>>916
西村昭五郎は作品の現物を観ると「静かな冷たい狂気」が漂っている事が多く、実際の
作品内容は一般的に言われる「何でも御座れの早撮り職人」的なお手軽イメージとはやや異なる事が多い。

『黒薔薇夫人』なんて本当に「狂っている」人にしか撮れないよ。
若き日の内藤剛志が出ている『美姉妹・犯す』なんかもそうだね。
『美姉妹・犯す』は一軒家のセットの中での内藤と風祭ゆき・山口千枝の3人の心理戦的な細かい
芝居が面白かった記憶。こういうセットの空間を活かした芝居を撮りきれるのがさすがに
古い撮影所育ちの人なんですね。
客間に風祭の父親と婚約者の2人がいて囲碁を打っていて、隣の台所で内藤が風祭と
ヤッてる(必死に喘ぎ声を殺す風祭)、、この2つの空間を「せっかくスタジオセットで撮っているのだから
その空間を活かしたい」とロングのカメラで引いて丸ごと一枚の画の中で撮るなんて
思い切った発想は撮影所育ちの人でないと出てこない。
(あるいは美術の打ち合わせ段階で「こういう画にしたいのでセットも考えてくれ」と
注文があったのかも) 
撮影の山崎善弘もベテランで引き出しが豊富だからそういう注文をちゃんとこなせる。

そしてそういう大胆なカットがチラッと入って、でも長引かない。これが普通の日本映画の監督なら
「せっかく撮ったんだから」と引き画長回しのまま繋ぐかもしれないけど、それはやらない。
その辺のメリハリが商業監督だから巧いんですね。

でも映画マニア的には西村昭五郎などは大して評価もされない。
せいぜい『競輪上人行状記』とか『残酷おんな情死』とか語られるぐらい(まあ自分は
この辺は観てないんですが)
こうして往年の撮影所映画の真髄を知っている人もいよいよ居なくなっていく。

「ロマンポルノは低予算制作」とはいうけど、実は監督・スタッフの多くはまだお金が
掛かっていた50〜60年代日活映画の現場を知っている人たちだった。
そういう現場で育った人たちがそこで養ったノウハウを注ぎ込んで「低予算」映画を
作っていた。
今の映画人の大半は初めから「貧乏」現場しか知らないから、もう何も作れない。