△△△△△八甲田山 第九次雪中行軍△△△△△ ★3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>488
遭難事件を検証した文献に出ていた、見解は作者其々思い込みなど加味されているので 額面通りには受け取れないが 事実でないならわざわざ出産立会い云々などと偽り書く意味ないのでは?
また 生き証人の聞き取りも 時間経過により不確かなもの多く 色々な憶測呼ぶ原因になる始末に。 実際には「八甲田山 消された真実」は事実でない創作部分があるからなぁ
ちゃんとしたソースが無いのなら事実として話題にするのは無理があるな 大きな事件になるとキャッチーさを求めて捏造や偏向な部分を混ぜ込むヤツって珍しくないからねぇ
事実だけ書いてると目立てないと言うか 映画館で初めて見てきたけど面白かったな。
最初に雪壕から出てきて低体温症で死んだ兵士の演技がギョッとする怖さで気に入った。
名演だと思う。 地図を誰も携行していなかったのがいかにも日本陸軍だよなあ
さすがに神成大尉は持ってたと思うんだが…
兵隊は全員命令に従えばいいから地図は不要ってことだったんだろうが
同じ枢軸国でもドイツ軍なんかは伝統的に現場指揮官の意思決定を尊重するんだよね
タンネンベルクの会戦の歴史的大勝利は現場指揮官が命令を無視して暴走したことでもたらされた >>494
少なくとも映画では神田大尉、山田少佐ともに地図、磁石を持っていたと思う。 映画では神田大尉は持ってたね
でも地図上のルートと逆の方向を山田少佐が指示して絶句してた
でもあのへんはおそらくソースが無い
さすがに首脳陣は持ってたとは思うが、これは想像に過ぎない
全員地図を携行していなかった可能性すらある >>497
そっちじゃなくて、映画後半褌姿で雪の中へダイブしたのが大竹まこと 実際に戦場となる大陸にはロクな地形図が無いわけだから地図を軽視するのはある程度は目的に適っているのではないか? 地図というのは周りの景色と照合することで現在地点を割り出すものなんで
ホワイトアウトで何も見えないと何の役にも立たないんだな、これが
挙げ句コンパスが凍結してたら目も当てられない・・・
高級なコンパスは凍らないように中を不凍液で充填してたりするんだけどね。 コンパスの凍結もよく分からないよね
凍結してた説は古くからあるあるけど映画ではふつうにコンパス使ってた 案内料は一日2円だったそうだ
それが今の基準で言うといくら位なのかは何を基準で考えるかで幅が広くでちょっと意見が分かれる 天は我らを見放したを午前10時で初めて聞いたんだけど大々的に叫ぶのかと思ったら悲痛な感じで声を絞り出すみたいな感じなのね
絶望感が加速度的に増していく雪中行軍にあってもうゴールしていいよね的なカタルシスあった >>499
演習目的の一つにロシア艦隊の道路封鎖に対する山越えルートの可否とかあったから地図はいると思う >>504
当時の巡査の初任給十二円というのから見れば現金収入の少ない地域の冬場の臨時バイトと思えば悪くない
まあ物価の単純比較は難しいよね 物によって今と比べて上昇率がバラバラだから
極端な例だと当時の麹町の土地の坪単価が最高でも一円三十二銭 最低だとなんと8銭 道案内で麹町一番いいところの1坪を買って釣りが来るとか今では信じがたい しかし弘前組の案内人は凍傷で手足切断したり脳やられて寝たきりになってるからな
それでも箝口令敷かれて半世紀も黙ったまま
そのまま死んでいった者もいた
報酬はたぶん今で言う5万円くらいなんだろうが、今なら間違いなく訴えられてるな 体温が下がった状態が続いて血の巡りが悪くなり脳細胞の相当数が死んだんだろうね
手足だと壊死して切断になるんだろうが 脳細胞とか都合よく仮死状態にはならんよな
あと雪に埋もれた神田大尉なまじ美形なだけに怖かった 記録によると神成大尉は帽子も手袋もせずに首まで雪に埋まっていたらしいが
やはり低体温で脳やられて自ら脱いだんだろうか 舌噛んで自決というのは無理があるって聞いたことがある 舌を歯で切断して窒息するってことらしいが そもそも神成大尉は発見時に舌に注射をした記録がある >>517
低体温症で凍死に至った、注射しようにも針を射すのが無理な状態だったとか? 身体に注射しようとしたが、凍っているからなのか死後硬直なのか硬くて注射針が刺さらなかったので舌に注射したという記録があったと思う 寒冷地研究は白瀬の千島探検など先行研究があるが当時のことだからなかなか情報共有は難しかったんだろうね
当時は極地探検華やかりし頃だが装備などの地味な情報は回って来ないだろうし
映画では神田大尉が弘前まで徳島大尉の話を聞きに言ってたが実際そういう事実はあったんだろうか けっきょく、最も信頼できるソースは小笠原孤酒の
取材資料ではないかと。
全国回って、7万点の資料を集めて、
自宅の山林も売り払って、最後は完結しないまま死亡。
それに比べて「八甲田山消された真実」の分析うは解釈が勝手すぎるし、
地図がなかったとか、予行演習は途中の村までしか行かなかったとか、
想像の域ばかり。 地図の有無
田代新湯へ行ったことのある者はいたのか
予行演習でどこまで行ったのか
田茂木野村で案内の申し出があったのか
このへんは資料が無くてどうしようもないよね
結局、想像になってしまうんだろう
まぁ地図の有無についてはさすがに神成大尉は持っていたと想像するが・・・ 道なき道を踏破する予定ではなかったのだから地図はあっただろう
ただ吹雪で何処が道やら一切しれずになってしまったけど 秋吉久美子みたいな婆さんでも
未だに世間の目を引こうとするんだな たとえ生還者本人から直接聞いたとしても勘違い・妄想・誇張・自己保身
部隊内での立場や人間関係などが邪魔をしてなかなか真実には近づけないだろうな >>528
生還者の発言内容であっても 隊全体でなくあくまで個人の意見 行軍すべての状況を推し量るのは無理。
加えて当時は極感でホワイトアウト状態が長く続いていたとすれば 生きて帰れたのが不思議な位。 事実は事実として映画では脚本家が色々脚色するのは当然といえば当然なんだろうね
忠臣蔵もタイタニックも随分と話を作ってるんだろうし
自分は三國連太郎の泣きそうな感じであおもりわんだと言うところとか土下座して自分が余りに無知でとか その後の弘前隊の成功を聞いて愕然とする様とかここら辺の演技と脚本はすごいと思った 第五連隊跡地の青森高校出身の祖父は
高校時代スキーにアザラシの皮をはって八甲田まで日帰りしたって言ってた
天候さえ良ければなだらかでやさしい山なんだよね 1902年当時に日本にスキーがあれば間違いなくあの事件は起きなかったね
現在毎年実施されている陸上自衛隊青森連隊の八甲田山雪中演習もスキーを装備してるし
レルヒ少佐が日本にスキーを伝えたのは1910年頃だったかな? 進むべき方角が分からないのにスキーもなにもないわな >>534
大竹まことが死にものぐるいで引っ張ればいいじゃない 1910年以前の大竹まことがスキー履いているわけないだろ
アホめ つまり大竹まことは裸でスキーを履いてソリを引きながら雪に飛び込むと? だから大竹まことがスキーすればよかったんだって
何度も言わせんなタコ 大竹はともかくレルヒ少佐があと10年早く来てくれてればって話だな >>438
八つ墓村はBDですら洞窟内が明るくなり過ぎて興ざめだったのに スキーなんかよりも冬山遭難時の王道
裸になって温め合う方がずっと効果が高い >自分は三國連太郎の泣きそうな感じであおもりわんだと言うところとか
土下座して自分が余りに無知でとか その後の弘前隊の成功を聞いて
愕然とする様とかここら辺の演技と脚本はすごいと思った
もういっそのこと、
救助された三國連太郎が「自分に責任はありません」とか言って、
最後は連隊長に殴りかかるとか、もっと暴走してもよかった。 ダーティーな三國連太郎なら悲しみにくれる神田未亡人を馬小屋で犯すくらいのことしてもよかったな
夫の無能を妻が償うのは当たり前だとか言って凍傷で衰弱していながらも自決の直前までその立ち振る舞いを貫くの
エピローグではその後の未亡人に子どもが産まれたことが示され周りはその子がどんなにか神田未亡人の支えになったかと話すんだけど未亡人と観客だけはその本当の父親に心当たりがあると 案内の女とセックスすればいいのに
夫が軍隊に行ってるからいざという時は案内役の嫁を犯してもいいって言ってる老人いたよな? そう言えば神田大尉の所はお子さんいなかったな
徳島大尉の所は結構デカイ子供がいたが
ゼンジローが子作りの邪魔してたのかもしれぬ 山口少佐というのは別に悪人ではなかったんだろうが、まあ凡人だったんだろうね
あの師団にはそこまで傑出した人物はいなかったと思う
事件当時は東京にいた師団長はなかなかの人間だったようだが 自分のやったことの重大さを認識してるという点では単純な悪役どころでも無いよな
崖の前で か細い声での 登ろう とかこの辺でもう可哀想に思えてくる わーとか滑ってる兵隊はもっと可哀想なんだけどさ 全員無事に帰れたとしても日露戦争で悲惨な目に遭うんだろうね
ゴールデンカムイの知識だけど… 日露戦争も五体満足で生き抜いた人ってほとんどいなかったような
生き残ったのは手足切断で除隊になった人ばかりで >>554
そんな老人はいなかったと思うがそれでもあの猛吹雪の中で暖をとるためにあの雪ん子を皆で一斉に犯すのは緊急避難としてありかもしれない
そうしないと雪ん子も凍死する危険があるし最後の敬礼の説得力も増す 結局、第五連隊にいる時点でかなりの確率で2年後には死ぬ運命にあったのかもな
八甲田で手足失った人達は幸運だったのか不幸だったのかよくわからんな 悲しいのは近代だったからこそ起きた悲劇ってことだな 戦国時代はこんな馬鹿なことはやらんかっただろ 戦国時代で想起されるのはなんと言っても佐々成政のさらさら越え
富山から浜松まで向かうために真冬の北アルプス立山連峰を超えるという今でも不可能時ではないかという超難度
家来の多くを失いつつも成政は浜松へたどり着く
これは成政にしても必要に駆られての事だが有名な話でもあり雪中行軍隊もこの故事を思い浮かべたものはいたと思われる 真偽不明とはいえそんな故事もあって生かせなかったんかい 八甲田は純粋な訓練だからなあ
やらなくてもいいといえばその程度のもの
でも意外と遭難現場って青森市街地に近いのな(笑)
てっきり登山隊みたいな形で縦走してたのかと思ったら、普通の県道を歩いただけなんだよなあ 実際には登山隊に近いけどね
当時に整備された県道があったわけでもなく
当時は今と違って植林されてない禿山だったから雪が積もって吹雪で視界が遮られたら
何処が道やら一切しれずーになる 「ドキュメンタリー八甲田山」の中で
平沢から馬立て場のあたりまで自動車移動するシーンがあったけど
あまりの近さに悲しくなってしまった 第一露営地と第二露営地って目と鼻の先なんだよね
2日目は死ぬほど厳しい行軍、というか実際に何十人も死ぬほど歩いたのに結局目と鼻の先までしか移動できなかったという
ただ、改めて調べてみると田代新湯があまりにも難しい場所にあったから、田代新湯にこだわる限り露営は宿命だったと思う
結局、初日の大峠だか小峠での昼食休憩時点で引き返すのが唯一の生還手段だったんだと思う
馬立馬まで来た時点ではもう難しかったんじゃないかな 昔この映画を見た時はきっと田代に行けば大きな旅館があって
温泉に入れたんだろうな〜なんて思ってたけど
実際は老夫婦がやっと小屋を守ってる程度だったんでしょ?
結局は行かなきゃよかったとしか… 田代新湯は相当見つけにくい窪地だったようだからね
壊滅した第5連隊は勿論、生還した弘前第31連隊ですら見つけられなかったくらいだから >>572
なんでそんなわかりにくい所を宿営地に設定したんだろうと思うが両連隊共に設定しているなら位置的にそこしか無かったという事なんだろうか
両隊長が徳島大尉の家で会合してる時にここは難所だからこうしようとかそういう意見交換は無かったのか そもそも会合をしていない
お互いの計画は直前までほとんど知られていなかったらしい その辺は創作か
事前の師団会議なんかもそうなのかな 史実的な事で言えばこの訓練はそれぞれが自らの権限内で勝手にやった訓練だから
師団会議なんて無い 田代にはアポなしで200人行くつもりだったんだろうか 露営する場所として目印にされただけで
宿に泊まる契約とかそういう事じゃない 史料が無いからわからないから、おそらく田代新湯の老夫婦に対してはアポ無しだったと思われる
あと、田代新湯に行ったことがある者が200人の中で1人もいなかったという説がある
詳細は不明だが、少なくと誰かが田代新湯に行ったことがあるという史料は今のところ見つかっていない
信じられないが… 200人は露営でも士官は泊るつもりだったのかなぁ
その予定が伝わっていたら心配した田代のお爺さんが迎えに来てくれたのでは… >>580
それはあるかもね
目標まで1〜2kmまでは来ていたわけだし
本当に残念でならない
100年以上前の話だが・・・ いや吹雪で爺さんも迎えどころじゃなかったんじゃ・・・ 遭難後に救助隊が田代新湯まで行った時は
あらんかぎりの蓄えを出してご馳走してくれたらしいね
まぁそういう時代だったんだろう でも信じられないよなあ
山っていうより丘陵地帯だし、青森市街からかなり近いのに この映画の出来見てると三毛別の熊のあれも当時映画化して欲しかったと思ってしまう >>585
TBSラジオのラジオドラマ版を使ってイメージを膨らませるのだ!
奇しくも健さん主演だし >>585
ずいぶん脚色しちゃってコレジャナイだったなあ
あのクマ映画 映画にするとダラダラとた人間ドラマパートが入ってきて
つまらんくせに長いと言う作品になりがちw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています