石原裕次郎ってデブのおじさんに見えるんだけど? [無断転載禁止]©2ch.net
NHKの特集で見たんだけど、石原裕次郎ってただのデブ、脂ギッシュなおじさんにしか見えないんだけど、何故、神扱いされてるの? 煙草を吸う、飲酒を当たり前の様に日活撮影所でやるんだから、死ぬよな
渡哲也と出来てたから、北原三枝とはガキが出来なかった? >>194
石原そのものがガキみてえなヤツだからな。
舘も同様。 釣られてやるが
「憎いあンちくしょう」だからな
因みに「ン」は小文字だ 昭和50年代に安倍(晋太郎)、竹下(登)、小坂(徳三郎)で
「安竹小(あんちくしょう)」が政界の次期ニューリーダー候補って言われてた
小坂はすぐ消えちゃったけどね 日活アクションファンの著書によれば裕次郎は青春のシンボルであり、劣化とともに裕ちゃん
世代も我々も年を取ったもんだ。と感じるらしい。貧乏人ほど憧れる。
私の父も房総で太陽族気取りでブスをナンパ、アロハで飲み歩いたり、恥ずかしい
ウクレレ写真ばかり出てくるね。稔侍だって裕次郎ファンから映画界入り。 今のビートたけしみたいなもの。若いころは良かったんだが。 >>206
そうでもねえよ。キムジョンウンみたい。 水の江瀧子「やっぱり今までになかったタイプの青年でしたね。戦後アメリカがどっと入ってきたでしょう。
ところが周りの日本人社会見たってそういうのは全然いなかったわけですよ。
裕ちゃんにはそういう、ややアメリカ的な感じがあるでしょう。身長はあるしね」
背は確かにデカかったんだな 若いころはいい意味でチャらかった。だんだん昼酒飲んでるただのデブになった。 この時代のスターで今も名前が残ってる人って若い時や全盛期大体納得できるくらいの美男美女なんだけど
裕次郎は若い太る前の時ですらそんなにカッコよくないんだよね
当時の人にしか分からない魅力があるのかなぁ 80年漫才ブームに B&B洋七が
「裕次郎みたいなモン俺と同じでタダの肥満児やがな!」
と言って大爆笑獲ってたンだわ
当時 読売G野球選手
年俸9000万パーティーに呼ばれた洋七は
選手から「おい 雑魚漫才師 オマエ年収幾らだよ?w」と聞かれ黙っていた
9億超えていたからだ 裕二郎旭勝新と当時の映画スターは中年になると見る影もなくデブるのがデフォだった。健さんがどれだけ鍛錬したか分かるな 勝新は太ることで貫禄がついたが、健さんはただ老けただけ。
「四十七人の刺客」の頃にはもう声も枯れてて、賞味期限切れを感じさせた。 石原裕次郎52歳であの世行き
52歳って驚いたわ。
今の織田裕二くらいの年齢じゃん。 赤 千と千尋の神隠し 宮崎駿
青 北野映画 北野武
黄 警視庁捜査第八班 ゴリラ 石原プロモーション 「渋谷の道玄坂にあったクラブ(屯喜朋亭=ドンキホーテ)で二人が飲んでいたとき、他愛もないことで言い争いになった。『表に出ろ!』と言い放ったのが勝さん。けれど、表に出た途端、
裕次郎さんが『兄貴、これは芝居にしようや』と持ち掛け、事なきを得ました。勝さんからは、こんな言葉は出てこない。喧嘩となったら、最後までいってしまうタイプですから」(同・中村氏)
勝さんは一人で飲むときも裕次郎さんの歌を好んで歌った。「夜霧よ今夜も有難う」や「粋な別れ」である。実は、勝さんもレコードを何枚か出していたのだが…。
「ぜんぜん売れなかった(笑)。だから『なんで俺のほうが歌はうまいのに、裕次郎のばかり売れるんだ』と悔しがっていましたよ」(同・中村氏)
中村氏の分析によると、確かに勝さんは歌がうまかったが、こぶしが利き過ぎていた。
「一方で、裕次郎さんの歌は、素人が酒を飲んで気ままに歌っているようで、魅力がありましたね」(同・中村氏) 勝新は演技と同じで歌も上手さの抑制が効かない。
美空ひばりなどは1曲の中の効かせどころを心得ていて、力の抜き具合も
絶妙なのだが、勝は全篇入れ込み過ぎてて聴いてて疲れてくる。 兄の慎太郎と石原まき子夫人存命中に解散
裕次郎も笑えない 第二の裕次郎なんたらで選別したやつらは
石原プロのやつらは全員見る目が腐ってたか
そろそろ潰れて欲しかった スペシャルドラマ「弟」が80年代の大映ドラマだったら
石原潔 中条静夫
石原光子 小林哲子 晩年は池内淳子(そのまま)
石原慎太郎(思春期)和泉史郎 (メイン)鶴見辰吾(壮年期)山下真司
石原裕次郎(思春期)高野浩和 (メイン)松村雄基 晩年は梅宮辰夫または三浦友和(そのまま)
石原典子(メイン)いとうまい子(壮年期)岡田奈々
石原まき子(メイン)伊藤かずえ 晩年は和田アキ子または松坂慶子(そのまま)
渡哲也 四方堂亘(壮年期)国広富之 または本人
小林正彦 小沢仁志(壮年期)重田尚彦 または本人
石原良純 本人
関町 松崎しげる
井上教授 名古屋章
内藤医師(後の向井千秋飛行士) 堀ちえみ
一等航海士(潔の部下) 垂水藤太
藤倉課長(潔の部下) 佐藤健太
水の江瀧子 安永亜衣
牛乳配達員 坂上忍または吉岡秀隆
小樽の消防団団長 坂上二郎
荒牧(日活企画部) 大葉健二
小森和子 杉浦幸
タクシー運転手 石立鉄男
加藤(日活撮影所警備員) 谷隼人
『太陽の季節』撮影時の長門裕之 宮田恭男
チャーリー(嵐を呼ぶ男) 大門正明
おでん屋の女将 かとうゆかり
逗子の海岸の憲兵 西村雅彦 (そのまま)
宝酒造の大宮社長(終盤に会長) 下川辰平
寝台車車掌 真夏竜
質屋 武田鉄矢
藤本真澄常務 倉石功
料亭「海陽亭」女将 森恵
宇野重吉 井出らっきょ
松山章子 諏佐理恵子
真美 坂上亜樹
ハチャメチャな話になるか。
主題歌は麻倉未稀で。 慎太郎とシュワちゃんが面談してるのを見て思ったが、
もしも裕次郎が今でも存命で、シュワちゃんとどこかであったら気が合うと思う?。 今週のビックコミックの表紙が、石原裕次郎。
何故か思ったら、石原プロモーションが終わるからか。
久しぶりに見たな。公の媒体での石原裕次郎。 石原裕次郎が太り始めたのは黒部の太陽の頃から?
暴飲暴食が原因なの? >>238
赤いハンカチの頃にはもう太り出していた。
https://www.nikkatsu.com/movie/20770.html
動けなくなってきたので、日活映画もムードアクションという中年向けの
緩い作風に変化した。
もっとも顔だけは紅の翼の頃にはもうブルドッグ化していたが。
https://www.nikkatsu.com/movie/20305.html >>240
「あいつと私」の時には十分太っている
サラリーマンの課長くらいに見えて、大学生とは思えなかった 最初の大動脈瘤ん時は志麻いづみの部屋で倒れたんだっけ? >>241
太った原因は何なの?
過労とストレスで過食やアルコール摂取過多?
水原弘ほどのアルコール依存症では無かったように思えるけど。 20歳そこそこで、毎晩銀座のクラブでスタッフ慰労して飲み明かしてた。
今でいうと何億も稼いでたからね。その気前の良さがプロダクション経営にも繋がったんかな >>241
太陽にほえろの時に比べたら、可愛いね。 >>245
想像だが、スキーで骨折し暫く療養
その後の復帰第一作が、「あいつと私」だから、運動不足、若しくは薬によるむくみ
渡だって復帰第一作の「大都会・闘いの日々」ではむくんでいた
しかし、間もなく戻ったが、裕次郎は、、、、、、、 >>248
野菜はろくに食わない。食事は肉中心。ビールはご飯代わり。
こんな偏食生活続けてたら体が治らないのも当たり前。 >>249
飲酒はもう中学で常習化しててツケで飲んでいる店が数件あり兄貴の慎太郎が仰天したそうだからな。
大動脈瘤の後も結局、まき子夫人に隠れて喫煙・飲酒してたと良純が証言してるし。
流石に最後の最後は全部止めたそうだが。
そう考えるとその割には結構、長生きした方かもな。 >>250
そんな外道が慶應義塾大学で、
慶應ボーイと騒がれて、
日活の太陽族スターだとは聞いて呆れる 逝去してから数年後の石原裕次郎の関連番組で、30代の頃の、健康年齢がかなり高かったらしい。確か、老人レベルだったとか? >>252
太陽にほえろは、裕次郎が38歳からドラマが始まったけど。健康がよろしくなかった頃なのかな。
親が裕次郎のことを好きだったので一緒に見てたけど、小学生の子供の私にはカッコいい俳優には見えなかったな。
けど、乳母車などの映画の頃の裕次郎は可愛いらしいな。 渡哲也版の嵐を呼ぶ男を見たが、若い頃の渡哲也は渡瀬恒彦に似てるね。兄弟でもあれほど似てるのは珍しいな。
似てるといえば、水の江瀧子と三浦和義も叔母と甥だけど似てたな。 スリムな若い頃は愛嬌があっていいな、七三分けのレイバンにスーツでデブの時とまるで別人だった 実は裕次郎、成城の自宅のほかに、投資用の広大な土地を所有していた時期も。
小田急線沿いで高く売れたらしいが。その金も石原プロの軍資金となる 初見が太陽にほえろの後半だったから、殆ど椅子に座ってる印象しかない。 >>261
あした晴れるか観たよ、映画自体かなり面白かった もし裕次郎に息子や娘があったら、裕次郎は徹底的に甘やかすだろうし嫁さんもそんな感じだから、
木村一八なんぞ裸足で逃げ出すモンスターな二世芸能人(当然デビュー時からデブw)が誕生したろうな。 慎太郎の息子たちのことを考えると、裕次郎の息子は人はいいがただそれだけの人になると思う このおっさんのどこがいいのか昔から理解出来ない。
顔がカバで体が豚。
よほどメディア企業の力が強い時代だったのだろうか?
海外ではクリント・イーストウッドが年齢的に近いが、90歳を超えた今でも
主演と監督をこなす活動は本物のスターと言えるでしょう。
若い頃のカッコ良さは現代でも通用すると思う。
裕次郎は全盛期であっても、現代は箸にも棒にもかからない。 外見というより生きる姿勢じゃないですか
今まで芸能界において電通に逆らったのはあの男だけです
そして成功を収めた
平成を乗り切った石原プロモーション
もう ああいうスターは出てこない
今まさに石原裕次郎の音楽聞いてるけれども
誰よりも豊かな気持ちになれる。
今の俳優は自分のプロダクションすら作れない。
容姿なんてどうだっていい
命をかけてついてくる人がいるかどうか
彼の場合は渡哲也がいた
渡哲也に命をかけてもいいという舘ひろしがいたんだ
それがトップリーダーというものだよ。 「人間魚雷出撃す」を観た
出撃以降はえらいアッサリしてたな
あれが現場の実感なんだろうな… 若い頃はコメディセンスも高いよな、カッコつけてないとこがまた良い >>1
同じタイプだけど自分は勝新太郎さんのほうがカッコいいと思う 東映2大スターのライバル秘話 高倉健を強く意識していた菅原文太
高倉健と菅原文太はどんな間柄だった?(Getty Images)
東映ヤクザ映画の2大スターだった高倉健と菅原文太。デビューはともに1956年だが、高倉が1964年の『日本侠客伝』でいち早く看板となったのに対し、菅原は他の映画会社で芽が出ず1967年に東映へ移籍。1973年、任侠路線から実録路線へ舵を切った『仁義なき戦い』でようやくブレイクを果たした。
2人は全12作で共演しているが、1975年に公開された最後の共演作『神戸国際ギャング』に出演したガッツ石松は、その関係性をこう証言する。
「2人の間では文太さんが健さんを立てていた。撮影中、健さんが2階から拳銃で撃たれて壁にぶつかるはずが、壁のないところに落ちてアゴのあたりに怪我をしてしまった。それで撮影は一時中断になったんだけど、監督がその間に他のシーンの撮影を再開すると言ったら、文太さんが『ふざけたこと言うんじゃねえよ。健さんがケガしたのに撮影なんかできるわけねえだろう』って怒ってやめさせた。俺にとっては2人ともヒーローで、長男には2人の名を取って『健太』とつけたし、親父が死んだときに健さんがくれたお香と、文太さんがくれた自家製のワインは、心の家宝です」
『高倉健と任侠映画』などの著作があるノンフィクション作家・山平重樹氏は、菅原には高倉への意識が強くあったという。
「この作品の舞台挨拶で、健さんは司会者から『菅原文太という俳優をどう思うか』と質問されて『東映を背負って立つような素晴らしい俳優さんになられましたね』と答えていましたが、対する文太さんは、本作よりもコミカル路線で当時大ヒットしていた主演作『トラック野郎』の話で笑いを誘っていた。健さんへの対抗意識があったのでしょう。後年、『健さんを意識していたか』『健さんがいたから違う方向を目指したのではないか』と聞くと、文太さんは『同じことをやっても敵わないとなれば、誰でもそう考えて努力するのではないか』と語っていました」
同年、東映は当時としては破格の5億円超をかけて大作『新幹線大爆破』を制作したが、東映の宣伝マンだった佐々木嗣郎氏は意外な秘話を明かす。
「制作側は主演の犯人役は当然、健さんだと思っていましたが、岡田茂社長の頭の中にあったのは文太さんでした。新幹線を爆破するのに金がかかるから、ギャラは健さんの半分程度で済むし、文太さんを押し出したい気持ちもあった。しかし、任侠映画からの脱却を模索していた健さんは、ギャラは半分でいいと言い出し、主演に決まった。この作品は海外で高く評価され、健さんの新境地となりました」
高倉自身にとっても、任侠スター・高倉健は高い壁だったのだ。
2014年11月、高倉が死去。菅原は「健さん、東映、映画のことは時間をおいて自分で書きます」と追悼コメントを出したが、その18日後に自らもこの世を去った。
※週刊ポスト2021年5月21日号 「金門橋にかける橋」を観た
恋愛ドラマは失笑レベルだが、最後の砲撃が凄い
ひとつ間違ったら死ぬレベル こないだ黒部ダムのやつ初めて見た
ただのそこいらの小デブおっさんだった... >>281
初めて見たというのが嘘ということだろう
単に裕次郎アンチ >>280,283
3ヶ月前にBSで黒部の太陽やってたのを録画しといたのよ
それをこないだ見たんだよ
録画するきっかけになったのはNHKのぶらっとタモリの黒部ダム特集の再放送を見たから
なんでも妄想で決めつけない方がいい 顔つきもシュっとしてないし
体つきもヤバかった、特に腹周り 裕次郎さん好きだけどルックスでいえば菅原文太さんのほうがイケメンだね >>287
バックボーンが違ったさ。裕次郎は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの石原慎太郎の弟だった。
菅原文太は東北の田舎から出てきた標準語が怪しい奴。
文太は顔はキリッとえいてたけど裕次郎は文太なんか相手にしてなかったよ。 当時の石原裕次郎の人気は高倉健より上で中村錦之助レベルだったんじゃないの 今日、エド山口のyoutubeを見ていたら、エドが石原軍団の新年会に行って芸をやって裕次郎から50万円入りの封筒をもらった
あるとき三波春夫に呼ばれて行ったら、よく来てくれたとこれまた分厚い封筒をくれた
後で中を確かめたらお札ではなくて全部パンフレット、速攻捨てたそうだ >>289
人気はあっても健さんのほうが昔から格上 長身の体型といい貫禄といい、チョウユンファが裕次郎の再来だな いろんな共演者の思い出話を読むと、兄貴殿とは人柄が対照的だな