石原裕次郎ってデブのおじさんに見えるんだけど? [無断転載禁止]©2ch.net
NHKの特集で見たんだけど、石原裕次郎ってただのデブ、脂ギッシュなおじさんにしか見えないんだけど、何故、神扱いされてるの? 20歳そこそこで、毎晩銀座のクラブでスタッフ慰労して飲み明かしてた。
今でいうと何億も稼いでたからね。その気前の良さがプロダクション経営にも繋がったんかな >>241
太陽にほえろの時に比べたら、可愛いね。 >>245
想像だが、スキーで骨折し暫く療養
その後の復帰第一作が、「あいつと私」だから、運動不足、若しくは薬によるむくみ
渡だって復帰第一作の「大都会・闘いの日々」ではむくんでいた
しかし、間もなく戻ったが、裕次郎は、、、、、、、 >>248
野菜はろくに食わない。食事は肉中心。ビールはご飯代わり。
こんな偏食生活続けてたら体が治らないのも当たり前。 >>249
飲酒はもう中学で常習化しててツケで飲んでいる店が数件あり兄貴の慎太郎が仰天したそうだからな。
大動脈瘤の後も結局、まき子夫人に隠れて喫煙・飲酒してたと良純が証言してるし。
流石に最後の最後は全部止めたそうだが。
そう考えるとその割には結構、長生きした方かもな。 >>250
そんな外道が慶應義塾大学で、
慶應ボーイと騒がれて、
日活の太陽族スターだとは聞いて呆れる 逝去してから数年後の石原裕次郎の関連番組で、30代の頃の、健康年齢がかなり高かったらしい。確か、老人レベルだったとか? >>252
太陽にほえろは、裕次郎が38歳からドラマが始まったけど。健康がよろしくなかった頃なのかな。
親が裕次郎のことを好きだったので一緒に見てたけど、小学生の子供の私にはカッコいい俳優には見えなかったな。
けど、乳母車などの映画の頃の裕次郎は可愛いらしいな。 渡哲也版の嵐を呼ぶ男を見たが、若い頃の渡哲也は渡瀬恒彦に似てるね。兄弟でもあれほど似てるのは珍しいな。
似てるといえば、水の江瀧子と三浦和義も叔母と甥だけど似てたな。 スリムな若い頃は愛嬌があっていいな、七三分けのレイバンにスーツでデブの時とまるで別人だった 実は裕次郎、成城の自宅のほかに、投資用の広大な土地を所有していた時期も。
小田急線沿いで高く売れたらしいが。その金も石原プロの軍資金となる 初見が太陽にほえろの後半だったから、殆ど椅子に座ってる印象しかない。 >>261
あした晴れるか観たよ、映画自体かなり面白かった もし裕次郎に息子や娘があったら、裕次郎は徹底的に甘やかすだろうし嫁さんもそんな感じだから、
木村一八なんぞ裸足で逃げ出すモンスターな二世芸能人(当然デビュー時からデブw)が誕生したろうな。 慎太郎の息子たちのことを考えると、裕次郎の息子は人はいいがただそれだけの人になると思う このおっさんのどこがいいのか昔から理解出来ない。
顔がカバで体が豚。
よほどメディア企業の力が強い時代だったのだろうか?
海外ではクリント・イーストウッドが年齢的に近いが、90歳を超えた今でも
主演と監督をこなす活動は本物のスターと言えるでしょう。
若い頃のカッコ良さは現代でも通用すると思う。
裕次郎は全盛期であっても、現代は箸にも棒にもかからない。 外見というより生きる姿勢じゃないですか
今まで芸能界において電通に逆らったのはあの男だけです
そして成功を収めた
平成を乗り切った石原プロモーション
もう ああいうスターは出てこない
今まさに石原裕次郎の音楽聞いてるけれども
誰よりも豊かな気持ちになれる。
今の俳優は自分のプロダクションすら作れない。
容姿なんてどうだっていい
命をかけてついてくる人がいるかどうか
彼の場合は渡哲也がいた
渡哲也に命をかけてもいいという舘ひろしがいたんだ
それがトップリーダーというものだよ。 「人間魚雷出撃す」を観た
出撃以降はえらいアッサリしてたな
あれが現場の実感なんだろうな… 若い頃はコメディセンスも高いよな、カッコつけてないとこがまた良い >>1
同じタイプだけど自分は勝新太郎さんのほうがカッコいいと思う 東映2大スターのライバル秘話 高倉健を強く意識していた菅原文太
高倉健と菅原文太はどんな間柄だった?(Getty Images)
東映ヤクザ映画の2大スターだった高倉健と菅原文太。デビューはともに1956年だが、高倉が1964年の『日本侠客伝』でいち早く看板となったのに対し、菅原は他の映画会社で芽が出ず1967年に東映へ移籍。1973年、任侠路線から実録路線へ舵を切った『仁義なき戦い』でようやくブレイクを果たした。
2人は全12作で共演しているが、1975年に公開された最後の共演作『神戸国際ギャング』に出演したガッツ石松は、その関係性をこう証言する。
「2人の間では文太さんが健さんを立てていた。撮影中、健さんが2階から拳銃で撃たれて壁にぶつかるはずが、壁のないところに落ちてアゴのあたりに怪我をしてしまった。それで撮影は一時中断になったんだけど、監督がその間に他のシーンの撮影を再開すると言ったら、文太さんが『ふざけたこと言うんじゃねえよ。健さんがケガしたのに撮影なんかできるわけねえだろう』って怒ってやめさせた。俺にとっては2人ともヒーローで、長男には2人の名を取って『健太』とつけたし、親父が死んだときに健さんがくれたお香と、文太さんがくれた自家製のワインは、心の家宝です」
『高倉健と任侠映画』などの著作があるノンフィクション作家・山平重樹氏は、菅原には高倉への意識が強くあったという。
「この作品の舞台挨拶で、健さんは司会者から『菅原文太という俳優をどう思うか』と質問されて『東映を背負って立つような素晴らしい俳優さんになられましたね』と答えていましたが、対する文太さんは、本作よりもコミカル路線で当時大ヒットしていた主演作『トラック野郎』の話で笑いを誘っていた。健さんへの対抗意識があったのでしょう。後年、『健さんを意識していたか』『健さんがいたから違う方向を目指したのではないか』と聞くと、文太さんは『同じことをやっても敵わないとなれば、誰でもそう考えて努力するのではないか』と語っていました」
同年、東映は当時としては破格の5億円超をかけて大作『新幹線大爆破』を制作したが、東映の宣伝マンだった佐々木嗣郎氏は意外な秘話を明かす。
「制作側は主演の犯人役は当然、健さんだと思っていましたが、岡田茂社長の頭の中にあったのは文太さんでした。新幹線を爆破するのに金がかかるから、ギャラは健さんの半分程度で済むし、文太さんを押し出したい気持ちもあった。しかし、任侠映画からの脱却を模索していた健さんは、ギャラは半分でいいと言い出し、主演に決まった。この作品は海外で高く評価され、健さんの新境地となりました」
高倉自身にとっても、任侠スター・高倉健は高い壁だったのだ。
2014年11月、高倉が死去。菅原は「健さん、東映、映画のことは時間をおいて自分で書きます」と追悼コメントを出したが、その18日後に自らもこの世を去った。
※週刊ポスト2021年5月21日号 「金門橋にかける橋」を観た
恋愛ドラマは失笑レベルだが、最後の砲撃が凄い
ひとつ間違ったら死ぬレベル こないだ黒部ダムのやつ初めて見た
ただのそこいらの小デブおっさんだった... >>281
初めて見たというのが嘘ということだろう
単に裕次郎アンチ >>280,283
3ヶ月前にBSで黒部の太陽やってたのを録画しといたのよ
それをこないだ見たんだよ
録画するきっかけになったのはNHKのぶらっとタモリの黒部ダム特集の再放送を見たから
なんでも妄想で決めつけない方がいい 顔つきもシュっとしてないし
体つきもヤバかった、特に腹周り 裕次郎さん好きだけどルックスでいえば菅原文太さんのほうがイケメンだね >>287
バックボーンが違ったさ。裕次郎は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの石原慎太郎の弟だった。
菅原文太は東北の田舎から出てきた標準語が怪しい奴。
文太は顔はキリッとえいてたけど裕次郎は文太なんか相手にしてなかったよ。 当時の石原裕次郎の人気は高倉健より上で中村錦之助レベルだったんじゃないの 今日、エド山口のyoutubeを見ていたら、エドが石原軍団の新年会に行って芸をやって裕次郎から50万円入りの封筒をもらった
あるとき三波春夫に呼ばれて行ったら、よく来てくれたとこれまた分厚い封筒をくれた
後で中を確かめたらお札ではなくて全部パンフレット、速攻捨てたそうだ >>289
人気はあっても健さんのほうが昔から格上 長身の体型といい貫禄といい、チョウユンファが裕次郎の再来だな いろんな共演者の思い出話を読むと、兄貴殿とは人柄が対照的だな >>291
石原裕次郎に対して高倉健が格上の訳ないだろう。
映画最盛期だった昭和30年代の正月に催される <各社のスターが勢揃い> に高倉健は名前も顔もないんだよ。
映画斜陽期に入ってから高倉健は1人孤軍奮闘してた。でも<各社のスターが勢揃い>に一度も呼ばれなかった高倉健は生涯負い目があったんだよ。
小林旭が言っていた、先にスターになった方が格上は生涯変わらないんだよ。
今日のNHKの日本人のお名前
高倉健と石原裕次郎じゃん >>298
見た。
高倉健は細身のイケメンだったけど、石原裕次郎はデブった眼鏡のおっさんだった。 ジャッキーも小林旭のファンなんだな、他には勝新と千葉真一も好きらしい 「黒部の太陽」をやっと見た
これ脇役陣が凄いな…日本演劇界が総結集だ
映画自体も良かったよ 加山雄三や小林旭は昔の映画を見たらスターなのは良く分かるんだが石原裕次郎は若い時もブサイクで棒だし分からんわ
俳優の仕事を恥じてたのは三船敏郎や高倉健と一緒か 三船は撮影班志望だったのに俳優オーディションに回され
「怒った芝居してみろ」と言われ
「何で囲まれてそんな事せねばならんのか!」と本気で怒っている所を通りかかった黒澤に見られた
高倉は初めてのキャメラテストでドーランを顔に塗られ
「身を堕とす とこういうことか」と諦めた いまBS日テレで「銀座の恋の物語」放送中
つまらない映画だな >>310
最後の展開が残念だったが・・・・・内容が。校長役の宇野重吉が事故死するし、学校(教護院。少年鑑別所の
手前の)土地が、自衛隊の基地にされるわ・・・
生徒役の、杉山俊夫と其の仲間がいい味出していた。
渡哲也でのリメークが、見たかった。 >>312
横だが
何が死ねハゲなのか内容を書かないと小学生の荒らしと同じだよ ID:5gaBSfqt
こいつは親のすねかじりの世間知らずの低能児だよ >>317
マジレスすっけど
お前、Twitterでバカにされてるぞw 先日北海道旅行に行った際、小樽駅での石原裕次郎の等身大パネルでの解説では
182p75キロとの表示あり。実際は・・・・ 裕次郎は脚怪我して走れなくなって
どんどん太っていった もし日活に黒澤明がいたとしたら
石原裕次郎は世界の石原になってたと思う
用心棒の時、卯之助役にもう一人三船が必要だとなって三橋達也がキャスティングされたが
降板になって仲代達也が代役になったが
もし五社協定がなければぜったい石原裕次だった 石原軍団の神田正輝の神田沙也加が亡くなった
普通に神田正輝の方がイケメン
柴田恭兵や周りが良かったのかも ブラインド覗きぽっちゃりおじさん
何がすごいのかよくわからん
その時代娯楽が映画くらいしかなかったからかもわからんが、それにしたってギョロ目黒光りおじさんにしか見えんよな 何がすごいのか?
若い時の映像みてもおじさんなのな笑笑 兄貴の慎太郎も逝った事だし、これで今後語れることも無くなるんじゃないの? 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして授業をサボって遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪されたのにも関わらず
芸大を受験する資格すらないのに"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 今時のに時代とワンセットだった裕次郎の魅力を説くのは無理なんだよな 今の時代の人間は否定したできない陰キャだらけだからな >>1
潰れそうだった戦前からの一番古い日活株式会社の映画を、自前の身体を張ってヒットさせた存在だったから。 若いころは文句なくイケメンだったがな
ただ、中年以降もデブといより身体がムクんでただけだろう。いろいろ病気してたから薬の副作用で。 >>16
>>21
ブルドックはブルドックでもただのブルドックではない。カッコいいブルドックだ。
ゴッドファーザーのマーロン・ブランドと並ぶブルドックだろう。 ブルドックってソースのことか?ドッグなら犬だろうが。