原節子をおおいに語ろう Part9 [無断転載禁止]©2ch.net
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原節子と花井蘭子は、「熱風」(1943)−山本薩夫監督ーでも共演しているよね。最近初めてみたけど、大和撫子の花井が自己主張の強い原節子と藤田進が三角関係になるが、花井の勝利に終わる。八幡製鉄所が舞台だ。 戦時中のドラマのある国策映画は、和風の大和撫子が洋風の自己主張のつよい原節子に勝ち、恋の勝利者になるパターン。そして節子は明るく寛容なんだね。 「女であること」(1958)で、菅井きんは原節子と2回目の共演。父親から女優志願を原節子のような人じゃないから反対された。でも劇団に入り、やっと共演できた。嬉しいだろうねえ。やはり仕事人がピークか 「女であること」に、原節子の夫役森雅之の弁護士事務所に、詰め入り姿の山本学がいました。若いですね。大学生かな。また丸山(美輪)明宏が主題歌を歌っていました。面白い映画でしたね。 山本学は、この頃がデビューかしら。山本薩夫の甥ですね。原節子さんとのからみはないですが。山本三兄弟 「北の三人」(1945.8.5公開)は、公開中に終戦になったんだね。昨年、フィルムセンターでみたときは、40分くらいしかなかったな。デコらと共演、青森、北海道、クナシリ島が出てきたね。みた人いるかな? 69分は封切りでは72分だから近いね。戦争が続いていたら、女子通信兵も戦闘機に乗り込んでいたかもしれない。終わって良かった。 写真家のアラーキーは、原節子大好きみたいだね。被写体としては最高という。彼は入院中小津映画をみたらしく、とくに「晩春」の節子にはエロスを感じると。ゴツくて肩幅が広く、そのままがいいというね。 YouTubeの「小津映画『秘められた恋』」(BSnhk)にアラーキーが出ていた。彼が「原節子のすべて」(2012)に、文章を書いていたからかな。BSが先かも。小津映画と原節子には関心があるね >>733
これは何の作品だろうか。グラビアを撮るのが
嫌いだから、作品の中で撮ったと思われるが。 >>729
「北の三人」をググッてみたら、GHQにフィルムを接収されたらしい。そして、平成になり返還され、そのときは40分程だったと。69分なら佐分利信が出ており、恋愛部分があったか。フィルムは少し切られたらしいね。 >>720
花井蘭子って有名じゃないの?
以前、山本晋也監督が一世を風靡したってテレビで言ってたし、つい最近も梅宮辰夫が伊集院のラジオで花井蘭子の事を話してたけど >>738
花井蘭子が活躍したのは戦前だから、戦後はそれほど目立たないよね。 戦後は、脇役。
「母の地図」(1942)で、原節子の姉役をしており、病気で早死にする。昨年みた。 wikiにはないが、原節子は1954年「山の音」により、第1回東南アジア映画祭女優賞を受賞している。たからwikiは信頼できない。かけよ!同時に男優賞(山村聰).監督賞(成瀬巳喜男)を受賞。のち、アジア太平洋映画祭に変更。秋吉久美子、高倉健が受賞。 >>738
花井蘭子は日活と東宝で60年代には映画は引退してたから
梅宮とは接点なさそうだけどな
成瀬の映画良く出てるよね
銀座化粧とか 花井蘭子は1961年に、41歳で死去。若いのに。でも、轟夕起子の方が有名か。姿三四郎のヒロインただし。花井も出ているが目だだないね。原節子との共演は、戦後は「めし」くらい。水戸光子は花井より有名かな。 「「新しき土」の真実」(2017)を読んでいたら、花井蘭子がファンク一行が来日したとき、歓迎会で花井が和服で参加してファンクに、酒を注いでいた。この映画に出たかったかもね。ヒロインは無欲な節っちゃんに決まったが。 >>744
あれは国策映画だから
会社から接待に駆り出されただけだろう
出たいのは出たかっただろうけど
当時はまだ日活だったのかな
日活は切り崩しにあって結局公開はJ.O.だけど >>740
確かに戦後は脇役が多かったから、そういわれてみると印象に残ってる人は少ないのかも
>>742
梅宮が芸能界に入った時に印象的だった先輩は誰かと聞かれて花井蘭子さんの色っぽさだと答えてた
意外な接点はあるもので、別の番組だけど愛川欽也も憧れの原節子と撮影所で会えた事を話していて、
挨拶をしたら笑顔で挨拶を返してくれて後光が差すような美しさだったらしい
ちなみに俺が行き付けだったスナックの若いホステスに原節子のことを聞いたらお婆さんになった姿しか知らないって言ってたから、
若い頃の画像を見せてあげたら「綺麗だね」って言ってた >>746
愛川欽也は1954年に俳優座養成所だから
原節子が現役の時に東宝でエキストラやってる可能性はあるよね
声優以外でクレジットあるのは70年代からだけど >>746
愛川欽也が原節子と撮影所で会えた話しは、1960年前後ですかね。そのTV番組のタイトルは何ですか。僕も、愛川欽也が原節子ファンであることは聞いたことがあるよ。 >>746
後光とオーラは似ているよね。浜美枝は、日本人女優でオーラがある人は原節子だけだったと語っていた。東宝撮影所にて。浜美枝も、早目に女優は辞めている。 「女優さんにしても、かつての高峰秀子さんや原節子さんはプロ意識が高かった。何よりまず台詞がしっかりしている。基礎訓練をちゃんと積んでいるわけです。そして一番大切なことですが、自分の美意識を持っている」(仲代達也). >>750
棒演技だった仲代さんが誉めてもなあ・・・ 棒はないだろ
アクが強くて一本調子ってだけで上手いよ
自分の世界に役を引き込む力がある 仲代達也は文化勲章受賞したね。彼は原節子辺りから今の20代くらいの女優とも共演しているから、語り部になれるよ。 仲代達也は原節子と共演した「娘 妻 母」(1960)の頃は、まだ上手いとはいえないよね。でも、公には原節子のさいしょのキスシーンの相手になった。彼は光栄だといっているが、東京物語は何度も観ていて、彼女を「永遠の聖女」という。 原節子の2人目のキスシーン相手は、「慕情の人」(1961)の三橋達也。あと、佐野周二の手袋にキス。これが公のキスシーンだけど、もう1つ「颱風圏の女」(1948)で、宇佐美淳にキスしてる。颱風圏観た人はどう思う? 被さるからはつきりはしないが。4回ですねw 吉村公三郎は「誘惑」の後に、原節子に出て欲しくて「わが生涯のかがやける日」を撮ったが、節子は「颱風圏」で辞退した。でて欲しかった。安城家の滝沢修、森雅之、逢初夢子が出演した。森雅之とキスシーンもあったね。代わりに山口淑子か。 もし、原節子が初めの予定通り「羅生門」にでていれば、原節子ファンであった三船敏郎とキスシーンがみられましたね。義兄の久虎が反対しなければ、出演できたのに。黒澤映画の時代劇に登場する節子さんみたかったよ。 原節子は小津映画に出ることにより、淑やかな日本女性として「永遠の処女」「永遠の聖女」のキャッチフレーズを付けられた。でも「わが青春ー」「晩春」「麦秋」ではノーブラで透け乳首みせる。なぜだろうか。開放的?保守的な小津が? 戦後直後は、ブラはあったよね。当時は乳バンドかしら? でもノーブラは、時代の先端をいっていたかも。戦前の原節子の映画にはなかったような。セーターが高級品かw. 自分よりも思いっきり若い男優とキスシーンやったりする図々しさは吉永小百合に受け継がれてるね。 「颱風圏の女」は、一番の汚れ役というか、ヴァンプ役、ツンデレ原節子。こんな役柄はこれだけか。驚くよ、ホント。ギャング団の愛人か。これは合わなかったような。
アンゴラ村長が、タイムショックで、原節子を正解したね。広辞苑の新たな人物名の質問。まだ、23歳の女。「日本映画を代表する大女優は?」 正解して当然か。 >>761
かなり前の映画で仲村トオルと不倫演じてたし
あと数年もしたら西島秀俊と夫婦になるだろう TVのタイムショックは、今は年に4回しかやらないんですね。そこで、原節子さんの名前が登場する。もっと名前だけでも出てほしい。なんていったって、彼女はTVに一度も自ら出演してない。そこがまた好きですが。 第二の原節子と呼ばれた女優。有馬稲子、司葉子、鰐淵晴子、吉永小百合、沢口靖子。このうち沢口靖子は、デビュー時に東宝の幹部が最後まで原節子と名付けようとしたのは有名。平成の原節子・・・綾瀬はるか。多いね 「スター女優の文化社会学」(2017)によると、戦後直後から1950年代前半位までは、原節子が人気では他の女優を圧倒し、後半から若尾文子その後美空ひばりが1番になるらしい。若尾からは庶民派として位置づけられると。へぇー! 「しかし、近ごろの若い奴はこの人を知らんのか、バチあたりが。原節子といったら、美人女優の代表だぞ」漆原教授ー「動物のお医者さん」 平成の原節子は広末涼子、と燃料投下。
純粋な日本人なのに、なぜかハーフ、クォーター説が出る点が似ている。 原節子が純粋な日本人かどうかは、まだ不明だよ。山本薩夫はいっていたし、節子もマージャンの席で自分は日本人ではない事を発言し、それを三上真一郎は本に書いている。新藤兼人の妻が共に麻雀していた。 >>767
動物のお医者さん、てアニメではやんなかったのかな? 実写版ではテレビでやったけど。誰か知らない? >>768
顔や存在感にはさすがなものがあるけど、声質(幼い声)が致命的
あと背景に危険分子とのキナ臭い噂もあるし >>766
若尾の後にひばりだって!?
本当に映画スターの話か?
若尾の全盛期は60年代後半でひばりは映画辞めかけてる
さらに若尾が性典やる前からひばりは題に名前が付く主演映画あるけどな
もしかして狸御殿出演順の話か?
著者が狸で狸御殿基準なら分かる >> 771 声質は16歳の頃は初々しいしかっが、島津安次郎が発声から直してよくなった。ビロードのような心地よい声質になったと、好きな人は多い。スメラ塾は義兄だが、戦後干された。九州を独立させようとしたのは驚くが。 >>772 美空ひばりは、一時期数十本映画を撮った。歌うひばり映画で人気が出た。その後山本富士子、浅丘ルリ子や吉永小百合などになるらしいよ。鶴田浩二などとひばりは撮っているね。 >>773 熊谷久虎が右翼に走ったのは、ドイツやアメリカで差別経験が、俺はあったと思うな。久虎がいたから節子は恋人と別れなければならなかった。でも久虎によって女優になった。戦後干された久虎一家や、20人程の一族の世話をしたんだよな。大変だった。 >>775
そりゃ知ってるよ
ひばりの歌謡映画は映画好きの常識
若尾文子がひばりの前なんてのがおかしい
たぶん岸恵子と間違えてるんだ思うが 岸恵子はそれ程人気はない。「君の名は」で人気がでたが、結婚してフランスにいってしまったから。ひばりが、半年くらいの間映画界で人気がでたのは、歌手デビューと同時に映画界に売り込んだ。「スター女優の文化社会学」を読みな >>777 「美空ひばりは歌と映画という強力な地盤をもち、映画スターの人気投票でも一九五八年以降、若尾文子を抜き、他の追随を許さない国民スターになっていく」(51頁).映画雑誌2冊を分析しているから説得力はあるさ。著者は北村匡平、東大大学院を出た研究者 でも、1958年が映画人口のピークでその後は斜陽化。そして1860年代に山本富士子、浅丘ルリ子、吉永小百合らが出てくる。結局、59年に当時の皇太子の結婚でTV需要が増大するので、映画界は衰退期になる。 >>779
映画俳優と歌手の人気を混同してるんだよ
映画の世界で人気が若尾文子→ひばりなんて馬鹿げてる
データでしか知らないからそんなことになる >>778
結婚は57年
それまでは人気絶頂
それから寿引退はしてない >>782
岸恵子は結婚しても引退してないが、それ程多く映画にでていないから、いつも出ている浅丘ルリ子あたりに負けてしまう。しょうがないさ。「東京暮色」に出ていれば、どうなったか? >>784
浅丘の全盛期は60年代入ってからで
>>766の話には全然関係ない 原節子との直接共演は避けたろうから未来永劫どうにもならんだろ >>785
映画雑誌の読者アンケートでは、美空ひばりがトップだったんだから、若尾文子や岸恵子が下がってもしょうがないさ。当時の映画ファンを恨めよ。美人顔が1番の時代は過ぎたのさ >>787
何を言ってるのか
50年代はひばりが若尾に圧勝だ
>>766なんて原のところしか合ってない愚論 >>778
頭の固い男だな。お爺さんかな。事実は認めなくちゃあ。「映画ファン」「近代映画」のアンケートだから、短期間でも1番なら、その後山本富士子辺りに行くんだからいいじゃんよ ブックオフで、10年程前のキネマ旬報をみていたら、著名人の心に残る10作が示されていた。
竹中直人ー「東京暮色」.今野雄二…「晩春」.新藤兼人ー「安城家の舞踏会」.原節子に関わる映画のみ。兼人は自分の脚本の映画を選んだね 東宝は、女優を育てるのが下手だと思うな。戦後組合闘争などあり、スターなど出て行く。東宝芸能に、今は司葉子、沢口靖子、長澤まさみなどいるが。結局、原節子は松竹で成功したといえるものね。黒澤、成瀬ともやったが >>792
原は戦前戦中のJ.O.と東宝で大成功だよ
国策映画の主演だし
日本を代表してドイツ訪問もしてる
河内山宗俊、阿片戦争は質も高い >>793
戦前は国策映画多いね。でも「新しき土」と河内山は日活だよ。「東京の女性」は良かった。また島津や今井、山本薩夫がいてよかったけど、久虎に言わせると国策映画の女優は刺身のツマだと。でも山薩の「熱風」にはドラマがあったね 戦前の映画会社の特色は、国策映画を除けばなんだろう。松竹はホームドラマとメロドラマかな。暖流、愛染桂。東宝は何だろう?モダニズム映画はあったな。あと……?島津は東宝にきて原節子を育てはしたが。 新しき土は川喜多の東和商事とJ.O.が製作
スクリーンプロセスは円谷が担当でJ.O.で完成させた技術 >>795
戦前の松竹はモダニズムだよ
元祖若大将シリーズ見れば分かる
小津の犯罪映画とか >>796 そうなんだけど、俺は原節子の所属のことで、帰国するまでは公には日活だった。
>>797
そうだね。モダニズムは色々な映画にあった。プロデューサーシステムも東宝の特色か。 阿片戦争はまだみてないから、みたいね。戦前の原節子のvhsは東宝は一部を除き、廃棄してるよね。某図書館などにはあるから、今年はみよう。島津保次郎は東宝では、「母の地図」は佳作かな。森雅之が原節子の恋人役 ひばり映画は当たったけど粗製乱造になっちゃって
ピークが長続きしなかった
アメリカにおけるエルヴィス映画と同じような感じ
ただし、今でもエルヴィス映画は数本省みられるが
ひばり映画はほとんど省みられない
モノによっちゃ若き日の高倉健が相手役をしていたりして
映画史的には面白い 容姿端麗とは言いがたいというのもあるんでないか?スタイルの良し悪しもけっこう重要よ 美空ひばりは東映で撮ったみたい。wikiみたら、150本の出演作品がある。ひばりだけが歌う1人ミュージカル映画という感じ。地元の図書館に、〜キッドのDVDがある。 美空ひばりって、147pしかないんだ。低く見えなかったが、Wikiによる。田中絹代と同じくらいか。5月から神保町シアターで、小津安二郎特集やる予定。詳しくはあとで 「東京の女性」(1939)はモダニズムのいい作品。ハリウッドでは同年に「風と共に去りぬ」.総天然色か。また同じ年の国策映画(1942)でも、「ハワイマレー沖海戦」と「カサブランカ」か。やはり、アメリカは戦争に勝つね。 島津安三郎は松竹にいた頃は、「隣の八重ちゃん」など名作があったけど、東宝に来てから佳作はあるけど名作はなかったような。何故だろうか。「嫁ぐ日まで」は佳品だとは思うが。原節子と矢口陽子 愛人ができて、松竹に居づらくなったという噂あり、島津? >>791
竹中直人が東京暮色が好きとは。渋いですね。暗い映画ですが、ダレたところはなかったですね。 島津保次郎は城戸と揉めた
吉村公三郎が後にそう忠告されたと書いてる
ほぼ嘆きに近い感じの話だったと記憶
典型的なディレクターシステムの監督だったから
東宝ではやりにくかったろう 島津安二郎は戦後直後に死去している。早死にだよね。もっと生きていれば、原節子をもっと撮ったと思う。 >>806 安三郎×
>>809 安次郎○
>>810 安二郎×
小津と姓名がそれぞれ一字違いだからややこしくなるね。
東宝移籍後の事情は>>809さんのが大体合ってるのかな。
あと東宝が国策映画中心になったのも馴染めなかったのかも。
文芸物の「白鷺」なんかは良かったな。 戦前は国策映画が、各映画会社に割り当てられていたよね。東宝なら生産。だから、山薩の「熱風」などがある。松竹はなんだったか。後は大映(日活と合併)。島津保次郎も「母の地図」でドラマだが、最後は満州行きで国策ぽくしてる。 >>809 島津は城戸と揉めていたのか。愛人説をある本で読んだ気がしたが。もろの国策映画は、やはり東宝がめだったね。藤田進がスターだった。原節子も「決戦の大空へ」など、最も美しい20代前半を国策映画とは気の毒だね。 「…たとえ現在拙くても、彼女の拙さは謂わば将来性のある拙さなのです。節子さんの性格は、女優に珍しい程地味なので撮影所の中でときどき、人づきが悪いなどと言われますか、私がつき合った限りでは別にそんな風にも思えません」(島津保次郎、1940.6) 藤本プロデューサーは、島津保次郎の助監督をしていたことがあったらしいね。やはり、監督よりプロデューサーの方がいいんだろうか。まあ「青い山脈」を松竹と競って勝利したのは、1つの成果かな。 「お嬢さん乾杯」に、原節子の祖母で出演した藤間房子がいますが、この人は「わが青春に悔なし」に出ているらしい。どの辺に出ていますかね? 教えて欲しいです。 >>815
松竹が青い山脈をやるときは、木下恵介が撮る予定でしたね。主役は原節子と同じでした。石坂洋次郎が、原節子さんを想定して書いていたので。演出が想像できないです >>817
おんなの園みたいな感じになったのでは? >>817
六助は佐田啓二がふさわしい。若山セツ子の代わりは? 木下だと、主題歌はなかったかも。
今井正版でも竜崎一郎は嫌だったが、松竹にいるかしらん。 >>815
藤本真澄と小津安二郎と原節子は、三角関係とはいえるね。気になるのは、下北沢での喫茶店の二階で何度も会っている藤本と節子。3人とも独身だったな 普通に考えて交尾だな
健康な男女が2人きりになってお話しだけのわけがない
もしそうならレズとホモだってことだ その可能性はあるが、藤本は後で商品には手を出したことはないと、某作家に話しているんだな。分からんなぁ。なぞ?! 藤本は結婚する気だったからね
安易に手は出してない可能性はある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています