に駆られての事だが有名な話でもあり雪中行軍隊もこの故事を思い浮かべたものはいたと思われる 真偽不明とはいえそんな故事もあって生かせなかったんかい 八甲田は純粋な訓練だからなあ
やらなくてもいいといえばその程度のもの
でも意外と遭難現場って青森市街地に近いのな(笑)
てっきり登山隊みたいな形で縦走してたのかと思ったら、普通の県道を歩いただけなんだよなあ 実際には登山隊に近いけどね
当時に整備された県道があったわけでもなく
当時は今と違って植林されてない禿山だったから雪が積もって吹雪で視界が遮られたら
何処が道やら一切しれずーになる 「ドキュメンタリー八甲田山」の中で
平沢から馬立て場のあたりまで自動車移動するシーンがあったけど
あまりの近さに悲しくなってしまった 第一露営地と第二露営地って目と鼻の先なんだよね
2日目は死ぬほど厳しい行軍、というか実際に何十人も死ぬほど歩いたのに結局目と鼻の先までしか移動できなかったという
ただ、改めて調べてみると田代新湯があまりにも難しい場所にあったから、田代新湯にこだわる限り露営は宿命だったと思う
結局、初日の大峠だか小峠での昼食休憩時点で引き返すのが唯一の生還手段だったんだと思う
馬立馬まで来た時点ではもう難しかったんじゃないかな 昔この映画を見た時はきっと田代に行けば大きな旅館があって
温泉に入れたんだろうな〜なんて思ってたけど
実際は老夫婦がやっと小屋を守ってる程度だったんでしょ?
結局は行かなきゃよかったとしか… 田代新湯は相当見つけにくい窪地だったようだからね
壊滅した第5連隊は勿論、生還した弘前第31連隊ですら見つけられなかったくらいだから >>572
なんでそんなわかりにくい所を宿営地に設定したんだろうと思うが両連隊共に設定しているなら位置的にそこしか無かったという事なんだろうか
両隊長が徳島大尉の家で会合してる時にここは難所だからこうしようとかそういう意見交換は無かったのか そもそも会合をしていない
お互いの計画は直前までほとんど知られていなかったらしい その辺は創作か
事前の師団会議なんかもそうなのかな 史実的な事で言えばこの訓練はそれぞれが自らの権限内で勝手にやった訓練だから
師団会議なんて無い 田代にはアポなしで200人行くつもりだったんだろうか 露営する場所として目印にされただけで
宿に泊まる契約とかそういう事じゃない 史料が無いからわからないから、おそらく田代新湯の老夫婦に対してはアポ無しだったと思われる
あと、田代新湯に行ったことがある者が200人の中で1人もいなかったという説がある
詳細は不明だが、少なくと誰かが田代新湯に行ったことがあるという史料は今のところ見つかっていない
信じられないが… 200人は露営でも士官は泊るつもりだったのかなぁ
その予定が伝わっていたら心配した田代のお爺さんが迎えに来てくれたのでは… >>580
それはあるかもね
目標まで1〜2kmまでは来ていたわけだし
本当に残念でならない
100年以上前の話だが・・・ いや吹雪で爺さんも迎えどころじゃなかったんじゃ・・・ 遭難後に救助隊が田代新湯まで行った時は
あらんかぎりの蓄えを出してご馳走してくれたらしいね
まぁそういう時代だったんだろう でも信じられないよなあ
山っていうより丘陵地帯だし、青森市街からかなり近いのに この映画の出来見てると三毛別の熊のあれも当時映画化して欲しかったと思ってしまう >>585
TBSラジオのラジオドラマ版を使ってイメージを膨らませるのだ!
奇しくも健さん主演だし >>585
ずいぶん脚色しちゃってコレジャナイだったなあ
あのクマ映画 映画にするとダラダラとた人間ドラマパートが入ってきて
つまらんくせに長いと言う作品になりがちw 判断ミスからの大量遭難モノという意味で
洞爺丸沈没なんかも映画化してほしい 洞爺丸事故そのものがテーマじゃないけど飢餓海峡に
若き山田大隊長がやはり悪役で出てたな
ストーリーは砂の器みたいな映画なんだが
青森の大湊で山田大隊長が凍ってないおにぎりを
うまそうにほお張るシーンが印象に残ってる 三毛別当時映画化してくれてたらマタギ役に三國連太郎を
熊を撃つ代わりにあの女を抱かせろとヒロインを手篭めにするの
で熊はしっかり仕留めて熊鍋食べて山に帰っていく 三國連太郎主演で三毛別事件ドラマ化されていなかったっけ? >>591
三毛別の熊鍋は肉が筋張っていてえらく不味かったらしいが 熊嵐は吉村昭が書いていたね
もし新田次郎が八甲田山を書かずに吉村昭が書いていたらどうだっただろうか フィクション部分は無くなり厚みが薄くなり映画の方での脚色が増えたとか 児島襄の日露戦争では結構なページ数を
この雪中行軍事件にさいていたよ。 青森連隊は日露戦争での本土守備を、弘前連隊は大陸での作戦行動を研究する目的だったんだろうね >>593-
朝ドラ化いいなあ
熊対策を話し合う場面や熊退治の後の場面で登場人物たちが達観して分かったような分からんような会話して電波な雰囲気になるの楽しそう
wikiによると肉食べるのは供養の意味もあるそうなので味は二の次なのだろう >>597
ちゃうで
日清戦争で寒冷地での軍事行動の難しさを痛感した日本軍が
装備及び行軍方法の研究をし始めた流れでの訓練やで
映画では日露戦争と結びつけてるけど日露戦争が無くても
寒冷地での行軍研究は続いてた 数十年前北海道の小学校では「雪山遠足」というものがあって
行きたくもないのに重いスキーと靴をせおって雪山を登り
面白くもないボーゲンなんかを延々とやらされて
昼飯を食べようとしたら雪上に放置されていたおにぎりは凍り付いていた
後年映画「八甲田山」を観て「雪山遠足と同じじゃないか!」と
心から兵隊さんに同情したよ
当時も気が利く親は弁当を凍らないように工夫しててうらやましかったなぁ… 冬季戦と言えば北海道
旭川第七師団でどうだ冬の大雪山を登ってみたくはないか
とやっていたら成功しただろうか いやいや雪の怖さを知りぬいた北鎮部隊はそんな暴挙はしないと思う 第5連隊はロシア軍に津軽海峡の制海権を奪われた上に太平洋側から八戸を攻撃された想定での演習でしょ? 今はみちのくトンネルができたから
冬に青森から八戸まで海沿いを通らなくても行けるようになったな >>603
映画や小説の設定はそうだよ
映画や小説は実話をモデルにした物語であってドキュメンタリーではないから >三國連太郎主演で三毛別事件ドラマ化されていなかったっけ?
日テレの「羆嵐」だね。監督は降旗、三国に森田健作、前田吟も。
ドキュメンタリー八甲田山の特典映像では、八甲田以外に三毛別事件も映画化対象だったといってる。 高倉健のほうがあんまり好きじゃない
女性案内人は原作通り山岳地帯を出たら部隊の後を歩かせてほしかった
健さんをかっこよく見せたい脚本家の忖度だったんだろうけど… 救助が呼べるしね
まぁ吹雪の中だと救助活動も限られるけど、少なくとも200人死亡は無いよ 信濃丸がバルチック艦隊発見の報告を打電しているから軍用無線は普及していたんだろうけどまだ可搬式の軍用無線機はなかったんだろう
二百三高地では戦場で有線電話引いていたシーンが有ったし乃木大将の息子も伝令に出されて戦死していた 無線がまだまだだったんだろうね ヒトラーも伝令兵だったというから普及はかなり経ってからだったのかも
ちなみに映画でこの伝令を出していた血まみれの将官は友安旅団長 八甲田山での友田少将だね 旅団長は青森山田の屯営にいたのかな?
師団長は東京にいたんだよね 青森山田高校と駐屯地があった青森高校ではかなり偏差値が違う >>616
雪の八甲田で何が起こったのか という本には浅虫温泉の花街にいたのでは と書いてあるが断定はしてないな 書き方だと普段から結構通ってたのが知られてたという
浅虫温泉なら司令部までそれほどの距離はないけど間が悪いというか外聞が悪い
災害が来そうな時にゴルフに行ったのはマズイがゴルフ中に災害が起きたのは仕方ないみたいなものか
日露戦争前の児玉源太郎に始まり太平洋戦争前の陸海軍士官は料亭大好きが大量にいたから旅団長が浅虫温泉で芸妓さんと遊んでいても責めるのもどうかと思う
迅速に戻って事態収拾に当たれば ではあるbェ 浅虫か〜青森からも近いしいいところ
子供のころ海水浴に行ったよ
でも責任者だったら200人以上の大演習中に行っちゃまずいよ ソリが無ければ遭難は起きなかっただろうか
演習目的がロシア海軍に津軽海峡の制海権を奪われた状態での青森平野→三本木平野の移動及び物資輸送の研究だから、
始めからソリ無しというわけにはいかなかったのだろうが、初日のうちにソリ放棄してるんだよね 遭難した青森第5連隊への道先案内人としての最初の接触が、おじさん連中ではなく秋吉久美子だったら遭難することはなかったと思う。 原作図書館から借りてきた
今は未だ31連隊の高倉健の途中までしか読んでないけど
台詞とか結構原作に忠実なんだね 原作だと難所を抜けて部隊の後を歩くように言われた案内人が
「もう用無しってことか」とつぶやくのが兵士の胸に刺さる場面が良かったよ
映像で観たかったな 安い金でこき使われて凍傷で手足切断、寝たきりってひでえよな 悪役な高倉健は見たかった
案内人に敬礼なんて絶対しなさそうな感じの
三國連太郎と悪役豪華二本柱 映画は
山口少佐=悪、神成大尉=善
の図式にこだわりすぎてるよ
実際は全然そんなことはなかったらしいし だって映画だもの
ドキュメンタリーじゃないのだから分かりやすい人物対比ってのは定番中の定番 ラストで杖をついていた老人は誰?
遭難した明治35年から映画の昭和52年まで生きてるとなると
100歳位と言う事になるけど >>630
村山伍長(緒形拳)
ロープウェイ開業が1968年だから遭難当時25歳だと91歳位か
でもあのシーンは要らんかったと思うな
観光客で賑わう八甲田だけでよかった ありがとう
村山伍長って伝令に走った人かと思ったら
お握りを新聞紙に包んで凍らせずに食べられた人か 村山伍長は手足切断して長生きしたけどロープウェイ開通時は亡くなってたかな ああそうか。自分のように土地勘の無い人間が、なんとなく凄いルートで山越えかなんかしてたように思い込むのは、ラストのロープウェーシーンがあるからだ たしかにロープウエイのシーンはいらないな。
ラストシーンは、棺桶の中の神田大尉が突然起き上がって
みんなに襲いかかる。 八甲田ロープウェイの場所って遭難場所からはかなり離れてるよね
遭難場所は拍子抜けするくらい緩やかな丘陵地帯 40年以上前の作品のスレにこうして毎日レスがあるって凄い事だよな そうだね、なんでだろう
ものすごい名作というわけでもないけど何回も観ちゃうんだよね 人生、決断する勇気を与えてくれる映画です。
遭難した雪中行軍隊の困難に比べたら自分の悩みなんて… 山田少佐に苛つくけどじゃあ自分が山に関して無知な状態で行軍に参加して
果たして随所で適切な判断と間違いの無い決断が出来たかと考えると
全く自信が無い 昔、会社でトマトの水耕栽培を新規に行うということで農学博士を招聘したのですが、指示道りに行ったにもかかわらず最終的には「虫食い」で`この事業計画破綻しました。
いくら机上学習を行おうとも、やはり長年の実績を有した地元のお百姓さんには敵いませんでした。
同様に映画では地元の道先案内人の申し出をバカにして追い払う行為が醜いです、そりゃ死を招くよ。軍人だからといって上から目線のつまらん「プライド」なんてコーヒーに入れて飲み干してしまえばよかったのに! 軍人さんが偉かった時代だからね。現在の物差しで測るのは無理で候 でも高倉健の行軍隊は当時の男尊女卑の風潮をも超えて道先案内人の秋吉久美子に敬礼しましたけど… あのへんはおそらく全部作り話だぞ
山口少佐が田茂木野で道案内を断った話も
弘前連隊が案内人に敬礼した話も
実態は無理難題ばかり押し付けた上にはした金でこき使われて手足切断、寝たきり人生にさせられてるんだから >>651
もしかして脚本に口出しして変えさせたとか? ビートたけしが共演者は男も女も
みんな健さんに惚れちゃうって言ってたっけ
大竹まことも惚れたのかな… >>653
寡黙のイメージあるけど
実際はよく喋る明るい人らしいね
そして嘘か本当かバイセクシャルだとも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています