石原裕次郎ってデブのおじさんに見えるんだけど? [無断転載禁止]©2ch.net
ゴリさんは裕次郎賛美って聞いた事ないな(トーク番組は出ないが)。殿下はガキの頃からファンだった
らしいけど、スペシャルドラマ「弟」の頃は、武も「裕次郎が代表作で
んじゃないか。あれだけ貧しかった日本がね、スターで熱狂したのは、ひばりさんと
裕次郎さんだけ」 ビートは反抗的な態度を匂わせながら一貫して風見鶏だからな。
いくら矛盾してようとも、自分が世渡りする為に都合の良い発言をし、それを愚鈍な信者たちがたけしにとって都合良く解釈する。
それでも最初は恐る恐る振る舞ってたのでリアルな共感を得ていた
(権力志向が強い小心者の開き直りを正直者ゆえの魂の叫びwと判断したバカどもに)わけだが
それでラクする事をおぼえた。
松田優作が死んだときも「早く死んだから変にありがたがられてるだけなんじゃないの?」
と言いながら、自分の番組で優作伝説みたい企画やった(本人の意ではないにせよ)時は
そんな事はおくびにも出さなかった。 撮影所で昼から酒を煽っていた裕次郎、集団競技の映画に物申す・・これは岡田真澄
が言ってたね。「上から下まで、みんな笑って許してる、スターだから。僕は舞台出身で弟子の
経験もあるし、躾が入ってたので、それは駄目だと思いました(移籍)」
アクション転換後は岡田、津川はみな、移籍したな >>129
そう言った態度を取ることがあの顔になってしまったんでしょうね >>129
デタラメばっかり言ってんじゃねぇよキチガイ。さっさとくたばれ ほえろに関しては、そっけない態度だったのも裕次郎側だな
電話番に徹した裕ちゃん。
「あれは東宝で撮ったドラマでね」「スタジオの雰囲気も変わるんだよ」
石原プロのドラマは自身も乗り気で喋るけどね。
しかし長回しを希望した裕次郎、最期の登板では、ちゃんと見せ場を作ったのも昔からのスタッフらだったね。 【自らを泉南最強の輩(笑)と名乗る元暴走族な上にハルシオン中毒で更に暴力症のクセに
ただ単に悪知恵が働くだけの分際で自らを頭がいいとほざく(笑)身の程知らずの真性DQNのド低悩(笑)
そしてその人相は麻原彰晃そのもの!!wwwwwwwwww
広岡雅史(自称ゴンさん(笑))そのクソみてーな半生】
1983年 中学入学するも生意気だったので不良同級生に〆られる。以降3年間おとなしく過ごす
中学一年の時に2日間だけパンチパーマをかけたのが唯一の自慢
1986年 私立高校に入学するが、親分だった仲間が中退。自分も同級生からイジメに遭い中退、定時制高校に入りなおす
アイドルに憧れて劇団東俳に入れてもらうが芽がでない。ジャニーズの研修生になるも、2日で追い出される
1987年 同年代が丸くなり引退を考える17歳のとき、休眠暴走族のメンバーを名乗り活動をはじめる
1988年 18歳にて休眠暴走族の2代目総長を名乗り、年下に混じって30歳まで参加する
1989年 先輩に誘われ右翼活動を始めるも、1年経たずに逃げ出す
1990年 20歳で定時制高校の番長を気取り、更生してまじめに勉強したい生徒からひんしゅくを買う
地元暴力団に見習いで入るが、親と警察に泣きついてすぐに逃げ出す
1991年 21歳にしてヤンキー中学生が読むような雑誌に投稿。借りものの特攻服を着て現役暴走族を気取る
それ以降もメディアに出たくて仕方なく、昼の生放送番組の奇人変人コーナーに出演したりする
1992年 22歳にして6年かけて通った定時制高校を卒業
1993年 親に「もう23歳なんだから更生しろ」と怒られ横浜東口ポルタ宝石店「チャーミー田中」に就職。すぐにクビ
ホストクラブ「ナイトヨコハマ」入店。しかし1年もたない
女性二人と遊びに来ていた男に因縁をつけ監禁、脅迫で逮捕。雇われ店長をやっていたホストクラブも閉鎖
1994年 地元の有名先輩に頼み込んで、暴走族ビデオ「暴走列島94」に照明係として出演させてもらう
1995年 愚連隊会長を名乗るが1年もたない。その後も関西系暴力団の見習いになるが、親と警察に泣きつきまた逃げ出す
1996年 遂に才能がないのに気づき、芸能人になる夢をあきらめる
1997年 落ちこぼれを集めて政治結社(暴力団の下部組織)を結成。ヤクザを名乗り女性三人を監禁、強姦して逮捕
1999年 30歳にして暴走族の相談役を自称。タチワルを気取って地元の少年たちにちょっかいをかけるが返り討ちにあう
2002年 インターネット掲示板に目を付け、自作自演の売名活動を始めるが、誰にも興味をもたれず相手にされない
2004年 34歳のときに脅迫で新潟刑務所に入所する。「イビキがうるさい」と同居の受刑者にイジメられ独居房入り
2014年 44歳になっても未成年に手を出し淫行で逮捕される。罰金が払えず、身の回りの物を売りに出す >>132
ホント、松田優作やビートたけしを崇拝して持ち上げている動物は消えて欲しいですね、害悪にしか思えないですよね。 >>129
80年代半ばに、金曜日のたけし城が太陽にほえろ!を陥落
90年代の前半に、日曜日の元気が出るテレビが、舘主演の代表取締役刑事に余裕勝ち
90年代〜現在
神田正輝の旅サラダで、ラッシャー板前を預かってもらってる
都合のいい殿様たけしと
神田のギャラを散財してるだけの渡&舘の穀潰しバカ2人 ひばりも裕次郎もむかーしむかーしにはスターだったかもしれないが今の人間からすると単なる昔有名だった人って感覚にしかなれんな
ひばりの歌は今聴いても天才だってことはわかるからまだいいとしても裕次郎の役者としての実力は今の感覚からすると古すぎてね
ギャグにしか見えんのですわw >>126
この人の感覚はかなり正しい感覚だと思うよ
昭和中期の完全なる時代のバグだろうね
恵方巻きは普通に切ってのり巻きとして美味しくいただいてます
関西人じゃないんでw 今日、裕次郎の32回忌法要の写真に、なんで浦辺粂子がいるの?と思ったら、
北原三枝だったw 裕次郎の遺産をこれでもかと食い物にし続ける年上女房、大っ嫌い お兄さんは元気にしてるのかね
クリントイーストウッドはまた新作を撮ったようだが 黒部の太陽、までは太らず、まだ現役でカッコいい役をしていたが、自分が知ったのは、太陽にほえろ、で部下にやらせる役しかリアルタイムでは、知らない。 死んで30年にもなるのに
いまだに全国巡回とかなんかして
亭主の骨の髄までしゃぶりつくす
銭ゲバ女房 裕次郎ならなんでも…なファンが生き残ってるからだろ?
裕次郎に特に思い入れはないが、学生の頃洋画3本立ての名画座の前で並んでたら、アル中ジジイが隣の裕次郎3本立てをなんで見ないと絡まれた。
そんな嫌な記憶があるから、裕次郎ファンと言うと…と思ってしまう。 美空ひばりのひばり映画と共に、裕次郎映画という1ジャンルを打ち立てた偉大な俳優だ とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
LTW お前らと違って感覚がしみったれてないんだよ
だから憧れた。
西部警察レベルの爆破ありのドラマ
今後作れることはもうない
裕次郎がやらなきゃ誰もやらなかった
そういうこと
静岡の駅、ヘリから降りるのだってもう許可降りない
今の俳優みてみろ、自分で独立プロ作らねえし
まず西部警察みたいなドラマ時間枠買い取りでできないだろ
できるのは後にも先にも裕次郎ただ一人
答え出てるんだよ。何が時代のバグだ ふざけるんじゃねえ ターベリンゴ〜♪
ターベリンゴ〜♪
ターベリンゴ〜♪ >>146
東映のキイハンターとかプレイガールの方が先だぜ >>143
黒部の太陽の時は、もうブクブクでしょ!
日活のあいつと私辺り迄だよ、痩せてんのはね! 痩せてた時でもボタッとした下膨れ顔で歯並び悪いし
脚が長いwからって何の救いにもなってない。
顔がデカい時代劇役者だって滑稽にせよ哀れには見えないが、裕次郎は発展途上国の英雄にしか見えない。
武田鉄矢みたいな顔と体型の奴が国民的スターの国が東南アジアにあったような気がするが、そんな感じ。 >>158
まだ三波にはお笑いスターとしてのセンスがあったから許せるが、石原にはそれすらなかった。 >>157
>脚が長いwからって何の救いにもなってない。
のは確かだが、それまでの映画界に裕次郎なみの脚が長いスターが
いなかったから脚が長いというだけで憧れる観客が多かった。
あと裕次郎の場合は育ちが良いのに不良だったという雰囲気が
貴重だった。
昭和37〜8年からの裕次郎映画は俺ももう観られなかった。
なお、俺は裕次郎の映画を初めて観たのは昭和52年だったから昭和30年代前半の観客を想像して書いている。
裕次郎と同時代を生きてきた人に聞いた中の意見で面白かったのはブルーカラーのファンが多かったというものだ。 コレステロールの沈着で動脈硬化を起こしたのは40代だっけか。
不摂生の極みだったな。顔も浮腫んで黒かったし どんな物事もそうだが批評するのは同時代性をもってするべきだな
それできない奴は消えろだね >>162
コイツ何様?誰に向かって文句言ってんだか 同時代性、同時代性と言うけど、今見てもかっこいい普遍的な人がいたからね
むしろ同時代性でしか語れないのはしょうもないものなんだよ
そのときはああだったんだ、とか関係ない
あれはやっぱりデブのおじさんだったのだ、と受け入れるべき 同時代性って言ってるヤツ
同時代のジジババが死んだら消えて失くなりますよっていうのと同義だわ
そんくらいの存在でしかなかったんよ結局
同時代性を超えるスターではなかった >>168
確かに同時代のファンが死に絶えれば裕次郎の評価は激減するだろう
一方、わしらからすると、SMAPもEXILEもどこがいいのか判らない
しかし絶頂期の裕次郎の人気がSWAP+EXILE+AKB48を足したのより凄かった事実は消えない
役者(映画俳優)の裕次郎の評価はともかく、昭和で一番観客を集めた人気スターだあったと云うことは何時までも残る ちゃんと体絞ってたら太陽に吠えろのお飾り以外にもテレビでも名を残せる仕事あったかもね。自分に甘い性格なんだろうな。高倉健とは大違い >>175
嘘だろ
180Cmの高橋英樹と並んだ時明らかに低かったし、175〜6Cm程度だろ。 ゆうたろうは184pもある。身長だけは本物より勝ってる。 写真をググるとやっぱりそこそこデカいな
慎太郎都知事もイーストウッドと並んでもちょっと低いくらいだったし 日活映画観ていても、何処がいいのか?
解らない偽カリスマ俳優石原裕次郎 >>183
高尚な映画だけ見てろ
プログラムピクチャーの楽しさを知らない可哀想な人にはなりたくないなあ >>178
プロレスの話だが、昔は身長六尺の大男という概念があったせいで力道山の身長を公称180cmとしてしまい、以後一部のレスラーの公称身長はインフレ化したと。
そういった事情があったのかも…
身長が加齢で縮んだ可能性もあるが。 この写真は180あるように見える
あのパンパンの顔がこれくらいの小ささに見えるのだから
https://tblg.k-img.com/diary/images/592/640x640_592069.jpg
膝の位置からしてシークレットブーツも履いてなさそう >>185
石原裕次郎のプログラムピクチャーを観たが、くだらないのが多い 葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わさるべからず。 >>189
石原の墓前に
三つ揃いのスーツ着たグラサン肥満児や
剃り込みグラサンオヤジや
ホルスターにマグナム入れて歩いてる
舘ひろしのバッタ者とか
ヘンテコなヤツばかり居るよな。 >>189
>石原裕次郎のプログラムピクチャーを観たが、くだらないのが多い
と云うことは下らなくないのも有るということだな
裕次郎は2〜3年で映画界で最も客を呼べるスターになった
館主から何でもいいから裕次郎で作れと催促が来る
そのため、寝る間もないほどのスケジュールで映画を作ったから、下らない映画は山ほどある(所謂、粗製乱造と云う奴だ)。
それでも他社の映画スターより客が呼べた
裕次郎は、2〜3年で一生涯暮らして余るほどの映画スターとしてのステイタスを身に付けた
ムードアクションと「憎いアン畜生」などの何本かの作品は例外として、9割以上がつまらない映画であることは間違いない
「太陽に吠えろ」などはその駄作以下の作品
裕次郎の残りかす(その割にはブクブクと越えているが)の作品を見て、スター裕次郎を判断するのは止めた方がいい 煙草を吸う、飲酒を当たり前の様に日活撮影所でやるんだから、死ぬよな
渡哲也と出来てたから、北原三枝とはガキが出来なかった? >>194
石原そのものがガキみてえなヤツだからな。
舘も同様。 釣られてやるが
「憎いあンちくしょう」だからな
因みに「ン」は小文字だ 昭和50年代に安倍(晋太郎)、竹下(登)、小坂(徳三郎)で
「安竹小(あんちくしょう)」が政界の次期ニューリーダー候補って言われてた
小坂はすぐ消えちゃったけどね 日活アクションファンの著書によれば裕次郎は青春のシンボルであり、劣化とともに裕ちゃん
世代も我々も年を取ったもんだ。と感じるらしい。貧乏人ほど憧れる。
私の父も房総で太陽族気取りでブスをナンパ、アロハで飲み歩いたり、恥ずかしい
ウクレレ写真ばかり出てくるね。稔侍だって裕次郎ファンから映画界入り。 今のビートたけしみたいなもの。若いころは良かったんだが。 >>206
そうでもねえよ。キムジョンウンみたい。 水の江瀧子「やっぱり今までになかったタイプの青年でしたね。戦後アメリカがどっと入ってきたでしょう。
ところが周りの日本人社会見たってそういうのは全然いなかったわけですよ。
裕ちゃんにはそういう、ややアメリカ的な感じがあるでしょう。身長はあるしね」
背は確かにデカかったんだな 若いころはいい意味でチャらかった。だんだん昼酒飲んでるただのデブになった。 この時代のスターで今も名前が残ってる人って若い時や全盛期大体納得できるくらいの美男美女なんだけど
裕次郎は若い太る前の時ですらそんなにカッコよくないんだよね
当時の人にしか分からない魅力があるのかなぁ 80年漫才ブームに B&B洋七が
「裕次郎みたいなモン俺と同じでタダの肥満児やがな!」
と言って大爆笑獲ってたンだわ
当時 読売G野球選手
年俸9000万パーティーに呼ばれた洋七は
選手から「おい 雑魚漫才師 オマエ年収幾らだよ?w」と聞かれ黙っていた
9億超えていたからだ 裕二郎旭勝新と当時の映画スターは中年になると見る影もなくデブるのがデフォだった。健さんがどれだけ鍛錬したか分かるな 勝新は太ることで貫禄がついたが、健さんはただ老けただけ。
「四十七人の刺客」の頃にはもう声も枯れてて、賞味期限切れを感じさせた。 石原裕次郎52歳であの世行き
52歳って驚いたわ。
今の織田裕二くらいの年齢じゃん。 赤 千と千尋の神隠し 宮崎駿
青 北野映画 北野武
黄 警視庁捜査第八班 ゴリラ 石原プロモーション 「渋谷の道玄坂にあったクラブ(屯喜朋亭=ドンキホーテ)で二人が飲んでいたとき、他愛もないことで言い争いになった。『表に出ろ!』と言い放ったのが勝さん。けれど、表に出た途端、
裕次郎さんが『兄貴、これは芝居にしようや』と持ち掛け、事なきを得ました。勝さんからは、こんな言葉は出てこない。喧嘩となったら、最後までいってしまうタイプですから」(同・中村氏)
勝さんは一人で飲むときも裕次郎さんの歌を好んで歌った。「夜霧よ今夜も有難う」や「粋な別れ」である。実は、勝さんもレコードを何枚か出していたのだが…。
「ぜんぜん売れなかった(笑)。だから『なんで俺のほうが歌はうまいのに、裕次郎のばかり売れるんだ』と悔しがっていましたよ」(同・中村氏)
中村氏の分析によると、確かに勝さんは歌がうまかったが、こぶしが利き過ぎていた。
「一方で、裕次郎さんの歌は、素人が酒を飲んで気ままに歌っているようで、魅力がありましたね」(同・中村氏) 勝新は演技と同じで歌も上手さの抑制が効かない。
美空ひばりなどは1曲の中の効かせどころを心得ていて、力の抜き具合も
絶妙なのだが、勝は全篇入れ込み過ぎてて聴いてて疲れてくる。 兄の慎太郎と石原まき子夫人存命中に解散
裕次郎も笑えない 第二の裕次郎なんたらで選別したやつらは
石原プロのやつらは全員見る目が腐ってたか
そろそろ潰れて欲しかった スペシャルドラマ「弟」が80年代の大映ドラマだったら
石原潔 中条静夫
石原光子 小林哲子 晩年は池内淳子(そのまま)
石原慎太郎(思春期)和泉史郎 (メイン)鶴見辰吾(壮年期)山下真司
石原裕次郎(思春期)高野浩和 (メイン)松村雄基 晩年は梅宮辰夫または三浦友和(そのまま)
石原典子(メイン)いとうまい子(壮年期)岡田奈々
石原まき子(メイン)伊藤かずえ 晩年は和田アキ子または松坂慶子(そのまま)
渡哲也 四方堂亘(壮年期)国広富之 または本人
小林正彦 小沢仁志(壮年期)重田尚彦 または本人
石原良純 本人
関町 松崎しげる
井上教授 名古屋章
内藤医師(後の向井千秋飛行士) 堀ちえみ
一等航海士(潔の部下) 垂水藤太
藤倉課長(潔の部下) 佐藤健太
水の江瀧子 安永亜衣
牛乳配達員 坂上忍または吉岡秀隆
小樽の消防団団長 坂上二郎
荒牧(日活企画部) 大葉健二
小森和子 杉浦幸
タクシー運転手 石立鉄男
加藤(日活撮影所警備員) 谷隼人
『太陽の季節』撮影時の長門裕之 宮田恭男
チャーリー(嵐を呼ぶ男) 大門正明
おでん屋の女将 かとうゆかり
逗子の海岸の憲兵 西村雅彦 (そのまま)
宝酒造の大宮社長(終盤に会長) 下川辰平
寝台車車掌 真夏竜
質屋 武田鉄矢
藤本真澄常務 倉石功
料亭「海陽亭」女将 森恵
宇野重吉 井出らっきょ
松山章子 諏佐理恵子
真美 坂上亜樹
ハチャメチャな話になるか。
主題歌は麻倉未稀で。 慎太郎とシュワちゃんが面談してるのを見て思ったが、
もしも裕次郎が今でも存命で、シュワちゃんとどこかであったら気が合うと思う?。 今週のビックコミックの表紙が、石原裕次郎。
何故か思ったら、石原プロモーションが終わるからか。
久しぶりに見たな。公の媒体での石原裕次郎。 石原裕次郎が太り始めたのは黒部の太陽の頃から?
暴飲暴食が原因なの? >>238
赤いハンカチの頃にはもう太り出していた。
https://www.nikkatsu.com/movie/20770.html
動けなくなってきたので、日活映画もムードアクションという中年向けの
緩い作風に変化した。
もっとも顔だけは紅の翼の頃にはもうブルドッグ化していたが。
https://www.nikkatsu.com/movie/20305.html >>240
「あいつと私」の時には十分太っている
サラリーマンの課長くらいに見えて、大学生とは思えなかった 最初の大動脈瘤ん時は志麻いづみの部屋で倒れたんだっけ? >>241
太った原因は何なの?
過労とストレスで過食やアルコール摂取過多?
水原弘ほどのアルコール依存症では無かったように思えるけど。 20歳そこそこで、毎晩銀座のクラブでスタッフ慰労して飲み明かしてた。
今でいうと何億も稼いでたからね。その気前の良さがプロダクション経営にも繋がったんかな >>241
太陽にほえろの時に比べたら、可愛いね。 >>245
想像だが、スキーで骨折し暫く療養
その後の復帰第一作が、「あいつと私」だから、運動不足、若しくは薬によるむくみ
渡だって復帰第一作の「大都会・闘いの日々」ではむくんでいた
しかし、間もなく戻ったが、裕次郎は、、、、、、、 >>248
野菜はろくに食わない。食事は肉中心。ビールはご飯代わり。
こんな偏食生活続けてたら体が治らないのも当たり前。 >>249
飲酒はもう中学で常習化しててツケで飲んでいる店が数件あり兄貴の慎太郎が仰天したそうだからな。
大動脈瘤の後も結局、まき子夫人に隠れて喫煙・飲酒してたと良純が証言してるし。
流石に最後の最後は全部止めたそうだが。
そう考えるとその割には結構、長生きした方かもな。 >>250
そんな外道が慶應義塾大学で、
慶應ボーイと騒がれて、
日活の太陽族スターだとは聞いて呆れる 逝去してから数年後の石原裕次郎の関連番組で、30代の頃の、健康年齢がかなり高かったらしい。確か、老人レベルだったとか? >>252
太陽にほえろは、裕次郎が38歳からドラマが始まったけど。健康がよろしくなかった頃なのかな。
親が裕次郎のことを好きだったので一緒に見てたけど、小学生の子供の私にはカッコいい俳優には見えなかったな。
けど、乳母車などの映画の頃の裕次郎は可愛いらしいな。 渡哲也版の嵐を呼ぶ男を見たが、若い頃の渡哲也は渡瀬恒彦に似てるね。兄弟でもあれほど似てるのは珍しいな。
似てるといえば、水の江瀧子と三浦和義も叔母と甥だけど似てたな。 スリムな若い頃は愛嬌があっていいな、七三分けのレイバンにスーツでデブの時とまるで別人だった 実は裕次郎、成城の自宅のほかに、投資用の広大な土地を所有していた時期も。
小田急線沿いで高く売れたらしいが。その金も石原プロの軍資金となる 初見が太陽にほえろの後半だったから、殆ど椅子に座ってる印象しかない。 >>261
あした晴れるか観たよ、映画自体かなり面白かった もし裕次郎に息子や娘があったら、裕次郎は徹底的に甘やかすだろうし嫁さんもそんな感じだから、
木村一八なんぞ裸足で逃げ出すモンスターな二世芸能人(当然デビュー時からデブw)が誕生したろうな。 慎太郎の息子たちのことを考えると、裕次郎の息子は人はいいがただそれだけの人になると思う このおっさんのどこがいいのか昔から理解出来ない。
顔がカバで体が豚。
よほどメディア企業の力が強い時代だったのだろうか?
海外ではクリント・イーストウッドが年齢的に近いが、90歳を超えた今でも
主演と監督をこなす活動は本物のスターと言えるでしょう。
若い頃のカッコ良さは現代でも通用すると思う。
裕次郎は全盛期であっても、現代は箸にも棒にもかからない。 外見というより生きる姿勢じゃないですか
今まで芸能界において電通に逆らったのはあの男だけです
そして成功を収めた
平成を乗り切った石原プロモーション
もう ああいうスターは出てこない
今まさに石原裕次郎の音楽聞いてるけれども
誰よりも豊かな気持ちになれる。
今の俳優は自分のプロダクションすら作れない。
容姿なんてどうだっていい
命をかけてついてくる人がいるかどうか
彼の場合は渡哲也がいた
渡哲也に命をかけてもいいという舘ひろしがいたんだ
それがトップリーダーというものだよ。 「人間魚雷出撃す」を観た
出撃以降はえらいアッサリしてたな
あれが現場の実感なんだろうな… 若い頃はコメディセンスも高いよな、カッコつけてないとこがまた良い >>1
同じタイプだけど自分は勝新太郎さんのほうがカッコいいと思う 東映2大スターのライバル秘話 高倉健を強く意識していた菅原文太
高倉健と菅原文太はどんな間柄だった?(Getty Images)
東映ヤクザ映画の2大スターだった高倉健と菅原文太。デビューはともに1956年だが、高倉が1964年の『日本侠客伝』でいち早く看板となったのに対し、菅原は他の映画会社で芽が出ず1967年に東映へ移籍。1973年、任侠路線から実録路線へ舵を切った『仁義なき戦い』でようやくブレイクを果たした。
2人は全12作で共演しているが、1975年に公開された最後の共演作『神戸国際ギャング』に出演したガッツ石松は、その関係性をこう証言する。
「2人の間では文太さんが健さんを立てていた。撮影中、健さんが2階から拳銃で撃たれて壁にぶつかるはずが、壁のないところに落ちてアゴのあたりに怪我をしてしまった。それで撮影は一時中断になったんだけど、監督がその間に他のシーンの撮影を再開すると言ったら、文太さんが『ふざけたこと言うんじゃねえよ。健さんがケガしたのに撮影なんかできるわけねえだろう』って怒ってやめさせた。俺にとっては2人ともヒーローで、長男には2人の名を取って『健太』とつけたし、親父が死んだときに健さんがくれたお香と、文太さんがくれた自家製のワインは、心の家宝です」
『高倉健と任侠映画』などの著作があるノンフィクション作家・山平重樹氏は、菅原には高倉への意識が強くあったという。
「この作品の舞台挨拶で、健さんは司会者から『菅原文太という俳優をどう思うか』と質問されて『東映を背負って立つような素晴らしい俳優さんになられましたね』と答えていましたが、対する文太さんは、本作よりもコミカル路線で当時大ヒットしていた主演作『トラック野郎』の話で笑いを誘っていた。健さんへの対抗意識があったのでしょう。後年、『健さんを意識していたか』『健さんがいたから違う方向を目指したのではないか』と聞くと、文太さんは『同じことをやっても敵わないとなれば、誰でもそう考えて努力するのではないか』と語っていました」
同年、東映は当時としては破格の5億円超をかけて大作『新幹線大爆破』を制作したが、東映の宣伝マンだった佐々木嗣郎氏は意外な秘話を明かす。
「制作側は主演の犯人役は当然、健さんだと思っていましたが、岡田茂社長の頭の中にあったのは文太さんでした。新幹線を爆破するのに金がかかるから、ギャラは健さんの半分程度で済むし、文太さんを押し出したい気持ちもあった。しかし、任侠映画からの脱却を模索していた健さんは、ギャラは半分でいいと言い出し、主演に決まった。この作品は海外で高く評価され、健さんの新境地となりました」
高倉自身にとっても、任侠スター・高倉健は高い壁だったのだ。
2014年11月、高倉が死去。菅原は「健さん、東映、映画のことは時間をおいて自分で書きます」と追悼コメントを出したが、その18日後に自らもこの世を去った。
※週刊ポスト2021年5月21日号 「金門橋にかける橋」を観た
恋愛ドラマは失笑レベルだが、最後の砲撃が凄い
ひとつ間違ったら死ぬレベル こないだ黒部ダムのやつ初めて見た
ただのそこいらの小デブおっさんだった... >>281
初めて見たというのが嘘ということだろう
単に裕次郎アンチ >>280,283
3ヶ月前にBSで黒部の太陽やってたのを録画しといたのよ
それをこないだ見たんだよ
録画するきっかけになったのはNHKのぶらっとタモリの黒部ダム特集の再放送を見たから
なんでも妄想で決めつけない方がいい 顔つきもシュっとしてないし
体つきもヤバかった、特に腹周り 裕次郎さん好きだけどルックスでいえば菅原文太さんのほうがイケメンだね >>287
バックボーンが違ったさ。裕次郎は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの石原慎太郎の弟だった。
菅原文太は東北の田舎から出てきた標準語が怪しい奴。
文太は顔はキリッとえいてたけど裕次郎は文太なんか相手にしてなかったよ。 当時の石原裕次郎の人気は高倉健より上で中村錦之助レベルだったんじゃないの 今日、エド山口のyoutubeを見ていたら、エドが石原軍団の新年会に行って芸をやって裕次郎から50万円入りの封筒をもらった
あるとき三波春夫に呼ばれて行ったら、よく来てくれたとこれまた分厚い封筒をくれた
後で中を確かめたらお札ではなくて全部パンフレット、速攻捨てたそうだ >>289
人気はあっても健さんのほうが昔から格上 長身の体型といい貫禄といい、チョウユンファが裕次郎の再来だな いろんな共演者の思い出話を読むと、兄貴殿とは人柄が対照的だな >>291
石原裕次郎に対して高倉健が格上の訳ないだろう。
映画最盛期だった昭和30年代の正月に催される <各社のスターが勢揃い> に高倉健は名前も顔もないんだよ。
映画斜陽期に入ってから高倉健は1人孤軍奮闘してた。でも<各社のスターが勢揃い>に一度も呼ばれなかった高倉健は生涯負い目があったんだよ。
小林旭が言っていた、先にスターになった方が格上は生涯変わらないんだよ。
今日のNHKの日本人のお名前
高倉健と石原裕次郎じゃん >>298
見た。
高倉健は細身のイケメンだったけど、石原裕次郎はデブった眼鏡のおっさんだった。 ジャッキーも小林旭のファンなんだな、他には勝新と千葉真一も好きらしい 「黒部の太陽」をやっと見た
これ脇役陣が凄いな…日本演劇界が総結集だ
映画自体も良かったよ 加山雄三や小林旭は昔の映画を見たらスターなのは良く分かるんだが石原裕次郎は若い時もブサイクで棒だし分からんわ
俳優の仕事を恥じてたのは三船敏郎や高倉健と一緒か 三船は撮影班志望だったのに俳優オーディションに回され
「怒った芝居してみろ」と言われ
「何で囲まれてそんな事せねばならんのか!」と本気で怒っている所を通りかかった黒澤に見られた
高倉は初めてのキャメラテストでドーランを顔に塗られ
「身を堕とす とこういうことか」と諦めた いまBS日テレで「銀座の恋の物語」放送中
つまらない映画だな >>310
最後の展開が残念だったが・・・・・内容が。校長役の宇野重吉が事故死するし、学校(教護院。少年鑑別所の
手前の)土地が、自衛隊の基地にされるわ・・・
生徒役の、杉山俊夫と其の仲間がいい味出していた。
渡哲也でのリメークが、見たかった。 >>312
横だが
何が死ねハゲなのか内容を書かないと小学生の荒らしと同じだよ ID:5gaBSfqt
こいつは親のすねかじりの世間知らずの低能児だよ >>317
マジレスすっけど
お前、Twitterでバカにされてるぞw 先日北海道旅行に行った際、小樽駅での石原裕次郎の等身大パネルでの解説では
182p75キロとの表示あり。実際は・・・・ 裕次郎は脚怪我して走れなくなって
どんどん太っていった もし日活に黒澤明がいたとしたら
石原裕次郎は世界の石原になってたと思う
用心棒の時、卯之助役にもう一人三船が必要だとなって三橋達也がキャスティングされたが
降板になって仲代達也が代役になったが
もし五社協定がなければぜったい石原裕次だった 石原軍団の神田正輝の神田沙也加が亡くなった
普通に神田正輝の方がイケメン
柴田恭兵や周りが良かったのかも ブラインド覗きぽっちゃりおじさん
何がすごいのかよくわからん
その時代娯楽が映画くらいしかなかったからかもわからんが、それにしたってギョロ目黒光りおじさんにしか見えんよな 何がすごいのか?
若い時の映像みてもおじさんなのな笑笑 兄貴の慎太郎も逝った事だし、これで今後語れることも無くなるんじゃないの? 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして授業をサボって遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪されたのにも関わらず
芸大を受験する資格すらないのに"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 今時のに時代とワンセットだった裕次郎の魅力を説くのは無理なんだよな 今の時代の人間は否定したできない陰キャだらけだからな >>1
潰れそうだった戦前からの一番古い日活株式会社の映画を、自前の身体を張ってヒットさせた存在だったから。 若いころは文句なくイケメンだったがな
ただ、中年以降もデブといより身体がムクんでただけだろう。いろいろ病気してたから薬の副作用で。 >>16
>>21
ブルドックはブルドックでもただのブルドックではない。カッコいいブルドックだ。
ゴッドファーザーのマーロン・ブランドと並ぶブルドックだろう。 ブルドックってソースのことか?ドッグなら犬だろうが。 眉間にシワを寄せるのが演技と思ってるのこの人?下品な大根役者だよ全く。 >>27
うまくまとめている、その通り。
大根裕次郎批判できない業界の事情があるんだろうねえ。 >>347
裕次郎はともかく
眉間にシワを寄せたり、裕次郎の真似してカッコつけてやがるのが未だに居るんだよな。
地上波のドラマからとっくに淘汰されてっけどね。 >>348
大根裕次郎批判できない業界の事情
当然だが、かつては映画業界は興行収入がモノをいう世界だった。
裕次郎の年間の稼ぎの額からいったら黒澤や木下恵介などは足元にも及ばない。
しかも出演作は大半が通常予算で期間内に製作できたプログラムピクチヤーばかり、
おまけに当時の人気スターにありがちなシリーズ物など全然なかったのも特徴。
とにかく裕次郎さえ出ていれば客が入ったという点で、まさにレジェンド。
勝や三船、錦之助らが一目置かざるを得なかったのもそうした点ゆえだろう。
1956年日本配給収入ランキング 7位 太陽の季節 1億8564万円 (代表封切館 大人料金140円)
1957年日本配給収入ランキング 4位 嵐を呼ぶ男 3億4880万円 (代表封切館 大人料金160円)
1957年日本配給収入ランキング 7位 錆びたナイフ 2億4851万円
1957年日本配給収入ランキング 8位 夜の牙 2億3721万円
1958年日本配給収入ランキング 2位 陽のあたる坂道 4億0071万円 (代表封切館 大人料金170円)
1958年日本配給収入ランキング 3位 紅の翼 3億6495万円
1958年日本配給収入ランキング 6位 明日は明日の風が吹く 3億2150万円
1958年日本配給収入ランキング 7位 風速40米 3億1809万円
1959年日本配給収入ランキング 4位 世界を賭ける恋 2億7789万円
1959年日本配給収入ランキング 5位 男が命を賭ける時 2億6937万円
1959年日本配給収入ランキング 6位 鉄火場の風 2億4335万円
1959年日本配給収入ランキング 9位 男なら夢をみろ 2億0647万円
1959年日本配給収入ランキング 10 位 天と地を駈ける男 1億9652万円
1960年日本配給収入ランキング 1位 天下を取る 3億2392万円 (代表封切館 大人料金200円)
1960年日本配給収入ランキング 3位 闘牛に賭ける男 2億9133万円
1960年日本配給収入ランキング 4位 喧嘩太郎 2億7669万円
1960年日本配給収入ランキング 6位 あじさいの歌 2億7037万円
1961年日本配給収入ランキング 3位 あいつと私 4億0008万円 (代表封切館 大人料金230円)
1961年日本配給収入ランキング 7位 銀座の恋の物語 3億0000万円
1961年日本配給収入ランキング 8位 堂堂たる人生 2億8977万円
1961年日本配給収入ランキング 9位 アラブの嵐 2億8800万円
1962年日本配給収入ランキング 2位 花と竜 3億6040万円 (代表封切館 大人料金260円)
1963年日本配給収入ランキング 3位 赤いハンカチ 2億8000万円 (代表封切館 大人料金300円)
1963年日本配給収入ランキング 10位 黒い海峡 2億1300万円
1967年日本配給収入ランキング 1位 黒部の太陽 7億9516万円 (代表封切館 大人料金400円)
1969年日本配給収入ランキング 1位 栄光への5000キロ 6億5000万円 (代表封切館 大人料金500円)
文句があるなら俺より稼いでみろ!と言われなくとも、最初から白旗上げるしかない数字w >>352
裕次郎が
君の横顔ステーキだぜ 夜霧よ今夜もありがとう
とか様々唄って歌手としても成功してるときに
高倉は馬鹿の一つ覚えみたいに
その名も網走番外地〜 唐獅子牡丹ばっかりだったからな 業界の事情でチヤホヤされた忖度大根役者
それに追随してカッコいいと勘違いするアホ
石原軍団の親分だったが、そんなことは俳優にとって本来は何の関係もない きのうNHKBSで嵐を呼ぶ男を放送してたね
すごく映像がきれいになっていた
フランキー堺がノンクレジットで出ていた
以前に見たときはまったく気づかなかった 弟が作曲した(という設定)曲はCD出てないのかな?
一部分聴いただけでもガーシュイン風で良さそうな曲なのに あの当時の映画スターで長身は裕次郎だと勘違いしてる奴がいるんで驚く
岡田眞澄のほうが裕次郎より長身だったのに >>355
こういう人間がだんだん減ってきたな
今じゃ、フランキー堺って誰?? てなるんだろうな フランキー堺がドラマーだったことを知らない世代が多い
東宝の駅前シリーズの常連だったからな >>355
>>362
フランキー堺は近藤真彦の「嵐を呼ぶ男」にも出てるしなw 知らない人が知らないとレスする可能性は極めて低い
世代的に活躍をあまりみたことがない、というならわかるが 実際には
新太郎167、裕次郎177、慎太郎179、良純181くらいか ,. -''´ ̄` ー 、_
/ ヽ
i r‐''゛゛゛゛゛` ー-.ノ ヽ
. / 彡 .i !
i. r' ,,;;;,,,, ;;;;;;;,, ヽ !
(i ! "..tェ、.: :. ,ェェ、 l.i'`!
ヾ! .: 、 l .l
ヽ! ,r└--‐'ヽ lノ
. ヽ. ヽlエlエr' .: ,! そりゃ少数精鋭の国立「1橋」は、烏合の衆の私文「慶O」「草稲田」より社長数は少なくなるに決まってるじゃないかwww?
ヽ 、  ̄ ,. ' /iヽ
_,. -' lヽ 二 ,r' / ` ー 、 数字で遊びなさんなってwww
,.. - ' ´ ./ l ヽ__ -' .,! ! ` ‐- 、
r '´ / ,.! /、 .>、 / l `ヽ
シンタロー・イシッパラ 慎太郎と裕次郎が湘南でナンパした女を廻してたことを小説にしたのが太陽の季節なんやろ? >>364
>フランキー堺
テレビドラマ 赤かぶ検事シリーズの主人公役が有名
あの人も年を取って太ったけど 味のあるいい俳優だったな ↑フランキー堺はデビュー作「幕末太陽伝」のキャラを
まんま継続した。森繁久彌が「わが名はペテン師」を
継続したのと同じ。ギャグ満載の↑は見て損しない デビュー当時は痩せてて背が高くてめっちゃカッコよかったんだよぉ~!(泣) 草刈185、仲村184、優作・渡辺謙183、雅俊182、高橋英・岸部一181
田宮180、高倉・渡・役所179、三國・石原・舘178、藤岡177
文太・成田・夏八木・柴田176、加山・丹波・原田175、旭・千葉・渡瀬174、
三船・緒方・松方・萩原173、鶴田・仲代・田村正・北大路172、
田村高170、沢田169、雷蔵・渥美・水谷168、勝・田中邦・真田167
昭和30年の178は今の183くらいの感じか