乱 黒澤明 [無断転載禁止]©2ch.net
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黒澤明後期の傑作を語ろう。4Kデジタル修復版が4月から劇場公開されるみたいですね。 メイキング見るとОPのイノシシも撮影後は板で囲って躊躇いも無く射殺していたな
今なら愛護団体から猛抗議だろう 幾ら黒澤作品でも
でもやっぱ「板」がポイント 黒澤は人に対して無慈悲な感じはするな、作品は娯楽色が強く面白いんだけど。小林正樹と真逆な感じがするな Eテレ で 三島と手塚 を検証して居たが
共にその膨大な自作品を「こんなモノたかが俺の脳のデッチアゲに過ぎない と俺だけが知っている」
と言う巨大な虚無感を擁いて居た と
黒澤も同じだったのだろう ソレが自殺未遂や板丸出しの背中に現れてる
虚無感≒板 その二人はそうだろうけど「巨大な虚無感」を黒澤は持っていなかったと思うな
寧ろ自作品に対する自負が強すぎて、実はそれはスタッフの助力の結果なことに気付かなかったんじゃないかな
そしてそれで『虎虎虎』の悲劇となったと 仲代は人間としては黒澤より小林正樹を尊敬してるのではと思われる
流石に露骨にそんな発言は無いが
色々インタビュー読むと そう感じる
田中友幸は黒澤を
「他人の手柄もチャッカリ自分のモノにする 女の腐った様な奴」とまでクサし切っていた
まあ監督なんてそういうモンだし、身内からはこういう視点もある訳だ 432を読まずに433を書いたが
内容は一致する部分が大きいので驚いてる次第 TORATORATORAは、ハリウッドとの文化の違い。向こうは監督は無力 ハリウッド独特の完全分業制というものがある。監督は撮影中にカメラのファインダーを覗くことも編集に立ち会うことも禁止されている
だからカメラマンも勝手に独創的な映像も撮れないだろうし、編集もパターン化され面白みのないものになる
だから現代ハリウッドはつまらない
俳優が神様、監督の思い通りの映像や演技や表現が作れないわけ だから現代ハリウッドには個性がなく、誰が監督をしても同じような作品にしか仕上がらない これらハリウッド族に対して、独自の文化を作り上げてきたのが「ニューヨーク派」と呼ばれる作家たち
ジョンカサヴェテス、マイクニコルズ、ジョンシュレシンジャー、ウディアレン、マーティンスコセッシなどはその流れにある人物 ハリウッドでは、監督は単なる雇われもの
トラトラトラや暴走機関車の撮影を断念した理由を黒澤になすり付けるのは勉強不足 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています